第87話 クロームヘッド、或いは歴戦となった兵士


 ふと、日常に思う。


 何も碌に入っていなかった空の冷蔵庫を閉じて買い出しに向かうその時に、食料品店の棚を見ながら――これは下の妹が好きだった菓子だとか。

 酒類の棚を見て、買って帰ったら父は喜ぶだろうかとか。

 こちらの母の得意料理の材料だとか。

 そうして棚を眺めた後に、そんな機会は二度と訪れないと改めて気付く。


 或いは、壁に貼った写真。


 ヘルメットを抱えて、訓練課程の終了祝いを行った仲間たちの連絡先を回想しつつ――その内の大半がもうどんな連絡の取りようもないということを。

 引き出しの中の工具箱に入れた血の付いたドックタグの主を。

 握った手から力を失って言葉も返さなくなった若き兵士の死に顔を。


 言いようがない、風が吹く。


 或いは、故郷の映像を眺めたとき。


 基地の中にあったかつての住処が、ただの瓦礫の山となってしまっているということを。

 幼少期に慣れ親しんだレストランが、その主の老夫婦ごと永久に失われてしまったということを。

 キャンプに向かった野山が、すべからく灰と岩石の荒野になってしまったということを。


 どうしようもない寂寥感と共に、それらが、胸に渡来する。


 こちらに来てからの己の痕跡、或いはその半生を証明する大半は喪失していた。

 過去は焼き払われた。

 今の己は、あの大虚と業火の中から新たに生まれた己なのだろう。


 だから余計に、思う。

 こうして運良く生き残った己ではなく、あの炎の内に消えていった数多の命たちを。

 戦争の未来を知ることなくその生を送って、そして、全てが一瞬のうちに吹き飛ばされたその命を。

 或いは、鉄と硝煙の道理の内に、乾いた血を頬に張り付かせて、目を見開いたままに息絶えたその兵士たちを。市民たちを。その残骸を。

 家を、職を、腕を、足を、息子を、娘を、父を、母を、夢と幸福を奪われた彼らを。


 彼らは――彼らのその家族は。


 何を思っただろう。

 何を想っているだろう。


 かつてより寂しくなった街の明かりを一人眺めながら、思う。


 人が死ぬというのは、白地図を火に焚べるように、そこに何かの境界線があったという事実すらも失わせる。

 そうして、本来なら悼むべき生の残り香ともいうべきものが、ふとした日常で心を空虚に蝕んでくるものと変わってしまうということだ。


 故に、人命というのは尊い。

 いや――……違う。関係ない。喪失の痛みと、人命の尊さに相関関係はない。

 ただ厳然と、それは、のだ。


 寂寥と胸を刺す痛みと共に、そう、何度でも思う。

 幾度と思い知らされて――……その度に噛み締めるのだ。


 ――と。


 己の内なる獣が牙を剥き、怒り狂う。

 それを、首輪で締め付ける。

 兵士であることの――その首輪で。



 ◇ ◆ ◇



 力場の強度というのは、そこに注いだ電力量と流体ガンジリウムの流量との相関関係にある。

 つまりより高出力なジェネレーターを用いれば機動・装甲共にその圧力を増し、より流体量を増やせばまた同様に機体を覆う《仮想装甲ゴーテル》は強さを増す。

 無論ながら、どちらか一方だけを高めたところでその出力曲線はいずれ頭打ちを迎えるのだが――……それでも、その二つを強化するということは、機体の生存性を高めるという意味では重要なことだった。


 ――――故に。


 アーセナル・コマンド特有のブロック・パーツ・システムによって、その機体はを作り上げていた。

 二脚を折り畳んで膝をついた無限軌道キャタピラが砂塵を上げる。無数の角張った増設装甲板に彩られたその脚部は、さながら荒野の惑星を進む砂芋虫サンドワームか。

 陸上戦艦、という形容は不釣り合いであろう。

 それは言わば、背中から人の上半身を生やした悪魔的な鎧虫とも言うべき禍々しさと共に、馬鹿げた重火力の棘を四方八方へと突き出している。


 両肩に被せられた大筒じみた二門の大口径投射砲。

 その頑健な両腕が握るのは大型のロケット砲であり、その腕部外甲に備えられたるは片側二門――計:四門の大口径ガトリング砲。

 背部に備えられた大型のミサイルコンテナは守護騎士が背負った大盾めいて機体後背部を覆い隠し――……明らかに過剰な火力装備だ。一撃でも被弾してしまえば誘爆で吹き飛ぶ火薬庫じみた威容が、そこにはあった。


 地獄の大鎧虫か。

 砂礫の大線虫か。

 悪魔めいた銃と鉄の嵐が形となって後退なき前進を続けるような――そんな、モッド・トルーパー。


火器管制装置システム正常稼働オールグリーン――投射開始オープンファイア


 そして、容赦なく解き放たれるミサイルハッチ。

 その機体の遥か遠方――巨大な砂時計型の月面居住区の周辺。月面の岩肌から足を離して滞空するコマンド・レイヴンめがけて、多段式電波照準ミサイル弾頭が雨の如く降り注ぐ。

 最早、数多に打ち付ける流星群とでもいうべきか。

 そして同時、両肩部に備えられた破城槌じみた大口径の主砲は戦艦の如く業火を吹き上げ、それは真空であるというのに音撃で内蔵を揺さぶるような衝撃を想像させる。

 まだ終わらない。

 更には両腕それぞれに握られた大型のロケットが連続して光の尾を棚引き、そこには何ら加減のない火力を顕現させていた。


 巻き起こる無数の――そして甚大なる爆発。情け容赦のない爆炎と衝撃の嵐。一個中隊に相当する単騎火力。


 大型の砂時計の如き居住区ボウル周辺に展開した銃鉄色ガンメタルのコマンド・レイヴンは、鉄の嵐に呑まれた。

 呑み込まれ、銀血を散らしながら、その四肢を喰い千切られて撃ち落とされていく。散っていく。喰い殺されていく。

 それは最早、一方的と呼んで何ら誤りない惨状だった。

 完全に予想打にし得ない大火力による先制攻撃――それが、十分な練度を持たない兵士たちから組織的な行動の余地を完全に吹き飛ばした。


 そうなれば、あとは一方的だ。

 人型重戦車めいたモッド・トルーパーが砲火を放つたびに、強烈に打ち吸えられた黒き大鴉たちが爆炎に散っていく。


 応射のために煙を掻き分けレールガンを構えた機体は、次々に襲いかかるミサイルによって動くことも許されず物言わぬ破片に変わる。

 執拗に喰らいかかる蛇めいたミサイル弾頭から逃れんと連続してバトル・ブーストを行った機体は、その機動限界による停止の隙をガトリング砲に撃ち叩かれ続けて爆発四散した。

 アサルトライフルを腰溜めに構えた機体が居住区から距離を取ろうとし――狙い澄ました大口径主砲の運動エネルギーに撥ねつけられ、叩き潰されて、鉄塊同然で月面に吹き飛び粉塵を散らした。

 共同して必死に弾幕を張ろうと試みた二機は、しかし、アーセナル・コマンドより劣るはずのたかがモッド・トルーパーの装甲を貫けず――……その混乱と驚愕に包まれる内に、角砂虫めいたモッド・トルーパーの背後から現れたその僚機によって応射のライフル弾を叩き込まれ、銀血を撒き散らさせられながら足を止めさせられる。

 そこに――噴き上がる鋼の咆哮。

 連続して放たれたロケット砲が容赦なく突き刺さる。爆発に次ぐ爆発。そのコックピットが虚ろなる大穴へと化す。


「なんで……なんで、最新型が!? 最新型が、モッド・トルーパーなんかに……!? どうして!? なんで!?」


 全周コックピットの向こうの、月面付近を漂う人型戦車めいたモッド・トルーパーを見詰めながら年若い兵が叫ぶ。

 駐留していた一個強襲猟兵中隊、全十二機の生き残りは彼一人であった。

 たった二機。たかが二機。

 それも相手の一機はモッド・トルーパーだというのに、蚊でも散らすかのように落とされていた。


 あり得るはずがない。

 あり得る訳がない。


 モッド・トルーパーは、アーセナル・コマンドのように全身への《仮想装甲ゴーテル》の展開を行えない。機動でも、装甲でも劣る機体だ。

 如何に両肩や脚外に増設装甲板を設けようとも、それは、《仮想装甲ゴーテル》を含めたアーセナル・コマンドの装甲には劣るというのに。

 なのに――墜ちない。殺せない。

 そうしている間に、撃ち落とされたのは彼の仲間たちの方だった。


「これで撃墜数ランクってのはどうなるかな。……“スクリーム”アイクは撃墜されたようだけど」

「行方不明者扱いだと、増やされもしないんじゃねえのか?」

「それもそうか。……というわけで、スコアにならないらしい。悪いな。ただ死んでくれ」


 戦闘とすらも感じさせない口調で、暗号化されない通信のまま二機が会話を交わし――そして銃口が向けられる。

 命のやり取りというものに、何ら緊張を抱かない二人。

 いや、違う。最早その二名にとってそれは日常と同じなのだ。それほどまでに戦闘経験を積み重ねたのだ。あまりに膨大な――さながら客船の船底を突き破る氷山めいた戦いの経歴。

 底冷えするほどに残酷なその差は、放たれる弾丸として顕現し、


「そこの新兵――避けろッ!」


 突如として割って入った無線通信に――強制的に叩き起こされ、咄嗟に行ったバトルブーストによって遠ざけられた。

 過ぎていく弾丸。

 そして、聖杯を縦に二つ並べたような砂時計型の居住区ボウルの港から出現した、古ぼけて錆だらけのアーモリー・トルーパー。

 衛星軌道都市サテライトの治安予備警察隊に僅かばかり貸与された二機の内の一機。

 瑪瑙めのうめいて色の移り変わる偏光グラスを纏った短髪銀毛の青年。かつての衛星軌道都市サテライト連合宇宙軍の駆動者リンカー

 その名も――


「“瑪瑙色の悪夢アゲット・ザ・ナイトメア”……“ルナリアの悪雷”アーノルド・アゲット大尉か……懐かしいな。撤退戦に優れるということは、防衛戦にも適正があるということだよな」

「……“人形遣いドールマスター”ヘムズワース。あの戦いの中、華々しい話は聞いている」

「おたくには負けるさ。不利にもめげずに戦い、学徒兵の撤退を掩護し続けた英雄だ。と言う割にその機体……祖国は随分とした扱いじゃないか?」

「……機体が生存を決めるのではない。ただ、己の信念がそれを決めるのだ……!」


 決意を込めた言葉とともにアゲット予備大尉の駆るアーモリー・トルーパーは、反乱避けのために脊椎接続アーセナルリンクすら搭載されていない旧型だ。

 推進機構は有しているものの、戦闘を想定してもいなければ戦争で発展した技術もフィードバックされていない鋼の重機。

 ずんぐりとしたその機体が、旧式特有の関節部の頑健さから規格外のアーセナル・コマンド用のアサルトライフルを持とうとも――その性能が大きく向上はしない。


「じゃあ、死んだコイツらは信念が足りなかったって? その言い方は、酷いな」

「ッ、撃ち落としたのはお前たちだろう――!」

「ま、そうか。そうだな」


 凪のように受け流すジョン・ヘムズワース。

 一房だけ血の如く染めた赤き前髪を持つ銀髪の男。

 モッド・トルーパーを駆りながらアーセナル・コマンドを仕留め、そして多くのアーセナル・コマンドを駆った者たちよりも戦果を引き出した駆動者リンカー

 その鋼の実力は、膨大な重火力として厳然と現界し、


「じゃあ、その信念を図らせて貰おうよ。――投射開始オープンファイア


 そして、投射された。

 棚引く数多のミサイル。殺到するそれらが目指すのは、ずんぐりとした一機のアーモリー・トルーパー。

 火を吹くアサルトライフル。

 何たることか、対空機銃じみた弾幕によって迫りくるミサイルを巧みに迎撃していく。

 そして――そのまま砂虫めいたモッド・トルーパーと直立する狼じみたアーセナル・コマンドへと応射を行うも、


「く――……この機体ではッ!」


 追えない。追いきれない。捉えられない。

 放つ弾丸は瞬発する機体に空を切り、たまに命中したとしても力場の圧力によって逸らされる。それを貫けるだけの火力は――連続射撃は、軍用ではない機体の関節には許されない。反動と旋回のGに耐えられない。

 戦車の装甲を持つ戦闘機、という触れ込みは伊達や酔狂ではないのだ。

 果たして建設用の重機で戦車や戦闘機に伍せるなどと一体誰が考えるか。それほどまでに――絶望的なのだ。アーセナル・コマンドとそれ以外の差は。

 極超音速どころか第二宇宙速度による飛翔の衝撃波すらも遠ざけるほどの圧力を発揮する《仮想装甲ゴーテル》に、ガンジリウム・ヴォルフラミット合金製の外装甲。更にその内を流れる流体装甲と、堅固なる金属製のフレームによって成り立つ強力無比な鋼の人型。

 それらが織りなして作り上げた頑健なる機体は、単身で都市部を焼き尽くすほどの高火力兵装の運用すら可能とする。

 圧倒的な不利の中で起死回生のために作られた兵器――その事実は、兵器として量産された今となっては半ば忘却されつつあるが……依然として脅威そのものであるのだ。


「諦めなよ。無理ってもんだよ」


 三つの弾倉を打ち切り、しかし、傷一つ存在しない。

 対するアゲット予備大尉の機体は、既に様々なエラーメッセージを表示していた。超高速戦闘の重圧に、耐えきれないのだ。

 そんな彼へと、通信が入る。


「オレと来ないか? おたくなら歓迎だ。……三年間耐え忍んだ兵も喜ぶ。あの戦域で共に戦った奴らも多いぜ。オレたちは、まだ、死んでない。……そうだろ?」


 アーモリー・トルーパーという非戦闘用機体で十分すぎる運用を見せたアーノルド・アゲット。

 それに払う敬意は相応――そうとでも言いたげに柔らかに変化した元戦友からの言葉。

 それに対して、短い銀髪のアゲット予備大尉に言えることは、


「――断る」


 その言葉のみだった。

 歯を喰い縛り、眼差しを尖らせ――拳を握った彼は、吠えた。


「耐え忍ぶというなら……今まさにここに残っている民こそがそうであろう! あの敗戦から逃げず、受け止め、甘んじ……どれほど軽んじられようとも、それでもこの国から逃れることなく復興に携わる……! それこそを耐え忍ぶと呼ぶのだ! それを、嵐吹き荒れる地表を去り、無情なる果てどない真空に人の住処を作り上げたこの国の魂と呼ぶのだ!」


 怒りだった。憤りだった。かつての友軍ということを塗り潰すほどに、それは純粋なる義憤だった。


「この三年間……祖国には様々な苦難が訪れた! その時お前たちは何をしていた! 逃げ、隠れ、背き……今度は終わった筈の戦いを掘り起こして、そして、国力なくしてどんな勝利を掴むと言うのだ! その戦いの果てに、ここに残された民が如何なる扱いを受けると言うのだ!」


 脳裏をよぎるのは、戦後祖国の民が辿った様々な道だった。

 私刑で無残に殺された者もいる。残虐なる虐殺者の郎党として職を奪われた者もいる。保護高地都市ハイランドに帰化した者の子供たちが通おうとした学校が暴徒やデモ隊に囲まれたこともある。今もなお、あのような【フィッチャーの鳥】の弾圧と暴虐に晒されてもいる。

 それでも――それでも少しずつ、復興を行ってきた。自治権を取り戻してきた。それを行ったのは、全て祖国に踏みとどまった民やまた祖国に戻ってきた民だ。

 断じて、こうも戦後に争いを引き起こそうとする逃亡兵たちによって――ではない。


「義によって立つならば、それは常に民の側の筈だ! 断じて軍や司令部の側ではない! ましてや兵士の栄光のためになど――――民を死に付き合わせるな! 貴様らは最早、兵士ですらない! 腐りきったただの死体だ!」


 たとえここで死ぬとしても、残された民のために――元は衛星軌道都市サテライトの軍人だった者として、己こそがそう叫ばねばならないとアゲット予備大尉は慄えていた。


「手厳しいね、こりゃ。……ま、それならそれでいいよ。そうなった以上は残念だが――……と言いたいが、意見の違う同胞を撃つほど非道には染まれなくてね」

「ッ、どの口が……!」

「この口さ、戦友。……ただ、そっちの保護高地都市ハイランド軍人は別だ。オレたちの帰還を示すためにも、ここで全滅して貰う」


 冷徹な殺意が、照準を始める。

 それを防げるだけの力は――今のアーノルド・アゲットには、ない。


「ッ、避けろ――! 応射しつつ、回避に集中しろ! 生き延びることだけを考えろ!」


 叫ぶも、


「新兵には無理な相談だ。……おたくもオレも、よーく知ってることじゃないか」

「く……ッ! ここに来て、戦乱の火種を振りまこうとは――お前たちは、この祖国をなんだと思っている! そんなものは……! この国の未来とは呼べぬ……! そんなものなど、断じて……!」

「そうだな。……未来じゃなく、現在さ。これは」


 それを妨げる手立てはない。

 その機体の右手の内の撃ち尽くしたアサルトライフルは何の脅威足り得ず、如何なる信念も一発の弾丸にすらなりさえしない。

 結果――弾丸が降り注ぐ。


 


『貴官の言う通りだ。……その在り方に敬意を表する』


 淡々とした感情のない声。どう情緒的に捉えようとしても、世辞ともすら思えない敬意。

 敵を挟み込むように――荒涼とした月の丘の向こうに立つ、一機のアーモリー・トルーパー。二丁拳銃を構えた、筋肉質の宇宙服めいた【ハンプティ・ダンプティ】。


「お前は……!?」


 記憶に従えば、それこそが本来の敵機として設定していたはずの相手であり、


『掩護する。――――メメント・モリ、交戦を開始する』


 しかしそんな事実に何一つ構うことないように、その機体は戦場への介入を開始した。



 ◇ ◆ ◇



 月面に風は吹かない。


 だが、飛来したアーセナル・コマンドの力場が齎した力の指向性が月面の粉塵を巻き上げ、それは、白灰色の夜の女王の素肌に纏われたヴェールめいて地表を流れていた。

 暗黒の宇宙の下にて肌を晒した寒々しい無慈悲なる夜の女王。

 かつて降り立つことを夢見たその場所に、自分はいた。

 百万以上の命を奪った殺戮者として――……あの世界から、あまりにも遠く離れて。


 不意に渡来する郷愁が喉を込み上げ、何かを漏らしそうになった。叫びたくなった。それを、拳を握って押し込めた。――


「――……否だ」


 小さく首を振り、機体を反転させる。


「おーぐりー、どうしたの? 何する気なの?」


 急激な方向転換に車輪が僅かに浮き上がった【ハンプティ・ダンプティ】の振動の中、ラモーナが訝しむようにこちらを覗き込んできた。

 故に、


「……彼らを掩護する」


 端的に告げ、コンソールに振れる。

 非常時移動用のバギーの切り離しには問題はない。シート裏に備えられている予備のヘルメットも、ラモーナの着ている防護コートの規格とも合いそうだ。


「味方と思わせるため? でも、このまま進めば――」

「違う。……【フィッチャーの鳥】を掩護する」

「!?」


 信じられぬものを見たように目を見開くラモーナの前で、コンソールを叩きながら作業を続行。車載防護服を収納したラックをコックピット内に展開していく。

 そのまま、告げる。


「俺は連盟旗に忠誠を誓った。……治安部隊がテロリストに殺傷されるのは、断じて見逃していい事案ではない」

「おーぐりー!」

「……理解している。このまま合流し、彼らの船の内部から制圧するのが、最も効率的な手法だろう。強化外骨格エキゾスケルトンがある今、そうして船内を皆殺しにする方があまりに手早く簡易だ」


 その後の脱出に気を払わないならば、そして敵艦が正規軍ではない故に艦内にさほど有効な白兵戦力を有しないと見るなら――加えて何より強化外骨格エキゾスケルトンという、こと対人戦においてはアーモリー・トルーパーとアーセナル・コマンドほどの差を生み出す武装を鑑みれば、それは決して夢物語とは言えないプランになる。

 優れた駆動者リンカーと言えども、その大半は機体に乗り込まぬ生身のうちに強化外骨格エキゾスケルトンに襲撃されれば概ね死亡する。自分も、敵味方を問わず多く見てきた。

 そして乗組員を無力化し、そのまま船のバイタルパートを破壊し、必要な情報を入手したあとに死の真空にて撃沈させる。……困難であるが決して不可能とは言えない作戦だ。

 この先自分が行おうとしている行為を鑑みれば、そちらの方が勝算は高い。

 だが、


「……脱出も叶わないならば【フィッチャーの鳥】の陸戦隊と交戦することも視野に入れたが、既に都市部からの離脱は行えた。ならば、敵対する必要はどこにもないはずだ」

「あるよ。……無茶だよ、おーぐりー。大変だよ、これで戦うの」

「……だとしても、だ。ただ簡易さを求めるためだけに、友軍を見捨てていい事案などこの世には存在しない。そして、この任務が俺に――黒衣の七人ブラックパレードの最後の一人へと託されたなら、俺はその負託に応えるべきだ。……そも、すべからく兵士とは、負託に応えるために備え続ける存在なのだから」


 幼少期から戦争の未来があると知っていたが故に備えられていただけであり、己は決して十分な力を持たぬその他大勢の側であろうが――……それとこれとは関係ない。

 ――

 義務を果たさなければならない。己がこの国の兵士として任命されたという、その義務を。


「可能なら爾後じごに合流したいが、信号が途絶したならば君は先程の指示の通りの行動を。……その他の潜入への留意についても、デバイスに記してある。役立つ筈だ」

「……おーぐりー、わかってるの? おーぐりーは、追われてるんだよ? 今はあの人たちが助けてくれる側なんだよ?」


 バックパックに可搬型デバイスや武装や食料などを放り込む。しかし、その手をラモーナが抑えていた。

 彼女は小さく首を振る。

 一人にするなということか、それともこちらが向かう先は死が待ち受けていると言いたいのか――……前者は些か都合のいい妄想だな、と思いつつその手を握って彼女を正面から見据える。


「理解している。……だが、


 そうだ。

 任務上の必要なく己の命惜しさに友軍を見捨てるならば――……そうであるなら初めから軍人になどなるべきではない。

 そうだ。仮に己が今日ここで死ぬことと、己の責務を最期まで遂行せねばならないことにはなんら関わりはない。

 たとえ明日世界が滅ぼうとも、一分後に己が死のうとも、為すべきことは変わりない。

 大切なのは、ただ一つだ。


「あの日、連盟旗に誓った。俺はあの旗に、。契約を交わした以上、俺はその責務を全うする必要がある……義務がある。……いつ如何なる場合においても、それは変わりない。


 ラモーナが、僅かに敵意の含まれる目線をこちらに向けるも――揺るがず、それを見詰め続けた。

 やがて、彼女が顔を逸らす。

 長いとは言えない邂逅だったが、それで話は終わったようだった。


「既に必要最小限の情報収集は果たした。囮としても、これ以上ないほど多くの注目を惹きつけた。……その点から言えば何も問題はない。今回与えられた任務において、今後の俺の離脱に最早大きな支障はない。俺の生存は重要ではない、と言える」

「おーぐりー……」

「俺の死後、以後においては貴官に危険があると認めうる場合、その旨を報告してあちらの指示を仰いでくれ。無論、貴官の生存を蔑ろにした任務の続行が行われぬようにこちらの主張も記してある」


 果たしてその主張が受け入れられるかは疑問が出るが、おそらく大佐も軍も有数の戦力である彼女を使い捨てにはしないだろうと――そう信じて。或いは最悪の場合の不当な命令に対する連絡先も備えて。

 これで今できる、必要な準備は終えたと言っていい。

 あとは後顧の憂いなく、戦闘を行うだけだ。


「……おーぐりーは、どうしてそうやってとするの? そうやって忘れようとするの? おーぐりーは、幽霊じゃないんだよ? んだよ? わたしの前に、おーぐりーはいるよ? おーぐりーの前に、わたしはいるよ?」

「……? ラモーナ?」

「ねえ、おーぐりーは何を見ているの? 人間が嫌いなの? 生きていたくないの? そんなに、今の自分が許せないの?」


 何かを訴えかけるようなラモーナの言葉にしばし口を噤み、


「貴官の質問の意図が不明だが……まず、俺は、個人である前にこの国の兵士だ。……。ただそれだけの話だ」


 ただ端的に告げる。

 瞼を閉じる――


 執行せよ。己はただ一振りの剣であり、一匹の猟犬だ。


 



 ◇ ◆ ◇



 駆け付けたその場に広がっていたのは、惨状だった。

 生き残りは一機のアーセナル・コマンド――【コマンド・レイヴン】と、一機の旧式のアーモリー・トルーパー――【ドルディ・ドルダム】。

 大鴉じみた機体と、手足の生えた兜を冠ったカプセルめいた機体のみ。他の全ては、撃墜されている。

 出せる限りの最高速で駆け付けたが、間に合わなかったのだ。……既に多くの命は失われた。


「おいおい……こりゃ、どういう了見だ? おたくの撤退を援護しに来たって伝わらなかったのか?」


 敵機から入る非暗号通信へ、


「頼んだ覚えはない。……彼の言う通りだ。俺はテロリストには与しない」

「状況が、わかってんのか?」

「他を当たれと言った。貴官らの存在は社会秩序に対する重大な反逆行為であり、あまりに大きな毀損行為だが……今ならばまだ殺さないと約束する。それ以上進めば、その限りではない」

「言うね、モッド・トルーパーですらないアーモリー・トルーパーだってのに……」


 敵機は二機、困ったように対空していた。

 どこかからこちらの情報を聞きつけ援護に来たはずだというのに、こちらが刃を向けたという事実に戸惑っているのか。前提の変化に伴った今後の方針の確認か。

 なんにせよその間は、こちらにもまた利するものだ。


(……囮として、大きな注目は集めた。更にオーウェン・ウーサー・ナイチンゲールという情報源の糸口を見付けた以上、必要最低限以上の任務内容は達成している)


 改めて、考える。


(そして、と言うなら――……そも、あの脱出の際にも友軍を殺害してはいない。その点については気を払わされ、こちらもそう実行した。故に……如何な任務内容を持つにしても、この作戦における欺瞞行動について、友軍の生命に関しては――それを損なうべきではないと判断するのが妥当だ)


 頷き、


(交戦規定に支障は来たしていない――……法的に瑕疵がないなら、あとの問題は、俺の生存という一点のみだ)


 つまり――敵を殺す。

 いつも通り何も変わらぬ、己の有用性の発揮に努めるだけだ。


「そこのコマンド・レイヴン、協力しろ。……或いはこちらから協力する、でも構わないが」


 相談を交わし合うように停止した二機の敵機を尻目に、こちらも友軍へと通信を入れる。


「なんでお前に――」

「敵は“大食い”ヘムズワースだ。……“二つ名有りネームド”の撃墜経験はあるか?」


 返答はされない。

 やはり、宇宙方面隊の【フィッチャーの鳥】にはあまり精鋭がいないのだろう。それは、居住区ボウルの駐留部隊のみかもしれないが――なんにせよ好都合だった。


「ヘムズワースの撃墜を図るな。あれはそういうためにモッド・トルーパーに乗っている。……敢えて浮き駒のように振る舞うことで敵の火線を集中させ、味方を動きやすくする。そしてあの装甲と機動を前には、そう容易くは落とせない」


 この混乱に乗じて指揮権を奪い取る。

 イニシアティブを取るために、続け様に指示を飛ばす。こうすれば人間心理的に、従わざるを得ない空気が作られる。


「そこのアーモリー・トルーパーはレールガンを拾え。レールガン自体に蓄電装置キャパシタがある……数発の射撃は叶う筈だ。決め役が二人になれば、敵も容易には接近できない。……トリガー・ロック解除のパスコードを送る」


 かつて【フィッチャーの鳥】に出向されていた際に聞いたそれは、この宇宙方面隊でも有効だった。

 疑問が口にされるよりも先に、新兵へ畳み掛けた。


「構えながら聞け。貴官はそのままアサルトライフルにてヘムズワースを牽制。あの重装甲には通じぬふうに見えるが、奴とて手練だ。

「どういうことですか……?」

「跳弾による意図せぬ装甲部以外への破損の警戒をする。モッド・トルーパーは、アーセナル・コマンドより装甲で劣る――……だというのにアレは、それ以上の装甲を持っている。いや、

「欺瞞……?」


 怪訝そうに声を上げた彼へ、通信を返す。


「通電部位を絞って電力を集中させることで、箇所ごとの《仮想装甲ゴーテル》の厚みを増させている。分厚いのは一部だけ……あの増設装甲板は、機体が破損していないと思わせるためのものだ。……そうして敵を混乱させ、大火力を用いようとしたその隙を狙っている」

「……!」

「奴の火力、というプレッシャーもそのためだ。高火力で勝負を急ぐ、或いはそれから逃れようとバトル・ブーストを行う――そうして電力を失い装甲圧を損なった機体から撃ち落とす。それを目の当たりにしたものは、余計に焦って術中に嵌る……落ち着いて、機動を活かして消耗させろ。実体弾主体の敵の最大火力時間には限りがある。……くれぐれも捕まるな」


 アーセナル・コマンドに装甲勝ちするモッド・トルーパーという矛盾――その絡繰り。

 彼に撃墜された友軍のログを繰り返し眺めた。

 そうして備えていた。相手がエースというなら、いずれどこかの戦場で激突する可能性も考えて――結局実現はしなかったが。

 二機を注視しつつ、言葉を続ける。敵はまだ動き出さない――……方針決めだろうか。それが完了するより先にこちらの伝達が終わるかは、賭けだ。


「レールガンは仕舞うな。あくまでもアサルトライフルは牽制であり、レールガンこそが本命で、撃墜のためのもの――と相手に思わせろ」

「……?」


 問い返す青年へ、


「――


 告げる。

 その心を――その行動を鼓舞するように。恐怖を塗り潰すように。意識を塗り替えるように。


「そちらは俺が受け持つ。……案ずるな。あのアーセナル・コマンドは

「そんな無茶な! アーモリー・トルーパーなんかでアーセナル・コマンドは――」

「問題ない。


 実際は分の悪い賭けになるだろうが、それを伝える必要はない。

 ただ、実行するしかないなら実行する――そして実現する。己にあるのはその一点であり、それを為すことが他ならない自分の有用性だ。あとの全ては、些事である。


「貴方は、一体……」

「諸君らの最も身近にあるもの……身の毛がよだつ隣人――だ。……今、俺に言えることはこれしかない」

「……!」


 芝居がかった言い回しだが、なんにしても、ひとまず恐慌状態だった彼に活を入れられたらしい。

 巡回時にはあのように程度の低さを示していた【フィッチャーの鳥】であるが、少なくとも訓練生時代は一握りの栄誉ある者として、素質ある者としての取り扱われはしただろうし……実際にそれに足る能力はあったのだろう。

 あとはそれを引き出して――勝利する。それしかない。


「ツーマンセルを基本としろ。緊急時には力場にて、アーモリー・トルーパーを庇え。……今のうちに学習AIに緊急防御時の電力配分プリセットを構築させろ。彼らは優秀だ」

「は、はい……!」


 自然に敬語に切り替わった彼を眺めつつ、こちらも二丁拳銃を構え上げる。

 敵二機が武装を構え直した。相談事は終わったらしい。

 吐息を一つ。

 敵との兵力の差は甚大。当機はアーセナル・コマンドではなく、普段使いの装備はなく、推進剤もなく、圧倒的に機体性能で劣る。戦力の一名は新兵。敵は歴戦の兵士。

 ああ――


「――状況開始。所属不明機を撃退する」


 ――

 怒れ――怒りの首輪を以て、怒れる自分を締め上げろ。

 斬れ。断ち切れ。鏖殺しろ。

 



 ◇ ◆ ◇



 遮るものなき月面を、白銀色の胴を持つモッド・トルーパーが低空飛行する。

 月面に備えられた対空レーダーは今はデブリ察知の役割が強く、その凹凸とした月面も相俟って、低空飛行ならば用意には察知されない。


 ふわりと波打つ肩をすぎるほどの金髪と、剥き出しにされた白い肩。


 少女が、はだけていたパイロットスーツを着直す。

 コックピット内での精密な力場を利用しての、力場のシャワー――のように老廃物を拭う作業が終わった。常に接続を続けていることで、シンデレラの駆動者リンカーとしての力は、そんな精密さまで獲得していた。

 ふと、身体を覆うスーツ越しに自分の手足を見て、シンデレラは小さく吐息を漏らした。


(あんな大人に……わたしもなるのかな。なれるのかな)


 想像するのはあの都市で出会った月女神の名を持つ女性――スラリと長い手足と、整った大人の美貌。子供時代から碌に身長も伸びなくなった自分とは大違いで、まるでモデルか何かのように――きっとどんな服も着こなせるんだろうな、とそんな感想を抱く長身の女性。

 思い返せば、羨ましく思えた。

 ……大尉の隣に立つなら、良く似合うだろう。

 親しげに彼のことを口にするアルテミスには、そんな感想も抱いた。あの日の公園で語りあっていた彼女と彼を後ろから眺めながらも思った。子供っぽい自分とは大違いなのだ。……それがどうしようもなく羨ましかった。余計に自分が惨めなもののような気がして、その場から逃げ出したくなった。


 ――アルテミス・ハンツマン。


 不思議な人だった。

 あの戦場から機械の四肢をもぎとられて放り出されたシンデレラを、拾い上げてくれた女性だった。

 そればかりか、彼女は様々な世話を焼いてくれた。

 コックピットでうずくまるシンデレラを抱き締め、真空の宇宙から拾い上げ、どこかに通報することもなく、そればかりか機体の修理にも手を貸し――更に、シンデレラの戦闘機動にアドバイスすらしてくれた。

 聞けば、


『んー……昔の私に似てるしね。なんだか他人の気がしなくて』

『…………え?』


 誰と誰が?

 思わず浮かんだそんな言葉をシンデレラは飲み込んだ。銀髪の美貌のアルテミスはあまりにも社交的で、柔和で、華がある。自分と同じような人間とは思えなかった。


(……羨ましい、な)


 操縦神経の確立とも呼ばれる幼少期からの脊椎接続アーセナルリンクによって、シンデレラの身体はこれ以上成長しない。いや、成長をする点はしてしまうのだが、少なくとも身長や手足がこれ以上伸びることはない。

 いつか着てみたかった服はいつまでも着ることができないまま、いつか似合うようにと思ったドレスもアクセサリーも不釣り合いのまま、そうして生きていくしかない。

 増えたのは不格好な傷だけだ。まるでフランケンシュタインの怪物みたいに……パイロットスーツの下にできた、不気味で醜い傷跡。

 彼に似合う自分には、もう、なれない。……そもそも二度と会うこともできないと思っていた。


『……傷、かぁ。うん、そっか……そこまで同じかぁ……任せなさい。アナタに、女神のキスを。とびっきりのプレゼントをあげるね?』


 サプライズだと笑ったアルテミス。

 元は衛星軌道都市サテライトの住民だったというのに、保護高地都市ハイランドの戦技教官を努めたという変わり種の女性。かつて、大尉の教官でもあったと聞く。

 不思議な人だな、と思った。

 ずっと笑っているのに悲しんでいるような、そんな人だった。

 だからなのか――……ぽつぽつと要領を得ない口調で身の上を語るシンデレラの話を聞いたあとに、彼との邂逅を叶えてくれたのもアルテミスだった。


(……一緒に来てください、って大尉に言えたらよかったのかな)


 あの一夜の邂逅ののちに、そうしろと、アルテミスからは言われた。愛しい男には素直に口に出して、一緒に居てくれるように求めた方がいいと。

 或いは、どうしてもできないならそう彼に自分から呼びかけてやってもいいとさえ言われた。だけれども、それは固辞した。そんなシンデレラを彼女はしばし、残念そうに――……或いはを籠めて眺めてから、何かを決意したように吐息を漏らした。


 首から下げたドッグタグのロザリオを、ぎゅっと握り締める。

 こうしていると、あの夜、彼が手をとってくれた熱が伝わってくるようだった。

 シンデレラと――真摯な瞳で、向き合ってくれた。ただの子供に対してではなく、一人の人間として向かい合ってくれていた。父であった男からすらも穢されそうになった自分なんかに。


(大尉……大尉が、好きです。愛してます。大尉と、ずっと一緒にいたいです……)


 本当に――本当に、あの人が自分の手をとってくれたらそれほどまでに嬉しいことはない。

 彼が隣に立ってくれるなら、肩を支えてくれるなら、背中を預かってくれるなら、たとえこの世の誰を敵に回したとしても――……いいや、一緒に居られるならそれだけで何にも替え難い幸福を持って生きていける。

 たとえその先に数多の戦乱が待っていても、地獄の業火に焼かれるとしても恐ろしくない。

 そうとまで――金属の十字架に身体の奥底から熱が伝わるほどに、胸の奥から思慕が溢れるほどに、震えるほどに、思えた。

 だが……首を振る。


(……駄目だ。大尉にそうさせたくないから、それじゃ駄目だから保護高地都市ハイランドを離れたのに――……大尉を連れてきたら、駄目だ)


 地獄の業火に焼かれるほど――などではない。彼は今も焼かれ続けている。世の戦火と、己の内なる憤怒の炎に焼かれ続けている。

 多分、シンデレラと共に戦えば――共に戦う分だけ、という分だけ、彼は余計に怒りに駆られる。その激情は、常に彼の内で燻り続けるだろう。

 その炎を止めることは、戦の火を止めることと同じだ。

 彼は常に焼かれ続けている――生きながら、焼かれ続けている。どうしようもない怒りの炎に。


 抱き締めて彼の火傷を癒せるなら、そうしただろう。そうさせて貰えるなら、髪の先から爪先まで捧げただろう。

 しかし、それは叶わない。

 隣にいくら居ようとも、彼のその瞳は戦と死を見続ける――シンデレラを見詰める瞳とは逆の片目で。

 一つ目の厳格なるグリム。

 戦と、死と、嵐の王――吹き荒れる狩人の主。一人にして群なる死者の先導者。身の内に黄昏の獣を飼う、理性なる王。鴉の主人。


(だから――止めないと。それが、わたしのするべきことだ。……わたしが一番したいこと。これ以上、大尉を戦わせないように……あんなことがもう起きないように、早くこの戦いを終わらせないと)


 自分を【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に引き入れたマクシミリアン・ウルヴス・グレイコートから聞いた【フィッチャーの鳥】の悪逆。

 衛星軌道都市サテライトでの、正規軍を逸脱した私刑と弾圧。

 自分たちの国土を焼いた【星の銀貨シュテルンターラー】すらも秘密裏に運用し、そして、使

 過激派による衛星軌道での輸送機に対して行われたテロと輸送機の墜落――と銘打たれたそれは、実際は、再生した兵器の試射として行われた惨事である。


 試すために、禁止された兵器を人に向けて放つ――。


 そんな組織は、許してはならない。許されてはならないのだ。シンデレラだけでなく、多くの人がそう思う。特にあの【星の銀貨シュテルンターラー】に焼かれた保護高地都市ハイランドの住民は、反感を抱くだろう。

 マクシミリアンが、地上での見逃せない騒動を起こせば衛星兵器が用いられる――と言ったのは、何も希望的な観測ではない。既に行われた事実であるからだ。

 その情報と、秘匿されていた衛星兵器の現物の開示。

 それを以って【フィッチャーの鳥】の終焉を告げる。そのために彼らは活動していた。


 【雪衣の白肌スノウホワイト】という名称を持つその兵器を暴き立て根絶することこそが、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の存在理由であった。


(でも……わたしとあの船の離脱で、当初の作戦は変更になった。……宇宙の【フィッチャーの鳥】を倒すこともできなくなった)


 宇宙方面隊を撃破して、秘匿された【雪衣の白肌スノウホワイト】を確保する――という大目標の達成は既に困難だろう。

 あの【衛士にして王ドロッセルバールト】という残党の介入により、迂闊に【フィッチャーの鳥】を撃破してしまえば【雪衣の白肌スノウホワイト】が残党の手に渡ってしまいかねない。

 そして何よりも、彼ら――。


 ――というアーセナル・コマンドそのものの理念を体現したような彼らの出現が、全ての目標を阻む。


 【ホワイトスワン】のデータを元に新たに開発されていた【角笛帽子ホーニィハット】という新型を以ってしても、決して【フィッチャーの鳥】への優位となりえない。

 それどころか、


(……わかってる。今のわたしじゃ、勝てないって。ヘンリー中尉も、あのエディス大尉も……わたしには足りないところがあって、それ以上に機体の性能が違い過ぎる)


 あの【ホワイトスワン】が残っていたなら結果は違うかもしれないが――……今それは、グレイコート大尉の駆る一機だけになっている。

 他に、対抗する手段が必要だ。

 新たなる機体が――第四世代型を超えるだけの、新たな力が。


(何かあったときの合流地点は聞いてる。秘匿回線の周波数も大丈夫。アルテミスさんが、昔の整備士さんの伝手も教えてくれた――……)


 あとは月面赤道付近のその都市に目掛けて進むだけ。

 そのあいだにシンデレラにできることは、繰り返したシミュレーター上での戦闘と、


(……機体を自分の肉体にできる。そんなわたしだから、今、作れる機体もある筈だ――)


 自軍に合流すると同時に提出する新型機のプラン。

 通常なら、その設計――及び実装。そのための実証実験には膨大な時間がかかる。求められたスペックの確立と、機動によって起こる運動力学が部品に与える影響を精査しなければならない。

 だが――……たとえ僅かな違和感ですらも、或いは機体の損壊すらもとして知れる者がいるなら?


(シミュレーターにも脊椎接続アーセナルリンクを行ってる……なら、機体管理上のデータを新型機に書き換えて接続すれば、それをわたしの身体として繋がることもできるはずだ……! 痛みで、設計の不具合を知れる筈だ……!)


 自分の身体を組み立てながら解剖して、改造して、また組み上げるようなものだ――全ての痛覚を有したままで。

 果てどない。

 狂うだろう。人の域を超えている。

 そんな恐怖は、いくらでも湧いてくる――だとしても。


(大尉だって、今もどこかで戦ってる……ならわたしが、ここで諦めるなんてできない――……またあの人にシンデレラって、シンシアって呼んで貰うんだ! わたしは!)


 奥歯を噛み締めて、シミュレーターのプログラムに、コックピット内に浮かび上がったホログラムに触れる。

 自分は死なないと言い聞かせた。

 不死者なのだ。

 だからこの痛みなど、何でもないと――ただ言い聞かせる。それが、自分の行うべきことなのだから。


 全ては彼と日常に帰る――。


 それだけが胸に灯った希望の篝火として、シンデレラは強く手のひらを握り締めた。


 あのとき己の名を呼び続けてくれたその声を、ただ想いながら。





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