第71話 スレッジハンマー、或いは喰らう死神

 衛星軌道都市サテライトを語る上で、自分の中では決して外せない記憶がある。

 深く結び付き、決して解けない結び目にして溶接点。

 あの作戦――神の杖を皮切りに地上侵攻を受けた大地における最後の激戦となった、あの【鉄の鉄槌作戦スレッジハンマー】である。



 ◇ ◆ ◇



 【鉄の鉄槌作戦スレッジハンマー】は、敵マスドライバー奪取のために、まず橋頭堡――アーセナル・コマンドの発射場となる沿岸部の獲得から始まった。


 保護高地都市ハイランド連盟は、強襲猟兵全軍四個軍団の内、海軍の生き残りの空母を編入した第二軍団と実戦経験豊富な第三軍団を戦線に投入。

 第二軍団は海上空母・空中空母の艦載アーセナル・コマンド及び輸送機による高高度降下作戦による機動部隊、第三軍団は陸軍の砲兵・戦車兵との共同による飽和攻撃を利用してのアーセナル・コマンドの撃破。

 実に強襲猟兵はアーセナル・コマンドが十六個大隊、モッド・トルーパーが二十八個大隊――計:千四百機、全軍の有する内の半数以上を当てた最大の作戦だった。


 宇宙の敵の残る最後の生命線にして、その喉元に喰らいつくための牙。


 第二世代型アーセナル・コマンド――メイジー・ブランシェットの駆る【狼狩人ウルフハンター】の目覚ましい活躍と、そのデータフィードバックにより改修されていくハイエンド量産機【黒騎士霊ダークソウル】による優勢。

 第二世代型の量産配備自体は衛星軌道都市サテライトに遅れを取ったものの、次々に配置されていくそれらのアーセナル・コマンドにより、多くの戦線で保護高地都市ハイランドは逆転の機運を高めつつあった。

 だからこそ、と言おうか。

 衛星軌道都市サテライトが、条約によって禁止された神の杖を解き放ったのは。


 天に住まう敵への反抗でありながら、地の戦いを決定付けるもの。


 戦力の数の差はあれ、装備の質で勝る。

 多くの保護高地都市ハイランド連盟の軍人はその戦線に勝利の似姿を見出していた。

 ……その筈だった。


 しかしながら、この戦いから初めて実戦投入されたアーク・フォートレス――移動式の機動要塞が、衛星軌道都市サテライト海上遊弋都市フロートの強固な前線構築能力を見せ付ける。

 まず敵潜水空母部隊の急襲により、アーセナル・コマンドを一個大隊――二十機ほど艦載した空母を三隻喪失。第51艦載強襲猟兵大隊、第60艦載強襲猟兵大隊、第62艦載強襲猟兵大隊を失った。

 予定していた海上からの支援、敵の後背を突くという奇襲作戦が失敗に終わったことにより、保護高地都市ハイランド連盟は地上戦に多大なる出血を強いられることとなる。


 そんな中、強襲猟兵及び即応猟兵の計八個大隊と多数の陸軍機甲師団並びに砲兵師団の犠牲と引き換えに獲得した沿岸部で、海上遊弋都市フロート攻略に向けて大規模な物資の集積を行っている最中だった。

 時間にして、十月九日から十日に切り替わってまもなく――夜も明けやらぬ、未明という、そんな時間だ。


『よぉ、死神ィ。久々だな。何ヶ月ぶりだ?』

『……貴官か、ヘイゼル。正確に言えば何ヶ月ぶり、ではなく何週間ぶりと言うべきだろう。貴官とは、海上橋頭堡防衛プローテウス・アイランドで二十二日前に協同して以来だ』

『あのね、お前さん……そこはそれぐらい待ち遠しかったって意味だぜ? これ女の子にも使えるんだから覚えとけって――いやお前さんは覚えるな。覚えるなよ、いいな?』

『……? ああ。貴官がそう言うなら、忘れよう。元よりあまり記憶が持続する方ではない』


 そう言うと、揃いの黒コート――背に赤くナイトの駒の刺繍を持つ彼は何とも言えない顔をした。

 煙草と酒をこちらに勧めて来たときと同じ――……そのことはまだ、思い出せる範囲内のことだ。


『中隊長! お話が――――へ、ヘイゼル・ホーリーホック中尉!? し、失礼しました! こちらは急ぎではありませんので、お手隙の際にお願いします!』


 背筋を伸ばして走り去っていく短髪の兵の背中をしばし眺めたのち、咥え煙草のヘイゼルがおもむろにこちらを向いてきた。


『……なに、お前さん、中隊長?』

『自分でも不向きとは思っている。……言うな』

『いや、というか……正直、そこまで統制取れてる方にビックリだよお兄さんは。いや……こう、なんか懐かしいな』

『殆ど傭兵団に等しいからな、今は……。ただ――……いつからか、俺が属する場所はこうなっていた』


 以前は、ヘイゼル同様に民間人出身や促成栽培などの多い部隊に――部隊と言っていいものか――に属していたが、配置換えにあった。

 自身同様に、大戦以前から兵教育を受けた者で再編成された部隊。

 そこでは、かつてのような軍事的規律も保たれていた。幸いなことであるが。


『あー……そりゃあアレだろ。お前さんに、首輪になって欲しいんだろ? なあ、【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】?』

『貴官も同じ生き残りだろうに。……首輪になれ、というよりは俺への首輪にしようとしている風にも思える。既に数度発砲事件を起こしたからな』

『あー……聞いてるよ、鉄のハンス。お前さんがいる場所で兵士に相応しくない素振りを見せたら、敵と戦う前に死神に連れて行かれる――ってな?』


 民間人への強制徴収や敵軍捕虜への性的虐待が十二件。

 それを憲兵に出す際の抵抗と、並びにその報復行為――就寝時に襲撃をかけられたことも含め、二十八人ほど返り討ちにしていた。


『軍にしても苦肉の策だろう。……俺が居ては、或いは敵と戦う前に壊滅しかねん。軍機にうるさい鋼鉄製の精神クロームヘッドだと』

『マーガレットお嬢も鼻が高いだろうな。あの暴風男が、今じゃ立派な騎士サマだぜ。叙勲の甲斐もあったってな』

『茶化すなヘイゼル。……茶化すな』


 戦争で心が削られていくか、或いは兵士足るに十分な教育を受けられなかったもの――ある種の被害者とも言える彼らへとそのような手段でしか応じられなかったのは、自己の不徳としか言いようがない。

 何一つ誇れない出来事であるのだから。


『ま、戦後のことを考えてじゃねえのか? アーセナル・コマンドなんて新しいものを編成しなきゃならねえんだ。お前さんのいる90大隊は、いいモデルケースだろう』

『或いは、この作戦以後か。……頭上を脅かす神の杖を潰せば、保護高地都市ハイランドもここまで形振り構わぬこともなくなるだろう。軍も正常化する筈だ』

『それも今日の戦い次第、ってか。……相手さんが短気を起こしてマスドライバーを潰さんことを願うぜ。やられたら完全にお手上げだ』


 ヘイゼルの言葉通り、それが一番の懸念だった。

 完全に不毛なる消耗戦に持ち込まれた場合、明確に不利なのは保護高地都市ハイランドだ。唯一のマスドライバーを失ってしまえば敵本国を攻撃することはできず、本土で敵が暴れ回るのをいつ終わるともしれずに防ぎ続けるしかない。

 無論、宇宙にしても深刻な――窒素ガスの供給を地上から行うしかないためにマスドライバーを破壊できないというのは本音だろう。地球近傍小惑星から採掘するとしても、ガンジリウムの力によって打ち上げが容易になった今ではこちらの方が安くつく。

 とは言っても……ここでマスドライバーを壊したとしても、海上遊弋都市フロートや彼らが支配下に置いた地域に新たに建造すれば事が足りるとも言えた。

 そちらを選ばなかったのは……


『……作戦、だろうな。マスドライバーがここにある限り、保護高地都市ハイランド連盟軍はここに戦力を集積させる必要がある。体のいい餌だ』

『あーやだやだ。んじゃ敵さんはその隙に手薄になったこっちの本拠地に殴り込みでもかけるつもりかね。……誰か行けるのか?』

『ミスターGJはそちらにいるそうだ。あとは、メイジー・ブランシェットの母艦が……彼女は、こちらに派遣されるらしいが』


 戦いに参戦した彼女と、今まで会話の機会はない。

 一度でいいから顔を合わせたいとかねてより考えてはいるが――……それも難しいようだ。


『この作戦で想定される敵機は、モッド・トルーパーを含めて六千機以上。……こちらはその二十分の一以下だ』

『人材が豊富だねえ、あちらさんは』

『こちらの全強襲猟兵力――四個軍団全てでアーセナル・コマンド九百機弱に対して、あちらは一個軍団規模で九百機弱だ。ものが違う、と言わざるを得ない』


 保護高地都市ハイランド連盟側の全アーセナル・コマンドの現在数が――四個軍団にして九百弱。師団規模では百機前後。

 対する衛星軌道都市サテライトは本国防衛・宙間方面・二個地上侵攻部隊の四個軍団で三千機以上。師団規模では四百機。

 更にそこに彼らの戦闘力を底上げするようなアーク・フォートレス――対一〇〇〇機サウザンドオーバーも有しており、ここにモッド・トルーパーも加われば――実数としての差はどれほどになるか。

 更に今回の作戦は増設ブースターによる攻勢のために、こちらはモッド・トルーパーを動員できない。したところで、海上遊弋都市フロートの海上戦力によってすり潰されるだけだろう。

 

『ま、だからこそあっちにとっても本国サマへの補給の要のマスドライバーはそうそう潰せねえものなんだろうな。……そう思わないとやってられねえ。これで作戦中に爆破解体なんてされたら、目も当てられねえぜ?』

『……その、懸念だな。何らかの対処を行えると信じたいが……』


 海兵隊や海軍特殊部隊による急襲、陸軍の空挺部隊による突入など――それらのマンパワーによる制圧も必要であろう。

 ともあれ、それについて自分が考えても過ぎたる話だ。

 所詮は機械の巨人を駆る自分にできるのは、


『何にしても、俺たちはあの日のように――飛ぶ。それしかない』

『さて、何人が生き残れるかね。……グリム。背負いすぎるなよ』


 案ずるようなヘイゼルの声に――彼も随分と顎の髭が濃くなった――首を振って返す。


『問題ない。俺がその命を背負うのは、生者だけだ。死者の重さを感じることなど、ない』

『ったく、素直に言えよ、この首輪付きの墓守犬チャーチグリムが。……理性を突き詰めすぎんなよ、ホント』

『感情は有している。問題はない』


 喜怒哀楽はある。切り離せるだけだ。

 つまり、なんら不都合な懸念は存在していないと言えよう。

 そして改めて大隊附の少佐によりブリーフィングが済まされたのちに、その仮設テントの中で自分が前へと出るように言い渡された。

 中隊員に対しての説明をせよ――という訳か。いや、ブリーフィングはかなり詳細に行っていた。補うことなどなく、その分の意見はとうに皆述べている。どちらかと言えば、何か、困難に対しての心構えを解けということだろうか。


(……鉄の英雄か、俺には過分すぎる名だ)


 守るべき者も守れず、助けるべき人も助けられず、ただ殺しだけを積み重ねた殺戮者。

 しかし、そうであることを望まれているならば――……己にできることは、それに応ずることだけだ。

 改めて咳払いと共に、面々を見回しながら口を開く。


『先にも大隊附より話されたが、まず改めて確認しよう。先んじて味方海上艦隊及び空中艦隊により支援砲撃が行われる。この大隊の役目は、その着弾から程なくして混乱に乗じて敵軍を急襲し、敵の迎撃部隊の出鼻を挫くことだ。やや時間を置いて、他に三個大隊が同様の作戦に従事する』


 作戦に導入されるのは十一個大隊――アーセナル・コマンドにして、計二百五十機強ほど。

 その内の四個大隊を正面からの急襲かつ露払いに。

 その後の五個大隊を本隊とし敵主戦力を膠着させ、その機に二個大隊による奇襲を行う――そんな手筈になっていた。 


『その後、五隻の空母に艦載された強襲猟兵大隊アーセナル・コマンド及び即応猟兵大隊モッド・トルーパーの本隊が出撃すると共に高高度から二個大隊が敵陣へと降下――敵後方のマスドライバーの奪取を行う。……俺たちは誉れある槍の穂先を務める、ということだ。当大隊と他の三個大隊を以て、戦闘領域を制圧ないしは一時的な優性の確保を望まれている』


 特に異は唱えられない。

 今更こんな間を置かずに確認しなくても頭に入っていると、彼らは言いたいのだろう。


『既に示されている通り、敵攻勢部隊も本拠地を出発済みだろう。おそらくは海路で――潜水艇を利用した強襲だ。狙いは五隻の空母と、当集積地。これには、潜水艦隊並びに対潜航空部隊――陸上はモッド・トルーパー及び地上車両が防衛に当たる。……ここまでは、先程も話された通りだ』


 長い前置きになってしまったが、と改めて息を吐く。

 一度止める。

 彼らの目に浮かんでいるのは不安もあれば緊張もあり、或いはこの殺し合いに慣れきってしまった仕事人の目もある。

 今更、自分などが何か言えるのだろうか。

 そう思いつつも、これが彼らとの最後の会話になるかもしれないと言うのならば――……せめてその生の抱える痛苦を和らげるのが己の為すべきことと定め、口を開く。


『当九〇一中隊と九〇二中隊は、本当の意味での最先鋒だ。各十二機――一機も欠けることなくこの場にいることを嬉しく思うが、反面、それだけ期待も重いと言うことだ。……特に未だに軍事的な統率を可能にしている大隊というのは、それだけの役目が求められてしまう。精々期待に答えるしかなさそうだな。実に損な役回りと言える』


 笑いが溢れた。

 少し雰囲気が安らいだようだ。


『グッドフェロー中隊長、その、心構えとかって――』


 最も年若い士官が発言する。

 それから、皆の視線が集まってくる。大隊長も頷いていた。やはり、つまりは自分が話すのはそのためらしい。


『【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】の生き残りとして、言えることか』

『……』

『確かに……増設ブースターによる攻撃に関しては、おそらく貴官たちよりも俺は経験豊富だろう。戦争初期から、幾度となく作戦に従事した。ある程度のノウハウはある。……とは言っても、その殆どは既に軍に還元されている。技術として俺に言えることはまずない』


 可能な限り高高度で飛行したのちに急滑空することで速度を増速することと、海面近くを飛行することで敵のレーダー探知と迎撃ミサイルを防ぐこと。どちらもブリーフィングで示されていた。

 あえて言うなら、


『そして――二つ、その時とは状況が違う。一つ目はアーセナル・コマンドに対アーセナル・コマンド機能が獲得されたこと。二つ目は先程も示されたように――衛星軌道都市サテライトの自律型小型アーク・フォートレス【炎鳥の黄身クリスタルクーゲル】の存在だ』


 それはアーク・フォートレスという名が付けられる前に出現した、最新の空域制圧防空兵器だった。


『空域制圧型空対空プラズマ砲台――この砲撃は力場を貫通する。プラズマブレードを射出している、と考えていい。これが敵支配空域に多数展開している。……作戦に先立って味方から砲撃を行なうとはあったが、これでもその全てを無力化できるとは限らない』


 海上艦隊及び地上ミサイル部隊からのミサイルによる飽和攻撃。それで破壊できるのは、敵防衛線の外縁部だろう。

 航空支援には頼れない。

 というのも増設ブースターを装備したアーセナル・コマンドが大半の航空機よりも速い点と、空軍基地の多くが神の杖に吹き飛ばされている点に由来する。今や僅かに残った早期哨戒警戒機や偵察機、輸送機以外での空軍の出番は薄い。

 ステルス性という意味では未だに現役ではあるものの、しかし、《仮想装甲ゴーテル》を含む複合装甲と近接急速戦闘機動を前にしては、些か分が悪くなってしまっていた。


『また、言うまでもなく敵海上戦力及びその艦載されたモッド・トルーパーの集中砲火も、受けてしまえば無事では済まない。一撃でも被弾してしまえば、まずその隙に刈り取られる。……足を止めることなく戦う、というのが求められる』


 これは多く見たし、保護高地都市ハイランド連盟も実行した。

 あの《仮想装甲ゴーテル》が喪失するほどの火力飽和攻撃。地上では、強襲猟兵の数で劣る保護高地都市ハイランド連盟の大きな助けになっているものだ。

 つまり……あくまで防衛や陸上戦力として利用するならば、モッド・トルーパーは決して楽観できない脅威を意味する。

 挙げれば挙げるだけ厳しい条件だ。事実、水を差されたように皆の顔は渋くなっていった。

 それを見計らいながら、言葉を選ぶ。……如何にも英雄に見えるように。否、或いは強靭不屈なる兵士の如くに。


『幸いだが、動き続ければアーセナル・コマンドは簡単には撃墜されない。そして、それが可能なのは開戦以前よりから己を鍛え続けてきた貴官たちだけだ。他のどの駆動者リンカーでもなく……だからこそ、この困難な任務の先鋒を任されたのだと思う』


 全員を見渡し、一つ一つの言葉を重く告げる。


『……戦力比は十倍以上。極めて困難な任務だ。そして俺たちは、対艦戦を主体に兵装を構成した他の大隊が大物を食えるように、可能な限り敵の直掩を引き付ける必要が出てくる。……絶望という状況を辞書で調べれば、今日という単語が現れるだろう』


 一度息を吐き――断言する。

 これから先は演技でも欺瞞でもない。ただの本心で、ただの決意宣言だ。


『ただ――……誓おう。、と。俺が開戦当初から戦い続けた一匹の猟犬として言えるのは、それだけだ。どんな状況においても、俺は必ず敵の喉笛を食い千切って帰ってきた。ここでもその有用性の発揮に務めると約束する』


 そうだ。

 信じさせるとか、負担を減らそうとするなどというどこか位置の異なる気遣いなど必要ない。

 単に己は保護高地都市ハイランド連盟の旗に誓った軍人であり、彼らもまたそうなのだから。

 故に、吐くのは、ただハンス・グリム・グッドフェローという軍人としての言葉だ。


『君たちの命を、俺に――いや保護高地都市ハイランド連盟に、そこに住まう君たちの家族に、この先も紡がれていくであろう歴史のために捧げてくれ。未来の大地と、そこに住まう市民のためにくれ。君たちの名を、俺にくれ。俺の鉄の身体に通う血と肉にさせてくれ』


 決して折れるな。

 曲がるな。

 損なわれるな。

 毀れるな、と――――己に言い聞かせる。


。天から大地を抉る神の杖を、その残酷なる神の喉元を食い千切る。それが一匹の猟犬として――もう残り少ない【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】の生き残りとして、俺にできる最大の義務と誠意だ』


 鹿に変えられた主すらをも噛み殺した猟犬。

 たとえ主人を噛み殺そうともその本分を果たすだけ。

 俺は彼らにそれを求めない。だが――ただ一つだけ、求めることがある。


『そして俺が死んだときは、君たちの誰かが俺を継いでくれ。この戦いに英雄はいない。諸君らの献身の一つ一つが英雄的所業であり、それは物語には記しきれない偉業となる。――いいか? だから、俺はこう言おう』


 まっすぐと拳を握り、正面から彼らを見据えて言う。


。そんなものではなく、新聞や広報誌を読めばそれで事足りるのだ――と』


 或いは強がり。滑稽な虚勢。


『吟遊詩人の喉を涸らさせ、印刷所を開店休業に追い込んでやれ。ニュースキャスターは残業続き。一体どこまで皆の話を聞いてまわればいいんだ――――と』


 或いは諧謔。起こるはずのない無意味な空想。

 だが、それがいい。

 それが最も適している。こんなものは、少し過剰でバカらしいぐらいが丁度いい。

 努めて笑いかけようと顔面表情筋に呼びかけ――再び、鷹揚とした兵士然とした仮面を被る。


『考えたら楽しくはならないか? 俺たちがここで忙しく命をかけるのだから、銃後の彼らにもその程度の苦労をしてもらいたいだろう? そして世ではこう名付けられる。――ああ、【鉄の鉄槌作戦スレッジハンマー】特需だと。実に素晴らしいことだ、貴官らは危機に瀕した保護高地都市ハイランド経済の救世主にもなる』


 そう言えば、兵たちは顔を見合わせ、軽口を叩きながら笑い合っていた。

 これで肩の力が抜けただろうか。

 兵は死ぬ。誰しもが死を意識している。恐怖を識っている。戦争の恐ろしさを――誰よりも詳細に。

 それでも、だからこそ笑うのだ。死を想うが故に、生ある内に彼らは楽しむ。失われる命は、声の一つも挙げられないから。

 その様を見回しながら、最後に、ゆっくりと口を開く。


『さて。……そうは言ったが、我々は救世主ではない。貴官らも、俺も、ただの一人の兵士だ。この保護高地都市ハイランド連盟が誇る、この騒乱の中にあっても不断の規律を保ち続けた鋼の猟犬たちだ』


 頬を崩していた男たちが精悍に――ああ、戦士の顔だ。

 よく笑い、よく喰らい、よく楽しみ、よく生きる兵士の顔だ。生者の顔だ。

 あの日、五歳の自分に語りかけた今生の父の顔だ。


『貴官たちの努力と献身を、俺は知っている。それ以上に他ならぬ貴官たちこそが、それを知っている筈だ。その紛れもない努力を、軍は今求めている。君たちを求めている。誰でもあり、他の誰でもない兵士たる君たちを』


 その一つ一つを焼き付ける。すぐには思い出せずとも、決して己の内からそれが色褪せぬように。


『どうか、勝利を。猟犬に栄光を。携わる全ての献身に敬意を。……そして、その上で言う。。俺より先に死することなく、生存を。俺は、皆と共に勝利を祝いたい。――以上だ』


 大隊長ではなく自分が演説をするような形になってしまったことに申し訳無さと恥ずかしさを覚える心地であったが、彼を見れば――腕を組んで僅かに頷いていた。

 安堵する。

 それは、手紙を通したメイジーとの交流で文学に触れたことが結実したのか。

 大学時代にスピーチのサークルにも顔を出していたことが功を奏したのか、それとも軍人を続ける内に相応の肩書や大層な二つ名で呼ばれるようになったが故か、少なくとも面白味のない自分という男の話がそれなりに好評を得られるようになったのは素直に喜ばしかった。


 戦後――軍のキャリアを足がかりに政治家を目指す。

 そんなことも考えた上で、そのように自分を企図して技術を磨こうとしていた頃もあった。

 結局は、いくつか考えた策は何一つ有効には働かず、努力はまるで間に合わず、戦争は予定通りに始まり――つまりは筋書きを変えることはできず、この先も続く戦いを思えば、概して無意味な足掻きとなってしまったが。


(ならば、足掻くだけだ――――決して折れずに。折り続けるだけだ)


 ヘルメットの重みを手に、パイロットスーツの上へと赤きポーンの刺繍が為された黒コートを翻して機体を目指す。

 あとは弁舌ではなく、実力行使の時間だった。


 誂えられた銃鉄色ガンメタルの機械騎士鎧が、膝を突いて立ち並ぶ。

 総身黒の騎士甲冑――――空戦力学をその身に宿した無駄のないフォルムの内に、威容を示す鋭角的なデザインを有したアーセナル・コマンド。

 第二世代型高性能ハイエンド量産機――【黒騎士霊ダークソウル】。

 クレーンや作業用モッド・トルーパーにより、その背へと槍の柄じみた超大型ガンジリウム利用増設ブースターが接続されていく。一本の矢のように――かつてのあの猟犬の日のように。


『グッドフェロー中尉、ご武運を』

『感謝する。……貴官の整備と献身に、深く感謝を。それに報いうるだけの勝利を』

『光栄です、中尉。……アナトリアの不屈、鉄のハンス』


 主武装は両腕部外殻に備えた二振りの熱力学的ブレード。

 そしてあたかも外接装甲板の如く、肩に懸架した力学的ブレード。今回はかなりの継続戦闘が予期された。

 地上における最大の反抗作戦の、その要。

 一振りの剣に――――決して折れず、曲がらず、毀れることのない一振りの剣に己を変えろ。有用性を発揮しろ。


 ――

 

 夜も明けやらぬ頭上の紫深き青色の大空と、眼下の黒色濃き大海原。

 水平線を目指して飛行する銃鉄色ガンメタルの騎士の編隊の、そのコックピットに響く警報音。

 敵航空母艦がレーダーに出現――それと同時に敵からのミサイル反応も確認。


 僚機たちへと対空砲火の対処を申し伝え、左右に散開させる。そのままスロットルを全開に――増設装甲板となった二枚の力学的ブレードへと通電し、生じた力場の壁にて己に喰らいかかる白煙の蛇を掻き分け、敵艦隊を目指す。

 全周モニターの向こうの闇に浮かぶ、敵船に灯った赤い警戒表示ランプ。

 日も昇り切らぬ暗きの海原に聳えた鉄と死の箱。

 その艦隊の前方で矢じりめいた形を取る灰色のミサイル駆逐艦が空中に三隻、海上に六隻。

 それらが囲った中核艦隊の内の、その前方側には――モッド・トルーパーを艦載した二隻の敵空母。その奥に一隻、その更に奥に二隻。輪形陣めいた構えを取っていた。

 この空域の【炎鳥の黄身クリスタルクーゲル】は、ミサイルによって潰されたらしい。海軍もいい仕事をしたと頷きつつ、


『第二、第三、第四小隊は増設ブースターを維持。切り離さず、慣性を上乗せして奥の船に叩き込め。ボーマンBowmanニトロNitroフリークスFreaks……各小隊員を頼んだ』

『了解です! 手前のは――』

『今、全隻を仕留める。……アイスIceヒットマンHitman。離れていろ。


 言葉と同時、瞬時に速度域を最大値まで加速し――そして切り離す増設ブースター。

 強烈なGの負荷と、突然の緩和。

 胃の中身が氾濫しそうになるのを堪える――眼前で青き海の上空にて炸裂する、主を失った増設ブースター。

 その身が抱えた流体の銀血が、ガンジリウムが、敵駆逐艦及び敵空母二隻の間にて派手な銀煙として咲き誇る――――だけに留めない。


 即座に――最大通電オーバーロード


 瞬時、それは不可視の爆轟。

 空域に散布されたガンジリウムの生み出す力場が外向きの衝撃波を生み、同時、その領域に巻き込まれた大気を内向きへと圧縮する。

 爆発の中心にて生まれるは、大規模なプラズマ球。

 そして、初手の衝撃波に吹き飛ばされた大気の揺り戻し。それがプラズマ球を更に圧縮し――――解き放たれる。


 言うなれば、気化プラズマ弾頭か。


 二度襲いかかる吹き散らす嵐と吹き戻す真空の衝撃波に叩きのめされ、そして本命である高温の爆風に晒された敵駆逐艦及び空母と艦載モッド・トルーパーが――白き閃光の内に消滅する。

 計――一万人以上。

 それだけの命が、この一瞬にて死滅した。

 その熱と暴風が上空へとはてどなく膨らむ爆発雲を作り、強烈な爆風が海原を揺るがす大波を作る。

 だが、


『グリント-09オーナイン――これより、殲滅を開始する』


 まだ終わらない。

 これはほんの小手調べだと、両腕のブレードを抜き放つ。

 今回は計四振り。

 力学的ブレードと、熱的ブレードをそれぞれ二つ――――継続的に殺し続ける、ただそのために用意した。

 

『……無茶するのね、中尉。これが【アクタイオンの猟犬ハウンズ・オブ・エークティオン】の生き残り……都市破壊者ブレイカー……無茶苦茶だわ、こんなの』

『俺が紳士的なのは、女性と子供に対してだけだ』

『ハハッ、セクハラは勘弁してくださいよ、中隊長どの!』

『……訴えますね、中尉。あとお下劣ヒットマンHitmanも』


 爆炎の中、かろうじて生き残ったアーセナル・コマンドとモッド・トルーパーを海へと叩き落としていく。

 殺す必要はない。

 弾を無駄にできない。

 ただ、死んでもらうだけだ。


『クソッ! 空母じゃねえ、例の新型だ! デカブツが! こんなもん浮かせやがって! イカれた変態どもが!』


 こちらを追い越すように上空を過ぎていった三個小隊の悲鳴。アーク・フォートレス――第二世代型に比して対一〇〇〇機に及ぶとも言われる、つまりは保護高地都市ハイランド連盟の全軍の機体を以てしても滅ぼせぬと謳われた力場と鋼鉄と火砲の怪物。恐るべき竜にして巨人。

 ならば――


『……全機一時退避しろ。可能であれば、展開した敵航空戦力への攻撃を。そいつは、俺が沈める』

『中尉!? でも、中尉のそれは対アーセナル・コマンド用の兵装じゃあ――』

『問題ない。俺は


 機体を覆う力場を最小値に――その防御を極端に削り、以って尖衝角ラムバウと推力への割り振り。

 敵の空母甲板じみた二枚の板の間に満ちるのは紫電。

 大空に翼を広げた、上下の平顎を持つずんぐりとした灰色の竜――アーク・フォートレスが有するのは、馬鹿げた大きさのレールガンだ。こんなものに撃たれてしまえば、味方空母もアーセナル・コマンドも諸共に藻屑となる。

 戦艦なのか、空母なのか。

 左右に広がった大きな二枚羽からは次々に敵艦載アーセナル・コマンドが発艦し、その翼に付いた爪の如き片側三本の砲門がこちらを照準する――――が、遅い。


 連続したバトル・ブースト。


 敵艦の真下にあえて潜り込み、その腹に備えられた対空砲火を惹きつけ躱す。濃紺の青き大海に飛沫が刻まれていく。

 首の後ろが粟立つ。《仮想装甲ゴーテル》は最小限。受けてしまえば海の藻屑だろうが、構わない。それよりも先に撃墜する。

 敵が浮かび上がったということは、つまり、それまで海水に腹を浸していたということ。その残る飛沫が邪魔となり、巨体の自慢の《仮想装甲ゴーテル》も薄い。


 今ならば、まだ、喰い破れる。


 海上の空母から空域に展開した計三十ほどの狩人狼ワーウルフの、敵のその銃撃を利用する。

 新型ということは、十分な実証実験が行えていないということ。相手が友軍なら――堅牢たるアーク・フォートレスなら流れ弾を防げると信じる、彼らのその慢心を断つ。


 即ちは――――加速と斬撃。


 こちらの友軍が切り離した増設ブースターの銀の残留物を足がかりに、紫電を走らせ空間を稲妻めいて跳ぶ。

 空を切る敵弾は、その友軍たる巨体の力場を削る。

 疾風――運動エネルギーと敵弾とブレードの力場を利用した突撃により、その要塞艦を覆う不可視の鎧を貫き、その鈍色の実体装甲めがけて蒼き光刃を突き立てた。


 貫く。

 刻む。


 銀血が舞う。

 竜の銀血が、こちらの銃鉄色ガンメタルの機体を覆いつくす。

 ああ、都合がいい。これで不死身の鎧は会得した。ならばあとは、もう、ただ殺すだけだ。


 奥歯を噛み締め――――ブレードから迸る紫電/最大通電オーバーロード


『――こういう使い方も、できる』


 敵艦の、腹が爆ぜた。

 巨体が揺らぐ。金属の悲鳴が上がる。

 だがそれで終わらせる道理はない。すぐさまに当機を覆う銀血に通電し、一発きりの大規模バトル・ブースト。敵機たちの遥か上方へと回り込み、即座にその揺らぐ甲板目掛けて逆さまに突き立てる刃。

 吐息を一つ。

 再びの――――《指令コード》:《最大通電オーバーロード》。


 終わらない。

 いいや、終わらせない。

 使


 生まれる力場と重力の加速度にて、鉄槌と化したる敵艦を叩き付けるは――その友軍たる二隻の空母。


 鋼鉄の悲鳴。敵軍の悲鳴。兵士の悲鳴。

 恐慌、恐怖、狂乱、怯懦――……そのすべからくを断ち切り、ただ一心に敵艦を弾頭として振り下ろす。


 押し込み、砕く。

 押し潰し、割る。

 全て壊す。形あるものを、全て。

 

 大海が上げる悲痛の如き――海面から狂ったように吹き上がる大規模な水柱と波濤。噴火めいて巻き起こる爆炎。


 ああ、故に、こう告げよう。


 大いなる鋼鉄の怪物よ。

 現代に蘇りし神話の竜よ。

 伝承に棲まう猛き巨人よ。


『巨人とは、すべからく討ち滅ぼされるものだ。ベーオウルフがそうしたように、ダビデがそうしたように。貴官たちも、その道理の下に今滅ぶ』


 業炎を掻き分け、再び銃鉄色ガンメタルの機体が空を舞う。

 一直線に――最短距離で。傷一つなく。

 混乱に包まれた敵機を、友軍と協同して仕留めていく。


『男でも濡れるぜ、中隊長どの』

『ハハッ、ヒットマンHitman。そりゃあ漏らしたって言うんじゃねえか? なあ、フリークスFreaks?』

『待ちな、紅一点のアイスIceお嬢様の感想を聞こうじゃないか? どうだい、クールレディ。たまには色っぽい声を出してもいいんだぜ?』

『このバカ男ども。最低よ。……ところで中隊長、今夜の予定とかあるかしら? 紳士的な対応を期待しても?』

『ここで殺し合いの予定だ。ディナーには間に合いそうにないが。……約束に遅れる男でも、君のお眼鏡には叶うか?』

『残念ですけど。……わたし、早い男も遅い男もお嫌いでしてよ? 楽しめなくなっちゃうもの』

『だってよ、ターキーTurkey。ブービー男には高嶺の花だぜ?』

『えっ、ええっ、ぼ、僕に振るのかい!? そこで!?』


 笑い合う。

 緊張を誤魔化すように。高揚で塗り潰すように。

 あとどの程度続くか判らない生を謳歌する。誰もが。誰しもが。死の淵に。殺し合いながら。


 ヒットマンHitman――ワイアット・アスピリエリ。

 アイスIce――サファイア・エリス・サザーランド。


 ボーマンBowman――アーチー・ダビッドソン。

 アクスマンAxeman――リュカ・デュボワ。

 ガーディアンGuardian――ライアン・ネイル


 ニトロNitro――ファン・ユウロン。

 ジグゾウZigsaw――オメル・サリオール。

 ボマーBomber――ロレンツォ・スカルヴィーニ。


 フリークスFreaks――クリストファー・ウォーケン。

 バナナBanana――ファジル・マンスーリ。

 ターキーTurkey――ジャック・クレイグ。


 ……死んだ。結局は。全員が。


 この戦場で生き残ったのは七名――――それ以上でもそれ以下でもなく。それだけだ。



 ◇ ◆ ◇



 プリン食べたい。


 そう思う。

 プリン食べたい。コーヒー飲みたい。


「おーぐりー、目が死んでるよ? 大丈夫?」

「ああ……いや、少し辛くなっただけだ」


 主に食事が。

 衛星軌道都市サテライトでは、輸送コストを避けるために食材を区別して輸入するという発想が基本的に存在しない。

 つまりは、タンパク質の粉末だとか精製された砂糖だとか塩だとか、そういうものを食料品として流通させている。

 それを給食3Dプリンターに詰め込み、様々な形の食品として各家庭や料理店でする。

 ……各家庭というのも語弊があるか。住まいの限られた彼らは、ほぼ無人化された料理店――ホログラムのウェイターやウェイトレスが出迎える――で料理を発行し、持ち帰っていく。


 結果、料理の形は違えども素材の味は同じ――――という代物が出来上がっていく。

 今腰掛けたカフェテラスの飾り気のないテーブルに並んだ料理もそうだ。

 味付けは工夫されていると思うが、咀嚼している内に素材の味が明らかになっていく。つまり、何を食べても噛んでる内に最終的に同じ味に行き着く。


「わたしは、おーぐりーと一緒に食事してると楽しいよ?」

「そうか。俺も君といるのは、不快ではない。それでも――……それだからこそ、もう少し料理に気を使いたいと思う」

「……本音は?」

「おいしいケーキとかプリン食べたい」


 食べたい。

 なんか甘いもの食べたい。

 おいしい甘いものが食べたい。


「かわいいね、おーぐりー」

「止せ。見られてる」

「そのマスクのせいだと思うよ、おーぐりー」


 まあ――目立つ。当然だが。

 印刷した料理をすぐに食べられるように誂えられた混み合ったカフェテラスでは、何とも言えない目を向けられる。

 地下闘技場のようなあの“建設現場アリーナ”にてはそれなりに名も売れるようになったようだが、一般社会にとっては不気味な面頬メンポを付けた不審者の一人だろう。

 事実、給食3Dプリンターに並んでいるときに反射したガラス越しにこちらを見た市民の一人が腰を抜かして悲鳴を上げていた。少し傷付いたが、申し訳ないことをした気持ちにもなる。


(あの戦いの最中には、味わうことのなかった料理だな。これが衛星軌道都市サテライトか――……彼らも地上獲得で躍起にもなる、というのも分かる気がする)


 まともな素材を使った料理は、高級品だ。

 地上ではありふれたチェーン店の一つでしかなかったハンバーガー屋も、このボウルの中にあっては素材を活かした高級志向の店舗として出店していた。

 味は全く変わらないが――……輸送の費用か、料金は割高だ。如何に今あの戦いの集結から三年、マスドライバーが建造されているとしても値段はそう簡単には落ちないらしい。


「出店、あるらしいよ? おーぐりー」

「出店か……」


 それがむしろ高級志向になるというのに若干の違和感を感じてしまうのは、何とも地上に魂を縛られた生き物のせいだろうか。

 衛星軌道都市サテライトのボウル間を移動して、商売を行う食料販売店。

 大型の公園――大型と言っても地上三圏とは規模が違う――にて行われる食品販売。

 普通の店よりも高く付き、そして味も確かだ。

 前世の祭りなどで見知ったそれがそのような扱いをされているとなると、なんだか酷く奇妙なことに思えてくる。


「フィッシュ・ダンプリングだって。すごいね、真ん丸だよ?」

「ほう?」


 偽造身分証により購入したデバイスの画面を覗き込む。

 まんまるの小麦粉の塊の中に、海上遊弋都市フロートから輸送した素材を詰め込んで焼き上げたとの説明。

 衛星軌道都市サテライト居住区ボウルをイメージして、ボウル状に焼き上げたというそれは――


「……たこ焼きでは?」

「え?」

「いや、すまない。少し色々と思い出した」

「うん。……おーぐりーは物知りさんだね」


 偉い偉い、とまた彼女はこちらの頭に手を伸ばす。

 どうもあれからラモーナには、そのような奇妙な庇護対象として見られるようになってしまっていた。

 彼女は控えめであるが、だからこそ所属意識や仲間意識が高い傾向にあるらしい。

 一度懐に入ったようなこちらには、その親愛の情をなにかに付けてボディタッチで表すようになっていた。動物の毛繕いのようなものだ。


「……すみません。オーグリー・ロウドッグスさんですか?」


 デバイスの画面に金緑石クリソベリルの目を輝かせるラモーナも、止まる。

 サングラスを付けてこちらを見下ろしていたのは、燃えるような淡い赤髪の少女だった。

 長く均衡の取れた手足と、整ったスタイル。

 女学生というよりは――……どちらかと言えば、心当たりがあるものだった。


「……君は?」

「いえ、少し、お話がありまして……」


 それに、ああ――と内心で頷く。

 あの“建設現場アリーナ”で戦うようになってから、どうにも増えていたその勧誘。

 スポンサーと言うべきか、パトロンと呼ぶべきか。

 それが地下闘技である以上は非公式なものであるのだが、企業は、そこで戦う闘技者ファイターたちに値を付けていた。

 或いは兵器開発のテストパイロットであったり、或いは非公式の企業の代理戦争であったり。

 思った以上に、あの戦いというのは市井に入り込んでいるらしい。元々、アーモリー・トルーパーを利用したレースやショウという土台があってのものだろうが。


 保護高地都市ハイランド連盟との関係にもよるのだが、いずれ正式に競技化されるのではないかという話もある。

 それもあって、青田買いのように競技者に声をかけているのだろう。

 或いは、八百長試合の誘いというものもある――何度か呼びかけられた。全て断りはしていたが。

 彼女もその手合の――つまりは企業の広報官なのだろうか。

 その美貌を見れば、そうとも思った。どことなく荒事慣れしていそうな隙のない雰囲気も、それを加速させる。


 僅かに思案し、


「たこ焼……フィッシュ・ダンプリングでも如何だろうか?」


 ひとまず、そう提案してみた。

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