第74話 シンデレラ・グレイマンという少女、或いはその苦境



 それは、シンデレラ・グレイマンが十二歳のときだった。


 残党の掃討による戦争の完全終結宣言からから半年を経ぬ――星暦二一一年の十月頃だったろうか。

 過激派の――一種と呼ぶべきか。

 父が軍の技術大尉として、母がメーカーの研究技士としてアーセナル・コマンドに携わっていたが故に起きた誘拐事件。


 初等教育過程も終え中等部になってからすぐの帰り道、シンデレラ・グレイマンは顔に麻布を被されて攫われた。

 建築現場のガラ入れのようなザラついた肌触りの化学繊維。

 それを頬に感じながら、視界を奪われ、男たちに誘拐された。


 目的は父母の研究――その情報。


 或いは戦争の終結からさほど経たぬその中で未だ攻撃的な軍事研究を続ける保護高地都市ハイランドへ、大戦時は中立だったというのにその軍事施設の建設を許した空中浮游都市ステーションへ、示威や警告も含めた行動だったのかもしれない。

 白昼堂々とした、しかし、有無を言わさぬ迅速な犯行。

 結局事件は、誘拐現場に偶然居合わせた軍人による通報と――その後も車両を追跡し、父母からの返答に激昂した誘拐犯による暴行を防ぐためにシンデレラの身を案じた彼女の単身突入。

 そして駆けつけた警官隊により、シンデレラのその身に決定的な事態が起こる前に終息した。


 しかし――心は、そうも行かなかった。


 男たちからの酷く侮辱的な言動。命の危険や、性的な危険というストレス――――。 


『全く……男だったなら、いちいちそんな心配も必要なかったのに』


 研究に打ち込むまま帰ってこない母と、軍から促されて身柄を引き取りに来た父。

 カウンセリングが必要だ――と医官から告げられた父は、女医が去るなり、そう酷く煩わしげに呟いた。

 その後、両親が、家に籠もるシンデレラに付き添うことはなかったのだ。


 ……ただの、一度たりとも。



 ◇ ◆ ◇



 遮ることなき真空を進む電波に、少女の叫びが乗る。


「皆、絶対に出てきちゃ駄目です! 今まで以上に――誰も出撃しないでください! 絶対に! は――人の命を食べるための機体だ!」


 あのヘンリー・アイアンリングとの邂逅――その迎撃から続く、幾度目かの追撃戦。

 これまで多くのアーセナル・コマンドと宇宙艦隊を撃退してきたシンデレラ・グレイマンをして、それは、ものが違うと言わざるを得なかった。

 群青色の手足を持ち、白銀色の胴鎧を持つシンデレラの【ブロークンスワン】。両腕の兵装はグレネード投射砲。その両肩部にはレーザー照射装置。

 群青色の腕部が稼働し、その野太い銃身が追随する。

 視線の先――黒深き暗黒の宙域に浮かぶターゲット。幾本もの金色のワイヤーを靡かせて、放たれたグレネード弾を危なげなく回避する赤銅色の機械騎士。


 ――新型。


 その意匠はどこか、第二世代型高性能ハイエンド量産機【黒騎士霊ダークソウル】を思わせる鋭い騎士鎧めいていた。

 船を数多沈めた氷塊の如き鋭く流線型の胴を中心に、体幹から末端めがけて放射状に広がっていく鋭角的シャープにして武骨でソリッドな印象を抱かせる機械四肢。

 要所が先鋭的に尖って突き出したデザインのその機体は、ステルス性と表面積の増加を両立させようとしている姿である。


 鉄火場に降臨する悪魔が殺戮機械として受肉したか。

 戦場の死を喰らう不浄の炎が凝縮され、獣人じみた肉体を得たか。

 それとも、歴戦の騎士持つ刃めいた殺意が金属の五体を為したか。


 言わば、強襲という言葉がそのまま装甲を組み立てて纏ったかのように――鋭く尖り、そして何よりもたくましく圧倒する威圧感を放つ機体だった。


 赤銅色に輝く胸部及び胴部では、山型に尖った装甲板が複数組み合わされて、あたかも板金という飾り気のない単なる金属の板を騎士たるものの鎧の威容に整えたかの如くに――或いは、古代から残存する英雄をかたどった石像彫刻の微細な筋肉群の如くに、凹凸を持って表面積を増大させている。

 その尖鋭的な両腕に握られたのは、甲骨魚類の大顎めいた武骨で重厚な銃身を持つ大口径のアサルトライフルと、天使が携えた錫杖めいて涼しいほどに歪みなき銃身を持つレールガン。

 両後背部のウェポンラックには、場違いな大剣じみて二本が懸架された大型プラズマカノン。それは展開と同時に銃身が裂け、強烈な力場にて気体を圧縮して超高温で撃ち出す砲台である。

 直刃の如き肘装甲が後部まで飛び出したその前腕は、それが即ちはプラズマブレードの発振装置なのだろう。


 無数の金の髪を棚引かせた、銅色に輝く重火力の粛清騎士。


 圧倒される完全武装。

 まさしく、単機にての完全制圧――至短時間による強襲制圧/完全破壊。

 アーセナル・コマンドの設計当初の理念をそのまま形にしたような暴力の化身。

 どこか戦鬼じみた意匠の頭部を持つ機体であった。


(この人――……強い……!)


 何よりも目を引くのは、その強襲的な赤銅色の機体にあってその内――胸に輝く、金の髪を棚引かせた戦鬼オーガのエンブレム。

 それは、シンデレラも知っていた。

 情報誌や個人サイトで幾度も目にした、前大戦の撃墜数ランクに名を記す――個人にて星に刻まれた兵士。


『悪いがこっちも仕事なんでな。片付けさせて貰う』


 エディス・ゴールズヘア――。

 三十四歳、元空軍大尉。

 開戦前から空軍の戦闘機パイロットとして勤め上げた生粋の軍人。獅子の如き金髪を持つ灰眼の偉丈夫。そして奇襲にて航空機を失った【星の銀貨シュテルンターラー】戦争においても反抗作戦に従事した、数少ない【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】の生き残りにして、その

 いや――こう言ったほうがいいだろう。


 ――始まりの駆動者リンカー、と。


 脊椎接続アーセナルリンクがこの世に生を受け、それが軍事技術として反抗の灯火になったその日に――。

 彼は最初の駆動者リンカーとして、地上に降り立った。

 アーセナル・コマンドという急造された人型機械の、その使い手。無銘の騎士。鉄の鉄槌作戦スレッジハンマーにこそ参戦が叶わなかったために撃墜数上位陣には組み込まれぬものの、その実力は総司令部の防衛を任されていたと言えば知れるだろう。

 鉄の鉄槌作戦スレッジハンマー以前の、撃墜数第一位。

 機体不調により敵勢力圏に墜落しながらも生身のまま帰還した超越者。

 そして――狩人連盟ハンターリメインズの被検体第一号にして、サブリーダー。無冠の英雄ネームレスワン金糸の戦鬼ゴールデンオーガ


『投降は呼びかけんぜ。テロリストに、それは、認められてない。足を止めたければ――……まあ、運が良ければ撃たれずに最後までやり過ごせるかもしれんがな。どうする?』

「誰が、貴方がたになんて――」

『だろうよ。投降するなら、初めから戦っちゃいねえ……か? ま、なんだっていいさ。こっちも任務でな』


 その左腕部の錫杖じみたレールガンが、緩やかに顎を開いた。

 充填された電力。上下にかかる紫電の糸。

 途方もない殺意の収束――――放たれる極超音速砲弾。


『大人しく――……しなくてもいい。してもいい。ただまあ、俺は撃ち落とす。何をしても、変わらんさ。せいぜい祈ることだ、敵兵』


 咄嗟に奥歯を噛み締めて瞬発回避をしたシンデレラの眼前で、コクピットの全周モニターで、睨みつける先で――右に左に、赤銅色の影が飛ぶ。慣性を無視するかの如き軌道は、機体の先を読ませない。

 恐るべきはその反射か。

 先読み的な予測をするシンデレラのその銃口の動きを認知――それもバトルブースト中に――し、後出し的に、しかし発砲に先んじて回避機動を行っていく。思考すら介さず。一瞬の火花の瞬きめいた反射で。

 向けるグレネードの銃口が、放たれる擲弾が空を切る。

 そこには、何の不気味さもない。アシュレイやヘイゼル、ロビンのような未来予知めいた行動予測が存在しない。


 ただ単に、のだ――。


 慣性無視のバトルブーストといえど、実際は、超常的な力でもなく単に慣性を塗り潰すほどの加速度で機動を行っているだけ。人体に、或いは機体に、その加速圧の影響は多少なりとも残る。

 だが、眼前の赤銅色の粛清騎士は、まさにそのバトルブーストの最中に機体の手足を動かし、無視される筈の慣性を拾い上げている。

 或いはそれは細かなバトルブーストの移動距離の違いに。或いはバトルブースト後の射撃姿勢への僅かな隙に。

 その機体は、予測される“通常”を塗り替える。ほんの僅かな、しかし、降り積もれば無視できない差としてそれを積み上げているのだ。


 粛清騎士が踊る。金色髪の鬼が躍る。


 幽玄の舞の如く流麗、或いは這い回る蛇の如く粛然、それとも機械めいた非生物さの静寂と――そう呼ぶべきか。

 敵機の加速の最中に放たれたレールガンを、つまりは酷く通常の戦闘常識の意識外から襲い来るそれを、シンデレラも直角に回避していく。

 だが――……つまり、距離が詰まるということだ。

 攻撃を躱すと同時に反撃を繰り出せるエディスと、運動エネルギーが肝要が故に回避後に擲弾砲を使用するシンデレラでは、その機動にかかる差が歴然として現れていた。


『……似合わん装備だな。他人の真似をしても、それは、お前じゃない』

「何を――」

『ああ、悪いな。癖だ。今はこれでも、昔は教官をしてたもんでな――――筋のある奴には教えたがりだ。ちなみに、そろそろ、殺しにかかる』


 言葉と共に赤銅色の敵機――【ジ・オーガ】の肩部の装甲板が弾けた。

 否、展開したのだ。

 さながら悪魔蝙蝠の骨組みめいた羽の展開か。漆黒の増設装甲板がフレームで繋がったそれは、明らかに加速装置であるだろう。

 ワンオフの完全強襲制圧機。

 その真価を発揮される前、反射的に――しかし的確に、シンデレラの駆る【ブロークンスワン】の肩部レーザーが稼働し、敵機のセンサーを光速で居抜きにかかり、


『ブリルアン振動――レーザーがプラズマで乱されるのは知らなかったのか、新兵? 科学の勉強が必要だな……生憎とお前には、死しか教導できんが』


 だが、僅かに曲げて盾にされたその腕に、そこから海棲物のヒレの如く放射されたプラズマブレードによって防ぎ止められる――否、散らされる。

 一体、何たる神業というのか。

 光速のレーザーにピンポイントに防御を行うその業前わざまえ

 それは背筋を凍らせるには十分だ。いや、正しくは、


(この人、まだ、本気じゃない――――)


 それすらも児戯同然とした心持ちであるとが恐ろしいのだ。

 明確なる腕前の差。

 そして埋めようのない機体性能の差。

 ハンス・グリム・グッドフェローやヘイゼル・ホーリーホックを変えようのない冷たく重い鋼鉄めいた死と呼ぶならば、この男はどこまでも生物的で野性的な絶えず動き続ける死だ。獣の狩りだ。或いは彼こそが狩人か。


 シンデレラは歯噛みする。


 グレネード弾が空を切る。敵のレールガンを何とか避け抜け、しかし、降り注ぐライフル弾を躱しきれない。装甲が砕け、銀血が舞う。

 頭で思い描く回避に、頭で思い描く攻撃に、機体と武装がついてこない。

 差し込みたい隙に撃ち込める攻撃がなく、今まさに躱すべきであろう機会には機動が遅い。

 少なくとも【ホワイトスワン】ならば、今それを使うならば食い下がれるというのに――か細い糸を渡り続けるかの如く神経をすり減らし、それでも良くてジリ貧と言わざるを得ない程度に押し込まれていく。


 瞬くマズルフラッシュ。瞬く推進炎。


 死の真空に吹き荒れる嵐の如く、二体の機械騎士が会戦する――それは流星にも似て。火花を散らす死の遊戯だ。超高速の殺意の応酬が、一個の花火絵図の如くに暗黒の宇宙を彩る。

 衝撃と共に【ブロークンスワン】の力場が削られ、その装甲が砕けていく。致命を回避しても、全弾に気を払う余裕がない。

 コックピットの中で冷や汗を滲ませて苦く歯を喰い縛る金髪のシンデレラと、さして変わらぬ様子で涼しい顔で機動する金髪のエディス。

 だが、不意に――飛来するプラズマ砲を避けると同時に、その男の顔が歪んだ。


『……嫌な気配だ。お前、第十位か?』

『へえ? おれのことを、覚えていてくれるのかい? ああ――誰だろうね。随分切り刻んだから、生憎――……ははっ、アンタ、兵士だね』

『そりゃあ、そうだろ。なあ、テロリスト?』

『残念、おれは傭兵さ。……アンタも、脳に瞳を得たのかい? 穴を空けたかい? ははっ、ああ――――? ? 或いは、それとも――……』

『……ぐだぐだと、うるせえ奴だな。弱い犬ほどなんとやらか?』

『好きに考えてくれよ、旦那。確かめてくれていいんだぜ? なあ――……もっと強く。もっと激しく。おれのことを求めてくれよ』

『……そういう趣味はねえんだよ。戦場で、うだうだ乳繰り合う趣味もな』


 吐き捨てるような言葉と同時に、【ジ・オーガ】の背部の大剣が花開く。

 改めて背負い上げるかの如く、機体上部から前方へと掲げられたそれは四股に割れ――鮮烈なる紫電を弾けさせた。

 大口径・大出力のプラズマカノン。

 大物食いには向いても、素早い手練相手には向かない兵装だろうが――――或いはそれは、彼の圧倒的な自負故なのか。


『随分と昔の同僚を殺されたよしみだ。お前には、死を教えてやる』

『は、は――……いい言葉だな、兵士。でも、アンタは、全てを焼き尽くす暴力とは言えない――……怒りは或いはもっと理性的に、合理的に振るわれるものさ。アンタは、嵐には遠いぜ?』

『そんなものは、もう怒りとは呼べねえんじゃねえか? ――死にな』


 大電力がそのエネルギー兵装へと集中し――それと同時に、その姿が掻き消えた。

 力場と推進剤の相互作用にて繰り出される急速近接戦闘機動――バトルブースト。第二世代型のアーセナル・コマンド以後に実装された白兵戦機動。アーセナル・コマンドを殺し、それ以外を踏み躙るための絶影の歩法。

 だが、その利用には相応の出力を要求される。

 優れたジェネレーターを有すれば立て続けに行えるものではあるが、彼の機体の兵装から推察してもプラズマカノンの展開中は一度――使えて二度、だというのに。


(また、消えた――!?)


 加速の最中に射手の姿を見せずに宙空から放たれるプラズマの砲火――更に加えて、なんたることか、有り得る筈の運動後の減速が存在しない。

 影を絶つが如く、姿を分けるが如く、空間を跳び続ける赤銅色の悪魔騎士。まるで足を止めずに、大出力のプラズマが降り注ぐ。降り注ぎ続ける。誰もおらぬ真空から、バトルブーストの噴炎に遅れてプラズマ炎が飛来する。

 いや、それは正確ではない。

 撃てば撃つほど、それは、不規則に加速していた。


 プラズマ圧縮のための力場を、発射後それが解放されると共に――あたかもバトルブーストの如く利用しているのだ。

 本来ならただ発散されてしまうであろうそれを利用するなど、如何に彼が優れた駆動者リンカーであるというのか。

 幽鬼がステップを踏むように、空間から掻き消え――プラズマ炎が迸り、減速のその瞬間には再び跳躍する空戦機動。絶えず行われ続ける射撃と運動。


 失われ行く星の瞬きか。


 瞬き、飛び散る紫の炎。

 銃口予測などさせない、軌道予測などさせない、それを行う手練を殺すための機体――そうとしか呼べなかった。

 大物食いには向かないと言ったが、それは完全なる誤りだろう。

 この兵装を解き放つということは、それ即ちが殺害するという意思そのものだ。厳然たる殺意であり、決意だ。

 無制限に行われるバトルブーストと、無制限に降り注ぐプラズマ炎。それに耐えうるだけの肉体性も、精神性も、あらゆる意味で極限まで練り上げられている。


 一つの人類の到達点――――そうとしか呼べぬ錬鉄の極限が、この、エディス・ゴールズヘアという男であった。


 しかし、幸運と言うならば――……。


『はは、いいねえ――やっぱり兵士ってのは、それがいい。これがいい。だが――……ああ、


 逆脚の狩人狼ワーウルフが、胸に金の十字架を持つ完全漆黒ジェットブラックの人狼が笑う。プラズマ炎を躍るように避けながら、赤き光学センサーを剥き出しに――歯を剥いて笑う。

 爆炎が上がる。降り注ぐプラズマを宙に散らすための、グレネードの迎撃が花開く。

 この場にいるシンデレラ・グレイマンも、アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーも、単にそんな視覚情報だけに頼る駆動者リンカーではなかったという点だ。

 読むのは銃口ではなく、殺意。

 辿るのは軌道ではなく、未来。

 既存の人類の枠組みに囚われない、ある種の規格域外イレギュラーワンである彼らだからこそ、その錬鉄なる死に飲み込まれずに済んだと言える。


 ……否。


(この人、まだこれで、本気でもない――――)


 シンデレラ・グレイマンは凍りつく。

 彼女は類まれなる能力から、正しく、を理解していたと言えよう。

 獣に振り回されるのも、獲物に振り回されるのも、それは、全く以って狩人とは呼べぬのだから。

 或いは、ギャスコニーとてそれを知っていたかもしれないが。


『……おい。銃付きの剣と、剣はどっちが強いんだろうな』

『は、は――どうしたんだい、旦那?』

『一応、言っておこうと思ってな。敗因ぐらいは、知りたいだろ? ――銃として振るわれる剣に、銃剣じゃあ敵わない』


 エディスの言葉と共に、機動中の赤銅色のアーセナル・コマンドのその頭部が、鬼の顔面が稼働する。

 火花散る、電磁的接続の解除。下顎部が下方へと開帳し、上顔部が左右に割れる。さながらそれは大口を空けた鬼か、それとも一つ目と化した鬼か。

 頭部光学センサー面積の増加。――一体何のために?

 そんなもの、決まっている。


『コード:【嵐の裁定者ストームルーラー】――ギア・セカンド。……三分間だけ、付き合ってやる』


 装甲板が火花と共に花開き、それは加速のための増設装甲板の如く機体の外部で身を起こす――背びれの如く。剣の如く。

 剥き出しになったその骨身は、白銀に輝いていた。

 言うなれば、赤銅色の劔刃甲冑に覆われた銀色の巨人。

 極めて――――極めて純度の高い流体ガンジリウムが、その巨人の内骨格の骨組みの外に纏わり付いていた。いや、鎧によって押し込められていたというべきか。

 それを表に出した。

 顕現――――暴力の。その設計思想の。唯一性の。顕現。


『は、は――……駄目だね、それは』

『ん? どうした?』

『ああ、対処ができないって意味じゃないさ、旦那。――アンタにそれは、似合わないってことだよ』

『決めるのは、お前か? 俺か? 三分後に同じ口を叩けるなら一考してもいいが――』

『いや、無理だろうね……は、は――分が悪い? いいや、悪いのは、分でもおれでもなくて――さ』


 その這い寄るような笑い声と共に、全員のコックピットに響き渡る警報。

 救難信号だ。

 民間船の――救助を呼びかける信号。宇宙海賊という、ある意味傭兵と同様にあの戦争が民衆に齎した武器の残り香が作った戦の火。


『選べよ、。お前がするのは防衛か、撃墜か。――さあ、狩場はここだぜ? なあ、ハンター? どうした、おれを墜としてみな――試そうじゃねえか! 剣か、銃剣か!』


 ギャスコニーの声が、雄々しく染まる。

 両手足の銃剣を構えて、漆黒の第二世代型アーセナル・コマンド:狩人狼ワーウルフの頭部バイザーが解放される。

 笑う人狼。

 対する狩人は、


『……やってくれるぜ、テロリスト』

『言ったろ? 。それも、もうすぐクビになっちまう――……ああ、そうなったらアンタと戦う機会ももうないだろうねえ?』

『言ってろよ。懸賞金付きが。保護高地都市ハイランドはお前を見逃さねえ。……狡い手を使いやがって』


 解き放った銀の肉体をそのままに、急激に加速して去っていく。

 彼が放とうとしていたその業。それはおそらく、恒常的にその機動全てをバトルブーストにするという力だったのだろうか。

 或いはそこからまだ、先があるか。

 練り上げた狩人は、鍛え続けた兵士は、去っていく――それは或いはにも似て。


 そしてシンデレラの苦境は、まさに、ここからだった。



 ◇ ◆ ◇



 そして、航空宇宙巡洋母艦『アークティカ』の船内にて。

 整備兵の待ち受けるその格納庫で、シンデレラの心を覆うのはただ憂鬱――それを通り越した危機感だった。

 骨子のいくらかを機械に置換し、内臓の幾分かを失った身体。機体との接続が解除されれば、死に至る肉体。

 パイロットスーツに包まれれば、醜いその継ぎ接ぎだらけの身体を隠すことはできた。

 コックピットに留まり続ければ、形だけは五体が取り繕われた人形じみた自分を表に出さずに済んだ。


 今まで、その秘匿はできた。傷を負うことのない戦闘と学習型の機体管制AIと彼女自身の類まれなる能力により、軽微な整備のみを必要とすることで難を逃れた。生活の殆どを機体で行うことはできたのだ。

 敵へと備えるために、腕を磨くためにシミュレーターを行い続けると言えば――かつてハンス・グリム・グッドフェロー大尉の部下だったという過去から――訝しみながらも受け入れられた。

 噂される彼の過去のその研鑽が、シンデレラの今を守ってくれた。ここでも自分を守ってくれるのだと、己の身体を抱き締めた。


 だが、今回ばかりは困難だった。

 いや、不可能だった。明確に――。


「そうは言っても万が一があったら、困るだろう? 壊すのは簡単かもしれんがね、直すのはそう楽なことじゃないんだよ」


 軽い整備で済ませてくれというシンデレラに、その整備兵はそう返した。


「だから、何度も大丈夫だって言ってるんですよ! 接続してる駆動者わたしが! それに――別の機体の手足ならあるでしょう!? それを付け替えて終わりでいいじゃないですか! その細かな調節は、あとはわたしがやれば!」

「だから――代わりのパーツなんてのは、簡単にはいかねえんだよ! 正規軍サマはどうか知らんが、レジスタンスってのはモノが限られてるんだ! そうそう付け替えもできねえだろうが! 他のモンが使えなくなる!」

「……他? わたし以外の誰が使うんですか、今! 誰が! 誰が一体、あんなのの相手ができるんですか!」

「それは……」


 整備兵が言葉を詰まらせ、そして、苦々しく吐き捨てるように続けた。


「ったく、だとしても言い方ってのがあるだろお嬢ちゃん。いいか、軍隊ってのは一人で成り立ってるんじゃないんだよ……正規軍で口の聞き方までは習わなかったのか?」

「レジスタンスと言ったり、正規軍と言ったり、貴方は今どこにいるんですか! 都合のいいときだけ! 黙らせたいなら、形だけでももっと論を保ったらどうですか!」

「ぐ……」

「一人じゃ成り立たないって言うなら――わたし以外に、何人も、アレを止めれる人を用意してくださいよ! それができて初めて、一人で戦っている訳じゃないって言うべきじゃないんですか! わたしをまず、一人で出撃させているのに!」


 追撃戦の最中、実際に、幾人も【残火兵エンバース】に撃ち落とされた兵士がいた。到底、正規軍に相当する武装の質があるとは言えないとはシンデレラの目にも明らかだった。

 いや――そうしているうちにいつしか、機体では劣りながらも生き残るシンデレラが注目された。そして自然と、シンデレラが第一陣として迎撃に向かうという流れが出来上がっていたのだ。

 かつてのレッドフードのような落ちない駒。

 それをシンデレラ自身も求めていたし、何よりも周囲がそう要求していたのだ。


「他に使って、それで撃ち落とされる……それならこっちに回してくれと、そう言ってるんです! 今日は撃たれましたけど、今まで一度も壊してないのはわたしだけでしょう! それに助かると貴方も言っていたのに!」


 角が立つ言葉であったが、それはこの世界を俯瞰するならば――紛れもなく正論であった。

 黒衣の七人ブラックパレードという超常的な単騎戦力。

 それに対抗すべく生まれた狩人連盟ハンターリメインズと呼ばれる唯一無二の精鋭。

 シンデレラの言葉は、正しく、今の戦争の有り様に合致していた。ただ一機で都市を焼き滅ぼせる力を求めたその時から世界に齎された変革を、戦後世代だからこそ鋭敏に理解していた。

 だが、それが受け入れられるかはまた別の問題だ。

 彼女を静かに睨み付ける、他の駆動者リンカーたちの暗い目線。新入りであり、そして歯に絹を着せぬ物言いをする少女であり、何よりかつて彼らの仲間を撃墜したグッドフェロー大尉の部下。


 一度は【フィッチャーの鳥】の協力者を務めた少女――――。


 それはある意味で、あの【フィッチャーの鳥】に所属していたときよりも排他的な想念だっただろう。

 だからこそシンデレラは余計に歯を食い縛って、己を押し通そうとする。

 そうでなければ潰されるのだ。自分が。そしてこの戦いが。より切実なる危機感を持っていたからこそ、ヘンリー・アイアンリングやエディス・ゴールズヘアという狩人を見たからこそ、誰でもなく彼女はこの場の誰しもよりも強い危機感を有していた。


「だから……何度も言ってるんですよ! いいから黙って、わたしに賭けろ――――!」


 知るがゆえに、知らぬ者とは断絶した意識の隔たり。

 或いは他の者ならばそれを角が立たぬように言い含められたかも知れないが――未だ年若く、そして促成の軍人として登用された少女にはあまりにも困難なことだった。

 それとも……。

 彼女が少女でさえなければ、その力量にて黙らせられたのか。どちらかは知れない。だが――……


「とにかく、決まりは決まりだ! 大人しく部屋のベッドに引っ込んでろ! ホテル代わりに機体を使うのは今日はおしまいだ!」

「だから――……少しでも、こんな時間に備えてなければ数で劣るこっちに勝ち目はないって――――!」

「ハッ、御大層にお忙しくシミュレーターをして、そんなに愛しの死神大尉どのの真似でもしたいのか? 人殺しの吸血野郎の部下は、やっぱり人殺しかね? ベッドでそこまで教えてくれたのか?」


 揶揄するような、男社会特有の下卑た笑み。

 目の覚めるような金色の髪を持つ中性的な美貌の少女であり、そして小柄ながらにも女性らしさに溢れた肉体を持つシンデレラ。

 だというのに男顔負けの実力を持つ少女だという――そんな彼女への劣等心や対抗心、或いは後ろめたさが混ざったような侮辱。


 瞬間だった。


 ――ぷつん、と。

 瞬間、シンデレラは、己の内からそんな音が聞こえた気がした。

 自分一人ならば耐えられたと思う。自分に対してだけだったら、きっと、腹は立つけどまだ我慢できた。

 だが――こいつは、今、なんと言ったのだ。


(大尉が、どれだけの気持ちと責任でそうしてるかも知らないで――――)


 レジスタンスとは名ばかりで、腕も質も低い駆動者リンカーたち。

 規律が緩いのか、自負心も碌に持たない兵士たち。

 一番艦の『ドラゴン・フォース』とはまるで違う、そこらの食い詰めものか不良兵士に輪をかけたような反抗勢力。

 当初、あの海上遊弋都市フロートのマスドライバーにてウルヴス・グレイコートに受け入れられたときの組織とはまるで違うと思えるほど堕落した有り様。


 一体、これで、何の分断を避けるというのか――。


 その程度の低さ。使命感のなさ。つまらないプライドと、唾棄すべき能力のなさ。危機感のなさ。漫然とした生き方と、どうしようもない在り方。

 もういい。こんな奴らはいい。こんな船なんて墜ちたところで知ったところか。

 あちらには、アシュレイがいる。グレイコートもいる。

 最悪、あちらだけでも残っていれば戦いにはなる。こんな船など、別に、もう墜落しようが何しようが――――


 ――〈軍人になれとは言わない! 人を殺せとも言わない! だが、自分を生き残らせる努力を欠かすな!〉〈君は得難い力がある!〉〈自分を守れ! 命を! !〉。

 ――〈君が優しい子だとはわかっている。出会ったときも、そうだった〉〈君はとした〉〈……それは尊いことだと思う〉。

 ――〈〉〈君が生きていてくれた、それだけで嬉しがった男のことを思い出してくれ〉〈どうかその心の暗闇を、少しでも和らげられる篝火の明かりになるように〉。

 ――〈そのための不断の努力を、何に対しても、いついかなるときも行い続ける義務がある〉〈実現不可能だ。であるからこそ、人は実現しようと挑み続ける〉〈――ただ、至極、当たり前のことだ〉。


 拳に籠もった力が緩まる。

 パイロットスーツの胸元で、その下の肌身で、ドックタグと共に首に架けられたロザリオを感じた。

 どれだけ肉体を奪われても、決して心が奪われることのないように灯してくれた篝火の炎。

 何よりも人命を尊んでいたそのアイスブルーの目を――想う。


「……わかりましたよ。言い過ぎましたよ。ごめんなさい」

「ん、お、おう……いや、こっちも心配してるのもあるんだからな? アンタ、何時間か程しか機体から降りないだろ? そりゃあ訓練も大事だが――」

「――そう、大事なんですよ。訓練」

「……は?」


 にわかに目をしばたたかせた男を前に、シンデレラは我が意を得たりと頷いた。


「向こうに、誰がいると思いますか? あの、ハンス・グリム・グッドフェロー大尉ですよ。きっと大尉が宇宙に上がったら、追撃してくると思いませんか?」

「それは……そうだが……」

「そうですよ。言ってたように、大尉は死神です。手を緩めずに戦う――……戦艦だって簡単に落としてしまう。そんな大尉を相手にするんだったら、部下だったわたしなんかはもっと努力しなきゃいけないじゃないですか」

「う、む……いや、それは……」


 その危機感は彼にもあるのだろう、とシンデレラは頷いた。

 向かい合った彼女しか判らないヘンリー・アイアンリングやエディス・ゴールズヘアの圧力とは違う。

 真実、七人だけしか生き残らなかった大戦線の生き残り。生ける伝説のうちの一人。数多の勲章を受けた撃墜者。現代に蘇った神話的な英雄にして保護高地都市ハイランド連盟の勝利の立役者。名を出せば泣ける海上遊弋都市フロートの赤子すら呼吸を止める古強兵。

 それが敵として現れるとは――シンデレラが合流する以前から彼と敵対していたこの集団にこそ、明確なる恐怖として現れるだろう。


「整備の邪魔はしません。直してくれてありがとうございます。ただ、機体のシミュレーターは使わせてください。貴方がたが寝る間も惜しんで直してくれるように――わたしも寝る間も惜しんで、貴方たちを殺させないように頑張りますから」


 そう微笑みかければ、男性は困ったように頬を掻いた。

 苦しい言い訳になってしまっただろうか。でも――本音なのだ。きっと大尉ならばちゃんと人命のことを慮ってくれるとしても、それでも敵味方に別れてしまったなら万一のことは有り得る。

 そうシンデレラは内心で頷き、そして、男性が口を開こうとしたそのときに――


「……またワガママを言っているのかい? いつまで子供気分なんだ、キミは。親であるぼくに迷惑がかかるとか、それぐらいの想像力は持ってもいいと思うんだけどね」


 姿を表した白衣の男の――父親の言葉に、胃を、何かがせり上がる。

 ここに来て。

 今まで、一度も顔を合わせようとしなかったのに。戦いに行く娘に声をかけようともしなかったのに。再会を喜ばなかったのに。案じもしなかったのに。

 その男の口から溢れた第一声は、そんなものだった。

 そして――


「ああ、そりゃあアレじゃあないかい、先生? ――そんな事情でも、あるんじゃあないのかね?」


 片手片足を機械義肢にした眼帯の神父服の青年が、錆び付いていく銀色の髪をなびかせた人狼のような男が、這い寄るように――そう呟いたのは。

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