第98話 モーリエ上院議員、或いは時流の波乗り、またの名をホワイト・スノウ戦役


 空の玉座ペルペトゥス――と呼ばれる、彫刻が施された金属製の椅子を取り囲む形で地下宮殿内に長椅子がひしめき合う最高議会。

 その上院。

 即ちは、貴族院。

 謂わばその領地とも言うべき保護高地都市ハイランドの各十二州から集った世襲貴族と、特別な功績により最高議会から任命された一代貴族。


「それでは次の議題に――」


 スーツ姿の彼ら彼女らは肩を寄せ合うと言ってもいいほどの狭さで長椅子に腰掛けながら、議論を交わしていた。

 とは言っても喧々諤々というほどの喧騒はなく、あくまで落ち着いたものだ。

 貴族院は、下院――選挙により選ばれた議員で占められた代議院――で議決された法案への修整や差し戻しなどを主としている。行政の最高位である首相というのもまた代議員の中から選出されるために、もっぱら彼らの行うことと言えばそれらの行政方針に対する追認ばかりだ。

 それだけを見れば、一体何故このような議員たちが存在しているのか疑う者もいるだろう。所詮は、あまりにも時代遅れの身分制度とも言える貴族なるもののために設けられた、無価値なる権力の一つなのではないか……と。


 だが、世襲などのために世論を反映しているとも言い難い上院は、故にこそ世俗的とは異なる様相を見せた。つまりは、時に選挙のために市民への人気取りが過ぎてしまう代議院議員とは異なり、国家に対する有益さの観点から首相を補佐できる。

 事実、あの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争において開戦当初に加えられた一方的な対地爆撃による国家機能の喪失を受け――無条件降伏に等しいほどの条約を批准しようとしていた代議員の生き残りたちへと、待ったをかけたように。


「それでは、城壁都市フォートシティの建設については上院の過半数を以って下院決議を支持いたします」


 城壁都市フォートシティ――ガンジリウムの力場を有し、そしてさながらアーク・フォートレスという移動要塞の如く堅固で可動性を持つ一枚の壁の如き都市が、この日の議題の中心だ。

 城壁であり、要塞であり、都市。

 つまりは、文字通りの防波堤――移動可能な防波堤だ。


 激化した対流の影響により生まれる大型ハリケーンや熱波を力場という強固な壁によって低減ができないか――という発想から考案されるに至った城壁都市フォートシティ

 軍製の民間利用と呼んでいい。

 オニムラ・インダストリー社からの肝煎りで始まったプランは、承認された。これが有用とされれば、今後は人類の可住地域は広がっていくだろう。


 今は戦後復興として緩和されている出生制限についても本格的に解除が成されれば、経済活動の面でも成長が見込める上、地球圏における他地域との交流も積極的に為される架け橋となるだろう。

 無理に真空の宇宙に足を広げる必要はない。

 先の大戦の原因の一つに、出生制限法や相続税率の上昇による事実上の宇宙移民政策があったことも鑑みれば、地上での版図を広げることは――ある種の国家的な急務とも言えた。

 だが、


「……これで、お友達に顔を売れて大統領閣下も鼻が高いだろうな」

「此度の殿は、随分と内政に鼻先を入れたいらしいようで」

「違いない。なんとも、精力的で何よりで」


 囁き合う、ある壮年の議員たち。

 内閣府及び首相を行政権限の頂点とするなら、大統領は謂わば権威の頂点だ。

 貴族あっても国王は居らず――と称される保護高地都市ハイランドにあって、国王に代わる国家の象徴。

 通例の一代貴族は男爵位を授与されるものであるが、国民からの直接投票を受ける大統領に限っては、議会から公爵の位を授けられていた。

 国王なき貴族たちの、最筆頭。

 国民という、民主主義国家における謂わば王に対する第一位の忠義者。

 行政権の大半を持たず、国家のとしての権限に毛の生えたものしか有さない大統領は、しかし、戦後初として実施された直接投票によって今回選出された彼に限っては――どうも相応の野心というものを持ち合わせているらしい。


 電撃的な先制攻撃によって国家中枢機能の大半が麻痺させられたあの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争に何かと結び付けることで、として露骨に大統領権限の増大を図っているような面もある。

 公領地を持たぬ公爵による親政――と、揶揄する者も少なくない。

 それは保護高地都市ハイランドの元となった一部地域の、昔日の大統領なる肩書きが有した権力を懐かしんでのものなのか。

 それともかのユリウス・カエサルが古ローマを共和制から帝制へと転換させようとしたことの再現なのか。


 彼は単なる権威の象徴としてではなく、メディアなどにも多く露出して強く発信し――明確に世論の誘導を行っているとも言える。

 特にこの城壁都市フォートシティの建設については、それが首相の不信任決議案や下院の解散に繋がるだけの世論の白熱を見せていた。

 国民に選出された象徴が、その国民の感情を煽り行政権へと間接的に参画を図った――半ば反則技のようなものだと、嫌悪感を持つ議員も少なくはなかった。


「それにしても、此度の内乱についてはどうするおつもりなのかな」

「名ばかりでも六軍の最高指揮官だ。……だからこそ、今回の件なのでしょうな。随分と荒目立ちのまま下院を通過してきたもので」


 痛手を誤魔化すためなのだと、その壮年の貴族は肩を竦めた。

 旧米国閥に代表される大統領権限の増大を願う派閥。

 旧英国閥や旧欧州閥のような貴族主義や議会制民主主義を主としている主流派とは相容れず、これまでも閥のままに煮え湯を飲まされた。

 故にこそ明につけ暗につけ、その対立というのは根深いものとなっていた。

 一例を挙げるならば、セージ・パースリーワース公爵などがそうだろう。保護高地都市ハイランドの不屈の神話の立役者となった彼は、戦後を見込んだ政治権力闘争のまま、大戦後期に敵軍へのスパイ疑惑がかけられてその娘共々憲兵に拘束され――尋問中に持病にて死していた。


「ともすれば、この中に彼らの支援者などがいるかもな」

「はは、それは卿こそそうであるのですかな?」

「おっと、その秘密を知られてしまったからには……貴公の今後についても考えないといけないな」


 軽い冗句を交えながら、言葉を交わし合う議員たち。

 【フィッチャーの鳥】と【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の間に勃発したこの戦役については――様々な側面があった。

 単に、善なるものと悪なるものの戦いではない。


 即ちは、かの大戦を踏襲した衛星軌道都市サテライトに対する強硬派と穏健派の溝。過熱する民意に過度に寄添おうとする世俗主義者とそうでない者の溝。

 政治権力闘争にも絡んだ軍閥の対立。超巨大企業の勢力増強に対する懸念と、肥大化する軍権力に対するカウンター。政治権力増大を図る大統領と、首相を始めとした内閣との対立――……。

 増え続ける軍事費に対する一種の効果的な代案として提案された【フィッチャーの鳥】のその致命的な不祥事とも言うべきそれを如何に利用するか、虎視眈々と狙う者たちも多かった。

 何故なら――――


 


 紛れもなく――特に統治に近しい者こそ、そう認めるところであろう。国土と国民は残りこそすれ、政治経済的な基盤の大半を砕かれたのだ。

 複数の州に跨がる国家の統制的な内政を司る官僚機構はその人員を失い、戦後復興に携わる筈だった大切な市場と経済主体である国民もまた喪失した。

 度重なる重金属汚染により可住地域は狭められ、その地域の住民の強制移住に伴う軋轢に対する不満や、衛星軌道都市サテライトへの戦後の扱いの手温さについての市民の怒りも噴出する。


 地球降下作戦にあたって彼らに占拠された地域の政治家や官僚や財界人は、エリートや財の独占者として命を奪われ街灯に吊るされた者も少なくはなく――また、そこで恭順し協力を行った者は戦後に「売国奴」として魔女狩りも同然に罷免や追放や私刑を受けた。

 戦の予期ができなかった国立戦力研究所や国家情報対策局もまた民衆の追及により責任取りのパージを免れない。

 衛星通信や衛星航法に関わる施設の大半も侵攻によって破壊され、地球全土に点在する都市の政治・経済・流通に関わるほぼ全ての分野において保護高地都市ハイランドは手痛い打撃を被ったのだ。


 最早、という言葉すら生ぬるい。


 あのような規模の人類史上に類を見ない大規模な殲滅戦は、戦争の直接的な死傷者のみならず徹底的に世界を焼き尽くす炎となったのだ。

 望む、望まざるに関わらず戦災とも呼ぶべきその影響は今後数十年に渡って呪いのようにこの国を蝕むだろう。

 それが戦争というものの恐ろしさと言えた。


 そして――……そこから三年。


 あまりにも甚大すぎる被害のために人口等に関係する国政調査も満足に行えていなかった保護高地都市ハイランドであったが、この度の大統領選や下院の解散に伴う選挙により実施されることによって、一先ずは――という空気の形成や暗黙の線引きはできた。

 あとは戦後として、復興についての議論を重ねて行くものだ――という認識の下での観閲式など他の国家行事も実施されたところであったのだが……それも此度の騒乱によって踏みにじられた。

 終わりなき戦後と、人は言うだろう。

 だからこそ、此度のそんな戦役――ある種の内戦に伴って、【星の銀貨シュテルンターラー】戦争後がそうであったように、その権力基盤のさらなる増大を図る者たちもまた存在していた。


 一つは、新貴族デファクタ

 事実上のデファクトというラテン語から転じた、新たなる上院議員の一派を指し示す言葉。

 中世や近世の領主と異なり、如何に貴族身分といえどもその領地は公然とは存在していない。州や市の内政を行う市長や州知事は別におり、かつてのように領地経営を行うことはまずあり得ないものではあったが――その市長や州知事、ないしは少なくとも官僚機構とも言うべき者たちは保護高地都市ハイランドの前身であった保護高地の管理を任されていた者やその縁者から構成されていたというのが実情だ。

 そして先の大戦において、それらは物理的にも政治経済的にも手痛い打撃を被った。

 その混乱に際して、戦時に臨時でその土地を纏め上げた者たち――つまりは経済や流通に詳しく、企業的にそれらの知識を持ち得た者たちなどが、戦時における官僚機構の代替とも言うべき力となったのだ。

 そんな企業らから戦後、を譲り受ける形で保護高地都市ハイランドは建て直しを図った。それに対する追認のように、各州における企業の内部権力者たちに爵位を授ける事例が存在していた。


 もう一つは、新騎士コンダクタ

 請負人を意味する言葉であり、彼らは元は軍属であった者たちだ。

 やはり国家の官僚機構というのは、あの大戦において壊滅的な打撃を被った。その人材育成のシステムやノウハウなども、時に占領者によって物理的に焼失や喪失の憂き目に合う。

 そんな中において、あれだけの規模の反抗作戦を可能とした――辛うじて残っていた政府機能によるバックアップを受け、富と人員と人材を集中された保護高地都市ハイランド連盟軍というのは、暴力装置でありながら戦前の官僚機構のシステムやノウハウというものを唯一と言っていいほど損なわぬ形で受け継いでいる存在であった。

 保護高地都市ハイランド勝利の立役者となった存在であり、民衆の支持も高い。

 そんな彼らの中から、多くの人材を統制するという視点を持った高級将校や流通・開発・集積の専門部署の人材などに対して、議会から騎士叙勲による政治参画や或いは特例法による官僚機構への転身が図られるようになった。

 結果として軍閥のみならず先に挙げた政治閥が軍へと逆流することにもなってしまったのだが――何にせよ、新たなる身分が設けられたかのように、大戦の痛手を被った政府の中に彼らという新たな血が取り込まれた。


 新たなる者が入ったならば、当然、そこで新たなる権力の確立や拡大が行われる――それが先の大戦で戦勝者となった保護高地都市ハイランドの現状だ。

 故にこの戦役というのは、それらの政治的な力学が引き起こした複雑怪奇なる権力闘争の側面も有していた。

 最早、どんな理念があるのかではない。

 単に戦争というがあるならば、そこに様々な意味が付随していくという――人類が人類である以上は逃れられない歴史的な宿痾というものだ。


「企業支配か、軍支配か」


 多少なりとも政経に明るい者であれば、或いはこの戦役を評してそう呟いたかもしれない。

 連盟軍の内からも支持者を出しながらも企業体による支援を主として受け取る【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】と、連盟軍の内で過激派化し更に衆愚政治的な民衆の後押しを受けるように勢力拡大を狙った【フィッチャーの鳥】。

 軍需産業が世界の争いを裏から操るような御伽話はあり得ぬとしても、今後この国家内での権力という剣を握るにあたっては企業体も手を伸ばすに十分な案件であり――同様に軍閥や政治閥にとっても、見過ごせない案件となる。


 それが、この戦役において表向きの均衡状態や小康状態が保たれている仕組みだ。

 一勢力と一勢力が公然と衝突し合うという――どう考えても民主主義国家規模で起こり得ぬ事態が現実的に静観され得るだけの土壌が、組み立てられてしまっていた。

 或いはこれを、人は静かなる直接代理戦争コールド・ホット・ウォーであったり、或いは黎明の闘争デイブレイク・ベルと呼ぶかもしれない。


 そんな中で、議会は終了する。

 終戦記念日に発生した残党による未曾有のテロについて有権者からの突き上げを受けている下院と異なり、上院はまだ穏やかなものであった。

 議会から、次々に去っていくスーツ姿の議員たち。

 ある者は別の者と今後の予定の打ち合わせに入り、ある者は己が会長を務める企業との連絡確保にいそしむ。


 あの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争によって議員たちを一所に集めることへの懸念もまた叫ばれていたが、結局はそれもなくなった。というより、その戦争こそがそんな懸念を逆に吹き飛ばしたのだ。

 開戦初期における徹底した衛星破壊による通信基盤の壊滅や、ホログラムでの集会を行う議員をまさにその家宅で脅迫しての利敵行為の強要など――顔を合わせないことへのデメリットの方が取り沙汰された。

 それだけでなく、精巧なグラフィック技術によりホログラムを偽装すること、或いは敵軍によらずもお家騒動でそれを行うものなど……結局のところ、議会に足を運ぶことこそが最もリスクが少ないという結論に至ったのだ。


 とは言っても――整形技術や臓器クローニング技術によれば、その偽装も難しいことではない。

 記憶についても、それをどうにかする術などはなくはない。

 そう、一人長椅子に腰掛ける小柄な銀髪の女性はある程度の人波を見送りながら考えつつも、呟いた。


「……うーん、ボクなりに名案を提案したつもりだったんだけどねぇ。どうやら彼らの心には響かなかったらしい。残念だね」


 かつて纏っていた白衣はなく、今はスーツに身を包んだ癖のある銀髪の女性。

 多分野における天才的な頭脳の持ち主にして、戦時中は軍の技術開発部にも協力。そして今は複数の新興会社の会長職を務めるというローズマリー・モーリエ上院議員は肩を竦め、そしてその背後をチラと眺めた。

 それに見竦められたのは、白髪の老獅子――【フィッチャーの鳥】の指揮官であるヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将だった。


「やあ、奇遇だね。こうして顔を合わせるのは二度目かな? 三度目だったかい?」

「……デイム・ローズマリーにおきましては、どうも御健勝の程にて――」

「あっはっは、よしてくれたまえ。そういうの、ワタシには似合わないからね」


 大袈裟に手を振ったモーリエ上院議員が肩を竦める。


「ほら、爵位なんて貰っても元が元だろう? どう民主化されたところで、静かなる透明の壁はある。成り上がり者にはいつだってそうだ……まぁ、今となってはボクらが多数派なんだが、さてね、いやあ、このシステムに本当に意味があるのかは疑問じゃないかい? キミはどう思う?」

「……私から、国政に口を挟めることはないもので」

「ああ、うん。文民統制である以上は仕方ないね。そう言った方がいいかな? こうなっては文民に如何ほどの統制があるか――だけれど」

「それは……」

「ははっ、すまないね。そうだね、こんなことで揚げ足を取られたくもないし――話しているだけでそうなりかねない女の相手は厄介だ、と、思ってしまうよねえ?」


 何が楽しいのか笑い続ける妙齢の女性は、そのまま更に意地悪く目を細める。


「キミの目的は、誰だろうね。……待った。当ててみようか? それとも、当てられない方が嬉しいかい?」

「……ご冗談を、デイム。貴公も、お忙しい身ではありませんか?」

「ハッハッハ、気にしないでくれたまえ。それに生憎とボクはすべて本気だとも。はは、いや、こういう回答を求めてないのかな? ああ――そうだね。まあ、あれだ。キミを呼んだのことを待たせ過ぎても悪いし、雑談はこのくらいにしておこうか。なに、ゲームの乱数調整のようなものだと思いたまえ。彼女も別に対談があったようだから、今なら丁度時間もできた頃ではないかな?」

「……」


 ヴェレル・クノイスト・ゾイストは、内心を努めて表情に表さずに……道化の如き多弁を見せる目の前の不気味な賢者然とした女を推し量る。

 シビリアンコントロールの原則がある以上、如何なゾイスト特務大将といえども議会における参画は叶わない。確かに実態に目を瞑れば、本来ならばこの議会に足を運ぶのは不自然だ。軍人がその身分のまま議席を得ることは、天地が逆さになってもあり得ないものだろう。

 その点から考えれば確かに類推はできようが――接触相手が、対立する派閥の者だと何故言い当てられたのか。すべてを見ているように話すのは、やはり不気味の一言に尽きた。


 現実に根差した重厚な刑事ドラマにまかり間違って登場してしまった場違いな探偵小説じみた名探偵。

 それが、ローズマリー・モーリエ上院議員という女の印象を語る上で相応しいだろう。


 幼少期からの度重なるガンジリウムの研究により、髪を鮮やかな銀色に汚染されてしまった女。そんな自分の肉体にさえも研究対象のようにメスを入れ、切り貼りしているという噂まである。

 飛び級からの大学入学を経て生体工学と機械工学においての博士号を取得し、医師免許も取得。大戦中においてはアナトリア襲撃に際して再起不能に陥ったブランシェット博士の跡を継ぐようにアーセナル・コマンド関連の研究を担った――。

 そんな経歴から、あの【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】にも加担させられる可能性もあるのではという疑惑がかけられたものの、実のところ全くの事実無根であり単にやっかみの一種であった――と逆にその調査を以ってとしての地位を確立するに至った女性。


(……どこまで、見抜いているのか。これだから天才というものは)


 見通す目というならあのハンス・グリム・グッドフェローのように超然とした雰囲気は全く持ち得ぬものの、好奇心がそのまま大人の皮を被ったようなこの女性は別の意味で厄介な人間と言えるだろう。

 万能の天才。マッドサイエンティスト。医師にして技士。実践主義にして研究者――……。

 混迷の時代には世に埋もれていた才能が多く芽吹くとはいうものの、特に彼女は技術的な側面からそれを担っていると言ってもいい。仮に衛星軌道都市サテライトに生まれていたならば、それこそグレイコート博士と並び立つほどの人材として保護高地都市ハイランドの脅威になっていたと思えるほど。


「さて……一体話とはなんだろうねえ。官僚になったキミの元部下のことか、それとも今のキミの部下たちのことか――ははっ、それとも話があるのは実はキミの方かな?」

「いえ……」


 会話というメスによって相手を腑分けし、その内臓までをも舌で弄ぶような女性と交わす言葉はない。或いは、言葉を交わさないというそれこそが彼女に分析の機会を与えているも同然か。

 顔を合わせた時点で終わり、というならば或いは戦場における黒衣の七人ブラックパレード同然か。

 こと対話というものにおいて、このローズマリー・モーリエ上院議員という女はそれほどまでに恐るべき存在であった。

 だが、


「まあ、悪巧みも程々にしたまえよ特務大将。この国は思ったよりも多頭なんだ。多頭竜ヒュドラに近付き過ぎた者がどうなるか、知らないキミではないだろう?」

「……」

「はは、前線に出ていた訳でもない小娘にそう言われるのは心外だという顔だねえ。うん、まあ、そうだね。ボクもあまり無礼は働きたくないし……あまり話しすぎてキミとの繋がりを邪推されても困るから、この辺りにしておこうか」


 意外にも、その会話は彼女から打ち切られた。

 そうして椅子から腰を浮かせたモーリエ上院議員が癖のある銀髪を靡かせながら、ふと振り返って笑いかける。


「ああ、よろしく言っておいてくれたまえ。今はキミの下にいるんだろう?」

「というと……?」

「ハンス・グリム・グッドフェロー……今は大尉だったかい? ワタシのかわいいかわいい被験た……助手くんにして後輩くんさ。彼を巻き込んでいる、と聞いているよ?」

「……」

「おっと、どこから聞いた? と言いたげだね。はっはっは、この通り――これでもしがない貴族でね。ほら、前に彼は国債パーティで随分と大立ち回りをしただろう? その時の彼のたちから、さ。誰だってあんなが自分の膝下に来ないかと、気が気じゃないものだからね。役に立つ猟犬はあくまで猟犬であって、誰も暖炉の前の絨毯の上には案内したくないと相場が決まっているとも」


 戦後の国債パーティにおいて、現役の将校まで抱き込んで行われた反権力テロリズムかつクーデター。

 現地に居合わせたハンス・グリム・グッドフェロー中尉の手により首謀者を含む実行犯の総勢二十三人が斬殺及び射殺された事件は――きっとこの国の戦後を語る上で重要なものでもあるのだろう。

 故にこそ、ゾイスト特務大将の【フィッチャーの鳥】という捜査権を持つ軍組織の設立にも支持があったものであるのだから。


「いやあ、気を付けたまえよ。いくら軍人とはいえども古来からの貴種に声をかけられたら、随分とお喋りになる人間も多いものだからね」

「……デイムは、何のおつもりで?」

「うん? ああ、これでもそれなりにお気に入りの後輩くんだからね。夫も彼を気にしているし、あまり悪巧みに付き合わせないでほしいとお願いしようと思っただけさ」

「……」

「冗談だよ、ゾイスト特務大将。ボクはこれでもキミの立場には同情的なぐらいさ。そうだろう? 保護高地都市ハイランドの最後の砦を担おうとする老勇よ」

「……光栄です、デイム」


 如何なる意図があるのか――。

 警戒しながら言葉を選んだ彼へと、モーリエ上院議員は親愛のような笑みを浮かべながら呟いた。


「だが、果たして、砦というのは悪意まで防ぐことはできるのかな?」


 図るようなその銀髪の女性の笑顔に、ゾイスト特務大将はその背後に広がる議会そのものを幻視する。

 焼け落ちた世界に新たに芽吹いた混沌なる怪物。

 如何に国家を守ろうとも、国体を整えようとも、否応なく変質を始めてしまう焼ける世界というもの。

 あの戦争の徹底的な破壊は、既に、この世界の崩壊の引き金を引いたのではないかと――そんな薄ら寒い予感さえ感じさせる。既に何もかもが手遅れなのではないか、と。

 だが、


「……防いでこその、砦ではありませんか?」

「うん? ハッハッハ、ああ、そうだとも。もしこの戦役が続いてしまうというなら――まさに軍こそが、その防壁であるだろう。それとも、と言うべきかな?」

「……」

「いやあ、困ったものだね、アーセナル・コマンドってものは。人の悪意一つが都市を焼き尽くすことも実現してしまった。このまま分断が進めば世界は一体どうなってしまうのか――……一市民として、実に恐怖に堪えないよ」


 どこまで本気なのか。

 薄ら笑いを浮かべる女怪のその言葉は、しかし何よりもこの世界の本質を指していると言っても良かった。

 政治経済や権力基盤が新たなる混迷の魁となろうとも、結局全ては――アーセナル・コマンドという兵器こそがこの問題の主題となろう。

 その気になれば、一個人が世界を破壊できてしまうシステムの構成。

 かつての御伽話や神話や伝承の如く、これまで有史から人類が連綿と保ってきた集団による戦を否定する

 全ての根は、そこだ。

 変革されてしまった世界の恐怖を成立させ得るのは、確実に、あの新兵器であるのだ。


「結構。――いやあ、実に会話だった。そうだろう? ははっ、それともキミにとっては違うかな?」

「……いえ、デイム」

「では、精々よく話し合ってくるといい。……ああ、その内ポケットの贈り物は控えた方がいいだろうね。彼女は確かに如何にもな貴族然とした扱いを求めてくる淑女だが、こんな場では別だよ。むしろ余計な賄賂を贈ったと、阿ったと思われかねない。……求められるのはある種の好敵手さ。毅然として話せばキミなら無碍には扱われないとも」


 会話の返礼とばかりにアドバイスを告げて立ち去る銀髪の女を眺めて、ゾイスト特務大将は何とも言えぬ気持ちでその背を見送った。

 これから語らねばならない貴種たちとは、また違う形の怪物。

 そんな者たちが蔓延る政界や財界も、或いはそれらの後押しを得なければならない軍界や民界も、荒波の中にただ一人で放り出されるほどの背筋の寒さを抱かせる。

 少なくとも――……。

 少なくとも、発した言葉以外に意味を与える気がないようなあの剣の如き青年との会話に幾ばくかの癒やしを求めるような気分になってしまう程には、それは、老爺たるゾイスト特務大将をして嫌気の指すものだった。


(……そうか。グッドフェロー大尉……卿は、嵐の中の灯台になろうとしているのか)


 決して揺るがず、怯まず、ただそこに立ち続ける青年。

 混迷の時代の中でも己の機能と責務だけを担って立つ青年。

 世に斯くの如くあれかしと無言で告げるように、航海者の背を押す疑いなき実行者の光。

 あたかもそれが人々に望まれたものであるかのように己に負い続ける彼の根が見えた気がして、ゾイスト特務大将は小さな吐息と共に歩き出した。

 彼もまた、役割を担わなくてはならないのだから。


(或いは、こんな立場でさえなければ――……)


 彼を手元においてその先行きを見守りながら手助けることができたのかと、そうして己も疑いない道を歩いている気持ちになれたのかと、そう空想する。

 孤独に寄り添う者だ。

 潰えそうになる使命感の中で、――と告げる嵐の中の星のような男だ。

 そんなどうしようもない孤独に打ちひしがれる者を照らす、最後の太陽とも言うべき兵士だ。

 せめて自分はその助けになれるだろうかと考え――彼は首を振った。ヴェレル・クノイスト・ゾイストには、ヴェレル・クノイスト・ゾイストとして成し遂げねばならないことがあるのだから。



 そして、議会の廊下を歩く銀髪の女性は可搬型の通話デバイスを取り出した。

 防衛上の観点から地下都市となったここに衛星の電波は届かず、複数の軍の基地局を経由して着信する。故にその電波の安全性は確保されており、同時に監視も受ける。

 通話先は、彼女の夫だ。

 少なくともそう表示はされており、監視者がいるとしてもそう認めるところだろう。だが――


「やあ、踊る電脳の君。あの反応だと――うん、まあ、クロだ。キミたちの活動を助けているのは、彼で間違いないだろう。その点で言えば実に高潔な人物だと言える。疑いなく、彼もまた世の戦乱を望まない内の一人だ。……どうする? 中将に知らせるかい?」


 守衛に手を振りながら、モーリエ上院議員はデバイスに耳を当てながら歩く。

 電子的監視網や光学的監視網のある中でそうすることを、人は理解不能だと見做すだろう。だが――彼女は、これが最も安全であると知っていた。

 にすぎないのだから。


「ふむ。まあ、こちらはなんだっていいさ。官僚機構に軍閥がこうも食い込んだ今となっては、ボクもだいぶやりやすくなっているからね。……いやはや、あの衛星軌道都市サテライトは実に恐るべきだねえ。人類が懸命に進めてきた進歩の針をこうも巻き戻すとは――……実に興味深いよ」


 本当にただの愉快犯のように、彼女は笑った。

 彼女がすれ違う会話も聞こえない位置の人間からしたら、夫と談笑に興じているふうに見えるかもしれない。


「うん? ああ、好きにしたまえよ。――とキミが抱えた理念に疑いはないさ。あとは、その極光にどうやって人々が行き着くかの違いにすぎない。大局で見ればそう代わりはないんだ。ボクは精々それを遠巻きに眺めながら、この世界と共生して楽しく生きていくとも」


 どんな形になろうとも――と、モーリエ上院議員は言葉を打ち切った。

 そして、空を見上げる。

 地下壕の遥か上に存在する筈の天上には全天型のディスプレイが浮かび、ホログラムで作られた雲なども相俟ってここを地下とは感じさせない。

 仮に何らかの要因で地上が滅びたとしても続いていく箱庭めいた景色――それを眺めつつ、女は笑う。


「さて、今頃何をしているかな。確かアレは前に彼の理屈を実現しようとしてからだから……何年前だったかなぁ」


 顎に手を当てて、指折り。

 自分同様に幼少期から高い知能指数を示し、そこに興味を持ったのにそれ以後は話を聞かず――飛び級からの二度目か三度目の大学進学において再び顔を合わせた後輩。

 何物にも揺らがず、何者も鑑みない風でありながらも揺れ動く天秤の主。


「世は戦に包まれる――……そうだろう、思索者シンカー? だからこそキミは咲き誇り、だからこそワタシは有用性を発揮する。いやあ、キミの完成が実に楽しみだよ、後輩くん」


 かつて白衣を纏っていたときと同様に、女は、その銀髪を擽りながらも笑いを浮かべる。


「不毀なる刃よ。キミは一体、何のために戦うのかな?」


 返る訳がない答えアンサーを、地底の空に問いかけた。



 ◇ ◆ ◇



 宙間工場を目指すキングストン一番艦キングストンの艦内に警報が鳴り響く。

 ガンジリウム・チャフ――。

 固体状態においては一定度に電波を吸収する性質を利用したガンジリウムによる偽装を知らせる警報だった。

 レーダーに感なし。

 そう示すが故にこそ、それ以前の通例データ上には表示されない――といってもレーダーの限界能以下でなければ電波としての反射自体は受け取っている――物標が消えているかいないかを比べることよって、それらの雑データの分析を行うように設定した管制AIからの報告によって、宙域ホログラム画像を前にした艦長コルベス・シュヴァーベン特務大佐は敵の接近を認識した。


「この手口は【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】ではなく……残党でしょうか? まさか、奴らは残党にまで支援を?」


 そう呟く副官を、内心で怒鳴りつけたい気分になりながら――しかし戦闘に際してむしろ口数が減るシュヴァーベン特務大佐は、艦内指揮所を一望できる指揮官席から端的に告げた。


「……さて、だがそうと見做すこともできなくはない」

「は?」

「残党の支援まで行っている企業体に対して、その残党たちが防衛に動いたと口実ができると言ったのだ」

「……、はっ!」


 各部署へと敵機接近を伝える副官を尻目に、事実がどうあろうと――これで幾らでも言い訳が立つと彼はほくそ笑んだ。

 片目が潰れた海賊傷と、火傷顔。

 それ以前は笑い男スマイリーと呼ばれて普段の苛烈さはともかく戦闘中にはあまりにも不気味で奇っ怪すぎる異様な笑みを浮かべる彼の姿は、顔に傷ができようとも健在だった。


灰色狼グレイウルフの手段ではないな。……奴はもっと陰湿だ」

「は?」

「表向き、こちらとの戦闘の口実を求めたのだろうが――まだ青いな。若い。若すぎる。二十一か? 二か?」

「………………は」


 飴玉を転がす少女のように、彼は、その手口から相手の人物像を推し量る。実に優れた戦術家として力なのだが、はっきり言って壮年の男がそうしていると不気味の一言に尽きる。

 部下たちは引き気味だった。

 時折口がもごもご動くのが、本当にしゃぶり尽くしている感じがして気持ちが悪い。映画のマフィアや悪役プロレスラーのような男が、顔に皺ができるぐらいに表情を喜色満面に染め上げてそうしているから本当に気持ち悪い。ある航海士は幼い娘とテレビ通話をしている時に演習の思い出し笑いをしている大佐が映り込んでしまうという事件に遭遇したのだが、その後しばらく泣き出す娘から会話を避けられ続けるという悲劇に遭遇した。

 ある取材で映り込んだシュヴァーベン特務大佐のその表情がインターネット上でコラージュやリプライとして使われていることを、クルーは知っている。特務大佐は激怒した。それが原因で検挙されたものもおり、テレビ局も事実上の取り潰しとなったが、それでも今日も今日とて特務大佐のコラージュ画像は電脳空間で増殖している。人々の画像フォルダに棲息している。こわい。


 ……ともあれ。


 そんな男から、笑みが消える。


「打ち払うぞ、諸君」


 腰を上げたコルベス・シュヴァーベン特務大佐がその大柄な腕を伸ばした。

 大軍の正面戦闘においては四圏一と称される男――。

 衛星軌道都市サテライトの拷問を受け、なおも戦意を損なわずに前線に立ち続ける軍人の指揮が始まった。

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