第91話 俺が知る、ただ一つの方法。或いは、不毀なる剣
決して折れず、曲がらず、毀れぬ剣。
そういうものでありたいと思った。
そういうものであるべきだと――思う。
そうあらねば、ならない。
◇ ◆ ◇
星暦209年、7月 星の銀貨戦争、勃発
星歴213年、9月 ホワイト・スノウ戦役、勃発
星歴214年、3月 第一次サテライト・ネクスト戦争、勃発
星歴219年、3月 “熱月学園”事変、勃発
星歴220年、12月 “星見の塔”事変、勃発
星歴223年、7月 第二次サテライト・ネクスト戦争、勃発
◇ ◆ ◇
吐息を絞り、
50口径――ルイス・グース・ガンスミス社製12.7×55mmタングステン弾芯製徹甲焼夷炸裂弾仕様・五連装リボルバー。
ハンドキャノンとも呼べるほどのそれは、個人携行として限界の重さを秘めている。あまりにも黒く光をなめして、武骨に角張っていて、重厚すぎる巨大さだ。
……多く、血を吸った銃だった。
あの大戦にて
再び解き放つようになって、もう、かつての大戦の殺傷数に追い付いただろうか。歩兵ではない己では、発揮の機会は少ないが――……それでもこの都市に来てからは久方ぶりの流血を啜るかのように、角張った銃が手に馴染んでいく気がした。
「シンデレラ、護身用に銃を構えるのはいい。……だが、戦闘は俺が行う。あくまでも君は、最低限の自己防衛に努めろ」
「でも……!」
「……君は、人を殺したことがあるか? 人を直接銃で撃ったことは? 射殺した経験は?」
「……!」
息を止めた彼女の呼吸を背に受けつつ、嘆息する。
「そうだろうな。……人には役割がある。そして俺は職務において、つまり金銭によって人を殺すことを生業としている人間だ。……君まで、こんな行為に手を染めるべきではない。手を血で汚すべきではない」
その精神状態を測るに、こんな白兵戦は行うべきではないだろうと言えた。
戦場の心理的に、敵との距離が隔たるに従って心理的な負担も軽くなると言われる。つまり、戦闘ロボットで人を撃つ行為と対面した状態での射撃は等価ではない。
前者の覚悟を決めていたとしても、後者はより強くのしかかる。……彼女が
だが、
「手を血で汚すのがなんだって言うんですか! そんなの、女は毎月そうなんですよ! 今更、一つや二つ!」
こちらに聞こえる程度の声で、意気よく少女は言い放った。
僅かに沈黙する。
衝撃だった。
「……そ、その、それは……ハラスメントにあたると……思うぞ、シンデレラ」
「……!?」
「いや、俺相手なら……いや、だがその、それは……やはりハラスメント要素が高いと……そう思う……」
「ものの例えですっ! そんな風に想像される方がハラスメントですっ! それに、そうやって誤魔化さないでください!」
何を――と訊う前に、彼女はこちらの隣へと足を踏み出していた。
金髪が揺れる。
頭一つ分以上低い華奢な少女の身体が、並ぶ。
「どうして大尉は、一人でそうなりたがるんですか? どうして、全部自分で背負おうとするんですか?」
「俺はそのために備えていて、それを職務として契約しているからだ。……そして、誰しも思うだろう。こんな苦しみを負うのは、己で最後にしてくれ――と。この己が最後になればいい、と」
そうだ。
殺人に付き纏うストレスや、暴力に付き纏うストレスを知るからこそ――だからこそ人はそれを避けたいと願う。
俺は、願わない。
いや、願おうとも……そう在れるようにしたのだ。適材適所というものだ。合理的に考えて、備え続けた己にこそその役割は望ましい。
「頼む、シンデレラ。……この戦いは俺がやる。俺に、君を守らせてくれ」
「嫌です……わたしは大尉を一人にしたくない……苦しいことだって辛いことだっていいんです。大尉を一人っきりでそうさせるよりも、よっぽどいい……!」
しかし、少女は首を振った。
金髪が乱れる。琥珀色の瞳で、彼女はこちらを必死に見上げていた。
「小さな子供みたいに扱わないでください……! わたしは出撃だってしてるし、訓練だってしてる! 人に向けても……ッ……もう、撃ったこともある……!」
「……」
「一人になろうとしないでください……! 大尉の隣で、傍で戦わせてくださいよ……! わたしを一人にしないでください……大尉一人にならないでください……! 辛いんですよ、その方が! わたしは、貴方を一人っきりにする方がよっぽど辛いんですよ!」
訴えかけるその目は揺れて、涙さえ滲みそうな勢いだった。
「分かち合ってくださいよ……! 一緒に……一緒に戦おうって言ってくださいよ……! わたしは、大尉とならどこだって行きます……! 大尉のことを信じようって思います……! だから、だから――貴方だけ、一人にならないで……! ここには、わたしもいるんです……!」
祈るように胸の前で手を握って、ただ懸命に訴えてくる少女。
それを前に一体、何を言えばいいのだろうか。
どう説得したらいいのだろうか。
そうさせぬために、ただ己一人となろうと荒野を歩めるように、備えている。備え続けているのだ。
だが、あまりにも真っ直ぐなその視線に――……どうにも堪らず、一度、瞳を閉じた。
「……アルトリウス・ブラインドミラー伯爵、星歌教会“ミス・ヒム”、エルダー・アステリア騎士団、サー・ゴサニ製薬、自警団アビス"ウルフ"ウォッチャーズ、キラー・クイーン傭兵団、カルトナージュ火星王家、思想団体“ガイ・オブ・サープラス”、カルーセル私学園。……それらの単語に関わるべきではない」
「え? な、なんですか大尉……?」
「……いや、忘れてくれ」
……気の迷いだろう。
気の狂った狂人の戯れ言と思われてもしょうがない。薄れた記憶の中から掻き集めた断片的な情報の――その大半は、この世に、まだ存在していないのだから。
やはり、巻き込むべきではない。ここに立つのは己だけでいい。立ち続けるのは己だけでいい。そのために、立ち続けられる者として己を鍛えるために軍人に志願したのだから。
だが……首を小さく振った少女は、こちらへと一歩を踏み出した。
「話してください。……聞かせてください、大尉のこと」
「……」
「大尉のことなら、信じます。何か……わたしに判らなくても、意味があるんだって……だから……!」
「……信じられるのか?」
「信じられるかどうかじゃなくて、信じたいかなんですよ、大尉のことを! お願いだから、わたしに貴方を背負わせてください!」
「――」
所在なさげに、銃を握る右手が彷徨う。
深く、己の眉間に皺が寄るのを感じた。
こちらを見上げてくる少女の瞳に言葉が詰まる――……言葉が詰まる? この自分が?
否だ。否だろう。シンデレラに言われても、メイジーに言われても、同じことだ。同じなのだ。己は、誰かの理解や共感を求めて立っている訳ではないのだから。
そうだ。違う。自分に理解は必要ない。自分が彼ら彼女らを理解する必要はあっても、自分への共感や心配などは必要ない。そうでなくてはならない。
「……シンデレラ、俺にその心配は――」
口を開きかけ、その途端、二人で一斉に入り口へと振り返っていた。
音にもならない音。匂いにもならない匂い。つまりは、気配とも言えるもの。第六感ではなく、五感未満の情報を無意識に拾い上げたもの。……己はともかく、彼女については判らないが。
銃口を向けたまま、廊下の入り口を挟むように左右に分かれた。
「後にしよう。ここからは弁舌の時間ではなく、銃口の時間だ。銃声以外に意味のある声はない」
「……っ、はい……」
懐中電灯らしい明かりが、近づいてくる。
入り口を挟んだ向こう側で壁を背にした金髪の少女は、明確に緊張状態にあった。アーセナル・コマンド越しではない戦いには、恐れもあるのだろう。
……無理もないと思い、だからこそと思えた。
彼女の言葉を受け入れる訳にはいかない。そうして恐怖できるならば関わるべきでなく――そして恐怖の中でも進めるのならば、きっとその素晴らしい勇気には使いどころが他にあるのだから。
……ああ。
きっとその恐れへの勇気は、他に活かしようがある筈だ。そうであっていい筈だ。アルバイトの面接でも、異性への告白でも、スポーツでの大会でもいい。それだけのものを、彼女は得られていい筈なのだ。
「だが……ありがとう、シンデレラ・グレイマン。君は、俺の――」
言いかけて、その瞬間に人影は現れた。
咄嗟に銃を抜き撃たんとして――
「何してるんだアンタら! こんなところに隠れやがって……! ここはホテルじゃねえんだぞ! これでも倉庫として使ってるんだ! 勝手に入って……通報するぞ!」
「………………うん?」
違った。
おじさんだった。つなぎを着たおじさんだった。
「いや……その、すまない。てっきり誰もいないかと思って――」
「誰もいないところで何をするつもりだったんだ! そんな子供と……あんた一体、歳はいくつだ!」
「いや……」
待って。
違うんだけどな。そうじゃないんだけどな。それはハラスメントじゃないかな。
シンデレラを見る。俯いていた。緊張状態が不意に解かれたせいだろうか? なんか言って? 説明して? 大尉を一人にしないで? 一緒に冤罪と戦って?
「彼女はこれでも十四――いや、十五歳で、」
「子供じゃないか! あんたいい歳の大人なんだろう! 恥ずかしくないのか、そんな子供につけ込んで! こんな場所で……せめてやるにしても別の場所はあるだろう!」
「……………………いや、その」
シンデレラからも何か言ってくれないだろうか。
困った。
このままでは廃墟に少女を連れ込んでいかがわしいことをしていた男になる。おまけに銃も持ってる。未成年者略取拉致監禁脅迫強制性交未遂。はっきり言って事案では? 訴えられるところに訴えられたら普通に負ける奴では?
いや困る。婚約解消したとはいえ、殺し合ったとはいえ、多分メイジーにも怒られる。すごい勢いでロリコンクソ野郎認定される。唾を吐かれる。マーシュからは絶対零度の流し目と共に二度目の平手打ちを喰らい、フェレナンドやエルゼからは「あの人暗いしいつかそういうことすると思ってました」とか言われかねない。誤解だ。ヘンリーからもドブ川ミンミンゼミを見るような目を向けられて、大佐はきっと頭を抱えるだろう。何ならラモーナを誘拐したとか言われかねないし、ラモーナが裸を見せられたとか言ったら終わりだ。前科二犯。誤解だ。
「まさか、ホテル代も節約してるつもりなのか! お前は――お前は、信じられない男だな! 最低の男だ! そこの君、こっちに来なさい! こんな犯罪者と一緒にいちゃいけない!」
「いや、あの……」
確かにシンデレラは魅力的な少女だと思うけど、流石に自分も成年していない彼女に対してよりにもよってこんな場所で信頼に付け込むような品性下劣では――
「大尉!」
そう言いかけたその時。
青褪めていた彼女が、咄嗟にこちらの手を引く。
それと同時に、鮮血が舞った。
少女の身を案じていた男性は、横合いからの銃撃を受けて人形めいて床に崩れ落ちていた。
「――っ」
崩れた男性の身体が痙攣する。
床に血溜まりができて――……駄目だ。明らかに手遅れだ。彼は、側頭部を撃ち抜かれたのだ。即死だ。今はただ、死後の反応で動いているに過ぎない。
彼の首にはカードキーがかけられていた。
つまり、こちらが平然と侵入したところとは別の入り口から入ってきたと言うことだ。そして――……廊下のもう一方から来た残党たちから、襲撃を受けた。
「すまない。……俺が、……」
言葉が出ず――脳が切り替わる。
目の前の入り口を出ると、左右に廊下は伸びている。左側からは男性が、右側からは襲撃者が来た。
つまり、男性が入室したであろうもう一方のルートに関しては比較的安全である算段が高い。そちらからの脱出は可能だということだ。
銃声。懐中電灯が撃ち抜かれる。
廊下を進む足音がする。
「シンデレラ……合図をしたら、俺に構わずに反対へ走れ。こちらで全て惹きつける。……今の君なら、不意を打たれることもないだろう」
「でも――」
「行けと、そう言った。もし君がまだ俺が上官であったことを認めているなら――俺に構わずに、ここを去れ!」
「っ――」
ビクリと背筋を震わせた少女を眺めつつ――手の内の銃鉄色が吠えた。
壁を貫き、その向こうの敵を負傷させる。弾薬は運動エネルギーを失いつつ、その弾頭は内なる火薬を開放して、焼夷弾として降り注ぐ。
対物破壊。それが可能な弾薬を使っている。コンクリートの壁といえ、それは決して盾とはならない。
更に二度、続けざまに撃った。
相手も応射してくるが、コンクリートに阻まれて跳弾するだけだろう。
これで、接近への警告を行えた。おそらくは廊下の曲がり角の辺りまで退避する筈だ――態勢を立て直すために。
先程まで腰掛けていた木箱を蹴り出し、出方を伺う。
銃撃は来ない。
男性の死体から血塗れのカードキーを拾い上げ、彼女へと差し出した。
「また会おう。……先程の言葉は嬉しかった。その時は、君の名を呼ぶ。俺が、君を呼ぶ。君の名を――忘れずに、俺は呼ぶ」
「……っ」
「……今は行くんだ。それが、役割というものだ。俺の大切な少女を、傷付けないでくれ。傷付かないでくれ、シンデレラ。……君を守りたいんだ」
青褪めていた少女が、唇を固く結ぶ。
拳を握り締めて、震えて――……ああ、たった今、目の前で、先程まで話していた人間が肉塊になるのを目の当たりにしたのだ。
そのショックは、甚大だろう。打ちひしがれているだろう。辛いだろう。目の前が真っ暗になるほど、世界が揺るがされる感覚だろう。そんなものを、目の前で味わわせたくなかった。彼女ほどの年齢で、そんな死に触れる必要はなかった。
だから、
「またズルい言い方をして――……わかったっ、わかりましたよ! でも大尉! 約束してください! また会えるって! 会うって!」
「……ああ。善処しよう」
「っ――死なないでください! 絶対に! また会うって! 会えるって! お願いですから!」
ショックを受けたままの少女は、勢いでされたこちらの提案を、飲んだ。
そのことに安堵する。
如何に備えていると言っても、彼女を守り切れるとは自負できない。ここで別れることが――彼女の生存という観点からは、最も優れた選択肢だ。
彼女は、その琥珀色の瞳から涙を流して――……ああ、また彼女が泣いている。美しい娘が、泣いている。
苦しい。何故だか苦しい。とても、胸が苦しい。
ああ――……
「……君を守る。俺は死なない。そう、約束しただろう? 何度でも君の名を呼ぶと……」
「大尉……っ」
「案ずるな……俺は、備えている」
反射的にその涙を拭おうと伸ばしかけてしまっていた手を、止める。その頬に思わず手を沿わせようとしていた己に強い驚愕を懐きながら、内心で首を振る。
それは俺の役割ではない。俺の機能ではない。すべきことは一つ――それしかない。
義務を果たせ――兵士であるということの義務を。
「可能な限り、敵を惹きつける。……銃声がしたら、部屋から出て出口を目指せ」
「大尉……! あの――」
「どうか無事で。……俺に君を、守らせてくれ。生きてくれ、シンデレラ・グレイマン」
「……っ」
そう告げ、常夜灯のみが灯る廊下へと足を踏み出した。
暗い廊下へ。
それは、石の大蛇が大口を開けている風にさえ――見えた。
進む。
目指す先の、廊下の曲がり角。
そこまで血が続いている。他に部屋もない。寂れた、かつては肉屋であっただろうそんな場所。
粉末状のタンパク質ばかりが流通するこの街で、苦心して肉を輸入して、そして市井にそれを届けていたそんな場所。
あの男性は、そこの主だった。
かつての仕事がなくなり、しかしそれでもこの場所を何かに活かそうとして、生きている男性だった。
己の私有地に侵入した不審な男にも言葉で道理を解き、少女を気遣い、正しき価値観の下に振る舞おうとしていた男性だった。
それが――死んだ。
先程まで生きていた男性は、明日も生きる筈だった男性は、糸を切られた操り人形のように廊下に倒れて血を零した。
あっけなく、命を奪われた。
答えてくれ――彼が一体、何をした?
「……奪うな」
一歩。
寂寥と――……沈降する。製錬する。研磨する。
「彼らから……彼女らから、これ以上を奪うな」
言葉と共に。
内容とは裏腹に。
己は、一つの機能に目掛けて収束していく。
「……いくつの夢が失われた? いくつの命が踏み躙られた? いくつの、ある筈だった幸福を奪った?」
進む。
敵の姿は見えない。
銃が重い。人の命を奪う重さが、重い。
だが進む。
問いかける。石造りの大蛇の口へ、虚へと問いかける。
「何故奪う? 何故続ける? いつまで壊す? いくつ壊す? どうしてお前たちは――……お前たちは、ただそこにあるだけの命を踏み躙る? その幸福を踏み躙る? 彼らの未来を奪い去る?」
己は答えを選ばない。
己に選ぶ答えはない。
求める答えはない。答えを求めない。
ただ問う。決まりきった問いを。答えを求めぬ質問を。
「楽しいか? 面白いか? こんなものを喜ぶか? 望むか? 欲するか? ……それがお前たちの在り方か? お前たちは、己をそう定義するのか?」
己は質問であり、回答だ。
ただ一つの手段であり、結論だ。
それに変わる。そう沈む。
己を、どこかに沈めていく。
「これ以上、奪うな。……俺も、お前も、誰も彼も――ただそこにあるだけの命を、奪うな。その夢を、願いを、命を奪うな」
今無情に命を奪われた男性は、どのような生活をしていただろうか。
彼は、何を食べてここに来たのだろうか。それとも厄介事を終わらせてから食事を取るつもりだったのだろうか。
何を好んでいたのだろうか。きっと彼にも好みの食べ物があって、落ち着く場所があって、何か楽しみがあって、ああ、その人生があって――――それを奪われた。
何故、お前たちは奪う?
彼は今日人生が終わるとは思っていなかった筈だ。
どんな生活があるにしろ、きっと明日も続くと思っていた筈だ。楽しかろうが辛かろうが、漠然と明日があると思っていた筈だ。
何故それを奪い取れる?
何故お前たちは踏みにじられる?
同じ人間だろうに――お前たちも同じだろうに。
きっとお前たちにも友はいて、家族はいて、或いはそれがなくとも何か待ち望む楽しみがあって、喜びがあって、そうでなくとも何かしらは得られたものがあって、或いは何かささやかな幸福があって――……きっとそんなものがあって。
何故、それを消す?
何故、彼らのそれを消す?
何故、お前たちのそれを消す?
どうして捨てる?
何故奪う? どうして壊す?
ただ悲しい。ただ寂しい。ぐちゃぐちゃに怒りと悲しみが混じり合って、ただ悲しい。
生きて――生きているだろうに。生きていただろうに。お前たちも、彼らも、彼女らも――生きていただろうに。
「これが最終通告だ。こちらも白兵戦は得手ではないため、対面後の警告は不可能となる。……武器を捨てろ。投降し、法に従え。この警告に従わない場合、心身の無事は保証しない。警告に従うなら、その命は保証する」
曲がり角へと、そう告げた。
返答は――手榴弾か何かを投じようとした腕であり、こちらはそれを反射的に撃ち抜いていた。
悲鳴が上がる。
人体が壊れる音がする。
「そうか。……もういい。判った。もういい。それがお前の論理と判った。ならば、もういい」
その音も、己には響かない。
内なる獣の唸り声も笑い声も遠ざかる。
ただ、ハンス・グリム・グッドフェローという機能になる。
「望み通りに死ぬといい。お前の掲げた論理のままに。お前の言祝ぐ定理の通りに――……ここで、無価値に、ただ死ね」
戦闘を前に己が切り替わる。
沈降し、精錬される。一振りの刃として、その鏡面めいた刀身のように精神が静謐を保つ。
故に、
「望み通りに――――殲滅する」
カキンと、産声を上げる銃の撃鉄。
火花が、怪物が、咆哮を上げた。
◇ ◆ ◇
漂う硝煙の気配。
手首に巻いたデバイスが、通信を知らせていた。
『念の為っスけど……援軍が必要とか、っスか? ただ言っとくけど、こっちにもあんまり準備ってのは――』
「……こちらは問題ない。すぐさまに合流可能だ」
『あ、そうっスか……』
頬に貼り付いた人の皮を投げる。
辺り一面には、人だったものやそのパーツが転がっていた。
頭部を喰い千切られたように失って、腹から大規模に破裂して、首が折れ曲がり頭が肩にめり込んで、肩口から腕を引きちぎられて、手足を風車のように投げ出して、吹き飛んでいる。
醜悪な人形遊びそのものだ。
巨人の幼児が人体をままごとに使ったらこうもなるだろう。到底、人の死に方と呼んでいいものではなかった。無論ながら、死と苦痛は等しく忌わしく避けられるべきであろうが。
その血溜まりの中で、呼吸するものがもう一つ。
銃口を向けた先――……へたりこんで首を振る一人の敵青年。
「保護を求めるなら、駐留地に出頭しろ。……赤子に警戒をする者などこの世にはいない。その門戸も容易く開かれよう。人目を気にせず泣くことと、漏らすこと。要件は十二分に満たしている」
ブーツで拳銃を蹴り飛ばして、武装を解除する。
警戒には値しないが、見逃す理由もない。ただし、逮捕権はない。そして緊急性から、これ以上構っている時間もない。
銃を下ろして、首で促す。へたりこんだ青年が、血溜まりを這うように転がり進んでいった。
腰砕け。
銃弾を撃ち込まれて、破裂する仲間の死体を見るのは初めてだったのか。手足を失って絶叫する味方や、着弾箇所から破裂した風船のように飛び散る内臓や、その内容物が降りかかることに耐えきれなかったらしい。
……そんな覚悟で他者を害するなどいい気なものだと思うが、まあ、そこは相手の自由だろう。咎める気はない。既に十分な対価は支払ったと言える。
嘆息する。
あまりにも多い。多かった。死の苦痛を他者に与えながら、己のその時には泣き叫ぶ者。無理もないとは思うが、些かうんざりするというのが本音だ。
そして――……
「無価値な死だ。……いや、そも、死とは無価値だ」
そんな兵士が飛び散った仲間の死体を這ううちに憤りを取り戻して、再び銃を向けてくるというのもうんざりするほど味わった。
背を向け去っていたはずのその青年が拳銃を掲げるその前に、胸を撃ち抜く。張った水面を思い切り殴りつけたように、その背面から血飛沫と内臓と骨片が床や壁に跳ね飛んだ。
跪いたように、身体の上を折って垂れ下がる死骸。
辺りを見回せば、さながら壁に磔にされたように人の皮と肉が残っている。スプラッター映画じみていて、判っていてもどうにも気分が悪い。
『なんなんスかそれ……まさか、銃声なんスか……それ』
「問題ない。……用事は済んだ。殲滅は完了した」
『……流石っスね。
「俺は非才だ。化け物ではない。いや――……」
通信を切り、銃を下ろす。
あたりにはアルコールじみてむせ返るほど、血の匂いが漂っていた。
この有り様では、化け物と呼ばれても否定できないだろう。気が弱い者ならば卒倒しても不思議ではない光景だ。
だからこそ、シンデレラを遠ざけたと言っていい。
ただださえストレス反応のある彼女に、このような光景を見せるのは人道的な見地から避けられるべきであろう。
(まだ、彼女と再会の機会はある……いずれどこかで……そう判断したが……)
彼女の手を離さずに、そのまま確保や保護を行うべきだっただろうか?
それは確かに思った。彼女があのような憔悴をするような組織など、到底まともなものだとは思えない。マクシミリアンを信じたい気持ちもあるが――……やはり正規軍ではない反政府組織だ。戦力も不十分故に、シンデレラが度重なる出撃をさせられている懸念は十分にある。
彼女は特に、いずれより強く――こちらなどを超えるほどに強くなる。ならば、その負担をかけられていることは強く想定されうる。
そんな場所にこれ以上、彼女の身を置くことへは懸念しかなかった。叶うなら、今すぐにでも追い付いて引き戻したいと思える。否、そうすべきではないのか?
(……しかし、今の任務のままに彼女を保護してもその身柄については――……。根回しなどは、十分に行っておくべきだろう。そうでなくては、こちらに引き戻すことなどできない。……その始まりからして、彼女はただ巻き込まれただけなのだ。反政府組織の活動と、軍部の政治――その果てに、俺を信じて投降したところで……)
拳を強く握る。
あのように優しさから立ち上がった少女がそんな末路を迎えるなど、断じて肯んぜられない。
己のキャリア全てをかけてでも、なんとしても彼女の減刑に尽力する。キャリアなど――……それはいつか必要になる日のために積み重ねていたに過ぎない。それがここになったところで、望むところだと言う他なかった。
(だが、任務において私情を交えてなどいない。そう断言できる。ここで彼女を見逃したのは、やむを得ない必然性からだ――)
こちらもアーク・フォートレスの破壊任務に従事しており優先度が高く、更に今こちらに確保した彼女を受け入れる下地がなく、そして彼女及び【
逼迫した緊急性と必然性。
軍人としての責務への違反ではない、合理性。
ただ、それだけだ。
……それだけだろう。それだけのはずだ。
何故、彼女と別れることになったのか。己がそれを選択したのか――それは全て、理屈が付くことであろう。
そう納得しようとしても、付き纏う己の中の違和感。
ふと、己の髪から滴った血液が鼻に零れ、
「……まさか、君に見られたくなかったのか? ……こんな俺を? ……まさか、俺が――……?」
咽返るほどの血溜まりと、肉片に塗れた己。
怪物としか呼べない惨状を起こす己。
血の匂いの中に、硝煙の――炎の匂いが混じっている気がして、
(……そんな感傷など、俺はとうに捨てた筈だ。否、捨てられるように備えている筈だ。……そうだ。ただ合理性と必要性の下に、規範の下に動いている。そうでなくてはならない)
首を振る。
感傷など、不要だ。不要としている。
ならばどうして自分はあの少女に触れようとし――そして、諦めたのだろうか。
首を振る。
何にせよ、本案件に関してはシンデレラの保護や逮捕をしている暇がない。
交戦規定から、優先度は定まっている。
……速やかにオーウェンと合流すべきだろう。己には、任務があるのだから。
◇ ◆ ◇
星歴225年、1月 火星自治権獲得運動団体、蜂起
“ブラインドミラー事件”、発生
同225年、3月 星歌教会“ミス・ヒム”、武装蜂起
エルダー・アステリア騎士団、結成
同225年、6月
変異寄生虫“ペイルブラッド”によるパンデミック事案
星歴226年、7月
同226年、12月
星歴227年、1月 企業支配体制、確立
国家支配体制、解体
◇ ◆ ◇
星歴229年、2月
"ディープ・セイント"事件、発生
アビス・ウォッチャーズ内紛、発生
星歴229年、7月 企業共同運営財団機構"セラフ"、
管理下組織"アークス"を発足。
軍事力の制限及び管理を開始。
星歴236年 “ミニッツ・フォール・ミニッツ”事件、発生
“
星歴237年 娼婦傭兵団キラー・クイーン、解体
エルダー・アステリア騎士団、解体
星歴241年 火星王家セレナ・カルトナージュ王女、公開処刑
同ガーネット王女、暴徒により殺害
同王家、民衆により私刑及び処刑
思想団体“ガイ・オブ・サープラス”による建国宣言
星歴242年 “鋼線茶会事件”発生
企業支配体制、終焉
◇ ◆ ◇
星歴252年 技術研究所付属学院、
王立先史研究所大学、
カルーセル私学園
などによる学閥支配体制の確立
崩壊した国家支配、企業支配に変わる知識と技術における統治時代
星歴265年 カルーセル私学園内にて講堂占拠事件発生
星歴266年 三学院により、共同学修院の設立
星歴268年 技術研究所付属学院、
王立先史研究所大学、
カルーセル私学園
などによる大規模武力衝突発生
学閥支配体制、崩壊
◇ ◆ ◇
歩く。
歩く。
進んでいく。
歩まぬ理由には、ならない。
止まる理由には、ならない。
己を締め上げろ。
打ち叩き、磨き上げろ。研ぎ上げろ。
あらゆる規律への服従は、挫けそうになる己を奮い立たせるためであり――あらゆる艱難たる苦難は、己という刃を純化させるためである。
法に従え。根付かせろ。――それが世から消え失せようとも歩めるように。
怒りを想え。受け入れろ。――決して妥協せぬために。
感傷を無くせ。切り離せ。――為すべきことを誤らぬために。
そんなものを認めたくないと感情で想うから――故にこそ、己に必要なのは理性だけだ。
この身は一つの剣だ。
ただ、一振りの剣であれ。
怒りの焔によって己を鍛鉄し、
悲しみの水によって己を固着し、
ただ祈りの言葉に応じるだけの刃と変えろ。
ただ一振りの剣へ――――ただ一振りの暴力へ。
進め。
果ての空の、その先へ。
祈りは不要だ。――お前が一つの、祈りとなれ。
磨き続けろ。
お前という、機能性を。
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