第83話 ワンマンアーミー、或いは裏社会の流儀


 ぷくー、と。

 そんな音が出そうなほどに頬を膨らませて、頬杖をついたアルテミス・ハンツマンは強化ガラスの外の宙域を眺める。太陽光の照射領域に入ったのか、視界の外のデブリは僅かに光を懐き、或いは陰影が濃くなる。

 その部屋には、握り潰されたミネラルウォーターの空ペットボトルが――これも高級品だ――空中に無数に散乱していた。

 言うまでもなくあの男との会話によるものだ。


「可愛くない、可愛くない、可愛くない、可愛くない、可愛くない――!」


 その当人がいたら、成人男性に可愛いという形容詞は不適格だと言っただろうか。そんな様を想い――また腹が立ってペットボトルを投げつける。

 あの戦いの後だ。

 いい歳の女が、かつての教え子に相当な涙と弱音を見せてしまったこと。その気恥ずかしさもあって――情報交換ののち、問いかけていた。


『ね、ハンスくん……デートしてあげよっか?』

『……』

『私のファンだったのにそれを隠してるなんてなー……そんなに意識しちゃってたんだ? かわいいねー、ハンスくんは。ほらほら、ハンスくん憧れの女の子だぞー?』

『……その』

『んふふ、ディナーまではまだ駄目だけどー……んー、でもハンスくんがどうしてもーって言うなら少しは考えてあげてもいいかなー? ハンスくんの頼み方次第で、おねーさん付き合ってあげちゃうんだけどなー?』


 わざとらしく胸を寄せ上げながらニヤニヤ顔で近付くと、彼は気まずそうに顔をそむけた。

 中々に可愛らしいところがあるではないか。そう思った。


『……男を惑わせるような言動は慎まれた方がよろしいかと、ハンツマン教官』

『えー? なるほどなるほどー、ハンスくんは今ので惑っちゃったと……へー? んー、どこを見たのかなー? 何を想像しちゃったのかなー?』

『………………』

『えー? 惑っちゃったハンスくんに何されちゃうのかなー? 惑っちゃったハンスくんは私に何をしちゃうのかなー? 言えないのかなー? 言えないようなことしちゃいたいのかなー? えっちなんだー、ハンスくん』

『………………』


 苦虫を噛み潰したような顔。あの仏頂面の、何にも揺るがなさそうな黒髪の青年に覗いた人間味。

 いい気分だった。何を目の前にしても正気を保ち、己を保ち続ける――そんな刃の男の弱点を見付けた。それがなんと自分である。女として悪い気がする訳がない。

 その顔をもっと引き出してやろうとか、色々と癪な彼をなるたけ困らせてやろうとか、そんな気が多かったのは確かだが――……まあ、それなりに、本当に、とても熱心かつ情熱的に誘われたら応じてもいいかな程度には思っていた。


 前にも言ったが、タイプなのだ。レーサーになってすぐにそういうストイックなタイプの男性に憧れたことがある。そういう意味では、初恋の男に近い。

 元夫のエディスもどちらかと言えばそういう側の人間だったが、細かくは違う。いや、大きく違った。

 彼は色々と瀟洒で洒脱で、人慣れている。十代の青春を競技に費やした小娘では優位を取ることができなかったし、なにかと色々といいようにされた。なんだか自尊心が損なわれた気がするし、優越感も感じられなかった。

 情熱的で情緒的なのにその癖、細かいところがズボラで無神経でデリカシーがなくて色々と適当なところもあって変なところ几帳面だしとにかくタフで強くて攻めっ気が強くてでも冷たくてドライで日常の愛情表現とか足りなかったし理想のお嫁さんっぽいやり取りもさせてくれなかった。許せん。


 その点、目の前の彼なら違うだろう。

 女に不慣れそうなところをからかって弄んで焦らして泣かせて乞わせて可愛がってあげるのもいいかな――今度は自分の方が沽券にかけてそうしてやろう――と思えた。

 だから本当に、手をとってその青い目で真っ直ぐにどうしてもと言われたなら――……


『失礼ですが……よろしいでしょうか、教官』

『んー? なーに? んー……ハンスくん、どんな愛の言葉を囁いてくれちゃうのかな? ハンスくんの憧れの女の子が画面越しじゃなくて眼の前にいるんだよー? いいよー、何が言いたいのかなー? ね、二人っきりになったらアルテミスって呼んでくれても――』


 ちょっと期待して。

 それなりに悪くない感じだし。

 まあ色々と随分ご無沙汰だし。

 どうしても激しく求められるなら、まあそれはそれでもいいかな――なんて心のガードを下げてあげた途端だった。


『その……俺にこうされるより、エディス教官殿に連絡を取られては如何かと。先程の戦いから未練も伺えますし……正直、その、彼へののように俺に誘いをかけられても困る。俺は当て馬ではない』

『――――』


 言うまでもないだろう。

 右手一閃。部屋から叩き出していた。


「何が『では失礼する』よ、あのド失礼男……!」


 ごめんなさいとかそんなつもりじゃなかったとか少し嫉妬してたとか意地悪したくなったとか照れが出たとかそういう可愛いことを言ったなら、一万歩譲ってやってもよかったかもしれない。いや良くない。良くないが少しは悪怯れろ。

 なのに平手一つに揺るがず、平然と歩いて部屋を後にするのはどんな了見だと言うのか。

 この自分が、まあ求められてもいいかな――まで思って、わざわざ隙を見せてあげたというのに。誘われたら応じてあげたのに。なのに、言うに事欠いてそれか。何を食べたらそんな言葉が出てくるのか。甘いもの食べたことないんじゃないかアイツ。許せん。

 星の数ほど他のどうでもいい男共にアプローチかけられてるのに全部蹴って、こっちからわざわざ「ちょっと素敵かも――」って隙を作ってあげたのになんだこの仕打ちは。ガードを下げたのは必殺の右ストレートをブッ放させるためではないのだが? いや許せん。コイツはめちゃ許せん。

 許せん。やはり殺すべきでは? 乙女心の報復をすべきでは? 可愛い下着あったかなー作んなきゃなー無駄毛の処理とかもどうするかなー――とかちょっとでも考えてやった分の償いをさせるべきでは? 普通に許せんが?


「そこでなんでエディスが出てくるのよ! エディスが! 何? エディスと結婚したことになんか思うところでもあるの? なんか言い方に棘があるんだけど? 嫉妬? あーーーーーーーもう! エディスも! ハンスくんも!」


 バン、とミネラルウォーターがもう一度壁に跳ね返って宙を漂った。

 それでも怒りは収まらず、鼻から吐息を漏らす。試合開始までまだ時間がある――――始まったらどうしてやろうか、とか思っていたその時だった。

 船内にある控室の、その気密扉が開く。


「――き、聞いたか、アルテミス!? お前が前に戦ったメメント・モリなんだが……不味いことになった! いや、こっちも不味いんだ!」

「……なに? 人妻に手を出して刺されたの? それとも女学生でも引っ掛けた? どんな刃傷沙汰?」

「え? あのメメント・モリが刃傷沙汰? 女性関連?」

「……べーつーにー」


 判らなければそれでいい、と吐息で返す。

 顎で促せば、混乱のうちにあった付き人めいた職員がハッとようやく気を取り直した。


「アイツ……よりにもよって【フィッチャーの鳥】に手を出しやがった……! 三名重症で一人は集中治療室行き! こうなったら、もう、アイツら黙っちゃいねえぞ!」

「えー……」

「どこぞの女を助けようとしたらしいが……それだってやり方はあるだろう!? ひっ掻き回しやがって……!」


 本当に何してんだあの朴念仁の仏頂面のナチュラルボーンド失礼むっつり男。

 でも――ああ、笑いが出てくる。

 女のビンタを甘んじて受けているよりも、それでこそあのハンス・グリム・グッドフェローだ。損耗率があまりに高かった【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】作戦を幾度となく生還し、数字の上では両軍の損耗率が百パーセントに極めて近似していた地獄たる【鉄の鉄槌作戦スレッジハンマー】にも砕かれることなき一振りの剣。人類最強の七人。

 決して歪まぬ秩序の定規を持つが故に、あらゆる混沌の歪みを表へ暴き立てる者――解答者アンサラー


「今までは色々と御目溢しされてたが、流石に隊員をやられたとなっちゃそうもいかねえ……こっちにまで影響がありえる。やってくれたぜ、アイツ……!」

「あはは、流石の前線症候群だ」

「笑い事じゃ――いや、というかお前笑うのか? お前が? い、いや、なんだっていい……クソッタレ、今日の試合もやってる場合じゃねえ――形だけでも整えねえと! クソっ、ああー……どこまで突っ込まれるんだアイツらに!?」

「悪いことは長続きしないものね」

「うるせえよ! ああ、クソッ、これじゃ何もかもめちゃくちゃだ……! どう責任取らされるんだ……ガキの遊びじゃねえんだぞ!? いくら動いてると思ってんだ……!」


 軍事戦闘力を維持したい衛星軌道都市サテライトにとっての訓練場――兼、企業にとっても自社私兵戦力などを確保するための養成所。ゆくゆくは正式な競技化さえも視野に入っていたと聞く。

 更には裏社会における賭場でもあり、彼らが戦時中にレジスタンス活動を行ったために保護高地都市ハイランドから多少の配慮をされていた――というのもあっての不可侵。

 それが、たった一日で根こそぎ破壊された。

 占領統治を行う保護高地都市ハイランドからしてみれば、かつて手を借りたという弱みから強くは当たれない相手であったが、これを機にそこにメスを入れられる。

 暫定的な占領政府下の衛星軌道都市サテライトからすれば練兵場と今後の新たな興行を失うことは痛手だろうが、自治能力――とりわけ警察力のその権威を示すためには実に都合がいいことになる。

 おまけにどちらも、関わっていた企業群の弱みを握られるという意味で上々。他に比べればまあ、利はある。


 困るのは、裏社会のお歴々と携わっていた企業の面々であろうか。後者は当然代替案や損切りもできるだろうが、前者は大きな稼ぎ場所を不意にされることになる。面子もへったくれもない。

 望もうが望むまいが結果から見れば、秩序とそれに反する勢力に対しての急襲的な打撃を与えたことになっている。

 お構いなし。容赦なし。ただその存在意義と構成要素と成立骨子にのみ忠実に有用性を証明した狩人。

 ああ――なんて秩序の犬ロウドッグ。余さず悪の息の根へと牙を突き立てる、なんと類まれなる猟犬か。


「あーあ、また無職かー。……永久就職させてくれないとわりに合わないぞー、なんて」


 慌ただしく部屋を後にした職員を眺めながら、頬を釣り上げる。

 本当に、なんて猟犬。なんて狩人。

 この強襲的な打撃はまさしく【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】作戦の体現で、実に何とも敵の血に飢えた猟犬ではないか。

 先程までの苛立ちはどこへやら、鼻歌さえも溢れてくる。

 ああ――まさしく極光。法が守るべきと定められた形而上学的な理念を、何の加工すらなく首輪にした男。秩序の体現者。滅びぬ善の前に一人立つ番犬。


――か」


 ここから彼に如何なる困難が降りかかるかは、星の神でなくとも知れるだろう。

 だがその艱難辛苦さえも己という剣を鍛え上げるための鉄槌として使うのか――古の神話の如く、遠き叙事詩の如く。

 となれば、女神の名を持つ自分にできるのは一つだろう。


 ああ――どうか、あの男に困難を。

 叩いて叩いて叩きのめして、それでも折れることのない剣だと示せるだけの戦場を。

 それが真実歪みなく、折れず、砕けず、欠けることない剣だと掲げられるための戦場を。

 そんな彼の道行きへの信頼と、幸運を。


「やってみせなさい、ハンス・グリム・グッドフェロー?」


 死亡事故もあるレーサーたちの間で共有された慣用句。極限の鋼鉄と汗と血の、その境界線にあたった努力と才能の先の幸運を祈るための言葉。

 いつしか口癖になり、己に相応しいと口にするようになった定型句。

 非日常でこそ多く告げて、日常に暮らす中でもそのまま唱えて、つい近頃は投げかける先もなくなったその言葉。

 即ち、


「貴方に、女神のキスを――――」


 口付けをした手のひらを離し、あとは精々その英雄譚を待ちわびてやるばかりだろう。



 ◇ ◆ ◇



 ジャケットの上から武装を確認された上で、ラモーナと共に通されたのは明かりも僅かな部屋だった。

 ブラインドというには風情のある木製の格子から挿す僅かな光。全体的に落ち着いた色調の応接室の中で、一際目立つのは黒壇の長机と椅子だ。それを隔てた向こうには、黒服の護衛を左右に立てた一人の老人。

 杖を付きながら西洋画ではない墨絵の風流画を眺める彼は背向けていたが……こちらの傍らに侍る男が無言で促すのに従い、そのままに口を開く。


「……即座に当局に引き渡さず、こちらに通して貰えた時点で交渉の余地があると思えるが、如何か」


 メメント・モリとして活動する中で、声をかけられた企業の一つ。

 ガイナス・コーポレーションという食品関係の大手がいる中で、この衛星軌道都市サテライトにおいていくつかの港湾関係や宿泊施設の経営を行っている企業だった。

 いや――それは企業というよりも、むしろ……。


「お若い方。若さ故に、全てを見通す気にはなれるでしょう。或いはこれが老骨の侮りで、真実、類まれなる才知で見通せているのかもしれない。……しかし、そのような態度をこそ嫌うものもいると考えられぬというのもまた若さと言われる」

「は、肝に命じます」

「うん、素直なのはいいことだ。礼儀というのはね、まず、どのような場でも役立つからこその礼儀なのだよ」

「……」


 しゃがれ声の老人は、こちらと顔を合わせようとしない。

 背を向けるというのは一般に危険だが、これだけ距離を空けていればそうとも言えまい。仮にラモーナが隠し持った銃器で襲撃したところで、まずその護衛二人が盾となり、次いで別室の兵隊も訪れよう。


「それで、何か申し開きがあって……ということかな? しかし、我々が君を目にかけていた――そして君はそれに応じようともしなかったが――そんな場は、君自身が不意にしてしまった。そうなると――……ああ、無論、我々を頼ったということには応えるがね。それ以上の庇い立てというのはできないが、何か、言いたいことでもあったかな?」

「……その通りです」

「は、は――……まあいいとも。すぐに、他でもなく我々へと足を運んだ。その意味の分の丁重さでは取り扱おう。言い分を、聞かせてみなさい」

「……懐に、手を入れる許可を頂いても?」


 両手を上げて、隣の男を見る。

 上役へと伺った彼が、こちらの懐からデバイスを取り出した。画面をつければ、すぐに投射型ホログラムが浮かび上がるようになっていた。

 長机に横たえられた可搬型通信デバイス。仄暗い室内に、ぼう……と灯る青いホログラム。


「……これは?」

「【フィッチャーの鳥】の今後の捜査予定リストだ。不完全ではあるが、これを元にすれば貴官ならばより有用な使い方ができるだろう」

「心付け、と? ふむ。いや、だが――……」


 無論、いくらか歯抜けにはしてある。

 この相手の為や交渉の為――ではなく、明確に彼ら治安維持側の業務を妨げてはならないものについては削除した。逼迫性のある違法行為の調査においての分は取り除いた。

 そして、それでも残りの分については――単なる礼を超えた程度の用意はあった。つまりは、


「そうだ。逃亡のための手段を用意していただきたい」


 ホログラムを遠目に眺めた老人へ、頷き返す。

 何も、マフィアなどの反社会的勢力にただ礼を渡すほど蒙昧した男になったつもりはなかった。


「逃亡? ここに来て、我々に逃亡の片棒を担がせる? かかか! なんとまあ豪胆――あれだけの試合をするほどはある! なるほど、いやはや本当に鉄の男だとは! 目にかけていたのは誤りではなかったらしい!」


 身体を揺すって笑った老人の表情が、ふと冷める。


「しかし、世は鉄ではないのだよ、鋼の男。君が侠ゆえに此度のことを起こしたとしても――のだ」

「……」

「我々に応えなかった男に、我々が応える――……応えたところで何の見返りもない。でも助ける。それは、鉄の世の価値観だ。共に銃火を潜り抜けたものだけが共有する、見返りない鉄の献身だけだとも」


 道理だろう、と頷くところではあった。

 仮に彼らの手の内に入っていようが、今回の事態は手に負える範囲を超えているだろう。それだけの厄介事を起こした男であるという自覚はある。

 だが、即座に首を取られなかっただけの意味合いを考えられる――その程度の脳は、まだ有しているつもりだった。

 故に、言うことは一つだ。


「俺が助けを求めたことを、当局に流していい」

「……何?」

「うちの船の貸し出しを求められた、応じるふりをした、場所はここだと――……或いはうちの船について、手配中の男が探っていたと。あちらに恩を売ればいい。元より上層部は貴公らと懇意にしてるのならば、言葉の裏を読むよりも感謝の方が大きかろう」

「……そのまま君を拘束して表に出す方が、よほど恩ではあるのではないかね?」


 老人の言葉へ首肯する。


「確かに、そうだろう。行き先を知らずとも、今ここにいるのだから。……話は早い。貴公にとっても」

「それでも構わないと、そう言いたげに聞こえるがね」

「貴公の選択を尊重したいという、その意思だ。そう考えて頂いていい」

「……」


 訝しむ気配が伝わってきた。

 あちらにとっての自分は、アサルトライフルで武装した集団に無手で正面から攻撃を仕掛ける男――ただし今は明らかに距離もあり、完全に武装を解除したはずの人間だ。

 その気になれば、如何様にも殺せる相手。

 それはあちらもこちらも理解している――だからこそ、余計に不審がったのだろう。


「感謝という意味では、どちらの手段でも同じだ。……しかし、その感謝には何ら意味がない。貴公もそう考えているだろう。保護高地都市ハイランド衛星軌道都市サテライトも、既にこの機に乗じる気だと。恩を売ったところで値は付くものか、と」

「……そうかね。いや、世をよく見ていると褒めるべきかな?」

「貴公を見た。……何故、即座に俺を通報しなかったのか。それは――時間がほしい、それもあってだろう?」


 こちらの言葉に、間があった。

 いや、わざとらしく会話を続けるために設けたのだろう。その程度の老獪さはある。本来なら、交渉にもならないと理解している。


「時間を稼ぎ、指定の時間になったら現れる獲物――……この約定には、そんな意味も出る」

「なるほどなるほど。肥え太ったあとに自ら狩場に訪れる兎ということかな?」

「無論、言うまでもなく貴公ならば如何ほどにもその時間を稼げようが――……」


 僅かに、窓の外を眺めた。


「……ほほ。道を来た、か」


 それで十分伝わったらしい。

 気を払ってはいたが、完全に目撃や尾行などを躱せたと断じることはできないだろう。そんな首輪付きのリスクだ。……とは言っても、そんな男をここに通す以上はその程度への備えはしていると考えるのが無難だろうが。

 これは、彼からの、ある種のドレスコードのようなものだ。

 即ちは、使――と。交渉の流儀なのだろう。

 しばし老人は黙し、


「仮にの話として、肥え太ったあとに自ら狩場を訪れる獣がいるとして――猟師が考えるのは、他で捕らえられないかということだよ」

「……」

「それは全て、その時までという前提で話されている。……或いはその先も。こちらが狩場を開いたところで、狩場は狩場。君には何の確信があるのかな?」


 ここからが本題と言ったように切り出した彼へ、僅かに胸を撫で下ろす。どうやら交渉の場にはらしい。

 ならば、


「必要ならば如何ほどにも示すが――……そうだな。一度、彼らを蹴散らすというのは如何だろうか?」

「……何?」

「ここを出たあと、通報すればいい。貴公らならば、直接繋がりない者から――という形も取れるだろう。如何なる結果であれ、貴官らはその腹を探られない。それを見て判断されては、如何か」


 あとは売り込むだけだ。

 彼らがという――そんな面子も立たせるような言い訳を。

 勿論内心では、こちらが殺される危険性同様にあのような不法行為ではなく任務に従事する【フィッチャーの鳥】との交戦を避けたいという気持ちが強いが――表には出さない。

 そして、僅かに目を見開いた老人は、一際大きな声で笑う。


「かかか、仙侠の類いか!? 世に一人抗って侠を通し、そこを己の道とする!? それでも負けぬという――曲げぬという確信! ああ、それは人の世に過ぎた刃だろうよ!」

「……」

「目にかけていたのは、本当だとも。――それがこうなるか! なんたる不遜! 不遜すぎる男よ! 天の法と地の義以外には従わぬ気か!」


 成功なのか、失敗なのか。

 判別は付かぬまま彼の言葉を待つ。

 そして老人は隣の男へと促し――――黒壇のテーブルの中心から、青いホログラムが投射された。

 何かの代紋のようなものと、多くの火器のデータ。とても【フィッチャーの鳥】だとか、一般的な企業の構成員には見えない。どこかの裏社会の所属と見て間違いないもの。


「……これは?」

「あまりこちらの面子を慮るのも、却ってその面子を損ねるということがあるのだよ、お若い人」

「……は」


 つまりは、釣り銭代わりということか。


、今、一番君の首を狙っている者――だよ。わかるかね? ……どう見る?」

「ゼロ・レイナーク社製の強化外骨格エキゾスケルトン【ブッカ・グイデン】だな。……大戦中の随行榴弾歩兵、機械化歩兵に見られた装備だ。サスペンション周りに定評があり、走破性が高かった。その姿勢制御システムに余分な重量を使用しない分、装甲や圧縮空気機構に回す余裕がある。最高速度も高く、極めて堅固で信頼性の高い装備だ。……兵達からも好評だった」


 一応は衛星軌道都市サテライトの元軍人の言葉に聞こえるように注意しつつ、続ける。


「ただし、ゼロ・レイナーク社は機関部や動力部、バッテリーにおいてはオニムラ・インダストリーやUHN社に遅れを取る。装甲の材質においてはホリゾン・イン・コンチネンタル社に、駆動系や機械制御においてはフェデラル・ホール・エレクトロニクス社に。冷却システムも原則的に内蔵型の水冷式で、その循環機能の調整AIシステムに余計なメモリを使用している……真空の宇宙故の企業的宿痾だ」


 返答がないので続きを告げる。

 そちらは専門ではないが、覚えはあった。

 機体搭乗前の駆動者リンカーや集積地や母基地や駐留地への歩兵特殊部隊による急襲は、戦術的に有用な策だったためだ。

 その注意事項を思い返しながら、言う。


「急激な温度変化を受けた際に中央演算システムの処理能力が低下する。装甲が薄くなる訳でもないが、頭部の光学画像処理システムと小隊間のコンバットリンク処理に影響が出る……つまり奇襲や各個撃破の余地が現れてくるというわけだ。……見るに彼らは、歩兵崩れだろうが」


 それに従いながら告げれば――老人は満足そうに頬を釣り上げた。


「どうして中々、“筋金入りアーティースト”じゃないか」

「言うには易く、行うには難い。……貴公はそう言いたいのだろうが」


 一拍、置いて。


「……既に強化外骨格エキゾスケルトンの単独での撃破実績はある。つまり、ということだ」


 陸軍の護衛を交えての交戦経験があった。その中での撃破も。

 他に、互いに援護が受けられない中での散発的な戦闘での対処経験もある。

 ただし、組織立った相手との単独での交戦は未知であり、危機感も大きいものではあるが――……最早それしか方法がないというなら、怯えるよりも切り抜けることだけを考えるべきだろう。

 ヘイゼルやロビン、マグダレナならば特に意にも介さないであろう相手だが……こちらはそうもいかない。ただ、有用な武装はこの衛星軌道都市サテライトにも秘密裏に持ち込んでいた。使い慣れたあのリボルバーなら、距離と角度によってはその装甲を貫ける。

 そして、老人は、


「お若いの。武を以って覇を唱えるというのは、世に広く行われてきたところだ。そしてその終わりについてもまた、広く知られているところだ。『備えようと祇園ガイオン精舎ショージャベルは鳴る』……有名な警句だろう」

「……」

「『進歩中に退歩を忘れず、故に躓かず』――と古き言葉にもある。進み続けられる者など、おるまいて」

「……肝に命じよう」


 コツ、と老人が杖をついて扉へと向いた。どうもこれで会話は終わるらしい。

 結局のところ、協力を得られるか得られないかが判らず――やはり面子や建前を重んじる相手との会話は自分には不向きであるな、と結論付けられた。迂遠が過ぎる。兵隊と裏稼業の違いだろうか。

 しかし何にせよ、兵士らしく目標が示されたならそれを撃破するだけだ。敵に対する予想外の情報は、それだけで収穫と言える。

 あとは戦闘場所の決定だ。

 流石に開けた場所で行うのは無謀である――如何にして殲滅すべきかと考え始めた、その時だった。


「君が女子を助けたのは、ただ義によってかね?」

「……姪が彼女を助けようとした。その気持ちを、無にはできなかった。……先達が教えるべきは世の厳しさだけではないと、そう考える」

「ふむ。……そちらの女性のことは我々が保護しよう。痛くもない腹を探られては、彼女も君も困るだろう? 裏を読みすぎる者も、中にはいるのでな」

「……感謝する。まずここを訪れて、本当によかったと思う」


 頭を下げる。

 裏の意図を考えるべきかもしれないが――やめた。その女性の命は自分の手を離れた。ならば、考えるだけ思考の無駄だろう。

 あとは、如何にして敵を殺すか。

 自分の本業に関してのことだけだ。


「では、こちらも失礼する。……お目通りに感謝を」


 隣で黙っていたラモーナを連れて、部屋を後にする。

 返された銃を確認――奇妙な仕掛けはない。なら、それでいい。

 必要に応じて【フィッチャーの鳥】の陸戦部隊との戦闘も考えられるために些か憂鬱であったが――……それが灰色企業や裏稼業の非合法戦力相手となれば、多少は肩の荷も降りる気持ちだった。

 いずれの殺人も等しく忌まわしいにしろ、何も知らずに職務への献身を行う兵を断つほど後味が悪く、何よりも交戦規定の如何とはいえ妥当性の主張が難しいことはなるべくなら避けたいのだから。

 おそらく互いの正当な任務においての同士討ちで死者を出すまでいってしまえば、大佐も庇い立てできなくなる。

 叩きのめしたあの四人は、『警察の職務にあるものが個人的な私刑や強姦のために手帳を利用していた』――という例外的な事例なのだから。



 そして、去った後の廊下で。


「……私だ。あの小鳥を見付けたよ。鳥籠を、二つ頼もうかな。……ああ、小鳥ではなく猛禽かもしれない。中々大きな獲物だね」


 付き人に可搬型通話デバイスを持たせた老人は、そう、囁いていた――。



 ◇ ◆ ◇



 車に乗り込み、黒骸骨のマスクを外す。

 身の安全として偽装工作に用いていた死神の仮面が、役に立つ日が来たということだ。顔の火傷。隠すための仮面。大した欺瞞にはならないかと思っていたが、今は都合がいい。

 とは言ってもラモーナを伴っているために完全な偽装効果は存在しないだろうが――彼女がシートの下に身を隠してくれれば、運転している分には問題はない。

 そんな厚手の保護服に包まれた、透明感ある少女は――


「……あの人、おーぐりーのことを騙す気だよ?」

「無理もない。交渉の場を保たれただけでも、彼は一角の人物だろう。……既にあちらの面子を損ねていたのだから、そうもなる」

「わかってたの? ……なら、どうして?」

「建前であれ、筋を通した。利に敏い――……ならばまだ転がる余地はある、そうだ。ある男からの受け売りに過ぎないが……」

「……?」


 首を捻るラモーナの、その養父の言葉だった。

 かつての大戦の日々の単なる雑談だったが、どうして思いの外活かす場面が生まれたものだ。


「それで、どうするのおーぐりー? 邪魔な人たちは、皆やっつけちゃえばいい?」

「そうだな……しかし出し惜しみは愚策と言われるが、必然でもある。札には切り場所もあるだろう」


 つまり、当座は自分一人で対処するという話だ。

 おそらく――汎拡張的人間イグゼンプトとすれば、こちらの最大の兵力はラモーナだ。確認のところ、真実、陸軍一個小隊ほどを携行火器のみで片付けられるらしい。

 ならば、その札は容易には切らない。その秘匿が生きる場面も出てくると、そう考える。

 未だどこか気もそぞろで、見えない先行きに不満を感じているのだろう――そんな後部座席の下のラモーナへと、雑談のように呼びかける。


「……有名な話だが、戦争近くでは不審火というのがどうしてもしばしば発生する。定数がある筈だった弾薬庫や物資集積場――何故か、それが必要とされようというその間際に限って倉庫がまるごと吹き飛ぶという事例が多々あった」

「……?」

「君の養父、ラッド大佐と仕事をしていたときの事だ。聞いてみたら――なんのことはない。証拠隠滅だ。使い込みの発覚を恐れた者、不正の発覚を恐れた者、そのような企業によっても十分に行われる事態だそうだ」


 そして、その種は蒔いた。

 あの老人が他に売り込むにしろ、そうでないにしろ――それが行われるであろう場所については、こちらもリストを目に通した上で確認している。

 元軍人のテロリスト。

 それが今、オーグリー・ロウドックスが背負った肩書だ。

 ならば――


「火事場泥棒だ、ラモーナ。……


 あちらもこちらも、それを最大限利用する。

 そう頷いて、車を走らせる。目指す先は、物資の集積場だった。

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