【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
第110話 黒衣の姫君、或いは聖剣の継承者、またの名をホワイト・スノウ戦役
第110話 黒衣の姫君、或いは聖剣の継承者、またの名をホワイト・スノウ戦役
――――カントの墓碑銘より。
◇ ◆ ◇
量子エンタングルメント――もつれ、というものが存在する。
これには古典的な物理論では説明できない奇妙な性質があり、それが相互作用を起こせないほどの距離にあってもその二つは相関性を保ち続ける。
仮にある粒子の崩壊から誕生した、もつれ状態の二つの粒子が存在するとしよう。
その場合も角運動量保存の法則によって、もつれ状態の量子の持つスピンというのは片方が決まれば自ずともう片方も決まる。
それが相互作用を起こし得ない距離であろうとも、必ず一方を観測することによって自ずともう一方のスピンが確定する。宇宙全体において波動関数が収束する。それがたとえどれほどの彼方であろうとも。
あえて例えるならば、手袋だろうか。
正常な一対の手袋ならば、片方が右手のものであるならもう片方は左手と決まるだろう。
そんな状態と考えれば、量子のもつれは理解しやすいだろうか。
それに距離は関係がない。
時間も関係ない。
速度も関係ない。
ただ純然と、二つどれだけ離れていても相関性を保っているという事実だけがある。
さて――この量子のもつれを利用した超光速通信、という通信方法がかつて考えられていた。
あるところに手袋があるとする。
これを、右手と左手が揃った手袋と仮定する。
この手袋を箱に閉まったまま、月と地球にそれぞれ持っていく。
量子力学の世界において、この箱の中身は開けるまで確定しない。どちらの箱においても、その内なるものが右手の場合と左手の場合と――どちらの可能性も存在する。
そしてこの手袋がエンタングルメントであるならば、この箱が片方において開かれて測定されたときに宇宙全体で波動関数が収束し、もう片方の箱の中身も確定することになる。
片方の箱を開いた人間が仮に一秒でもう片方の箱に何があるかを想起するとすれば、月と地球の距離は一光秒より大きいために、ある意味でこれは情報の確定が「光を超える早さで行われた」と呼んでいい。
所謂、もつれ――量子エンタングルメントという現象及びそれを利用した通信の基本理念は、わかりやすく言ってしまえばこんな話だ。
もしこれをそのままの形で通信などに用いられたならば――この見かけ上の速度は、光さえも超える。
相対性理論を超えた超光速の実現である。
……とは言っても、これは正確には事実ではない。
事実ではないというより、結局、これによる超光速通信は成立が不可能だった。
片一方を観測することによってもう片一方の状態を確定させることと、それによって情報を伝達し或いは認識することと通信として利用できるというのはまた別の話であるためだ。
おそらく、直感的には理解し難いだろう。
というのもある片方の箱において右手であることが決まってもう片方が左手であると収束したとしても、もう片方の箱の視点者からすると、やはり、「観測するまで未だにそれは右手と左手のどちらの可能性も存在している」のだ。
彼がその箱の中身がなんであるかは、知り得ない。
結局はそちら側の視点者に対して、「こちらは左手だった」という古典的な情報伝達が行われない限りは、その箱を開けずして中の手袋が何であるかは定まらない。
そしてこの古典的な情報伝達の速度が光速を超えることができない以上は、やはり、この世界に光よりも早い情報の伝達というのは存在しないのだ。
……奇妙さを感じるだろう。
貴方の視点にとっては、この開かれた箱と閉じられた箱の手袋の中身というのは、片方が確定すれば自明にもう片方も確定するものだ。
だから、超光速通信は成り立つと思えるだろう。
何故、そうなるか。
それは貴方がこの思考実験の中における双方の視点者の情報伝達――光の速さ――よりも早く結果を観測し、早く思考しているためだ。
貴方という超光速の視点者がいるから、貴方という超光速の意思があるから、そこに超光速の通信が成り立つと想定される。
つまりこの思考実験においてそれで超光速の通信が成り立つとするならば――仮にどこまで突き詰めたとしても、それは超光速のものが存在するから超光速は存在しているという、ある種のトートロジー的な結論しか導き出せないものであるのだ。
もし仮にこの量子エンタングルメントを用いた超光速の速さの通信が成り立つとすれば――。
それは、双方の状態を全く同時かつ正確に把握できた上で、それを伝達できる超光速の何者かが存在するということになる。
超光速が存在していれば超光速は存在し、超光速が存在しなければ超光速は存在しない。
この思考実験からはどこかの政治家の言葉のような結論しか見い出せず、量子エンタングルメントを利用した超光速通信は到底現実的ではない――とそんな結論しか生まれないのだ。
……さて、長くなったが、この話において大切なことは一つだ。
量子エンタングルメントにある状態の粒子は、それらが相互作用を起こすことのできない距離にあっても影響を及ぼし合う。
ある系のみにおける作用――局所性――ではなく、非局所性というものがこの宇宙には存在しているのだ。
二つは離れていようとも、ある意味では繋がっている。
大切なのは、これだけだ。
これは量子についての話であるが……非局所性というものは、果たして、量子というミクロの規模に限ったものなのだろうか?
そして――もう一つ話をするとしよう。
ある科学者と、その一人娘の話。
正確には血が僅かにしか繋がっておらず、血縁上は叔父と姪という関係であるのだが――ここでは親子とする。
ある時、その父がその研究室にてデスクに向かい合っているときに、不意に夜半に目覚めた茶髪の癖毛の娘はそのぼんやりとした目を擦りながらこう言った。
『……お父さん。そこに、誰がいるの?』
そのデスクの上には、還元されて白色となった固体が置かれていた。
戦争も起きる以前――。
そんな、ある日の話だ。
◇ ◆ ◇
暗黒の宇宙に、プラズマと砲火が瞬く。
押し寄せた【
それを目にしたカリュードは、内心で息を巻く。
(……シュヴァーベンは、流石に判断が早いな)
アーク・フォートレスとの戦闘は行わない。
それが、彼らの出した結論だった。
当然だろう。あの【フィッチャーの鳥】は、反連盟政府活動や運動を未然に取り締まるために公安機能を持った治安維持組織であり、そして、迅速かつ即急に対処を行うための軍事部隊だ。あくまでも事前の調査や追跡、捜査、そして緊急事態への初動対処及びその場合に最もあり得るだろう単独機体や一機当千機による強襲を挫くことが求められている。
つまりアーク・フォートレスというその戦場に総力戦を強制させることになる巨大な前線基地への対処は、その設立理念や設計方針から外れた行動なのだ。
それでも人民を守る軍ならばここで及ばずとも戦うべきだと言われるかもしれないが、きっとシュヴァーベンはこう答えるだろう。
――ここで用途外の損耗を出すことが
それは、正しい行動だった。カリュードとしても頷くところだ。
おそらくはそのまま遅滞戦闘に切り替えるかして、本隊を待つ――――。
第二世代型に比して
だが、
『諸君……見るがいい! この力を! この力に惑い、醜態を晒す
響き渡る広域の演説。
深く考えない末端の残党兵たちにとっては、シュヴァーベンのその行動は怠惰や怯懦に見えるだろう。
つまりは、敵を勢い付かせる行動と読んでもいい。
装備の質の差があれ、一度勢い付いてしまった敵軍を押し留めるのは通常とても困難と言っていい。
或いは――一時的な離脱により、【
(……不味いな)
自機にまで及ぶ乱入者たちからの砲撃や突撃を前に、ガトリングを掃射する【
フレディ・“ピュトーン”・オールドマンは、そんな押し寄せる敵機の中に身を隠した。
接近する機影の中には、フレディと同様の力場利用型パイルバンカー装備をした【
そしてもう一つ――本当に不味いことがある。
「どうする、小隊長! これじゃあ、あのアーク・フォートレスに牽制も情報収集もできねえ! こうなっちまったら部隊を分けるのは愚策だ!」
「っ、わかってます――少し、少し考える時間をください! 今は応射して!」
指揮官のキャパシティ・オーバーだ。
シンデレラは、これまで指揮経験が無い中で指揮官として初陣とは思えぬほどに良く判断し、良く指示を出した。いずれ大成するとカリュードも認めるほど、これまでは慌てずに方針を出し続けた。
だが――これはもう、その許容範囲を超えている。
コルベス・シュヴァーベンによる人間機雷。
未確認アーク・フォートレスによる襲撃。
そして第三勢力――残党勢力による横撃。
余りにも不意の対応が多すぎる。二度までは持ち堪えたシンデレラだったが、初級指揮官にこれ以上は不可能だろう。戦場は既に、朝食の卵よりもかき混ぜられていた。
自分が指揮権を引き継ぐか――カリュードは考える。
だが、それも上策とは言えない。カリュード自身も士官としての専門教育は受けていない。懲罰部隊出身で軍事的な促成栽培だけで放り出された。彼女へのアドバイスも、むしろ指揮される部下側から見た視点の話と、これまでの戦場経験に基づく言葉でしかない。
(何をやっているんだ、ローランド・オーマイン……せめて上級部隊からの今後の方針くらいは出せないのか)
本来ならば【フィッチャーの鳥】へと槍の穂先として突撃し、そしてそれを掻き乱したのちに本隊と協同を行う手筈で行動した小隊だ。
その予定が狂った以上、上級部隊から改めて作戦目標の伝達を行うべきだろうが――やはり戦場特有の、襲撃による混乱のためか。
そこまで考えて、気付いた。
戦場の周囲に立ち込めた銀煙。
破裂するミサイルに詰められたガンジリウム・チャフによる通信妨害。
しかも、それを行っているのは残党ではなく――【フィッチャーの鳥】の側だ。彼らは何かしら、この戦場を通信的に孤立させねばならぬという情報を得ているのか。自分たちの撤退や援軍要請さえ難しくなるというのに、次々とミサイルを放ちその銀色の粉塵にて戦場を外部から切り取ろうとしている。
(あの演説か? それともアーク・フォートレスを確保されかかっているという情報か? 或いは、戦況不利を伝えられぬために――)
左右の銃器で迫る敵部隊に砲撃を加えつつ回避しながら、考える。
敵の連携の質は、然程ではない。物資に限られた残党という立場上、シミュレーター上でしか訓練を行えていないためか戦闘機動もヌルい。
だとしてもその《
そう考えた、そんな――瞬間だった。
『駄目じゃないか、ジョン・ドゥ……! おれから目を離しちゃ……! 教えた筈だぜ、殺意は蛇のように忍ばせろ――ってな!』
上方から急角度で襲いかかる【
指揮官というのにあえて性能の劣る機体を駆り、ただ一撃のためだけに息を潜めた。
そういう分の悪い博打をする男だった。
迫りくる敵機への攻撃に電力を回していたために、バトルブーストは使えて二度。敵もおそらく二度。つまり、回避は間に合わない――そして、その牙を前に防御は意味を持たない。
だが、
「お呼びじゃねえんだよ、昔の指揮官なんざ!」
既にバトルブーストを行ったままに巨大な車輪を翻した【
確かにその車輪は攻防一体の武器だ。敵の力場を喰い破り、或いは強固な力場にて敵を阻む武器だ。
だが――
「やめろ、レオ! そいつの攻撃は――」
言うが、早いか。
二機の接触と同時に弾ける紫電。
邂逅は一瞬だった。一瞬の接近と同時に、もう、決着はついていた。
振りかぶられた大盾――の如き力場利用型のパイルバンカー――【
盾の裏側に備えられた最強の鉾たる破壊杭。
その切っ先は、あたかも爆発物におけるモンロー・ノイマン効果の利用を図った形状のように、裏向きの山型の如く凹んだ凹型を形作る。
極めて純度の高いガンジリウム・ヴォルフラミット無重力合金によって形成された強固かつ重厚な全てが固体で成立した破壊兵器。
第一段階――――敵の力場との接触によって盾の先端が斥力に弾かれ、同時、運動エネルギー保存用フライホイールが稼働。そして、反発のままにさながら弩弓めいた形状へと大盾が折り畳まれ、破壊杭がバネに装填される。つまり、相手の力場のエネルギーを奪い――逆利用する。
第二段階――――フライホイールが稼働。バネが解放。更に火薬による撃発を経て加速する金属の杭が、敵装甲目掛けて射出。三重の加速圧力を受け取ったその切っ先と衝突した敵装甲はユゴニオ弾性限界を超え、固体のままにあたかも液体の如く振る舞いつつ喰い破られる。
第三段階――――同体積ならばより重量を持つのは、液体ではなく固体の側だ。つまりは装甲の内に血脈型に流体を走らせる通常の装甲では、その運動エネルギーに比し得ず、そして、その慣性を込められて吹き飛ばされる。
最終段階――――パイルバンカーに備えられた
如何なる装甲も、《
その一撃を阻むことは、何者にもできない。
結果――無残に胴の半ばから獣に喰い千切られたように上下に分かたれた【
ライオネル・フォックスは、一撃の下に沈黙した。
「っ、ライオネルさん!?」
シンデレラの悲鳴が上がる。
同時――更に状況へと、悪しき掛け金が
逃げ延びようとする【フィッチャーの鳥】目掛けて再度の大規模プラズマ砲を充填しつつ、大型アーク・フォートレスの側面から一斉に放たれた弾幕。
近接信管か。ただ力場を削り取るための散弾として内側から炸裂する砲弾の破片が目指す先は――――あの、人間機雷として投じられたアーセナル・コマンドたちだった。
即座に【コマンド・スワン】が、その純白の船体が大いなる機首を翻す。
肩部二門のレーザー砲を投射し敵弾の迎撃を図るが、元より細かく炸裂した破片を前には圧倒的に砲門数が不足している。
そのまま、降り注ぐ数多の散弾が彼らの力場の加護を奪った。《
無論、終わらない。
何故ならそれは、その機体の、
そして遅れて――――散弾の雨に護衛されるように押し寄せる敵アーク・フォートレスの小型ミサイル。
それらが次々に着弾する。
咄嗟に彼らを庇おうと機体を盾にした【コマンド・スワン】にも喰い付き、それでも防ぎ止めることは叶わずに宙を漂う機体たちに無情にも突き刺さった。
しかし、爆発も、何一つ起きない。
「何……? これ、冷却材――――……?」
シンデレラが怪訝そうな声を上げるのと、カリュードが叫ぶのは同時だった。
否、もう一つが来るのが、同時だった。
「不味い! 装甲を切り離せ、シンデレラさん!」
その言葉に応じ、切り離した腰部装甲に繋がった――銀色の紐。
いや、紐ではない。糸でもない。
それは、触手だ。一切の継ぎ目のない光沢を持つ触手が数多にアーク・フォートレスから放たれて、そして、冷却材を充填されたミサイルを打ち込まれたアーセナル・コマンドたちに接続していた。
その役割はアーク・フォートレス【
深き頭足類めいた彼女を宙域完全制圧型拠点防衛兵器と称しその役割を定義するならば、巨人の手のひらと棘皮動物の融合じみたこの機体は敵機鹵獲利用型対機制圧兵器と呼ばれるものだ。
鹵獲――即ち、破壊を前提とした役割ではない。
あのプラズマの砲撃も、破壊も、その本領ではない。
即ちは各機体に打ち込まれた散弾弾頭による力場の剥奪と、高性能な冷却材の注入による敵ガンジリウムパイプの固化に伴う機体の停止。
そしてそこからの鹵獲が、正しい機能だ。
それを為すのは、言うまでもなくそのワイヤーめいた触手であり――――今まさに逃れることもできずに漂う機体たちに対して、それは、権能の行使を命じた。
操り人形を紡ぐ深き支配者の手のひらに繋がるような糸と接続したアーセナル・コマンドが、
「――え、」
――振り付けられた。
雑に。
乱暴に。
無秩序に。
人間を載せたまま、鞭や鉄球を振り回すように、アーセナル・コマンドが振りかぶられていた。
……実に、実に単純な話だ。
可能な限り敵機体に損傷を与えず、そして機体を鹵獲しようとすればどうしたらいいか。
つまりは、中の
そして、その実行は単純だった。容易かった。簡潔だった。
振り付けて――その遠心力と加速度を以って殺す。
コックピット内部の人間が、玩具のように振り回されて死んだ。
戦士でも兵士でもなく、人間ですらなく、ただゴミのように振り回されて死んだ。肉塊にされた。邪魔な不純物を放り投げようという、そんな粗雑さすら感じる動作の下であまりにも無価値に次々と殺されていった。
コックピットの中で、
彼らにできるのは、隣の人間が常軌を逸した加速度で頭部から破裂していく音を聞かせられながら、その身のガンジリウムを冷却されて身動きの取れぬ機体の中で自分が処刑されるのを待つことだけだった。
「や、め、ろ――――――ッ!」
噛み締め――バトルブースト。
己の内部に対する力場の発生と循環加速による熱対流によって動きを取り戻した【コマンド・スワン】が、ブレードを抜き放って斬りかかった。
目指すは、敵から伸びた数多の触手の内の一本。
操り人形めいて機体を掌握し、そして、
それへと、怒りのプラズマの切っ先が打ち込まれる。
だが――――……紫炎が散る。
斬れない。
傷も付けられない。
止めることも、抑えることもできない。
高濃度に圧縮された流体ガンジリウムと力場が満ちたその触手を、切り落とすことが叶わない。
文字通り、何も、歯が立たなかった。
「え……、あ……!? ……!?」
再度の加速度と共に、横薙ぎに一閃。
袈裟がけに、切り上げに、切り払いに、直突きに、振り下ろし――……。
それでもいくら斬りつけようとも、何一つ、その糸を断ち切ることはできないのだ。
己は糸を外して脱したというのに。
ああ、まさしくそれは――――運命の糸に操られる、奴隷人形じみた無力。
そこへ降り注ぐ散砲弾。
冷却材を充填したミサイル。
シンデレラは、己を守ることはできた。迫りくる脅威を打ち払うことはできた。撃ち落とすことはできた。
しかし、害そのものを切り払うことはできない。斬り落とすことはできない。抑え止めることはできない。
何一つ。
本当に、何一つ。
迫る無数の光沢ある触手をかろうじて躱すだけで、それで、なんの対抗もできていない。
打ち据えられた。
打ち叩かれた。
絡め取られ、装甲を爆ぜさせてかろうじて脱出し、それで格付けを済まされ、それでも斬りかかり、無傷を見せ付けられ、嬲られ、弾き飛ばされ、しがみついて止めることも叶わない。
そして、
「待っ、待って、やめて、その人たちは違う――――その人たちは、その人たちは……!」
斬りかかりながら、縋るように零された懇願。
己の武力を否定され、抵抗の手段を阻却され、呆然と零された少女の懇願。
だが、そのまま――アーク・フォートレスは、振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
歌うように。
奏でるように。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
踊るように。
跳ねるように。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
振り付けた。
紡ぐように。
微笑むように。
振り付け、振り付け、振り付け、振り付け――……そして、もう、振り付ける先は残っていなかった。
全てが、だらりと、力を失った人形として銀糸の先に吊るされていた。
何もかもが、もう、終わらせられていた。
それが、【
その演奏は――聴衆は、もう、終わったのだ。
「あ……ぁ……」
命が、ただの肉塊になった。
なすすべもなく、肉塊になった。
知っていたのに。彼らの無実を知っていたのに。彼らがただ巻き込まれただけの命と知っていたのに。
シンデレラ・グレイマンは、その僅か一つさえも掬うことができず――――救うことができず。
「ぁ……あ、ぁ……わたし、たすけ、たすけるって……たすけるって、みんな、たすけてっておもってて……なのに……わたし、なのに……」
至近距離で、その無念を、浴びせられ続けた。
己の無力を味わわされ続けた。
今ここに、少女の祈りは打ち砕かれた。
そして、高らかな声が木霊する。
『見るがいい! 友軍さえも見捨てて逃げるその愚かさを! 奴らの浅ましさを! 一体これのどこに勝利の姿があると言うのか! まさしく欺瞞! まさしく愚劣! 奴らの仮初の勝利は、今ここに暴かれた! 我々が手にすべき力は、そんな偽りの支配者の外套を剥ぐ北風のようなこの力だ!』
戦場が、熱気に包まれる。
敗戦に伴い、彼らは、先鋭化した。先鋭化しなければ生き残られなかった。
規律を犯し、暴力を行使し、絶望と諦観のままに獣性に身を任せる友軍たちに呑み込まれぬために、思想を尖らせた。
狂信者とは、狂わねばこそ生き延びられなかった者たちに与えられし名だ。
『この力が、不義を、不正を、奴らの欺瞞の奥に隠れた本性を顕にする! この炎が世に解き放たれれば、それはこの世全てに偏在し――そして否定する! 奴らの国家の在り方を! その欺瞞を! 悪意を! 繁栄を! 偽りの勝利とその支配を!』
その演説は、煽動は、狂い火を点ける。
獣性に狂わぬために、彼らは勇猛である己へと狂った。
ああ――哀しきは人類の性か。賢しきは言語という蜜を得たことか。彼らはその黄金の蜂蜜酒を啜り、そして、亡国の騎士という偽りに身を委ねた。物語に撮りこまれた。
故に、響く。
戦場に響き渡る。
『この力を手に入れ、そして世に放つこと……これこそが――我らが百年を灯す、大いなるルビコンの川を渡る火である! 我らは、今後百年の民のために高らかなる勝利の剣を授けるのだ!』
物語は紡がれる。
彼らが奉じ、奉り、捧げてきた物語が紡がれる。
あの敗戦の続きが奏でられる。
禿頭の男のその声は、あたかも神官が告げる託宣の如く信者たちの心へと蜜のように振る舞われていた。
故に、
(……潮時か)
冷や汗と共に更に勢いを増した敵軍へと応射を行いつつ、カリュードは嘆息した。
煽動が人類史において如何に力を持つかなど知れよう。
そこに事実がどうあれ――その物語の内で語られたたったひとつの真実は、彼らの中で確かなる現実としてこの世を侵食する。
そうして物語に呑み込まれた者たちは、今度は、現実を呑み込みにかかる。
勢い付いた残党兵とあの大量破壊兵器を前に、カリュードが打てる手は最早何もない。
或いはここにアシュレイ・アイアンストーブやロビン・ダンスフィードが居たならば、撃破できたかもしれない。撃破は叶わずとも、敵に損害を与えられたかもしれない。
だが、
あの暴力を払いのけ塗り潰すだけの暴力は、この場には存在しない。
幸いなのは、既にアーク・フォートレスからは警戒順位が下げられており、あの機体は【フィッチャーの鳥】への攻撃を優先しているところだ。
ならば――言えることなど、決まっていた。
「シンデレラさん……もう無理だ。俺たちの撃破目標も、防衛目標も手を離れた。これ以上、この戦域に留まっても仕方ない。……ルイス・グース社への立ち入りを妨げられただけを戦果として――」
帰るべきだと、そう言おうとしたところだった。
「諦め……ない……!」
幽鬼の如く、振り絞るかの如く。
己を肉の雑巾として心を搾りあげて、その血と声を搾り出すかの如く。
血涙と共に、少女の内側から引き出される声。
「わたしは、絶対に、諦めない……! 諦めてなんて、やるもんか……!」
その声を聞きながら、不意にカリュードは思っていた。
輝ける星の乙女。
人類に灯る希望の光。
聖剣使い。世にこうあるべき一つの答え。はてなき献身にして不屈の闘志の守護者。
「止めるって、言ったんだから……! わたしの命を、貸してやるって……皆にそう言ったんだから……!」
無線に乗ったその声を聞きながら思わず手を伸ばしかけ、そして、己でそれを止めていた。
たった今、まさに、彼女の祈りは打ち砕かれたというのに。その願いは踏みにじられたというのに。
狂った物語と、信奉者と、その狂神が戦場を支配しているというのに。
少女のその声は、まるで、砕けてなどいなかった。
ああ――――嵐の内に灯る灯台の光か。
いと気高く、いと犯し難き篝火の炎か。
違えた真実も、狂った熱も、戦場の雷火も関係ない。
ああ、灰には――――灰にはそんな火は宿らない。
ただ、彼女は、
「わたしは絶対に――――諦めないッ!」
祈りを続けた。
祈りの旗を、光を、掲げ続けた。
そうすると、胸のロザリオに誓っていた。
何故なら彼女は答えそのものではなく――。
答えに向かい続けるという、歩み続ける祈りであるのだから。
純白の機影が、加速する。
◇ ◆ ◇
それは、一言で言うならば、苛烈だった。
「人の命は遊びの玩具じゃないんですよ! 苦しんで! 悲しくて! それでも生きているんですよ! 皆! 誰もが! 皆ッ! 生きて続けようとしているのに!」
加速と共に運動エネルギーを上乗せして放たれるレールガンの砲火。
押し寄せる敵に投げかける純粋なる怒り。
詰めかける悪に投げつける純粋なる怒り。
迫りくる暴に撃ちつける純粋なる怒り。
命に対する怒りを、生に対する怒りを、死に対する怒りを、己を呑み込まんばかりの戦場の狂奔と戦力目掛けて――少女は、まさに弾丸として撃ち出した。
「そうして世界ができてるのに……皆で世界が作られているのに……! 一人一人が集まって作っているのに! なんで、なんでそれを簡単に踏みにじったりできるんですか……貴方たちは! 何故それを続けられるんだッ!」
立て続けたマズルフラッシュ。
迫るミサイルをレーザーにて迎撃し、唸る弾丸を弾丸にて撃墜する。
一つの加速として、一つの嵐として、少女の機体は疾走する。少女の魂は加速する。
放つレーザーが敵機のセンサーを焼き潰し、続いた投射砲の連射が打ち壊す。超高速に身を任せて、アーク・フォートレスへと近付かんとする敵機を背後から喰い破り、アーク・フォートレスを守らんとする敵機を正面から打ち破り、少女は雷の如く加速する。
「こんな恐ろしいことが許されるなんて……こんな酷いことが許されるなんて……そんな現実なんて、わたしが絶対に認めない……!」
血涙を散らせ、憤怒を叫び、脂汗を撒いて、それでも少女は加速圧の中で金色の眼差しを尖らせた。
単騎にて軍勢を打ち払う焔。
それが戦場に顕現していた。狂炎の熱に呑まれず、それらを焼き滅ぼす人倫の火が灯っていた。
「ここで――止めてやるッ! わたしが! シンデレラ・グレイマンが!」
目指す先はアーク・フォートレス――そしてそれとの接触を図ろうとする敵母艦。
最早、理屈はいらない。
止めなければならぬから止めるのだと、ただそれだけの想いで少女とその純白の機体は疾走する。
だが、
『ははっ、そんな図体で――――――』
残骸に紛れた接近。
敢えて己の片腕と片足を破砕させていた
ライオネルを葬ったことの再現のように、右の大盾を構えて衝突軌道へと身を投じた。
回避は不能と――フレディは頬を吊り上げる。そしてそのパイルバンカーは、装甲のいずれかに打ち込めばそれでことが足りる。内側から爆裂させる。つまり、装甲を増設させたシンデレラの【コマンド・スワン】はただ的を大きくしているだけだと嘲笑い――
『――!?』
その一撃が、空を切った。
内部流動による急速重心変化、と言うべきか。
【コマンド・スワン】の白色の巨体が泳いだ。船体めいたそれは揺らぎ、紙一重にて力場の破鎧杭を回避した。
互いにすり抜け、そして直後――着弾する。
頭部を砕かれた【
接近中に空間に置くように【コマンド・スワン】から既に放たれていた弾丸が、自機から後方目掛けて撃たれつつ――それでも前進の慣性に塗り潰されて遅れながらも前へ進んだ弾丸が、時間差で迫りくる弾丸が、【
揺らいだ《
完全に不意をついた一撃となったその衝撃が、フレディ・オールドマンの脳と精神を撹拌する。
直後、鋭角の三段ブーストで後方から反転する純白の機影。そして、
「これで――――ッ!」
振り抜かれたプラズマブレードの炎熱により、毒牙の人狼は上下に両断された。
一瞬の邂逅にして、あまりにも分厚いその実力の壁。
思わずカリュードは息を呑んだ。
今まで出逢った
そんなふうにすら、見えた。
彼は、目の当たりにしているのだ――――最新の、戦場の神話を。
そしてそんな異常は、すぐに、指揮官の目に付くところであった。
『こんな年端も行かぬ子供すらも、戦いに駆り出すか……【
広域通信にて、大仰な手振りと共に齎される糾弾。
それも、然るべきだ。
今まさに狂走の如くに放たれた火勢を押し留めてしまうだけの鮮烈なるその戦闘機動を前に、彼らは、勢いを取り戻さねばならない。
だが、
「子供を戦場に出すことを嫌がるなら――貴方たちの全ての行いが、子供を戦いに巻き込むことになるってなんで思わないんですか! 戦争を起こせば皆巻き込まれる! 戦場に出なくても、戦いを強いられる! どんな形でも! なんの形でも! そういうことでしょう、貴方たちのやりたいことは! やっていることは!」
果たして、少女ならば言いくるめられるだろうと見込んだその判断は、正しかったのか。
或いは正しくなくとも、挑まざるを得なかったのか。
無視するという手段は、アンドレアス・シューメーカーには取れはしない。しなかったのだ。単騎にて戦場を押し返すという無茶を前に、辛酸たる
戦術指揮ではなく、戦闘力ではなく、彼はその最も得意とする演説というところでの戦闘を仕掛ける他ないのだ。
「自分の目の届くところでは嫌がって! 結局ただ、自分が見たくないだけだ! いいところだけ、好きなところだけ見ていたいだけだ! 何が起きるか、自分たちの行動のその先も見やしようともしないで……! 貴方たちに、咎める資格なんて存在しない!」
『実に鮮烈な言葉だ……確かな信念によるとさえ思える。だが――だからこそ、それをおぞましいと呼ぶのだ、少女よ! ただ受け取った理屈、ただ与えられた理想……君には何一つ戦場の恐ろしさは知れぬだろう! 故にそんな言葉を掲げられる! そんな歪なる在り方こそが、我らが否定すべき
「人様を戦場に駆り立てておいて、よくも異物のように言える! そうしているのは貴方がたの方だと言っているのが聞こえないんですか! それとも、子供は戦いもせずに――黙って炎に焼かれて死ねと! そう言いたいんですか、貴方たちは! 自分たちで火を点けておいて、よくもそんなことを言える! 火を点けて回るのはお前たちだ! 人に強いたというのに、他人事のように! それが何もかもおかしくて歪なんですよ!」
全軍を挟んでの舌戦に、戦場の動きが止まる。
アーク・フォートレスはさておき――直接的にカリュードたちへと降りかかる砲火は止まざるを得ず、そして離脱を図る【フィッチャーの鳥】とそれへの追撃を行う兵たちの動きも鈍っていく。
全ての目線が、シンデレラ・グレイマンという嵐の中の灯台の輝きに引き寄せられていた。
『視野が狭い……やはりまだ少女か。我らが行いは、今後百年の宇宙の民の生存を決める大義のもの! 断じて短絡的な視点で語る話ではない!』
「都合の悪いときだけ子供扱いですか! 子供にすら理解のできないものを掲げて、一体それの何が大義だって言うんですか、そんなもの! いいや……そうだ、違う……そうじゃない! 貴方たちが語ってるのは、掲げたいのは、大義なんかじゃない!」
叫ぶシンデレラの言葉は直情的で、感情的で、ただ真っ直ぐなだけの代物だ。
だからこそ――それと議論を行うことの、なんと愚かしいことか。
故にこそ、それは、欺瞞を打ち払う。
「貴方たちは、誰にも理解できない偉業をしようとしてるんじゃない……! 理解したくないからそうしているだけだ! 自分が怖がっていることを、現実が厳しいってことを理解したくないからそうしているだけなんだッ! だからちゃんと見ることも確かめることもできない大義なんて遠すぎるものを掲げてる! そうすれば見なくていいから! 確かめなくていいから!」
ハンス・グリム・グッドフェローの理から行われる問いかけでもなく――マーガレット・ワイズマンの勇を奮い立たせる演説でもなく。
ただ一人の人間が、そして感情を見抜く人間が、感情と倫理という戦場において言葉の戦闘を仕掛けていた。
「百年先と言えば、当事者にならなくて済むからでしょう! 責任を取る気もなく! 果たす気もなく! そこに居合わせて責められずに済む! 逃げてるだけだ!」
『我々は死すら恐れん! これほどの大義の下に集った兵への侮辱は、程度が知れよう!』
「怖くないって言うなら――少しは自分の言葉で語ったらどうなんですか! 中身も何もない――空っぽの箱に大げさに大義なんて名前をつけて、貴方たちはそれにただ甘えているだけだッ! 空っぽになることを、認めたくないそれだけなんだ!」
その一言が、致命だ。
まさしく彼らの勘所を撃ち抜く――銀の弾丸であった。
シンデレラの直感は、その一言を言い当てた。
如何なる理屈を用いたところで、人の動きの始まりは、感情であるがその故に。
「空っぽの自分を見たくないから! 空っぽになりたくないから! だから何もかもを空にしようとしている! 世界の方を空にしようとしているッ! 世界を空っぽにすれば自分が空っぽなことを忘れられるから! 目を背けるためだけに! ただそれだけのために!」
『黙るがいい、信念も見えぬ小娘が――――! これ以上の言葉は無用! 所詮は大人たちに歪められた、傀儡じみた少女の妄言でしかない!』
「言葉に負けた力なんかに黙らせられる……わたしじゃない!」
敵母艦が回頭し、主砲が展開する。
合わせて放たれる無数の誘導弾に応じて――手のひらの如きアーク・フォートレスも、攻撃対象を変えた。
今ここで打ち砕くべきは逃げ延びていく【フィッチャーの鳥】ではなく、打ち砕かれてなおも立ち上がるその聖騎士である――と。
炸裂する散弾と、夥しい誘導弾。
更に掴みかからんとする触手ワイヤーが、【コマンド・スワン】の航路を遮る。
右も、左も、上も、下も、何一つの回避が許されない死域。
プラズマブレードすらも寄せ付けぬ触手の力場は、攻撃に放てば力場利用型の実体ブレードじみて敵を切り刻む。
その出力故に常時展開はできぬものの、力場の触覚での察知に応じて強度を増すその《
戦場にかかる銀の糸。銀の檻。銀の鳥籠。
数多加えられた砲撃に、回避進路も狭められた。
巡航する大型船舶めいた【コマンド・スワン】は、どの方向にも逃げ場がない。
そしてそれに喰らいかかるように、手のひらから放たれた砲撃じみた極大のプラズマ炎が宇宙を割った。
「――――」
純白の機体は、完全に呑み込まれた。
だが、
「そんなものに、殺されてなんて――やるもんか……!」
内側から弾け飛ぶ装甲圧と、その装甲に含まれたガンジリウムと、プラズマの炎熱によって昇華されたガンジリウム・ヴォルフラミット合金の装甲が作り出した運動エネルギーと力場の防壁。
それが、大量に投射されたプラズマ炎の中での生存をシンデレラに可能とさせた。
炎熱に苛まれ、身を守る大半の鎧を脱ぎ捨て――それでも純白の聖騎士じみた機体は、増設プロペラントタンクを背負うその機体は、未だにそこに居た。
「そんなものになんて――そんな情けないものになんて! そんなちっぽけなものになんて! わたしは――わたしたちはッ! 負けやしないッ!」
叫ぶ少女へと、応じたのは冒涜的な神の両手たるアーク・フォートレスであった。
逡巡も、困惑も必要ない。
それにあるのは――ただ目の前の命を奪うという答えそのもの。
プラズマ砲のチャージを補うように迫りくる無数の触手。断ち切ることもできない鳥籠の檻が狭められ、そのまま切り刻み押し潰さんと襲い来る。
対して――漂う白き機体が拳を握る。
シンデレラ・グレイマンとメイジー・ブランシェット――どちらも最上位の
メイジー・ブランシェットは、より滑らかという意味の精緻であり――。
シンデレラ・グレイマンのそれは、より細かいという意味での精緻であった。
「そんなもののために殺されてやる命なんて……」
銀色の霧が漂うその中で、銀の衣を纏うその中で、壊れかけの【コマンド・スワン】が強く拳を握る。
コックピットの中で、少女が、胸のロザリオを握り締める。
意思を、闘志を、希望を握り締める。
思い描くのは――不毀なる剣だ。
どこまでも硬く、鋭く、曲がらず、欠けず、折れることのない一振りの剣だ。
絶やすことなく、絶えることなく、己を砥ぎ続ける一振りの剣だ。
それを、思い描く――より強く。より確かに。
そこに存在するのだと組み立てる。己と共にあってくれるのだと思い描く。それはこの世にあるのだと強く願う。
故に、
「そんなものなんかに殺されていい命なんて……」
収束する力場。
凝縮される斥力。
不可視の刀身が、何よりも鋭い剣が、決して折れることも欠けることもなき無垢なる刃が、純白の騎士のその手にまさに発露する。
そして大挙して迫りくる触手へと――
「わたしたちは、何一つ持っちゃいないんだ――――――ッ!」
一閃、二閃。
迫る触手の一撃を、強固なる力場の鎧にして剣を纏うその神の触指を、装甲を、表皮を、両断する。
その手に握られたるは、まさしく不毀の剣。
単分子――――否、それよりも極小の刃。
機体の持つ全ての力場を収束させて作ったその透明なる刃は、無垢なる堅刃は、何者も寄せ付けない。
その一点への出力を以って、その極小の投射範囲を以って、濃密なる密度と強度を以って、広域に放射された強固なる敵の力場を凌駕する。
不可視なる防壁――アーク・フォートレスの重厚なる力場の加護を貫き、その下の実態ある触手の装甲を断絶させた。
今ここに――その斬撃は相成った。
「こんな恐ろしいものまで作って……!」
そして、再度加速する。
迫りくる闇を切り払った少女は、その魂は、光を齎さんと加速する。
「そこに生きている人がいるのに……! 人が今も生きているのに……! 生きようとしているのに……! こんなになっても、誰かが……誰もが! 世界を続けさせようとしているのに!」
矢のように過ぎ去る景色。
遠く瞬く星辰の火。
散りばめられたる天の光は、全てが星だ。
いずれ命を育みたる――或いはかつて命を育みたる。もしくは命のその大本となった光だ。
絶やしてはならぬ、輝きだ。
彼女が赴くはそんな星の群れよりもちっぽけな――あまりにもちっぽけなその戦場。
無数の砲火が瞬き、銃火が上がる。
そんなちっぽけであり恐ろしい戦場へと、少女はちっぽけな命を投じていた。
ただ一つ――――守るために。
「そんな命を、なかったものみたいに――なくなってもいいものみたいに、言うんじゃないッ!」
バトルブーストと共に、矢の如く接近する純白の【コマンド・スワン】。
瞬くは剣閃。
降り注ぐは光弾。
光の嵐の中を、白鳥が翔ぶ。
ときに砕かれ。
ときに打ち据えられ。
ときに焼かれ。
ときに弾かれ。
それでも、踏みとどまる。
それでも、諦めない。
白き騎士が、流星が、極光が――駆け抜ける。
両断、切断、破断、裁断――超高速の剣閃が鞘走る。
切り上げ、振り下ろし、薙ぎ払い、貫き、弾き、刳り、穿ち、瞬き、振り抜き、撃ち落とし――白き騎士の刃は止まらない。迫る触手を打ち払う。
其れは邪悪を断つのだと。
其れは不義を砕くのだと。
ただ一心に、その刃は吹き荒れる。
砕けかけの機体で。
壊れかけの身体で。
それでもシンデレラは、喰らいついた。
そしてその無垢なる刃は、辿り着く――――残酷なる方程式を組み上げし大いなる暴神の両手の下に、辿り着く。
あまりにも巨大なる手のひら。
コックピットのモニター全てを使っても、映し出すことも叶わないほどの巨体。
アーセナル・コマンドに比して、人体に比して、あまりにも巨大すぎる宇宙戦艦すらも容易く握り潰してしまうほどの剛体。
途方もない身震いと、途方もない恐怖が襲いかかるが――それでも歯を食い縛り、睨みつけた。
これは、否定しなければならない。否定されなければならない。打ち砕かれなければならない。
命という答えに祈るならば、この暴力は、砕かれなければならないのだ。
砕かなければならないのだ。
(怖いけど、だとしても――――!)
彼女は泥ではなく、星を見るが、それ故に。
船体からすればごく至近距離にて――人間からすれば極大距離にて。
それでもその領域は、神の手の掌握下だった。
光の粒が如く、何か宇宙的怪生物の卵の如く宙に浮かんだ無数のプラズマ球。
それらが神の手の指揮の下――連続して襲いかかった。
弧を描き、迸り、唸り、狂い、吹き荒れる光の弾丸。
更に強大なる両手の有する力場が、不可視の装甲圧が、シンデレラの機動力を奪う。
更にそのフィールドで、プラズマは踊る。全く自由に、全く奔放に、奏でられる音符の如く飛び巡る。
まさしく、神だ。
暴力と、破壊と、滅亡を司る冒涜的な神だ。
だが――。
接近する光弾へと時に応射し、時に回避し、時に外接タンクを切り離して盾にする。
爆炎が上がり――それでもその譜面は乱れない。
協調するプラズマの襲撃。一帯に襲い来るプラズマの群体。流動による重心移動を合わせるも、しかし、光の蛇の如く執拗に喰らいかかってくる。
【コマンド・スワン】のその手に、今は、あの不可視の剣はない。
この重圧領域において、敵の力場に支配された空域において、己が力場全てを集中させるあの剣は抜けない。
そうした途端に、周囲から襲い来る力場の圧力に圧殺される。
襲いかかるプラズマ球を両手のプラズマブレードにて迎撃する。
機動で躱しきれなかったそれらを切り払い――接触と共に生まれる猛烈な閃光がモニターを塗り潰す。
だからこそ、であった。
「ッ、――――!?」
襲いかかった痛烈な衝撃。機体が揺らいだ。
敵の――力場の集中と投射。瞬発的に放たれた不可視の砲撃のようなそれに、その波動に、【コマンド・スワン】は停止した。
そして、それを見逃す殺戮機械ではなかった。
左右から迫りくる鋼鉄の壁めいた手のひら。
あまりにも絶望的な断崖。なんの容赦もなく躊躇もなく襲いかかる圧倒的な物理攻撃。
即ちは、手中の虫に人がそうするように手のひらが閉じ――――強靭なるそれらの圧倒的な質量と物量によった、圧殺攻撃であった。
故に未だ睨みつけ――シンデレラは歯を喰い縛る。
機体は囚われた。掴まれる。砕かれるだろう。
それでも、念じた。
応じる【コマンド・スワン】の両腕が、ブレードが、突き立てられる。断崖のように左右から迫りくる手のひらに突き刺され、圧殺までの僅かばかりの時間を稼いだ。
「負け、ない……! わたしは、こんなものになんて……絶対に……負けてやらない……!」
同時――その金色の視線の先へと生じる力場の奔流。
収束させた力場を、
入れ替わりに機体から失われた《
純白の機体が軋むが、だが、
「この、程度で――――ッ!」
叫びと共に数多撃ち込まれる力場の弾丸。力場の鉄槌。
至近距離から放たれるバルカン砲めいて、それは、アーク・フォートレスの装甲を打ち砕く。
どこまでも。
どこまででも。
回転が上がる。紫電が弾ける。ジェネレーターが咆哮を上げ、不可視の弾丸が敵機を抉る。
砕ける外殻。
飛び散る銀血。
それが自機のものなのか、敵機のものなのか。シンデレラにはもう判らなかった。
だとしても――睨んだ。睨み続けた。
睨み付けた。叩き付けた。打ち付けた。
敵機と自機の破片が宙を舞うその中で、それでも、力場の弾丸は透明なる原初の炎の如く――その身を焦がす。その敵を焼き尽くす。
やがて、突き立てた刃が緩んだ。
崩れかけの敵機の装甲を前に、それは、踏ん張り続ける力を失った。
敵機も、諦めた。シンデレラ・グレイマンを握り潰すことを諦めた。
揺るぐ巨体と、振り付けられたその勢いに刃が外れた。
投げ出された。壊れかけの純白の騎士が、宙へと投げ出された。
敵との間に生まれてしまった距離。間合い。致命の隙。
アーク・フォートレスは、待たない。
砕けかけの手のひらは、待たない。
プラズマが、炎が、収束する。手のひらに集中する。彼我の間に炎熱の壁が生まれる。
モニターを埋め尽くす眩い閃光が、この先のシンデレラの運命を予期させる。無残に焼き落とされる己の姿を幻視させる。
だが――歯を食い縛り、掌握するは流体のその制御。支配権。そのポテンシャル。
「人の命を……なかったものにしていいだなんて……」
己の内と敵の内から流れ出た銀血へ――炎熱として束ねられたプラズマ以外の自機と敵機の周囲に漂う流体ガンジリウム全てへと指令を下し、再びその手に作り上げしは不可視の刀身。
――否。
不可視ではなく、それは、輝いていた。
それは、蒼銀に輝いていた。
「これがそんな思い込みを膨らませるって言うなら……」
銀血が収束され、集約され、集積され――白き騎士が掴み取った不可視の名剣/不可侵の聖剣。
それが、編まれる。
それが、伸びる。
それが、迸る。
輝ける星の聖剣は、その真なる担い手の下で産声を上げた。
「こんなものは……! 命を食べるこんなものは……!」
限界を超えた圧力に、その手の刃は煌々と燃え上がる。
分子を維持ことさえもできず崩壊し、その崩壊が燐光として発露する。
火なるものの、薪なるものの王があたかも世の炎にそう命ずるかの如く、それは、煌々と燃え盛った。
聖剣が、命の下に顕現した。
唸る――万物を断て、と。
怒る――絶望を砕け、と。
叫ぶ――憤怒を放て、と。
故に、
「こんな悲しいものは……! こんなどうしようもなく悲しいものは……!」
瞬間、吠えた。
純白の騎士が、吠えた。迫りくるプラズマ炎に目掛けて、吠えた。
剣が、吠えた。
放たれるプラズマの輝きすらをも塗り潰すような極光の刃が、
「こんなものは、許されちゃいけないんだ――――ッ!」
――一閃。
光すら断ち切る輝ける剣閃。
全ての力場を収束させた大いなる刃が、吹き荒れるプラズマの火炎ごと両断するは、余りにも巨大なる暴神が如きその機体。
大いなる神の両手が、真っ二つに断ち切られていた。
同時、単分子以下に収束されていた堅刃が膨張し――敵機の内側から弾け飛ぶ。
その身の内部から、破滅を放つ。滅びを叫ぶ。
衝突による力場の消費によって解き放たれた炎熱の奔流が、敵機の内側から炸裂する。
揺らぐは巨大なるアーク・フォートレスのその船体。
断ち切られた断面から数多の銀血を撒き散らし、しかし宙に吹き出したそれに対して何一つ作用は発揮されない。発揮させられない。発揮させられていない。
その巨体は完全に、その一刀の下に沈黙していた。
即ちは――撃破。
シンシア・ガブリエラ・グレイマンという答えに向けた祈りは、そこにある暴力という答えそのものを駆逐したのだ。
故に、
『素晴らしい言葉じゃないか、姫君。まるでかの――……いや、いいさ。……く、く、く。ふ、ふ、そうしてあの男にも首輪を付けようとしているのかな?』
「……誰なんですか、いきなり」
破壊したアーク・フォートレスの残骸を前に満身創痍を隠すこともできず、コックピットの中で汗に塗れたシンデレラへと男の声が届く。
どこかで事の推移を見守っていたのか、男のその声には余裕が溢れ――……だからこそ、彼女は思った。
シンデレラは、その瞬間、ある直感を得た。
『車輪さ。この時代という、回る車輪そのものだ』
両腕を広げたような得意げな男の声。
いつしか、その男以外の声は消えていた。心理的にではなく――物理的に。末期の言葉を残すことすら許されず、残党たちの機体は、母艦は、死骸と化したのだ。その男の手によって。
誰にも鑑みられない死。
断末魔も許されない死。
ヘルメットの下で、汗を吸った前髪が額に張り付く。金髪が重く、湿っていて、最早この髪の重さですらも気怠く感じるほどの疲労がシンデレラの身体を満たす。
だとしても、無理矢理でも身を起こした。機体を起こした。
そしてそれは――シンデレラの視界に現れた。
暗き機械の悪魔が、降臨する。
磔刑に描けられたように両手の小銃を広げた悪魔騎士が、降臨する。
『始めようじゃないか、姫君。……滅びのための前奏には、相応しいだろう』
睨みつけたシンデレラの視線をコックピット越しにも感じているような、しかしそれでもなお――それでこそなおも満足そうに頷いた男の声。
火花を散らし、ところどころがブラックアウトした全周モニターの向こうに現れた一機の機影。
それは、さながらステルス機のように無駄のない機体だった。
長髪の如きワイヤーをその後背部から靡かせつつ、滞空する漆黒の騎士甲冑。
兵器的実利を持つ機能美と同時に威容を表す鋭角的な装甲の意匠は、単機にて戦場を強襲し制圧する兵器としての存在感を露わにするためか。
ある種の機械化された魔の如き静かなる圧力を放つ。
そして、敵機が両手の鋭く角張った投射砲を構えるに応じて灯る真紅のバイザー。
漆黒の機体の中、流線型に丸みを帯びた騎士兜の――∨字を描くような横一文字スリットが閃光めいて光った。
『来たまえ。……私が敵だ。私が、君にとっての大敵なのだよ。君が私にとっての怨敵であるそのように』
言われるまでもなく――言うまでもなく。
その声を聞くと同時にシンデレラが思ったのは、目の前の男が、己が何としても打ち崩さなければならない敵だということであった。
これは――許してはならない。
聖者の齎す預言めいて、或いは本能の生む警告じみて。
シンシア・ガブリエラ・グレイマンは、ラッド・マウスへの言い知れぬ拒絶感を抱いた。
「何が……何が嬉しいんですか、貴方は……! 貴方の仲間たちだって殺されたのに……人が死んでいるのに……! 一体、何がそんなに楽しいんですか……!」
『ふ、ふ――……嬉しいさ。私の撃ち落とすべき敵が見付かったのだ。喜ばしくない訳があるまい』
ここに――遂に二人は、邂逅する。
答えに向けた祈りと、答えそのものが、邂逅する。
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