第75話 慟哭、或いは嗚咽


 飛び散った第二世代型:熊の革ベアコートの残骸が、海洋ゴミのように漂う宙域。

 ムカデか、はたまたトンボか。

 皿型の曳航母艦の背後に無数のコンテナを連ならせた輸送船の操縦室目掛けてへ、赤銅色の悪魔騎士はハンドサインにて安全を伝達する。


 それは決して――共謀された行動、ではないのだろう。

 宇宙海賊とは、しばしばスペースデブリのサルベージ業務やデブリリサイクル業者を装うことがある。

 いくら民間船への襲撃と言ってもリスクは付き物だ。物資の輸送が真実その命綱になる衛星軌道都市サテライトにおいては、輸送船の護衛に民間軍事会社を用いるというのは決して少ない事例とは言い切れず、そこで戦闘に発展することは十二分に有り得る事例だ。

 故にしばしば――海賊たちは、その戦闘に備えるためや或いはリスクヘッジの一環として、大戦時に打ち捨てられた兵器などへの引き揚げ業を営むことがあった。

 故に、だ。

 今まさに、地球圏にて抗争が起きているこの状況は――海賊たちにとっても稼ぎ時の一つであった。


 おそらくは、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】への追撃を行った【フィッチャーの鳥】や保護高地都市ハイランド連盟宇宙軍との戦闘。

 その戦闘地域を、リークした。

 彼らが最新鋭の兵器を手に入れられるように――海賊たちにとっても、その情報というのはまさしく金言であったのだろう。

 決して、反【フィッチャーの鳥】を謳う彼ら【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】が海賊に助力を願った訳でも、民間船の襲撃を許可した訳でもない。


 ただ、海賊が喜ぶようなが転がる地域をそれとなく情報網に幾度と流し、そして今回に限ってのそれは戦闘終結後の宙域ではなく、偶然民間輸送船の航路だった――そんな筋書きなのだろう。


「ったく……何が傭兵だ。この煽動家アジテーターが」

『え』

「あー、こっちの話だ」


 宙間であっても酸素マスクのみで保護ヘルメットを着用しないエディスは、ボリボリと金髪を掻いて縦一文字の傷の入った片目を閉じた。

 民間軍事会社と現代的な呼び方をされる前の、野卑で非合法的な傭兵。

 というより、それは殆どマフィアやゲリラの手口に等しい。社会の秩序に反する混沌の勢力。その申し子の如き非正規戦の辣腕だ。ある意味では、流石は戦時国際法の遵守も碌に行わなかった衛星軌道都市サテライトのお家芸と言えようか。


『ありがとうございます……! ありがとうございます……! 本当に、本当にありがとうございます……!』

「いいって、仕事なんだ。気にすることじゃねえさ。お前たちはものを運ぶ、俺たちは治安を守る……お互いに仕事をしただけだ。そうだろ?」

『ああ、ありがとうございます……! 軍人さん……!』


 幾度と感激を声に滲ませて行われる通信に、エディスは辟易するように顔をそむけた。

 礼欲しさに軍人になった訳でもなければ、人助けのために軍人になった訳でもない。

 適性があって、才能があるから――それ以上でもそれ以下でもないエディス・ゴールズヘアにとって、礼は特に腹の足しにもならなければ向けられて何か得るものがあるものでもないのだ。


『あの、せめてお名前を――』

「ジョン・ドゥ。もしくは無銘の兵士ネームレス・ワンでいい。保護高地都市ハイランド連盟の、どこにでもいる軍人だ。他の誰であってもそうするだけの行動をしたにすぎない。感謝は軍人全般へ、もしくは退役軍人省に。雇用の改善に付き合ってやってくれ」

『は、はい――――!』

「女神のキスを祈る。いい旅をBon voyage、な」


 最後にホログラム通信と、共通言語以前の古語――最早、慣例的な名前程度にしか名残は残らない――にて敬礼を行い、去っていく民間船を見送る。

 戦闘は一方的に終了した。

 世代で言うならば第五世代型、ないしは第六世代型と読んでも良いだろうほどの【ジ・オーガ】と、正規軍以外が運用する第二世代型の熊の革ベアコートは比するのも馬鹿らしい差だろう。

 たった三度。

 アサルトライフルのそのマズルフラッシュが、五機の敵機を宇宙の藻屑と変えていた。


「さて、と。……面倒だが、食い扶持の分は仕事をせにゃあならんのかね」


 コキコキと首を鳴らして、己が飛来した元の宙域を睨む。

 間に合うか間に合わぬかの時間を計算して行われた民間船への襲撃の誘発は、つまり逆に言うならここからまだ追い付けることを意味している。

 とは言っても、そんな当たり前の常識をアーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーが許すか否か。

 とうに手の届かない領域へ、或いは悪辣な罠の渦へ――その程度を仕掛けていても不思議ではないと思えた。何せ、占領地域における戦闘にて民間人をほどの男なのだから。


 とはいえ――仮に相手が撃墜数でエディスに勝る相手だとしても、問題はない。

 左眼の傷の原因となった――そして鉄の鉄槌作戦スレッジハンマーに参戦できなくなった――機体不具合にて敵勢力圏に墜落後、徒歩にて荒野を数百kmを踏破して帰還したことを思えば彼には大概のことは些事に思えた。

 それも、――……つまりは今と変わらないし、万事がそんなものだと彼は考えていた。


「しかし、【嵐の裁定者ストームルーラー】……? けったいな名前を付けなきゃいけねえってのは、技術者ってのはどいつもこいつも判らんな」


 もう一度金髪を掻き、機体を反転させる。

 その行き先は、戦争にて破壊された居住区ボウルも残る暗礁宙域。

 赤銅色の鬼面の悪魔騎士が、飛翔する――。



 ◇ ◆ ◇



 シンデレラ・グレイマン――シンディ・エラ・グレイマンことシンシア・ガブリエラ・グレイマンにとってそれは、十五回目の聖誕祭クリスマスを矢先にした日の出来事であった。


「ああ、そりゃあアレじゃあないかい、先生? ――そんな事情でも、あるんじゃあないのかね?」


 時間が止まった、そんな気がした。

 そのギャスコニーの一言に、グレイマン技術大尉は僅かに眉を上げる。

 僅かに黙考し、そして、


「……シンデレラ、来なさい。場所を変えよう」


 そう、どこか重く呟いた。

 その技術者として有無を言わさぬような気配にシンデレラは黙し、ただ促されるままに父の背中を追う。

 のっぺりとした飾り気のない、機能性を突き詰めた軍需品特有の廊下。航空宇宙巡洋母艦『アークティカ』の、格納庫から艦内居住施設へ向かう廊下。

 目の前で翻る父の白衣を眺めながら、その背中を見ながら、シンデレラは思った。


 きっと、もう、自分の事情は知れた。

 仮にも父は技術者で――あの機体の開発者なのだ。

 胴体だけを【ホワイトスワン】に置き換えている歪さにはすぐに目が行くだろうし、そんな中でのあの言葉だ。きっと、おおよその見当はついてしまったのだろう。

 いや――……正しくは、シンデレラの胸に立ち込めていたのはそんな言葉ではない。

 ただの一つ。

 不安と期待の入り交じる、ただの一つの感情だった。


「シンデレラ、いつからだい?」


 そして、彼の個室――相変わらず雑然と研究に関する走り書きや得体の知れない部品や模型が立ち並ぶ船室に入るなり、父は眼鏡を押し上げながらシンデレラにそう問いかけた。

 逡巡か。

 それとも不信か。

 或いは――……その小さな唇を僅かに動かして、床を見詰めるシンデレラは躊躇いがちに言葉を発する。


「前に……その、えっと……一度、撃ち落とされて……そのときに……そのときから……それから……」

「ふむ。……汎拡張的人間イグゼンプトとやらは――優秀なそれとやらは、駆動者リンカー自身を機体の備品のように制御できる可能性もある……というけど」

「……」

「管制制御AIに組み込んだ有機的装甲変化アルゴリズムが誤作動を起こしたのかな……安全装置で内面への《仮想装甲ゴーテル》展開は行えないようになっている筈だけど……強い衝撃で流体循環パイプから外に漏れ出したら安全装置の甲斐もないし……いや……いくら指向性をつけても微細には内向きにも力場が生まれるから……機体が手足を失うことで電力バランスが狂って、余剰電力として力場を暴走させたのか……」


 ぶつぶつと独り言を漏らす彼女の父は、それからふと顔を上げた。そんな音がした。

 シンデレラは目線を合わせられない。

 パイロットスーツの上から、せめてでも――と纏っていた黒スカートの裾を握り締めながら、父を見ることもできず、かと言って視線を一点に留めることもできず、たた言葉を待つことしかできない。


「一応聞くけど、シンデレラ。キミは今、機体から長く離れると不随意運動がままならない――という状態なのかな? 確認だけど」

「……そうです、父さん」

「そうか。……うん、それは、大変だったろう」

「……!」


 予想だに――予想だにしないその一言に、思わずシンデレラは顔を上げた。

 まっすぐ、こちらを見てくる父。

 いつ以来だろうか。その背や横顔でなく、父と会話するのは。自分の方を見て、自分を思った言葉をかけてくれるのは。


「安心しなさい、シンデレラ。ちゃんとぼくが研究してあげるよ。すぐにとは言えないけど、まあ、元通りにはなるんじゃないかな」

「父、さん……!」


 それだけで――たったそれだけで。

 報われる気持ちだった。初めて、報われたと思った。過去の泣いている自分に、呪いの言葉を吐く自分に、一人でうずくまる自分に――そんなことはないんだよ、と声をかけてやりたくなった。

 父が滲む。風景が滲む。

 喉を熱い何かがせり上がってきて、目尻が痺れた。それを思わず手で抑えたくなってしまうぐらい――鼻孔を、ツンと鋭く僅かな痛みが押し上げてくる。

 だからこそ、


「いや、軍からの納期の関係でつまらない機体になってしまったと思ったんだけど、まさか――まさかこんなことになるなんてね。予想以上だ」

「予想……以上……?」


 次に父から溢れた言葉に、シンデレラは潤んだ琥珀色の瞳を訝しげに向けることになった。


「ん、ああ。最新鋭型が奪取されたとなったら、相応の追手がかかるだろう? 一機があちらに残して貰えれば、いいデータになるとは思ったんだけど。できればヘイゼル・ホーリーホックとか、メイジー・ブランシェットとかなら今後に特に活かせるかと思ったけど……まさか追手がキミで、それにこんなことになるなんてね」

「父さん……?」

「ん、ああ。この結果のことじゃないよ、シンデレラ。そこじゃなくて、感動しているんだ。……ぼくたちの関係はあまり良好とは言えないと思っていたけど、まさかキミが助けに来てくれるなんてね。そこは素直に嬉しいんだ。……


 決して無視できない言葉――無視してはならない言葉ではあったが、それでもシンデレラは今はそれを脇に置いた。

 父が初めから【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】と共謀していたとか、そんな言葉はいい。思えばああも容易く新型機に彼らが辿り着けてしまう不思議はあって、それの答え合わせがされてしまったのだが――……それはよかった。

 父が。

 あの父が、喜んでいてくれる。

 向き合っていてくれる。

 自分を案じ、そして助けると約束してくれている。あの父が。


「もう一度言うよ。……ありがとう、シンデレラ。大変だったろう?」

「わ、わたしこそ……父さんのことを、その、誤解してて――……今まで、えっと、その……あの……」


 内に湧き上がった正義感からくるという理性と、今はそんなときじゃないとか、そもそもそれは――そんな正義感は自分が本当に欲しかったものなのだろうかとか。

 想いが複雑に絡み合った故に言葉が言葉の形を取らない。

 しゃくりあげそうになる喉を懸命に押し殺しながら、もう少しだけ父とこの会話を続けたいと――もう少し続けさせて下さい、と。

 そんな気持ちから、ただ何とか泣き出してしまいそうな自分自身を彼女は鎮めていた。それだけだった。

 だというのに父は、そんな形にもならない言葉の先を、その意思を汲み取ったのか――優しげに首を振ってくれた。


「気にすることじゃないさ。いや、いくら血が繋がっていないって言っても――ああ、ぼくのことを父親として慕っていてはくれたのかな? だとしたら、一応、父親としての役目を果たした甲斐はあったよ」

「血が、繋がって――……!? ……!? えっ……? 何を、何を――……父さんは、言っているんですか……!?」

「ん、ああ。いやほら、母さんは家を開けがちだろう? だから、泊まり込みのそのときに浮気をしていたんじゃないかと思ってね。そう考えると色々と説明がつくと思わないかい? 女なのに、ああも家庭を蔑ろに研究して……。いや、多分、キミとぼくは血が繋がっていないんじゃないかな?」


 ス、と――。

 血の気が引く。

 頭が追いつかない。稼働しない。受け止めきれない。

 それでも父は、先程と変わらない柔和な笑みで――抱き着きかけていたシンデレラが指を止めてしまったのにも気付かず、同じ様子で先を続けた。


「性格があんなのでも、女としては使える女だったからね。いや、ぼくもそうだったんだ。研究室でふと――……ははは、でもそんな何回かで子供ができるなんておかしいと思ったんだよ。だって、エメリアくんとのときは別にそんなこともない訳だし――……って、ここであの子の名前を出すのは不味いか。まあ、とにかくおかしいと思ってたんだ」

「何を……何を、言っているんですか……?」

「ああ、ということだよ。いや――種がぼくじゃない子供をこれまで育てさせられていたことに思うところはあるけど、キミがそんなふうに育ってくれたならぼくも


 父が、父ではない。

 母が、母親をしていなかった。

 そんな――あまりに受け止めるには現実感がなく、何故そんな言葉が出てしまったのかも考えることもできず、骨身を凍らせるような言説のまま父が会話を続ける。

 動く顔が、表情が、仕草が、別の何かに見えた。

 別の生き物。別の命。何か不可思議に動くだけのもの。そう思えるほど、シンデレラの受けた衝撃と父の言動は乖離している。

 そして――は、実に嬉しそうな父の顔と共に齎された。


「人体のパーツ化を可能にする機体! パーツ化されているのに個を失わない人体! いやあ、凄いね。?」

「――――、」

「これを研究すれば、もっと完全に――より深い接続ができるだろう? ブランシェット博士が何を思ってこんなものを作ったのかはもう判らないけど、それはとっくのとうに彼の手を離れてる。生きていても過去の人間さ。ここはもう、ぼくたちの場所だよ」


 まるで、サンタクロースからお望みの玩具を貰ったようにはしゃぐ父。


「ガンジリウムにはまだ謎が多い。何故特定の周波数で力場を生むのか、そもそも力場とは何なのか、あとは脊椎接続アーセナルリンク――……汎拡張的人間イグゼンプトだったかな? 実はぼくはそれは、脊椎接続アーセナルリンクという技術そのものに由来する訳じゃないと思っているんだ。つまりは――」


 ぶつぶつと続けられる言葉が、脳に入ってこない。

 理解できない。

 理性が、まるで、拒んでいる。


「いや、嬉しいよシンデレラ! ははっ、どうしようもない手のかかる娘だと思ってたけど――! ! いやあ、ぼくの役に立ってくれるんだね、シンデレラ。いや――!」


 そして愛おしい宝物を抱き締めるように――。

 今まで一度もして貰えなかったそんなものを、一度だって向けてくれなかった笑顔を、手を、まるで数日早いクリスマスプレゼントで誕生日プレゼントみたいに――。

 他ならぬ彼こそがプレゼントを貰ったのだと、そんな笑みと共に伸ばしてくる腕を――――


「さて、じゃあ服を脱いでくれるかい? 早速、一つでもデータを――」

「――近づかないでッ!」


 振り払っていた。

 弾いて、叩いていた。


「なんで……なんでそんなことが言えるんですか! 母さんをそんなふうに――それに、娘が……娘が機械の部品にされかかっているんですよ! 死にかかっていたんですよ! それなのに、それなのに――」


 金髪を振り乱してシンデレラは叫ぶ。喉から声を上げる。

 ぐちゃぐちゃになった胸の内と、ごちゃまぜになった頭の中身が目から熱い液体として流れ出していた。

 だというのに。

 娘が、泣いているというのに。


「はあ。……少し見直したと思ったらすぐこれだ。まだまだ子供なんだなあ。困るなあ……はあ。反抗期は卒業してくれないかな? 今、大事な話をしてるんだから」

「反抗期とか――……反抗期とかそうでないとか、関係ないでしょう!? 娘なんですよ……娘を、娘をそんな実験動物みたいに――貴方の思い通りになる玩具みたいに……どうして、どうしてそんなことが言えるんですか!?」

「うるさいなあ。はあ……実験動物なら、もう少し聞き覚えがいいよ? ちゃんと国語の勉強をしているのかい?」

「――――っ」


 親みたいな言葉を使う、親ではないナニカ。


「……聞き分けが悪いことを言わないでくれないかな。せっかくキミのことを認められるかと思ってたのに。困らせないでくれないかな。あっ……ははあ、そうやって親の愛を試しているのかい? なるほどなぁ」

「――――」

「いいかい? キミはもう子供じゃないだろう? エメリアくんは、キミと同じ歳なのに立派に自立してお金を稼いでことができているんだよ? キミは、いつまでも、聞き分けがないほど子供なのかい? ……全く。母さんの教育不足かな。これだから女ってのは困るなあ。男の役に立つのは子宮だけだよ」


 ぐしゃぐしゃにされる。

 シンデレラ・グレイマンという――シンシア・ガブリエラ・グレイマンという一人の人格のシーツに、ぐしゃぐしゃに爪を立てられる。

 立っていられなかった。

 顔を上げていられなかった。

 だというのに両足も両手も動こうとしてはくれず、だから、ただ、目だけには壊れそうな力を込めて――壊れているかもしれない己を縋るように込めて、シンデレラは父を睨みつけていた。

 ポロポロと、涙が頬を伝う。

 それが悔しかった。何よりも熱く、悲しかった。泣く原因になったことそれ自体がではない。今やこんな男の前で涙を見せてしまっているというのが、何よりも心の底から悔しかった。

 そんな、目だけでも残った意思で抗おうとするシンデレラを前に――彼女の父は、不興で僅かに顔を顰めた。


「……困ったな、神父さん。前に言ってたことをお願いしていいかい?」

「へえ、なんだったかな? ははっ、ああ――……そうだね。そうだったそうだった。任せなよ。イケない子にはお仕置きをしなきゃ、だからなァ」

「本当に頼むよ。……きっと、男を知らないからこんなふうになったんだろうね。身体ばっかりは無駄に女になってるのに……中身が子供なのは、困りものだ。見ての通りの駄目な娘だけど、ちゃんと大人を教えてやってくれないかな?」


 どこか、遠い国の常識で話しているような会話。

 愕然と――それが益々愕然とシンデレラを叩き落とし、だからこそ彼女は金縛りから解かれたように声を上げることが叶った。


「娘を――……娘を、売ったんですか!? 娘の体を、道具みたいに……道具みたいに、娘を女として!? そんな、そんな見知らぬ人に――わたしのいないところで!」


 叫びに合わせて金糸の髪が揺れ、涙が宙を舞う。

 だとしても、白衣の男は――と、咎められたり責められたりしたというよりは、本当にただ娘が癇癪を起こしているのを目の当たりにしたように中指で眼鏡を押し上げた。


「そうやって気に入らないと無駄に騒ぐところは母さんそっくりだな、シンデレラ。……別にそう難しく考えなくてもいいだろう? エメリアくんなんて、にしてるんだよ。キミぐらいの年頃なら普通なんだろう、それ」

「――」

「全く……男の手をわずらわせるなんて、女として恥ずかしいと思わないのかい? 同い年がそう出来てるんだから、まさかできないなんて言えないだろう? 身体だけなら、キミの方がよっぽど立派に女みたいなんだから」


 無遠慮に、肌に張り付くパイロットスーツ越しに胸元や太腿に目をやる父。

 それはとても父の目線ではなく、残酷に値踏みして査定するような男の目だった。


「はぁ……まさか、ぼくの教育が悪かったなんて言わないよね? いや……これでも十分な教育は受けさせてたはずなんだけどな。親の心、子知らずって言うのはこういうことなのか。だとしたら困ったものだよ」


 もう、何一つ受け入れられない。

 死んだのだ。

 シンデレラ・グレイマンという少女の心は、仕事で聖誕祭も祝わない親の――それでもそのプレゼントを待っていた幼い少女は、今日この日、殺されたのだ。

 だというのに、


「試してばかりで……親の愛が欲しかったんだろう? 上手くやれたら、愛してあげるよ。研究対象としても、女としても。だからあまりワガママを言ってぼくを困らせないでくれないかな、シンデレラ」

「――――――――――、」


 父は、父を続ける。醜悪な生き物を続ける。

 何を口に出したかは覚えていない。

 それから、何を言われたかも覚えていない。


 ただ、金髪を振り乱して泣き叫ぶシンデレラが、背後から羽交い締めにされるように掴まれて、抗いきれない男の腕力と機械義肢の無情な圧力を両手首に感じるそのときに――突如として鳴り響いた艦内の警報。

 敵機の接近警報。

 彼女の股の間に押し上げるように膝を入れた神父服のギャスコニーが反射的に顔を上げると同時に、シンデレラはその両腕を振り払って格納庫を目指す。

 涙が、汗が、ガラス粒のように宙を流れた。

 彼女はただその機体を――今となっては唯一の居場所となってしまったそこを目指す。下ろされかけていたパイロットスーツのジッパーを、胸元から引き上げることもできずに。


 上がった息は戻らない。

 砕けた心は戻らない。

 投げかけられた侮辱の言葉は、膝に玩ばれた身体の熱は、首筋を伝う凍りつく孤独の喪失感は、胃から込み上げる醜悪な現実は、何ひとつも拭えない。


 ……だが、最悪というのにはまだ続きがある。



 ◇ ◆ ◇



 迎撃のために宙域に展開し――母艦を遠く離れた機体から、無線の波に乗って声が上がる。


『父さんに銃を向けるのか! 娘が! 信じられない……娘が父親を殺そうとするのかい!? あんな組織のために! なんて親不孝者なんだ! 誰がここまで育ててやったと思ってるんだい、キミは!』


 シンデレラの黒騎士霊ダークソウルのグレネードランチャーの銃口が、戸惑うように空を漂う。

 出撃した白銀胴の【ブロークンスワン】に続いた二機――胸に金の十字を持つ漆黒の人狼【オルゴール】と、天使の如き加速装甲を持つ皆純白の【ホワイトスワン】。

 最早唯一の実力者として一人先陣を切り続けることになっていたシンデレラに、今では続く機体もいない。

 だというのに、この日は続いた。

 先程シンデレラを甘い地獄に堕とそうとしていたアーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーと、エリック・グレイマンその人が――続いていた。


「う、う……うううう、うう、うううう…………!」


 噛み締めるようなシンデレラは、何とか奮い立ってくれた理性を、それでも感情に呑み込まれようとしていた。

 母艦が見えなくなってしばらく、自分の後に他のアーセナル・コマンドが続いたことを訝しんだシンデレラに告げられた――父と傭兵の男からの信じられない提案。

 彼らは、【フィッチャーの鳥】に投降しようとしていた。

 ギャスコニーは契約期間の満了を理由に。父エリックは不当な扱いを理由に。

 シンデレラしか迎撃に出撃しないからこそ好都合だったと言ったその口で、自分と共に投降しなさいと言ったその口で、今度はシンデレラを責め立てる。


「全く……何も死ぬことはないと思って勧めてあげた親の愛も分からないなんて……本当に、本当に救えない娘だな。これ以上、ぼくから何が欲しいんだい? うんざりだよ、ぼくは」


 そして、【ホワイトスワン】の背部大型レールガンが展開する。その銃口は無論、シンデレラの【ブロークンスワン】に目掛けて。

 放たれるのだ。遠慮などなく。容易く。娘を平手で撃つかの如くに。

 当たることはない。如何に開発者といえども、優れた駆動者であるかということとは別の問題だ。――エリック自身が如何に考えているかはさておき。


 弾ける紫電。反射的な推進炎。シンデレラの身体にかかる加速圧。

 空を切り、弾丸は暗黒の宇宙の彼方へと飛翔していく。

 それは感情や理性ではなく、もう回避に付随する反射であった。敵弾を躱すと同時にグレネードランチャーの大型の銃口を向け、


 ――〈それで、オレを撃つのかよ、シンデレラ〉。


 リフレイン。

 潮位いっぱいに張り詰めた心のコップを揺らすフラッシュバック。思わず引き金を止めてしまう、身震いするほどの吐き気の奔流。

 それが、致命的な隙だった。

 放たれたレールガンの弾丸が、【ブロークンスワン】の白銀の胴を一直線に目指して――――しかし上がった爆炎。咄嗟に行った応射で、弾丸で弾丸を迎撃した。

 だが――……ああ、やはりそれは致命的な隙だったのだ。


「は、は――――足りないなあ、実戦経験が。


 爆発を掻き分けるように迫る完全漆黒ジェットブラックの人狼機械。両手に握ったプラズマライフルが紫炎を懐き、ブレードとして機能する。

 応じる間もない。

 内から振り上げられる一閃。群青色の右腕が飛んだ。

 外から振り下ろされる一閃。群青色の左足が飛んだ。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ、っっっ」


 最早、自身の肉体同然に脊椎接続アーセナルリンクを行うシンデレラにとってそれは――文字通り四肢を斬り落とされるに等しい衝撃。

 機体内部の状態センサーが伝える電流は脊椎を伝わり、ただの電撃的な拷問としてシンデレラの脳へと流し込まれる。

 瞼が千切れんばかりに見開いた琥珀色の瞳に、どうしようもない涙が浮かんだ。痛みに胃液が込み上がり、反射的にヘルメットの中を唾液が散って糸を引く。


 だが、それにとどまらない。


 更に振り下ろされた一閃が左腕を奪い、もう一撃が右足を奪った。シンデレラの五体を、食い千切った。

 達磨同然にされた【ブロークンスワン】の内側で、声にならない悲鳴が上がる。反射的に失禁し、喉が破けぬばかりの絶叫が上がる。

 しかし、強襲者はそんなことを気にも止めずに【ブロークンスワン】の頭部を掴み、そして、


『……おいおい、仲間割れか?』


 呆れるような通信が、狂い出しそうなほどのシンデレラの耳に――かろうじて届けられた。


 あの、赤銅色の機体。

 強襲制圧を体言するようにアサルトライフルとレールガンを携えた、大剣じみた二門のプラズマカノンを背負った暴力の化身。

 声を出す余裕は、脂汗を浮かべるシンデレラにはなかった。喉からは、言葉にならない喘鳴と唾液だけが漏れていた。

 そんな中で、一切の危機感なく父は応じた。


「ああ、ちょうどよかった。実は今からそちらに戻ろうと思っていてね……いや、色々とデータも手に入れたし、ちょうどいいも手に入ったからね。役に立てると思うよ」

『へえ?』


 僅かに声を上げたエディス・ゴールズヘア大尉は、しかし、


『ま、

「――――――――は?」

『新型機の奪還は頼まれていないんでな。当初はさておき、管理AIの調整の面倒な【ホワイトスワン】は次期高性能ハイエンド量産機として不適当だ、ということになった。知らんかもしれんが、並行して開発されていた【コマンド・リンクス】がハイエンド機としては十分に要求水準を満たしている――と判断された』

「な、なんだって……!? あんな、ただジェネレーター出力を増やして、それで無節操に力場の出力を強くしただけの機体が……!? あんなもの、ナタと同じだろう!?」


 狼狽えるような父に対し、肩を竦めるような口調で言葉が返される。

 それはつまり――


『いや、その機体が十分にデータを取れていたなら判らんがね。残念ながら、ろう? 決定を覆せるだけの有意なデータが、存在してねえんだよ』

「――――な、」


 ――エリック・グレイマンの、を意味していた。


 無慈悲に、無関係に振るわれる断罪の刃。

 悪事をしたから咎められる訳ではなく、悪行を為したから裁かれるのではない。

 ただ本当に単純に――それは愚かで、蒙昧で、救いようがなかったからこそ訪れる必然の結末。

 定理じみていた。

 感傷や倫理ではなく、――――そんな過ちを断つかの如き、冷徹な刃。


『それにもう――狩人計画は始動してる。高性能を謳うなら――次世代型の単なる一機の性能としては、

「――――」

『とは言っても、まあ、その何やらのデータを持ってくるなら俺の一存で投降を認めてもいいが――』


 僅かに理解を示すような、兵としての良識を残すようなエディスの提案。

 だが――ああ、知れているだろう。

 知れているのだ。己の論理が絶対かの如くシンデレラに告げていたそれは、裏返しのできない自負の現れだ。自負であり、そして劣等感だ。


 女を見下すのも――女に見下されたくないから。

 つまり或いは、見下されてきたから。そうだったから。


 積もり積もったそれが積み重なって、いつしか自分自身を慰めるための虚勢や嘘が彼の中の真実になった。真実の物語になってしまった。成り果ててしまった。

 物語に暮らすものは、その終焉を受け止めきれない。受け止められない。

 例えばそれは未だに戦争の終わりを受け入れぬ宇宙の兵であり、或いは焼ける海上の都市を生み出した傭兵の少女の慟哭であり、そしてこの場においては――エリック・グレイマンという一人の技術者が至る必然の帰結だった。


「ふざけるな……! あんな、あんなどうしようもない機体が……! 何ら革新的な技術もないあんなものが……! それにぼくより優れたものがいるだって……!? これだから理解のない軍人は……! 解っているのはぼくだけか!?」

『……お前は、自分の状況を判っていなさそうだけどな』

「解っているさ! 別にキミたちが全てじゃあないんだ! もういいさ、保護高地都市ハイランド連盟なんて……! この研究の意義を理解できないなら、望み通りに手放すことだね! こっちには他にも取引相手はいるんだよ!」


 己の思考の音を脳髄に響かせすぎた男は、それに促されるそのままにレールガンの銃口を解き放ち、


「ああ――そうだねえ。他にも、取引相手は確かにいる。あんたを見る目がない軍部なんてのは、願い下げだ。――なあ、そうだろう、先生?」


 それを助長し続けた宣教師にして伝道師は、ただ媚びるように愉悦の声を上げた。


『……なるほど、投降の意思なしと。まあ、何でも構わんがな』


 僅かに困ったように、エディスはそう呟いた。

 シンデレラは、放られる。

 四肢を失った機体は、何者でもなくただの路傍の石のように――脇に放られる。

 父は、自分を見向きもしない。

 こんなときにもなってそう思ってしまうのはシンデレラの弱さというより――……ある種の確信が齎した、最期の予感によるものなのだろう。

 刃の羽を持つ武装した天使の如き純白の【ホワイトスワン】と、神父を務める人狼の如き漆黒の【オルゴール】の二機が、重火力と強襲の化身である赤銅色の【ジ・オーガ】に向かい合う。

 そして、


「これでも、自分で作った機体だ。特性は良く判ってる。そんなただ襲って壊すだけのつもりの下品な機体になんて、ぼくの【ホワイトスワン】は――――、え、」


 響くは、困惑する父の声。

 それを聞き届けながら――くつくつと、笑い声が響いた。

 あまりにも酷薄な、男の声。有無を言わさぬ漆黒の声。


「取引相手、紹介するぜ? で待っていてくれるだろうよ。なあ、先生?」

「なんだ、この、プログラム。力場を――力場に、過剰電力を強制的に……!? なんだ、こんなの……こんなのは、ぼくは知らな――――」

「斯くの如くあれかし、だ。なあ――……?」


 そんな言葉と共に――。

 翻る銃剣。背後から、刃の羽を狙われた武装天使。

 過剰圧縮に向かう力場を抱えた【ホワイトスワン】に撃ち込まれるプラズマの炎は、更に力場により圧縮され、機体を覆う炎の球体と化した。


 真空に、紫の球が浮かぶ。


 生きながら焼かれている。

 焼かれながら生きている。

 死ぬまで焼かれ続けて、潰され続ける――一個の爆弾のように。ただの兵器のように。

 解き放たれれば強烈な爆炎を生み出すだろうそれは、その神父にとって――なのだろう。


 それは、死すら生ぬるい苦痛にして、己の優秀さを自認していたエリック・グレイマンにとってはこれ以上ないほど最悪の末路。

 お前の価値は、ただ、一個の爆弾として吹き飛ぶだけ。

 娘を裏切った男は、皮肉にも信頼していた男の裏切りによって命を落とすのだ。――すべてのその業の種が、己を養分として芽吹くかの如く。


『一人勝ちはお前だけ、ってことか? 煽動家アジテーター

「ははっ、嫌だねえ――……おれは、データをくれなんて一言も言っちゃあいないんだ。なのに、渡してくれてた。嬉しいねえ。ははっ、ああ――……主よ、御恵みあれ。斯くの如くあれかし、さ」

『で、お前は投降するってか? 認められると思うのか、懸賞金付きの煽動家アジテーターが』

「言ったろ? って。……傭兵は信用が第一なんだ。ってことは、つまり、ってことさ。……なあ、兵士の旦那?」


 惑わす怪物。

 指先で堕落と快楽を齎すもの。

 外宇宙的な神性の眷属じみて、或いはその信奉者めいた神父の声。

 彼のその提案は――……本当に、どちらでもいいのだろう。なんでもいいのだろう。

 受け入れられなければエリックを爆弾に有利を取り、受け入れられたなら晴れて新たな契約先を見付ける。


 或いはそれすらも戯れなのか。


 何にしても――弄ぶだけなのだ。あの神父は。すべてを。何もかも。ただ冒涜するだけの冒涜の化身。

 理性と倫理の対極にあるもの。

 堕落と失墜を体言するもの。

 秩序と善を嘲笑うもの。

 そんな人狼に――……喰い潰された。ただ、それだけの話なのだ。これは。


「負けるもんか……! 負けるもんか……! 負けるもんか……!」


 シンデレラには、その男たちの結論を捉えることはできない。

 喰い飽きた骨付き肉のように放られて、暗黒の宇宙に捨てられるだけ。

 でも――ただ睨んだ。

 遠ざかっていく二機を睨んだ。

 絶対に屈してなるものかと、四肢を奪われてなお睨んだ。


 それでも、


「う、う、うう……ああ……ううう、あああ……ううっ、ううう――――あああ、ああああああ――――…………」


 堪えきれずに、喉からは嗚咽が漏れ出していた。

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