幕間【四】 燃える炎の七日間、或いは少女の肖像
空が燃えている。
街が燃えている。
退避した丘の先から、それを見下ろしている。
「おお、神様……わたしたちは何か誤ったのでしょうか」
隣の老女が膝をついて嘆くのを聞きながら、己は拳を握り締めた。
始まった戦争。自分はそれを止められなかった。
父の伝手で広めた人脈に頼んで、攻撃衛星破壊装置の実装について呼びかけたり――或いは廃棄されたかつての地下施設を改修した防護施設の建設の必要性を説いたり。
人脈からのさらなる伝手で、この
ときには今後の展望などを――精神を疑われぬ範囲内で――匿名にて大衆に伝え、備蓄を呼びかけたり。
融和政策に有力そうな貴族院議員や軍事に明るい代議院議員へと、投書や文書も投げた。或いはあちらからの交換生などとも積極的に交流して、その風俗習慣や世論についての情報の収集を行い、伝えた。
しかし、何にしても――
(始まったか……俺は、止められなかった……)
戦争の回避ばかりは、成し得なかった。
思わず天を仰ぎたくなるその気持ちを――まだだ、と叱咤する。
最悪の想定はできている。
この日、こうなったときのことも考えている。
背負っているリュックの中から簡易式の電波塔を天へと伸ばし、それから、
「聞こえるだろうか! 生き残った者たちは、退避を行ってくれ! 避難経路は、貴官らの足元や壁に示されたマークを――」
軍用無線以外の民間の通信は、衛星を介したものに既に大半が置き換わっておりこの状況下での使用はできないが――例えば単なるアンテナを介した短波通信などは、原理的に何の制約もなく未だ可能だ。
街灯にいくつも設置したスピーカー。
そして、街の落書きや看板に紛れ込ませて印を残した避難経路。
己が作成したハザードマップに従い、いくつかの廃屋を避難所として改修もした。その中に、食料などの備蓄も行った。
そんな内の一つに辿り着いた――その時だった。
煤に捲かれて退避し、そして家族や隣人の手をとって抱き合う市民たち。
安堵と不安が両立する精神状態の中、僅かに落ち着きが勝った彼らは気付いた。
彼らを十日ほどは生存させられるだけの大量の食料などを集めていた己に向けられる――疑問の目。糾弾の声。
「……そうだ。予期していた。この未来を。俺は、こうなると判って備えていた」
言えば、
「だったらなんでこんなことになったんだい! 軍も判ってたなら、やりようだってあっただろうに!」
「お前ら軍人だけ知ってたってことかよ! ふざけるな! だったらもう少し備えていたらどうなんだ! こんなんじゃ足りねえぞ!」
「どうして……どうしてこうなると言ってくれなかったんですか! それだったら、私の夫だって――……ああ、あああ……!」
当然の如く向けられたのは、面罵の声だった。
「……訂正を。軍は、ここまでとは判ってはいないし知ってはいない。俺の個人的な判断だ」
そう告げたところで、彼らの怒りは収まりはしない。
「だったら――軍人だったら上に伝えられたじゃないか! 信用だってされたじゃないか! なんでこんな!」
「この役立たず! お前が皆を見殺しにしたようなものじゃないのか!」
「自分一人だけ助かろうとして……それか、自分だけ混乱に乗じてヒーローになるつもりだったのね! それでも軍人なの! 貴方は!」
轟々と非難をぶつけられる。
……そうだ。何ら言い返せない。己は無残な敗残者だ。
何一つ、責務を果たせなかった男なのだ。
甘んじてそれを受け止め続ける。
そうしているうちに空腹などを感じたのか、彼らはこちらの元を離れて思い思いに食料の詰まったダンボールを奪い合いながら去っていった。
興味をなくしたのか、それとも糾弾することも手間だと思ったのか……何にせよ、これ以上空気が悪くなることを避けられたのなら良かった。そうして手を出されたら、こちらも応報せざるを得ないためだ。そうなったらこの場での衝突を止めることもできず、避難所は処刑場に早変わりする。
当然だが、自分の分の食料は残されておらず……見れば他にも、その物資争奪戦に破れた者もいる。
一人一人を見て回った。
訝しむ目、恨む目、憤る目、悲しむ目――……それぞれに、また別に備蓄していた物資を渡していく。
「食べるといい。……空腹でなくなれば、少しは落ち着ける」
そう告げれば、彼らは少しだけ溜飲を下げた。
そんなふうに周囲の見回りが済んだら、避難所の外に出た。己と同じ空間では彼らも落ち着かないだろうし、また、再度噴出することもあり得る。
何より、命からがらこの近くまで逃げてきて……あと一歩が及ばずに力尽きてしまう者もいるかも知れない。
そう思えば、自分に、休むという選択肢はなかった。
廃屋の、門の近くに立つ。
「あの……」
そうしていると、奇特にも自分に話しかけてくる少女がいた。腰までの長い茶髪と、スカイブルーの瞳。僅かに、あの婚約者の少女に似ている。歳の頃は近いだろう。
「どうして……どうして、あんなふうに言われて……怒らないんですか……?」
「……いいんだ。彼らの言うとおりだろう。俺は、何もすべきことをできていない」
「そんなことありませんよ……! あのときだって今だって、十分にやってくれてるじゃないですか! なのに、あんなこと――」
思わず声を張りあげようとした少女へ、首を振る。
「いや、ああとしか言えないだろう。これを予期していたなら、もっとより良い手段だって行える――行えた。その筈だ。……俺は何一つすべきこともできなかった。その点から、何も否定できない。俺の責任だ」
「そんなの……誰が悪いって、撃つ人が悪いに決まってるじゃないですか……! 軍人さんは違います……! みんなのことを助けようとして、なのに……!」
感極まったのか、少女は言葉の途中で泣き出していた。
悔しそうに唇を噛んで――何とも言えない嗚咽が広がっていく。
「……ありがとう。そう言ってくれる、君の優しさに感謝を。……でも、あまり俺には関わらない方がいい。余計な諍いを生むだろう」
「ですけど……! そんなの……!」
「自分も傷付いた中で他人を案じられるその優しさを……そんな人としての尊い気持ちを君が持ってくれているだけで俺は救われる。その気遣いだけで、十分だ」
努めて笑いかけたつもりだったが、少女は何とも言えないような悲しそうな顔で唇を噛み締めた。
どうやら、自分では彼女を安心させられないらしい。何とも不甲斐ないものだ。
しばし考え――……ポケットの中から保存用の菓子を取り出し、少女の手に握らせた。
「……他の人には、ナイショにしておいてくれ。また何か言われてしまうからな。……俺と君の二人だけの秘密だ」
唇に指を当てて静謐を保つジェスチャーをし、努めて笑いかけたつもりだったが……果たしてそれに効果はあったのかは疑問だ。
そうして七日間、世界は神の杖に焼き尽くされた。
食料が全て尽きる後に軍の救助隊が訪れたのは、幸運と呼ぶほかないだろう。……大半の軍事基地が焼き払われてなお、まだ、この国は機能する余地があったのだ。
そして、その中で最先任らしき軍服の男がこちらへと問いかける。
「……君が、避難指示を?」
「はい。ハンス・グリム・グッドフェロー少尉です。……空軍飛行士課程を終え、部隊に配置される予定でした」
「そうか。……少将のことは、気の毒だが」
衝撃は――……感じなかった。
ああ、そうかとだけ思った。
父母や双子の妹、下の妹へは口実をつけて旅行をプレゼントしていたが……それでも逃れられなかったようだ。念の為、軍事基地もないようなリゾート地を選んだのだが、上手くはいかなかったらしい。
こちらの反応を僅かに待っていてくれたような軍人は、それから、一度瞳を閉じたのちに問いかけてきた。
「その判断能力と類まれなる勇敢さを加味して、君に命じたい任務がある――……とても困難であり、熾烈極まる。生還の見込みもない。作戦成功率すら絶望的だ……そう聞かれたらどうする?」
「どうか、ただ命令を。……俺は全てに備えている。連盟旗の下に、軍人である誓約を行いました」
「……二つ返事か。いいだろう。見込んだ通りの男だな、君は。立派な猟犬になれる」
おそらくは、アーセナル・コマンドを利用した初の強襲作戦及びその訓練への参加だろう。
今頃
あとは、装甲内部の血脈型パイプラインと流体ガンジリウムによる《
そんなかつて知る――この世界では未知の技術に当たるアーセナル・コマンドを駆り、歴史通りに
戦争の回避は叶わなかったが、自分にはまだ行える命題がある。
そのために鍛えてきたのだ。
二十年余りに渡って、ただ、己の方向性をそこに目掛けて突き詰めてきたのだ。
優れた才能を持たないことに疑いはない。概ね、人類としての平均的な領域に留まるだろう。魔技や絶技には逆立ちしても到達不可能だ。鍛えれば誰しもここに足を踏み入れることや、追い越すことはできる。その域だ。
しかし――。
幼少期からの神経系の調整によって、平均的な素質ながらもその平均を大きく外れた運動能力を獲得した。
そしてアーセナル・コマンドが生み出されてから一般的な兵士が己の領域に辿り着くだけの訓練を受けるには、二十年の歳月を必要とする。
かつ、だというのに己の肉体は成人男性としての成長の全盛期である二十代半ばという矛盾。
この全てを注ぎ込めば、この世界における新兵器というのを加味した上で――己は
「覚悟はいいか、ハンス・グリム・グッドフェロー少尉」
「……とうに。生まれたその日より、俺は覚悟を完了しています」
言えば、年嵩の軍人は不器用な笑みで笑った。勇ましい新兵の言葉か、はたまた冗談と思われたようだった。
荷物を纏める。
呼び声はかからない。民衆からしてみれば、自分は、何も為せなかった役立たずだ。そうされて然るべきだろう。何かぶつけられないだけ、有情と言えた。
それを胸に刻みつつ――遠巻きにこちらを見る人々の中にあの少女を見付け、それとなく、外へと視線で促した。
軍人は、別れの時間を待ってくれた。
あの最初の日のように余人を交えぬ場所で少女と言葉を交わし、
「どうか生存を。それと……」
ポケットから取り出した簡素な装飾を施された銀の髪留めを、手を包むように渡す。
「何度か髪を邪魔そうにしていたので、よかったら使って貰いたい」
「……ええと、これは……?」
「妹へのプレゼントだったものだ。一度も使わずに、形見に土に埋めるのも忍びない。……よかったら君が役立ててくれ。俺にはもう、不要なものだ」
「そんな……」
「きっと妹へも、慰めになる。……どうか、俺を助けると思って受け取って貰えないだろうか?」
自分の笑顔には、やはり、十分な力がないのだろう。
少女は悲しそうに目を伏せ、
「……わたしにも、お兄ちゃんがいたんですよね」
「そうか。……それは、その、失礼した」
間違えた対応だったのだろう。
しばし考え――……首を小さく振り、それでも少女の肩へと手を置いた。
「俺の妹の分までも、君には生きていてほしい。俺は一人の兄としてそう思う。そして、それが俺の最上の喜びだろう。――どうか、ただ心優しい君の生存を願う。何か苦しいときには、そう願った男のことを、思い出してくれ」
何故、よく知りもしない少女にそうしたかと言われたらこう答える。
――彼女がどこでいつ死ぬにしろ、ほんの少しでも生きようと前向きになれる思い出を与えたかったからだ、と。
自分がいつ死ぬとしても。
他人がいつ死ぬとしても。
その最期まで、可能な限り苦痛を少なく望みたい。
後にその少女は、死亡する。
それでも、俺は進む。
◇ ◆ ◇
己の首裏に作られた接続孔――。
一ヶ月にも及ぶ特殊訓練が終了した。
女神アルテミスによって鹿へと変えられた主アクタイオンを狩ったという猟犬の名に因んだ作戦。
幾度と叩きのめされ、幾度と地に伏せた。
人類史上初となる試みは苛烈を極め、己も、これまで積み重ねてきた信念が嘘のように感じられるほどに打ちのめされた。
しかし、その訓練はついに完了し――。
翌日より、訓練施設へと集められたことの逆手順のように地下や地上を移動しながら作戦地に赴く。そんな最終日のことだった。
教官室の中で、己の前にいるのは獅子のたてがみめいた金髪を持つ灰眼の偉丈夫――エディス・ゴールズヘア空軍大尉。
「上申します。……襲撃前に、
テーブルを挟んだ向こう側の彼へと、意を決したように告げる。
訓練生への最後の名残りや分かれのために浮かべていた筈の彼の笑みは、消えていた。
「……細かく聞こうか」
「戦時国際法に従えば、都市部への大規模な攻撃を含む作戦の前にはこれを通達し、避難を促すのが是とされています」
「へえ? これが乾坤一擲の、隠密作戦と理解したその上でか?」
「例えこちらが失敗し、滅ぶとしても――……法と秩序を守ろうとするその姿勢に意味があると考えます」
言えば、ゴールズヘア空軍大尉は僅かに片眉を上げた。
「国破れて山河あり、ね。例えその身が滅んでも理念は残る――かの三百人の精鋭と偉大なるラケダイモンの王のように、か?」
「は」
「……グッドフェロー少尉。作戦内容を加味した上で、そう上申すると? これが
「は、教官どの。……付け加えるなら」
思案は僅かでいい。
常に、考えていたのだから。
「こちらは十分に戦時国際法を守っているということは、中立国に対しての支援を訴える上で役立つと思われます。今回は相手方からの一方的な宣戦布告であり、被害者という使える札と大義名分があります。……また、戦後に敵国へ統治する場合においても多少なりとも有利に働くかと」
そう述べると、彼は少々目を丸くした。
「……戦後? 統治? ……お前、まさか、勝つつもりなのか?」
「勝たぬと思って、戦いはしません。……問題が?」
「いや……まあいい、続けな」
少し雰囲気を和らげたゴールズヘア空軍大尉へ、持論を続ける。
最大限、考えた。
最大限考えた上で、用意した理屈だ。
「それに――仮に通達したところで防げないと考えます。史上初となるこの攻撃を。……もし攻撃を行う全範囲に避難通告を行えば、こちらの状況やその武装を考慮した上で相手方はミサイル攻撃と誤認し……この通告により敵が配置する戦力と言っても対ミサイル兵器、或いはこちらの隠されたミサイル基地がないかの捜索や、沿岸部での移動式巡航ミサイルの捜索に移るのではないかと」
「ほう?」
「いくらアーセナル・コマンドは地上の全地域からの強襲が可能だとしても――準備段階で攻撃を受ければ、こちらは為すすべもなく反抗の牙を挫かれます。相手方に誤認させる意味でも、この通達は非常に有用であるかと思われます」
「……」
無言の彼は、先を促してくれているのだろう。
簡素な机が置かれただけの教官室に、緊張が満ちる。今この瞬間、エディス・ゴールズヘアは教官と訓練生としてではなく同じ軍人としてこちらの意見を待っていた。
「或いは、敵が想定するのはこちらの戦闘機による攻撃でしょうか。……いずれにせよ、通達により敵に何らかの対応を行われたとしても、アーセナル・コマンドの有する装甲性が大いなる利点となる。そのことに変わりはありません」
対ミサイル用の機銃も、対ミサイル用のミサイルもアーセナル・コマンドの前には通じない。自明の理だ。
「そして、マスドライバーの防御のために
彼らがどれだけの地上戦力を、それも対空装備を抱えたものを有しているかは不明であるが――
「今、
「――」
そう、言い切る。
言葉に詰まることも、つっかえることもなかった。
それを聞き届けたゴールズヘア大尉は、
「ははは! 戦後の統治に、皆殺し! はははは!」
両手を叩いて、実に愉快だと椅子に背をのけぞらせて笑った。涙が滲むくらいに笑っている。
……この反応は読めない。
彼は、自分が目指すべき一人の理想的な軍人像であったが――……果たしてどう受け止めたのだろうか。
やがて、それが冷める。
そして、
「あれだけの訓練をして、まだとんだ甘ちゃんかと思いきや。……存外に恐ろしいヤツだな、お前は」
「は」
「善き人道家の面と、情け容赦ない殺戮者の面……お前はいい兵士になるよ、グッドフェロー少尉」
椅子から立ち上がり、軽く首を曲げた。
「俺からもお前の見解を打診しておく。……それだけの理屈があれば、上ももっといい形に整えてくれるかもしれんな。確かに――神話がいる。この国は不当なる侵略者に抗ったという、そんな神話が」
「……」
「ま、意見はわかった。俺の方でも補っておこう。……お前は確かにあの人の息子だよ、グッドフェロー少尉」
「お時間、感謝します」
どうやら――受け入れては貰えたらしい。
彼はここで、口先だけの嘘は言わない。わざわざアルテミス・ハンツマンに関しての賭け事にも自分も参加して――そして強烈すぎる痛い目にあっていたのだ。
約束は守る、という男として受け止められていた。
……くだらない賭け事と同列に語るのはどうかという話ではあるのだが。
「なあ、グッドフェロー少尉」
「は」
「……背負いすぎるなよ。どんな言い訳を作ったところで、お前が民間人を慮ったとは判る」
「……」
「背負いすぎるな、猟犬。……その血の鎖は、やがて、お前の手足を絡め取るぞ?」
静かに、こちらを案ずる灰色の瞳。
その嘘のない切り替わりが、誠の面を持った男の顔が、彼という男性の魅力であるのだろう。
いずれ部下を持ったならこうなりたいと思いつつ、
「忠告に感謝します、ゴールズヘア大尉。……ですが俺は、私情と軍務を切り離せるように努力しております。そして何より――……」
そうだ。
「俺は軍人です。ならば、負託と責務に応え続ける。俺は背負い過ぎぬためではなく、背負うために軍人となったのです」
既に覚悟は完了しているのだ。
――それがどうしたと、立ち上がったその日から。
そして、退出した部屋で。
「不思議な奴だよ、お前は。……ハンツマンのお嬢が気にするってのも、わかる気がするな」
ポツリと、エディス・ゴールズヘアは呟く。
「……壊れるなよ、鉄の男」
最初の
教え子を送り出すことしかできない男の表情が、そこにはあった。
そこから更に一週間ほどをかけ、任務地への移動を行った。その際に多少のトラブルはあったが、どれも特筆するものでもないことだ。
そうして、山間近くの街に設けられた――臨時の軍事的施設へと到着する。
本来なら軍ではなく企業の物資集積所となっていたその倉庫は、今や、一体の巨人が格納されているだけだ。
――第一世代型アーセナル・コマンド【
物語の内の騎士を巨大にしたように――それでいて、軍事的な合理性のスタイリッシュさの中に威容を与えるデザインを合わせたように、鋭角的なシルエットも持つ
特徴的なのは、その、嘴めいている――ひさしがついた兜のような頭部か。
船の船首のようにひさしまで鋭く切り立ったセンサーカバーは、まさしく中世や近世に現れる騎士だろう。
その背に背負った、体高の八倍にも及ぶほどの巨大すぎる増設ブースター。
プラズマ化させたガンジリウムを噴射し、その反動と力場の圧力にて飛翔する槍の柄。まさしく長柄の槍とも言うべき機体とそのオプションパーツが、幾人もの整備兵たちに取り囲まれながら出撃の時を待っていた。
選択した武装は、力場循環型の力学的ブレード。
各人の素質に合わせて武装をある程度選択可能であるとはいえ、都市破壊のためにこの武装を用いるのは自分しかいないだろう。
幾度となく無謀だと言われ、幾度となく他の装備を推奨された。それでも全て断り、本来なら敵攻撃に対する増設装甲板や構造物破壊のためのこの装備のみを使うと、己は伝達していた。
ヘルメットを片手に、格納庫を歩く。
ダイバースーツとフライトスーツが合わさったような新緑を思わせる色彩のパイロットスーツ。
背から伸びた延長脊椎コードは、あたかも尻尾めいて垂れ下がっている。
「……グッドフェロー少尉、ご武運を」
「貴官らも――……いや、」
辺りを見回せば、誰も彼もが、期待と不安――そして何よりも、命を失う恐怖を噛み殺した顔をしていた。
彼らは、こちらの突入を補助したあとに死ぬ危険が高い。初撃はさておき――……今後はそれも増えるだろう。間違いなく
だが、それも、覚悟の上なのだ。
覚悟の上で、前線に赴けないというのに、彼らは軍人として死ぬ覚悟を――生き抜く覚悟を済ませた。
ならば、
「了解した。必ず任務を成功させる。……必ずだ。必ず俺は、貴官らの献身に応える。決して無為にしない。俺は、連盟の旗を掲げ続ける」
「少尉……」
「信じてくれ。貴官ら一人一人の献身を連れて俺は戦地に行く。貴官らの信念と共に飛ぶ。そしてこの作戦を成功させる。……俺は猟犬だ。この恩には、必ず応える。絶対に――貴官らのこの献身が無為ではないのだと、証明してみせる。信じて、俺の報告を待っていてくれ」
「……っ」
目の前の青年が、歯を食いしばったまま涙を流した。
それを抱きしめ、背中を叩く。少しでも彼の熱を、その生を感じられるように。
「頼みます、グッドフェロー少尉」
「ああ。……任されよう」
「どうか、どうか……貴方に主のご加護があらんことを」
涙を拭った青年と握手を交わす。
機体に乗り込み――機械と接続される己の肉体。鋼の肉体。一振りの剣。一振りの破壊兵器。
機体状態をチェックし、全ての発射シークエンスを完了させる。一匹の猟犬として、己を撃ち出す時がくる。
奥歯を噛み締め、瞼を一つ。
「――グリント
そして作戦のそのままに――――数多の海上都市は、牙を剥いた猟犬たちによって打ち滅ぼされた。
何故焼いたのか、と問われればこう答える。
――交戦規定により、無制限の武力行使が認められていたからだと。
……理解している。
今後のためにも――と、ただ合理性と必然性で殺しを行ったことを。
口ではどう言ったところで、内心でどう尊んだところで、人道は、己の中で何の歯止めなりえないというそのことを。
初めに焼いたその都市が、大学の同期の故郷だと聞いた。
それでも、俺は進む。
◇ ◆ ◇
そして、さらにそれから後に【
幾度と
更にはジャスパー・スポイラーという恥知らずの
対アーセナル・コマンド用の照準補正や、力場監視機能を会得した新型アーセナル・コマンド――第一・五世代型の登場。
それらにより、優位というのは失われた。
とりわけ、誤爆により海上へと不時着した
それにより、予め撃墜されて入院していた
全て……自分以外は。
大半の猟犬が、悪竜に喰い千切られてしまっていた。
やがて
その雛形である【
なんたる無様か、自分は、その出撃を止めることもできずに……彼女が敵機を打ち払うそのときに、機体を半壊させてその街に転がっていただけだ。
そんな、避けたかった未来を避けることもできなかった事件――それから五ヶ月以上が経過し、新たなる量産型の第二世代型アーセナル・コマンドが開発実装。
以前作っていた人脈のためか、それともエースという割に乏しい実力に気を払ってくれたのか……自分のところに優先的に配備された、そんな頃だった。
孤立した友軍からの救助信号。
その救助に向かえる友軍機がおらず――そして更に、敵は新型アーセナル・コマンドとモッド・トルーパーの混成部隊だという情報が届いていた。
「……俺が行こう」
必死に調整を行おうと他部隊へ呼びかける女性オペレーターへ、ヘルメットを片手に告げる。
「で、ですが……少尉は出撃したばかりで……それに次の出撃ローテーションも――」
「問題ない。そのまま向かう」
だがこれが他者への悪しき前例となってしまっては困るな……と思い、オペレーターデスクに向かい合う女性へと補足を行う。
「俺は、極めて補給が不要なように努めている。推進剤や燃料の消費も、推進における力場の割合を増やせば問題ないだろう」
「で、ですが……それでは、少尉の機体の装甲が……! 危険すぎます……!」
「問題ない。……そのために、俺は備えている。友軍を見捨てていい理由など、ここには存在しない」
女性が、息を呑む。
彼女は目を見開いて――……ひょっとしたら、怪物や異常者だと思われているのかもしれない。あのアナトリアでの戦闘からしばらく、友軍からそんな目を向けられることが増えた。
……無理もないと思う。《
それで、死なずに運良く生き残った。
そんな男は、自殺志願者や異常者のようにしか見えないだろう。彼らや彼女らがそのような目を向けてくるのは、あまりにも無理がない話だ。
「問答は終わりか? 友軍が救助を待っている。……失礼する」
会話を打ち切り、上司への上申に向かう。
流石にそこで作戦上の理由から断られてしまっては軍人である以上は抗うことはできないが――……彼もまた女性オペレーター同様の目を向けたあとに、快諾してくれた。
……便利と思うべきなのだろうか。
それとも、上司にすら恐怖を抱かせる人間だと思って是正に務めるべきなのだろうか。なんでもいいが。
ともあれ、
「グリント
『了解! 頼みましたよ、アナトリアの不屈! 帰りを待ってます!』
自分は、やれることをやるだけだ。
ただ進む、それだけだ。
森の中で機体に偽装を被せ、兵士たちが身を低くする。
彼らの部隊を構成しているのは、戦車とモッド・トルーパーの混成。それでも戦術の確立により、第一世代型や第一・五世代型に対しては有効な手立てとして存在していたその部隊は――半壊させられていた。
豊富なガンジリウム資源を活かした新型アーセナル・コマンドの生産。
人が設計しているとは思えぬ速度で実装されていくそれらは、ついには開発国である
――第二世代型アーセナル・コマンド【
メイジー・ブランシェットの駆る【
それは、保護高地都市の第二世代型より早く量産され戦線に投入。
まさしくこの日、彼らの部隊はその超高速機動を前に為すすべもなく喰い破られていた。
ミサイルの追跡限界角度を振り切る。
そもそも、照準が許されない。
そんな、出鱈目そのものの兵器だった。モッド・トルーパーを密集させ、アーセナル・コマンドよりも劣る力場を相互で補うことで応対するという方法が崩されることが、何よりも手痛いと言ってよかった。
一体、何度、絶望を与えれば気が済むのか――……。
そんな言葉を呑み込んだ彼らの表情は、暗い。
せめて敵の察知前に、その機動の使用前に攻撃を与えてガンジリウムを流出させ機動を封じる――潜み攻撃する、それしか対処法はないと思えた。
それでも、倒せて一機かそこらか。
せめてもの攻撃機会の増大のために、モッド・トルーパーに関しては有線による遠隔操作に切り替えた。これで、敵弾による
静かに近付く死の気配の中、それでも拳を握り締めた彼らが耐えているその時だった。
「来るぞ! 救援が来る! 一機、こちらに向かわせてくれた!」
叫ぶ年若い部隊長――本来の最先任が死亡したために次席が引き継いだ――の声に、残る兵が肩を竦めた。
それは、希望と呼ぶには儚すぎる。
むしろ絶望の色をより強めるだけの細やかすぎる篝火であり――
「――ハンス・グリム・グッドフェロー、あの首輪付きの猟犬だ! 猟犬の生き残りの、鉄の英雄だ!」
兵士たちが顔を見合わせる。
その引き攣っていた表情には、にわかな希望が浮かんでいた。
そして、
『……警告する。速やかに機体を捨て、投降せよ。それが為されない場合、全機を殲滅する』
そんな通信を皮切りに始まった戦闘は、ほぼ一方的だったと言っていい。
暗き森の中、両手に蒼きプラズマ炎を纏って降り立つ――
闇の中で、光が灯る。
新月の下、地上に降り立った
その機動を前に、掠る弾丸一つもなく――向けられる銃口一つもない。余人には追いつけず実現できぬ三段や四段のバトルブーストが、敵機の射線を振り切って、或いは回避した敵機の背後に回り込んで斬撃を与え続ける。
一つの、社会的な殺戮機構と呼んでもいい。
敵には鬼神として――味方には戦神として語られる双剣の騎士。
『進め。……進路上の敵は全て殲滅してきた。今なら容易く抜けられるはずだ』
プラズマブレードで行き先を示しながら淡々と告げられる通信は、あまりに人知を超えていて――部隊長は思わず耳を疑ったほどだ。
「陸軍を代表して、この慈悲ある掩護に感謝します。確認ですが……少尉はこの後、どうするおつもりで?」
『殿を務める。そちらには向かわせないように惹き付け、投降を行わない全機を殲滅するつもりだ』
「――」
都市一つを焼き滅ぼすだけの暴力を、容易く斬り払うと告げる月光の聖剣。
灯す光は兵を導く道標か――それとも地獄の沼に誘う鬼火なのか。
宵闇に包まれた黒き森の中、その腕のプラズマを装甲表面に照り返して佇む巨人騎士には、誰しもが畏怖を感ぜざるを得なかった。
『その後は可能な限りエスコートに努めたいが……申し訳ないが、会合点までだ。以後こちらには他の任務が課されてしまっている。……本当にすまない』
最早、誰も何の言葉も返せない。
ただ、道行きの安全は保証されたと――そう飲み込むしかなかった。
◇ ◆ ◇
木が、軋む音がする。
男たちの、低くうなる様な笑い声。それと、くぐもった女の声。
「三日目だってのに、随分とイキがいいな。それでこそって感じだけど……これが噂の
「……なあ、大丈夫なのか? そんなに暴れられたら、あとが面倒じゃねえのか?」
「問題ねえよ、ちょっとくらい傷ができようが。どうとでも言い張れる。それに……ここは戦場なんだ。一人二人いなくなったところで、誰も気にしねえ。……そうだろ?」
男の笑い声。カチャリという、銃のスリングについたバックルの金属音。
それを確認し――
「そうだな。一人二人いなくなったところで、誰も気にしない」
ドアを蹴り破り、室内に突入する。
腰のリボルバーには手をかけず――それで室内を睥睨した。据えた匂いが充満する小屋。明確に、何らかの行為が行われると見て間違いではない。
ベッドの上。二つの影。
あとの連中は七名か。アサルトライフルをスリングで下げ、煙草を片手に談笑していたらしい。
「……なんだよ。順番待ちしきれなくなったか? それとも取り立てか? 待っててくれよ、今、これから大切な大切な仕事なんだ。コイツら侵略者の民族を浄化して――」
「そうか。明確に不法行為だな。……戦時国際法及び服務規律ほかを違反している。直ちに彼女を解放しろ」
言えば、男たちは意外そうに目を剥いたあとに……こちらの階級を眺めて、どこかバツが悪そうにその顔を見合わせた。
両手と口を押さえつけられてベッドに押し倒された銀髪の少女が、
……また、このような事案か。
民間人上がりが増えたせいか――それとも軍人であっても激化する戦闘の中で規範を捨てたか。今回もその内の一種らしい。
「もう一度警告する。……これは重大なる戦時国際法違反であり、服務規律違反だ。敵軍捕虜への虐待は禁止されている。直ちに取りやめ、憲兵に出頭した後に法の裁きを待て」
「ま、まあ待てよ。……お前も、
「友軍であることと、俺が貴官の不法行為を見過ごすことに何の関係がある?」
言えば、こちらに甘言は通じないと判断したのか――男たちは椅子から身を起こし、僅かにぶら下げた小銃へと手を伸ばしつつあった。
「まあ、待ってくれ。おれたちの話を聞いてくれ。……これから、ホンの十五分……いや、十分でいい。な? それで問題はなくなるし、あんただって厄介なことにはならない。……な? 賢く生きるんだよ、少尉サン。わかるだろ?」
「残念だが、俺は軍人であって街の獣医でも飼育員でもない。……言いたいことがあるなら、明白に意思表示しろ」
何が言いたいか察しはつくが、察しだけで会話を済ませてやる必要などない。男たちに再度問いかけた。
「これから、おれたちはハッピーになる。……それであんたも何事もなくハッピーで、問題が起きずに軍もハッピー。周りの奴らも士官サンが減らずに済んでハッピーで、戦争にも勝ってハッピー。……わかるだろ?」
「分からないと、繰り返させるな。……明白に、言葉を選んで、意思を表示せよ」
「っ、わかれって言ってるんだよ! 見てわからねえのか! 状況が!」
少女にのしかかっていた男が、手を広げて部屋の中を見回した。他の男たちは少し困ったように笑ったあと、意味有りげに銃を動かす。安全装置が、外された。
それから眉を上げ、数度、意味深に頷いてくる。
だが、
「分からんが。……貴官らは新兵か?」
「あ?」
「銃を貸与されると、新人どもは誰もが見せびらかしたがる――という話だ。それは玩具でもなければ、お前を一人前の男にしてくれるアクセサリーでもない。人間性の成長以外に貴官の人柄の成長は見込めない。……理解しているか?」
「理解してねえのはお前だろうが! これは玩具でもアクセサリーでもねえんだ! テメーみてえな分からず屋の脳味噌をぶっ飛ばしてぶちまけてやる道具だ、っつってんだよ! 士官なら撃たれねえと思ったら大間違いだぞ!」
激高したベッドの上の男が、その脇に置かれていたライフルへと手を伸ばした。
銀髪の捕虜を突き飛ばし、ベッドの上に仁王立ちになる。銃口こそは向けられていないが、それも時間の問題に思えた。
ならば、
「そうか。この人数での脅迫なら、十分に実行能力を有すると被害者側が判断しても問題はない案件だな。脅迫の案件は成立する。――そして」
こちらもホルスターの留金を外す。
「エスカレーションも見込める。警告だが、その際はこちらも防衛として相応の武力の行使を実行する。結果、重大な心身への障害や死亡も考えられる。……無闇に命を奪う趣味はない。直ちに彼女を放し、憲兵に出頭しろ」
努めて冷静さを保てるように己の言葉を選んだが、相手にとっては違ったらしい。
「味方を撃つのかてめえ!」
「俺は十分な警告を行い、是正を勧めた。それに従わないばかりか、更に続けて捕虜へと侮辱的な取り扱いを行おうとし――そしてこちらへと、有形の暴力を背景に脅迫を行い、実力を行使しようとした。……聞きたいが、貴官こそ友軍に対する扱いに疑問はないのか? 先に撃とうとしたのはそちらでは? 己の行いに矛盾はないと思うのか?」
「っ、……」
「いや、その程度の認識能力しかないなら構わない。……忘れてくれ。戦場ストレスによる知能低下は俺も無縁ではない」
ベッドの上の男が、腕を振って吠える。
「これは報復だ! おれたちを虐げてきたコイツらへの、正当な罰なんだよ! コイツは、戦場でおれたちの仲間を撃ったんだぞ!?」
「こちらも撃っただろう。それが戦争ではないのか?」
「っ、テメエ……!」
「私刑は法で禁じられている。……繰り返すが、捕虜への虐待もだ。こちらからの要求は二つ。彼女を解放し、法の裁きを待て」
そんなやり取りに、取り巻きのように待機していた男が助け舟を出した。
「……ま、わかるだろ? なあ……オレたちは、街を焼かれた。村も焼かれたんだ。親戚だって大勢死んだ。仕事も駄目にされた。……そんな戦争を起こしたのは、こいつら
「俺も家族を吹き飛ばされた。街を焼かれた。……そのことと、ここで少女へと捕虜虐待を行うことに何の関係がある? 貴官のその欲を満たすことと軍の職務と利益に何の関連性がある? 一体、何の必然性と正当性がある?」
「……なあ、ほら。こいつらに腹が立たねえか?」
「腹が立つ――と言うなら、今まさにお前たちに対して腹を立てている。……それでも俺は理性的に取り扱おうと努力している。理解はできるか?」
言いながら、小屋の中を横目で見回す。
ここはある種の女衒――のようなものなのだろう。ベッド近くの簡素な缶詰めの中に、くすんだ硬貨や皺のある紙幣が詰め込まれていた。
投降した敵軍捕虜の内、見目麗しいものに……客を取らせる。そして戦場なら扱いに困ったそれの処分に容易い。なるほど、浅知恵と言えばそれまでだとしてもビジネスとしては成立もするだろう。
誰が行ったかは知れないが……ある意味で、戦地向きの商売だ。
「どうしたんですか。何を揉めて……」
そんな睨み合いの折に、扉をくぐる少女の声。
ふわりと踊った茶髪。
それは、
「……――グッドフェロー少尉!?」
「君か? 生きていたのか……いや、何故こんなところに」
「少尉!」
言葉を続けることはできなかった。
少女はこちらの腕の中に収まり、こちらの胴に腕を回し、そして潤んだ瞳で見上げてきていた。
「わたし、生き残りました……生き残ったんです。あれから、色んな……色んな苦しいことがありました……! でも、それでも、またあなたに会えたらって……!」
「そうか。嬉しく思う。……君のことが気がかりだった」
「少尉……!」
一際の感慨を込め、少女はこちらの胸に頭を預けた。
その茶色の髪を眺めながら――少女の肩へと、改めて手を乗せ、
「……ところで、何故君が、こんなところに?」
問かければ――……濁った。
少女の瞳が、濁った。
そしてこちらの手の内を離れて捕虜へと歩み寄ると、その銀髪を掴み上げながら、凄惨な表情を浮かべて銃を突き付けた。
小さな悲鳴が上がる。
捕虜が、こちらに縋るような目線をやる。それを、頬を張ることで少女は遠ざけていた。
「コイツらはわたしたちを踏み躙った。……わたしたちの国を焼いて、わたしの家族も少尉の家族も奪って、わたしたちを奴隷にしようとやってきた。だったら……殺すしかないじゃないですか。殺す前にどう使ったって、いいじゃないですか。……コイツらは報いを受けるべきなんです。この侵略者め……!」
「……そうか。それが君の、戦う理由か」
「はい! あと、もう一度少尉に会いたかったから――少尉の力になりたかったから、お金だっていっぱい稼げるようにして、わたし頑張って――――!」
「……」
輝いた瞳を――メイジーと同じスカイブルーの瞳を向けて微笑む少女。
吐息を一つ。
「積もる話はあるだろう。俺も貴官と話したいことが山程ある。だが――まずはその捕虜を解放し、速やかに憲兵に出頭せよ」
「――――――、は?」
「捕虜の虐待は戦時国際法並びに服務規律違反だ。如何なる捕虜に対しても、如何なる背景があるにしても、捕虜虐待はそれだけで重大な反逆だ。……すぐに彼女を解放し、法の沙汰を待て。自首すれば刑とて、そう重くはならないだろう」
何件目だろうか、こんなことは。
解放した街の中で、凄惨なる処刑の痕跡が残る“廃棄場”を見た。
投降した敵兵を、私刑によって嬲り殺す民衆を見た。
民衆を並べ立てて、見せしめとして踏み潰していく敵兵を見た。
死を見た――多く見た。
業を見た。
悪を見た。
炎を見た――……人々の心に灯ってしまった炎を。
「全員、銃を捨てろ。……さもなければこちらも連盟大憲章に基づき、応戦するほかなくなる。……どうか理性ある判断を。俺は、罪を犯した貴官らといえ争いたくない」
努めて、己の心を冷静に保ちながら言葉を告げる。
撃たせないでくれと、心のどこかで祈った。
彼女を助けたのはここで殺すためでもなければ――ここで殺されるような所業をさせるためではないのだ、と。
祈りながら――否だ、と。嘘だ、と。内なる己がそう告げる。
自分に祈りは必要ない。ハンス・グリム・グッドフェローは祈らない。
ただ、何があっても呑まれないという覚悟だけが必要なだけで、事実、そのように在れるようにしていた。
この報復と憤怒の連鎖には囚われない。
一個の人間として、人格ある個人として、倫理を持つ市民として、秩序の下の軍人として、決して内なる感情には呑まれない。己を呑み込ませない。
そう命じて、己の手綱を握り締める。
「君が生き残ってくれて、嬉しい。……だからどうか、このような真似は――」
「どうして! どうして味方をしてくれないんですか! よくやったって! なんで! どうしてですか!」
「……俺がこのような行為を喜ぶと思われたなら、随分と軽んじられたものだ。……それが貴官の認識ならば構わないが」
「……っ」
少女はそれで押し黙った。
そのまま大人しくしてくれればいいと思いつつ、口を開く。
「指示を出したもの、実行したもの……等しくこれは裁かれるべき悪行だ。例え誰であろうとも――例え何であろうとも。そこに例外はない」
例え家族が同じことをしていようとも、己は同様の措置をするだろう。
「武器を捨て、すぐに憲兵に出頭しろ。……他に手続きの不明点があれば問うがいい。知りうることなら答えよう。俺もいたずらに自軍の戦力を損なうつもりはない。……冷静な判断を求める。味方殺しの趣味はない」
法があるならば、それは、法で裁かれるべきだ。
自分は判事でもなければ、法そのものでもない。ここで個人的な激情に駆られて殺害に及ぶことは目の前の彼らと同じであり、そのような私刑は厳に慎まれるべき事態であろう。
己はクライムファイターでもヴィジランテでもなく、市民であり軍人だ。その領分の逸脱はしない。
「コイツらは、侵略者で――」
「罪は罪だ。……それとこれとは、なんら関係はない」
そう告げたあと――男たちに囲まれた少女は髪を振り乱して叫んでいた。
銀の髪飾りが宙を舞う。
自分が生きていくためにどんなことをしたのか。
どんな目に遭ったのか。
それを起こしたのは誰なのか。
弱者は誰で、侵害者は誰なのか。
味方されるべきは誰なのか。
誰を一番に想っているのか。
……しばらく聞いたが、その論理は理解できなくもなかったし十分に同情の対象であったが、何ら法の下の正当性が存在しないのは明白だった。
「奪われたんなら、奪って何が悪いの! コイツらはわたしたちから当たり前を奪った! 平穏を奪った! わたしの未来を奪って! 過去を奪った! それを奪って何が悪いって言うのッ!」
「……法に悪い。軍人に志願したなら、交戦規定に従い、指揮系統に従い、服務規律に従い、そして戦時国際法を遵守せよ。……そう、入隊時に誓約した筈だ」
「法律の話じゃないでしょ! わたしの、わたしの気持ちの話でしょう!?」
「繰り返すが、それとこれとは、なんら関係ない。……気持ちと言うなら、従軍の末にこのような目にあったその少女の気持ちはどうなる? ……到底、正規軍人としての訓練を受けた肉体ではない。徴兵か、君同様の民間上がりだろう」
一拍ののち、告げる。
「……彼女が戦争を起こしたのか? 民衆を殺戮したか? それを命令したか? 強権的な独裁で市民ながらにそれを為し、挙げ句に徴兵され、ここで捕まるような無様を働いたというのか? 気持ちと言うなら、答えるといい。……貴官の中の天秤はどうなっている?」
「うるさいッ!」
言えば彼女も――その周りも、奇妙な熱に浮かされたように罵声と共にこちらへと銃を突き付けてきていた。
少女は発狂したように叫びながら。
男たちはそれに乗じたように。
その後、二三度に及ぶ警告を行ったが……応じる様子は一切なく、それどころか捕虜の頭に銃を突き付け始めた。
そうなっては、やむを得ない。
「そうか。――――望み通り、殲滅する」
手の内の
それでこそだ――と、己に囁いている気がした。
そして、
「武器を捨てる……正しい判断だ。彼らも見倣うべきだったな。……彼女もだ」
仲間の内臓を頭から被ったまま蹲って、怯えた声を上げる兵士の武装を蹴って解除する。
小屋の中には合計して七名――七つとは呼べぬ、ミンチめいた死体とパーツが転がっていた。
先ほどまで生きていた人間が糞袋として弾けて中身を振り撒いているというのは、何とも奇妙な心地だ。人は容易く死ぬという現実を示している気がする。
血溜まりに銀の髪飾りが沈む。
その中でへたり込む敵軍の銀髪の少女は――……ただ呆然とこちらを眺めていた。
「彼らの行為は、失礼した。謝られたところで気は晴れないだろうが……医官と憲兵を呼ぶ。捕虜として相応の対応がされるように、尽力する。……我が軍の兵士が、すまない」
何故、味方を撃ったかと言われたらこう答える。
――大憲章により、自己または他者の正当なる防衛のための実力行使は認められているからだ、と。
それ以上に語る言葉はない。……必要がない。
その後、捕虜の少女は医療施設で自殺したと聞いた。
それでも、俺は進む。
◇ ◆ ◇
醜さは、多く見た。
愚かさも、多く見た。
新鋭気鋭だった
企業都市に避難を行ってきた自国民への性的搾取や、低賃金労働搾取という問題も見た。
ガンジリウムの生体への影響を確かめるために捕虜を用いて実験を行っていた部隊や、徴用した占領地下の市民を前線で肉の壁に使う事案も見た。
帰化した
屋敷に軟禁していた義姪の少女を、その脱走から己の下へと連れ戻すために
人によっては心身へと影響が出てしまうかもしれない体験だったが、こちらは生憎と備えていた。今更、何を見せられたところで動じることもない。
ただ兵士であるということの義務を果たすだけだ。
彼らが何者であるとか、どんなものだとか、それとこちらが果たすべき役割の間には何の関係もない。
自分は変わらない。
あの日この世界に産声を上げ、立ち上がったときから何も変わらない。
……それとも、始まりからは変わったのだろうか。
あまりにも遠い記憶。
あまりにも遠い想い。
己は、それとも離れてしまったのか。
守られるに足る理由があるから人を守るのではない。
ただ、それが己に課した義務だからだ。そうすべきだと願ったからだ。そうしようと定めたからだ。
だから、彼らの振る舞いと彼らを守ることの間に何ら因果関係はない。相手が戦犯刑務所だろうと、凶悪な死刑囚だろうと、こちらの国を焼いた敵国の軍人だろうと、それは己の義務の実行を止める理由にはならない。
(――そんなことは、俺が行わぬ言い訳にはならない)
現に目の前で不法行為がされない以上は、己は彼らに異を唱えはしない。
それがどれほど唾棄すべき人格であり所業であろうとも、己の好悪で彼らへの取り扱いは変えはしない。
法の下に定められた平等の通りに、あとは任務における状況と必然性で判断するだけだ。私情は関し得ない。交えない。職務とは関係がない。
ああ――……だが、だからこそ、それは、思い起こさせてくれたのだ。
「――謝ってください。彼女に。貴方は、そうすべきだ」
凛とした声だった。金糸の髪を持つ少女だった。
その光景に驚愕した。
倒れた老女を庇いながら、兵二人へと毅然と言葉を投げかけた金髪の少女。
己のような強大な暴力も持たず、頑健な体躯も持たず、備えることも磨くこともなく、そんな不純物を有せずともただ為すべきことを行える意思。
ただ他人を気遣い、慮る優しき心。
かの謳われる救世主が、娼婦へと石を擲つ暴徒に対して一切の武力を持たずに毅然と論理を説いたかの如く――己のように忌まわしき暴力を背景とせずとも、それに関わらずに為される善。
世にそうであるべき、一つの答え。
ああ――……それのなんと眩しきことか。
弱きことは理由にならない。
貧しきことも理由にはならない。
己が何者であるとか、何が足りないとか、そんなことは問題にはならない。
ただ為さねばならぬから為すという――それだけを命題としたこうあるべき善の姿。あまりにも正しき献身。
自分は、それを見た。思い出した。
何故、己に義務を課したのかというその理由を。
何故、研ぎ続けねばならないのかという――その理由を。
(ああ――……)
……そうだ。
生まれ出る己へと施したこの世界の心ある人々の、彼らの労りと献身に応えるためにも、己は法と善の傍らに立ち続けると誓ったのだ。
彼らのようなその尊く輝かしい献身を、決してこの世界の無情の歴史のうちに終わらせぬように――吹き荒ぶ荒野の嵐から守らねばならないと、誓ったのだ。
そうだ。俺は彼らを愛していた。そのあまりに遠く輝かしき施しに応じるために、磨き続けているのだ。
その為に軍人になった。この旗の下に立ち続けると、誰でもない己とこの国家に誓った。そうあり続けられるように軍人へと志願した。
そうだ。
守らねばならぬのではない――守りたいと、そう願ったのだ。そう誓ったのだ。
故に、
「……貴官のそれは、明白に不当な暴力行為だな」
そのときは名も知らぬその少女と軍人たちの間に続く喧騒に、銃へと手を伸ばす。
己のように心弱いものではただ身一つで説得など行えない。優れていないと理解している。強くあらねば優しくできないと、心のどこかで常に恐れている。だからこうも備えているということを、己への後ろ暗さと共に十分に承知している。
だが――……だとしても。
その儚き輝きは、あまりにも眩しいものだった。
生まれ直したる己を取り上げる医師の手と同じ輝きだった。世への献身だった。命への献身だった。つまりは善への献身だった。
彼女は――あまりにも、輝かしいものだった。
故に、思い返すには十分だった。
己が下を向く余地もないなどと。
歩みを止めていい理由などないと。
そのあまりにも眩しき行いに、己は、内なる灯火を思い出した。
「両手をあげて後ろに下がれ。連盟大憲章に基づき、一市民として自衛権の行使をする」
そうだ。
――この輝かしく愛おしい者たちを、守りたいと。
俺は進む。
進み続ける。
生を全うするために。
生まれ直した役割を全うするために。
決して折れず、欠けず、毀れぬ剣へとなるために――。
進み続ける。
この国の理念を定めた、旗のその下の兵士として。
義務を果たせ。兵士であるということの義務を。
……君にもう一度会えたなら、俺は、こう告げたい。
親愛なる少女よ。
輝かしくも儚き命よ。
こうあるべき善の体現者よ。死から立ち上がり、再び荒野を進む崇高なる預言者の再来にして殉教者よ。あるべき市民の似姿であり、あるべき兵士の標榜よ。
誠の勇者よ。光り輝く聖女よ。いと気高き星の乙女よ。
その小さき肩に苦難を背負い、それでも胸の火を絶やさずに守る少女よ。
あの日の立ち向かう君の姿に、俺は、それを思い出したのだと。
瞼を閉じれば、浮かぶものだ。
この世に生を受けた日に、己に誓った――それを齎したあの医師たちの献身が。
故に、告げたい。
どうか、感謝と敬愛を。
君の命に限りない祝福と親愛を。
尊き篝火の防人シンシア・ガブリエラ・グレイマンよ。
俺は君のその在り方に、憧れているのだと。
――光り輝く、強き君よ。
――美しく、愛しき君よ。
願わくば、ただ、尊き君の生に幸あらんことを。
その障害に苦難と苦痛がなきことを。
……俺のこの血肉を全て捧げたとしても、どうか、いつかの君の幸福を。
かつて見てしまった、あの日の君の幸福を。
その尊き献身は――報われていいのだ、と。
俺は君に、そう告げたい。
……ああ。君にまた、会いたい。
どうか泣かないでくれ。美しい娘よ。
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