第88話 超越たる踏破者の一、或いは死と嵐の主


 ジョン・ヘムズワース。


 元、宙間レーサー。三十四歳。


 戦時撃墜数――アーセナル・コマンドにして三十二機、モッド・トルーパーにして二十六機の合計撃墜数:五十八機のだ。

 撃墜数ランクは、アーセナル・コマンドを少なくとも五機は撃破した上で資格を得て、それ以後については双方を撃墜した数を纏めてカウントされている。

 つまり――仮にランクの上で同値であっても、撃破経歴の実態は異なる。

 同率十三位であるアイク・“スクリーム”・クリームは、アーセナル・コマンドにして十三機、モッド・トルーパーにして四十五機という記録であった。


 例えば海上遊弋都市フロートから撃墜数ランクに数えられたキリエ・“エレイソン”・クロスロードなどは、ランク十六位ながら撃墜記録の四十八機全てがアーセナル・コマンドにて作り上げたであることを考えれば、順位が即ちその実力を表したものではないと知れるだろう。

 そも、アーセナル・コマンドは並大抵には撃墜されない兵器である。それを共同撃破ではなく単身で五機葬れているならば、立派にエースと名乗れる実力を有することを意味している。


 その点で言うなら、ジョン・ヘムズワースは唯一無二の男だ。

 他の誰一人としてモッド・トルーパーで撃墜数ランク二十位以内に名を連ねるものはいない――その偉業。決して容易いなどとは呼べぬ人類の中の上位者であった。

 そんな男は、衛星軌道都市サテライトの降伏に従わずに離反した残党軍に名を連ねていた。

 その理由も、


(……ま、戦友ほっぽって一人帰るのもな)


 周囲の残党兵の熱や執着と裏腹に、その程度の意識しかない。

 保護高地都市ハイランドからの移民。父母の事業の失敗と、土地の相続税を収められないことによって追い出される形も同然で衛星軌道都市サテライトに移り住んだ。

 そんな経歴故に、戦時中、アーセナル・コマンドを回されずにモッド・トルーパーを用いるしかなかった。

 何故あんな記録を立てたか問われたら、彼はこう返すだろう。あるならアーセナル・コマンドを使っていただろうよ――と。


 彼がかつて所属した部隊は、そんな帰化出身者ばかり集めた部隊であった。

 新しい祖国への忠誠心を示させるための踏み絵だったのか、それとも帰化出身者という今まさに争う敵国に暮らしていた者に対する市民や軍人などからの溜飲を下げさせるための部隊であったのか……どちらかは定かではない。

 ただ、彼は戦った。戦って生き残った。それは確かだ。

 そして今日もそうするだろう――彼もその僚機も、そう思っていた。


(守備隊は蹴散らした……お嬢もこれで脱出しやすくなったろう。……なんでアレと争うことになってるのかだけは、良くわからんところだね)


 一時的に【蜂の女王ビーシーズ】から離脱したウィルへルミナ・テーラーから入った通信。現地で悪逆を為していた【フィッチャーの鳥】への心ある反逆者。

 それを聞いた艦の長であるアンドレアス・シューメイカー大佐が、彼こそがまさに衛星軌道都市サテライトの消えぬ灯火の現れだ――と口にしたためにその救援も、という運びになったが……何たることか当の本人がそれを拒絶した。それも、明らかに弓引く形で。

 その在り方は、はっきり言って狂人ではないだろうかとすら思えた。それだけのことをやらかしたのに反抗勢力組織への合流を行わないとは、単身で社会に喧嘩を売るつもりなのだろうか。向こう見ずもそこまで来るとむしろ畏怖さえ覚える気がした。


(……ま、うちのボスも現実見えてねえからな。志あってのことじゃないんだろう。予定外に不満が噴出したってところか――)


 そういう意気がいいヤツは、戦時中もいた。そして残らなかった。

 そんな手合いかと思いつつ――目の前の戦場に意識を戻し、僅かにヘムズワースは目を見開いた。


(……動きが、マシになってる?)


 容易く屠れるはずの、練度不足の新兵。

 そう思っていた相手のコマンド・レイヴンは十分な距離を取りつつ、旋回しながらアサルトライフルでの牽制射を主体にし始めた。

 撃破を前提としない時間稼ぎのような戦い方。しかし、重火力重装甲モッド・トルーパーの機体回旋という弱点を付くような無視できない機動。


 そうなると、厄介であるのは確かだ。

 モッド・トルーパーという機体でアーセナル・コマンドと戦わねばならない関係上、ヘムズワースの機体はあまり電力を消費しない実体弾を主体に兵装を構成している。

 まさしく火薬庫そのものと言えるまでの重火力であるが、弾数には制約を受ける。無論ながらその安定性故に予備の弾薬や兵装も豊富なものの、そのまま粘られて援軍を呼ばれた上でそれを倒せるかと問われれば、また別の問題だ。そして、重武装故に離脱速度は早くない。


「不味いな。アーノルドがそうさせたのか、粘りにくるつもりみたいだ。……援軍待ちか?」

「お前なら何とかしようがあるんじゃねえのか、ジョン」

「あるが……巻き込みかねんからな、居住区ボウルを」


 決して盾にする意図はないだろうが、位置関係上、回避に集中されるとヘムズワースが放つ攻撃のその流れ弾は砂時計型の居住区ボウルへと直撃する軌道となってしまう。

 地上のようにエネルギーの減衰がない真空。そして、頭抜けた大口径の主砲。一方的に敵へと強襲を仕掛けるという機体構成アセンブリが災いしていた。

 しかし――


「距離を開けるってのは、悪手だ」


 距離が離れるということは、ヘムズワースから見たコマンド・レイヴンの見かけ上の移動距離も少なくなるということ。

 より少ない旋回角で、応対ができる。

 上体に武器を多く積載したその重量故に旋回速度が優れぬ重量級モッド・トルーパー【ジョン・ドゥ】の弱点はまさにその旋回であるが、距離を開けばそんな弱点というのは塗り潰される。

 そして――もう一つ。

 砂虫めいた【ジョン・ドゥ】の右腕が動き、薙ぎ払うかの如きガトリング砲の掃射が――飛び石じみて粉塵を巻き上げつつ、バトルブーストという回避を持たぬアーノルドのアーモリー・トルーパーへと喰らいかかる。


 戦闘武装ではないアーモリー・トルーパーの機動など、たかが知れたもの。それこそ重武装モッド・トルーパーと比べても、優位に立てるとは言い難い程度の差にしかなれない。

 当然そうなれば、アーセナル・コマンドはその力場にて庇いにかかるしかない。

 この重火力の砲台を前に――釣瓶打ちの如き未来を迎えるとしても。

 大きく弧を描くような機動のまま、咄嗟に割り込むコマンド・レイヴン。機動のための力場を防御に回したのか、ガトリングガンの猛打を前に耐え続けているが、それでもヘムズワースは特に驚嘆を抱かなかった。


「それも悪手だ。……規格の違う兵器で組もうとしたら、そうなる。どっちも活かしきれない」


 細かな火器で力場を削り、機動力を奪い――そして足を止めたら最後、大口径の運動エネルギー砲にて撃ち抜く。

 それで終わりだ。

 僅かな振動と共に、展開した肩部二門の主砲が二機を纏めて照準する。そのまま一斉に飲み込まんと――瞬間、履帯から上がる粉塵。


「ッ――ヤツか!?」


 立て続けた二丁拳銃の掃射に足場を撃ち抜かれた。

 砲の反動に踏ん張ることができない。放たれる弾丸が砲身を飛び出すよりも先んじて襲いかかる撃発の衝撃が、ヘムズワースの機体を、その砲身を揺るがした。必殺の砲撃が、明後日目掛けて飛んでいく。

 そも、重力の少ない月面では機体の重さというのは反動に対しての有効度が微々たるものになってしまうが、それでも踏ん張りというのは肝要である。

 それを乱された。完全なタイミングで。

 武装したアーモリー・トルーパーの力などたかが知れている――そう判断した。力場を貫くこともできなければ、何の妨害にもなれない。捨ておいてもいい。

 それに誤りはなかった。だが、二丁拳銃の【ハンプティ・ダンプティ】は巧みに――実に巧みに、友軍のアーセナル・コマンドが放って力場に逸らされた弾丸が大地に付けた傷を利用したのだ。


「手練か……? そっちは俺が抑える。もう協力の目はねえ……撃墜するぞ、ここで」

「待て、アーノルドがいる。レールガンを拾った。そっちが要警戒対象だ」


 前方にコマンド・レイヴンとアーノルド・アゲット。後方に【ハンプティ・ダンプティ】。挟撃、というのは特に鈍重なタンク型のモッド・トルーパーにおいては避けるべき場面だ。

 しかし、相手はたかがアーモリー・トルーパー。

 脚部を畳んで履帯として運用するが故に、胴部が発する力場にて機体を覆い尽くせるヘムズワースの機体にとっては、何ら歯牙にもかけるに値しない相手なのだ。

 だが、それが――そんな捨ておいてもいいはずの対象が、立派な一戦力として機能している。

 いや、

 僅かな違和感。


(アーノルドが指揮をとったのか……? それなら、あり得ない話ではないが――)


 それでも、ジョン・ヘムズワースは警戒対象をアーノルドに設定した。

 あくまでも現実的に脅威である兵装を有するのは、コマンド・レイヴンと【ドルディ・ドルダム】である。

 武装脅威度故に優先度は低く、そして、その磨かれた射撃の腕から容易く撃墜できぬ可能性のある駒というのは、相手をすることが厄介なだけの存在。

 そして、新兵同然の学徒兵を連れて撤退を完遂させたアーノルド・アゲットの実績を鑑みれば、この指揮の肝要はアーノルド・アゲットである――と。


 一体誰が想定するだろうか。

 逃亡していた未確認機が、己目掛けて放たれた追手相手に現場の指揮を奪っていると。

 そんな判断力を持つ正規軍人が、友軍相手から追撃を受けていると。

 アーノルド・アゲットという“二つ名持ちネームド”を差し置いて、そんな存在がそこにいると。

 それほどまでの相手が、この場で最も劣る兵装を利用して死の間際にいるなどと。


 全ては、彼らの尋常なる予測の外にいた。

 結果として――それは、実に狡猾極まりない罠の如く機能する。黒衣の七人ブラックパレードという恐るべき暴力が、機能する。

 死が、機能する。


 そして、


「――全機掌握。殲滅を開始する」


 その言葉と共に、黒死なる大鴉の狩りは開始された。



 ◇ ◆ ◇



 少なくとも、ジョン・ヘムズワースに失着はなかったと言っていい。


 アーモリー・トルーパーにて、アーセナル・コマンドの撃破は叶わない。それは常識であり、厳然とした定理だ。

 しかしこの世には、そんな定理を塗り替える者がいる。

 例えば、メイジー・ブランシェット。

 遠からず敗北に向かうはずだったであろう保護高地都市ハイランドの戦況を塗り替え、勝利の立役者となった少女――。


 例えば、マーガレット・ワイズマン。

 放たれてしまう筈だった天からの流星を食い止め、満身創痍のままにアーク・フォートレスを撃破した高貴なる令嬢にして輝ける騎士の星。


 例えば、シンデレラ・グレイマン。

 冥府の定理たる死を齎す騎士ナイトによる詰みチェックを免れて、己が肉体の滅びすらも踏み越えた焔を受け継ぎし不死なる灰の姫。


 そこに――その領域に、己が理性と信念だけで、指をかけようとする狩人がいたならば?


「――……何ッ!?」


 ヘムズワースの驚愕。

 降り注ぐ猛烈な火力。突如として無数に生じた弾幕。流星群めいたレールガンとアサルトライフルによる鮮烈なる応射。

 まさしくそれは中隊規模であり、さしものヘムズワースの機体とてその反動と手数に躊躇するほどの銃撃。


 それを行われた――驚くべきことに、撃墜した筈の、地に落ちた機体たちから。

 一体誰が想像する?

 死者は還らない。力にはならない。物言わぬ躯になり、転がるだけだ。動くはずがない。


 だが――数多に躯めいて転がったコマンド・レイヴンたちの中から、かろうじて腕と胴が残った機体たちが砲撃を放っていた。


 死者の軍勢か。

 死と嵐の王の降臨か。

 月の荒野に身を伏せた物言わぬ鉄の残骸たちが、さながら己の王の戴冠を目の当たりにするように頭を垂れたまま――その身の武装で襲いかかってくるなどとは。

 何たる常軌を逸した恐怖体験にして、機械的な伝承風景か。


「どうなってんだ、ジョン!?」

「オレにも判らん――……いや……」


 力場によって強制的に上げられた銃口バレルと、力場によって引き絞られた引金トリガー

 何が、ドールマスターか。

 これこそが真実、操り人形同然に主を失った鋼の人型を操作している人形遣いではないか。

 天を裂き、地を砕く強烈な弾幕。大地が弾け飛び、粉塵が飛び散る。光線じみた弾丸の雨が、つまりは嵐が、暗黒の下の真空なる宇宙に顕現していた。


 ああ――……凱歌エールが聞こえる。鎮魂歌レクイエムが鳴り響く。それは賛美歌ヒムとなり、唯一無二の行進歌マーチとなる。

 王が、嵐の王が来る。

 鴉を従え、厳格なる一つ目の王が到来する。


「管理AIにも、多少の力場の操作権は与えられている。そも彼らは、駆動者リンカーの攻撃動作を助けるものだ」

「何が……!」

駆動者リンカーの生存情報を欺瞞した。接続先の駆動者リンカーが生存していれば、彼らは、機体に関する補助権限を保有することになる」


 その現象には――ヘムズワースも聞き覚えがあった。

 大戦中、最も衛星軌道都市サテライトを苦しめた赤の女王。

 死したる兵を従え、あらゆる電脳網を撹乱し、その個人をして衛星軌道都市サテライトの通信を介した無人兵器の全てを使用不可能と判断させた少女。

 本来、国民を地の星へと下ろす必要なく地上を刈り取ろうと用意していた無人殺傷兵器の数々を、その工場と部門ごと纏めて物理的に破棄させるに至った超常なる電子の申し子、電脳魔導師ニューロマンシー――……。


「リーゼ・バーウッドか……!?」

「あれほど得手ではない。子供騙しに等しい……友軍の通信を介して、脊椎接続アーセナルリンクの接続判定をこちらに集約した。それだけだ」

「な……!?」


 つまり、単に、今そこの全機と接続したということ。

 容易く口にしたその情報であるが、それは、あまりにも異常すぎる自体だ。

 確かに子供騙しだろう。何故、未だに無人機を有さずに有人機にて戦闘を行っているかといえば――その操作にかかる情報量を、到底無線での通信では満足な速度で運用するに至れないからだ。故に人々は機械化された脊椎延長ケーブルで以って、機体と直接接続している。

 だが、それが、駆動者リンカーの生存情報ということに限るならば――話は別だ。あとの操作は、AIに委託するだけなのだから。そして、それでも行える操作など本来ならまともな戦闘にすらならない程度に過ぎない。鈍重なるモッド・トルーパー相手であるからこそ――ここまで意味を引き出せただけだ。


 しかし、


「そんなこと……接続酔いリンカードランクになるだけだろうよ……!」


 狂っている。


 元来それは、起動中に意識喪失した友軍を咄嗟に救助するためや、練習機において教官が新兵の見逃せない危険を助けるために与えられただけの補助的な機能。

 その原理的に、リーゼ・バーウッドのように電子技術にでも長じていない限り、機体との接続は双方向的なものとなる。即ち、己の仮の肉体であるアーセナル・コマンドの損壊状態や制御状態についての情報も与えられる。

 それを、この機体の数。

 そんなもの、情報の嵐と呼んでもいい。何故誰も戦闘中にその戦法を行わないかと言われれば、とても一人の人間に耐えられるものではないからだ。

 それは如何なる情報を齎されたとしても、完全に己の肉体の状態だけを――それのみを部品の如く客観視して把握する能力がなければ、為し得ない。

 ボディ・コントロールと呼ばれる肉体の状態を正確に把握して認識する能力が必要不可欠。それは幼少期から先天的に天才的な素質を持つか、それとも血の滲む鍛錬の果てに一部の武芸者や競技者が至る境地である。


 いや、それでも足りない。


 情報の氾濫や酩酊の中でも確立される絶対的な個。

 嵐の中心に立ち続ける王。己を把握し続け、惑わず、究極的に他者との接続を拒絶する理性。

 そんなもの――人間の極点だと、そう呼ぶしかない。


「――――」


 幻視する。

 己たちの背後に位置する、そこにある鬼火を幻視する。青く輝き、彷徨える、沼地の鬼火を幻視する。

 そんな鬼火を篝火とした、死出の絨毯を歩く骸の王を幻視する。

 かつて宙間人機レースにて大規模な接触事故があったときに、それが眼前で発生したときに、目の当たりにしたときに――その感覚を味わった。


 それは、常に人と共にあるもの。


 背後に付き纏い、囁き、その指先を伸ばすもの。

 呼吸を押し潰し、聴覚を抑え込み、手足の血の気を奪い、視界を揺らがせ、重圧を与え続けるもの。

 その――


「まさか、お前は――……」


 ああ――それは一人だ。

 ただ一人だけだ。

 あとにも先にも、理性という言葉で謳われる駆動者リンカーは――……あらゆる状況を利用し、あらゆる状態から敵を殺害する唯一つの社会的な殺戮機構。

 開戦から終戦まで常に激戦の中を戦い続け、味方も敵も無数に殺したと言われる殺傷の獣。天性の狩人。連盟旗の守護者。首輪付きの魔剣。

 ときの衛星軌道都市サテライト海上遊弋都市フロートの指導者をして、あのメイジー・ブランシェットを差し置いて「人民の天敵」と言わしめた究極の個。


「まさか、追われてたってお前は……」


 それは、死者の軍勢を率いる黒き王にして黒衣の軍団ブラックパレード

 彼が、黒衣の七人ブラックパレードの一兵なのではない。

 燃え落ちる都市の中で無数の命を背に立ち上がったその男こそが、その歩みこそが、黒衣の七人ブラックパレードのその設立の切っ掛けとなったのだ。

 即ち――――ただ一にして、終焉まで進み続ける軍勢パレード



 ああ――……凱歌エールが聞こえる。鎮魂歌レクイエムが鳴り響く。それは賛美歌ヒムとなり、唯一無二の行進歌マーチとなる。



 謳え、謳え、謳うがいい。


 それは語られし星の極点。

 人の極みにして、兵の高み。

 最古の伝承にして、最新の神話。

 其は不滅なる者。途絶えぬ者。搔き消せぬ者。絶えず付き纏い、絶えず其処に在るもの。


 呼び声がする。静かに、虚ろに、遠く、呼び声がする。


 既に死者は、かの主へと忠誠を誓った。

 諸手に槍の如き銃を携え、その玉座への道を作る。彼らが橋となり、社となる。銃声を鳴らす軍楽隊の歓待に、その宮殿の扉は開かれる。

 王の帰還だ。

 頭を垂れ、平伏せよ。

 それは戦で死したる全ての死者の辿り着く兵の館の主にして、世を見通す玉座に座すもの。


 嵐と死霊狩人ワイルドハントの主。

 鴉を従え、ただ理性で世を見据える戦勝の王。

 厳格なる一つ目のグリム。


 人類の絶対的な上位者、究極なる九人の踏破者。

 撃墜数ランク第九位。

 その撃墜数――――実に五百八機と十一隻。

 単騎にして保護高地都市ハイランドの二個師団に相当する戦果を――それ以上の戦果を発揮した対一〇〇〇〇機テンサウザンド・オーバー。個人で核兵器を超える殺傷数を発揮した百万人殺害者ビッグ・スローター


 即ち、


「……っ、ハンス・グリム・グッド――」

「俺は死だ。死を忘れるなメメント・モリ


 断絶を表す剣の如き冴えた声色。

 ああ、それならば頷けた。その男を縛る首輪は連盟旗以外あり得ない。形而上学的な兵士の似姿を前に、それを味方に引き入れようとしたのは誤りだろう。あらゆる甘言や利益や色仕掛を受けてなお、その男は微塵も揺るがなかったのだから。

 死そのものが形となったような重圧。


(星一つの重力のような、圧迫感――……)


 あの大戦を経たものなら、知るはずだ。恐れるはずだ。

 その男が引き連れる、深海の圧迫に等しいほどの死者の群れを。その嵐を。怨嗟と憤怒の歌声響く暴風の中、それでも揺るがずに灯り続ける聖エルモの火を。

 息が詰まる。

 それと相対することに、本能が警告を発していた。かつてレース競技者として死の危険と隣合わせだったヘムズワースだからこそ、分かる。触れてはならぬものだ。関わってはならぬものだ。鬼火めいて揺らめくその歩みを前には道を譲らなくてはならないものだ。


 鋼の死者たちが雄叫びを上げる。その腕の武器を掲げ、歓喜を叫ぶ。

 王よ――王よ、我らを看取り、我らを引き連れる死の王よ! 我らの祈りに応えし王よ! 鉄と硫黄と炎の血を巡らせる、魔剣の王よ! ああ、大いなる狩人にしてその主よ! 彼方の空より来たりし者よ! 降臨者よ!


 狂騒のマズルフラッシュ。狂気の放電スパーク。

 何ら無秩序に、しかしそれが一つの秩序の如く、混沌なる軍勢の矢雨の如く放たれる弾丸、弾丸、弾丸――……。


 隣にいるはずの僚機も、既に、言葉を発しなかった。

 あの大戦を戦い抜いた上で生き残った者ならば、こうなる。その存在が如何に圧倒的であるのか、隔絶的であるのか、歴戦の兵こそ圧迫を感じ口を噤む。意識を喪失してすら逃げ出したいと願うほど、全身の毛穴が恐怖を叫ぶ。

 何故、容易い仕事だと思っていた今回の出撃で――こんな一つの蠢く概念的な死の如き、生ける怪物に出逢わなければならないのか。

 ただ一人が、一つの戦場の似姿。一つの鉄火。戦火燻ぶる世界の集約。その身一つが、戦場という概念の結界とも呼べるであろう頂上存在。それこそが黒衣の七人ブラックパレード

 だが――だとしても。


(だったら――今このときが、おたくを殺す好機だ)


 そうだとしても、今目の前で起きている現象はただの弾幕にしか過ぎない。

 それは動く機体を的確に狙うこともできず、有意な射撃にはなり得ない。ただの目晦ましの域を出ない。

 そんなもの、生きていようと死んでいようと変わらぬこと。ジョン・ヘムズワースと、そのモッド・トルーパー【ジョン・ドゥ】にとってはそよ風にも等しい嵐だ。

 故に彼は、機首を翻そうとし――


「これだけの瓦礫を前に、力場を維持できるか?」


 その言葉を前に、沈黙する。

 有意ではない射撃。出鱈目に打ち続けられる砲撃。

 それは打ち砕いた。大地を、打ち砕いた。

 つまり――舞う。舞い散る。数多の破片が飛ぶ。を、礫の嵐が埋め尽くす。


 そうだ。

 子供騙しと、彼は言った。こんなものは、児戯に等しいのだ。

 彼のその能力は唯一――如何なる状況からでも敵機を殺害するという、その一点。

 つまりは、刃。

 万物に曇ることなく、毀れることなく、欠けることのない究極的な殺傷性――その真価は、直接戦闘こそにある。


「ッ、逃げろ――」


 叫ぶヘムズワースだが、遅い。

 既に数多飛び散った瓦礫と砂礫は、バトルブーストを制限する。ただ移動するだけで弾丸めいて接触するそれらを前には、如何なる力場も維持できない。

 アーノルドのアーモリー・トルーパーから放たれた極超音速の弾丸を、友軍の人狼が回避すると同時――その力場は完全に喪失した。

 それはつまり、


「こういう使い方も、できる」


 二丁拳銃で銃撃を加え、宙に瓦礫の浮島を作ったハンス・グリム・グッドフェロー。

 筋肉質の宇宙飛行士が、【ハンプティ・ダンプティ】が稼働する。その脚部のパイルが射出され、次々に足場を蹴り付け――稲妻めいて空中を疾駆する。

 抜き放たれた斧剣。

 即ちは、


「飛び降りろ。……死にたいなら、構わんが」


 勝利宣言。そして降伏勧告。

 僅かに取り戻された力場でかろうじて耐えるヘムズワースの友軍機へ、そのコックピット目掛けて斧剣が押し込まれていく。

 無惨に、物言わぬ肉塊に変えられる。

 死者の王に、その宮殿に連れ去られる。

 そんな未来を幻視し――……ただ、機体を捨てて逃げろと呼びかける他なかった。



 ◇ ◆ ◇



 同時接続の酔いは凄まじい。

 頭を殴りつけられた――などという形容はおとなしすぎる。最悪の酩酊状態を、数倍にしたようなものだ。世界が遠ざかって回る。強烈な脳震盪も同然だ。

 中枢神経刺激薬や自白剤などを投与した状態での操縦経験を培っていたことに安堵する。そうでなければ、歯を喰い縛って耐えることも難しかっただろう。


 こちらの攻撃の直前に脱出した友軍を庇い上げたジョン・ヘムズワースの砂虫めいたモッド・トルーパーが、そのガトリング砲を構え直していた。

 正体が知れてしまった以上、彼はこちらの排除を優先する気らしい。

 その友軍を助けてやったのに――というような騎士道精神は無用だ。自分が彼でも、理性から同様の判断を下すだろう。それは兵として正しい。

 故に、


「……母艦は無事か?」

「何……?」

「真空故に攻撃の減衰はない。……今頃、弾着しているものかと思うが」

「っ……おたく、相当ヤるな……! 何から何まで、殺すための動きだ……!」

「戦闘とは殺害の行為だろう。……当然の前提では?」


 そう返す。

 戦闘中、アーノルドやあの新兵にそれとなく頼んでおいた。敵がどれほどの規模の母艦を有しているかはしれないが、例えばアステロイドマイニングなどの船に偽装していたなら、軍艦ほどの《仮想装甲ゴーテル》強度は持たない。こちらが操縦委託により放った弾丸も、十分その防御を貫く助けにはなっただろう。


「……口が減らねえな、おたく」

「ものが食べられなくなってしまうと困る。減りはしない」

「そういう……いや……」


 ヘムズワースが口を噤む。

 それを機に、こちらも二の句を継いだ。


「このままここで宇宙の藻屑にしても構わないが、一度は庇われたという恩がある。……俺も余計な殺傷を望まない。早急にこの場を立ち去るといい」

「……笑わせるな。このまま続ければ、そっちが不利だからだろう?」

「そう思うなら、続ければいい。……一隻の乗員全てを屍に変えるのは、そう難しいことではないが。こちらに勝ったところで如何に帰るのか、見物ではある」

「……」


 しばし、睨み合いが続く。

 実際のところ、ここで撃たれたらどうしたものかな……とは思った。手の内に敵のワーウルフを抱えているが、あれだけの重火力を前には盾として心許ない。

 しかしあちらも、その手に友軍を載せている。

 であれば砲身から散る微細な破片などの衝突も予期される射撃戦を厭うとは思うが――判らなかった。

 まあ、いずれにしても、己は斬るだけだ。

 そう頷こうとするときには……答えが決まったのか、彼は月面を何度か跳ねるように機体を後退させつつ、反転して飛び去っていく。


「あ、待て……!」

「止せ。現状で追撃は、リスクが高い。見逃されたと囚えるべきだ」

「ですが……!」

「貴官は既に、兵として十二分にその義務を果たした。驚嘆に値する……それ以上は、働きすぎというものだ」


 彼とアーノルドが時間を稼いでくれたから、注意を引きつけてくれたからあのような奇策が叶ったのだ。

 そも、あの死者のコマンド・レイヴンへの通信は――彼の機体を介して行った、というのもある。この勝利は、全て、彼のコマンド・レイヴンが担っていたと言っても過言ではない。

 部隊が全滅した中で、単身で居住区ボウルの防衛を行った――戦功として、掛け値なく価値があるものだろう。勇敢な兵士だった。


「……生き残ったな。共同撃墜数、一としてカウントするといい」

「はい!」

「友軍の救助を。まだ生き残っている者もいるかもしれない。……短距離救助信号の拾い方はわかるか?」

「問題ありません!」

「結構だ。……急げ。こうしている間にも、彼らに死が迫っているかもしれない。作戦本部にも戦闘終了を伝え、迅速に協働して対処するといい。貴官は、仲間の命を助けられる男なのだから……その責務を果たせ」

「はい……!」


 素直でいいことだと思う。

 彼が無事に生き残ったあたり、己の判断に誤りはなかったと吐息を漏らそうとしつつ――


「……何故、戻った?」

「……」


 アーノルドのずんぐりとしたアーモリー・トルーパーから、アサルトライフルを向けられた。

 流石は元衛星軌道都市サテライトの正規軍人だろう。どうやら流されてはくれなかったらしい。


「【フィッチャーの鳥】に重症を負わせた危険人物――そう聞いている。それが何故、今度は助けたというのだ!」


 突きつけられる鋼の銃口と、吠えるような糾弾の声。

 しばし沈黙し、


「職権を乱用し、民間人に危害を加える者と――職務に邁進する軍人はまるで異なる者だろう」

「戯れ言を……!」

「……本音だ。貴官なら建前と本音の違い程度は知れると見ているのだが、俺の買い被りだろうか? それなら仕方ないが……」

「いちいち癇に障る言い方をするものだな、君は!」

「……すまない」


 本心を伝えたつもりなのだが、どうにも挑発に聞こえてしまったらしい。

 どうしたものやらと考えつつ――まぁ、彼なら投降をしても手酷く扱いはすまいと結論付ける。

 普通に拷問は怖いし、駆動者リンカーとしての身体機能に差し障りが出たら非常に困る。可能な限り紳士的に扱ってほしいというのが二心ない望みだ。

 そしてしばらく、無言での相対が続き――……


「……助けられたのだ。これは、貸しにしておく」

「そうか」

「私の気が変わらぬ内に去るがいい、所属不明者よ。あとは、こちらで対応しておく」

「……感謝と敬意を」

「いい。……帰るといい、君の場所へ」


 ゆっくりと錆び付いた機体がこちらに背を向け、推進剤を吹かして飛んでいく。彼もまた生存者の確認に向かったらしい。

 清廉潔白とした兵。

 その奇妙な縁に、何とも感慨を抱いた。戦時中に出会っていたらどちらかが死んでいただろう。そう思えば、やはり、あの終戦を喜ぶ他ない。殺し合いとは損失だ。

 その一方で――……得たものもある。


「……アーセナル・コマンドを確保。これで単身での月重力圏の離脱も叶う」


 こちらの機体の手の内にて沈黙する人狼めいた二足歩行のアーセナル・コマンド。その力場と戦略的機動性を利用すれば、格段に今後の行動が取りやすくなる。

 それを得るためという面もあった。

 流石に正規軍からの略奪は行えない。テロリストからの鹵獲ならば、連盟の法にもそうは触れないだろう。

 安堵の吐息と共に、時計状の可搬型デバイスへの呼びかける。浮かぶホログラムの主のその背景には、運転席と頭上の真空の黒空が浮いていた。


「……首尾よく行った、ラモーナ。敵母艦の情報、感謝する。合流しよう」

『おーぐりー』

「……どうした?」

『お説教』

「……」

『わたしのこと、無理矢理バギーに乗せたよね』


 ……はい。


「暇がなかった。……作戦的には問題なく、そして今回に関しては指揮能力が必須と言える。ただ君の身体や生命活動に悪影響は――」

『おーぐりー』

「……はい」

『せめて戦うならわたしの方がいい、ってわたしは言ったよ。おーぐりー』

「いや……そうだとしても、守備隊の生存を願うならこれが最も効率的で効果的だった。それに、この行動は――」

? そういうのを、教育に悪いって言うんだよ? おーぐりーは、別の人がやってたら駄目だって思うことを自分でやってるんだよ? わかってるの、おーぐりー?』


 口数があまり多くない筈の少女からの、怒涛の言葉。驚嘆しつつ、その怒りも押し量れよう。


「俺は――……備えている。問題ない。だから、構わない」

『構うよ。わたしが構う。……他の人がどういう気持ちになるとか、考えないの? そういうところが駄目って言われたりしないの? 誰かに怒られたりしなかったの? そういう話を聞いてないの? 無視してるの? おーぐりーにとってはどうでもいいの?』

「……」


 ……いや、こうも口数が多かっただろうか。本当に?

 本当にラモーナか? 別の誰かだったりしないだろうか。


「いや……だが、それだけではなく明らかに必要性と能力により……俺が向かうことがこの場合――」

『おーぐりー』

「……はい」

『お説教だよ、おーぐりー。わたし、怒ってるからね?』


 はわわ。


『おーぐりー、お返事は?』

「いや、だが……俺はそのような心配をされぬために常に備えて――」

『おーぐりー、お返事は?』

「……、…………はい」

『よろしい。……うん、でも、頑張ったね。おーぐりー』


 とりあえず、許しては貰えたらしい。怖かった。

 労ってくれる彼女は、普段通りという様相で――故にこちらも普段通りの作戦上の上官として、首を振った。


「いや、労いにはまだ早い。敵の母艦が残っている……アーセナル・コマンドを手に入れた今、追撃は可能だ。このまま追撃し、撃沈する」

『……働きすぎだよ、おーぐりー』

「テロリスト相手に、働きすぎという言葉はない。秩序への深刻な懸念ならば早急に対処するべきだろう。……今から追いつけるかは五分だが、装備が改善した今そうしない理由もない。このまま、その後背を突く。この海域にて完全に撃沈させる」


 そうだ。

 一度は彼らを見逃したからとか――一度は見逃されたからとか、

 彼らは明確なる脅威であるテロリストであり、こちらは作戦にて離脱したと装っているものの正規軍人だ。ならば、すべきことなど一つしかない。あとは些事だ。


『……見逃したのに追いかけるんだね。ワンちゃんみたいだ、おーぐりー』

「これでも猟犬の出身だ。――つまり、追い付いてその喉笛を喰い千切ることが俺の本懐と言える」

『うん、そっか。わかった。……ただ、次はおーぐりーは休むこと。いい?』

「善処する」

『……おーぐりー?』

「……休みます。はい」


 なんか、思ったより押しが強い少女の気がする。これが彼女の素なのだろうか。

 彼女を養女としたラッド・マウス大佐も、実は苦労しているのではないか。それとも己と違って完璧な彼ならば、その辺りは問題なく過ごしているのか。

 色々と良くして貰っている相手なので、今度その手の世間話を振ってみてもいいかもしれないな――……と頷く。互いの信頼関係を深める努力は必要だろう。


 ……まあ、何にせよ、全てはこれから敵艦を沈めてからの話だ。投降を呼びかけ、従わないなら撃沈する。いつも通りの作業となる。


 いつも通り――戦い続ける、それだけだ。


 たとえ明日、世界が滅ぶとしても。



 ◇ ◆ ◇



 それはシンデレラが、深く目の下に隈を作って――ある廃屋に近いバラックに、騒々しくネジや歯車や機械の部品が転がる一室にて、会話をしていたときだった。

 酒瓶が並んだ丸テーブルの横で、綿が剥き出しになった一人用ソファにだらしなく腰掛ける中年の男。だらしないのに、映画俳優のような容貌をした男性。草臥れたスーツのその襟さえ直せば、或いは吸血鬼の王とすら見えるほどの怪しげな色気を漂わせる酔漢。


「……お前さん、それ、逃げじゃないのかい」

「え」

「だから、逃げじゃないのか。……自分はどうなってもいいから、愛しい人には――ってか? それは、相手に伝えたのか?」

「……」

「伝えてねえだろ。怖いんだろうよ。受け入れられないのが。だから、聞いてもねえのにそういうことをする。……一緒にいてくれと、言うのが先じゃないのか?」


 言いながら、彼は酒を煽った。

 アルテミスの紹介で訪れたジャンク屋。彼女の名をシンデレラから聞くと、実に煩わしそうに部屋に案内された。

 夜の王たるに相応しい美形ながらも、囲まれているのは芳醇な香り揺蕩わせる薔薇や静謐で重厚である棺桶ではない。ボロ屋とジャンク品に囲まれて、草臥れている。

 かつては整えていただろう横に流した前髪もパラパラと毀れ、明らかに酩酊を伝えてくる。だというのに彼のその瞳は、正気だった。正気のまま、シンデレラが口にした決意を黙って聞いて――そして、そう告げたのだ。


 その言葉に、考える。


(大尉に、伝えて――……)


 いつか戦いが終わって。

 それともこの戦いのどこかで。

 もう一度彼と出会って――自分の心を告げる。それを想像する。


 いつものように、彼を思い描く。それは多分、格納庫だろう。

 高鳴る胸を抑えて。

 頭一つ分以上高い彼を見上げて。

 その氷のような蒼いアイスブルーの瞳を見詰めて、そして、


『……そうか。そんなつもりではなかったのだが、すまない。……ただ悲しむ君を慰められたら、と思っただけなのだが――……そうか。そう捉えられたか』


 想像の中の思慮深く穏やかな墓守犬のような黒髪の青年が、にわかに口を噤む。

 黙して考え込み、そして、彼は僅かに口を開いた。


『申し訳ないが、君にそのような感情を抱くことは不可能だ。……どう願われても、俺には応えることができない。考える時間も必要もない。余計に時をかけて期待を抱かせることの方が残酷だろう』


 困ったとも伺わせない無表情。

 精悍な黒髪の左右を刈り上げた、如何にもな軍人であり大人である彼は努めて落ち着いた声のまま伝える。

 緊張に跳ね上がってその鼓動のままに今にも零れだしそうだった心臓の音が、冷水でも浴びせられたかのように余計に跳ねる。

 なのに彼は、どこまでも冷静だ。

 それが、その思いが、その違いが、絶対的に彼と結ばれることはないのだという温度差を示していた。

 聞きたくない――と思っても、手足は動かない。耳を塞いでくれない。石像のように冷えて固まってしまう。それを尻目に、彼は続ける。


『そうも惑わせてしまうとなると、俺がこうして語ることもあまりよろしくないだろうな。……いずれにせよ戦いの場に出てきて欲しくはない、というのもあるが……俺とはもう関わらない方がいいだろう。今後はこうした会話も控えるべきだ』


 淡々と、処刑宣告のような言葉が積み重ねられる。

 頬から、唇から、背筋から、どこからも血の気が引いて喉が詰まる。喉が貼り付く。焦燥と緊張と絶望が、オーケストラのように共同して血流を奪っていく。

 せめて――と、手を伸ばす。

 せめて、受け入れられなくてもいいから、力にだけはならせてほしいと。そうやって差し出すことだけは、許してほしいと。

 だが、


『問題ない。君の助けは不要だ。そもそも、俺に関わるべきではない。……もう話しかけないでくれ。失礼する』


 動じずに背を向けられて、それで終わりだ。

 取り残される。

 一人前としても見てもらえない。女としても視野に入れても貰えない。それどころか、困った障害物とか――聞き分けのないナニカのように扱われる。

 舞い上がっただけの、道化ですらない何か。これまで自分が大切に抱えてきた嬉しさ全てが、頭から否定される。

 胸が詰まって、胃液が込み上げた。

 想像だけで吐き戻しそうなほどに胸が苦しい。興味を失われたというか、そもそも抱かれてもいなかったのだと突きつけられて――それどころか遠ざけられる。


 だけど、言われてしまえば――……とも確かに思った。


 頬が熱くなるような言葉も、思わず膝を擦り合わせてしまうような言葉もかけられた。大切な約束だってした。

 でも、彼は英雄的な兵士で――そうした振る舞いには、慣れているのではないだろうか。人生経験の差の分、それは、特別なものではないのではないのだろうか。

 まるで女性として意識していないからこそ、だからこそ余計な心配なく安心して、あのような言動をしているだけなのではないだろうか。

 そう思ってしまうと、妙に筋が通る気がした。

 筋が通ってしまう。少なくとも今の自分にとっては。悪い想像で現実を見せられた自分にとっては、何よりも確かな真実として突きつけられてくる。


『……そんなつもりでは、なかったのだがな。そんな目で俺を見ていたのか』


 そう告げる、どこか残念そうな顔。

 あれだけ情熱的に手をとってくれた人が、自分を厄介事のように感じて――困ったように口を噤む顔。

 想像だけで、耐えられない。

 薄っすらと涙さえも込み上げてくる。正直それだけで、今にもベッドに丸まって逃げ込みたくなるし、ただ蹲りたくなってくる。

 だが――……それを腕で拭って、顔を上げた。


「……た、確かにそうかもしれません。大尉は大人で――だから、それで、わたしのことを相手になんてしてくれないかもって……それは、怖いです……怖いですよ、そんなの……い、嫌ですよ、本当に……嫌ですよそんなの……」

「……」

「でもっ、でもわたしは……なんとかしなきゃって、思ったんです。あんな人が、ああも苦しんでるままでいいわけないって――……」


 拳を握る。

 そうだ。何かをしてほしいんじゃない――この人に何かをしてあげたいって、そう、初めて思った人なのだから。

 それに、それだけじゃない。

 彼から貰った気持ちは、ただ、恋だけじゃない。


「大尉だけじゃない。あの【フィッチャーの鳥】は、あんな景色を作り続ける……苦しむ人を生み出し続ける。そうして争いを起こし続ける……あれだけの戦いがあったっていうのに……!」


 四肢を奪われても、皮膚を傷付けられても、確かに宿った胸の炎。それは煌々と燃え上がる。

 恋している。愛している。でも自分は、ただそれに身を任せるお姫様になんてなりたくない。

 彼のような理想を――……輝ける星の光を、追いたいと――負いたいと思ったのだから。

 立ち上がらなければと、願ったのだから。


「だから――……わたしに力があるんなら、何かできる力があるなら……できることを……わたしにできることを全部やって、止めたいんです! あんな悲しみを! 怒りを! それを生んでしまうようなことは、間違ってることなんだって!」


 恋だけじゃない。

 シンデレラ・グレイマンにあるのは――シンシア・ガブリエラ・グレイマンにあるのは、決して、恋だけなんかじゃないのだから。

 肩を荒げて息を吐ききって告げれば、かつてレースの整備士をしていたというジャンク屋の男性は、


「……悪かった。軽く見過ぎてた。殺し合いだ……そりゃあ、レースに出るのも同じくらいに大事だろう」

「同じくらいって……」

「甘く見るなよ。押し潰されてしまう重圧ってのは、何も考えねえ兵士よりも重い……いや、違う。悪いな、そんなつもりでもないんだが……」


 不器用な父親のような。

 ボリボリと頭を掻いた男性は、ミハイル・クレイソンは、何とも言いようのないといった顔で机の上の酒瓶を遠ざけた。


「ったく、おれも、妙な女にばっかり縁があるもんだな」


 やれやれ、と肩を鳴らしてミハイルが立ち上がる。シンデレラに背を向けた彼が手を翳せば、すぐに青いホログラムの機体図面が浮かび上がった。


「“熊の革ベアコート”って機体ってわかるかい」

「何度か、戦ったことはあります」

「そうか。……あのコンセプト自体は、悪いもんじゃないんだ。整備に手間がかかる内蔵式の血脈型循環パイプを廃して、外部装甲として力場の発生機構を組み込む――……それを付け替える。悪い考えではないんだが……」


 上手くは行かなかったのだろう。

 それが功を奏していれば、その後の主流になっている。それは明らかだ。


「外付けで《仮想装甲ゴーテル》の発生装置を着脱できれば、機体装甲下という状態故に制限された容積になる血脈型のパイプよりも、ガンジリウムの流量を圧倒的に増やせる。力場の出力も上がり、外部装甲の重さもペイできる上に、構造も容易でアーモリー・トルーパーに外付けするだけ……生産性も整備性も上がる……と見込まれていたが」

「問題があったんですか?」

「堂々巡りの袋小路に陥った。流量を増させたら、その分、温度管理が余計にシビアになった……機体外部に溶けた金属の流れる衣を纏うことになるんだ……それも大量の。それでいて、増やしたガンジリウムを有効に使うだけのジェネレーターも増設の必要が出てくる……」


 ミハイルは一度吐息を漏らし、


「つまり冷却装置他も、大型にせざるを得なかった。結果として当初よりも機体重量が大幅に増し、そんな機体を動かすために機動に割り振る力場の出力も増えていく……」

「……」

「結局、見込まれただけの《仮想装甲ゴーテル》の厚みを持たない鈍重な機体で、大量に積載した冷却装置の整備にも手間な機体ができた。そして、重さの分だけ余計に慣性が働いて機動性が最悪の代物になる……バトルブーストも碌に使えずに、使ったら使ったで出力の切り替えがピーキーすぎて駆動者リンカーを殺しかねない……思った程の成果もなく、今のように多少マシな装甲と低い機動性という規模に落ち着いた」


 いわば恐竜のようなものだったのだろう。

 あれ以上の大きさの生命体が存在しないのが、それが生物に許される限度の大きさであるからだ。サイズを増させて行くことは、否応なく付き纏う重力との関係によりどこかで頭打ちとなるのだ。


「ただ……聞いた限りじゃお嬢さんの設計力と、その例の有機的な《仮想装甲ゴーテル》の活用法……それを組み合わせれば、その先を生み出せるかもしれない」

「その先……?」

「まだ判らんが。……ただ、少なくとも現状でも、君のモッド・トルーパーに単身での月重力圏を離脱する力ぐらいはここでも用意できる」

「じゃあ……!」


 数度戦闘を行いつつも月面赤道まで移動してきたのは、宙間都市へと上がるためだった。

 しかしながら使えそうな打ち上げ場もなく、かといって単身での離脱はできない――そして生命維持装置も兼ねた【ブロークンスワン】を乗り捨てて行くこともできないシンデレラにとっての紛れもない福音。


「応援してやる。恋した月女神に手を貸すのは、初めてじゃないんだ。……アイツの場合は人ではなく星だったが、まあ、似たようなものだろ。愛しい男ってのはそれほど重いんだろ?」

「いっ、愛しいなんて――わ、わたしはただっ、その、大尉に……その、別に、大尉に……そっ、そんなに不埒な考えを持って戦ってる訳じゃないですから!」

「……不埒とは一言も言ってねえんだがな。そうか、思春期だもんな。色々と興味津々か」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ、みっ、見透かしたようなことを言わないでくださいっ! ハ、ハラスメントですっ! ハラスメントです!」


 顔を真っ赤にして怒るシンデレラを前に、ミハイルが笑う。

 未来が拓けている――。

 そんな気が、した。



 このときは。

 結末を、知りもしなければ。

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