第84話 アンチェインド・モンスター、或いは狩人

 冒涜的な黒山羊の卵か、はたまた、近未来的幻想に似た軍事的な合理性と必然性の産物か。

 漆黒の卵型の航空要塞艦アーク・フォートレスの中、寒々しくも妖しい――電子的な血脈の如く青い燐光が黒壁を走る廊下で、


「クソ……ッ」


 ヘンリー・アイアンリングは片側だけ結いた金色の三編みを揺らし、その黒壁を殴り付けていた。

 シンデレラとの邂逅から、シミュレーターの結果が振るわない。今では黒衣の七人ブラックパレード撃墜数上位陣ダブルオーナンバーズを完全再現した訳ではないと理解できるシミュレーターで、その有り様だ。

 或いはかつて憧れて髪型の一部を真似するに至ったレッドフード――メイジー・ブランシェットの消息不明か。

 そんな不調が機動にまで現れたように、結果はよろしくなかった。

 ラッド・マウス大佐の言に従えば、そんな精神の揺らぎはいずれ脳内の学習型AIによって補正されていく筈だと言うのに――……思わしくない。それをより加速させるだけの武装も搭載しているというのに、まだ十分な成果が感じられていない。

 その焦りから、彼がもう一度拳を叩きつけようとしたその時だった。


『……知っているかい? シミュレーションって言うのはね、そこにから導き出されるものなんだって』


 通信用のホログラムで浮かんだ、天使の羽根の如き純白の髪の少女。

 この船には、ヘンリーも幾度と驚かされた。ホログラムの投影装置が各所に用意され、船の管制AIは船内の人間を感知して自動的に通話などをその場所に割り振ってくる。

 遥か昔の世界で連想された来たるべき未来の船のように――よほど高度な演算エンジンを積んでいるのか、あのシミュレーターにしろ、他とは数世代進んだもののようだった。

 そんなヘンリーの驚愕に構う様子もなく、彼女は続けた。


『だから、散らばっているのさ。何もかもが。種は十分に散らばっている――……ならその要素の一つをに置き換えたら、が出るとは思わないかい?』

「何が言いたいんだ……」

『ん、そうだね……君自身をに置き換えられたらいい――そんな祝福だよ。そう考えたらどうかな?』


 笑いかけてくる天使の髪を持つ少女に、言葉を失う。


『助けたい相手がいるんだよね? 護りたい信念があるんだよね? ――そう君が思うなら、を目指すのが一番の近道じゃあないかな?』

「……」


 導師のように見透かした言葉。


「言われるまでもねえ……オレは、あの人だけに戦わせないために――いや、あの人が約束してくれた強いオレになるために――……そのためだけに、備えてるんだ」

『あはは、そっか。うん、大変だろうけど頑張るといいよ』


 強く瞳を向け直すヘンリーへ、少女は軽く笑いかけた。

 そして頭痛に額を抑えてまた進むヘンリーの背を、少女は見送る。見送り、変わらぬ声のまま呟いた。


『……なれる訳がない、とは思うけどね。彼に――……ああ、だってあの人は――……他でもなく。僕の魂の伴侶なんだから』


 うっとりと月色の目を細め、世を俯瞰するように少女は囁く。恋する乙女か――それとも万物を見通す賢者か。


『似ていれば、近いところまでは行くだろう――。ああ、似かよったものにはなるだろうね――……だけれども、


 我が意を得たりと頷く少女へ、その背中に甲高い声がかけられた。


「なに新人にちょっかい出してるのよ。彼、頑張ってるんだからやめなさい」


 肩までの黒髪をサイドテールに纏めた少女。金色のツリ目は隠しきれない気の強さと自負を表す。

 年の頃は十代後半か、二十代前半か。女性にしてはやや長身な背丈と女性的な身体付きを、黒軍服に隠している。

 ダブルのスーツのように金ボタンが腹のあたりについた黒い上衣。白き胸骨や肋骨のようにその制服に施された刺繍。そして白いズボン――【フィッチャーの鳥】。


『うん? ……誰だっけ、君』

「ゲルトルートよ! ゲルトルート! ゲルトルート・ブラック特務中尉!」

『……うん?』


 じろじろと、少女はゲルトルートを上から下まで改めて眺めた。あたかも初対面と言いたげな有様である。


「ぶ、ぶん殴りたい……!」

「落ち着け、トゥルーデ」


 その隣に立っていた長身の青年がゲルトルートを諌める。

 あたかも仏教僧侶ブディストボンズめいて肌を晒した大きな手術痕のある禿頭。尖った額骨の下のグリーンの瞳は、無機質な爬虫類や恐竜さえも思わせる。

 発達した広背筋と僧帽筋により、背中が一つの盾の如き体躯を作る。寡黙な岩のような身体をカーキ色のパイロットジャケットに包んだ二十代半ばの青年。

 名を――


『ああ、君は覚えてるよ。【狩人連盟ハンターリメインズ】最強の男、サム・トールマン』

「はあ!? 最強はこのあたし――」

『うん? 誰だっけ、君?』

「むぎぃぃぃぃぃぃいいいい!!!!」


 身体を派手に揺らして飛びかかろうとするゲルトルートを、サムは片手で制していた。


「称号に意味はない。それに俺は局地戦に特化した機体であり、汎用性に最も優れるのは【ソーサレス】に疑いない。怒る必要はない。……いいかユー・コピー?」

りょーかいアイ・コピー。サムの顔に免じてあげるわ。……覚えときなさいよ!」

『うん? 何を? あと君、誰だっけ?』

「むぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいい!!!!! 放してサム! 放せ! コイツ殺す! 殺す!」

「今ここにはいない。ホログラムに打撃は意味がない」


 ぎゃあぎゃあと叫び上げる彼女たちを遠巻きに壁に身体を預け、本を眺める防弾コートの銀髪少女がいた。

 銀髪のツインテールと眼帯。武骨なロングコートの下には胸の膨らみだけを隠すビキニめいた上衣と、スパッツの上から履いた腰巻きじみたスカート。一見すれば十代前半から半ばにしか見えない小柄だが、二次性徴は済ませたと言いたげな肢体を惜しみなく晒していた。

 臍さえも丸出しにしているアンバランスな危険。

 他人の視線にも無頓着そうな彼女は、片側を眼帯に覆われた金色の瞳で、を開いている。

 それで、その少女にとっては十分なのだろう。エコー・シュミット――或いはエコー・ザ・ラージチャンバー。巨大な薬室を意味する二つ名の通りに、腰には大口径のハンドガンをぶら下げていた。


「あれ? いいの? 皆はあっちだけど……」


 彼女を見下ろし呼びかけたのは、長身の少年だった。

 黒服の上に燃えるような、と形容すべきか。

 癖を持った深い紫色のその髪は方方でグラデーションを作り、それが、どこか炎めいた濃淡を作っている。

 名を、フレデリック・ハロルド・ブルーランプ。兄とはファーストネームとミドルネームを入れ替えただけに過ぎない双子。どちらを呼び間違えても問題ないという、そんな親の意思。


「そうね。必要ない。それと――アナタの兄は謹慎中。処分は保留。ここからは推測だけど、多分離反する」

「そっか。……また僕を置いていくんだ、お兄ちゃん」

「……どうしたらいい、の答えは。やりたいなら。どうしたい? ……そう。それがアナタの選択ならそれでいい。好きにすれば」


 そしてエコーはを畳み、おもむろに廊下の反対側に目をやった。

 それから遅れて――現れる大柄の男。獅子の如き金髪を持つ灰眼の偉丈夫。【フィッチャーの鳥】の制服に一度とて袖を通すことなく、常にパイロットジャケットとパイロットスーツに身を包んだ筋金入りの現場主義者。

 狩人連盟ハンターリメインズの第一号にして、教導役――エディス・ゴールズヘア特務大尉。


「おい、騒がしいぞガキどもー。元気が有り余るのは結構だがね、託児所じゃあないんだぜ? いっちょ走っとくか?」

「何よ、バツイチ男。うるさいのよ、まだ奥さんに連絡とれてない軟弱者の癖に」

「止せ、トゥルーデ。……ゴールズヘア教官殿の弱点を公に口にすべきではない」

「可愛がられてえのかコイツら。……元嫁の話はいいだろうが、元嫁の話は。あの味覚壊滅生活力皆無バカ女の話は」

「情けない奴。コックピットに写真まで貼って未練たらたらの癖に。何度も電話しようとして悩んでるの、皆知ってるわよ。言おうと練習してるセリフも。素直に愛してるって伝えないからそうなるの……こうはなりたくないわねえ」

「止せ、トゥルーデ。他人の醜聞を広げるべきではない」


 呼びかけられる前にエコーは壁から背を離す。

 それに従い、フレデリックも彼女に追従した。


「ったく、次の作戦のブリーフィングやるから全員シミュレーションルームに集合だ。あと、いくらか共有事項がある。ちゃんと聞けよ? いいかユー・コピー?」

りょーかいアイ・コピー


 ボリボリと頭を掻くエディスには、鬼教官のような雰囲気はない。

 頼りがいと親しみがいがある兄貴分――かつてハンス・グリム・グッドフェローが彼の中に理想の兵士としての似姿を見出したその時とも、また、エディスは異なっていた。


「という訳で、ミス・リアルドラゴン。こいつら連れてくが構わねえか?」

『どうぞ、好きにしたらいいんじゃないかな? ミスター・ゴールデンオーガ』


 一人残された純白の少女は、遠ざかる彼らの背を眺めつつ少し伺うような視線をした。


『賑やかだねえ……案外、あの彼も分かち合える群れを欲しがったのかな? それとも、自分用の黒衣の七人ブラックパレードを? んー、仲間に入りたかったのかな? だとしたら随分と可愛いけど……まあいっか。別にその他大勢は。


 興味なさそうに――いや、真実そこに彼女は何の感慨も抱いていない。笑いかけようが、からかおうが、呆れようが、何一つ彼女の中の価値とは結びつかない。

 価値があるのは、ただ一つ。

 船室の壁を透かすように――遠きどこかにいる彼に、彼女は語りかける。


『キミと僕の間には何もいらない――ふふ、ふふふ、いいえ、いいえ――……何も存在しない。だってそれこそがキミで、だってそれこそが僕なんだから。?』


 離れていても通じるというのか。

 或いは、が最も彼と通じていることを意味するのか。

 少女は一人、語りかける。

 踊るように。抱き締めるように。軽快な足運びで、黒色の卵の中を歩き回る。


『まだかなー、ふふ、まだかなー? きっともう少し――ああ、なんて待ち遠しいのかな。僕のことをこんなに待たせるなんて、キミじゃなきゃ許されないよ。それとも、キミのことを待たせすぎた? なんて――』


 うっとりと染められる頬は、恋。

 世界をただ焼き焦がすだけの――恋。


『この世が壊れちゃうぐらいに熱い口付けを。何もかもが焼けちゃうぐらい激しい抱擁を。全てが融けて、混ざって、滅んで――……ああ、キミと僕は二つで一つになる。なんて甘美なんだろうね。キミも僕も、それで初めて辿り着ける果てがある。届く山嶺がある』


 それは、同種への思慕であり恋慕だった。

 この世に二人といない、己と同じ領域に辿り着くもの。

 唯一無二の存在で、鏡写しの一心同体。


『ふふ……こう言うと、少し、はしたないかな? はしたない女の子はお嫌い? 駄目かなぁ?』


 彼女は常に、語りかける。常に彼へと語りかける。

 だってあれほど通じない断絶なら――それは顔を合わせようといまいと同じことなのだから、と。

 すべからくの言葉が届かぬならば、どこで語り合おうとも、それは全てが逢瀬を意味するのだから、と。


『でも、キミが僕を作ったんだから、許してほしいな。そうだよ、キミが僕をこんなにも恋い焦がれさせる僕にしたんだ。キミが、僕をこんなにも壊しちゃったんだ。ふふ――ああ、だから――……だから、だってキミは――……』


 瞳を閉じて――想う。

 この深遠にして広大なる宇宙の、果てなき真空の砂漠に在するただ一つの恋の星。破滅の星。この世に二人とはいない極光の主。一つの機能の極点。

 なんと甘美であるものか。

 滅びの果て、星雲の末、業火の内にして氷業の中に出会う一つの恋。世界をただ滅ぼしてしまうだけの恋。

 ああ――キミと出会えたことが、なんて奇跡。


『僕がこの惑星ほしで見付けた唯一の伴侶――なんだからね?』


 竜を討つ英傑は、即ち、竜と同じだ。

 愛し合うことと殺し合うことに差はない。磨いた機能を思えば、それは愛よりも重い。

 全ての知性体が持つコミュニケーション――ああ、きっとあるとすればそれは殺意だ。純粋無垢な排除と断絶のその意思こそ、きっとこの宇宙に普遍的に転がる共通言語。

 だから、その極点に至る機能を持つ二人は――きっと、最高に愛し合う。


『そうでしょう、ハンス・グリム・グッドフェロー? ……ああ、それとも今は――オーグリー・ロウドックスかな?』


 目を細めて、少女は遠き彼に語りかける。


『……ふふっ、どちらでもいいよね。だって、キミも僕も――そんな名前キゴウなんて意味がないんだから。


 彼を理解していないということが最も理解が深いのだと言いたげに――そう、口付けを交わすように瞳を閉じた。

 やがて、通信用のホログラムは掻き消える。

 初めからそんな少女はいないかのように、掻き消える。


 後に残されたのは、ただ静寂だけだった。



 ◇ ◆ ◇



 駐車スペースに止めた車の中で煙草をふかす。

 眼前の塀の向こうの港湾倉庫には、まだ動きはない。

 不審車両と見做されても不思議ではないが――それはむしろ彼らにとって都合がいいのだろう。事故出火と、放火。後者なら言い逃れのしやすさやその後の安全対策や事故防止の手間が省ける。そこに乗じた形だった。

 その間、デバイスにダウンロードした市街のホログラムマップから可能な限り様々な施設の見取り図を作成する。

 外観しか判らないところも多いが、周辺施設や階数や出入り口程度は判る。ないよりはマシだと、ラモーナと手分けして作業を勧めていた。


 携帯缶――これも本数によって使用不能になりその都度新たに高額で買い直さねばならない――に煙草を押し付け、次のものに火を点けた。

 覚えている限りのアドレスへ、電子メッセージを送ろうとしつつ諦めた。漏洩の危険性から、衛星軌道都市サテライトの通信局を利用するメッセージのやり取りは交戦規定により禁じられている。暗号化プログラムも、隠喩で行う対応表すらも渡されていない。

 つまりはやはり、避けられない事態だ。


(……大佐に連絡し、【フィッチャーの鳥】へと交渉を行えればよかったが――……それもままならないと、いずれの衝突は不可避か。……少なくともこちらにも強化外骨格エキゾスケルトンさえあれば、彼らの命を奪わずとも済むだろうが)


 幾度となく考えたが、やはり、殆どがこちらの判断に委ねられるワンマンアーミーにされているのにはあまりにも思うところがあった。

 報告は数日に一度で、指示はない。恒常的な連絡手段や通信手段がない。とても正常な軍事作戦とは思えない。

 作戦の立案者はスパイ映画の見過ぎではないだろうか?


 こちらはジェームズ・ボンドでも、ジェイソン・ボーンでもない。本来なら今回の件も、然るべき部署から然るべき連絡を行って、潜入他についての根回しを上層部同士で話し合うのが常だろう。そうすれば、もう少しあの不法行為についても平穏に収められた可能性も高い。

 正直、この任務に託けて殺されようとしているとしか思えなかった。何故、イチ駆動者リンカーがこんな非合法に近い潜入任務を行わされているのか。場所が判ってから戦いに行くのでは駄目だったのか。

 思えばどうにも次の煙草に指が伸びた。

 憤懣を煙と共に吐き出せ――とかつて教えてくれたヘイゼルは今、どうしているだろうか。あれから見舞いにも行けていない。


(潜入任務中なら、彼らと余計な騒動を起こすべきではなかった? ……そうだろうな。だが、あの不法行為は連盟軍人として到底見過ごせるものではなかった。情報部ならそれでも任務を優先させただろうが……)


 そこでかかってくるのが交戦規定だ。

 確かに兵としての良識はあるし士官は自己判断を行うものだが、その自己判断の根拠というのが交戦規定である以上、やはり今回の件でのこちらの瑕疵を咎めだてすることは軍部にも難しいかろう。

 こちらが彼ら【フィッチャーの鳥】へ行ったことに関しては、妥当性はある――と見做される筈だ。いわば警官が警察手帳と拳銃を不正利用して強姦や強盗を行っていたようなもので、それに居合わせたので義務として防いだ。

 こちら素手であり、あちらは武装していた。そう考えれば判例的にも、あれだけの怪我を負わせても過剰には当たらない。そう判断される可能性が高い。法廷が正常なら。

 何にせよ。


(……こうなっては、今回はなおのこと五体満足で帰れない可能性も高い――か。シンデレラとの約束を破ってしまうことは申し訳ないところだが……そうか)


 煙草にもう一本火を点け、腹から絞り出す。

 如何に己の理念を定めようとも恐怖はあるし、思うところもある。無茶苦茶な作戦を申し付けられるのは慣れたものだったので今更だが――……やはり後から、随分と色々と浮かんでくる。

 スパイ映画まがいの潜入任務。


 そして中世の騎士団以下の所業を働く治安維持軍など、冗談にも等しい。弾圧や圧制は知るところだったが、まさかあのような悪辣なことも行っているとはにわかに信じがたい。

 マクシミリアンが【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】への参画を呼びかけたのも頷けるほど――……後に絶対に然るべき部署に然るべき手順で報告しよう。あのざまでは、いくらでもテロリストやレジスタンスが生まれるだろう。

 それとも敢えてそうして、自分たちの存在意義を作ろうとしているのか。テロリストを養殖して自分たちで食べる特務部隊。大層な畜産家だ。豚がチキンを飼うなど、この世で最も先進的で動物愛護団体に有無を言わせぬシステムだ。諸共屠殺場に送られればいい。アビインフェルノ地獄の炎でローストされてしまえ。


 紫煙を吐く。


 あと、正直ここまで衛星軌道都市サテライトのご飯が美味しくないと思わなかった。先に教えてほしい。それなら保存食を持ってきた。深刻な嫌がらせだ。

 アルテミス教官も困る。ご自分の見目を自覚してほしい。いや、しているからそうなるのか。判っているからあんなことするのか。若かりし日の憧れだった人物から元夫へのあてつけのようにあんな誘いをかけられるこちらの身にもなってほしい。健全な成人男子だ。聖人ではない。任務中なのに。

 プリン食べたい。ケーキ食べたい。美味しいプリン食べたい。美味しいケーキ食べたい。コーヒー飲みたい。ちゃんとしたコーヒー飲みたい。つらい。たすけて。ご飯が本当に美味しくない。戦時中並みに酷い。つらい。

 深く――……深く、深く、腹から紫煙を吐いた。


「おーぐりー?」

「すまない、切り替えた。……行こうか」


 倉庫から煙と火の手が上がった。どうやら頃合いらしい。

 ラモーナに頷き返し、腿と腰のホルスターに二丁のリボルバー拳銃をしまう。どちらにも近接戦闘を想定して、一体型の銃剣でカスタムしていた。

 方や機械的に角張った重い銃鉄色ガンメタルの大口径リボルバー――ルイス・グース・ガンスミス社製の五十口径12.7×55mm弾・五連装。同口径の同社ライフル弾を装填可能な近接対装甲拳銃。

 方や涼しげな銀色シルバーの三十八口径リボルバー――9x29.5mm弾・六連装。ライセンス品。対人用。

 右手で扱う角張ったそれは、鈍器に等しい。銃身の上にカウンターウェイトが設けられており、そうでもしないと反動を殺しきれない。他にカスタム品には安定用の延長ストックや延長バレルがあり、そもあまり個人携行を前提にしていない怪物だ。元はといえば、強化外骨格エキゾスケルトンでの運用時のサイドアームを前提にしていたと聞く。


 それでも拳銃弾故に軽装甲以上を貫くには足らない威力を使用弾薬により上乗せする。

 非常に高価な弾丸――12.7×55mmタングステン弾芯製徹甲焼夷炸裂弾。これで、強化外骨格エキゾスケルトンでさえ、当たりどころによっては十分に撃破可能だ。反面、対人用の殺傷能力は低下してしまうものだが。

 銃身の上部に存在したカウンターウェイトを特製のブレードに置換したそれは、見た目は完全にガンブレードだ。正直なところ拳銃に刃物を組み合わせたところで何かの助けになるかは疑問が出てくるところではあるが、近接戦闘時に銃を抑えられる心配はなくなる。掴んだ指が落ちるだろう。

 バランスを取るために握把にも重りは仕込んだ。全体として相当な重量になってしまったが、だからこそ装薬をより強いものに変更できた。


 銀のリボルバーは、握把の下に刃物を備え付けた。迂闊に抜き打ちを行えば、己が傷付くだろう。どちらの銃にも注意が必要だ。

 港湾倉庫の施設防護は、壁に備え付けられた二種類の鉄条網。いわゆる有刺鉄線と、剃刀の刃を備えられたレザーワイヤー。世界がどれだけ進歩してもこの二つの歩兵の友は変わらぬらしい。

 壁の上、真横に張り巡らされた有刺鉄線はペンチやワイヤーカッターで対処すればいい。厄介なのは更にその上のコイル状に並んだレザーワイヤーだ。有刺鉄線よりも線が太く切断に時間がかかる上、剃刀の刃は僅かに掠らせただけで衣服や肌を容易く切り裂く。


「てっきり、非正規品の電気柵を原因とした漏電による出火という形にするかと思ったが……」


 電気柵までは備えられていないのか。これが軍用基地ならば他に柵近くにドローンや生体センサーを備えているが、どうもそれも見られない。いいことではある。

 そして厄介なレザーワイヤーについてだが、対処はもうほぼ終わっている。レザーワイヤーに更にワイヤーやフックをかけて、車の力でコイルを片側に無理矢理寄せる。

 あとは、ピンと張ったそれに刃を無力化するものを巻き付ければいい。木切れと合成皮で自作したカバー。バーベル競技のシャフトパッドのようなそれを巻けば終わる。

 消防と鉢合わせにならないかを心配すべきだなと思いつつ、飛び上がって塀の際を掴む。バレーボールのスパイクを打つ際のように、一度駆け寄った勢いを膝に貯めてから全身を伸ばすような跳躍。訓練生時代に元パルクールの選手から聞いた言葉を思い出す。


 所定の手段によって侵入。

 銃鉄色ガンメタルの大口径リボルバーを構えながら敷地内を進む、その中だった。

 明らかに少ない人影。

 仮にロボット等によって自動化されているとしても、不自然なまでに人気が少ない。つまりこれは――


「……おーぐりー」

「……リークされたか。手早いことだ。人数は、判るか?」

「ん。ちょっと待ってね……」


 軽く瞳を閉じたラモーナを庇いつつ、身を低くして壁際に寄る。

 おそらく【フィッチャーの鳥】に属する陸戦隊ならば、そも侵入のあの隙に射撃を受けているだろう。こちらの侵入を待つ必要はない。つまり、あの老人の情報にあったマフィア側の有する戦力だ。

 衛星軌道都市サテライトはあの敗戦に従い、多くの軍人が処分された。或いは待遇に不満を持ち、去った者もいるだろう。そして民間軍事会社や裏市場に流れた。

 如何にマフィアと言えど、戦う相手は衛星軌道都市サテライトの有した特殊部隊やそれに類する者と考えていい。

 武装ばかりは最新式とは行かないだろうが、あちらは機体戦闘ではなく対人戦闘マンハントが本職――――どれほど喰い下がれるかという話だが、


「だいじょうぶだよ、おーぐりー。いざとなったら、わたしがおーぐりーを守るから。ね?」


 頷きかけてくるラモーナへ、こちらも頷きで返す。

 戦時以来であるが、訓練を絶やしてはいない。あの戦争の反省を踏まえた訓練プログラムにも参加している。

 軍人と元軍人の違いはそこだ――膨大な戦闘経験がもたらす反省を反映できるのが、軍。その差は大きい。


「……ああ。俺の方でもなんとかしてみよう。ただ、君は別行動を頼む。接敵時は貴官の安全の確保に努めてくれ。必ずしも交戦の必要はない」

「ん、わかったよ。……おーぐりーは?」

「彼らがより無力化したがる目標を目指す。陽動だ。……探られて痛いものも、まだあるだろう」


 改めてリボルバーを構え直し、燃える倉庫を目指すラモーナと別れる。

 冷たい金属の感触が、手のひらから静かに伝わってきていた。


 

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