第123話 幻日、或いはハンス・グリム・グッドフェローとメイジー・ブランシェット


 部隊に復帰する、僅かに前の話だ。

 つまりはあの夢を見る、少し前の話だ。


 その報告を受けたのは、あの衛星軌道上での戦闘が終了して――こちらが意識を取り戻した後にジュスティナ・バルバトリックからの予備査問を受け、病院内にて検査等や経過観察を行っているうちのことだった。

 白いスーツ。

 軍の情報部に所属している七三分けの女性。


 ラモーナは促されるまま、部屋を退出していた。

 目覚めたのちに、こちらが行った帰還報告デブリーフィング――ウィルへルミナの技能や戦闘経緯などの報告書を踏まえた上で、ラモーナの取り扱いが決められたらしい。

 そんな、ともすれば敵方への無自覚な情報源になってしまいかねない少女を遠ざけての連絡。


 齎されたのは――……メイジー・ブランシェットが洋上での第五位グライフとの交戦ののちも生存していたという事実であり、そして、【狩人連盟ハンターリメインズ】との交戦の末に死亡したというニュースだった。

 そのとき、


「……そうか」


 こちらの口を出たのは、それ以上の言葉ではなかった。




 やがて更に数日の後に通されたそこは、軍の医療施設であり――遺体の安置所だ。

 リノリウムの床と、冷ややかなコンクリートの壁。

 遠雷のように外からは離発着する輸送機のエンジン音が聞こえてくる。

 階段を降りた先の地下にあるのが遺体安置所であり、さながらある意味での地下墓地カタコンベと言うべきか。

 観音開きの両扉を開いた先の薄暗い室内。大きな部屋。

 その奥側の一面には、小窓じみた無数の引出し。

 巨大な冷蔵庫が壁いっぱいに据えられており、つまりここは、モルグというものであった。


 付き添いに立つのは、女性の看護師と医師。


 ストレッチャーに乗せられて、遺体袋が運び出されてくる。患者以外も乗せることもあるのだと、場違いにそう思った。


「……焼け残るものなのですか」


 問えば、その後の医師の話からは、どうも、極めて奇跡的な状況ということは判った。

 特に焼け焦げているものの五体が残っているというのは稀で、更にそれが高温のプラズマに晒されていたことや機体の爆発に巻き込まれていることを考えれば、天文学的な確率によるものらしい――というのが説明だった。


「こんなになっても……せめて帰りたい、ところが……あったんだねぇ……!」


 そう、説明の途中で、中年の女性看護師は耐えかねたのか涙を流していた。

 五体満足。

 燃焼による遺体の収縮を加味しても、その小柄なものは、どうやら女性のものであることに間違いはないらしい。

 その看護師も――メイジー・ブランシェットを見知っていたのか。

 メイジーも占領地の解放任務などに就いている以上はあり得る話であったし、或いはメイジーを題材にした映画も戦後には公開されていた。英雄として報道されていたというのもあるだろうか。

 それとも年齢的に、彼女にとってはメイジー・ブランシェットは娘のようなものなのか。

 そのどれなのかは、知りようがない。


 やがて、医師と看護師が去る。

 遺体安置所には、自分と彼女だけが残された形だ。

 元とはいえ婚約者に、気を使ってくれたのだろう。


「君は、どこに帰りたかったんだろうか」


 問いかけてみる。

 返事はない。

 リノリウムの床は、冷えついている。


「俺にも、見つかるだろうか。そんな場所が」


 やはり、返事はない。

 表情もない。

 ここにあるのは、ストレッチャーに寝ているのは、死体袋に収まっているのは、人の形をした炭の塊だ。


「メイジー」


 呼びかけてみた。


「メイジー、ブランシェットよ」


 もう一度、そうしてみた。

 凹凸のある炭の塊。それがどうにも記憶の中の彼女と、かつての写真の中の彼女と一致しない。

 死んだのだと返事をしてくれれば、多少は納得できたかもしれない。


「メイジー」


 こちらに応じる声はなく、やはり、ただ、焼け焦げた遺体が一つ横たわっているだけだ。

 静寂。

 自分以外に、ここに、生きているものはいない。

 簡素な診察台めいたストレッチャーと、死体袋と、その中にある折れ曲がった死体。コンクリートの壁。重厚な冷蔵庫。

 それだけだ。

 ここにあるのは、それだけだ。


 家族を失ったときは、死体一つも残らなかった。

 戦友たちは、身体のいずれかが残っているか、最後の通信があった。

 これにはなかった。

 だから、


「……そうか。君は、もう、いないんだな」


 呟きに応じる声もない。


「そうか」


 霊安室は、静かだった。



 ◇ ◆ ◇



 その部屋を出てすぐにいた人影は、些か予想外の人物だった。

 黒髪をツインテールに結び直した吊り目がちの長身の少女――ゲルトルート・ブラックと、額に深い傷跡を持つスキンヘッドの大男であるサム・トールマン。

 どちらも【狩人連盟ハンターリメインズ】の主力とも言える人材で、こんなところで油を売っていていい人物ではない。

 僅かに考え――そしてその、何かの決意を秘めた悲痛そうなゲルトルートの顔に思い至る。

 察するに、彼女たちがメイジーとの交戦者なのだろう。


「……状況は?」


 問いかけてみるも、首を横に振り替えされただけだ。

 守秘義務、という奴か。

 確かに保護高地都市ハイランド連盟が未だに脱走を図ったメイジー・ブランシェットの死の扱いについて決めかねている以上は、無理もないことと言えた。

 ただ、それならば、


「そうか。ならいい。……失礼する」


 こちらから言えることは何もない。

 忙しい中で取らせて貰った休暇の残り時間はあまり多いとは言えないものだ。

 その場を去ろうとしたその時――ゲルトルートが廊下の前を遮るようにして、言った。


「何か……何か、言うことはないの……?」


 こちらを真っ直ぐに見竦める呑まれるような金色の瞳。

 泣き晴らしたのか、その目尻は赤かった。

 しばし考え、


「奇妙な話だな。……直接加害に及んだものが涙するなら、何故加害に及んだというのか。鉾を止める権利はなくとも涙を流せるとは、人間とは便利なものだ」

「……ッ」


 言えば、彼女よりも遥かに大柄なサム・トールマンがゲルトルートを庇うように遮った。


「あまりトゥルーデを責めないでくれ、グリム・グッドフェロー大尉。……こちらは正当に任務を果たした」

「っ、サム、余計なコトを――」

「……責めたつもりはない。単に疑問だっただけだ」


 サム・トールマンを押し退けて姿を表すゲルトルート・ブラックは、どうやら批判の矢面に立つことを諦めるつもりはないらしい。

 長身と言っても、あくまでも女性にしては――だ。

 こちらよりも低いその黒髪の頭を見詰め、口を開く。


「ならば、胸を張るといい。貴官らが正当に任務を遂行したというのであれば、その犠牲も必然だろう。……特に俺からは何も言うことはない」

「……アンタ」

「何か?」


 その隣のサム・トールマンはしばし考え込むようにしてから――それから、片手にぶら下げていたものをこちらに突き付けてきた。


「……これは?」


 差し出されたのは、手提げカバンほどの大きさのケースだ。周囲が焼け焦げていて、そのケースの外装は溶けかかっている。

 その割に、やや丸みをおびた帯状に全く煤も焼け跡もついていない部分が二つほどあるが――……


「彼女が最後に抱えていたものだ、グリム・グッドフェロー大尉。……だから遺体も焼け残ったのだろうと、推測される」

「……」


 それは、コックピットに内蔵された管制AIの可搬型記憶装置。

 そしてどうにもサム・トールマンの口ぶりでは、彼女が最後の力を振り絞ってそれが焼け焦げぬように守っていた――と言っているようにも聞こえる。

 人間が、プラズマの燃焼と機体の爆発の中から。

 彼女ほどの素質があるならば、確かにそれも非現実的な話には聞こえない。


 彼女の戦闘データ。航法データ。最後の記録――。


 ならば、こちらから言えることは一つしかない。


「軍の備品だ。戦闘に携わったなら、その遺留品や鹵獲品も敵の痕跡の重大な証拠となる。……提出すべきは俺ではなく、軍だろう。鹵獲品の不当な取り扱いは処分対象だ」


 首を振り、固辞した。

 メイジー・ブランシェットは、あの海上遊弋都市フロートにおいてこちらへの敵対行動を行った。

 それが如何なる背景であるにせよ、どんな想いがあるにせよ、客観的には明確に造反者に位置付けられるだろう。つまりは、保護高地都市ハイランド連盟軍にとって、敵のデータだ。


「……そちら宛ての、メッセージがあるとしても?」

「……」


 それが彼女の生における最後の望みであるとするならば、こちらとしても何としても見て叶えたい――というのが紛れもない本音だ。

 己が軍人ではなく、そして、メイジーが敵対勢力にいなかったのならば声高にそれを主張してもおかしくない。

 いや、或いは今この状況であってもそれをしたくなるだけの衝動はあるが――……メイジーは死んだのだ。そしてその死の遠因となった己との戦闘は、己が軍人たろうとしていたことに由来する。


 ならば、何故、そうであることを捨てられようか。


 彼女が生きていたならばそんなものもかなぐり捨てたかもしれないが――――自分は、死者のためには動かない。あらゆる行動をしない。そう定めていた。

 そこだけは決して犯してはならない法理だ。履き違えた途端に、自分は容易く復讐者に堕ちるだろう。家族と戦友を奪った――あらゆる事象に対しての。

 だから、ハンス・グリム・グッドフェローは行動に死者を理由とはしない。


「……必要なら後日にでも俺へと届けられるだろう。でなければ、それまでだ」


 そう、言葉を選んで差し出された記録媒体を長身の青年へと押し返す。

 その瞬間だった。


「――っ、アンタ、婚約者が死んで他に言うことはないの!? 戦ったのがあたしたちだとしても、殺したのがあたしたちだとしても、でも、他に何か……!」

「繰り返すが、正当な任務における結果なら、俺から言うことはない」

「アンタ……人の心がないの!? いくら彼女と敵対してたって言っても……殺したあたしたちが言えないことだとしても……でも、いくらなんでもこんな……! こんなのは……! 死んでから婚約者からもこんな扱いをされるなんて……そんな謂れはないでしょう!? 英雄なのよ!? 保護高地都市ハイランドの、英雄なのよ!?」

「元婚約者だ。今の俺とは法的な関係にない」


 その点については訂正が必要だろう。

 彼女の遺族に、自分は含まれない。含まれていい筈がない。

 あの燃える海上遊弋都市フロートにてメイジーと刃を交えたその日から、己からはそんな権利は失われていよう。刃を向けるということは、つまりその死を容認するということだ。結果的に殺さずに終わったとしても、あの日、ハンス・グリム・グッドフェローはメイジー・ブランシェットの死を容認した。自ら彼女を殺しにかかった。

 そんな男が遺族の枠に押し込められるというのは、社会倫理的にも、人道的にも、メイジーやその縁者にとってもこの上ないほどの侮辱に当たろう。

 だが、


「違うでしょ!? そうじゃ……そうじゃないでしょ!」

「……」

「何か……言いなさいよ! 言ってあげなさいよ、その子のために……! あたしたちよりも若い、若かった女の子のために……! 何か、アンタにはないの!?」

「……」


 黙した。そして、考えた。

 敵対したとしても、そうとまでメイジー・ブランシェットのために悲しめるゲルトルート・ブラックへの配慮は必要だろうか。

 実に善良な心の持ち主と言っていい。

 そんな彼女が苦しみを背負うというのはこちらも望むところではなく――……


「そう命令されたから殺したのだろう? ならばそこに、挟める余分はないはずだ。他者を案じるならば、まず、己のその矛盾した在り方の是正に務めるべきだろう。……それは貴官の命をも奪いかねない」

「――ッ、アンタに詫びようとしたあたしがバカだったわ! この人でなし!」


 感極まったままに涙ながらに振るわれた平手打ちを曲げた腕で防げば、彼女は余計にその黄金の瞳に怒りを顕にしていた。

 即座に逆の手でアッパーが繰り出されようとしたが、それは平手で受け止める。

 彼女は眼差しを強めて力を込めようとしたが、それで揺らぐ己ではない。無手でもある程度の戦闘が可能なように備えており、反射神経というのもまた極限まで磨いているのだ。


「……それ以上は貴官のためにも控えるべきだ」


 言えば、


「ッ、この……! もういい……サム、行くわよ!」

「……」


 そして意気を取り戻したように、その黒髪を靡かせながらも強い足音で彼女は廊下を去っていく。

 不興を買ったようだが、気力が取り戻されたなら何よりだろう。

 その場には、こちらを伺う禿頭の青年が――サム・トールマンという頑健なる青年が残された。

 

「……トールマン特務中尉。彼女は、いつもああなのか?」

「というと……?」

「苦労をする、ということだ。……彼女を責めた遺族の側の負担が軽くなったところで、その重みは余計な重さを帯びて彼女の肩にのしかかる。客観的に、それは生きる上での余計な枷になるだろう」


 主観的には、好感が持てると言って良かった。

 殺した人間がどのツラを下げて――という行為なのは、それを実行しているゲルトルート・ブラックとて認識しているだろう。だが、そう思われるこそ逆に、彼女はそうして遺族の前に姿を表したのだ。

 他人を責めれば多少なりとも心の痛みが免れるというのは、事実だ。それを知るが故に彼女もわざわざこちらへと足を運んだのだろう。

 それは何とも見上げた優しさと言う他なく、極めて誠実であることの証だ。だからこそ、一度は敵対した相手のためにそれほどまでに入れ込んでしまう彼女の在り方は、その後の戦いにおいて悪しき影響を齎さないか些かに心配だった。

 故に、


「貴官らに案じて貰わずとも、気を払って貰わずとも、俺は自己制御できている。……つまり、何も、問題ない」


 そんな精神を持つ少女が、万一でもこちらへの負い目が理由で戦闘への影響を受けたり、また、死することは避けねばならない。

 人の命は容易く失われるべきではない――そんな大原則とは別に、死したるメイジーのために怒った彼女に対してのハンス・グリム・グッドフェローの個人的な好感というものだった。

 サム・トールマンはその爬虫類めいた黄緑色の視線でこちらを見詰め、


「問題がないとは……その、婚約者が、死んでも……?」

「繰り返すが、元婚約者だ。……そして俺が死んだ訳ではない。つまり、俺の機能性に物理的な影響は出ない。単純な方程式だろう」

「……」


 死なない限りは、こちらの戦闘能力に影響が出ないように努めている。

 死んでしまえば戦いようはない。それだけだ。

 それだけの話で、それ以上の話ではない。


「……些か、貴方は、俺の思い描いていた人物とは異なったようだ」

「そうか。期待外れを詫びよう」

「いや……むしろ……」


 何かを言いにくそうに何故だか目線を逸らしたサム・トールマンを前に申し訳ない気持ちになった。

 可能な限り期待されている英雄像に応えようとしているが、やはり、凡庸な自分では限度があるのだろう。

 どう対応すべきだったのだろうか。

 生憎と、あまり、嘆き悲しむ人を見るのはそもそも得意ではなく――だから、そんな場面に恵まれなかった。何が正解なのか。人が悲しんでいるというのは、どうにも心に来るものだったのだから。


 かつての教官だったエディス・ゴールズヘアのそうした場面に立ち会えていたのなら、ある種の理想的な兵士としてそれを模範にできたかもしれないが――……。

 軍人として、上官として部下の遺族への対応の行い方にはこれでも一家言はあるつもりだったが、今回のような遺族側になった際の振る舞いに関しては残念ながら思い至らない。どうにも、得手ではなかった。

 個人的な反応をできても、理想的な兵士としての姿とは到底程遠いものになるだろう。その程度の自覚はある。


「その……」

「こちらからの用はない。貴官からは、まだ何か?」

「いや……」


 気まずそうな沈黙が満ちる。

 やがて、


「トゥルーデの想いを汲み取ってくれたことと……それでも彼女を責めなかったことに、感謝する」

「……」


 一度頭を下げたサム・トールマンが、そう踵を返そうとする。

 だが彼は何かを決意したように廊下で立ち止まり、


「ハンカチは、あるか?」

「いつもは携行しているが、残念だが今日は生憎と用意がない。……必要ならば職員から代替品になるものを受け取るが、何か火急だろうか?」

「……」


 またしても沈黙。

 そして、そのポケットから彼がハンカチを取り出してきていた。

 そのまま、


「その……よければ、これを使うといい。グリム・グッドフェロー大尉。……返さなくて、結構だ」


 こちらへと差し出される。

 彼は、それを最後に去っていった。



 ◇ ◆ ◇



 ごめんなさい、ハンスさん。


 これを聞いてるってことは、多分、私はもうあなたの隣にはいれないってことですね。

 伝えたいことがあって……でもごめんなさい。本当にごめんなさい。こんなことになって、他に言わなきゃいけないことがあるのに、本当はちゃんと伝えなきゃいけないことがあるっていうのに……でも、このメッセージは私のワガママに使わせてください。

 ……こんなところで言いたくなかったけど、でも、言わせてください。


 あなたのことが、大好きでした。


 子供の頃から――……ずっと。ずっとずっと、あなたのことが、大好きでした。


 ハンスさん、私にとってあなたは、私が戦う全ての理由でした。


 あのパーティの日に、私を気にかけてくれたことも。

 身分を偽ってずっと手紙で励ましてくれたことも。

 あの戦いの日に、基地の外で、知らずに二人で話したことも。

 あなたが人を守るために、あんなにもなって一人で戦ってたことも。

 どんなに辛くても誰かのために立ち上がって、立ち続けようとしていることも。

 誰かの日常を見るときに、少し、嬉しそうに笑うっていうことも。

 ずっと待たせて全然迎えにきてくれなくて、やきもきさせたことも。

 だから、綺麗になったって言わせたくてエクササイズとかしてたときのことも。

 あなたが実は、私の婚約者だったっていうことも。


 他にもいっぱい、本当にいっぱい――……あなたに伝えたくて、伝えられない、どうしても伝えたかった私が戦おうと思った理由の全部でした。


 貴方にとっては何でもないよくある親切だったのかもしれないけど……。

 でも私にとってそれは、何より一番の宝物だったんです。

 あの日の貴方が贈ってくれた笑顔は、メイジー・ブランシェットの中での一番になったんです。


 私にとって……特別な、特別なあなた。


 大好きです、ハンスさん。

 この世の誰よりも、あなたのことが。


 ……その、どうか、保護高地都市ハイランドを、よろしくお願いします。


 皆が生きるこの世界を、お願いします。


 あなたがこの先も生きていくこの世界を、お願いします。


 どうか、私のことを思い出にして、その先もあなたがずっと生きていくことをお願いします。




 えっと……Aveアウェー, atqueアトクゥエ valeウァレー


 へへっ、どうですか?

 グレーテルを真似してみました!

 本当は皆とグレーテルがそういう頭のいい話してるの、ちょっと寂しかったんですよ? 混ぜて欲しかったなー、なんて思ってたりして。


 へへへ。えへへ。へへへへへへ。


 最後だけど、一つ、やりたいことが叶っちゃいました!

 驚いてくれましたか?

 ハンスさんのことをちょっと驚かせるのが、実は私がやってみたいことの一つなのでした!


 えへへ……へへへ……。


 へへへ、へへへ……。


 それじゃあ……あなたの、メイジー・ブランシェットでした!










 >音声をもう一度再生しますか?




 ◇ ◆ ◇




 葬儀が営まれた。

 軍部は、彼女を、脱走兵としてではなく英雄として処理することに決めたらしい。

 空砲が、弔慰を示す。

 灰色の墓地には、黒い服の人の姿ばかりある。


 連盟旗を被せられた棺が、墓地に収められていく。


 あの八歳の壁の花になっていた少女も、あの十五歳の戦いに磨り減った目をしていた少女も、あの十九歳のどこか愉快そうな少女もいない。

 土の中に、遠ざかっていく。

 その笑顔は、永久に咲くことはない。


 その日の天気予報には、雨の予報は、なかった。



 皆が去った後もしばし墓前に佇んでいると、背後で革靴の立てる音がした。

 振り返れば、そこにいたのは僅かに癖のかかった髪の美丈夫――ラッド・マウス大佐だった。

 こちらを悼むような視線と共に、


「……何か、思うところはないのかな?」

「大佐……」


 いつもとは違う黒のスーツ。

 交戦した部隊の指揮官として、つまりは彼女の死を容認したうちの一人として何か思うところがあったのか……或いはこんな場に来ることを、己への罰としているのかもしれない。

 普段通りの笑顔の中には、どことなく疲労が覗いているような気がした。


「元とはいえ、敵対したとはいえ、道を違えたとはいえ婚約者の死だ。……君にも、何か思うところがあるのではないかな? そうだろう、グッドフェロー大尉?」


 こちらの痛みを測るような声色。

 彼もあの大戦で、それに類する縁者を失ったのであろうか。その言葉には、何か、重みが含まれている気がした。

 それを思い返してしまっているのか。完璧な男である筈の彼にも、何か、綻びのようなものが見える。

 故に、


「……ないな。特に、何もない」

「ほう?」

「彼女とは一度交戦した。つまり、その時点で俺は彼女の死を容認し、自らの手で彼女の撃墜を図ろうとした。彼女の生存を一度戦場に見送ったなら……今回の結果は、その時に導かれていたとしても不思議ではないものだ」

「……」

「何か……何か思うところがあったのならば、その時戦わずにいればよかっただけだ。いや、初めから何としても彼女を守ればよかっただけだ。或いは。……そうしなかった時点で、そこにある余分は俺の手を離れている。言及の権利を持たぬ以上、それは無意味な仮定だろう?」

「――――」


 問えば、彼は涼しい顔のまま僅かに拳を握り、言った。


「それでも、それでもだグッドフェロー大尉……飲み込めないというものもあるのではないかな? 生前の彼女の笑顔を思い出して――……君の中に、何かしらの怒りは湧かないのかね? どうしようもない屈辱にも似た憤怒が、現れないというのかね?」

「……」


 言葉を通じてこちらの内側を覗きこもうとする、そんな深い青色の瞳。

 色だけなら、メイジーと同じ色の瞳。

 そのことに感慨のようなものが己の内から膨れ上がって来ようとするのを抑えるように、答える。


「申し訳ないが……既に失われた死者のために今を生きる生者へと怒りを抱いて、そのことに意味はあるのか?」

「――――」


 或いはそれは警句だ。

 自分自身がそうできていないから、そうあらねばならない――という己への警句だ。首輪だ。秩序だ。

 一歩でもその怒りの実行を許した途端に、おそらく、数多に降りかかり積もりかかった死は己の身体を通して世への怒りの炎として現実に噴出する。

 それは避けねばならない。認めてはならない。

 己の怒りで世界を焼き尽くすようなことがあってはならない――……己を活かすために死んだ者のためにも、己の内心とは何の因果関係も持たない多くの人のためにも、それだけは否定しなければならない。

 常に、戒めねばならないのだ。


 世にそうなってしまう人が多い、というのは判る。それを否定する気もなければ、己もそんな多くの人々の内の一人だという自覚がある。

 だからこそ、だ。

 だからこそ、己の理性を保たねばならない。常に。


「俺に望まれているのは、兵士であるというそのことだけだ。他に望まれてはおらず――……それ以外を優先させてしまったその日には、そうあろうとすることすらも永遠に損なわれてしまうだろう」

「……そのためには、愚かな犬のように、婚約者の死をも忘れて従順に軍に従うと?」

「犬になったつもりはない。……俺は人間だ。この社会のどこにでもいる――業務上の命令と契約を可能な範囲で実行するだけの、なんでもない内の一人だ」

「……」


 怒りに身を任せる――それはあのメッセージを鑑みるに、メイジーとて望むところではないのだろう。

 もう死者となってしまった彼女ではなく、あのメッセージの瞬間に確かな生者だったメイジーの願いを叶えたい。最後のその願いに応えたい。

 あの娘の人生に他に何もできなかったのならば、何の役にも立たず苦しめてしまっただけというのであれば、せめてそれだけには応じてあげたい。

 そして――そう決めるならば、ここで己が惨めに蹲ったり悲しみに塞ぎ込んだりすることは、彼女の願いに対しての侮辱だ。それだけは、選ぶ訳にはいかない行為だ。


「婚約者のその死は、君に何の影響も及ぼさないと?」

「……そうだな。彼女の死は、俺の行動や役割には何の影響も与えない。その死が俺を兵士であることから外す、如何なる法的な誓約や契約も伴わないのだから」

「ふ、ふふ……そうかね。そうか……それが君の答えかね、グッドフェロー中尉」

「大尉だ、大佐。……そうだ。俺の答えは、初めから決まっている。軍人であろうと踏み出したその日から、何の代わりもない」


 ときに迷い、惑い、その道をただ進もうとすることもできなくなってしまうだろう。

 だからこそ、言うのだ。

 何度でも、言うのだ。


「義務を果たすだけだ。兵士であるということの義務を」


 ――と。




 ◇ ◆ ◇



 二つに結ばれた銀髪が風に靡く。

 その小柄な少女は、木に寄りかかっていた。墓地からやや離れて――詩集を片手に佇むのは、その儚げな雰囲気と相俟ってある種の幻想じみているが、その武骨な眼帯と巨大な拳銃を前にすれば誰もが評価を改めるだろう。

 普段の格好と同じ黒の防弾コートと、普段の格好とは違う飾り気ない黒のワンピースドレス。

 一ページ目だけを開いていた少女――エコー・シュミットが、時計仕掛けのように本を閉じる。

 まさに、そのタイミングだった。


「護衛役がこうも離れていたら、仕方ないのではないかね?」

「……何かあったら間に合う。何かあってからなら、かな。それでいいでしょう、別に?」


 視線を交えるまでもなく、実に的確な機で少女は歩いてくるラッド・マウス――コンラッド・アルジャーノン・マウスの隣に合流し、口を開いた。

 少女に、僅かたりとも周囲を伺う素振りはない。

 つまりは、絶対の安全を意味しており――彼女は言葉を続けた。


「それにしても、上手くわたしをぶつけられたのは……どうやって?」


 エコーでも誰かに疑問をぶつけることはあるのか、という少々の驚きと共にコンラッドは応じる。

 つまりは――メイジー・ブランシェットとの戦闘。

 未来を知れるという彼女が、何故、エコー・シュミットという天敵の備えられた罠に飛び込んできたのかという疑念だろう。


「君の力は、汎拡張的人間イグゼンプトにとっては天敵だ。彼らは他者との接続を通してに接続する――そして例えばその力は、一種の未来予知のように現れる。正しく言うなら、繋がることで拡がるのではなく狭めるのだ。範囲と出力を絞り込むように。のだよ」

「……」

「しかし、そこに君は含まれない。除外されるのだ……それは絞り込みを意味しないから。彼らは、君という存在の重さに耐えられない。いや、本来なら誰も耐えられないだろうが――……」


 しかし現実的に耐えているエコー・シュミットがそこにいるという事実には、コンラッドも何も言えなかった。

 彼の狩人ハンターとしての調節は、彼女の出力を増やすことを意味しなかった。技能を授ける助けにならなかった。その演算能力は、コンラッドの装置により補助されている訳ではない。

 むしろ、逆だ。

 エコー・シュミットという大いなる薬室ラージ・チャンバーを細かく切り取って制限することで、今の『死のみを察知する』彼女を成り立たせているに過ぎないのだ。


「故に――何かを起こす意図を持ち計画を練れば、彼らを釣り出すことは叶う。ただし彼らの観測するそれは、だ。……メイジー・ブランシェットが彼処に来たのは、必然ともいうものだったのだよ。世界を焼ける力をそこで止めねば――きっと世界が焼けてしまう、とな」

「……あ」

「どうしたのかね?」


 僅かに立ち止まったエコーが、ぼんやりとした様子で呟く。


「喪服って、下着も喪服の色にしなければ駄目だったっけ?」

「……」

「しまったな……」


 ワンピースの裾を軽く持ち上げながら、彼女が眉を顰めた。

 正しい意味での傍若無人と言っていいその様子に、何とも言えずにコンラッドは苦笑を零した。


「……君は今、何度目だね?」

「十五回。……寝坊して一回、寝過ぎないように起きてようとしたら寝過ごして一回、服を間違えて一回、十字架を忘れて一回、あとは……」


 指折り数えていく彼女は、神秘的な雰囲気でありながらも実のところ粗雑なものだ。

 それが逆に、人を離れた生き物とも思わせる気がしてきた。

 ……本当に。

 彼女はただ演算で死に戻っているだけに過ぎないのに、あたかも無数の世界を渡りながらとさえ思えるほどに。


「……ふ、ふ。いつか、誤って現実でも死んでしまうのではないかね?」


 そう肩を竦めるコンラッドへ、


「……それが何か? 死は、全部死でしょう? いつもと同じ、何もかも変わらない死。……


 判っている筈だ――とエコーはまた歩き出す。

 その言葉を噛み締めるように、コンラッドは拳を握った。

 立ち止まって見上げる先は、青空。

 あの日も――あの死体もない婚約者の墓を見送った日とも変わらない青空。そしてその向こうにあるものを、今は陽光と青空に隠れたものを睨みつけるように。


 全ては、そこから始まった。


「……。そのための、戦いだ。貴様らから――私が奪われたものを」


 その決意に、祈りはない。

 何故ならそこには答えが二つ――が二つ。

 ならば祈りは、必要ないのだ。


 それはただ、明らかなる自明の結末でしかない。



 故に――――至るだけだ。進むだけだ。あとはその、答えの二つが至るだけの未来に。


 物語は、ただ、始まりにして終わりへ向かう。

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