第81話 汚染病、或いはいずれ覇王に至る令嬢


 保護高地都市ハイランド連盟――。


 正確にその政治形態を言い表すならば、それはではなくである。

 地球上の悪化した環境の影響を受けがたい安定陸塊――楯状地と呼ばれる地形に残った都市をそのまま州として、その州の集合体の上位としての政治主体を持つ。

 連邦政府、連邦議会、連邦警察、連邦軍……その各組織の持つ実行能力や権限などは、そう呼ぶことこそ相応しい。


 ならば、何故、連盟と呼ばれるか。


 それはその成立に由来する。


 資源衛星B7Rの到来以前から叫ばれていた地球環境保全において、当時、世界連邦の前身となった旧国家群から受け継いだ――とは言ってもそれはほぼ実質的な権力を持たぬ称号同然だったが――爵位を持つ貴族たちがその環境保護を行った。

 故の、

 そして星暦一一四年五月のB7Rの飛来に伴い激化した地球環境に伴い、そんな貴族たちが保護を行った高地が都市国家として再生する。

 その際は未だ都市国家間の通信も十分に行えず、統一した政府を擁することもできなかった。

 それでも人々は願った。

 かつてのように、また人々が手を取り合ってこの危機を乗り越え――そして前時代にあまりの困難の果てに世界統一政府を樹立したことを取り戻すのだ、と。


 そんな都市国家たちの連盟。

 互いの都市だけしかまだ保てずとも、いずれより大きなものになるのだと誓った連盟。

 それに敬意を表する形で、連邦政府を獲得した事実上の連邦国家である保護高地都市ハイランドは、連盟を名乗っているのだ。


 それは或いは、再び陸や空や海や宇宙が一つの人々になるのだという祈りから来ているのかも――……しれない。


 ……これは全くの余談であるが、そんな保護高地都市ハイランド連盟は議会制民主主義連邦国家であり、立憲君主制を含むあらゆる君主制を有しない。かつての国王の血筋というものはあれど、王はいない。

 それでも貴族がいるのは、その前身たる保護高地が故だ。

 その議会は上院たる貴族院と、下院たる代議院によって成り立っている。

 前者は世襲貴族――元の高地保護に関わった――や、その議院からの推挙並びに両院での指名に基づく一代貴族が。

 後者は、各都市の民衆による選挙によって選ばれた代議士が。

 それぞれ、二院制を確立させている。


 なお、海上遊弋都市フロートはその集合において国家群という呼び名を付けられる――これも事実上の連邦政府だが、海上に点在するというその地政学的な特性上、それが有する権力は保護高地都市ハイランド連盟程ではない。

 また同じく空中浮游都市ステーションは共同体という形を取っており、それら都市の総意として方針を打ち出しはするものの、より各個の独立的な気風は高い。

 ちなみにそれぞれ、その主体であるのは企業群と言えた。


 より正確に言うならば、海上遊弋都市フロートは資産家に向けたゲーテッド・コミュニティを前身としており、その後、各国家によってこぞって洋上に開発された新たなる陸地だ。

 その先進国と後進国の解消が世界連邦樹立のきっかけの一つとなったもので、つまりは古き国家の気風を有している。

 一方の空中浮游都市ステーションは、陸地や海上に席を置く大企業たちがその製作に大きく携わっており、ある意味ではそれぞれの企業都市のような色合いが強い。


 そして、衛星軌道都市サテライトについてであるが……。

 その中でも三つに分類されると言ったが――月及びその衛星軌道、地球衛星軌道、B7R及びその衛星軌道の三種。その都市国家連合だ。

 無論であるが、都市連合とは名ばかりにそれも最早連邦国家であった。各衛星軌道都市サテライトが州めいた存在として、その上位にまた統合議会を有している。

 そして衛星軌道都市サテライトの中には空中浮游都市ステーションのように企業がその都市に大きく携わるものや、或いはかつての世界連邦統治の名残を持つものなどもあり――つまりはこれ一つが、地上の三つの生息圏に等しいだけの形態を有している。

 その統一の困難さは、地上をこそ見れば理解できよう。


 それぞれを称して――。


 月を主体とするルナリアアーク。

 地球周辺を主体とするナイツアーク。

 そしてB7Rを主体とするラウンドアーク。


 スペースコロニーたる居住区ボウルを一定数で区切って各ブロックと呼び、それを総体させたものを、彼らは、円弧か方舟か――アークと呼んでいる。


 故に、アーク・フォートレスという戦闘体の呼び名は。

 あまりにもその市民たちにとっては、単なる名前以上の価値があったのだと――知れるだろう。


 それは彼らが掲げていた“大いなる一つの宇宙の仔らアステリアル”という標語において――その物語において、神話において。

 あまりにも、重大な意味合いを持っていたのだ。

 或いは神や、神獣の如くに――……。


 対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーと称される決戦兵器について、断片的な情報から判明しているのは以下の四種。


 宙域完全制圧型拠点防衛兵器――【腕無しの娘シルバーアーム】。

 敵機鹵獲利用型対機制圧兵器――【音楽隊ブレーメン】。

 対地上環境・連鎖型持続汚染封鎖/地球人類殲滅兵器――【麦の穂ゴッドブレス】。

 対有大気惑星・恒久的文明破壊/地球人類殲滅兵器――【名称不明】。



 ◇ ◆ ◇



 デブリに紛れる航空巡洋母艦――剣じみた形をしたその姿は今はなく、それ一つが巨大な宇宙航空母戦艦の残骸を外部に纏っていた。

 仮想装甲ゴーテルの指向性を利用した内向きの圧縮力場による偽装。よほど好奇心溢れるサルベーシャーでなければ、その『ドラゴン・フォース』に行き着くものはいないだろう。

 その船内の戦闘指揮所にて。

 幾重の電子錠が解除されると共に――軽快な音を立てて開いた隔壁扉から姿を表した灰色の癖毛の男が、入室するなり口を開いた。


「戦況は?」

「は、地上での反抗作戦は概ね順調かと……最新機のコマンド・レイヴンを無傷で鹵獲したようです」

「そうか。それは出資者も喜ぶというものだな」


 ハラスメント的な【フィッチャーの鳥】への攻撃。

 それに呼応するように他の反抗勢力からも各地に駐留する保護高地都市ハイランド連盟軍への反抗活動や武装襲撃、それに留まらない市街地そのものへの攻撃は起きているが――【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】はそれらに対しても批難声明を出し、ときには【フィッチャーの鳥】が防衛を諦めた都市部の防衛行動を担うことにも成功している。

 それは単なる反保護高地都市ハイランド運動との違いを表し、そしてあくまでも批難すべきは【フィッチャーの鳥】という立場を明確にしていた。

 無論、他の反抗活動勢力との共同戦線を取れないということを意味するものであるが……


「やはり、あの人たちの加入が大きいですね。明確に作戦目標の達成が増えてきています」


 黒衣の七人ブラックパレードやかつての【黄金鵞鳥ゴールデン・ギース】号のパイロットなどを有し、また強力な企業体を背景に持つ【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】にとっては些末なことだった。

 その甲斐もあり、民衆からの支持はそこまで低下はしていない。

 特に【衛士にして王ドロッセルバールト】なるかつての残党の出現に対して保護高地都市ハイランド住民が危機感を覚える今となっては、普段の横暴さのわりに有効な手立てを打てていない【フィッチャーの鳥】に対しての糾弾の声も上がるようになっていた。


「ロビン・ダンスフィードや、エース・ビタンブームスはよくやってくれているのだな。……彼女が繋げた縁か」

「レッドフード、ですか? 不思議な心地です。……前の戦いのときは争っていたというのに。でも、そんな彼女ですらも没するなんて、戦いってのは判らなく――」

「おい!」


 咎めるような操舵士官の声に、マクシミリアンは緩やかに首を振った。


「……構わない。彼女がこちらに加わってくれれば有り難かったのだが……それが叶わなかったのは、残念でこそあれ仕方のないことだ。咎められるべきは、君たちではないだろう? ……私は少し、向こうの様子を見てくるとしよう」


 努めて柔らかな笑みで返し、船室を後にする。

 彼と彼女の関係を知る者はいない。しかしながら、ある程度戦歴が長い者は二人の中にある種の因縁があることを認めていた。

 そして、殺風景な廊下を格納庫に向けて進むその最中で、壁に拳を打ち付ける音が響いた。


「……ハンス。何故、何故メイジーまで……! メイジーまでをも斬ろうとした……! あの娘がどれだけお前を――お前を、」


 言いかけた言葉の先は、失せる。

 一体、何がどうしてメイジーがあの戦場にいたのかは、マクシミリアンには知れなかった。どんな経緯で戦いに発展したのかも。ただ事実としてハンス・グリム・グッドフェローはメイジー・ブランシェットと戦闘を行ったのだ。

 十年――十年以上。戦争で隔たってしまった時間を除いても、如何に異父妹が彼を想っていたのかを知っている。そして不器用にもハンスが、彼が、妹に対して十分な意識を払っていたのかも知っている。

 そこに男女の意識というものは見ては取れなかったが――それでも人間関係の維持があまり得意でない彼にとっては、十年もの間関係を保ち続けたことには意味があると思っていた。いや、信じたかった。

 だが――そんな関係性すらも、彼の前にはあらゆる障害足り得ない。否、障害となれば斬り捨てていくものから免れない。


 外部からの部分的な観測であるため、判っているのはハンス・グリム・グッドフェローが自機の崩壊すら厭わぬ全力を以ってメイジー・ブランシェットを殺害しようとした事実のみ。

 それほどの関係すらも刃を鈍らせる理由にならないなら、つまり、マクシミリアンの友は――いや、あの男はであることを意味する。

 そんなものはもう、人の域を外れている。


「……償いは、させる。我が友ハンス……いや、断絶の体現者ハンス・グリム・グッドフェロー……! かつて友だった者として……お前だけは、この手で……!」


 彼が戦いにて変質したのか、それとも初めからそうであったのかはマクシミリアンには知れない。

 だが、知れたのだ。

 まさしくハンス・グリム・グッドフェローは己の理想にとっての大敵――繫がり合わなければ生きていけない人類種にとっての、天敵なのだと。


 そしてようやく格納庫に足を運んだその時には、目当ての人物は機体慣熟シミュレーターを終え、整備兵や機体制御システム兵とデブリーフィングを行っている最中だった。

 群青色のパイロットスーツの上からロザリオを下げた、白く褪せていく銀髪を持つ三十歳も半ばというのに若々しい男性。

 会うなり、言われる。


「聞いたよ、シンデレラくんのことを」

「……その点については、本当に申し訳なく思う」


 アシュレイの言葉に、マクシミリアンは黙する他なかった。

 単身で迎撃に出させた結果、『ドラゴン・フォース』に収容できずに『アークティカ』への不意の合流を余儀なくされた少女。

 この『ドラゴン・フォース』と異なり、腕利きと言われる駆動者リンカーがいない『アークティカ』の防衛を一手に引き受けて出撃していたこと。

 そしてまたしても撃墜され――あまつさえそれを行ったのは友軍として雇用されていた筈のアーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーであり、そんな彼は行方を眩ませたこと。

 どれ一つとも、申し開きのできる事態ではなかった。

 だが、


「謝るなら、僕ではなく彼女にだろうね……。とは言っても――まさか大気圏外からの攻撃を可能にするほどのアーセナル・コマンドと駆動者リンカーがいるなんて、一体誰に想像が付くか、だけど……」

「機影から確認したところ、全くの新型だったと。……他にも数機、未知のアーセナル・コマンドが確認されている。どうやら【フィッチャーの鳥】には凄腕の技術者が加わったらしい」


 それは【衛士にして王ドロッセルバールト】や他の反連盟勢力との戦いや、或いは【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の宇宙方面隊と衝突を起こしていた。

 結果は恐るべきことと言うべきか無論と言うべきか、一機たりとも全くの損害なしだ。


「個々人に合わせた特殊専用機を生産するとは、些かに信じがたい話だが……」

「うん。……でも、理には叶っていると僕は思う。……人間の力だけで追い付けないなら、あとは、機体の差を埋めるしかない」

「空論だとご理解の上で、か。……しかしその空論を成り立たせるだけの人間がいるというのは捨て置けない。……やはり、こちらもこの新型の配備を急がねば」


 見上げた先の、暗黒色の巨人。

 三角形の集合体を思わせる姿――名は【角笛帽子ホーニィハット】。表面積の増大のために肥大化した胴部や肩部・大腿部などが、ある種の顎を閉じたサメの如き印象を抱かせる。のっぺりとした海棲生物の体表の如き青黒色の装甲と相俟って、その印象はなおさら強くなる。無論、随分と近未来的・異生物的なサメであるが。

 解析された【ホワイトスワン】のデータを元にルイス・グース社にて作成された試作機。

 最大の特徴は、【ホワイトスワン】の有機的変動仮想装甲ゴーテルを量産のために制限したこと。肥大化箇所のみがそれに辺り、他の部位に関してはそもそものガンジリウム流量が希薄である。

 これにより、集中した流体ガンジリウム故に最大出力時には【ホワイトスワン】を超える装甲によってバイタルパートの防御を行えること。そしてバイタルパート以外の部位はモッド・トルーパー同様に容易なパーツの生産と交換を可能とすることで、量産性と生存性を両立させる。

 【ホワイトスワン】を第四世代型の高価格機と呼ぶなら第四世代型の廉価版量産機と呼ぶべきか――それだけで、かの【コマンド・レイヴン】を凌駕する性能を有するだろう。


「それで、逸れてしまった向こうの船はどうする気なんだい?」

「……まず衛星軌道都市サテライトの人間に、【フィッチャーの鳥】にまさに抗う我々を宣伝する。あそこでこそ【フィッチャーの鳥】による弾圧は苛烈なものだからだ。そして、そのあとは……敗北して貰うつもりだ。ローランドはその辺りの加減も判る――……」

「敗北? ……ああ、そういうことか。なるほどね」

「話が早くて助かるものだな、擲炎者スコーチャー。……宇宙での制空権を確立されていなければ、おそらく奴らも虎の子の【星の銀貨シュテルンターラー】運搬アーク・フォートレスを地球爆撃圏内まで運搬できない。こちらも、その現場を抑えることが叶わないのだ」

「……勝って、それで暴くというのは?」


 伺うアシュレイの言葉へ、マクシミリアンは僅かに首を振った。

 シンデレラやロビンを引き入れたときとは、また、状況が大いに変わってしまっているのだ。悪い――方向に。


「例の新型アーセナル・コマンドのような、単騎での制圧力や突破強襲力を持った機体が現れている。……如何に勝利したところでその残党が出ることは否めず、そして、もうたかが残党――……とは呼べないほどの戦闘力を有する相手が存在するとなっては、方針の転換が必要になる」

「地上での無視できない勝利と、宇宙での敗北は一つということだね。……そう上手く行けばいいんだけど」

「……判っている。企図して敗北を望むことは、手に負えない災厄を招きかねない。順当に勝利しあの衛星を抑えられるならばそれに越したことはないが――……」


 仮に如何に勝利したとしてもその残党にアーク・フォートレスを奪われ、そして発射や使用を許してしまったらどうなるか。

 いや、それよりも最悪の場合、【フィッチャーの鳥】の敗北のどさくさや混乱に紛れて【衛士にして王ドロッセルバールト】に接収されてしまったら、目も当てられないのだ。

 加えるなら――


宇宙ここには、コルベス・シュヴァーベン特務大佐がいる。ヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将の片腕だ。……正規軍同士の戦闘ならさておき、少ない二隻が更に分断された今とあってはより勝率は低くなってしまう。そこに来て、例の新型のような不確定要素だ」

「シュヴァーベン特務大佐? ……ああ、“焼夷のシュヴァーベン”、“爛れ顔のシュヴァーベン”か。……確かに彼相手になら、こちらが多少敗れたところで逆に動揺は少ないか」

「むしろ、演技で留まればいい方だと私は見ている。進軍計画や補給整備の立案、戦術的な機動……順当に大軍を運用でき順当に勝利できる――という意味では得難い人材だ。おそらく、大軍対大軍で戦うならシュヴァーベンが最強だと人は言うだろう。彼の斉一とした波状攻撃は、恐ろしい」

「一度はそれを破った灰色狼グレイウルフであっても、かい?」

「……今の私は誰でもないマクシミリアン・ウルヴス・グレイコートだ」


 それきり打ち切られた言葉に変わるように、


「……宇宙そらでの【フィッチャーの鳥】は、そんなに酷いのかい?」

「地球から目があまり届かない、ということが問題だ。奴らはほとんど人狩りマンハンターだよ。……無論、全てがそうだとは言えないが。悪しき魔女狩りの、その醜悪さを煮詰めたような者もいる。対テロの名目で何でもありだ。調べたところによると、あまり成績が振るわなかったものをこちらに配属する傾向にもあるようだ」

「……僕なら、こちらにこそ精鋭を置くところではあるけどね。より危険なのは宇宙の方だろう?」


 アシュレイの指摘は軍事的合理性からは尤もであったが、


「そう思わない者もいる、ということだ。そして、己の膝下の安全を気にする企業のお偉方もいる。……【星の銀貨シュテルンターラー】迎撃装置の完成もあり、宇宙からの攻撃の恐怖が薄れたこともあるのだろう」

「……」

「だが――……は違う。まさしく防御不能の神の杖だ。真実、だ。ヘイゼル・ホーリーホックによる迎撃、そしてマーガレット・ワイズマンの手によって葬られたからこそ、その危険性が認知されていない。結果として、お偉方にまでその恐怖が伝わっていない」


 神の杖という兵器は本来、軌道周回する衛星からガンジリウムの弾体を投じ、そして弾体に備えた各種のブースターによって軌道周回速度を減じ、突入角を調整し、母機の高度な弾道予測シミュレーターに従って目標地点への超高高度対地爆撃を行う兵器だ。

 地球衛星軌道を周回する関係上、その衛星が軌道周回を可能とする速度――慣性――を有しているが故に、ただ真下に落とせばそのまま目標へ落ちていくという兵器でもない。

 何らかの方法で速度を低下させる必要があり、そして軌道周回を可能とする超高速が故に即座に真下に落ちるほどに速度を低減させることは叶わない――当時としては――のだ。


 発想だけは旧歴から存在していたこの兵器が長らく実用化を果たさなかったのは、その弾道計算の複雑さや大気圏の断熱圧縮による弾体の融解問題、衛星軌道までの打ち上げのコストなどを鑑みて『費用対効果が少ない』とされたが故もある。弾体を宇宙空間からそのまま運んで来られるこの時代特有の兵器であろう。

 そして前大戦の反省から、防衛手段は確立した。大気圏突入時と、地上衝突前の迎撃兵器が作成された。

 だとしても――……とマクシミリアンは眉を寄せる。今、放たれてしまったアレを落とせるのはこの人類史にヘイゼル・ホーリーホックただ一人だろう。僅かな諸元の情報を父の走り書きから見つけた彼としても、そう思えた。


「うん、分断を避ける――……か。大義名分としては結構だけれど、もっと直接的に『破壊されたはずの禁止兵器を秘匿している』ということを糾弾には用いなかったのかい?」

「……考えもしたが、そうなれば着地点が変わってしまう。矛盾的な言葉だが、市民にはあの【星の銀貨シュテルンターラー】の恐怖を忘れてほしい。初めからそれを掲げれば、より分断は深刻化する。【フィッチャーの鳥】のその背後にかつての戦いを見て、そして衛星軌道都市サテライトを見る。……違いの不和は余計に深刻化するだろう」

「……」


 マクシミリアンの言葉に、常に柔和な表情をしているアシュレイが口を噤む。

 未だに少ない付き合いであるものの、マクシミリアンにも、アシュレイ・アイアンストーブという男がある程度は知れてきていた。

 即ちは柔和で穏健で人道的――という表情の裏に隠れた残酷な合理性と決断性。虫も殺さないような顔で、実際には殺せずとも、しかしその虫の解体の仕方は心得ているという感情と理性が奇妙な二面性を持つ男だった。


「……思ったより冷静で現実的な君に告げるならば、何もただ人類愛だけで動いている訳ではない。分断は、暴力を助長するためだ」

「……分断――逆説的にその統一を望んだから争いを起こした衛星軌道都市サテライトのように?」

「耳の痛い話だ。……それもある。分断された人は、分断されたその内で結び付きを強めようとする傾向がある。多くのテロ組織やカルト宗教がその勧誘にあたってまず社会から人を切り離したがるように、繫がりを失わせるということはための土壌となる」

「違和感を抱かせなくする、異なる価値観を否定する……洗脳の初めの手口だね」

「ああ。――だからこそ、分断を避けなければならない。あの戦争によって、ガンジリウムを用いた戦いの道が開かれた……開かれてしまった。あの時点であれほど殺し合ったものだが――。私のこれは、杞憂だろうか?」

「さあ、どうだろうね。……ただあんな兵器を平然と乗り回していたら、この星は壊れてしまうと思うよ。あの重金属汚染は、思ったより深刻なんだ」


 多くの重金属汚染同様に、ガンジリウムは生体に影響を及ぼす。

 短期間に多量の摂取を伴った場合の急性中毒症状――発熱・嘔吐・神経症・麻痺・呼吸器不全――から始まり、長期に渡る摂取の場合は肝硬変・腎障害・腫瘍・神経障害・中枢神経障害・脳障害など深刻な症状を齎していく。

 最終的には重度に神経系への影響が見られ、己一人で立って歩けなくなるばかりか、人工臓器無しでの生存が困難になるほどに悪影響が顕在するのだ。最後は意識さえ喪失し、ただ衰弱して眠りの内に死していく。

 その重度汚染を指して、と呼ばれるほどに。


「……分断や不和、それについて僕が語ることはない。ただ――かつての旧暦にて放射性兵器が深刻な問題を引き起こしたように、ガンジリウムも放置はできない」

「争ってばかりだと、癒やすこともできない――か」

「シンデレラくんのこともあるけど、僕が参加したのはその意味合いも強いんだ。こうも争いばかりだと、安全面よりも兵器の発達が進んでしまう。……少なくとも十年、その程度は争いを小さく留めておいて貰わないと困る」


 適切な除染が行われた保護高地都市ハイランドや、或いは防護服の発達した衛星軌道都市サテライト――いや、所謂生息四圏とされている地域ならばまだ影響は深刻化していない。

 しかし、それらに属さない場所においては――棄民――満足な医療の恩恵にも預かれないばかりか、十分な除染さえ行われない。

 アシュレイは、あのウォードランにてそんな患者を幾人も看取ってきていた。


「……ふ。私のこれも、髪だけならいいが。……他に何か影響があるか、確かめるのも手間だ」

「ああ……そうだね。それが恐ろしいところだ。汚染者の子供は、特にその影響が判りにくい。……まず初めにガンジリウム汚染を受けたなら、その髪こそに影響を見て取れるんだけど――」

「……ああ。生まれつきなのか、汚染されつつあるのか、判らない」


 黙するマクシミリアンも、それに向き合うアシュレイも、どちらもその髪の色は銀色に近い色だった。

 ガンジリウムに由来する重金属汚染の症状は数あるが、その内の一つに髪から色素がなくなっていく――というものがある。そして驚くべきことに、それは、

 母親の胎内において生体濃縮を受けるためか、それとも遺伝子やその発現に関わるmRNAへの影響かは定かではないが――銀色の髪は、子に受け継がれるのだ。

 恰も烙印めいている。

 一度ガンジリウムという外宇宙から来たりしものに関わった者が、その外なる神の指に絡め取られるように――悪魔と契約を交わしたかの如くに、表に現れる。

 ……それが故か、衛星軌道都市サテライトにおいては髪の色素が濃いものが恋愛対象や結婚対象に選ばれる傾向にある、などと言われるほどに。


「それで、これからの予定は?」

「君にも機種転換を勧めて貰っている新型量産機が、間を置いてルイス・グース社から届く。兵士たちにその慣熟を行いたいのが一点」

「戦略的な方針は?」

「……捕虜にした複数の高官から、地下拠点都市の正確な座標が入手された。これに従い、地上部隊はプレーリーを叩く。保護高地都市ハイランド連盟の喉元まで迫れば、宇宙艦隊にも何らかの動きがあるだろう」

「それは……随分と、早いね」

「兵は巧遅よりも拙速を尊ぶ、ともある」

「……その拙速で人が死ぬとしても、かい?」

「これ以上の人が死ぬ前に、だ。……いくら企業体が背後にいるとはいえ、こちらはあくまでも非正規戦力だ。時間の浪費は望ましくない。そして――」


 言葉を区切り、


が何をするのか、読めない。……それは互いによく知るところだろう?」


 マクシミリアンが向ける琥珀色の目線と、アシュレイが応じる灰色の瞳。

 どちらも知るところであった。

 片やアーセナル・コマンドという人型機動兵器を生み出すに至った合理的な狂気。片や国民総戦闘員化という狂気に至った破滅的合理。

 この世界は、崩れかけの生息圏の上で追い詰められた者たちによる情熱と冷静の流転する車輪によって生かされているのだ。


「如何なる結果になるにせよ、最も重要な地下拠点都市を攻撃されるとあってはあちらも大きな動きを見せざるを得ないはずだ。……それに【衛士にして王ドロッセルバールト】や外宇宙船団の問題もある。早期に【フィッチャーの鳥】を弱体化させた上で対処しなければ、またこの地上は焼き尽くされるだろう」

「他人事な言い方だね、それは。……焼き尽くしているのは僕らも同じだ。焼かれた人にとっては、焼いた者がいるということだけが唯一の事実だよ」

「……理解しているさ。だからこそ、早く纏めたいと思っている」


 あの【衛士にして王ドロッセルバールト】も外宇宙船団も、どちらもマクシミリアンや【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】にとっては予期し得ない不確定要素だ。

 その登場を知っていれば、このような争いを起こしただろうか。そう自問する日すらある。

 外宇宙船団――いっとき、マクシミリアンも合流していた。星の向こうを目指す船。宇宙の果てを目指す船。箱舟にして救助船。

 少しずつ積み重ねたそれらは、火星や木星への中継基地を作るに至った。そして戦争に伴うガンジリウム技術の急速な発展に伴って、より宇宙への開発を進めるための先駆けとなる――その筈だった。

 ……だが、それは、あの戦争における報復を恐れた民たちを逃すための救難船として使われていた。

 そして、首脳陣を吹き飛ばしたのちに合流したマクシミリアンが火星で退去するのに合わせて、そんな彼らの内に終戦紛れの兵が流入したと聞く。


「……ウィルヘルミナ・テーラー。彼女は、どうしているものか」


 その船長の娘であった炎髪を靡かせる矜持ある美貌の少女だったウィルヘルミナ。

 あまり軍人らしくもない感傷家であったマクシミリアン・ウルヴス・グレイコート改めライール・アンサン・グレイウルフという男の世話を焼いてくれた少女。

 あまり大した交流を行いはしなかったが――それも否応なく己の父の発明により家族が焼かれたを想起させる妹との戦いの直後であったために――それでもその僅かな交流で、他とは違う冷静さやものの見方を持っていると印象付けさせる少女だった。

 どことなく覇王の素質が見え隠れする彼女が、その父の元でどうか健やかに生きていることを願うしか――なかった。



 ◇ ◆ ◇



 宿を変えるのは、幾度目だろうか。


 路地裏に身を隠しながらも手鏡で道を探ったウィルヘルミナは、小さく吐息を漏らした。

 丈の短い純白のプリーツスカートの裾が揺れる。

 背中に汗がにわかに滲んで、肌を透かせたボタン付きのシャツワンピース。

 一見すれば、丈長な男物のワイシャツ一枚だけを羽織っているふうにしか見えないようなそれに何を連想したのか、すれ違った男たちは彼女へと秋波を送ってきていた。

 思い起こされるその好色な目線を打ち消すように、ウィルヘルミナは改めて黒カーディガンを重ねる。こうすれば、どうしても胸元でシャツのボタンとボタンが作ってしまう余計な窓を遮られる。というよりそれしかない。


 吐息を一つ。

 女を従属物や道具のように見るあの目線には、苛立ちがどうにも湧いてくる。あの船の中でも、多く受けた。閉鎖空間故のそれは危機感を伴って強いストレスの元となり、船を離れた今でもウィルヘルミナの神経を苛立たせる。

 それも、あまり良いとは言えぬデータで作ったためだろう。デザインに応じて値段が変わるのだ。

 手荷物一つすら持たず、その日ごとに衣服や下着を衣料用の3Dプリンターで印刷する日々。特段金に困っていないために手軽であるが、それ故に旅行者らしくないという印象を与えてしまうのが難点だ。

 起き抜けで余裕もなかったその淡い炎髪を編み上げて、後頭部で結びつける。女学生のような黒いリボンをそこに添えることには僅かな抵抗はあったが、それが母から最後に贈られたものであることを思い出して吐息と共に整える。

 そうして落ち着いてくると、徐々に取り戻されて来るものがある。


「……忌々しい男。本当に、忌々しい」


 呟いて、無水頭痛薬の錠剤を口に放る。

 腰の辺りに伝わる甘い痺れのように、首筋の産毛を粟立たせる寒気のように、頬でさざ波立つ怖気のように、夢の名残が幾重にも憂鬱に巻き付いていた。

 その主は――言うまでもなくこの数年間で初めて、新たに顔を合わせたあの男だった。

 抱き寄せられた腰の感触。無骨なる男の腕の感触。腕を抑える力強い手のひら。覆いかぶさるように覗き込む男の、その大きな背と影。心に牙を突き立て歯型をつけるような、苛烈にして酷薄とした言葉。そして人を斬ることに感慨を抱かぬような視線だけで肌を裂く刃めいた目線。

 あれから幾度と夢に現れた。

 戦と暴力に連なるものを忌み嫌う死神として――或いは最も無遠慮にウィルヘルミナの身体に近付いた男として。誰にも許したことない距離まで、口付けほども顔を寄せた人間として。無礼極まりなく肌身に触れ、恥辱に満ちた言葉を投げかけた青年として。

 何より――……人間性を値踏みし、しかし否定できない問いを投げかけた兵士として。

 そのたびに、えも言われぬ奇妙な感覚を味わった。あの氷めいた瞳は、毎夜ごとにウィルヘルミナを攻めたて問い詰める目線となった。


 凍土の冷徹と、煉獄の情熱。


 断絶。事象の極北の、その主であるが故の問いかけ。

 この世の何もかもを遠ざけるような双眸。

 己を人と遠く置く――だからこそめいたものを感じさせる眼差し。

 ウィルヘルミナが捨てようとしている女というものを、無理やり痺れと共に背骨から引き出そうとする冷たく鋭い男の眼光。


 様々に混じり合って、それでもウィルヘルミナは最終的にそれを不快だと結論付けた。

 故に、それを支配しなければならない。

 命題なのだ――


 あれこそがウィルヘルミナが立ち向かうべき敵を体現するものであり、立ちはだかる構造が写し身を得たものであり、立ち塞ぐ絶対を形にしたものである。

 あの男一人崩せずして、如何に己の道を歩こうとしているのかという問いかけ――果てに至る答えを生むための祈り。

 倒さねばならない。壊さねばならない。不遜なるあの男を組み敷いて、徹底的に己の僕としなければならない――そうとさえウィルヘルミナには思えた。


 あの性格と物言いはさておき、見過ごすにはあまりにも惜しいその力。強く求めるだけのその力。

 手にすれば、万物を断ち切ることが可能であろう不毀にして曇らぬ死神の刃――……。


 如何にしてもあの瞳を揺るがせねばならぬ、と思っていた。礼儀を払うだけの社交性と人格を持ちながらも、あれほどまでにウィルヘルミナを冷たく遠く突き放すという目の持ち主はこれまでにいなかったのだ。

 その、混乱。

 それはやがて屈辱の念に至り、即ち雪辱に接続する。

 或いは他にも――あの男はその有り様から、ウィルヘルミナのような憤懣と執着を生み出しているのだろうか。そんなふうにも、考える。

 ただ己一人の道のみを歩き続けられる傲慢。

 あらゆる存在をただ路傍の風景の一つとしか捉えぬような独善。

 その瞳の色を、何としてでも変えさせねばと――見上げさせねばならないと、そんな義務感に近い強い衝動さえも湧いてくる。


「逃しはしない、断絶者ブレイカー……お前の力は私の下でこそ役立ててやる」


 あれほどの力を持ちながらも、それに何の美徳を見出さぬ様には怒りを覚える。――なら、そんな力を持たないこちらは何だと言うの?

 他人の間合いに無遠慮に踏み込みながらも、まるで意に介さぬ有り様に不満を覚える。――まるでこの世に自分唯一人でも生きていけると言いたいの?

 誰一人にも心許ず、何にも揺らがないというその姿に強い嫉妬を覚える。――何かのために動きながらも心揺れるのは未熟者だと?


 あまりにも、己と遠く離れていて腹が立つ。

 誰一人その視座には至れまいという瞳に腹が立つ。

 如何ほど言葉を交えようと、その在り方は交えないというその様に腹が立つ。


 ああ――……一体どれほど、孤高を気取る気? そうして、取ろうとする手までを傷付ける気?


 そんな存在など、この世には居はしないというのに。

 居てはならないというのに。

 なのに平然と、そこに立つ。歪まないが故に、外の全ての歪みを暴く


 その存在が、ただ、教育に悪い。頭が痛い。人類に早い。あまりにも遠い。

 いるだけで、そこを揺るがす毒だ。己が揺るがず、故に全てを揺るがす毒だ。何としても打破しなければ――打倒しなければならないと確信させる。

 或いはそれには、世界一つを壊し尽くすだけの力が必要であり――。

 ああ、だからこそ、何としてもという――そんな気にさえ、させてくれる。


 きっと、怨敵。

 オーグリー・ロウドックスは、ウィルヘルミナ・テーラーにとっての怨敵なのだ。

 見過ごしてはならぬ怨敵。突き崩さなければならぬ怨敵。

 故に己の下に置き、徹底的に飼い殺さねばならない。


「……今日こそは、もう少しマシな答えが返ってくるといいのだが――いえ、それとも別に手段を講じるべきかしら。なんとか焼き尽くしてやりたいわ……その涼しい顔を」


 そうして彼女は歩き出す。

 燃えるような淡い炎髪を靡かせて、ウィルヘルミナ・テーラーは歩き出す。

 或いはその男を手にすることが最も【ガラス瓶の魔メルクリウス】を手にすることへの近道だと、避けて通れぬ道だと確信するように――コツコツと、エンジニアブーツの強い靴音は遠ざかっていった。


 その背後に潜む影に気付くことも――なく。

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