第69話 追放者ハンス・グリム・グッドフェロー、或いはオーグリー・ロウドッグス


 今や地球の重力の六分の一以下になってしまった月の引力の内にあって、その荒涼たる大地を進む工作車の速度は緩やかだ。

 速度を出し過ぎた場合、不揃いな路面にそのまま大きく跳躍してしまうことになるから――……。

 非常固定用のアンカーワイヤーを備えながらも、全周を強化ガラスで覆われた――車輪のついたガラス瓶のような宙陸両用車両は、暗黒の真空の下を着実に進んでいく。

 景色は、寒々しい。

 真実そこが生命なき月の荒野というだけではなく――深海めいて息が詰まりそうな重圧を覚えるほどの、壁一枚外の死の空間。おまけに日照を得られない大型クレーターの内側とあっては、闇を裂く車両のヘッドライトだけが頼りだった。


「……」


 工作車に乗り合わせた、他にその“作業員”に志願した者たちは五名ほどか。

 隣の手すりに身を預けた透明色の空気を纏う少女――ライラック・ラモーナ・ラビットが、こちらの宇宙服の裾を摘んできていた。

 パイロットスーツよりも幾分か分厚く息苦しい防護服。非常時用のガス噴射機構はあるが、こうした宙間活動は久方ぶりのために、いざというときに身体操作の感覚を取り戻せるかは疑問だ。

 まあ、何にせよ備えている。

 クレーターの壁面に架けられた表面のざらついたハイウェイを車両が駆け上がれば、広い強化ガラスのその向こう――暗き真空のその彼方に、宝石の輝きめいて青く浮かぶ星が見受けられた。


 なるほど、と思った。


 さぞや水も大気も豊富に見えるだろう。

 その中ではハリケーンや豪雨災害が付き纏うものだが、それも物資乏しい宇宙からすれば単なる贅沢な戯言と思われるか。

 星暦は二百年を過ぎ――人類が統一連邦政府を失ってからは百年ほど。その間、互いを隔ててしまえば……こうも蒼き星へと憎悪を募らせるのも、或いは無理のないことなのかもしれない。


(極寒で育たぬ者に、寒さの恐怖は知れない――か。昔そんな言葉を聞いた覚えもあるが、ともすればあの戦争も必然かもしれないな)


 時間がそれを募らせたのか、それとも、逆に相互理解への時間が足りなかったのか。

 自分には判らない話だ。

 肌感覚が掴めない。本当の意味で、この世界の住人ではない自分には。マーシュの言うように――異邦人なのだから。


「さて、そろそろだぜ。今回はあくまでも試験だぜ。おまえらが、口だけの男とも限らねえからな」


 それから車を月面で走らせること暫く、辿り着いたのはまた別のクレーターだった。

 全てが風化し荒れ果てたような岩肌――灰に近い白の地平線の遥かには、飲まれるような黒の空。

 寒々とした光景が広がるその内で、再び採掘道路を下っていった先にあったのは、軍用基地の航空機駐機場エプロンめいた平地と石油プラントじみた鉄塔的な建築機械が立ち並ぶ空間であった。

 その、外れ。

 尖った短い鉛筆じみた格納庫の隣に、高く聳え立つ人工構造物。

 そこにはあたかも天へと架ける橋の如き大型エレベーターが居座っており、その遥か上段の方にて丁字型に左右へと長い腕が伸ばされている。

 さながら、大いなる主が架けられた十字架か。


 ここが、今回の“建築現場アリーナ”。

 正しくは、訓練場であるが。


 宙間闘技場――というのは、なるほど考えられたものだなと思った。

 衛星軌道都市サテライトは当然ながら、その敗戦の責を負って軍備というものを大幅に禁じられており、それどころか廃棄されたアーセナル・コマンドと掛け合わせることでモッド・トルーパーを製作可能な人型重機械というのも制限されているが。

 しかし単なる採掘に留まらず、スペースデブリの撤去に当たっては一定度の推進機能を持つ装備が求められる。


 故の――アーモリー・トルーパー。


 そしてデブリの撤去には危険を伴い、作業員が怪我や――ともすれば死亡したところで、ある種の日常茶飯事。

 デブリ除去という性質上、その飛来によっての事故を厭って保護高地都市ハイランド連盟の艦船による監視もない。

 アーセナル・コマンドほどにないにせよ、推進力を持ち三次元的な機動が可能であるが故に――まさしく元軍属の駆動者リンカー崩れならば、戦後の職として最適だろう。


(そしておそらく、衛星軌道都市サテライトの政府や官憲も本気で摘発はしていないだろう。軍事に関して大きな制限を受ける今、この闘技場は――他でもない軍事訓練の一環になるのだから)


 上手く回るようにできている、という訳だ。

 ただ――だからこそ、この機構が即ち【衛士にして王ドロッセルバールト】のような反政府組織と繋がっていると考えるのは、いささか性急が過ぎるだろう。

 単なる衛星軌道都市サテライト政府も管理しきれない、する気もない闇娯楽というのと――明確に戦後の法秩序体制への反抗というのは、決してイコールではないのだから。


(……彼ら【衛士にして王ドロッセルバールト】の人材発掘場所になるか否か。見てみなければ、何とも言えないか)


 それこそ剣闘士は、その名誉が故に敢えて奴隷の身分に落ちてまで剣闘士を志す人間もいた――という事例がある。

 人は、名誉に敏感だ。承認を求めている。

 この“建築現場アリーナ”にて十分な実力を持ち、そこで名誉や報酬を得られている人間が、一山いくらで命を使われる兵隊になることを是とするかというと、それはまた別の問題だ。

 だが逆説的にそうスカウトされる人間が多いというなら――それはこの機構自体が、反保護高地都市ハイランド勢力によって運営されていると断言しても過言ではないだろう。


「おーぐりー?」


 ラモーナの声に現実に引き戻される。

 ダルマに野太い手足を生やしたようなずんぐりとした二機の人型重機――アーモリー・トルーパーが、重く分厚い格納庫の扉を左右に押し開ける。

 そこに待ち受けていた集団は、一見すれば確かに工事の作業員のように見える。

 だが、


「ガキまでいるじゃねえか、今度は」

「ははは、新しい接待役か? 俺たちのアソコを慰めに来てくれたのかね?」


 短波通信。

 真空防護服を纏った、その丸型のヘルメットの奥の独特とした剣呑さを隠さない目付き。それは、確かに命のやり取りに身を置く者たちが持つ目線だった。

 軍人らしい自負には恵まれない、それでも殺気を纏う顔付き。

 そんな度胸故か、対人における射程距離の意識もなく近付いてくる一人が――……こちらの服の裾を掴んだラモーナを見咎めて、言った。


「よう、色男。ここは女衒じゃないんだぜ?」


 応じて、周りの人間たちも笑う。

 その雰囲気に気圧されるように身を隠したラモーナに対して気分を良くしたのだろう。

 ヘルメットとヘルメットがぶつかりそうなほどこちらに顔を寄せた男は、更に続けた。


「聞いてるのか? ボンヤリとした顔をしやがってよ。オマエ、女を誑し込むのが本業の玉無し野郎だろ? なあ、そのガキにでも養って貰った方がいいんじゃねえか?」


 玉無しなら女を誑し込むことはできないのでは?

 そう訝しむ気持ちもあったが、指摘したところで逆上するだけだろう。この手合の言葉は、鳴き声と変わらない。事実、威嚇以上の意味合いは薄いだろう。

 意味を求めるだけ無意味というものだ。


「ガキでも、女だ。そいつを置いていけばオマエは五体満足で返してやるぜ? なあ?」

「ビビって声も出せねえ勇者サマよりは、よっぽど稼げるだろうよ!」


 口々に野次が投げかけられる。

 自分たちの他の志願者の中には、その雰囲気に気圧された者もいるようだ。

 なるほど、効果的だろう。彼らからすればカモであり、競合相手だ。自分たちの腕前を現実より高く見せたいならば、言葉によって敵のその意気を挫くというのは効果的な作戦なのだ。彼らは本能的にそれを理解している。

 見上げたものだな、と思いつつ――


「……一つ訂正を。彼女に俺を養うのは不可能だろう」

「そりゃそうだ! そんなまだ乳臭えガキに――」

「この娘は、程度の低い男を相手にはしない。到底、稼ぎにはならないだろうな」


 言えば、男たちの気配が変わった。

 静寂に――怒りというのは静かに張り詰める。これまでただの小手調べの意図だったろう彼らからは、明確に怒気が込められた目線を向けられていた。


「言うじゃねえか、なあ、色男。ボクチャン舌を使うのは大得意だってか?」

「色男、色男と……それならそちらをなんと呼べばいいだろうか? 区別して、モテない君と呼ぶべきか? そちらの論理に従うなら、妥当に思えるが……どうだろうか」


 一番近くにいた、先鋒をきった男の顔が真っ赤に染まる。


「おい。本番じゃなくても、命の危険ってのはあるんだぜ? 不慮の事故って、判るか?」 

「そうか。。気を付けるといい」


 頷けば、こちらの胸を強く押した男が去っていく。押したというか、質量の差で押し出されたのはあちらだったが。

 他の志願者を見れば、何とも言えない笑いを浮かべていた。

 結果的には彼らの緊張を解す形にはなったろうか。その中には数名、眉一つ動かさずに事態を見守っていた手練もいたが――……何にせよ、生活の糧を求めてこの場に参加した者たちの力になれたなら、それはそれで存外の喜びだろう。


 それから、細かな規約の説明だとか、注意点の説明だとか、登録に際しての諸業務が行われ、

 

「オーグリー・ロウドッグスだ」

「ロウドッグス? ……おかしな名前だな。それで、まだ先の話にはなるが――闘技者登録名ファイターネームはどうする?」


 改めて書類などの登録を済ませた最後に、受付役の防護服の男がそう問いかけてきた。

 僅かに思案し、


「――『メメントMモリM』だ」


 そう告げた。

 何にしても、これから初戦――という訳だ。



 ◇ ◆ ◇



 物寂しいくたびれた控室に入るなり、接触による音声伝達と秘匿通信による声がかかった。


「……おーぐりー、遊んだでしょ」

「アナグラムのことか?」


 Hans Grim Goodfellow――を入れ替えて、Orglieh Lawdogs。

 おまけにFN……Fighters Nameに対して、M・M――Memento Moriは、露骨すぎるほどだろう。全ての文字を使い切った。少し心得があれば即座に気付かれる。

 事実――しかしこちらの想定よりも早く――それに気付いたラモーナは、


「うん。……見付かったら、どうするの? パパから、要らない子だと、思われちゃう……」


 咎めるような、悲しむような、ただ困ったようなそんな目線。

 ラッド・マウス大佐の養女という彼女は、家族を早くに亡くしたという経験からか――それは職務意識が高い軍人というよりは、どこか自己肯定感とその源を求める少女めいている。

 或いは、家族愛に飢えたシンデレラの別側面……とでも言うべきか。

 そんな彼女の、しかし頭の回転の速さを確かめられたところで――彼女という人間に対して思うところはあるが、この場では論ずるべきではないと判断し――続けた。


「おそらくだが大佐は――……こちらが敵に捕捉されることを織り込み済みだろう。俺はそう見ている。それとなく、伝えてきていた」


 戦中からして、この首には懸賞金がかけられていたのだ。

 保護高地都市ハイランド連盟が大元となるデータについては破棄しているだろうが――……それでも残党たちの中には、自分らの画像データを有する者が居てもおかしくないだろう。いや、自然だと見るべきだ。

 そんな中での、潜入任務。

 マグダレナからは、秘匿されていたアーク・フォートレスの破壊任務と概要を聞いてはいたが、その実、自分の仕事はスパイ紛いのそれだった。


 本来ならば、管轄としては紛れもなく情報部の仕事だろう。

 ハッキリ言って、軍人は目立つ。その所作からして匂いを消しきれない。よほど高度に専門的な軍人以外は、まず潜入捜査任務には不向きと考えていい。

 利するとすれば――そのこそが求められる、といったところだろう。

 それか、黒の駒を差し出すことで利益が認められる。そんな何かの必然性に従った作戦。


「マグダレナからの資料に従って、宙間闘技場への接触はできた。……ここまではあちらが俺に求めていたことだ。ここからは推測となるのだが――……」


 わざわざ一芝居打って、自分を拘束にかかる部隊を振り切って離脱を行った。

 どう見ても、限りなくどうしようもない自作自演だ。どんな一流の役者でさえ信じさせるのは難しいだろう。間違いなくこの戦況において、保護高地都市ハイランド連盟が自分という黒の駒を手放すというのはまるで理に適っていない。

 そして作戦に失敗し失われたら、適材を適所に使わずに生まれた無意味な損害だ。愚かな策だ、と言える。

 そんな輩が入国を済ませたところで、敵組織にとっては標的の一つが懐に飛び込んできただけにしかすぎないのだから。

 だが、それはあまりにもあからさま過ぎて――


「ここまで黒の駒が離れているからこそ、離反ということにもある種の説得力が生まれる。何にせよ俺というのは見過ごせる駒ではなく――どんな形にしろ、接触が図られるのではないかと」

「えっと……」

「つまり、湖面に石を投げ込んで魚を動かそうということだ。よほど、尾を掴むのが難しいのだろう。その石代わりにされた、というわけだ」


 それが危険な任務であるということと、大まかな作戦の概要と、自分が本命ではなく陽動であるという点までは説明を受けた。

 襲撃に対する予期も警告された。当然だが、最もそれが敵の行い得る手段であろうとも。

 その他は秘されてしまっていたが――……それはこちらが敵に拘束されたことを鑑みてだろう。

 そうだ。

 正直なところ、その敵からこちらに対する襲撃。アーセナル・コマンドを有しない場面での戦闘。

 それが自分の持つ、一番の懸念だった。


「俺は、機体を降りての戦闘はあまり得意ではない。……そういう意味で、君のことを頼りにしている」

「………………わたし、を?」

「大佐が付けてくれたからには、君が適任なのだろう。俺もそれに従い、信じることにしよう。――頼れるのは君だけだ、ラモーナ。君にしか頼れない」


 自分は、ロビンやヘイゼル、マグダレナやアシュレイのように生身の歩兵装備でアーセナル・コマンドの撃破のような神業はできない。逃げ回り、或いは直接的に駆動者リンカーを殺すので精々だ。

 大口径のリボルバーと、一定の反射神経とストレス耐性により対人戦はある程度こなせるものの……仮に歩兵小隊などに遮蔽物のない場所で正面から襲われれば、制圧は免れないだろう。

 ……保護高地都市ハイランドが自分をどう見做しているのかは知らないが。他の皆のように思われている可能性も無きにしもあらずだ。

 いや……ひょっとしたら厄介払いで、ここで自分を排除しようとしているのではないか――とまで思えるが。

 

 その点――……ハロルド・フレデリック・ブルーランプ特務大尉があの都市で行ったことを鑑みるに、この特殊部隊【狩人連盟ハンターリメインズ】は一定度の白兵戦も得手としていると見て問題ないだろう。

 メイジーがそうであったように、汎拡張的人間イグゼンプトは生身の肉体においても一定の戦闘力を誇る。

 ラッド・マウス大佐からもそう言い含められていた。

 ただ、

 

(よほどの素質なのだろう。……だが、こんな年端も行かぬ少女を軍属に? それも特殊部隊とは……判っていても素直に頷き難い)


 内心で拳を握る。あのような戦時中の特例が如きことが繰り返されようとは――――と、どうにも憤懣に近い感情を持ってしまう。

 止められない。自己がどうしても彼女を、庇護対象のように見てしまうということをだ。

 シンデレラしかり、メイジーしかり。

 亡くした妹の歳に近いからか、彼女たちのような年端もない者を戦場に送り出すことを酷く厭ってしまう――――そんな考えへ、内心で首を振る。


(ラモーナは、何も今しがた戦いに巻き込まれた訳ではない。……彼女がとうに軍人としての覚悟を済ませているなら、俺がそれに言及するのは筋違いだろう。侮辱にあたる。ブルーランプ特務大尉の際と同じだ)


 己に言い聞かせるように、繰り返す。

 彼女への態度もそうするべきだと――また己へ命令する。そうでなくては、どうしても侮った言動になってしまうであろうから。

 そんなラモーナは、色素の薄い前髪から覗いたその緑金石クリソベリルの如き瞳を輝かせるようにこちらを見上げ、


「……ほんと? 頼りにしてるんだ、わたしを……」

「ああ。同じ保護高地都市ハイランドの制服を纏う以上、同じ軍人だ。それも選抜された特殊部隊とあっては――貴官のその努力と献身について疑うのは非礼だろう」

「えへ、へ……そっか。おーぐりー、わたしのこと、頼りにしてくれるんだね……」


 控えめに、はにかんだラモーナ。

 それから彼女はこちらの背中を撫でて、僅かに踊るような声で言った。


「……そっか。じゃあ、わたしがグリムのことを助けてあげるよ。大丈夫、だねっ」

「オーグリーだ、ラモーナ。……期待している」


 できれば彼女の手を汚させることは起こしたくないと思いつつ――そう機会もない、つまり余裕もない生身での仕事が故に万全に行えるとは言い難いと結論付けた。

 つまりは、必要性だ。

 ハンス・グリム・グッドフェローは、オーグリー・ロウドッグスは、ライラック・ラモーナ・ラビットの力を借りる必要がある。

 それは、兵士としてのミッションだ。

 これまでも――年若い兵を部下として死なせたような。軍人としての、仕事の内だ。――


「……早速だが、一つ頼んでもいいだろうか」

「うん。……でも何? おーぐりー、悪い顔してるよ?」


 顔面表情筋は、努めて平静に保っているつもりだが。

 或いは彼女は、並外れて鋭いのかもしれない。あの大佐が対一〇〇〇〇〇機ハンドレッドサウザンド・オーバーを標榜して専用機を誂えるほどなのだから、よほど生まれ持った適性が高いのだろうか。

 何にせよ――


「作戦の意図は承知したが、できる限り生存率を高める努力をしたい。その一環だ」


 自分だけでなく彼女がいる以上、より多く生き残る努力をするだけだ。



 ◇ ◆ ◇



 アーモリー・トルーパーを初めて見た人間は、おそらくこう言うだろう。


 ――人間の上半身が乗った戦車だ、と。


 正しくは、無論、誤りだ。

 脚部を折り畳んだ――つまり正座したようなその姿勢では、脚部外甲に片側二対有する車輪の――そのすね側のそれが地面に接触し、四輪車めいた移動手段となる。

 これは主に一定の重力下での移動を想定したものだ。

 宙間や無重力状態に於いて、その人型重機械はようやく直立する。


 推進機構は、三点。

 一点目が、後背部からの推進剤の噴射による推進。しかしこれは高価であるため、使用はコスト面で言えば限られる。

 二点目が、腰部アンカー射出と巻き取りによる推進。これは対象物が相応の重量を有する場合に使用される方法で、通常は緊急措置――つまり自機が意図せず宇宙空間に放り出されてしまった場合や同僚がそうなってしまった場合の救助手段になる。

 そして三点目が、脚部外装パイルによる反動での推進だ。


 脚部折り曲げ時に移動用の車輪として利用していた片足二対のそれは、大きな杭――直方体を挟み込む形に備わっており、今度は射出装置として使用される。

 打ち付けるその反動にて機体を加速。

 そして、機体内部に有する複数のフライホイールのトルク・モーメント変化によって機体の姿勢制御を行う。


 手慣れた搭乗者ならば、一度重量物を蹴りつけることで――あとは無重力故に失われることのない慣性を利用し、そのまま飛び続けることが可能だ。

 事実、かつて衛星軌道都市サテライトで放送されていた番組の中にはそんな大会を映したものもあった。

 大きな構造物を蹴りつけ、機体内部の姿勢制御システムのみを利用して障害物を避けてゴールを目指すレースゲーム。


 これほどまでに衛星軌道都市サテライト保護高地都市ハイランドの関係性が悪化する前は、深夜に放送されるそれを幾度と目にしたことがあった――そう回想できる。


(装備は、ペイント弾を詰めたエアライフルと盾――あとは警棒か。……得手ではないが、心得はある)


 問題はなさそうだと、そのずんぐりとした機体を見上げる。

 試験的な意味とすれば、見られるのは慣性制御の面か――そう考えている、その時だった。


「中には自信がある奴もいるようだし……どうだ? どうせなら、実戦形式でやらねえか?」


 ニヤニヤと腕を組んだ複数の男たち。

 我が領域だと言わんばかりに機体に片腕を預け、嘲笑を浮かべている。

 案内役だった男が、こちらを見た。他の志願者たちも、僅かにざわめいていた。

 こちらも僅かに眉を上げ――……だが、慣れている。男社会に特有の通過儀礼。或いは示威行為。それは兵隊を続ける上で、どうしたって付き纏うものだ。


 その上官が、自分に指示を出す指揮官が、どの程度なのか測るため。

 或いはあの戦争中期のような統制を失いつつあった傭兵団同然であったその頃に。

 何度か、そういう視線を向けられたことがある。

 それについての答えは――――決まっていた。


「俺は構わないが、機材の修理費はどうなるんだ?」

「何……?」

「そちらのシートを付け替えなければならなくなる、だろう? 人の排泄物の匂いは思ったより染み着くものだ」

「てめえ……!」


 一時はまた優位に立ったことにより取り戻されていた男たちの余裕が、赤くなる顔と共に崩される。

 敵にイニシアチブを与えるのは、軍事的に避けられるべきだ。

 故に無礼とは存じつつ――こちらも徹底的に行う。それが戦闘に関わるなら。その有用性の発揮のためには、こちらは常に十全の行動が可能である。

 そして、案内役や受付役がゴーサインを出したなら、


「あの、おーぐりー……」

「どうした、ラモーナ?」

「がんばって……ね?」


 袖を握って見上げてくるラモーナに一時の別れを告げ、機体に乗り込む。

 最初こそ徹底的に、肝心に。

 こちらの有用性を存分に発揮する――べきだ。



 コックピットは、光学センサーが収集したそれを投影するような全周モニターではない。

 鳥籠めいた骨組みのその内側で、直接的に視認を行うための強化ガラスに覆われた操縦席。

 脊椎接続アーセナルリンクの接続を済ませる。

 学習型AIこそはない。民生品の中でも高価な人型重機械にはそれを有するものもあるが、ここで用いられているアーモリー・トルーパーはそれほどでもないらしい。

 或いは完全なる型落ち品では脊椎接続アーセナルリンクすらも有しないことも多いが……兵器開発という無駄なコストを民生品で回収しようとしているのだろう。オニムラ・インダストリー・グループは、このようなアーモリー・トルーパーを次々とリリースしていた。


 例の大型エレベーターによって運ばれた丁字型の塔の上。

 既にスペースデブリ除去訓練のための、疑似スペースデブリは頭上に展開済みだ。

 ワイヤーで繋がったそれらは内部に圧縮気体の噴射機構を有し、月面の重力に負けぬように幾度と噴射しては頭上を漂っている。

 その丁字型の塔の腕の先端と先端。

 加速パイルのための踏切板がサンドバッグよろしくぶら下がったその端と端に、敵機と自機は居た。


『あのガキの前で、てめえをゲロと小便塗れにしてやる!』

「……それは、避けたいものだな」

『はっ、今更か? だからと言って――』

「それがたとえ貴官のものであるとしても、だ。あの娘に、これ以上汚いものを見せるのは憚られる」

『……………………あ?』


 通信を行いつつ、脚部先端のクローの圧力レバーに手をやる。

 通常、宙間においては足底部の電磁石によって張り付く仕掛けになっているが――例えば漂流する他機をワイヤーにて救助する場合等に備えて、アーモリー・トルーパーにはこのような機構が備えられていた。

 話しつつ、見極める。

 概ね、弱いとはいえ重力がある月面でも空戦の基本は変わらない。加速パイルの使用と、速やかなるクローの開放。それが、その基礎のために必要な初速を生むことになる。


『……オイ。地面に叩き付けられて、涙目で血ゲボを吐き散らすのがどっちだって? 今日来た素人のてめえじゃなく――』

「当然だろう? 貴官と俺では、加速圧に対する耐性が明確に異なる。それは、自明の筈だ。もしそれほどまでに己を高く見積もっているというなら――……いや、言うまい。どうあれ内心の自由は、認められるものだからな」

『――――』

「だが、貴官らの言動はあまりあの娘の教育によろしくない。そこは、叔父として咎めるべきだろう。……、ということだ」


 試合開始を告げる信号機は、赤のままだ。

 だが、遠からず緑になる――そう考えつつ、続ける。


「……案ずるな。できる限り、その内面以上の汚物を撒き散らさぬように加減だけはする」

『ぶっ、ぶ、ブッ……てめっ、ブッ、ブッ――』

には気が早いぞ。それともそれは、貴官の尻語か?」

『――――――――』


 言いつつ、内心で笑う。

 挑発。

 だとしても、軍人としてのハンス・グリム・グッドフェローならばここまでは言わないと思える言葉。或いは己が、オーグリー・ロウドッグスという仮面に引きずられたか。

 マグダレナが言っていた。仮面。人は自分ではない誰かになる。或いはそれこそが、逆説的に自分なのだと。

 たがが外れる。

 匿名が暴力性を助長するように、役割になりきるということは、自身の持つ内なる嗜好性を増大させる。指向する/嗜好する/施行する――――己を。人間性を。


 それとも、ハンス・グリム・グッドフェローという人間そのものが――――そんな指向性のための、一つの人格と言うのか。


『ブッ殺す――――!』


 怒りの唸りを上げる敵機を見ながら、静かに呼吸を絞る。

 脈拍は正常だ。脳波も落ち着いているだろう。

 いつもどおり――普段どおりの、有用性の発揮の一つにしかすぎない。

 つまりは、


「――オーグリー・ロウドッグス、撃墜する」


 ランプが青に変わるその瞬間、雑念の違いにて先行したのはこちらだった。

 あとは、切り刻むだけだ。

 その戦意も、企図も、兵装も――ただ押し並べて平らに均す。

 ただ、それだけだ。



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