第85話 ライラック・ラモーナ・ラビット、或いは死を呼ぶ兎


 フローリングの上には、グランドピアノとガラステーブルと大きなソファ。広いわりに、その部屋はあまりにも殺風景だった。余さず高級感はあるが、家具は最小限で寒々しい。

 ……ミニマリストの見本例のような部屋だ。

 ロールタイプの遮光断熱カーテンを下ろした部屋は仄暗く、浮かび上がるホログラムヴィジョンの明かりだけを宿している――マズルフラッシュ。ロマンスのあるアクション映画だったか。


『……グリム、座らないの?』


 クッションを胸に抱えて、半眼でホログラムを見詰め続ける橙色の瞳。その足元まで届く淡い栗色の長髪をソファに広げて――……両親が家を空けがちな退屈な令嬢。そうも見える。こうしていると、やはりまだ十代の少女だ。

 思わず咳払いをしたくなる薄手の部屋着も、下々の目線を意に介さない貴種の少女と思えば頷けた。

 もう少し危機感を持ってほしいと思うが――……数度部屋に上げられてもその細い腰へと手を伸ばさぬこちらを安全と判断したのか、彼女はしばしば構わずにそのような扇情的な格好さえしている。

 退屈な目線で、ホログラムを眺める少女。

 映画スターの二人が臨場感を持ってキスを交わすも、それを見守るマーシュの冷めた目は水を指しているようで滑稽だ。臨場感があるから、なおのこと彼女さえも登場人物に見える。ヒロインが霞むほどの、氷の美貌。


『……』


 こちらは背を向けて、ソファの背もたれに腰掛ける。

 差し出したコーヒーを、こちらも見ずに受け取ったマーシュは抱え込む。寒々しい戦地にいるように。確かにこの家では、孤独が寒さとなるだろう。

 こうして己のような男にも誘いをかけているのは、ただ彼女が義理堅いだけでも面倒見がよいだけではないはずだ。

 再び、画面を見る少女の白い頬がマズルフラッシュに染め上げられる。銃撃戦は再開されたらしい。


『……活劇映画は、お嫌い?』

『いや……ただ――……』


 マズルフラッシュが――重なる。

 散る窓ガラス。フラッシュバン。そしてグレネード。一糸乱れぬ足音。蹴破られたドア。黒色の遮光ヴィジョンに変化した強化外骨格エキゾスケルトンのヘルメットガラス。向けられるアサルトライフルの銃口。隣で脳漿を散らせた部下。

 作戦のブリーフィング中だった。上がる悲鳴。咄嗟に耳を塞いで床に転がった自分は、仲間の死体に紛れながら応射。倒れる強化外骨格エキゾスケルトンの敵兵。

 マズルフラッシュ。骨を苛む反動。ヘルメット内で弾け飛ぶ頭蓋。頭上を飛び抜ける間延びした跳弾の音。

 応射、応射、応射――……残弾が尽きるよりも先に、味方の歩兵が現れたのは幸いと言うべきか。チームのメンバーは全員死んだ。僚機も、部下も――遺言一つ残せず、地上で死んでいった。


『特殊部隊は、……そう思っただけだ』


 コーヒーを啜る。

 あの炎と硝煙の匂いが、蘇ってくるようだった。

 ヒロインとヒーローは、言い争いながら敵へと応射している。その喧騒と銃声が、部屋に奇妙な静寂を作る。

 右手が、腰のリボルバーに伸びていることに気付いた。あの強化外骨格エキゾスケルトンさえも屠れる怪物銃。対人で放つと、簡単に四肢を食い千切る恐ろしき獣。


『そ。……飽きたわ、この映画』

『マーシュ?』

『……飽きたのよ。動物の動画にでもしようかしら』


 気を使わせてしまったのか。

 マーシュは、それ以上聞かなかった。

 或いは彼女も思い出したのかもしれない。彼女をその屋敷へと連れ戻そうと義叔父が雇ったゴロツキを、強化外骨格エキゾスケルトンを纏ったその部隊を、こちらが正面から射殺したその時を。

 あのとき、彼女は震えていただろうか――。

 思い返したが、答えは出なかった。暗い部屋の中で、コーヒーを啜る音と何匹もの猫ちゃんのかわいい鳴き声だけが響いていた。



 ◇ ◆ ◇



 黒いフライトジャケットの下の、肌に貼り付くパイロットスーツを貫くように戦場特有の殺気の気配が伝わってくる。

 大層な注意表示が幾重に貼られた宇宙服を、ダイバースーツほどに圧縮したような防刃・防弾製の駆動者リンカー防護服。

 所々に蛍光色で示された諸注意のあるユニバーサルデザイン。胸部のプロテクターが特徴的だろうが、自分としてはダイバースーツの上にタキシードを纏ってその境界を混ぜ合わせたような近未来的なデザインの方が印象的な代物。或いはあたかも、ダーク・リアリスティック・ミリタリー路線のアメコミ映画のヒーロースーツのように。

 その素材から、静音性もある程度はある。密入国で隠し持っていたそれを改めて身に纏えば――気分は前大戦の頃のように沈降していく。


(今、こんな火災の起こる場に俺が訪れるという意味……相手からも、そんな場でこそ混乱に乗じて何かを得ようとしていると読めるだろう。こちらは【フィッチャーの鳥】とことを構えた逃亡者――ほぼ間違いなく、武装狙いか逃亡手段狙いか。そこまでは読める)


 開けた場所を避ける形で、腰を落とした足運びで港湾倉庫の施設内を進む。燃えあがる熱風がこちらまで届くような――煤煙の匂い。酸素の限られた居住区ボウルの内の失火は重罪で、だからこそ彼らも事故ではなく不審者による放火というシナリオを取ったのだろう。

 施設内には、数階建ての建物がいくつか。その奥には、鋼鉄製のコンテナが立ち並び――或いはスクラップの山が。

 デブリの処理と、サルベージを行う業者。表向きは。

 敵を迎え撃つべく相応しい場所を探して、建物に身を隠しつつも動く。西部劇のガンファイターが速射を繰り出した直後のような、体幹近くに拳銃を寄せた構え。それを胸の辺りまで引き上げたような近接射撃姿勢で、クリアリングを行いながら進む。


(その点で言えば、より危険なのは倉庫に向かったラモーナだ。……ただ、常識的に焼ける倉庫で本当に火事場泥棒をする人間がいるか――という話ともなる)


 頭の片隅で考えつつ、進む。

 正直なところ、シンデレラ同様に年若い少女であるラモーナを戦力として使うことにはやはり――納得していてもどこか、内心では引っかかりがあるのも事実だ。

 同時に、こちらがそれを気にしていられる程の戦力的な余裕もなく、また、彼女が志願した軍人であるというそれを侮ることも無礼に思えて遠ざける選択肢は選べなかった。

 何たる致命的な実力不足か。結局お前はメイジー・ブランシェットを戦いに駆り出したあの日から何ら進歩してはいないし、成長できてもいないと強く自覚するだけの事態。


(いや、余計なことは考えるな。思考に没頭するな。……これは、沈静化の一端だ)


 あくまでも、集中すべきは己の外界に対して。

 普段通りの思考の巡りで頭を落ち着かせつつ、努めて周囲へ注意を払うことに集中する。集中しつつ、思考を沈降させていく――ルーティンワーク。


(……そうだな。それでも現時点では、あちらの方が安全性が高い。事前に確認したこの業者が確保している定数としてのアーモリー・トルーパーと、正規の保管施設は複数ある。定数外や違法物品を焼き払うとしても、まだ、無事なものは残しておきたいだろう。侵入者であるこちらも、焼ける倉庫よりそちらを目指した方が確実と相手も判断する――)


 人影はない。

 しかしながら、やがて不審火によって駆けつける行政機関や【フィッチャーの鳥】などへの対応として人は絶対に残している。残さない筈がない。

 現役の治安維持軍人にも暴力を行使するような危険人物にそこに辿り着かれることこそが、相手としても避けたい事態だ――つまり防衛目標。ラモーナにも、その点は伝えた。

 それに従い、陽動を行うだけだ。

 王手飛車取りのようなもの。陽動と認識されようが、相手はこちらへと重点的に戦力を投入せざるを得ない。果たして相手が全ての戦力をこちらに集中させて各個撃破を狙うのか、それとも二手に分けるのかは判らないが――……より困難で苛烈なのはこちらになるだろう。

 そう警戒しながら駐車場のように開けた場所に行き当たった――その瞬間だった。


 反射的に銃口を向けた先、黒いレインコートを被った人影――否、その裾から覗いた手足は剥き出しの金属製の骨組。

 直立二足歩行の、機械兵。

 戦時中は簡易な自立稼働砲台として使用されたそれが――無手で待ち構えていた。

 同時、現れた円盤ドローン。何某かの箱型の装置をマウントして――飛翔する。


 腰を沈めた機械兵。右の銃鉄色ガンメタルが吠える。まず、ドローンから撃墜。

 徹甲焼夷炸裂弾の爆発が、無慈悲にドローンをスクラップに変える――と同時に動き出した機械兵。

 膝を曲げての瞬発に、その黒フードが捲くれ上がりレインコートの前が開く。思わず、息を飲んだ。

 機械兵のその身体の前面に備え付けられたのは、無数の手榴弾と鋼板プレート。大戦時に見られた規格外の運用。抹殺前提の装備だ。それがコートの前を開く不審者のように両手のワイヤーを引く――と同時にピンとレバーが引き抜かれる音。無数の音。

 咄嗟に、右手で銃撃。

 炸裂する弾丸が迫る機械兵の右足で炎を吹き上がらせ、遅れて本体がうつ伏せに――爆発音。僅かに浮き上がった骨組みめいた自律ロボット。


 直後、目と肌に感じた痺れ――否、熱。強烈な熱刺激。細かな針で刺され続けるような刺激。覚えがある。飛行ドローン搭載の、非殺傷鎮圧型マイクロウェーブ投射兵器だ。

 材質を変更した骸骨マスクのおかげで、被害は片眼だけ。痛みは片眼だけ。目を閉じる寸前の記憶に従い、左の銀の抜き撃ちで応射。甲高い音=撃墜。

 目を開けば、未だぼやけた視界。その内に捉えた影。また、機械兵が来る。押し寄せる。三体。走り寄る。初動のみが素早い機械特有のぎこちない挙動で。それが不気味だ。

 ピンが引き抜かれ安全レバーが転がる甲高い音、音、音――――右の連射。砲撃めいたマズルフラッシュ。左腕で押さえ付けるも痺れる右手首。指。モンスターリボルバーの三連咆哮。


 足を抜かれ、それでもロボット兵器は姿勢を取り直した。優れたバランス感覚というより――ローカル・コンバット・リンクか。情報共有。修正される戦闘行動。

 片足で巧みに、しかしどこかぎこちなく跳ねるロボット。あと何秒か。猶予は――……考えるより身体が動く。

 銃を振り付けつつ横飛び。即座に排莢。地を転がる身体と薬莢。銀色リボルバーと入れ替わりに掴んだクイックローダーでシリンダーに押し当て、怪物拳銃にリロード。

 片膝立ちに唸る砲声。吹き上がるマズルフラッシュ。頭部から突き倒され、木偶めいて大の字の仰向けに転がった殺人ロボット――――確認も半ばに地に腹這いになるように伏せ、爆心へと足を向ける。かろうじて上体のみは建物の影に退避。同時に上がるは、上空目掛けての盛大な破片の花火。頭上を抜けた破片の飛翔音。

 匍匐前進。両手で地を押し、完全退避。建物に預ける背。胸を撫で下ろしながら、三発だけ再装填する。


「よほど、失業者は多かったらしい……!」


 猛烈に煙草が吸いたくなる。

 アーセナル・コマンド戦ならそうならないあたり、やはり本業ではない白兵戦でのストレスだろうか。

 相手は手慣れている。

 一人に目掛けてこれほどの装備をぶつけてくるとは――なるほど、思った以上にあの老人はこちらのことを話したらしい。徹底的な殺意。笑いさえ零れそうだ。

 立ち上がり、地面に転がる空き缶を蹴り飛ばす。建物の影から飛び出したそれが、玩具めいた軽快な射撃音と共に跳ねた。増援のガンドローンか。容赦ない攻撃だ。

 基本に従った隙のない鎮圧行動に、戦地での我流を組み合わせた殺人戦術。戦争帰りが完全にこちらを叩き潰すための波状攻撃。油断はないらしい。

 人気者だと、頭のどこかで皮肉が漏れた。


 別動したラモーナはまだ戻らない。

 彼女は、防弾性の防護服を着ていた。無論、耐熱性でもある――――燃える倉庫や他への物資回収を頼んたが、果たしてどうか。アーモリー・トルーパー、ないしは強化外骨格エキゾスケルトン、少なくともアサルトライフルでもあればマシだ。

 それ以上に、彼女が無事で居てくれたらいいと考えつつも……思考から追い出した。他人を気にできるほど、己は生身での白兵戦には秀でていない。

 さて、建物の影に相手を張り付けた――と来たらどうか。

 常道ならばグレネード、ないしはガンドローンや自爆ドローンの侵攻。耳を済ませるが、プロペラの僅かな羽音さえ聞こえない。静音性に優れたジェネラル・ホール・エレクトロニクス製か。


 そう思った直後、音を立てて転がってきた発煙筒――否、催涙ガス。

 それがいくつも投射される。立ち込める白煙。手慣れていた。ドローンにグレネードランチャーでも積んだか、それとも人間か。投擲ばかりは機械よりも人間に得手がある。

 否――と内心で首を振る。嵩張る強化外骨格エキゾスケルトン着用状態での投擲は、あまり上手くはいかない。精々がパワーアシストを活かした無理矢理な下手投げ。

 面頬メンポの素材故に、即座に呼吸器がやられる訳ではないが、遠からず目がやられる。生身では圧倒的な不利。

 逆説的に、これでということだ。白煙下での機械による画像判別には難が出る。狙いは人の手による決着――強化外骨格エキゾスケルトンならヘルメットと換気システムがある。或いは赤外線スコープを利用した狙撃か――……いや、敷地外には周囲に狙撃可能なスポットはなかった。確認済みだ。


 それだけが救いかと考えつつ、壁を蹴った。跳躍。壁から壁へ。建物を伝っている排気パイプへと飛び移りつつ、二階の窓を蹴破って室内へと侵入。

 すぐさま側面の窓から階下を確認しようと走り出し――咄嗟に床に伏せた。冷たい感触。窓の外を過ぎたドローン。おそらくはスポッターだ。それが数機。

 僅かに窓の外を伺いつつ、息を吸いながら、可搬型デバイスを操作。ラモーナへとコール――――同時に、施設外から湧き上がるあまりに壮大な炸裂音。

 IED――即席爆弾だ。

 ラモーナの可搬型デバイスのバイブレーターに増幅回路をハンダ付けして作った電気式の起爆装置が着信を受け、実包を流用した火薬に火を点けた。そのまま車の水素タンクや他の積載爆発物と反応し、炸裂したのだ。


「……かつて、衛星軌道都市サテライトの主要人物を暗殺しようとしたのが役に立つとはな」


 敵は、混乱しただろうか。何かの陽動だと、思ったか。

 確かにそんな意味もあるが――


「ハッ、Jackpot大当たりだ――と言うべきだろうか」


 脳内のロビンを真似た声。

 吹き飛ばされた車により、あの侵入防止用のレザーワイヤーと、それを抑えていたワイヤーが解放された。その込められた張力のまま――弾かれたように跳ねるワイヤーが宙を薙ぎ払い、ドローンを撃墜する。

 多少は狙ったとはいえ、実際に上手くいくとは思わなかったが……突如として外部からの襲撃を受けたと誤認してくれればよし。そうでなくとも、意味が――


「――ッ」


 連続した銃声。飛び散るガラスの破片。

 ドローンによる釘付けにするための銃撃。そのままに、容赦なく催涙弾が放り込まれてくる。

 立ち込める白煙。暴徒鎮圧用のガス。衛星軌道都市サテライトでは、限られた空気故にこれもまた違法なもの。

 舌打ちと共に匍匐前進を行う。軍用のフライトジャケットとパイロットスーツの防刃・防弾性を信じて。この煙を前には、すぐにスプリンクラーが作動するだろう。感覚器への刺激は防げるものの、このタイプの催涙ガスはむしろ濡れた身体で受ければ全身の痛みに繋がる。


 ガラスと前腕が鳴らす音。込み上がる汗。

 無制限の軍事力の投入はありえない――おそらくは。全て、言い訳とセットだ。ドローンと機械兵は、不審者が単独でも使用できるもの。手榴弾は、建物外ならば火災に託けて爆発を起こしたと誤魔化せるもの。

 仮に後に捜査の手が及んでも言い逃れできる程度には――制限があると、そう推測する。これ以上はない。そうでなくては、困る。このままグレネードや或いは迫撃砲で釣瓶撃ちされれば、火力の差でジリ貧だ。

 広がる煙がいよいよ追い付こうとしてくるのを、這いずりつつ必死に逃れる。

 どこまで人払いをかけているのか。

 炎、というのは酸素の限られた衛星軌道都市サテライトでは致命的だ。その原因や要因に対しては通報や対処なども厳密に定められていると、調べた。

 事故出火でさえも個人や企業に対しての賠償責任――……無論ながら、それでも港湾倉庫に踏み込まれた際の余罪の方が重いと判断してのことだろうが。


 そう考えていた、途端だった。

 

「……ッ」


 窓から転がり込む手榴弾。

 既にピンが外れたそれは、血の気を引かせるには十分な死神の足音だった。

 やがて――爆発が、巻き起こる。



 ◇ ◆ ◇



 業火に彩られる倉庫に侵入する命知らずなどいない――。

 そうは考えぬ程度には、彼らにも油断はない。より戦力を集中させるべき側に集めたにしろ、抜かりはなかった。

 戦後処理にて解体された精鋭部隊。衛星軌道都市サテライトの海兵隊に所属していた彼らは、宙間での敵地制圧のスペシャリストであった。

 速やかに居住区ボウルに侵入し、その対処を無力化。そして居住区ボウルは破損させずに事態を収束する――その地政学的要因から、陸軍よりも海兵隊の編成に衛星軌道都市サテライトは力を入れていた。

 そのまま、かつての【星の銀貨シュテルンターラー】戦争では陸軍の歩兵的な役割も担った。不慣れな大地――不満も多かったが、それが祖国の勝利からなる統一に繋がると信じていた。


 しかし、それも裏切られた。


 味方ごと吹き飛ばすような非情の作戦。

 そして、祖国に戻ったのちに民衆から向けられた殺戮者にして侵略者という汚名。

 閑職。不遇な取り扱い。負傷者や傷痍軍人に対する不十分な支援。弾圧。

 裏社会に身を落とすには十分――であったのだろう。


 それでも、彼らは牙を磨くことを絶やさなかった。


 一糸乱れぬ、一つの生物のような足運び。

 揃いの強化外骨格、揃いのアサルトライフル、揃いのサイドアーム――全く無個性なる個が作り上げる一匹の群体という個性。

 その強化外骨格エキゾスケルトンは、厳めしい金属性のビジネススーツを纏った大柄な二足歩行の昆虫にすら見える。

 メタリックな黒鉄色の装甲。剥き出しにされた鋼の脊椎。ボディビルダー専用のビジネス用のスーツをさらに一回り大きくしたような近未来的甲冑に、歯を食い縛った単眼のスズメバチめいたヘルメット。

 その手には、蜻蛉の尻尾めいて銃身が伸びたアサルトライフル――7.62×51mm鋼鉄被覆弾。万一の同士討ちを考慮して、強化外骨格エキゾスケルトンの通常運用の弾薬――12.7×99mmは用いない。


 淀みなく行われるクリアリングと、ローカル・コンバット・リンクを利用した情報共有。

 やがて施設ごとシャッターで封鎖され、排気パイプによって真空へと有毒ガスの排出――及び鎮火が行われるその焼け落ちる建物の前に、目標の少女はいた。

 小柄で華奢な身体を防護服で覆った長髪の少女。


「危ないから、帰った方がいいと思うよ――……」


 彼らへ背を向けたまま、少女が呟く。

 返答は――銃口だった。

 彼らもまた、時間がない。衛星軌道都市サテライトにおいての火災の鎮火は、三段階に分けられる。一段回目が消火剤や炭酸ガス噴射による消火。二段階目が、施設そのものを隔壁により閉鎖しての外部ダクト――真空へと繋げることによる消火。三段階目が、隔壁の融解に伴う真空消火不能時に対する消火。

 この、三段階目は避けたい。問題が大きい。そして二段階目は、隔壁が機能するまでしか行えない。


 故に、警告も不十分なままそのアサルトライフルは――火を吹いた。


 少女のその背に叩き込まれる鋼の嵐。膨大なマズルフラッシュ。あたかもパパラッチがスキャンダル映像を激写するかの如く――閃光が連続する。

 路面降り注ぐ薬莢。やがて、崩れ落ちた防護服。

 如何に防弾といえども、この銃火の嵐を受けては全身骨折か繊維を喰い破られて死亡するか――隊長が、二人へ首で促した。

 相互にカバーリングを行いつつ、さらに散発的に倒れたそれへ目掛けて射撃を加えながら地面に横たわる防護服の主へ近付く。


 そこで、確認に向かった隊員は訝しんだ。


 防護服に傷がないのはいいが――しかしそれは、倒れたというよりは脱ぎ捨てられたかの如く袖すらも広げて地面に横たわっている。

 衝撃で、留め金が外れたのだろうか。

 しかし、まるでエンシェント・ニンジャの忍法めいて変わり身を行った――などという馬鹿げた想像も脳裏を過ぎったが、防護服の下に膨らみがある。少女は間違いなくそこにいる。

 頷き合い、連携して防護服を引き剥がし――――彼らは、ただ驚愕した。


 


 人間が、

 そうとしか、みえなかった。


「……は?」


 防護服を持ち上げた一人が、思わず声を漏らした。

 その――瞬間だった。

 蠢く肌色の液体。爆発と見間違えるほどの凄まじい噴射。飛び退ることもできず、咄嗟に顔を庇った腕を潜るように――否、実際にそれを潜り抜けて、触手めいて首へと

 咄嗟に引き剥がそうと動いた男の腕が、強化外骨格エキゾスケルトンが――一瞬の痙攣と共に垂れ下がる。


 首の後ろに突き立てられた電磁ナイフ。

 強化外骨格エキゾスケルトンの甲皮を切り裂いたそれは男の頚椎を断ち――しかし、終わらない。

 その隙間から流れ込んだ肌色の半液体めいた肉体。肉を掻き分けるその先端で、指先で、ほとばしる紫電。脊椎への電気刺激。

 それに従い、死した男が失禁しつつも立ち上がった。

 そして、

 

「違うよ、もう少しそっち」


 少女の声と共に――走り出す。激突する。首を明後日の方向に垂らした死体が猛然とタックルを行い、その強化外骨格エキゾスケルトンのパワーブーストのままにもう一人の仲間の首をへし折った。

 その衝撃で飛び散った人間の肉のスライムが――否、そう見えた肉と皮だけの液体に近いナニカが再び立ち上がる。

 電気刺激によりその度に硬化を行う高分子ケイ素ポリマー製の液状強化内骨格が、肉溜まりを再び少女の形に作り上げていた。

 迸る紫電。

 同時、逆再生のように人の形を取り戻す。

 燃え盛る炎の建物を背に、一糸まとわぬ裸体で佇む透明感ある長髪の少女――あまりにも現実感を失わせる光景。


援護カバー――ッ!」


 しかし、彼らは今は裏社会に身を窶したとはいえ歴戦の兵士であった。

 即座にアサルトライフルを構え――……いない。

 撃つべき敵の姿が、消えていた。


「わたし、どんどん骨が駄目になっちゃうんだって。お父さんとお母さんは、そう言ってわたしを捨てたの」


 声の位置は、背後。

 瞬間移動と見まごうほどの加速。ゼロから頂点へ。弛緩と緊張の妙。即座に通電停止による液状化と通電による硬化を行うライラック・ラモーナ・ラビットの強化内骨格は、人の速度を超えて空間を疾駆する。

 流動する肉の液か。

 気付いたそのときには、彼らを通り過ぎて真反対側に立ったラモーナが、逆手にナイフを構えている。

 そして、水だけを詰めた革袋めいてその身体が――その肢体が伸びる。鞭のようにしなる。電磁ナイフが赤熱する。


「お前みたいなのがいると幸せになれないんだって……“お前みたいな子供が”……わたしは、要らない子……」


 一閃、二閃。

 二人、死んだ。振り向くこともできずに頚椎を断たれて死んだ。

 一方的に、殺された。怪物に殺された。


 叫び声。発砲音。


 しかし掠りもしない。色付きの風のようなラモーナの機動と、大鎌の如く振り回される手足。その度に強化外骨格エキゾスケルトンの兵士が倒れる。

 不定形の首狩り兎。人間をやめた異形の仔。

 流石の彼らも、恐慌状態に包まれた。

 不定形に蠢き、超高速で跳ね回る液状の怪物に――一体、人間に何ができるというのか。


「でも、大佐ぱぱとおーぐりーは言わなかった……お前みたいな子供が、って言わなかった」


 怪物が、独白を続ける。

 鮮血は舞わない。電磁ナイフに焼き切られる兵士たちは、糸の切れた操り人形のように転がっていくだけだ。

 色付きの風が吹く。

 その度に、一人また一人と首を狩られて死んでいく。


「ごめんね。痛いよね、怖いよね……でも、大佐ぱぱとおーぐりーのために……容赦は、しないよ? 二人ともラモーナの――……大切な人だから。大好きなの。助けてあげたいんだ」


 そして最後の一人は、頸部の僅かな装甲の隙間を断たれて――だが、それ自体では死亡しなかった。

 隙間から流れ込むラモーナの指先。

 少女を超えたその膂力に頸部を圧迫され、頚椎を粉砕されて死に至る。


「……うん、これで、おーぐりーも着れるよね。直せるよね。……ふふ。喜んでくれるかな、おーぐりー」


 嬉しそうな顔を想像したラモーナは、それ以上に嬉しそうに微笑を零した。

 再び防護服を着直した彼女は、手慣れた様子で裸の男の死体を投げ捨てるとその抜け殻じみた強化外骨格エキゾスケルトンを引き摺っていく。

 あとには、燃える倉庫の前には、頚椎を断たれた十五名ほどの死体が残されていた。



 ライラック・ラモーナ・ラビット。


 その乗機たる【ラビット】同様、不定形の肉体を操縦する――唯一無二の駆動者リンカーである。



 ◇ ◆ ◇



 その空間には、炭酸ガスと催涙ガスが入り混じった煙がたちこめていた。

 大盾とショットガンを片手にした強化外骨格エキゾスケルトンを先頭に階段を進む一つの群れ。二足歩行の昆虫たち。無機質に流動し、有機的に連携する一つの暴力。

 ローカル・コンバット・リンクにより、分隊の一つが壊滅したとの知らせを受けた。衝撃だった。彼らは少女の鎮圧に向かったはずだというのに――……悪いコズミック・ホラー・ホログラムムービー作品じみている。


 この時点で、撤退の判断が隊長の胸には過ぎった。


 しかし、それは許されない。

 まともな分隊装備すらも持たない軽装のターゲット相手に二個分隊三十名を放り込んでただ一方的にやられて成果がなかったなどと――そんなものは、仮にも暴を担うものとして認められない。

 単なるプライドやメンツの話ではない。彼らの雇用主はそこも気にするだろうが……何も敵対者は、今日この日のターゲットだけではないのだ。これからも続く日常の中で、武力を危ぶまれるということは彼らの食い扶持の維持どころか、生存にも直結する。

 容易く倒せる相手と思われれば、余計な諍いを生む。それはより多くの仲間を殺すことになる。


 故に進むしかなく――特段の奇襲攻撃も受けず、彼らは目標のフロアに到着した。


「窒息で、くたばっているかもしれませんよ」

「……真空事故防止用のスーツとボンベがある。あれ程のやつなら、手にしているかもしれない」

「とんだガンスリンガーですぜ。あの機械兵で仕留められねえなんてよ」


 軽口を叩きつつ、合図に合わせて先頭の兵が進む。

 対装甲火器用のシールド。恐るべき大口径リボルバーの使い手であったが、正面からこれを貫くのは強化外骨格エキゾスケルトン用のアサルトライフルは最低でも必要だ。とてもハンドガンやリボルバーで行える訳がない。

 窓の外のドローンがカバーリングの位置についた。

 それに従い、彼らも進む――その時だった。


「こういう使い方も――できる」


 巻き起こる爆炎と火炎放射。

 一つは、可搬型デバイスのアラームを利用した即席爆弾。爆発物は――酸素ボンベか。

 強化外骨格エキゾスケルトンは、そんなものでは貫けない。

 だが――その火炎に連鎖して巻き起こる爆発。何たることか、真空事故用の硬化ポリマーを利用することで催涙ガス弾の口を塞ぎ、その内圧を高め爆発物へと流用している。即席の破片手榴弾じみて炸裂するそれぞれが連鎖的に炸裂する。

 その、衝撃。

 更に、ボンべチューブを延長され爆炎により着火された即席火炎放射器が、炎を吹き付ける。

 その熱に、強化外骨格エキゾスケルトンの中央演算処理システムの処理能力が低下する――瞬間だった。


「――がッ!?」


 響く銃声。至近距離。盾持ちがよろける。

 一体、何たることか――誰が想像する? リボルバー拳銃を片手に、軽装で、強化外骨格エキゾスケルトンを相手に、盾の内側に潜り込んで密着射撃を敢行するなど――一体誰が想像する?

 そのまま、銃声が続く。怪物めいた銃鉄色ガンメタルのリボルバーが、その弾丸が、的確に頭部ヘルメットの単眼を撃ち抜いては――炸裂する。

 抑え込みは叶わない。

 関節稼働が制限される強化外骨格エキゾスケルトンでは、死してなおすぐには倒れぬ嵩張る仲間の強化外骨格エキゾスケルトンの死体を乗り越えられず、その間に次々に至近射撃が敢行される。


 撃つ弾丸は、味方を盾にいなされる。強化外骨格エキゾスケルトンや防護盾を撃ち抜けず、弾き返される。

 そも、画像処理が追い付かず敵を狙いきれない。

 強固な防護服が、ここに来て戦場の肌感覚を遠ざけ――小回りの効かない棺桶に変わるとは、一体誰が想像しようか。

 それに回り込み、密着し、頭部に触れた銃口から容赦のない銃撃が加えられていく。強化外骨格エキゾスケルトン相手に近接するという暴挙。

 その、間合い勘。反射神経。状況判断。動作の追随性。

 生まれたその日から戦闘のために肉体と神経系を構成したとしか言えない殺戮の獣。企図して創り出された天性の虐殺者。保身なき殺意の体現者。


「敗戦では、装備の検証も行えまい――……そも、その弱点故に全員死んだ。死者の声は、誰も聞けない」


 淡々と告げる死神の声。

 既に、半数以上が呑まれた。食い千切られた。味方を盾にされ、超至近距離でリロードさえ行われた。

 だが、人数故に全てを殺し切ることは叶わなかった。

 牽制射撃のまま後退すべしと、打ち合わせなく誰もが行動しようとした――その時だった。


「……おーぐりーも、強いんだね。そっか」


 そんな呟き。

 耳に届くそのときには――頚椎へと電磁ナイフを突き立てられて絶命する。

 そして背後からの襲撃の混乱が取り戻されるよりも先に、無慈悲に頭部へと突き付けられた銃口が――銃剣の切っ先と殆ど一体化したような大口径が咆哮をあげる。

 しばし佇み、膝から崩れ落ちる強化外骨格エキゾスケルトン

 汗を浮かべて息を詰め、構えを続けるリボルバーのその主は――……やがて胸を撫で下ろすように吐息と共に銃を下ろした。


「状況終了。勧告の暇がないため、全名殲滅した。……すまない」

「おーぐりー、探してたものは見付かった? えっとこっちは色々、見付けたよ?」

「……いや、余裕がなかった。手伝って貰っても構わないだろうか?」

「うん。……おーぐりーのこと、助けてあげるね」


 誰も以外いなくなった廊下を、二つの歩き出す。



 その間、宇宙では――また一つ事態が、進行していた。


 否応なく。

 戦役は、進んでいく。



 

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