第70話 星塵の戦場、或いは仮面の男

 猛烈な振動。回転した脚部のホイール。射出された長方形の加速パイル。

 強烈な衝撃が脚部に伝わり、すぐさまシートに押し付けられるような強烈なGがかかる。

 蹴り付けられた上昇板が、半ば回転しつつも鉄骨レールを伝って丁字塔の中心へと跳ね飛ばされていくのを眼下に眺めた。

 緊急時や、保護服の故障時に備えてコックピット内部にも一定の気圧が保たれている。つまりは、自機の振動は音として伝わる。たとえここが月面であろうとも――だ。


 しかし――……やや遅れて跳躍した敵機を眺める。その音は、こちらには届かない。


(奇妙な心地だ。……通常は、音声補正が行われるものだからな)


 アーセナル・コマンドの有する、光学式の振動感知センサー。それを元にした音響補正により、たとえ宇宙空間だろうとも戦いの中で音が絶えることはない。そうしなければ、戦闘ストレス空間識失調症を発症してしまう傾向が強くなるという研究があるが故だ。

 無論、工業機械としての利用の際も安全面からも光学振動感知センサーは求められる。作業員との連携や、接触事故回避のためにも有用だ。

 しかしながら――この年季の入った機体では、作用していない。センサーが壊れたか、それとも音響のプリセットファイルや連携システムの不具合か。或いは、かねてより真空に暮らしてきた人間たちには、そんなものは不要なのかも知れない。

 敵機からの何某かの無線は入ってはいるが。


(さて――……一週間ほど、機体慣熟訓練を行いはしたが)


 鉄塔に張られた疑似スペースデブリとの接続ワイヤーを回避しつつ、上空を見る。筏で船の座礁海域に乗り出したかのように、多くの残骸が障害物として空間を埋めていた。

 敵機は、通信で何かこちらへ呼びかけつつ、それを手慣れた様子で避けていく。

 先程ああは言ったものの、やはり敵機に一日の長があるだろう。的確に推進剤を利用しながら高度を増していくのを見ると、基本的にアウェイなのはこちらと見たほうがいい。


 不利、なのだろう。


 脊椎接続アーセナルリンクを果たしたものの、しかし、この人型重機械の操縦にはマニュアルでの操作も多く必要である。

 例えばそれは加速パイルであったり、アンカーであったり、推進剤であったり――本来の人体構造に存在しないものに関しては、接続酔いリンカードランクの観点からそも脊椎接続アーセナルリンクが行えないように安全機構が設けられていた。

 勿論、アーセナル・コマンドでもその傾向というものもあるのだが……その辺りは、機体管制AIによって補正が為されているために、ある程度は連動するそれらとは勝手が違う。


(軍用品にもコスト意識はあるが、それでも一機あたりの値段が違う。コマンド・レイヴンなら、この機体の五百機から千機ほどの値段だろうな。……値段の差は、構成素材ではなく航法システムや戦闘制御システムの差だ)


 放たれるペイント弾をデブリを盾に回避しつつ、こちらもガスライフルを構える。不発。細工をされていたのか、単なる不具合か。弾は撃ち出されなかった。

 普段ならフィーカに呼びかければ済むそれも、ここでは手動で解決しなければならない。

 機体のマニピュレータを操作し槓桿こうかんを引き、排弾。薬莢による燃焼式ではないが故に、排莢したとしても再動作には繋がらないが……弾丸の形状故にガスが抜けてしまった可能性もある為、排出はする。

 そして、射出の動力――ライフルの底部とチューブで接続された腰部の圧縮ガス装置。コックピットの機体制御基盤へと外付けされた武装制御盤のスイッチを入り切りさせる。制御盤のランプは赤い。

 弾丸が、直ぐ側を掠めた。通信で何某かの叫びを上げる敵機は、デブリを回り込んでいるらしい。


(改めて、普段とは違うと痛感させられる。……つくづく、戦争というのは金がかかるものだ)


 今でこそ量産態勢に入っているが、アーセナル・コマンドの当初は真実――ある意味ではワンオフとも呼べる代物だった。

 敵電子戦妨害に備えて、機体内部の操作情報伝達を行う光ファイバー。

 狂気的なまでのアクチュエーターによる人体の大小筋肉を模したような姿勢制御構造。

 熱した流体金属を流すが故に求められた煩雑な冷却装置と、その管理AI。

 力場の発生のために表面積を増大させながらも敵レーダー探知に備えるための高価な電波吸収ステルス塗料。

 

 まさに、なんとしても一矢報いるための狂気的な結実だ。


 それほどの手間をかけて行うことが、多くが片道切符となってしまった海上遊弋都市フロートへの特攻的な作戦だったというのは、真実、狂気だ。

 しかし、それが故にこうして今も保護高地都市ハイランド連盟の軍人を――保護高地都市ハイランドを存続できている。

 偏執的な執着にして、どこまでも理性的な狂気。徹底的な合理が生み出したその狂的作戦立案は、ある種の人類の軍事的な活動の縮図と呼んでも差し障りはあるまい。

 ならば――


(その端を担う一人の軍人として、俺も、尽力するとしよう)


 普段と違うなどと泣き言を言ってはいられないな、と自戒する。

 無論――やることがいつもと同じとは頭の奥底では自覚しているので、こんな泣き言は戯れのようなものだ。

 或いは新たに初めて行う経験が故に、己の中にも高揚にも似た――戦闘への緊張をそう捉えるとは実に欺瞞的だ――感情の波でも生まれていたのかも知れない。


『へっ、威勢がいいのは口だけかよ! それも随分とだんまりだ! 泣いて謝れば、許してやるぜ!』

「そうか。俺は、泣いて謝っても許しはしないが」

『てめえ――――吠えるじゃねえか、ド素人が! 望み通り、実戦のテクニックってのを味わわせてやる! 死の危険をな!』

「期待している。……励むことだ」

『くたばれ、クソボケ野郎が!』


 怒声に合わせて、ガスライフルの掃射が襲いかかる。

 火薬式のそれに比べて緩やかな、しかし無視できないほどの脅威の――音声補正が壊れたコックピットには不気味なほど何も響かず調子を狂わせるそれが、襲いかかる。

 音。振動。

 元来であれば、自分が相手にしている弾丸は音よりも速く飛来するために、銃声を把握したところで遅いものだと思っていたが――……なるほど、ここに来て逆説的に理解する。そのリズムを、伝わる音の波を自分は敵機の呼吸として読んでいたのか。


 本来なら肌感覚、或いは聴覚に任せていたそれを視認で行わなければならない。


 どうにも勝手が異なる。つまりは、苦戦を強いられるということだ。

 回避も、余計に大袈裟に行わなくてはならない――推進剤の残量が赤いランプを付けた。古い機体だから、噴射機構にもガタが来ているのか。それとも――……いや、言うまい。

 噴射の明滅と共に、敵機がデブリを目眩ましに左右に躱す。こちらの銃撃を期待しているというよりは、回避を惑わそうとしているとも思える。

 やはり――手の内のガスライフルは赤ランプ。使用できない。

 ガス残量には問題がなく、コンプレッサーも正常に稼働している。接続チューブにもガス漏れはない。となればありえるのは、トリガー機構の不具合か。ガスバルブとの連動が働いていない。


(レギュレーションは――……コックピットへの被弾、及び四肢への一定回数の被弾。その他にデブリ牽引ワイヤーとの接触と、デブリへの直撃損傷。地表への到達、機体損壊……それが敗北条件だったな)


 本戦にては他に、宙域の距離制限や特定禁止方向へのデブリの押し出しなどもあるらしいが――今は関係ない。

 判っているのは……不慣れな機体で、かつ装備の多くに不具合が出ており、敵機のホームでの戦いということだ。

 使用可能な兵装は、警棒と盾のみ。

 アーセナル・コマンドで言うところの、防御と移動のための力場を喪失して推進剤の残量も残り一回分――というところだろう。

 その、推進剤の使用どころ。それが最終的な勝利と敗北との切れ目になる。


『くたばり――――やがれッ!』


 漂う大型の破片、デブリから姿を表したダルマめいた胴の敵機が掃射を行う。上空から降り注ぐペイント弾。

 ここで残る一発の推進剤は使えない。推進剤の喪失は、上昇能力の喪失とほぼ同意義だ。

 左腕外付けの盾を晒し防ぎにかかるが、だが、これもいい方法ではなかった。今の飛行は――低重力故のまやかしであり、事実的には滑空を緩やかに行っているにすぎない。着弾により下方への運動エネルギーを加えられることは、この高度を失っていくことに等しい。

 つまり、やはり上を取ることは絶対的な優位を意味するのだ。この月面の空中戦においては特に。

 銃撃を加えれば仮に防がれたとしても敵機は高度を失い、逆に銃撃を加えられたら自機は反動により上へと押し上げられる。如何にデブリを避けつつ、相手より上を取るか。それがこの競技の肝要と見ていいだろう。


『情けなく、地面にキスさせてやるぜ! 低重力とは言っても、中のてめえまでは無事とは限らねえなあ!』


 掃射。

 盾で受け反らす形でベクトルを調整し、可能な限り横方向への移動力に変える。それでも、推進剤の噴射に加えれば微々たるものだ。視線の先の敵機が位置取りを調節し、追随してくる方が早い。

 宙を縦に裂くデブリ牽引ワイヤーを避けつつ、何とかデブリの裏側に回り込む。これで、敵機の頭上からの射撃は避けられる。あり得るとすれば、平面方向かそれとも下方か――だが。


『馬鹿が! ぶっ潰れて、叩き付けられて、あのガキにぐちゃぐちゃの死体でも晒しな!』


 無音――本来なら衝突音が発生するだろうそれと共に、自機の頭上――眼前のデブリが猛烈に稼働した。

 制御装置に従い、浮遊のための噴射が起こる。だが、付けられた勢いを消しきれていない。加速パイルによる蹴撃の勢いは、デブリが有する圧縮ガス圧高度制御を上回っている。

 

 強化ガラスで覆われたコックピットの、視界いっぱいにデブリが広がる。受けてしまえば機体は地面へと真っ逆さま。如何に重力が地上の六分の一といえども、機体の背中から叩きつけられるそのマイナスGは深刻に駆動者リンカーを苛むだろう。

 最早、猶予もない。

 両脚部の計四対――八つの車輪を完全稼働。デブリの岩肌目掛けて膝から打ち付けるように車輪を接地させ――

 凄まじい振動。回転の齎す振動。車輪の齎す振動。

 削れるデブリ表面が煙となり、宙に飛び散る。あたかも火花を纏い、火を放ちながら回転する火車の如く。

 推進剤を全開。車輪の回転にて弾かれぬように自機をデブリ目掛けて押し付け続け、更に加速。

 迫るデブリのその向こうへと走り抜け――


『マヌケが! どっちにしても、てめえは詰みだッ! もう推進剤も残っちゃいねえ! 死にな!』


 本来なら把握できるはずのないが、そのガス圧ライフルの銃口を向ける。

 まさしく彼の言葉のその通り、こちらにはスラスター噴射による回避を行うことは不可能である。

 故に彼は、これを決定的な王手チェックと見なした。その脳裏では、こちらはあらゆる抵抗は行えずただ撃ち落とされる的としか思えないだろう。


 ――故にこそ、


「出力全開――」


 応じ、上げるスイッチレバーはガス圧ライフルの制御盤。バルブを全開。トリガー連動をオフ。

 同時、引き抜くはその送気チューブ。

 結果――――腰のガス供給装置が、あたかも推進装置めいて宙へとガスを吐き出した。その反動にて、緊急回避。

 更に――


「なっ!?」


 脚部の車輪を、前脛側のみ完全稼働。そのまま足を僅かに開き――突如として機体が左右に回旋する。 

 ジャイロ効果。

 回転する物体の軸を傾けようとした際に、その直角方向に対して反作用が働く――足を開こうというその動作が、車輪の持つ回転を通じて、機体の身を捻るような運動へと作用する。

 結果、空中で体操選手がそうするかの如き急速な空戦機動を描いて、機体がその前後と上下を入れ替えた。

 抜き放つ警棒。

 後ろ向きに敵機とすれ違うようなそのまま、その腕のガスライフルを叩き落とす――慣性に従い、釣られて下方に叩き落される敵機。チューブが引き千切れ、ガスが噴射。更にその落下が加速される。

 だが――


「アンカー、オン」


 機体内部のホイールの姿勢制御によって即座に安定を取り戻した自機から放たれる腰部アンカー。鰐口のクリップが一直線に敵機の手足を挟み込み、彼我の距離を固定する。

 逃げられない。逃さない。

 そんな、両者を繋ぐワイヤーの綱引き。


「さて……不慮の事故、と言うんだったな」

『てめえ、まさか――』


 巻取り開始レバーに指をかけ、更に、脚部の加速パイルの発射スイッチにも指をやる。


、と言った。……貴官は忘れたのか?」

『っ、っ――――』

「口に出す道理は、貴官の持つ論理だろう。――ならば知るはずだ。他でもない貴官が、それを是としているのだと」


 敵も警棒を抜こうと後ろ腰に腕をやろうとするが、巻き取られるワイヤーがそれを許さない。

 当然だ。宙間で漂流しかねない機体への救助方法として誂えられたそれの馬力は、手足のそれを凌駕している。

 そして、敵機へと向ける脚部。即ちはつがえられた矢の如き、加速パイル。


「まずはその身を以って表すがいい。――俺は、望み通りに応報する」

『や、やめっ――――』


 出力全開。放たれた矢の如く、巻取りワイヤーに従い自機は誘導弾めいて敵機目掛けて放たれた。

 半狂乱の敵機が、推進剤を全開にその身を左右に振り付ける。

 その遠心力に従い、ワイヤーに繋げられたこちらにも強烈な圧力がかかるが――奥歯を噛み締め、耐える。普段与えられているそれに比べれば、さほどでもない。

 敵機は叫び、逃げ惑おうとしていた。

 だが逃れる方法はない。

 流星めいて過ぎていく無数のデブリ。

 飛来の速度に加速パイルの射出圧を加えれば、如何に人型重機といえどもコックピットは粉々に砕け散るだろう。地面に直撃すれば、スクラップが一つ出来上がる。

 果たして、こちらの脚部が敵機へと接触し――強い衝撃と共に、


『へ、え、――――……?』


 加速パイルは作動させなかった。

 結果、敵機は自機に挟み込まれるようにデブリへと衝突し、その勢いを止めた。


「不慮の事故を故意に起こしていたら、それは事故ではなく事件だろう。……その区別は付くか?」

『……っ』

「俺は区別を付けられる。、だ。……肝に命じておくことだ。ここには、俺を諌める騎士の星はいないのだからな」


 足の下のコックピットのあちらでは、涙とよだれで入り混じった防護ヘルメットの敵駆動者リンカー

 これで、十分な警告と示威行為にはなっただろうか。そして、には。


「ラモーナに謝って貰う。二度とあの娘に無礼な口を聞くな。そして、仲間にも伝えるといい。俺は、必要ならばを実行できる。――警告はした」

『……っ』


 最後に通信を入れ、審判からの判定を待つ。

 踏みつけられた敵機をまだ戦闘不能と見做さないなら、ここからそのコックピットを砕け散るまで警棒で叩きのめし続ける必要があるのだが――


『ちゅ、中止! テストは中止だ、メメント・モリ!』

「……再試験になるか? その場合、相手は誰になる?」

『合格だ! 合格! 合格でいい! とにかく終わりだ!』


 その言葉に従って、緩やかな加速度に身を任せて落下する。

 脚部を変形し、車輪での接地。サスペンションは有効に働いたらしい。僅かに埃を舞い上げ、着地を鈍い衝撃として知らせてきた。

 地球なら間違いなく重力の影響で自壊しただろう。重力加速度が小さいということは、当然、墜落の衝撃も地球に比べればマシということを意味している。

 遅れて敵機も着地し、そしてコックピットから引きずり出されていた。どうやら自力では降りられなかったらしい。先ほど野次を飛ばしていたその仲間たちが、案ずるような――それ以上に醜態を叱責するような声で群がっていた。

 その内の一人が、輪から離れる。

 風に靡くマフラーの如き保護服の片腕。中身がない。隻腕だろうか。


「やるじゃないか。オーグリー、と言ったか? その分なら、いずれ本戦で会うだろうさ。仲良くやろうじゃないか」

「……貴官は?」

「ビッグ・オメガ。新入り共のコーチ役なんてつまらない仕事と思えば、面白いものが見れた。……いや、若い奴らが失礼したな」


 先程はそれを止めようともしなかったというのに――……これも一種の示威行為だろうか。

 情けないところを見せたのは自分の一派だが、自分と一派は別だ――という自尊心を保つ術。


「構わない。特に問題も起きなかったからな」


 そう言えば、隻腕の保護服の男は肩を竦めた。

 その立ち振る舞いの所作からして、単なるごろつきというよりは訓練された軍人を思わせる。

 ……交流を深めるべきだろうか、と考える。潜入任務となったからには、一般的には現地に溶け込み協力者を求めることが肝心だろう。

 この場合の協力者――戦中に開発され、実戦に投入されず、しかし解体や破棄もされずに行方知れずで秘匿されているアーク・フォートレスの情報を持つ者――とはどのような人間だろうか。

 あり得るところでは、開発に携わった者。他には、その秘匿を行った者や情報を統轄していた者だろうが……。


 その情報の入手の為に“建設現場アリーナ”への潜入が求められたということは、おそらく駆動者リンカー周りに類するところだろう。


 ……とはいえこちらは陽動であるという点を鑑みれば、自分が協力者を探すというのは求められていない気がした。

 別段の指令がなかったことを鑑みるに、おそらくラッド・マウス大佐や上層部がこちらに求めていることは、普段通りのハンス・グリム・グッドフェローであろう。


(……もう少し、具体的な作戦の流れについて知れればやりようもあったのだが。いや、或いはそれを知らせぬことを――知って俺が変化することを厭っているのか。その可能性が高いな)


 つまり、名前以外は普段どおりのハンス・グリム・グッドフェローを。

 それが己に求められていることだろうと当たりを付け、改めて方針を決定させる。


「調子に乗っていられるのも、今のうちだぜ……!」

「おい」

「離せ! 一人でも立てるんだよ、ナメやがって……!」


 腰砕けになった先ほどの対戦相手が、それでも指を向けながら無線で怒鳴りつけてきた。


「お前みたいな奴は、いくらでも見てきたんだ……だがな、生き残ってる奴はいねえ。意味が判るか? メメント・モリ死を想えなんて大層な名前をつけやがって……!」

「そうか。なら、俺が生き残る初の事例になるな。サインは必要か? これでも練習はしてきたんだが……」

「減らず口を……! 生きて名声が受けられるとは、思わねえことだ……!」


 罵声。

 あれほど叩きのめされたというのに、まだそう言えるのは見上げた反骨心と言うべきか。

 そういう彼が未だに駆動者リンカーを生きて続けられているのは、これだけ他人の不興を買いながらも未だに殺されていないのは、よほど安全性がある競技なのかそれとも彼の生存性の高さか。

 どちらにせよ、その点は見上げたものだろう。素直に感心せざるを得ない。


「その有り様でまで生き残れる貴官に言われれば、確かに助言の一つとして受け取るべきだろうな。素直に注意しよう」

「てっ、てめえ……!」

「……逆に、俺からの助言だ。その……戦闘中からずっと思ってたんだが……ペイント弾が主武装であるのに、『くたばれ』『死ね』というのはどうにも不向きである気がした。慣用句とは判るが、実行力を伴わないのであれば……別のものを探したらどうだろうか?」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ」


 失礼する、と彼らに背を向けてラモーナの場所へ向かう。

 厚手の保護服に覆われた彼女は、小さく頷いた。

 こちらの会話の傍ら、静かに機体へと乗り込んでいた少女。仕込みは十分整ったのだろう。

 ならば、あとは――――


『おい! 大丈夫か、ロウドッグス! おい! クソ、誰か、医務室に連れて行け!』


 幾度かの模擬戦の後、燃え上がった制御盤とコックピット。

 砕けてしまった保護ヘルメットを、その上から顔面を抑えたこちらへと対真空流出用の液化ポリマーが吹き付けられる。

 昼食などの休憩を挟んだ更に何戦かの後の模擬戦闘の終わりに、突如として炎が吹き出したコックピット。

 その中に収まっていたこちらは逃れることもできずに完全な被害を受け、格納庫内の医務室に連れられていた。


「傷を見てみないとなんとも言えないが……まあ、おそらくは再生治療ならば――」

「……そんな金があったら、姪に、もう少し上等な服を買っている。そもそも、こんな稼業に就こうとは――……」

「そうかね。……そうだな、まあ」


 正規の医者というよりは、半ば闇医者のような老人は退出する。

 慣れっこなのだろう。

 先程も、別の人間が怪我をした際にそうしていたのを目撃した。

 資源が限られた宇宙空間では、医療品も貴重だ。実際のところ、自分たちに絡んできていたあの集団の中には頬などに酷い傷を負って碌に治療を施した形跡もない者たちもいた。

 だから、考えた。計画した。それはこの場に来た時点から、始まっていたのだ。


「……これで予定通りにいったな」


 腕時計型のデバイス――周囲の音声収集・電波送受信型の盗聴器検知機能を確認し――ベッドに腰掛けたまま、老人と入れ替わりに部屋へと入ったラモーナへと頷く。

 汎拡張的人間イグゼンプト――。

 機械整備などにも類稀なる才能を見せる彼女の力を借りて、自作自演で事故を起こした。

 顔を焼き潰すため――正確には煤ばかりで碌な損傷なく、焼き潰したと見せかけるためのものであるが。

 判っていても、正直肝が冷えた。

 ロビンやアシュレイらなら、まさしく効果的に薄皮一枚に軽い火傷を追わせる技量がある――と心底知っているが、ラモーナのそれは未知数であったためだ。


「無茶するね、おーぐりーは……」

「必要なコスト、というものを考えている。多くの戦闘ではそれが避けられない。避けられないなら、受け入れるだけだ。その姿勢は、他にも通ずる――……と思う。……勿論、君を信頼していたというのもある」

「……うん。へ、へ」


 とはいえ、何にせよ。

 本格的な闘技者としての登録が済む前に、顔写真が登録される前に事態を完遂させたのだ。

 これで不特定多数へと顔写真が共有される心配はなくなった――ということだ。

 それがラッド・マウス大佐たちの想定通りなのかは疑問が出るが、自己の身の安全のため――ひいては相棒となったラモーナの身の安全のため、なるべく潜入におけるリスクは低減しておきたかった。


 採用訓練で実戦さながらの戦闘を行い勝利したものの、その後訓練中の不慮の事故にて顔面へと怪我を負ったマスクの闘技者――――。


 話題性もあるだろう。

 あまり悪い手ではないと思えた。

 勝ち進んでいけば、いずれ、再生治療の為に――とパトロンが付くかも知れない。そうなれば、その人脈を活かした調査も進められるだろう。


(……我ながら、と思えばこういう陰湿で冗長な手段も思い付くことに驚きだな。部下のために理想的な上官や市民のために規範的な兵士の面を見せることと根は変わらないと言えるが……)


 こんなことを続けていたら、自分がどういう人間だったかも曖昧になる気がする。

 マグダレナには驚嘆するしかない。

 場面場面で違う己を演じつつ、それでも損なわれない己という絶対的な個を持つ――――或いは彼女に聞いてみたら、自分のそれは十分な振る舞いとは異なると駄目出しを受けるかも知れないが。


 何にせよ、根は整った。


 髑髏じみて剥き出しの歯茎を食いしばったような漆黒の面頬メンポと、顔の右半分を大きく覆う骸骨の指――檻の如き眼帯を装着する。

 多少視界が妨げられるが、思ったよりも視界の確保はできている。

 衛星軌道都市サテライト特有の家庭用3Dプリンターによって容易く生み出されたそれの設計を行ったのは、ラモーナだ。

 様々なことへの接続性が高くなる――汎拡張的人間イグゼンプト――の彼女の素質か、それとも元々あったデザインの才能なのか。

 如何にもと呼んで相応しいその面頬メンポには、ある種のスター性のようなものも感じられる――……気がする。贔屓目かも知れないが。


 鏡を前に暫く角度を変えつつそれを眺めていれば、


「ねえ、おーぐりー」

「どうした?」

?」


 ライラック・ラモーナ・ラビットは、どこか不安げな――しかし確信を持った金緑石クリソベリルの瞳で、そう問いかけていた。



 ◇ ◆ ◇



 僅かに困惑する。


「……何の話だ? 仮面を付けるのは、今からなのだが」

「それだよ。判らない? おーぐりーは、?」

「……」

「ずっとそう。わざと怒らせようとしているみたい。わざと怒らせようとしてないふうのときも、そう。おーぐりーはずっとそう。……どうして?」


 こちらをじっと眺めてくる、透明感ある少女の――意思の色が覗いた視線。


「話して……よ。おーぐりーのこと、知りたい。一緒に仕事をするんだから、知らないとだめ。じゃないと怖くなる。……ちゃんと話して? わたしは、頼りになるんでしょ?」


 とった言質を盾にするような――。

 いや、彼女にとって真実その言葉は大切なものだったのだろう。

 ある程度、円滑に仕事を進められるように関係を保とうとした――他の職務上の人間関係同様に――という自覚はある。

 しかしそれにしても、彼女はこちらに想定以上に気を許していた。それは、その核心的な言葉が所以か。

 無論、嘘はなかった。心から、彼女を頼りにするつもりだった。だが――……こうも、


汎拡張的人間イグゼンプト、か)


 こちらの内面を測られるとは――……彼女がよほど優れているか、或いは兵士としての義務にて自分を戒める枷が緩んだ為か。

 いずれかは知れない。

 それとも単に、人の機微に敏い娘なのかも知れない。

 ……思えば今回は、自分でも判る程度に普段と変化があった。揺らぎがあった。であれば、明晰な人間には知られてしまってもおかしな話ではないだろう。


 逡巡し――……息を吐く。


 ここで煙に巻くことや、或いは話を逸らすことは彼女からの不審に繋がるだろう。せっかく醸成されかかっていた信頼関係を崩すのは、作戦にあたる軍事的な合理性の観点から避けられるべきだ。

 そしてそれ以上に、思う。

 そうして問いかけるに至った少女の気持ちを踏み躙りたくないという――極めて個人的で、矮小すぎる感傷。


「確かに……君の言葉が真実何を指したものであるのか、俺に判っているとは言い難いが……その上で述べさせて貰うならば――……」


 医療用ベッドに改めて腰掛け、吐息を一つ。


「――……認めよう。俺にはところがある。……あった、と言おうか」

「……」

「実際のところ、俺は様々な面で他人の機微に疎くなった。……必要がないからだろう。それも取捨選択だ。必要性の下の。殺されるような事態――俺の有用性を発揮しなければならない事態以外は、どうでもいい。……いや、そう言うと語弊があるか」


 昔、そう告げたマーシュに激怒された。或いはマーガレットにも。ヘイゼルにも。

 彼ら彼女らの想いを無駄にしないためにも、それを口に出すのは憚られて然るべきだろう。

 首を振り訂正し――続けた。


「ただ、俺はこれでも……相手が怒っているということについては、まだ比較的判る。怒りは明確な攻撃の兆候だ。それを察知する必要があるためだろう。つまり――……翻って、もある程度は判る、ということだ」

「……じゃあ、やっぱり怒らせるためなの? さっきわざとやっていたのとは、また、別に?」

「……根は同じだ。初めは、そういう意味もあった。その差が、乱れる彼我の心の差が、戦闘において敵と自分の最終的な生存を分けることに繋がる。他には――……」


 ――〈そのすっとぼけた態度、おれみたいな手合いへの応報のつもりかい?〉〈〉〈あんた――やっぱり、怒ってるんだろう?〉。


「……俺自身の未熟もある。どうにも消しきれないものが」

「……そう」


 全ての罪は、法の下の罰を持って許されるべきだ。

 法に規定された罰以外は行うべきではなく、また、それは厳然と法執行機関によってのみ行われるべきだ。私刑は避けられるべきで、私怨は晴らすべきではない。

 理性ある人間なら、その論理を是とするべきだ。

 そう理解してはいる――……いたが、それでも、先程ラモーナへと無遠慮な侮辱や暴言をかけ続けた相手や或いは民間人を愉しみながら殺傷し続ける相手になど――――たとえそれが法の領分を逸脱しようとも、と、そう思ってしまう気持ちを消しきれない。

 応報だ。

 自分という刃をへの応報として作り上げろと、身の内の怒りの獣が囁いてくる。どうしようもない怒りの獣が。或いはそれは己の理性か。


 何事にも欠けることなく、折れることなく、毀れることのない剣を指向するのであれば――――それは揺るがずに断ち切れる機能を有しろ、と。


 ……あくまで、それは単なる一面ではあるのだが。


「どうすれば、なのか――……そう考えることも無駄の内だ。余計な考えが己の集中を乱すことに繋がるし、それを削がれたときに……逆説的にこちらの隙になり得る」

「……だから、あなたは、考えずにもできるようにしたの?」

「そのようなものだ。……とはいえ、きっと元々の俺自身の性格というのも間違いなくあるが。あまり器用な方でも、気が利く方でもなかった。……確かそうだった筈だ」


 前世においても、現世においても――それはあまりにも遠く隔たってしまい、己の内においてはとうに掠れている。

 確かなのは、


「……じゃあ、んだ。おーぐりーは」

「言い方によっては、そうもなるか。如何なる場合においても僅かでも勝率を上げるために――最初はそう考えて振る舞っていたのだろうが」

「……」

「……今はもう、何も考えていない。考えることなく、なっている。俺にとっての自然になった」

「……そう」

「だから、どちらにせよ――……そうだな。これは、もう、覚えておく価値のないものだ。仮面と言うなら、それは。俺には仮面はない。あるのは、首輪だけだ」


 これで満足しただろうかと伺えば、


「そっか、じゃあ、だね。……


 噛み締めるように彼女は呟き、それから顔を上げてこちらに視線を合わせた。

 蒼白色のアイスブルーと、若草色のライトグリーン。

 彼女は、明確にこちらを悼むように――或いは労るように。


「わたしが、おーぐりーのことを覚えておくよ……」

「ラモーナ?」

「大丈夫。わたしが、おーぐりーが忘れても……覚えておくから」


 大仰な保護服に包まれた小柄な少女は、そう、小さく頷いた。


「そこまで君にして貰う理由が判らないが――」

「だっておーぐりー、嫌がらずにわたしのことを頼ってくれたでしょ? ……嫌なこと、しなかった。言わなかったよ、おーぐりーは。――って」

「……」

「おーぐりーは、わたしを一人前に扱ってくれてた。……嬉しいよ、おーぐりー。そういうことをしてくれるのは、ぱぱだけだったから。おーぐりーは、二番目」


 はにかむ彼女は、静かに手を伸ばす。

 白いベッドの縁に座ったこちらへ。

 その小さな手が、上から黒髪に触れていた。こちらの、髪に。


「偉いね、おーぐりー。おーぐりーは、偉いよ」


 慈母のような笑みを浮かべ、動物が毛繕いをするように、或いは動物に毛繕いをするように――柔らかな彼女の手が頭を撫でる。


「……嫌だった?」

「いや、驚いただけだ。……不快には思っていない」


 頭を撫でられるなど、いつ以来だろうか。

 おそらく現世では覚えがないことだ。やった覚えも――やられた覚えも。

 少し手を引こうとしていた彼女は、こちらの拒絶がないのを見るにそのまま続けた。

 暫く、奇妙な――――年若い少女に頭を撫でられる成人男性という、奇妙な絵図が控室に訪れた。


「じゃあ、これで……おあいこだね。おーぐりーが頼ってくれて嬉しかったから、今度はわたしがおーぐりーを嬉しくさせたの。だからこれは、おあいこだ」

「そうか?」

「そう」

「……そうか。君がそう思いたいなら、構わないが」


 まだ、撫でられる。撫で続けられる。

 正直、落ち着かない心地である。

 フェレナンドやエルゼなどの部下や、ヘイゼルやロビンなどの戦友。或いはマーシュだとかメイジーだとかに見られたら、なんと言われるか少し気になった。その程度の社会的な自尊心は、まあ、ある。


「こんな話、するつもりもなかったのだが……」

「だって、でしょ? だったら、別にいいと思う」

「そうか?」

「そう」

「……そうか」

「うん、そう。わたしのおーぐりー、だもん。わたしの仲間の」


 彼女は実に嬉しそうにはにかんで――それならそれでいいかと結論付け、暫く、されるままにしていた。



 ◇ ◆ ◇



 実に綺羅びやか――それは退廃的で、享楽的で、破滅的なまでのネオンの灯火。

 ナイトクラブの中のその一室。

 多数の熱気に包まれる会場を、サーチライトじみた色とりどりのステージライトが彩る。

 入り乱れて踊るようなダンスホールの中心に浮かび上がる青のホログラムは、どこまでも無骨な重機械の剣闘士。

 そのステージに立つ、黒人の司会者がマイクを片手に声を上げる。


『さあ、次は話題のあの男だ! 八戦八勝! 破竹の勢いで進んできた新星――――冥府から、現世の舞台に来てくれた仮面の旅人! 弁舌に容赦なく、戦闘にも容赦なし! スポンサーは古今東西の葬儀屋の皆さん! 試合後の祝賀会パーティさえもお呼びでなしの、家族サービスが大好きな死神さんだ!』


 彼が指を鳴らすと共に、ステージの各所に浮かび上がる賞金首のポスターめいたその姿。

 骸骨の指が片目を覆い、剥き出しの骨の歯茎が口元を隠す。

 漆黒の死神的な面頬メンポ

 感情というものを浮かばせないアイスブルーの瞳。


『ご存知かい? ご存知じゃないなら、ここで知っていきな! 彼が言いたいことは唯一つだ――まさに死神の金言! 現世の自堕落で享楽的なオレたちに、ありがたい教えを一つ授けに来てくれた宣教師サマ!』


 その軽快なマイクパフォーマンスに合わせて、観客たちは歓声を上げる――右手を上げる。

 踊っていた。跳ねていた。熱に浮かされていた。

 元来、衛星軌道都市サテライトが持っていた娯楽の殆どは制限を受けた。それは戦争により――或いは戦後の支配により。

 そんな中で、原始的な闘争の血を騒がせるのは一つ。

 巨体と巨体、鋼と鋼のぶつかり合い。

 或いはその友情や衝突――――企業の代理戦争、闇賭博などという枠には収まらない。そこは戦争の最中で失われていった人間性を想起させるドラマであり、戦地に赴かないままに敗残者となった者たちの感じられる戦争のリアルだ。


『現世は楽しいかい? 生きるのは楽しいかい? 彼が思い出させてくれるのはたった一つ――――闘技者登録名ファイターネームメメント・モリ死を想え】だ――――――ッ!』


 大きく――地響きのように。

 人は魅せられる。闘争に魅せられる。痛みに、苦しみに。他者が抱える悲痛を見て、己の内の悲痛を共感させ肯定させる。

 否、そんな御大層な頭のいい理屈なんて必要ないのだ。

 ただ単に――――超刺激的! それで現世は事足りる。


『今回のレギュレーションは、なんと珍しい宙域以外の戦闘だ! 偉大なるお目溢しの我らが衛星軌道都市サテライト政府に感謝――と、おっとこれは政権批判じゃないのでその辺はよろしくな!』


 時に笑いを交え、時に意図的に弛緩させ、そのパフォーマンスは闘争の良い吟遊詩人だ。

 熱と狂乱に包まれた人々は、今日も日々の暮らしを忘れて声を上げる。

 ぶつかり合い、叩きのめされ、叩きのめし、立ち上がるその鋼の騎士たちに想いを託す。

 そんな中で、


「……死神、ですか?」


 一人、抜き身の刃の如き強い意思を称えた金の瞳の少女が――――燃えるような赤髪の少女が、僅かに眉を上げてホログラムを見詰めていた。



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