第89話 U.N.オーウェン、或いは遠ざかった者


 手すりに身を預けて、夕焼けに彩られる少女の横顔。

 毛先が僅かに丸まった肩の辺りで切り揃えられた茶色の髪。鳶色の目。

 腰まで伸ばしていた筈の癖のある長髪を、その少女は、ざっくりとハサミで切り落としていた。

 戦いに備えてと――そういうことだった。


 初めは――……。

 ひたむきで、ツイてなくて、馬鹿な少女だと思っていた。


 敵勢力圏を移動しなければならないために、連日連夜に渡って戦闘が発生し、僅かな空き時間さえもシミュレーターを用いて訓練しているその様は、ひたむきだった。

 親がその機体の開発者であるというのと、正規のテストパイロットが別の船にて退避してしまったというのと、避難所代わりに用いたためにまともな正規兵が存在していないというのが理由で駆動者リンカーを努めなければならないという状況は、ツイてないと言えた。

 そして――。

 そんな日々にあって、実は泣き晴らしているというのは、それを上手く隠しきれていないというのは、馬鹿な少女だと言ってよかった。


『任せてくださいよ! 私がじゃんじゃん倒しちゃいますから! アーサーさんはドンと構えてればいいんです! ドシっと! 顔だけはいいんですから、何か適当にいい感じに笑っちゃっててください! それできっと上手くいきますよ! ね!』


 彼女は、煮えきらない新米艦長をそう励ました。


『警察官だったんですよね、セージさんは。それじゃあ鉄砲も撃てるし――……鉄砲撃てるなら、アーセナル・コマンドの銃も同じ! というわけで何とかしてくださいね! 頼りにしてますよ! ね……?』


 彼女は、斜に構えた不良警官をそう促した。


『え? ……あー、対抗心って奴ですかね? んー、別に私に代わってくれるならそれでいいんだけど……まあ、とりあえず戦ってみます? ほら、そうすれば後腐れなさそうだし……私が勝ったらこれまで通りで』


 彼女は、噛み付く同級生をそうあしらった。


『そんな……頼りにしてますよ、私だけじゃなくて皆が! 怪我をしてるとかしてないとか、そういうことじゃないんです! 軍人さんってだけで、エイダンさんは今の私たちの支えなんですから!』


 彼女は、口を噤む傷痍軍人をそう受け入れた。

 

 ひたむきで、明るくて、ほがらかで、どこか抜けていて、なんとなくツイてない。それ以上に愛嬌がある。

 人はきっとメイジー・ブランシェットを見ればそう評しただろうし、彼女もそうであると頷いただろう。

 だから――……鼻についたと言っていい。


 オーウェン・ウーサー・ナイチンゲール。


 今はそう名乗っていた自分にとっては、装うことと振る舞うことに長じた自分にとっては、少女のそれはあまりにも――……三流以下の演技に見えたのだ。

 それを、四六時中見せられ続ける。

 だからだろうか。


『辛くならねえんスか、それ。……無理して平気そうに装っても、結局耐えられねえんじゃないんスかね』


 誰もいなくなったあとに、静かに格納庫を抜け出して甲板で遠くの夕陽を見詰める少女へ。

 そんな、言わなくていいことを言ってしまっていた。

 夕焼けにその顔が照らされ、そして、


『……へへへ、バレちゃってました? オーウェンさん、鋭いんですね。意外だなー……実は人間観察が趣味だとかあります?』

『いや……』


 しまったな、と思った。

 抜けているようでいて、メイジー・ブランシェットは勘が鋭い。

 最新鋭であり軍事機密にも触れる第二世代型アーセナル・コマンド【狼狩人ウルフハンター】と【金色鵞鳥ゴールデンギース】号。

 いざとなれば、その処理を行う。

 それを任務として保護高地都市ハイランド衛星軌道都市サテライトの二重スパイとして潜り込んだオーウェンにとっては、そうして注意されてしまうのは避けるべきことであったのだから。


『んー、そうですね。辛いかって言われたら、やっぱりちょっとは辛いかもです。父さんはあんなことになって……私も勢いで戦いに出たけど、まさか、こうも戦い続けることになるとは思ってなくて……』

『……』


 かつては軍に民間から戦闘管制オペレーターとして協力していたこともあったメイジー・ブランシェットだったが、無論、高度な軍人教育も訓練も受けてはいない。

 正規軍人でも辟易するほどの戦闘の日々というのは、民間人上がりの少女にとっては多大なストレスとなろう。

 そう内心で分析しつつ――……何故そう分析しているのか、オーウェンは自分でも判らなかった。


 とにかく不運にも最新兵器を任されてしまった少女。


 いざとなったら、殺してしまう相手。

 それだけの価値しかないのだ。

 ……なかったのだ。少なくとも、このときまでは。


『でもほら、んですよ! そうやって無理にでもやる気を出そうとしてたら、なんだかやる気が出てくる気がするし……それにほら、そうすることで誰かが笑顔になれるなら――私はそれが全部まで悪いことじゃないなあ、って思いますから!』

『――』


 言葉を失う。

 装うということは、偽るということは、悪だ。悪とされている。


 そうオーウェン・ウーサー・ナイチンゲールは認識している。


 言い逃れのできない悪辣な行為で、忌むべきことだ。

 どんな理由があれ、何の道理があれ、それは、本来なら避けられるべきものだ。疎まれるべきものだ。

 だというのに――その少女は、笑った。


『へへっ……でも、ありがとうございます。心配してくれたの……さっきのは嘘じゃないんだ。優しいんですね、オーウェンさん』


 優しい人は好きですよ――とはにかむ少女に婚約者がいると知ったのは、もう少し、あとのことだった。



 ◇ ◆ ◇



 宣言の通りに月面の赤道都市を経由した後に、月重力圏を脱出。その途中でどうにも宙域で戦闘があったらしく、混乱に乗ずる形となった。

 宙域を管轄していた守備隊はその援軍に向かったようで――……そのことに気付いたのは、夜の方舟ナイツアークと呼ばれる宙間都市への順調すぎる潜入を済ませてからだった。

 居住区ボウルの大通りであるそこは、雑多な人混みと種々様々なホログラムに彩られて猥雑としている。居住区ボウルの規定人員以上に、人が暮らしているらしい。戦争にて破壊されたり接収されたりした居住区ボウルもあることを思えば、無理もないと言えた。

 そんな夜景。

 チラリと、隣の透明感ある少女に目をやる。


「……ん、大丈夫だよ。おーぐりー」


 防護服に包まれて隣を歩くラモーナが、力なく笑い返した。

 あの月面都市からの脱出の戦闘の後いつからか、ラモーナの調子はどこか優れない。何か持病や感染症かと疑いもしたが、そのどちらでもないらしい。

 ぼんやりとしていたり、こちらの呼びかけにすぐに応じなかったりすることも多い。まるで夢の中にいるかのような――と言ってしまえば詩的すぎるが、意識がまともに保ててないなら、とにかく体調が悪いことに違いなかった。

 それを気遣いつつも雑踏を進む。


 目的の相手――オーウェン・ウーサー・ナイチンゲール。


 ここではオーウェン・ウルリック・ノルマンディーと名乗っている、食料原料となる昆虫の加工工場に属している青年だ。

 目を覆い隠すまで伸ばされたオレンジ色に近い明るい茶髪。中肉中背で、猫背気味な歩き方。

 目立たない男だった。意識を抜けば、人混みに紛れてしまいそうな程に。

 そして彼を追いかけ、廃棄ボックスやダンボールに溢れる路地裏に入ったそのときだった。


「色々と痕跡は消してたはずなんスけどね。……流石、古巣というべきか」


 建物の影に身を隠した男が、通り過ぎるこちらを待ってから背後についていた。

 誘い込まれたということか。

 気配らしい気配がないために、簡単に後ろを取られた。驚嘆すべき腕前だろう。一方的に後ろを取られて、そんな危機状況を脱せる人間はあまり多くない。

 そして、有利をとった筈の彼は、


「……その顔。まさか、ハンス・グリム・グッドフェローっスか?」

「初対面の筈だが……」

「…………黒衣の七人ブラックパレードを知らない連盟軍人がいる訳ねーでしょうが」

「そうか」


 マーガレットによって――「人々の希望となるべく立つのです! そう、闇の中の篝火のように! その背で希望示すのです!」――揃いの黒コートと刺繍によって彩った自分たちは、その目論見の通りに有名になったのだろう。

 自分のようにさして冴えない人間まで注目を集めてしまうともなると、そのネームバリューも知れよう。

 実際、それ目当てで女性から声をかけられることもあった。……しばらく話すと引き攣った笑みと共に大半が去っていっていたが。思い出すと少し凹む。

 などと振り返っていれば、


「それで、あの大戦の英雄殿が一体何の用っスかね。……追手というには、今更なモンかと思うんスけど」


 警戒を滲ませるように、オレンジ髪の青年はその野暮ったい前髪の奥からこちらを伺おうとしていた。


「単刀直入に聞こう。……対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーのアーク・フォートレスに、覚えは?」

「……っス。んじゃ、場所変えちまいましょうか」


 話が早い。

 実に素晴らしいことだな、と思った。



 通されたのは、質素な集合住宅インスラだった。

 一階が商業店舗として利用されており、ショーウインドウ仕立てで食料品3Dプリンターが連なったそこを素通りして、路地裏から居住区への階段を登る。

 埃っぽい絨毯が敷かれた廊下を抜けて、薄暗い部屋へと足を踏み入れた。壁はあまり厚みがあるとは思えず、やはり情報部の人間が好んで使うようには思えない狭い部屋だった。

 そして、部屋に入るなり樹木のホログラム風景が展開し、穏やかな曲が流れる。これが衛星軌道都市サテライトでは一般的なのかは、不明だ。


「どこまで情報を?」


 テーブルまで進んだオーウェンが、単刀直入に切り出した。


「その前に、一ついいだろうか」

「なんスか? コーヒーでも出せって?」


 緩やかに首を振り、


「匿って欲しい」

「……は?」

「指名手配されてる。匿って欲しい」

「…………」


 あとお医者さんとか呼んでほしい。ラモーナのために。自分じゃお医者さんごっこにしかならない。

 目の前の彼は、鬱蒼とした前髪越しに眉間を抑えた。


「……間違えがあったら教えて欲しいんですけど、ボクに接触するために来たんスよね?」

「ああ」

「で……指名手配されてるとかなんとか……そういう偽装工作っスか?」

「いや――【フィッチャーの鳥】を三名ほど病院送りにした」

「は?」

「眼底骨折、鼻骨粉砕及び頭部陥没、大腿骨貫通銃創あたりだろうか」

「……は?」

「安心してくれ。誓って、殺してはいない。極めて平和的に解決した」

「………………はあ?」


 無言だ。

 ホログラムに満たされた薄暗い部屋の中、沈黙が続く。


「………………確認していいっスか?」

「ああ」

「潜入任務なのに、潜入内容とは関係なく、戦闘した」

「やむを得なかった」

「現地の治安部隊に後遺症が残るような重症を負わせて、指名手配された」

「やむを得なかった」

「そのまま、指名手配を受けながら重要対象まで接触を行った」

「やむを得なかった」


 できれば避けたかった。

 こちらとしても不本意なのだと内心で頷けば、どうだろう……彼は語気を強め、


「よーし、そこに直れアンタ。情報部の目の前でどんだけ杜撰こいてることかまして居直ってやがるかをたっぷり説明してやるから」

「……一つ、確認を」

「…………なんスか?」


 これだけは聞いておかねばなるまい。


「元情報部、では?」


 彼が今も保護高地都市ハイランドに属しているのか否かは重要である。……重要な筈だ。重要じゃないかな。

 しかし彼はその髪をワシャワシャと書き毟り、


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ」


 こちらを思いっきり指差した。


「何なんスかコイツ!? 人を苛つかせるプロっスか!? そういう専門学校出てるんスか!?」

「一応、一流大学には属していた。……末席だが。いや、一流半だな。……二流かもしれない。どうだろう」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ」


 手を何だかわきわきと動かしてる。忙しないものだ。


「情報部ではパントマイムも履修するのか。……思ったより愉快な職場らしいな」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ」


 今にも地団駄を踏みそうなぐらいに身を捩らせていた。

 すごいな。

 人間、こうも身体でリアクションを取ろうとするものもいるらしい。勉強になる。自分もこれぐらいやれば、もう少し余計な言葉を減らしても誤解を生まずに会話できるだろうか。どうだろう。試してみるのも悪くないかもしれないな、と思う。


「それともう一つ、いいだろうか」

「今度はなんなんスかね!?」


 怒鳴りつけてくる彼へ――こちらも精神を切り替える。

 即ち、


「……試しても構わないが、おそらく俺の抜き撃ちの方が速い」


 リアクションに合わせて、徐々にテーブルから壁に吊り下げられたコートへと移動した彼への警告。

 言えば、抜け落ちるように彼のジェスチャーは止み、


「……へえ」


 そう、感情の熱が消え去った声で応じられた。


「その惚けた態度も全部演技、ってワケだ。……こっちの言えた義理じゃあねーっスけどね。ハッ、流石はかの高名な黒衣の七人ブラックパレード……燃え盛る街並みで、鎧も剣もなく竜を迎え撃った秩序と理念の化身……」

「……」

「……ま、試してもいいっスよ。あの兵器が二度と日の目を見ないで済むなら、命を懸ける価値もあるってもんですからね」


 肩を竦めるオーウェン。

 彼が伝えてくる気配は、文字通りの殺気だった。明確にここでの撃ち合いすらも厭わないという排除の意思が、その五体を満ちている。

 そして同時に、知れた。

 彼の放つ圧力は、常人の持つそれではない。情報部――所謂諜報員であるが、その域さえ逸脱している風に感じられた。自分が出会った中でも、十指に入るほどの危険性と呼んでもいい。それは破壊工作員と呼べるほど……背筋が冷える心地だ。


「……やはり貴官は、対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーの所在地に心当たりがあるのか。いや……ならば何故、そう報告をしなかった? こちらは破壊任務を与えられた。それらは、二度と日の目を見ることもない」


 そして、そこが疑問だった。

 かつての彼を知る者ならばすぐに判るような偽名で暮らしている。

 そのことから、未だ任務継続中――そう見做すこともできる。自分のように必要性に基づき、情報部の指示の下で死を偽装して潜入調査を行っていると。

 そう考えていたが、それは明確な誤りだろう。アーク・フォートレスの情報を彼は既に十分得ているのだ。その上で彼は秘匿していた。


「【フィッチャーの鳥】なんてものができていて、一体、連盟のどこを信用すればいいんスかね」

「それは……」

「……アンタもあの大戦の経験者なら判るっスよね? あれは一種の神話だった――……という神話を作っちまった」


 乾いた諦観の笑みと共に、オーウェンが告げる。

 周囲のホログラムは、そんなことに構わず狭い部屋に自然の風景を移している。もう失われた――焼き払われた森林を。


「もう誰も、無邪気に明日を信じない。破壊任務? ええ、そりゃあ結構ですとも――……大人しくただ壊すだけで終わってくれるって言うなら」

「……」

。終わる訳がない――……その暴力を目の当たりにしたとき、選べるのは二つだ。使だ。ましてや、理屈だけじゃなくて現物がそこにあるんだ……って事実を前に、人はおとなしくはいられない」


 これから殺す相手への冥土の土産のような独白。

 人間不信か、社会不信か。

 その懸念は無理もないと言えた。それほどまでに自分たちは、あの戦争の経験者たちは。それまでの常識や摂理、定理が壊される瞬間を目の当たりにした。せざるを得なかった。


「……それが貴官が保護高地都市ハイランド連盟を離れた理由か」

「人の世には早すぎる、って言うモンがあるんスよ。……かの【星の銀貨シュテルンターラー】しかり、【ガラス瓶の魔メルクリウス】しかり――この世の形を変えてしまいすぎる」


 一人の男が、断言する。


「表に出すことが問題だ。あんな兵器は、このまま、眠りに付かせるしかないんだ」


 それは、踏み入る者の命を奪う番人の言葉だ。

 ああ――……と頷いた。頷けた。

 何故、彼があのような偽名を使っているのか。それは、釣り餌だ。何らかの目的と共に、彼に接触するもの。その命を奪うための疑似餌なのだ。

 ……思えば、その勤め先も隠蔽工作に向いた施設であることに気付いた。昆虫をフリーズドライして破砕して粉末に変える施設は、上手く使えば死体の処理にも役立てられるだろう。

 そうして終戦から三年――……きっと彼は殺してきた。

 その災厄の箱に近付こうとする者たちを殺害してきたのだ。一人の名も無き、社会の影として。


「……なるほど」

「で、ボクのことをどうするっスか? 敵前逃亡でしょっぴくっスかね?」

「特にそのような命令は与えられていない」


 言ってみたが、欺瞞だった。

 ここで素直に引けるだけ、こちらも子供の使いのような任務でもない。情報部、ないしは【フィッチャーの鳥】にこの場所を告げれば相応の尋問も起きるだろう。

 彼もその未来を予期しているのだろう。静かなる戦闘態勢を継続していた。


(……残念だが、他に選択肢もない。こちらにできることとしたら、彼が自害をしないように極めて早急に拘束しその身体を改めることぐらいだ。骨の二・三本なら経費のうちか。……そう容易く運べる相手には見えないが)


 意識を更に沈降させる。

 おそらくあちらは銃を使う。こちらは使えない。勝利条件は彼の自害を防ぐこととこちらの殺害を防ぐこと。対して、こちらは相手を殺してはならない。中々に難しい仕事だろう。

 おそらくこちらが黒衣の七人ブラックパレードだから彼も即座に実力行使には及ばなかった。そうでなければ、この部屋に案内されるよりも先に葬られている筈だ。偶然だろうが、運がいい。与えられた命令はその肩書きを利用した陽動のようなものだったので、これは実に幸運といえる。おそらく、誰も予期していない幸運だ。


 さて、その幸運を如何に活かすか。

 こうなってしまった相手との、武力を使用する決意をした相手との交渉などその余地はない。あとは速やかに無力化し、抵抗手段を奪うだけ。元より己の有用性はそこにしかない。

 ジリ、とオーウェンが距離を取ろうとする。

 ラモーナは、調子が悪い。ならば自分が挑むほかあるまい。それが己の役割だ。そう定義したからには、達成せねばなるまい。そのために全てを費やしたのだから。


(いや――……ああ、そうか――……)


 そこで、ふと、思い至ることがあった。


「……俺は、貴官という人間を知らない」

「はっ、そりゃそうでしょうよ。たかがイチ駆動者リンカーに裏を取られる程度に安い仕事をする情報部じゃ――」

「それでも、貴官は大切に思ったのだな」


 緩やかに、告げる。


「人を、世を――……この国を。世界を。貴官は確かに、人間の未来さきを愛しているのだな」

「――――」


 世を諦めているならば、そんな情報の番人など務める必要はない。それでも彼は、己一人であろうとも守り人になろうと決意した。

 それは、きっと、愛だろう。

 容易く滅ぶことを諦観と共に語るならば、つまり彼は、滅んで欲しくないと考えているということだ。厭世的な口調とは裏腹に、彼は先を求めている。

 ならば――……そんな敬意に値する彼ならば、こちらより遥かに高潔である彼とならば、武力行使よりも先に至れる道があるかもしれない。そう願いたくなった。


「……そうやって女も口説き落としたんスか、色男」

「あまりモテた試しはない。二言目には想像と違うとフラれがちだ」

「ハッ、婚約者がいるって断り続けたって男がどこでそんな言葉をぶつけられるのか教えて貰いたいもんっスねぇ」

「大半は十二歳から十五歳まで、婚約する前に」

「答えろとは言ってねえよ!? というか十二歳からとか十分モテてるじゃねーかアンタ!?」

「あちらの気の迷いだろう。……そう言われた。そう、相当なほどに言われた。相当言われた。本当に。人間不信になりそうなほどに。すごい言われた。悲しくなった。今でもかなり悲しい。ときどき思い出す。すごい言われたんだ、俺は。……あんなに言わなくてもいいのではないだろうか。酷いと思う。とても傷付いた」

「知らねえよ!?」


 なんとなく、死線の緊張感がほぐれた。……ほぐれたと思う。そう判断しよう。


「確認したいが、貴官はそれら殺戮兵器の所在地を知っており、意図的に隠匿しているということで構わないか?」

「……確認しなくても、ここまでで十分知れてるでしょうに」

「……」


 確かにそうだ。念の為の前提の確認であっただけだが。

 そして、吐息を漏らす。

 真摯に語り合いたいが、こちらから言えることなど――一つしかない。

 つまり、


「安心してくれ。俺が与えられたのは、破壊任務だ」

「だからそれが信用できねえって――」

「壊せ、としか言われていない。交戦規定にはそう示されている。……つまり俺がここで破壊を約束し、そして実際に完全に破壊してしまったとしても法的には何の問題もない筈だ」

「……それが、建前じゃねーんスか」

、そういうものだろう」


 いつであったか、シンデレラにも語った言葉。それを思い出す。


「……上に報告しない、ってことっスか?」

「いや、それは軍人として避けられるべき事態だ。正規の手続きに乗っ取り、上官の指示を仰ぐ。それは俺が義務として行うべき行動だ」

「……」

「ただし――あくまでも第一義は破壊。そして、速やかに回答が為されるとは限らず、また、暇がないことが予期される場合は予め示された交戦規定に従って作戦を実行すべきだ。……俺は俺の有用性に従い、完全に破壊を行う。

「――!」


 そうだ。想いは同じである筈だ。

 そんな殺戮兵器など、壊さずに残しておく理由など一欠片も存在しない。自分が彼であったとしても、彼ほど上手にできなかったとしても、そう判断しただろう。

 そういう意味で、ハンス・グリム・グッドフェローとオーウェン・ウーサー・ナイチンゲールに、対立の必要性は存在しない。


「……つまり、こっちが、いいようにアンタを操れってことっスか?」

「そう言うと語弊がある。情報部らしくもない率直すぎる物言いだな。……数年で古巣の匂いを忘れたのか?」

「ええ、どうにも敵地ってのは刺激的過ぎてね。……ただ覚えてるっスよ。ハンス・グリム・グッドフェローという男が、無駄に喧嘩腰で角の立つ物言いをする不躾な英雄サマだってのは」

「……」


 ……別に喧嘩腰じゃないんだけどな。なんでだろう。


「……こちらを存じているならば容易く知れることであるかと思うが、俺は二心なく軍の命令に従うつもりだ。法治というものの、形骸ではなくその意義にこそ忠誠を誓っている」

「要するに、しれっと違反をする度胸はないって言いたいんでしょう?」

「……。……俺はただ、純粋に貴官に問いたい。それらの兵器は――暇なく破壊を迫られるほどの緊急性を有する、或いはそうなり得る兵器か?」

「……」

「上官の指示が待てないほど、それは殺傷性を発揮するだろうか? 極めて危険な存在か? いや――……司令部から鹵獲や回収ではなく、破壊を主眼において俺が任命されており、貴官がそうまでも口を噤むからにはその可能性が高いと俺は見ているが……どうだろうか?」


 それが今回の作戦が保護すべき益というなら、そこから大きく外れていないなら――そして交戦規定に反しないならば、己の行動には理があるということになる。

 妥協点だ。

 保護高地都市ハイランドがどんな思惑であれ、法の下に妥当性ある任務を命じた。その任務の表面的な規定だけでなく、深くその表向きの企図も加味して行動した。

 ならば、あとのことは些事だろう。そこにまつわる建前にすらならない後ろ暗い感情など、こちらの知るところではない。オーウェンとの約を優先する、それだけだ。

 そして、


「……結局、説明しなければならないっつーことっスかね」

「それを勧める。ここで俺に説明をされないとして……いずれにせよ貴官は拘束され、改めて尋問されるだろう」

「……織り込み済みっスけどね、その程度。そういうのを脅迫っつーんスよ、このカタブツ男」

「極めて事実に即して正確に情報を伝えただけだ」


 誤解なき情報伝達を旨としている。大切なのだ。


「……この、クソ頑固で前線主義者の鋼鉄被覆脳クロームヘッド野郎」

「俺は士官として必要最低限の、作戦に対する柔軟性を持っていると自認するが……」

「その受け答えが頑固なんスよ、この石頭! ああ、クソ、なんだってこんな男に負けてるんスかね!?」


 ……そうなのかな。

 そんなことはないと思うんだけどな。どうかな。

 あと負けてるってなんだろう。戦った覚えは特にないし、そうであったら彼は生きてここにいないと思うんだけどな……なんだろう。

 わかんない。この人、機嫌が悪いのかもしれない。

 かつて敵地であった場所で身分を隠して生活するストレスも強いのだろう。ならば、温かく接するのが得策と言える。実に完璧な理論だ。


「……なんスか、そんなにじっと見て。何か気にでも触ったっていうんスかね? はっ、アンタにそんな感覚があるなんて驚きっスわ」


 ……温かい目のつもりだったんだけどな。


 なんでだろう。悲しい。この人こわい。



 ◇ ◆ ◇



 保護高地都市ハイランドの戦略的な特徴として、大戦時中期から後期に見られたような――所謂、内線戦略や外線戦略を支えた地下補給網がある。

 それは、頭上から降り注ぐ星の杖と監視衛星への対策だった。

 かつて利用され、度重なる地震などにより破棄された地下鉄道や地下都市の残骸を補強し――そして整備して作り上げた補給網。

 それは【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】の作戦単位の移動や集積などにも用いられ、或いは中期以降の大規模な用兵の支えともなった。


 戦後数年を経て、安全保障上の観点からそれは更に整備を推し進められ――結果として、その行政的中心地であるニュー・コロッサスや軍事的な中心地である地下都市アナトリコンに関しては、誰も地上からの行き方を知らぬとさえ揶揄されるほどの秘匿性を手にした。

 そんな都市へと繋がる、“正しい”地下ルート。

 さながらアリアドネの糸なしでラビュリントスを攻略する勇者の如くか、或いは光る小石ではなくパン屑を頼りに森を抜けようと試みた少年少女の如く、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】はその情報収集を試みていた。


 そしてその時のアーセナル・コマンド小隊が向かったのは、荒野にて放棄された保護高地都市ハイランド連盟の軍事都市――……。

 より正しく言うならば、反統一政府運動や急襲的な火力集中により【衛士にして王ドロッセルバールト】が【フィッチャーの鳥】を撤退に追い込み、占拠したという都市であった。

 元より対【フィッチャーの鳥】を謳った彼らにとって、【フィッチャーの鳥】がその防衛に失敗した都市の奪還というのは望むべくもない。


 あくまでも対【フィッチャーの鳥】路線のみを強調し、そして過激派の反政府活動集団との違いを浮き彫りにするという意味では――そして、地上における大目標であるアナトリコンへの攻勢のための情報収集という意味では、絶好の作戦機会であった。

 四機編成のうちの一機が、上機嫌な声で呟いた。


「敵の大部隊の反応ってのはありません。ドローンで確認しても、どう見積もっても中隊以下……それでも都市を占拠するなんて、よっぽどの急襲だったんでしょうね。まあ、元はと言えば単騎で都市一つ焼き尽くす兵器だと思えば無理もない話に聞こえますが――」


 幾度も大規模ハリケーンや豪雨の侵食にさらされて、赤土を剥き出しにした大地。

 そんな渓谷めいた地形に複数遮られつつも、その奥にある開けた台地にかかる数本の鉄道大橋――谷の中にあるモンサンミッシェルの如き、遥か中世の古城めいた城塞軍事都市とも言うべきそこは天然の堅牢なのだろう。

 だからこそ、不意の強襲に脆かった――……そう結論付けたような彼の言葉へ、


「……いや、全機撤退しろ」


 重装甲改修を施した西洋騎士めいた青の機体【メタルウルフ】に身を包んだロビン・ダンスフィードは、低い声で呟いた。


「え?」

「確かに、大部隊での待ち伏せはねえだろうな。それは確かだ。……だからこそ、それよりもヤベえのがいやがる」


 歴戦の兵士だからこそ知れる勘所。

 建物から発される僅かな音の違い。周囲の砂塵の具合。それらが、知らせてくる違和感――……彼の五感を超えた感覚は、そこが危険の分水嶺だと如実に知らせていた。

 そして、都市へとかかる鉄道大橋が縦断する渓谷を前に足を止めた一行へと――


『……へえ。随分と臆病なのね、黒衣の七人ブラックパレード……やっぱりプロパガンダはプロパガンダってこと? それとも、その臆病さが生存の秘訣だった?』


 敵影は無し。

 しかし、響く甲高い少女の無線音声。

 嘲笑うかのような言葉を前に、ロビンは銀フレームの眼鏡を押し上げた。


「そうだな。若輩者が年長者にまずは質問するその態度は正しいぜ、カウガール。牧場の牛は、乳の絞り方と飲み方以外も教えてくれたようで何よりだ」

『ご丁寧にどうも、説教おじさん。年が重なると冥土が近いから話したがり――って言うのは本当みたいね』

「ハッ、そうかもな。ただ、生憎だがオレは面倒見がいいとは言えねえ側でな。……オマエらみてえな面倒事は、土産も無しでまるごと吹き飛ばしてやる。――そうだろ、ミスター・後輩クンデッドコピー?」


 会話相手のみならず、さらなる人間を透かすかの如き目線と言葉――。

 まさしくそれに応えるように、


『……トゥルーデ、先行するな。相手は、黒衣の七人ブラックパレードだ……この地上の何よりも強く、比類ない』

『そんな弱気でどうするのよ! こっちは地上どころか、この宇宙の何よりも強いわ! あたしたちは黒衣の狩人ブラックハンターよ!』


 もう一人の朴訥とした青年からの無線通信。

 少なくとも、二人一組。

 汎用性に優れる【黒魔女ソーサレス】ゲルトルート・ブラックと、局地的に最強の火力を有する【死告鶏ルースター】サム・トールマン。

 対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーと称された狩人連盟ハンター・リメインズを二機当てられるとは、如何にロビン・ダンスフィードという男が警戒されているか知れよう。

 ……或いは、これは、なのか。


 なんにせよ、


「運命は、最もふさわしい場所へと魂を運ぶって言うが――さて、軍団でやってくるオマエらは悲しみか? それとも別の何かか?」

『あえて言うなら……不眠と、そう呼べなくもない。?』


 頬を不敵に吊り上げて笑ったロビンの笑顔が、僅かに瞳が見開かれた後に鋭いものへと変化する。


「……ハッ。いいね、。なあ、ロイヤルカンパニーの新しい公演は見たか?」

『つい先日も観賞を実施した……悪くない。そう、言えなくない。そんな出来だ』

「そうかい? シアターが新しくなってからは、オレは生憎忙しくてな。是非ともその辺の感想を聞きたいところなんだが――」


 それはともすれば、自分の引用した諧謔を理解した青年への親近感に等しい声色であったが――……違う。

 彼において、彼らにおいて、黒衣の七人ブラックパレードにおいての個人的好感度と殺意は――まるで異なる次元に位置している。

 つまりは、


「あの世についてから……で構わねえぜ、後輩。オレがそっちに行ったときの土産話にでもしといてくれや」


 放たれる純粋にして強大なる殺気。

 たとえそれが毎朝顔を合わせる隣人だろうと、会話を楽しんだ恋人だろうと、長年苦楽を共にした戦友だろうと、ただ必然性と必要性の名の下に排除できる――。

 そんな機能的殺人性と究極的な暴力性をこそ黒衣の七人ブラックパレードと呼び、


『目標、第四位の制圧者ダブルオーフォー――絶滅を実行する』

『ゲルトルート・ブラック――【ソーサレス】、迫撃するわ!』


 そんな黒衣の七人ブラックパレードを狩るために磨き上げた人機一体の狩人をこそ、黒衣の狩人ブラックハンターと呼ぶ。


 かつては森林だったであろう荒野の街にて、その三機の超常は衝突を開始する――――。



 ◇ ◆ ◇



 いよいよ話を進めようとしているその時だった。

 フラフラと夢遊病の如く、立っていられないような様子で俯きがちになったラモーナ。その大仰で武骨な防護服が重責だとでも言いたげな程に消耗が見えた。

 小さく、細かく刻まれる息。

 それでも彼女は何とか直立を維持し、会話への参加を行おうとしていた。

 その様を見て――……何とも吐息が漏れた。


「偉いな、ラモーナ」

「わっ……おーぐりー?」

「普段の返礼だ。……偉いな、ラモーナは」


 彼女の頭を撫でながら、そのまま首筋の髪へと手を下げていく。

 髪越しにでも僅かに熱い気もするが……あまり高熱とは言えない。その不調は、なにか心理的な要因だろうか。

 そう考えつつ、擽ったそうに目を細めた少女のその顔を覗き込むように目線を合わせる。


「だが、ここで無理して君に倒れられると後が困る。……君が子供だから休めと言っているのではない。君を一人前の戦力として数えているからこそ、ここは休息を頼みたいだけだ」

「おーぐりー……でも」

「でも、は無しだ。……のだろう? 俺が知る聡明な少女は、俺にそう言っていたのだが……」

「……わかったよ、おーぐりー。ごめんね……」

「いい子だ、ラモーナ。……大丈夫だ。世辞や方便ではなく、俺は君を必要としている。勝手はしないと約束する」

「……うん、そっか。おーぐりーには、わたしが必要……だもん、ね?」

「ああ、そうだ。貴官の協力なしで成し遂げられるほど容易い任務ではない……今後も君に頼りたい。それまで、そちらで、しばし楽にしていてくれ」


 家主の了承を得てはいないが――……ソファへと彼女を促し、そこに横にならせる。熱発もさておき、それが原因不明と言うならなおさら無理に起床させる必要はない。こちらが交渉を行ううちに、安静にしてもらう。それが適材適所というものだろう。

 小刻みな呼吸のまま、子猫が身体を丸めるように髪だけを投げ出して横たわったラモーナ。

 何か毛布などかけるものはないかと、家主を振り返ったときだった。


「流石っスねえ……この幼女趣味のドブ川大魔王。……鉄の英雄サマには、少女相手にそう振る舞わなきゃいけないルールでもあるんスかね?」

「俺は幼女趣味ではない」

「どうだか。……一般的に八つも年下の少女に求婚するってのは、ロリコンじゃあないんスかねぇ?」

「……」


 違うもん。婚約願いしてきたのあっちの親御さんからだもん。乗っかっただけだもん。ロリコンじゃないもん。

 甚だしい誤解だ。名誉毀損だ。風評被害だ。

 自分はどちらかと言えば少女らしい少女よりも、例えばあのアルテミス教官のように手足がスラリとしつつもグラマラスで――……いや内心とはいえ失言だ。失言になる。たとえ内心でも誰かに聞かれたくない。本当に誰にも聞かれたくない。弱みになる。気の迷いだ。無しだ。


「……それで一体、アーク・フォートレスはどこにある?」


 話題を変えるように――というか完全にこちらの本題である言葉を切り出す。

 そうすると彼は、僅かに得意げに口元を歪めた。


「アンタに質問っスけど、この生息四圏でものを隠そうと思ったらどうしますか?」

「……む」


 しばし、思案する。


「思い当たるのは、デブリの中……他は海中か。重金属汚染地域、というのも候補として挙げられるが……」


 言えばオーウェンは小刻みに肩を揺らして――そして判りやすく、大仰にそれを竦めて見せた。


「才能ないっスね。全部ハズレっスよ、それ。デブリは戦後明確に除去業者が一大産業になるとわかるし、海中は整備性が最悪……重金属汚染地域は、そこもまさにアーセナル・コマンドのジャンク回収が行われてるっスよね?」

「……道理だ。それで、答えは?」


 ここに来たのは問答のためでなく、答えを得るためだ。

 速やかに兵器を発見ないしは情報を入手し、その破壊を行う。そして保護高地都市ハイランド連盟軍に帰還する――それが自分が行うべきことだろう。

 だというのに彼は、まるでゼンモンドーのような言葉を口にしていた。


「正解は――っスよ。この生息四圏のうちに、恒久的にあんな大型兵器を隠し続けられる場所なんてあり得ないんス。ここに存在している以上は、絶対に見付かる」

「……つまり、今はただ、まだ見付かっていないだけということか?」

「それもないっス。あんなものがいずれ見付かったとき、どこが作ったか……なんてのはお察しだ。そうなったときに相当な対応や糾弾が予想できますし、何より解析されちまってそれを保護高地都市ハイランドに運用されるのは絶対避けたいでしょう?」


 確かに、それは道理だ。

 そのまま彼は続けた。


「かといって秘密裏に運ぶにしても、相応の国力が要求される。保護高地都市ハイランドに敗れちまった衛星軌道都市サテライトなんかじゃ無理。海上遊弋都市フロートも厳しい。……まあ、空中浮游都市ステーションならワンチャンっスけど」


 やれやれ、と肩を崩すオーウェン。

 皮肉屋めいた言葉を前に、何だか煙に巻かれている心地になる。

 彼の発言は、そんな兵器などこの世に存在していないという定理の証明じみたものだった。


「それでは――……いや、そうか」


 だが――ああ、思い浮かぶ答えがある。


――それが答えか」

「ご明察。どんな宝も見付けにくる人間がいないところにあれば、それは、この世にないのと同じっスからね」


 存在しないなら発見されない。

 確かに、理に適っている。真理であると言っていい。

 ならば、


「となると、外宇宙船団か……?」


 こちらの言葉に合わせるようにオーウェンが指を均す。

 同時に浮かび上がったホログラムは、生息四圏の縮図であり――即ち青い球体である地球の上に灯った三圏を表す赤き光点と、月と、資源衛星B7Rと、その周辺を周回する居住区ボウル

 そして、そこから遠く飛び出していく光が二つあった。


「半分は正解っス。……ただ、外宇宙船団ってのは元々が粛清逃れの民間人を乗せてった船っスからね。さて、そこにヤバめの大量殺戮兵器の搭載なんて行いますか?」

「……最低でも相応に隠匿する。それも表向きは、全く武装と見えないほどに」


 その通りだと、彼は頷いた。


「ただし……外宇宙船団の母船が本当にそうかは、まだ不明っス。多分、今乗ってる連中も気付いていないとは思うっスけど……それならもっと別に動きがあるでしょうし。それでも可能性は非常に高い」

「……あり得るのか? 整備や、例えば武装や改造を行うならば……いくらでも船体については知る機会があるのでは?」


 緩やかにオーウェンが首を振る。


「【腕無しの娘シルバーアーム】……その機体の管制AIは、他の巨大なガンジリウム循環装置やタンクと外部接続することで初めて有効化される。この機体の肝は、ガンジリウム散布装置と管制AI……それ以外は簡単な構造でいい。それこそ、ただの船にも化けられる」

「それまでは、眠り続けるということか」

「そうっス。……そして、仮に母船を武装船に換装するにしても、元々ガンジリウムの循環装置が内部に備えられている。わざわざ無駄に外付けでタンクを設けはしない」

「……そうと知らなければ、決して目覚めさせることができない怪物か」

「ええ。ただ、言うとおり外宇宙船団の母船がこれかはまだ不明っスよ。……偽装プランの一つとして挙げられていた。一番有力そうなもの、ってところです。或いは設計が簡素なこの機体は、複数あるかもしれない」

「……」


 彼ら外宇宙船団が残党兵力と合流しているなら、最も危険な相手にそれが渡っていることとなる。

 ならば、速やかに破壊する要件には当たるだろう――そう考えつつ、その母艦の所在地が不明という点はあまり望ましいことではないと結論する。

 速やかに破壊を行うのは、不可能だろう。


「さて……」


 考え込むその間に、周囲を取り囲むホログラムが変化していた。

 次なるアーク・フォートレス――……なんというか、それは兵器と呼ぶより、住居などと称することに正しさを覚える物体だ。

 浮かび上がったシルエットは巨大な筒状の戦艦らしきもの。シリンダー型のスペースコロニーにも似ていると言っていい。

 

「そして二つ目――機体コード【音楽隊ブレーメン】。これも今、地球圏には存在してないっス。完全自動操縦のまま、太陽系を巡航している。火星外への探査船という形で運用されていたら……まあ早々止められることもないですからね。地球に近付くならまだしも、出ていく分には追求も厳しくはない」

「……」

「ただし――他のアーク・フォートレスが起動したそのときに、コイツは地球を目指す。元々は、【腕無しの娘シルバーアーム】とのセットでの運用を目的に作られた機体だ。……勿論、コイツ単体でも十二分にヤバいってのには変わりないとしても」


 続いたホログラムは――……何とも、兵器としては名状しがたき姿をしていた。

 例えるなら、古代海洋生物か。

 とんがり帽子の如き円錐の甲羅と、蛸の如き触手。以前、絶滅した海洋生物の画像を博物館にて閲覧した際にこのような物を見た覚えがあった。


「この【麦の穂ゴッドブレス】は、衛星軌道上までの運搬後の詳細が不明で――」

「いや、覚えがある」

「……なに?」

「ヘイゼルがかつて迎撃したという神の杖……彼から聞いたそれに形状が酷似している。兵器の作製時期は? ともするとこれは、既に完成し戦線に投入されようとしていたのでは?」


 あれは、【鉄の鉄鎚作戦スレッジハンマー】のまさにその結構を決定させた初撃であったと思う。

 ヘイゼルが迎撃し、その時だけ口にした言葉――「花弁からニガヨモギアポリオンでも蒔く気か?」――彼もそれ以降は口にせず、そして以後の神の杖とは形状が異なっていたという一撃目。

 もし衛星軌道都市サテライトが、その一発だけを誤射として戦時条約を言い逃れする気であったのなら、それを殲滅用のアーク・フォートレスの投下として用いていても不思議ではない。


「……確かに、対地上環境・連鎖型持続汚染封鎖兵器っスから、地上での運用を前提としてる代物だ。そうか……ここに潜伏して情報収集してたのも、半分は甲斐がなかったってことか」

「……すまない」

「壊されてるなら、それでいいんスよ。【麦の穂ゴッドブレス】は地球に墜落。残りの三機については、企画倒れで未開発の筈。最後は――……」


 オーウェンの口が、重く開く。


――【雪白の姫君スノウホワイト】に関しては、一切の所在が不明っス」

「全人類、殲滅兵器……」


 とても穏やかには聞こえない名称に、オーウェンへと目をやって続きを促す。

 ホログラムにシルエットは表示されなかった。

 不明兵器――……だというのに彼からは、これまでで最もの恐れを感じた。


「コンセプトは……相手が地上にいるからこそ……、と言える。断片的な諸元情報だけで確かに全人類を滅ぼせる兵器って断言できるっスよ」

「地球だからこそ? ……地軸をズラすか? それとも活火山の噴火を? いや――……」


 流石のガンジリウムという力を以ってしても、それだけの破壊を起こせるとは思えない。そんなもの、科学ではなく魔法の領域だろう。

 しかしそうなってくると、全人類を滅ぼす――というその諸元に疑問が出てくる。自分の考えうる限りでは二つほど思い付くが……どちらも迂遠であり、あまり現実的とは言えない。

 結局、あまりいい案は浮かばない。全人類を滅ぼすなど、そもそも考える機会自体があまりないことではあるのだが……。


「さて……じゃあ、ガンジリウムを利用した力場の利点って、分かりますか?」

「一定度の質量や運動エネルギーを持つ飛来物に対しての防御だが……他に挙げるとしたら、電力さえ継続的に維持されているならば、弱まった力場も取り戻せることか」

「そうっスね。通電さえしていれば、半永久的に存在し続ける――つまり、


 その含みのある物言いに、ある仮説が脳裏をよぎる。


「まさか……」

「そうっス。何も地上人類を殲滅するために、余計に物を持ってきて落とす必要も毒ガスも火薬も必要ない。


 全人類を殺すとなったとき、問題となるのは効率だ。

 如何にそれだけの弾薬や資材を運搬するか――そして如何に対象を射程距離に収めるまで移動するか。

 言うならば、サンタクロースの命題と言っていい。世界中の子供たちに一晩以内にプレゼントを届けるとした場合に彼が必要とする速度のような――この場合は子供相手だけではなく、そして、プレゼントではなく死だが。

 そのどちらもを劇的に解決する手段。

 それはつまり――


「大気を――そのまま、武器に用いるか」

「ご明察。……最終巡航速度マッハ六六六にて百万トンを超える巨大な質量の物体が大気中を航行する――その運動エネルギーの余波、熱エネルギーへの変換によって


 オーウェンの言葉に、嘘や誤りはない。

 それだけの速度なら、地球の最大円周・四万キロを一周するのに三分もかからない。

 実に秒速二百三〇キロ弱――その兵器が最終巡航速度に達すると同時、雷撃すら凌駕するその速度を前にはこの世の兵器での迎撃が行えず――そしてその運動エネルギーが齎すプラズマの温度を前には、如何なる防御も不可能な魔剣となろう。

 その飛行は、破滅を呼ぶ。

 破壊という名の黒く焦げ付いた翼を広げる、究極の対地球人類兵器。


「元の設計思想は惑星間移動船だったんでしょうが……広大な宇宙を進むための速さが、そのまま殺傷力に繋がった。つまり、……それがこの、【雪白の姫君スノウホワイト】という兵器の正体です」


 掛け値なしの対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバー――いや、それどころか――B7Rの大災厄と戦争によってかつての十分の一以下に減少した世界総人口十億人の人命を全て刈り取る死神の刃。

 この世を焼き尽くす純粋なる暴力に、肌を粟立てずにはいられなかった。

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