第72話 スレッジハンマー、或いは悪役令嬢


 終わりというのは――すべからく、唐突に現れたるものだ。

 この戦いにおいても……鉄の鉄槌作戦スレッジハンマーにおいても、それは同様だった。


 闇に灯る赤き航空灯。

 幾機ものティルトローター式の輸送機の発着音が海風を塗り潰す甲板。黒深き明けの海原にて、その乱れた波を受けても揺らがない人工構造物が一つ。

 敵軍からの視認性を考慮して、最低限の航空灯火のみに彩られた発着場。

 数多の円柱に支えられた、大型の六角形の構造物。ギリシャ神話の海神を名に持つ洋上補給基地――――プローテウス・アイランド。


『航路上への磁気感知装置の敷設を急げ! 奴らは待ってはくれねえぞ!』


 牽引車両が次々に円柱めいたケースを輸送機に運び込み、自動化ロボットがその荷を投下装置に押し込めていく。

 衛星軌道都市サテライト海上遊弋都市フロートが開発した水中戦用のアーセナル・コマンドには、二点脅威がある。

 一つはその恐るべき静音性。

 尖衝角ラムバウを応用した力場が海水を押し退ければ、そこに生まれるのは真空だ。つまり、機体の発する航行音をソナーで捉えることが極めて困難となる。

 二つ目は、言うまでもなくその装甲。

 力場も含めた四種類の装甲が、通常の艦船とは異なる防御力として海軍の前に大きく立ちはだかった。


 保護高地都市ハイランド連盟がその対処として生み出したのは二つ。


 一つ目が、アーセナル・コマンドの発する電磁気を拾う浮遊式の水中センサー。かつてのソノブイのように艦船や航空機から投下されるそれが、ソナーに対して高度なステルス性を持つ敵機の補足に大きな役割を果たす。

 二つ目が、二種類の機雷の敷設。

 一種類目は燃焼剤を含み、膨張する海水の圧と体積によって力場へと干渉し、その出力を使い切らせる。

 そこへ二点目の機雷が――通常通りの流れ込むバブルジェットにより艦船へ損傷を与える機雷が――敵海中アーセナル・コマンドが力場により維持していた真空をも利用する形で勢いを増し、敵機を喰い破る。


 この二項目。


 それ以外の有効手段は、未だ、戦場へは到達していなかった。

 そもそもが狂気的なのだ。高温の流体金属が流れる機体を、海中で運用しようとするそのことが。

 彼らの持ちうる解決策は、強力なジェネレーターと表面積の増大により増強された《仮想装甲ゴーテル》によって、――という、まさに豊富なガンジリウム資源を背景とした暴挙に近い解答であった。

 無論、真空故に熱伝導も行われない――つまり機体に籠もる熱が発散しないという問題もあったが、そこは、《仮想装甲ゴーテル》を一次解除することによって海水により急速冷却を行うという方法で解決を行っている。

 その温度差による金属疲労の問題もやはり、豊富なガンジリウム資源故に許される強引な解決策であるのだから、如何に衛星軌道都市サテライトがその地政学的な要因によって攻勢を成り立たせているかは最早論ずるまでもないだろう。


『ここが最前線だ! あの人型のデカブツたちが飯を喰いに来る定食屋だ! 俺たちの役目は、たらふく食わせてやることだからな!』


 整備兵や補給兵たちは意気高く、そしてその防衛兵器――アーセナル・コマンドや各種対空・対艦ミサイルや大型レールガンの操者たちも同様に気勢に満ち溢れる。

 連日連夜の索敵防衛網の構築もあって、海中戦アーセナル・コマンドも容易くは接近できない。可能なのは遠距離からのブースターによる強襲とミサイル他による突破であり、それも対処は十分練られている。

 この戦いの趨勢を担うだけの、そしてこの戦いの後も欠かせないだけの物資と人材。


 故に――……損失であったのだ。

 確実に、明確に。

 それは、損失であったのだ。


 一体、誰が想像するだろうか。

 遥かその遠方、かねてより敷設されていた索敵装置の探知範囲の外で。

 超大型のジェネレーターを搭載した無人の自動魚雷めいたアーク・フォートレスによって、その途方も無い数によって、その有したる強固なる力場の爆発的な発散によって、広く満ち満ちたる海水そのものが攻撃として利用されるなど。


 探知の目がある?

 ――ならばいい。その目でも気付けない、目そのものが足場としている海水を使えばいい。

 防空の牙がある?

 ――ならばいい。空からではなく、海そのものを武器とすればいい。

 それだけでは崩せない強度がある?

 ――ならばいい。壊れるまで、揺さぶり続ければいい。


 まず襲いかかったのは空気にすらも発散された甚大な衝撃波であり、次いで、大いなる波そのものが押し寄せた。

 人工津波。

 迫りくる波濤は百の大蛇の群れに似て、或いは地獄の亡者の手指に似て、胎動する大いなる竜にも似て、水平線を湾曲させながら迫りくる。

 ああ、洋上の人工島にて如何にしてそれから逃れればいいだろうか。

 そうして掻き乱された補給基地へと、更に無慈悲に――プラズマ弾頭を装填した長距離誘導弾が突き刺さった。



 ◇ ◆ ◇



 遭遇戦を幾度かこなし、航空優勢の獲得には成功した。

 しかしながら全機が増設ブースターを失い、また、力場という強靭な装甲を有する敵機との戦闘によって中隊の各機の残弾は残り少ない。

 空を翔ける銃鉄色ガンメタルの機械騎士の、その武装は四種類。

 背面のウェポンラックに備えられた誘導弾と、電磁気反応の近接信管を装填した爆散弾を備えた連装ライフル。格納式のプラズマブレードと、そして、試作型の携行レールガン。

 先行量産型の【黒騎士霊ダークソウル】。

 更にそのジェネレーター出力を改修した機体であった。自分はマーガレット・ワイズマンに倣う形で彼女のスペアパーツを下賜され改修を行っていたが、部隊の機体もそれと足並みを揃えるためにもそのような改修機が用いられている。


『中隊長どの、そろそろ一杯やりたい気分ですな』

『了解した。一旦、海上橋頭堡塁プローテウス・アイランドを離陸した友軍航空補給艦と合流、そこで弾薬の補給を――……何?』


 第二小隊の編隊長であるボーマンBowmanの言葉に応じようとしたそのとき、上空からの戦闘空域管制――並びに情報統合を行う早期哨戒警戒機から聴き逃がせない通信が入った。

 その内容は――

 

『……海上橋頭堡塁プローテウス・アイランドが喪失したそうだ。突如として海上に出現した敵アーク・フォートレスのミサイルにより、焼き払われた。詳しい被害状況は不明だが、おそらく――』


 ほぼ壊滅的だろう――と部下たちに告げようとするそのときに、更に、続いた無線にて最悪のニュースが飛び込んできた。

 一瞬、言葉を失った。何かのジョークか、それとも敵軍による欺瞞情報としか思えなかった。

 まさしく、真実、最悪の情報。

 耳を疑う気持ちであった。まさか、戦闘開始からそう間もないというのに――


『更に……友軍主戦力も喪失したそうだ。……五隻の空母は撃沈。部隊は壊滅状態。詳しい損害状況は不明だが……。戦闘管制、敵機の装備や編制などの情報は――――戦闘管制? 応答せよ、戦闘管制。応答せよ……! ……ッ、まさか』


 続く凶報。最悪の連続。

 高高度の上空に位置取り、こちらへの交信を行っていた早期哨戒警戒機からの通信途絶。

 これが電波障害でなければ、要撃管制を務める彼らもまた何者かによって撃墜されたのだろう。そう捉えて、差し障りはあるまい。


 ……衛星という通信手段は、衛星軌道都市サテライトによりとうに駆逐されてしまっている。今やその要となっていたのは、上空の管制機だ。

 これでは友軍と情報共有をすることもできない。

 如何に無線――電波で行う通信といえども、中長波を除いて地球の湾曲を超えて声を届ける方法はないのだから。


 主戦力が壊滅。

 洋上の補給基地は喪失。

 通信の途絶。


 作戦は失敗――最早、誰の目にも明らかだった。


 作戦開始から数時間足らずのうちに、保護高地都市ハイランドは敗北を決定付けられた。全軍の半数以上の戦力を投入した上でこの結果など、あまりにも致命的だ。

 これはこの戦線だけではなく、今後全てにおいて組織的な反抗作戦も不可能となるほどに保護高地都市ハイランド連盟が追い込まれることを意味する。

 あとは、一方的な戦いだろう。

 こちらの戦力の低下に伴い、組織的な破壊工作を気にせずに衛星軌道都市サテライト海上遊弋都市フロートはマスドライバーの建造を行える。

 彼らは、より積極的に資源の獲得が叶うのだ。そうなれば時間経過と共に彼我の差が絶望的に広がっていく。


 いや――……それどころか、北米大陸プレーリーの平地帯の地下に備えられた保護高地都市ハイランド連盟軍の総司令部に存分の戦力を投入することで、完全攻略も可能だろう。最早、彼らを阻むものはない。


(いや、まだだ……幸いなのは、まだ、物資集積地に被害が及んだという連絡がないこと。その戦力を残存させられれば、或いは保護高地都市ハイランド連盟にも反抗可能な火は残る)


 あの場には、戦車連隊と協働するロビン・ダンスフィードや軍医たちの護衛として残ったアシュレイ・アイアンストーブ、そしてという神域の魔技を行うヘイゼル・ホーリーホックが残っていたが……。

 彼がいるならば、物資集積地がやすやすと攻め落とされることもないだろう。最低でも、多少は持ち堪える筈だ。

 既に保護高地都市ハイランド連盟軍の被害は甚大。

 当戦線に投入されたアーセナル・コマンドの損耗率は現時点で七十パーセント以上。

 実に絶望的であるが、


(彼らの撤退を支援すれば、まだ――……極めて厳しいが、まだ反抗作戦は可能だ。……そのためにも、敵を勢いに乗せないようにしなければ)


 返す刀であちらに増設ブースターを使用されれば、その突破浸透力によって後方の物資集積地は瞬く間に呑み込まれるだろう。

 流石のヘイゼルでも神の杖と敵軍の両面を抑えきることは叶わず、ロビンやアシュレイとて武装の射程外の防衛は不可能。これだけの数ともなれば、どうしたって犠牲は出る。

 故に――……敵軍攻撃の最前線となっていたこの場所は、まさに今度は防御の最前線――殿しんがり――にならなければいけない。


 ……そして。その場合の、問題があった。


(……今後に備えて、最低でも半数は残したい。九〇二中隊は全機撤退させる。だとして、九〇一中隊からは――……誰を、この死地に付き合わせるべきか)


 内心で歯噛みする。

 殿を努めようとしたところで、この広い空域において自分一機ではそれは実行できないということだ。遠距離攻撃を持たないアーセナル・コマンドは、敵からすれば捨て置いていい雑兵駒ポーンでしかないのだから。

 何が、黒の処刑人ブラックポーンだ。

 自分にはアシュレイやヘイゼルやロビンやリーゼのような友軍支援もできなければ、マーガレットのような空域制圧能力もない。メイジーのようなスター性も、絶対的な殲滅能力も持たない。

 それを磨くだけの時間が、才能が、己にはなかった。

 出来上がったのは、ただ己一人が死ににくいだけの駒だ。


 ただのポーン。


 近付かなければ、敵陣深くに入り込まなければ、敵を惹き付けることもできない無能者。

 何とも歯痒い。己の至らなさ故にこの戦争の発生を止められず、婚約者たる少女だったメイジーを戦いから遠ざけられもせず、その代わりの大いなる撃墜者にもなれず、挙げ句に今もこうして未熟さ故に人を殺す道を選び続けている。

 何たる愚か者で、恥ずべき役立たず。

 そんな敗残者の、自殺に近い防衛に味方を道連れに務めさせねばならない――……己への憤怒で、モニターを殴り付けたいほどの気持ちにすらなる。

 だが、


『へ、へへ……じゃあ中隊長どの、こっから勝ったら俺たちは本当にヒーローじゃないですか』

ボーマンBowman……?』

『円卓の騎士に女はいたかしら。……ああいえ、それならシャルルマーニュ十二勇士になぞらえられるべき?』

アイスIce……?』

『敵軍の男の尻を追っかける女騎士か? おいおい、ここでその尻にブチ込んで撃ち落としておくべきってことかね?』

ヒットマンHitman……?』


 僚機たちから、次々に通信が入る。


『ここで退け、なんて言わないでくださいよ中隊長。……俺たちはアンタについてきたんだ。アナトリアの不屈――鉄の英雄。あの日の言葉を忘れた日はない。今……俺たちは、明日のために林檎の木を植えるんだ』

ボマーBomber……』


 乱れぬままに隣を飛ぶ銃鉄色ガンメタルの機械騎士。

 誰一人とて、戦線から離脱する気配を見せない。


『オレ、あの日――……中尉が敵を引きつけるとき、あの場にいました。オレの故郷だったってのに、アナタだけがただ一人戦って……ああ――だから、今日は最後までアナタと戦いたい。どうか、アナタの導く列に加えてください。偉大なる不死身の屠竜者、ハンス・グリム・グッドフェロー』

ジグゾウZigsaw……』


 己はそれほど大それた人間ではないという言葉をかけるのも、或いは無礼か。


『あんたがおれのボスだ。おれのボスはあんただけだ。……最後まで、従うぜ。ボス』

ニトロNitro……』


 入れ代わり立ち代わりに通信を行う彼らのその声には、絶望という二文字はない。


『アンタも、オレも、軍人だ。……やることは一つなんじゃないですかね、グッドフェロー中尉』

ガーディアンGuardian……』


 その兵士たる献身を見せられて、己にできることはもう一つしかないだろう。


(嘆くな――……悔いるな。己の無力さに酔う時間ではない。今は、ただ、一機でも多く敵を落とし――一機でも多く味方を残す、それだけだ。神ならぬ俺にできるのは、それしかない。彼らの途方も無い献身に応えるには……)


 奥歯を噛み締める。

 ――

 己はそう振る舞わなくてはならない。

 そうする義務がある。

 彼らがこの矮小なる男に物語のような英雄性を見出すのならば、それが死出の道行きにとっての慰めとなるならば、己はその献身に対する義務として――応じなければならない。


『了解した。……全機、まずこれより敵接近勢力を迎撃。そのまま、敵陣への攻勢に出る』


 僅かに思考し、続ける。


『ただ逃げるだけでは、敵軍は加速力を上乗せしていずれこちらを突破するだろう。敵中枢への急襲姿勢を見せることで、空域の防衛に数を割かせる……我々が行うのは、撤退よりも困難な突撃だ。歴戦の兵士もそれを恐れ、物語の勇者も怯えるだろう――……だが』


 島津の退き口と同様のそれを再現しようとしている。

 つまりは――皆死兵。

 そんなだけの精神性が求められる、極めて困難な任務だ。だが、


『真なる兵士たる諸君には、それを命じたい。……すまない。一分だけしか考える時間をやれない。だが、もし――』

『野暮ですよ、中隊長。貴方は《仮想装甲ゴーテル》もなしであの街でそれをやったってのに。……皆、貴方と最期まで戦えることに怯えやしないんだ。最高の猟犬の前で、俺こそは兵士だって――そう示したくなるんです、中尉』

『……、……了解した。【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】として、貴官らの献身に恥じないだけ本分を全うすると誓おう』


 応じる彼らを前に、改めて両腕部のブレードを調整する。

 敵軍中枢への特攻――それが真に迫れば迫るほど、敵軍はこちらへと戦力を集中させざるを得ない。

 作戦開始前に『マスドライバーを破壊されるのが懸念』とは言ったが――……その懸念は、敵とて同様に持つだろう。即ち、敗戦を悟った保護高地都市ハイランド連盟軍による

 彼らとしても、マスドライバーへとこちらを近付けたくない。

 ならばこそ、この抵抗が、一機でも友軍を救う行いとなると――――そう信じて進むだけだ。


 明けの朝日が遠く、目指す先の空を赤く彩る。

 その燃える水平線を目指して――銃鉄色ガンメタルの悪霊騎士は飛行する。

 編隊を組んで、飛行する。


『……やっぱりあんたは英雄ですよ、中尉どの』

『俺は英雄ではない。婚約者一人守りきれなかった惨めな敗残者だ。だが――……』


 一度大きく息を吸い、


『そう呼ばれるだけのことは、果たしてみよう。……そしてそれは貴官らも同様だ。この場で共に戦えることを、心の底から光栄に思う』

『中尉どの……ああ、それじゃあとびっきり格好良く書いて貰わねえと。夜の撃墜王にも、なりたいんでね』


 ヒットマンHitmanの軽口に、中隊員が笑いを飛ばす。

 そうして――徒党を組んだ十二機の騎士たちが、大いなる十二人の狩人たちが死出の旅へと進んでいく。

 明けの空へ。

 燃える風の、その先へ。


 激戦、だった。


 最後の言葉を残せずに死んでいく者も、多かった。

 或いは断末魔の悲鳴ではなく、確かな意思を口にして彼らは果てていった。

 

『飛んでくれ――中尉。鉄のハンス、死神グリム。最期は、飛ぶあんたを見送りたい』


 フリークスFreaks――クリストファー・ウォーケン。

 二十九歳。元輸送機の機上整備員。

 別れた妻との間にできた一人娘を、炎の七日間フレイム・アームズの際に事故にて失った。発電所の火災により喪失した信号の中、交差点に侵入したトラックにより祖父母共に死亡した。

 彼は弾を撃ち尽くし、流体ガンジリウムを喪失して海へと没していった。


『……最後までお供できずに申し訳ありません、隊長』


 アクスマンAxeman――リュカ・デュボワ。

 二十三歳。空軍士官学校卒、パイロット養成課程修了。

 かの【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】の候補生となるも、その習熟訓練中にドレステリアの悲劇にて当特務部隊は解散。その後、アーセナル・コマンドの駆動者リンカーとして各地で転戦する。

 機体の損傷により漏れ出た推進剤に引火。空の華に消えた。


『どうか――……どうか、鉄のハンス。アナトリアの不屈。戦いを終わらせてください――……ああ、最後の希望よ』


 ジグゾウZigsaw――オメル・サリオール。

 十九歳。予備士官候補生、促成課程卒。

 軍の基地に食料品を納入する父母に続き、彼も購買所に関わる形で後方業務に携わる。

 あのアナトリア襲撃の際に生存し、父母と共に避難民たちの衣食住を支えようとした。

 その後、推薦の下で軍に志願する。

 敵軍の攻撃により損壊した機体にて重症を負い、脱出できずに空に没した。


『勝利を。……いずれまた貴方と共に、空を。楽しみにしています、隊長』


 バナナBanana――ファジル・マンスーリ。

 三十三歳。元航空機レース競技者。民間からの促成士官。

 血塗られぬ空を翔けていたスピードスター。企業のロゴを背負い、人々の応援を背負い、蒼穹を飛んだメディアのヒーロー。

 愛する祖父のその命日に勝利で空を飾り、そしてかつては衛星軌道都市サテライトとの交流戦においてその騎士道精神にて両国を魅了した空の英雄。

 限界を超えた《仮想装甲ゴーテル》の展開と超高速近接機動バトルブーストの影響により、ジェネレーターが熱暴走。機体の自機制御を失い、空中爆発した。


『中隊長と共に在れた光栄への感謝を。……ああ、お先に失礼します、鉄のハンス』


 ターキーTurkey――ジャック・クレイグ。

 十九歳。空軍士官学校、促成課程卒。軍人一家の三男。

 家族は皆、 衛星軌道都市サテライトの宣戦布告――【熱月革命】宣言の際に見せしめとして【星の銀貨シュテルンターラー】によって街ごと吹き飛ばされた。

 元料理人志望。海上遊弋都市フロートの料理に感銘を受け、今も、作戦外には現地住民にも振る舞っていた。

 コックピットの損傷、出血多量によりバイタルサインが低下。未帰還。


 一心に飛ぶ。

 空を埋め尽くすような狼の群れへ、第二世代型アーセナル・コマンド――狩人狼ワーウルフへと刃を抜き放つ。

 集団での狩り。

 それを得手とした敵軍の精鋭。こちらよりも多く――一機に対して三機で群がるほどの狼の群れ。


 声も残せずに、死んだ仲間たち。


 ヒットマンHitman――ワイアット・アスピリエリ。

 元コメディアンの三十五歳。民間からの志願兵。

 衛星軌道都市サテライトとの共同製作の映画にて助演男優を務め表彰されるも、衛星軌道都市サテライトの女優に対する司会者からの差別的発言に抗議して賞を辞退した義の男。

 妻子を空中浮游都市ステーションに逃したあと、カバンひとつで軍に加わった。コメディアン時代、ガン医療センターに寄付をしていたことをパパラッチされたときに『彼らを安らかにしないなら警察を呼んでやる』と自ら服を脱いで警察を呼び付け逮捕された奇矯な男。

 ブレードを抜き、敵軍二機と刺し違える形で炎に飲まれていった。


 アイスIce――サファイア・エリス・サザーランド。

 十九歳。伯爵の令嬢。大学を飛び級した秀才少女。在学中にも多くの論文を発表し、『次に来る百人の偉人』に若くして選出されたほどの才女。

 動物好きで、休息時にはいつも自分と共に集積地に紛れ込んだ動物を眺めていた。

 将来の夢は――……聞きそびれた。

 弾切れと共に、ジェネレーターを暴走させ力場の爆発に巻き込む形で敵軍と散る。


 ボーマンBowman――アーチー・ダビッドソン。

 二十九歳。元空軍戦略ミサイル兵。下士官から部内士官候補生へ志願し、職域を転換する。

 天涯孤独だが、法定後見人を努めてくれた軍人を追う形で入隊。その夫妻を【星の銀貨シュテルンターラー】にて失った。

 弾切れのところを、敵のミサイルの集中砲火を受けて死亡する。

 

 ガーディアンGuardian――ライアン・ネイル

 二十八歳。開戦に先立ち降り注いだ【星の銀貨シュテルンターラー】の爆撃から、運良く生き残った生存者。

 身体の各部を人工物に置換しながら、家族や戦友から移植された様々な色の皮膚を誇りにして戦った勇猛な戦士。

 急激な戦闘機動の加速度により人工臓器が損傷。多臓器不全にて、飛行中に死亡する。


 ニトロNitro――ファン・ユウロン。

 二十三歳。空軍士官学校卒、パイロット養成課程修了。

 敵地にて撃墜されるも敵基地を急襲し、弾薬庫を吹き飛ばした後に生還。その後、医療船に収容。

 懸命なリハビリの末に再び駆動者リンカーとして戦線に復帰。

 海上遊弋都市フロートの恋人がいたが、戦争によって別離している。

 降り注ぐ敵の弾丸から僚機を庇って死亡。


 ボマーBomber――ロレンツォ・スカルヴィーニ。

 三十一歳。元現役航空機パイロット。狼狩人ウルフハンターのテストパイロットを務める。

 趣味はフットボール。ハイスクール時代に、選手として代表選抜を受ける。稼業外では、駐留地周辺の子供たちに付き合ってボールを蹴っていた。

 残弾を失い、それでも無手にて戦闘を続行。敵軍と揉み合う形で海中に没する。バイタルサインの喪失を確認。



 皆、死んだ。

 死んでしまった。皆が。自分を残して。誰も彼もが。

 陽光降り注ぐ空。

 既に何度目となる敵軍との遭遇戦か。全周モニターの遥かに動く影と、レーダーには敵の光点。

 まだ生きている者。敵軍とは言え――未だ、生きている者。


『……一度だけ通達する。武装を解除し、投降しろ。今なら斬らない』


 オープンチャンネルで警告を発する。

 味方が死んで初めて――彼らの命の責を追わなくなったからこそできる通告。何とも救えぬ個人主義者の感傷。

 応じたのは、笑い声と罵声だった。

 仲間を侮辱するようなことも言われたが――……まあ、それはいい。


『そうか。そうまで死に絶えたいなら、俺は止めない。……酷く残念だが、貴官らの内心や行動の自由もまた保証されるべきだ。その内に、愚行権という言葉がある――……意味を説く余裕は生憎ない。つまりは、貴官らの行動への容認と寛容とだけ思うといい』


 言えば、激昂を表すように猛烈な弾丸が降り注いだ。

 惹き付けて、バトルブースト。その全てを置き去りに回避する。

 敵は、ショットガンなどの面制圧に及ぼうと言うのか。増設ブースターを切り離して近付こうとするその敵機に対して――――奥歯を噛み締め、三連バトルブースト。

 銃鉄色ガンメタルの機械騎士が、陽光に紛れる。目を眩ませた敵へ目掛けて、上方から下方へ――下方から上方へ。

 その狩人狼ワーウルフの胸のコックピットへ、ブレードを突き立てた。

 残る敵機から悲鳴が上がる。オープンチャンネルを保ったままらしい。


『怯えるな。望み通りの応報だ。望み通りに――――全機、殲滅する。この地上の藻屑に消えろ』


 嵐が吹き荒れる。

 己という嵐が。

 一個の鉄と炎と炸薬の嵐が。


 両腕のプラズマブレードが蒼く灯る。両断する。切断する。接近して、その胴を貫く。敵の機体を盾にして、纏めて斬る。殺す。

 母親を呼ぶ者もいた。妻の名を呼ぶ者もいた。或いは父、或いは夫――――声も出せずに死ぬ者もいた。

 斬り刻んだ。全てを。

 動く者は、ただそれだけで殺すには十分すぎる理由だった。


 殺した。

 皆、殺した。

 怯え声を上げる敵も、降伏を呼びかける敵も殺した。

 怒り――もあった。確かにそれはあった。


 だが、これは戦争だ。彼らもまた、そんな舞台に巻き込まれただけの被害者にすぎない。恨みはない。怒りは呑み込もう。

 それでも殺した。俺には殺せた。

 警告は一度だと通達した――――、殺した。


 殺し続けて、移動し、一度だけ降伏を呼びかけ、また殺して、敵中枢を目指す。そんな中だった。

 白銀の機体。

 翼を――――加速のための増設装甲板を背面に背負った、明星の如く輝ける白銀の機械騎士。【傭兵の女王マシナリー・クイーン】。


『ヘンゼル……まさか、ヘンゼルですの?』

『マーガレットか。……そちらは?』

『ええ、何とかマスドライバーを奪取しようと真っ直ぐに来たのですが――……皆、もう……』


 制空権の確保として先立った四個の大隊の内に、彼女と彼女の私兵が居たのだろう。

 いくらか言葉を交わした覚えもあったが――……そんな彼らとて死亡したのか。現実感のない喪失。戦闘に集中した脳は、死の味を味わわない。

 これで二機。

 果たして友軍が何機残っているのか。戦闘の開始からどれだけ経ったか。空は既に青く、青い波間には数多の機体の破片が浮いている。


『……貴方は? 見たところ、傷一つもありませんが……』

『だが、部下は全機撃墜された。皆勇敢だった。……そのまま彼らの分も撤退の殿を務めるつもりだったが、俺はどうも突出しすぎたらしい』

『そう、ですか……。では――』

『このまま、可能な限り敵機を撃墜する。……撹拌する』

『撹乱ではなくて?』

『刃を突き立て敵集団を斬り刻む。撹拌だ。組織行動ができない程度に混乱させれば、味方への被害をしばらく防げるだろう。全機、この地上で死んでもらう』


 そして、彼女と共に戦闘する。

 あまりにも苛烈で、鮮烈だった。彼女が斬りかかれば、やがて敵機全てを呑み込む衝撃波の嵐――――空戦の申し子としか呼べぬほどの鮮やかな手際で、視認も不可能な速度で吹き荒れる銀の風。死の風。

 こちらの出番もない。そう思えるほどの絶対的な殺戮。


 才と非才の差――単身で重力圏をも脱せられる加速の刃が、白銀の突風が、敵大隊を刻んでいく。

 その後も幾度か戦闘する内に、やがて遭遇した小型のアーク・フォートレス。

 宙に、奇っ怪に浮かんだ無数の銀色の卵。

 大型ジェネレーターとプラズマ砲のみを搭載した空域制圧兵器。【炎鳥の黄身クリスタルクーゲル】――青空に遥か、それは日光を反射して不気味な円形の構造物として鎮座している。


『……手間ですわね、これ』

『死するに等しいものをただ手間としか言わない貴官のその――……ある種の傲慢さに等しいほどの強さには感心する』

『……喧嘩売ってますの、ヘンゼル?』

『褒めた。……と言ったが。聞こえなかったか?』

『………………もう。素直さをどこに置いてきたのやら』

『極めて素直に言った結果だ。……通じなかったか。貴官はそれだけの戦闘ストレスを?』

『わたくしの方に問題があるみたいな言い方はやめてくださいません!?』


 マーガレットの怒声を聞き流しつつ、如何に撃墜するかを勘案する。

 一つ目――敵の識別装置の対処不能な速度での接近。

 機体性能的に不可能に近い。増設ブースターを備えたアーセナル・コマンドをも撃墜する対空防御は、生半可な空戦機動を軽く呑み込む。

 二つ目――


『……警告する。今なら投降を受け付ける。断れば、貴官らには人間の死に方を保証しない』


 その銀の卵のプラズマ砲の傘に隠れるように現れた無数の人狼へと呼びかける。――答えは拒絶。優位にある彼らが、投降する道理はないということだろう。

 ならば、致し方ない。

 死んでもらうだけだ。やむを得ないが。


『やめっ、助けっ、ひ、ぃ、やめろ――――――ッ! 腕がっ、腕っ、腕がァッ、千切れっ、千切れるッ』

『不可能だ。……人間の死に方を保証しないと、警告はした』


 敵機を力学ブレードの串刺しに、識別信号を活かしたままプラズマ砲の盾として使う。友軍を撃墜しないように備えられたその安全装置の、即物的な物理的ハッキング。

 備えることもできずに機体を左右に振られる敵機は、喉が枯れるまで叫び続けた。

 使えなくなったそれを海へと投げ捨て、また別の敵を盾に自律兵器を破壊する。手間である、というマーガレットの言葉には頷くしかない。

 そんな彼女は、敵から放たれるプラズマ砲を利用してアーセナル・コマンドを撃墜していた。

 惹き付け、躱す――――振り切る。或いは、宙の敵機を足場代わりに蹴り付けて加速し、無理矢理にプラズマ砲の射線に叩き込む。

 彼女の飛び抜けた空間識覚と反射神経があってのものだろう。息を呑まざるを得ない。


 だが、唐突に――――唐突に放たれるプラズマ砲が、こちらを目指さぬプラズマ砲が、宙を飛ぶ敵機のみを撃墜していく。

 バグか。

 それとも敵味方問わず殲滅に入ったか。

 そう訝しむその最中に、通信が入った。


『ハンスお兄様、マーガレットお姉様……ま、待たせてごめんね! 今、リーゼが助けるからっ!』


 なるほど――と頷いた。

 確かに、彼女にとってそれは狩場だ。まさに情け容赦なく、彼女にとっての鴨打ち場でしかない。

 電脳魔導師ニューロマンシーとも称されるほどの天才的なハッカー。リーゼ・バーウッドにとって、敵軍の自律兵器はただの獲物だ。彼女にとっての得物として、他の獲物を駆り立てて喰らい殺す武器になる。

 敵軍の兵器ネットワークに侵入し、自律兵器のコントロールを干渉。衛星軌道都市サテライト海上遊弋都市フロートにとっての空域防御は、まさしく彼らを殲滅する殺戮会場へと早変わりした。


 そして無数の黒き球形ドローン――大型ジェネレーターと接続ケーブルを有する、流体ガンジリウムによって飛来するそれらが海中へと突入。

 先ほどこちらが撃墜した筈の、駆動者リンカーが絶命した機体が海水を撒き散らしながらゾンビめいて浮かび上がる。

 上がる砲火。マズルフラッシュ。

 死したる敵を利用した残酷なる弾幕。怒号と罵声が飛び交う中、同士撃ち同然に敵が数を減らしていく。


 更に戦闘に気を取られた駆動者リンカーの、その機体制御AIへと干渉し、内部温度調節機能を狂わせて殺していく。

 流体金属が循環する鉄の棺桶。

 狂ったように引き金を引きながら悲鳴を上げて踊る敵機が、殺虫剤を散布された飛蚊めいて海中に次々と没していく。そして――再び引き上げられる。

 立ち並ぶ無言の殺意。意思なき銃口。

 死者の軍団。

 躯の兵団。

 リーゼのハッキングに対処するには、機体の衛星ネットワークを遮断するしかない。つまりは、敵も五分――――軍事的な通信や連携の行えない、霧が覆う死地への登壇。


(僥倖と言いたいところだが……リーゼは空挺部隊と行動を共にしていた筈だ。……そちらの部隊も、作戦行動が困難になったということか)


 僅かに考えつつ――再び飛ぶ。

 最早、殿を務めることは考えなかった。

 このまま突破する。敵陣を貫き、その中枢を破壊し、マスドライバーを奪取し、作戦を完了させる――――。

 それだけを考えた。

 そのためだけに戦った。

 そしてそれは、総意だったのだろう。この場で戦う誰しもの――保護高地都市ハイランド連盟軍の。


 空中を飛ぶ、大型の母艦――超巨大レールガンを備えた敵アーク・フォートレスが爆炎に包まれた。

 また同時、海中から浮かび上がろうとしていた蛇の頭の如きアーク・フォートレスが波間に狂わされて沈んでいく。

 それを為せるのは、


『ヘイゼル、ロビン!? 貴官らは物資集積地の防衛のために――』

『そいつらが送り出した。いざとなれば、弾薬ごと敵を道連れにするってな。……ってよ。……オレらを送り出したところで、たかが知れてるだろうに。いい迷惑だぜ』

『そういう訳だぜ、相棒。海の幸はこっちに回してくれていいぜ? お兄さん、神の杖も食べ飽きてたところだ』


 青き高火力重装甲の黒騎士霊ダークソウル――【メタルウルフ】と。

 赤き四脚の黒騎士霊ダークソウル――【アーヴァンク】。

 更に――敵機から突如として上がった煙と、急激な大気の変動。

 急速に巻き起こる上昇気流と、立ち込める積乱雲。

 降り注ぐ稲妻と唐突なるダウンバーストに翼を折られて、制御を失った飛行要塞型のアーク・フォートレスが海面へと叩き付けられた。


『……僕もいるよ、グリム君。大丈夫、ある程度は任せてくれていいから』

『アシュレイ、貴官も……こちらに?』

『ああ、うん。――……頼まれてしまったからね。僕も精一杯、戦うよ』


 軍医たちの護衛として後方に待機していたアシュレイがここにいるというなら――真実、保護高地都市ハイランド連盟はこの戦線の全軍を前線へと投入したのだろう。

 最早そこに、次はない。

 今日この日――全力で鉄槌を叩き付ける。その為だけに振りかぶり、振り下ろしているのだ。一切を。


『ええと、あの……聞こえますか? 私もいるんですよね。皆生きてて何よりって感じだけど――……ああ、うん。とりあえずこちら側は私が何とかしますね。というかもう私一人だけになっちゃって……やだけど……仕方ないかぁ』

『……メイジー。必要なら、こちらから救援に――』

『ハンスさん!? ああ、えーっと……大丈夫です。ほら、なんちゃらなんちゃらの乙女は無敵って言うじゃないですか。色々と。……えっと、その……あの……へっ、へへへ……意味、わかります?』

『……了解した。君の意図は受け取った』

『――――――!』


 無敵であり――つまりは、救援は不要ということだろう。

 彼女は自分よりも強い。迂闊に手を出せば足手まといになると言われてしまえば応ぜざるを得ない。

 空挺降下による敵本拠地への襲撃要員として彼女が組み込まれていたのか。妥当に思える。おそらく、この地上において最も強力な駆動者リンカーなのだから。

 本音を言えば、彼女を一人にはしたくない。助けに行きたいところだったが――……


(己一人で喰い止めるというそれの心意気を踏みにじるのも、無礼か。……こちらはこちらで為すべきことをしよう。なるべく多く、彼女の元へ向かわぬように惹き付けなければ)


 ただ飛んだ。

 ただ殺した。

 ただ前へ――――飛んだ。どこまでも。水平線に喰らいかかるように。

 埋め尽くす敵軍目掛けて。

 飛んだ。どこまでも。一心不乱に。飛んだ。


『はは……これ、戦力比は何対何だ? お兄さん、ちょっと三つ以上は数えるのが億劫でね』

『じゃあ余計なことを言うんじゃねえよ、殺戮ヴァイオリニスト。……ったく、疲れるぜ』

『うん……できれば殺さずに済ませたいけど、下が海だとそうも言ってられないか』

『えっと、あの、もう少し待ってくれたらちゃんと数も出す……よ?』

『大丈夫だ、リーゼ。……見えている全てを斬る。それだけの話で、数の多寡は問題ない。全機殲滅する』

『多いなぁ……うーん。まあ、それだけ替えの武器も転がってるかぁ……』


 いつしか――――日が傾き、そこにいる友軍は数十にも満たない機になっていた。

 奇しくも、黒衣の七人ブラックパレードは全機残存。

 所属部隊が違えども、戦線が違えども、全ての兵にとっての希望となるべく――戦いの象徴となるべく、揃いの黒コートに身を包んだ七人。

 だが、その消耗も激しい。

 残弾も限られ、或いは推進剤が底をついた者もいる。

 度重なる戦闘の蓄積した疲労や、脱水症状を起こしている者もいる。

 しかしそれでも――まだ、飛ぶのだ。


 その先鋒に立ち、迎え撃つ数多のアーク・フォートレスとアーセナル・コマンドを前に、白銀の乗機を駆る彼女は口を開いた。

 翼を持つ騎士。

 誰よりも先頭に立ち、その背を見せる少女は言う。


『各々がた、――などという強欲なことは申しませんわ。あまりにも艱難にして辛苦。生き残ろうと願おうとも、それは極めて困難でしょう。まさにこの戦いこそが乾坤一擲――ですのでわたくしはこう申し上げます』


 凛とした少女の声。

 銀髪のワルキューレ。

 輝ける騎士の星。散り行く命が最期に見る明日。白銀の流星――――マーガレット・ワイズマン。


『今や、ジャニコロの丘は落ちた。高く掲げられたクルシウムの旗に執政官は顔を青褪め、民衆は天を仰ぎ見る。恥ずべき悪漢は、不実なるセクストゥスは、我らの街のその橋を目指す――略奪と傲慢を。死と不誠実を携えて』


 旧暦の詩。不滅の詩。

 教養を感じさせる貴族の少女は、その義務を小さな背に湛えた少女は、どこまでも清廉たる声で謳う。

 凱歌を――ときの声を。


『今や人は既に、橋を落とすべく動き出した。天たるを往く船を作り、神を騙る杖を挫かんとしている。ええ――全く以って何たる勇敢! ですが……ならば一体、誰がその間、橋を守ろうというのですか。わたくしと共に――頑強なラルティウスと、剛力なるヘルミニウスを一体誰が務めるというのですか』


 たった三人で、橋の上にて敵を押し留めたる古きローマの英雄譚。

 献身の象徴。兵士の本懐。人間の模範。

 ああ――……つまりそれこそが、燃え上がる人の煌めき。


『かの英傑は道を守り、勇敢なる人々は橋を落とした。そして彼は父なるテヴェレの川を泳ぎ渡り、敵将からも称賛を浴びた。ええ、ならば我々は――かの昔日の英傑が、今へと帰るための橋を架けましょう。民衆が渡る橋を架けましょう。明日へと橋を架けましょう』


 マーガレット・ワイズマンは謳う。困難でこそ、謳う。


『それは幾千幾万の命を運び、全ての兵士の献身を、全ての生者の安穏を守る橋です。我々の、この大地に住まう生きとし生ける命という名の橋です。決して絶やしてはならない、明日と言う名の橋です』


 凛とした言葉は、静かなる狂騒を齎す。

 いや、或いはそれこそを勇猛と呼ぶのか。

 絶望的な差に打ちのめされし兵士も、或いは彼女の機知の出典を知らぬ兵士も爛々と瞳を剥き出しにする。

 炯々と、やがて訪れる闇の内にあっても光が灯る。

 希望が――或いは意志が。


『――求めることは唯一つ』


 命令オーダーが下だされる。


『どうか生存し――――。天から賜ったその才を以って、! 今や、我々こそが保護高地都市ハイランド連盟! 恥ずべき悪漢を止めるのは、我々をおいて他ありません!』


 まさしく騎士の王がそうするように、白銀の機体は蒼き月光の剣を抜き放った。

 それは旗。

 闇を切り裂き、光を齎す騎士の旗。


『どうか進軍を。どうか抵抗を。そして我らは金の文字を以って、石の台座に名を刻まれるのです。泣きながら笑いながら、今日までなおも物語は語り継がれている――そのように!』


 少女は叫ぶ。

 いや、誰もが叫んでいた。誰もが呑まれていた。その星の輝きに。輝ける騎士道の王たる導きに。

 人が持ちうる、生者を生者足らしめる、闇にあってなお強く灯るその炎。


『高らかに軍旗を掲げなさい! 誇りと、自負と、献身と――そして勝利の旗を!』


 そして白銀の機体が、夕焼けに彩られた敵陣に目掛けて吶喊を開始する。

 夕日を背負って、敵陣に向かう。

 ああ、何たる――――何たる勇猛にして、鮮烈なる女王か。永久に輝く星と言うのか。


黒衣の七人ブラックパレード――――戦闘開始エンゲージ!』


 そして、最後の命令オーダーと共に、無数の白煙と爆塵が満たす空域目掛けて麾下の兵士たちは突撃する。

 空を満たす敵。

 海を隠す敵。

 その全てを斬り伏せよと――騎士の王たる少女は言った。



 やがて、七つ――――七つの星が闇夜に残る。



 第一位、超越者オーバーテイカー――――不破の王者ザ・レッドフード

 “黒の調停人キングオブブラックス”メイジー・ブランシェット。


 第二位、飛翔者プレイヤー――――不滅の聖者ザ・ワイズマン

 “黒の案内人ブラックプレイヤー”マーガレット・ワイズマン。


 第三位、支配者ドミネイター――――不和の女王レッドシューズ

 “黒の貴婦人ブラッククイーン”エリザベート・バーウッド。


 第四位、制圧者フォーサー――――不壊の城塞ヘッジホッグ

 “黒の始末人ブラックルーク”ロビン・ダンスフィード。


 第六位、擲炎者スコーチャー――――不殺の僧兵サージェン

 “黒の交渉人ブラックビショップ”アシュレイ・アイアンストーブ。


 第八位、潜伏者レイダー――――不動の騎兵ホースネイル

 “黒の請負人ブラックナイト”ヘイゼル・ホーリーホック。


 第九位、破壊者ブレイカー――――不抜の精兵ジ・アイアン

 “黒の処刑人ブラックポーン”ハンス・グリム・グッドフェロー。



 その名は、星に刻まれることになった。


 大きすぎる代償と、引き換えに。

 英傑ホラティウスのようには――マーガレット・ワイズマンは、橋の向こうへと帰還することは、なかったのだ。



 ◇ ◆ ◇



 はふはふ。

 もぐもぐ。


 この世界にもたこ焼きはあるんだなあ、なんて感想が漏れる。

 公園のホログラム噴水の縁に腰掛けたラモーナを見れば、その内外の温度差に驚いたのだろう。一口噛んだそのあとに目を見開き、慌てて飲み物で流し込んでいた。

 可愛らしいものだ。自分に娘がいたら、日々、こんな気持ちを味わうことも多いのだろうか。……いや、そも相手がいないのだが。


(そろそろ、三十路も近いと思うと……どことなく焦る気持ちもなくはない。今の俺が家族を養えるとは――家庭を持てるとは思えないが。それでも三十路というのは、やはり、男にとっては一つの壁のような気もするな)


 勿論、正直な話――このいつまでも戦いが続く世界で、そんな地獄に子供を放り出したくないという気持ちも強い。

 まかり間違って自分の子供がアーセナル・コマンドの才を持ち合わせたら目も当てられない。戦いの犠牲にされるのも、戦いの犠牲を生むのも御免だ。

 ……いや正直、誰を殺してでも生き残ってくれと願ってしまう自分がいるのも確かだが。


(いっそ軍を退役して、どこか遥か遠くで平穏に暮らせたらな……とも思ってしまう。無理だとしても。問題は、どう生計を立てるかだが。正直、殺ししか能がない男が一体何で生きていけばいい……という話にもなってしまうか)


 まあ、考えるだけ無駄ということだ。

 それよりはこのたこ焼き――というか、なんか色んな魚とか入っている丸い小麦粉の焼き物を食べることに集中したい。集中したいが、青海苔とか鰹節とかソースとかかかっていないからどうにも乱される。

 パチもんのたこ焼き、パチ焼きとでも呼ぶべきか。

 ソースのないたこ焼きとか冒涜だと思う。タコが入ってないたこ焼きはまだ赦してもいいが、ソースがかかってないたこ焼きは呪われていいのではないだろうか。なんでケチャップとマスタードがかかってるんだ。詐欺だ。


「おーぐりー、食べないの?」

「ん、ああ……食べるか?」

「……いいの?」

「君がそれで嬉しいならば、俺は余計に嬉しい」

「おーぐりー、優しいね」


 また頭を撫でられるかな、と首を下げたら今度は笑いかけられただけだった。

 なんとなくその気恥ずかしさから、隣の少女を見る。

 仄かに赤き長髪のウィルマ――ウィルヘルミナ・テーラー。


 正直なところ、遠回しに断わるつもりで誘いをかけた。

 企業の広報人にしろ、或いはどこかの闇社会の代理人にしろ、食事の誘いと言われて――それが出店であったなら、大変なシツレイに当たるだろう。

 その時点で無粋者、話す甲斐もない相手と見られるも良し。

 或いは、その程度の食事しか知らない与し易い相手だと侮られるも良し。


 こちらの方針は、秘匿されたアーク・フォートレスについての情報収集。


 即ち、一番本命としてあり得るのはあの衛星軌道都市サテライトの残党――――ないしは残党に与することなく、しかしかつて軍に属していたというそんな相手なのだ。

 できる限り縁を広げるべきとも思いつつ、だが、どこでボロが出てしまうか判らない。

 極力リスクは低減し――あくまでも第一の優先順位としては、こちらを送り込んだ大佐や上層部が考えているような、オーグリー・ロウドッグスではなくハンス・グリム・グッドフェローをターゲットにした接触に絞るべきだろうと行動することにしていた。

 だが、


「はむっ、はふふ、はふっ、もぐっ、はむっ……」


 一心不乱にたこ焼き(パチもん)を食べる美女。いや、美少女か。微妙な年齢だ。

 人間はこんなにたこ焼き(パチもん)を必死に食べるんだなあ、なんて感想が浮かんでくる。その荒事なれしていそうな奇妙な度胸が漂う硬質の美貌から、広報役や交渉役かと見込んだが――……違うのだろうか。

 彼女は、一切本題に入る気配がない。

 まるで数年間全くまともな食事にありつくこともなく彷徨っていた旅人のようにたこ焼きにがっつく彼女に、奇妙な同情心さえ抱いていた。


「……もう少し、食べるか」

「い、いいんですか!? ――こほん。いえ、存分にいただいたわ。別に私はこの場に、食を求めて来たのではないので」

「そうか。……ところで別の屋台で買うとしたら、どれがいいと思う」

「えっ!? そ、そうですね――……あちらのナチョスも捨てがたいし、ケバブサンドも食べたいところで――……いえ、クレープも捨てがたいわ。食べたいものは、正直山ほど――」

「……」

「……こほん。いえ、失礼しました。忘れてください」


 大食い芸人さんなのかな。大変そう。


「……それで、俺に話とは?」


 コーヒーを左手に、光に薄赤く髪を透かした少女を見詰める。

 右腕は空けて。

 いつでもコーヒーを投げつけると同時に銃撃が可能だ。それとなく、逃走経路も視界に入れておく。人混みに紛れてここで銃撃戦が起こるなら、まず、この少女を盾として使うべきだろう。

 ホログラム噴水が彩る広場には、見たところ、軍人のような者はいない。独特の重心と姿勢。懐に銃を吊っているものもおらず、あり得るとしたら狙撃か。

 その方向がどちらか――考えつつ、彼女の言葉を待てば、


「その……私の執事になる気など、ありませんか?」


 …………なんて?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る