第59話 眠らずの山猫、或いは目を開くもの


 夢は見ない。

 ただ、祈りたくなる日もある。


 どうかこれ以上の戦いも起きることなく――世が続いてくれと。


 すぐに打ち切る。

 それは、無駄なことだからだ。

 自分は祈らない。祈ることをやめた。いや――……或いは常に祈り続けているのかもしれない。

 鋼の理性を。

 何もかもが狂い果てても、一人、正気でいれるだけの力を。


『ふぅむ――……面白いねえ、少尉。キミは全ての人間を愛しながら、権利を認めながら、個人を一人の人間と確かに思いながら、その正気を信じてはいないのかい?』


 猫のように目を細める銀長髪の女性技術者の前で、僅かに黙する。

 そうなってしまうの――……だろうか。

 いや、違うのだと首を振る。

 他者の内面はこちらから見えず、その行動から類推するしかない。あくまでも類推の域を出ず、真実それが何かは測り得ない。

 また、他人が内心でどうあるか……どう行動するかは、何にせよその人間の自由だ。それが具体的な被害に――こちらへの職務に障らない限りは、なんだっていい。


『そう、そこだよ。キミは初めから分かり合うことを信じていない。……いや、分かり合わずとも問題ないようにしていると言うべきかな? その不確かさに関わらず、一定の社会的な結果が出るようにはしている』


 頷いた。

 確かに、そんな面はある。


『……聞く限り、普段のキミを見てもそれほど深刻なコミュニケーションの問題は――……ええと、深刻な精神疾患やそれを齎すような過去については見られない。その点だけは……うん。少なくともそういう深刻そうな交流上の問題は……業務上の問題に関してだけは……まあ、ない』


 何かこちらに言いたげな、含みのある言葉に首を捻る。

 だが、それはいいのだ――と彼女は咳払いをした。


『逆に言えば、そのような他者への不信感を抱くだけの過去はキミにはない――ということになる。そういう理由もないのに、キミは、そんな人間である』


 不信感という言葉に内心で首を傾げた。

 必要もないのに他人に不信感を抱いた覚えはないからだ。


『ああ、確かにキミは他者を信じることをやめてはいないだろうが――……判るかい? 最悪に備えているということは、最悪を前提としているということだ。初めからある種の部分で諦めをつけているんだ……いや、何もかもに悪くなることも見積もっていると言うのが正しいかな?』


 彼女はそれから、少し考えて口を開いた。


『そうだね。確かに大きなところで人と人が分かり合うのは無謀だ。ワタシも信じていないとも。……ただ、キミのは少し質が違う。他人を信じられないというより、他人に信じられようと思っていない』

『……』

『まぁ、或いは信じていないというほど酷くはなくとも、その分の余力を別のところに回しているのもあるんだろうね。――それほどまでに切り詰めないと、駄目かな?』


 首肯する。

 自分の才には限度がある。そちらに集中しようとすれば、どうしたって、その内で切り捨てるものが出てくる。


『そう、そこだよ。不思議なのはそこだ。人間というのは、ただ形而上学的なものに向けて努力し続けるというのには向いていない……キミの述懐に従うなら、キミは、そうも精神的に優れる人間ではないそうじゃないか』


 更に首肯する。

 常に己を縛り付け、駆り立てていなければ抑えることもできない――一度過ちを犯してしまえば、心理的にあまりにも決定的な誤りを是としてしまえば、易きに流されてしまう人間と自認している。


『それも不思議だね。キミのことを見ているが……キミは前に、「一度過ちを犯したことと」「次もそうしなければならないことは関係がない」……そう言ったし、事実、実行しただろう? 実行できたんだ……その時と今に精神的な違いは見られないよ?』


 逡巡する。

 確かに――……確かに、だ。

 確かにそのような行動も行ったし、行えていた。心の底から――何に迷うこともなく。遮られることもなく。


『それとこれを切り分けるのは、キミの理性だろう? つまりキミは、感情と自認においては「そうできない」と思いつつも……理性においてはそれを確かに実行できている。何の問題もなくね。逆説的に言うなら――』


 と、彼女は前置きし、


『そんな理性が働かなくなるだけの何かが、或いは理性自身がそれを是としてしまうような何かがある……ということだ。キミはキミ自身をそう見做しているということだよ』


 両手を広げた彼女は、覗き込むようにこちらを眺める。


『それは必要性に対する冷徹さかな? それとも妥当性に対する厳格さかな? それとも、別の何かかな? はてさて、いや、まず――そもそもキミは、どうしてそれほどまでに理性を突き詰めようとしてるのか……』


 彼女は口角を僅かに上げ、


『なんだろうねぇ……知りたいねえ』


 舐め回すようなその目線に、こちらは沈黙する。

 それを見て、彼女は酷薄な研究者の笑みを強めた。

 備える上で――全てを十全に尽くそうとするその上で出会った女性技術者。後の便宜のためにも交流を続けていたが、その奇妙な関係性は、或いは毒になり得るのかもしれない。

 ……毒?

 一体何のだ――と自問する。

 特に彼女との関係において、不具合はない。たまに食料品などを差し入れさせられたり、部品や戦闘データなどの対価を求められたり、身の回りの世話をさせられたり、雑談を続けさせられたり、その程度の他愛もないものだというのに。


『「分かり合うことを信じないほど」「不適格者なのに果てどなく備え続けるほど」「理性が抑えにはなってくれないと無意識に思うほど」……一体キミは、何を見ているのかな。その全ての根は同じだと思うんだけど、どうかな?』


 行儀悪く腰掛けていた机から腰をおろして、彼女はその顎に手を当てた。

 技術者ではなく、それははたまた探偵か。

 知的好奇心の果てに進んでしまったようなその小柄の乱れた銀髪の女性は、こちらを値踏みしていた。


『キミの理性は、ある種の機能性を突き詰めている。……大本の感情が導き出した、必要とされる――その機能のために理性を磨いている。だからキミは、必要性の名の元にその理性が歯止めにならない可能性についても……無意識的に認めているんだろう。違うかい、後輩くん?』


 当時は士官教育こそは受けておらずとも、学部違いで同じ大学に通っていた彼女が――そのときに最低限の面識だけはあった彼女が、ニンマリと目を細めた。


『では、何故それほどまでに……そんなを求めたのか。そして、元来不得意ではある、を続けるのか――……』


 或いは彼女は、既に突き止めている――思い至っているのかもしれない。

 ハンス・グリム・グッドフェローという男の、根幹とも呼べる部分に。剣となろうと己を固めた、その理由に。


『もう少し、ワタシに内面を見せてくれないかな? ベーオウルフを志すカッサンドラよ』


 そして研究対象のように、解剖対象のように、全く艶とは無縁の様子で――こちらの頬に手が伸ばされた。

 隈が濃く、光がない目。

 お互い同じものを持った眼差しが交わり合う。


『ああ――……キミのことを、切り捌いてみたくなる――』


 蒼い瞳が好奇心に恍惚と歪む。

 深淵に、覗き込まれた気がした。



 ◇ ◆ ◇



 天井が高く、荒涼とどこか寒々しさを覚えるような機体格納庫。

 手摺の先、足場の向こうには見慣れた通りの打ちっぱなしのコンクリート。そして他には懸架用のクレーンなど、概ねどこも格納庫というのは同じだ。

 ただ、二つ異なるものがある。

 一つは、手摺の向こうで直立している新型のアーセナル・コマンドであり――もう一つは、自分の隣にいる軍服の老雄だ。


 一言で言うなら、その老年の男は銀獅子めいていた。


 肩の辺りで切り揃えられた白澄んでなお豊かな髪と、盛り上がる額骨の下の眼光の強い青の瞳。

 老いた俳優の如き容姿の男が――ヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将が、こちらを一瞥したのち、数多並べられるうちの一機に目をやった。

 先行高機動改修機という、その機体。

 狩人であることを示す三角帽を被ったような、その機体。


「……どうだろうか、ハンス・グリム・グッドフェロー大尉。これが、卿の、気に召せばいいのだが」


 一言で言うなら、それは、単なる改修機の域を超えて――改めてデザインされたような機体であった。

 あの【ホワイトスワン】を高価格量産機ハイエンド、【コマンド・レイヴン】を低価格量産機ローエンドとしたときのハイローミックスのアーセナル・コマンドの運用にあって、この機体は奪取された【ホワイトスワン】に代わったハイエンド機を担おうとしているのだろう。

 それは、どこか懐かしさを抱く機影だった。

 保護高地都市ハイランド同盟の開発機は当初、装甲板の増加――つまり表面積の増大を見込み、また、敵都市部を単騎で滅ぼすという威容を示すために鋭角的で尖鋭的な装甲のデザインを持っていた。

 しかしながら大戦が進むに従うに連れ、例えばあのカエルの王子フロッグ・プリンスのようなローエンドの機体はそのような威容を表す方向ではなくなっていった。

 無駄を減らし、余計な装飾をなくし、複雑な鋭さよりも生産が容易い形を取る。

 コマンド・レイヴンは第三世代型の最新鋭機らしい威圧感のある姿をとっていたが、それは尖鋭的というよりもむしろ流線型を基調としていた。


 それは群として運用したときに、編隊を組んで飛行するときに、明らかなる破壊的な威圧を放つのがコマンド・レイヴンであった。

 まさしく――死に近しき破滅の黒鳥、というべきか。

 それは徒党と共に敵の気勢を削ぐような機体であった。その、鴉という名を冠する相応しい姿である。

 新たなる軍秩序の主軸となる、かつての戦いの専用機とも違う――しかし紛れもなく威容を以ってその性能を示す、名機体である。


 だが――コマンド・リンクスは、また違う。


 前提が単騎での運用とでも云うのか。

 単に一機で戦場を制圧するものと示すための、かつての専用機めいたその姿。

 ハイエンドの機体であると示すための、士気高揚を兼ねた――随所が直線的であり、刺々しく尖鋭的なるデザイン。

 先行高機動改修機と銘打たれたのは、それが、あくまでも改修機の一種であり余計な設計費用を要していないという財政上の欺瞞のためか。


 改めて感心する。

 あのコマンド・レイヴンでさえ、そのデザインと性能に息を巻いたものであったが――


(予算に糸目をつけず、とも思えるな……)


 各部には剥き出しになった銀筒――円筒形の流体ガンジリウム高濃度圧縮循環装置が備えられ、畢竟、そのバトルブーストの高性能化を思わせる。

 大型の足底部にて直立するその両脚部は、足首に目掛けてあたかも刃の如く鋭くなっていた。

 そしてその脚部装甲を補うべく、下部が長細い菱形を山型に折ったような増設装甲兼用の力学的ブレードが膝から長脛部に備えられている。


 その通称は――古狩人オールドハンター


 腰の先で二つに分かれるロングコートを纏い、肩と胸をケープで覆い、そして狩人特有の鋭角的な二等辺三角形の帽子を被ったかの如き頭部を持つ。

 狩人にして、両刃の剣。剣の両足を持つ者。

 騎士でもなく、兵士でもなく、ただ狩人である――あくまでも獲物を狩る玄人であるとそのアーセナル・コマンドは示していた。

 全てを断つ狩人にして、振るわれる剣とでも言おうというのか。


「リンクス……大山猫は単独での行動を好み……どんな暗闇にあっても僅かな明かりを認める極めて鋭い瞳を持つ。その名は、古き言葉で光そのものに由来するそうだ」

「……」

「この世にあって、絶やしてはならない光がある。……その祈りを込めた機体だ。死喰らいの群れではなく、たとえ唯一人になっても、どれほど光がか細くとも進めるようにと……そんな機体だ」


 白髪の老獅子の如き男は、【フィッチャーの鳥】の黒き軍服に身を包んだ精悍なる老人は、その目を細めて機体を見詰め――……それから、こちらへと改めて視線を向け直した。


「古くから、リンクスは『全てを見通す眼』を持つとされた――……或いは旧世紀の中世では、かの救世主の全知を表すとも称されたらしい」

「……は」

「法と善を重んじる卿のその姿勢は、まるでさえも観ようとしているとも思えるが――……卿には一体、何が視えているのかな?」

「……」


 なんと答えたものか。

 沈黙すれば、老獅子は――ゾイスト特務大将は肩を崩した。


「ふ……老人の戯れ言だ。だが、この機体を活かしてほしいというのは真実だ。いずれは多くの部隊にも配備されようが、先行量産型――という訳だ。卿の戦いが、後の兵士たちの助けにもなる。……どうか役立ててくれ」

「は。存分に使い尽くします」

「ふ……使い尽くすとは、若いな。そして実直だ。……卿は実に兵士らしいな。いいことだ」

「光栄です、閣下」


 そう答えれば、彼はもう一度笑った。


「ああ――……私はこれで失礼するよ。卿は、機体の説明を受けていくといい。基本的にシステムはコマンド・レイヴンを流用しているために安定性が高いと聞くが、細かい話は彼らからあるだろう」

「は!」


 敬礼で特務大将を見送くろうとしつつ――……ふと、口を開いた。


「一つ、発言を許可いただきたいのですが」

「……何かな?」

「あの『アトム・ハート・マザー』による二度の虐殺については、如何お考えで?」


 言えば、老獅子が目を細めた。

 こちらを値踏みしている――そんな目線だ。


「聞いていたところによれば、貴官はよく従う善き兵であると――そう評されていると聞くが」

「その評価、自分には過分なほどの光栄です、閣下。……しかしその点からも矛盾はないかと、そう考えます。連盟旗とその理念に反してはおりません」

「ふ――」


 青いと見たか。

 それとも、融通がきかないと判断されたか。

 こちらを見るゾイスト特務大将は、ゆっくりと口を開いた。


「褒められたことではない。……個人として私はそう思うよ。この先を思えば、卿がまさにそう咎めるのが証左となろう。虐殺というのは、否応なくあの【星の銀貨シュテルンターラー】を想起させる……その手の届く過去が、人道という不確かな幻想ではない現実的な重さとなり、ともすれば人々は制裁に動くだろう」

「……」

「何故、虐殺は控えられなければならないか……それは単に人道的な問題だけではない。あの戦争を、開戦当初の……或いは開戦から続いた数多の殺傷を思わせるからだ。あの日虐殺者に勝利したからこそ、それは絶対に認めることはできない物語に組み込まれたのだ」


 では何故、あのような艦長を更迭させず――あまつさえあれ程の破壊兵器を与えたのか。

 そんなこちらの内心を、読んだのだろう。


「その上で、だ。複雑な引力、というものがある。巨大な装置が小さな歯車の不具合によって崩れるように、大きな力を動かすためにこそ……どこかの歯車が大切になることがある。政治には、そのような部分もある。個人の利害などを元にした歯車がなければ動かないことも」

「……あの艦長や虐殺は、その大切な歯車だったと?」

「ふむ、――そのどちらかを選ばねばならない場面があるとは、あの戦役を経験した卿なら知るところではないかな」

「……」

「あの戦役の最中に行われた戦争犯罪も、裁かれただろう。戦後に――……。だが――保護高地都市ハイランド連盟軍は解体もされず、今日も続いているだろう? 大切なのは、まずははこを整えることだ」


 言葉を聞きながら、思った。

 彼の思想は間違いなく、余裕のある人間のそれではない。まさしく逼迫しており、切迫しているからこそ人は急進的にもなる。

 戦後にわかに訪れた平和――……などという観点は、ないのだろう。彼は決定的にこの戦役を、何かの危機と見做していた。言葉を額面通りに受け取るならばそうなる。

 進んでくる敵軍に応対すべく、必死に火器を集める――それと同じことだ。彼の口にしたそのことは。

 一体、このヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将は何を見ているのか。

 そのことを問いかけようとしたそのときに――しかし、会話は打ち切られた。


「あいにくとこの事変、立場上私もあまり時間がないものでな。これにて失礼する……機会があれば、また、こうして語ることもできよう」

「は。或いは手紙などの手段もありますが……」


 言えば、彼はやんわりと笑い返した。

 それでは意味がない――……と言いたいのだろう。確かに手紙では、相手の表情が見えず、或いは相手に表情を見せられず、言葉の伝わり方が変わる場合がある。

 それを、厭っているらしい。


「なんにしても、我々は戦後の新たなる秩序を作るためにいる。そのためにも……卿には期待しているところだ。では、失礼するよ。ハンス・グリム・グッドフェロー大尉」


 今一度敬礼で彼を見送り、そして改めて機体を見た。


 赫き光学センサーの上に、狩人の三角帽をかぶったような特徴的な頭部。

 コマンド・レイヴンの象徴だった前方へ突き出した胸殻上部は削られており、僅かに前方に鋭いだけに留まっている。

 代わりに、胸殻上部から肩部への装甲があたかも肩にかけられた狩人のケープの如く広がっており――スリット型スラスターを内蔵したそれは、複数の装甲板が組み合わされて増加装甲兼、増設加速器の役目を持つ。

 身体の随所に埋め込まれた銀の円筒は、高濃度の圧縮型ガンジリウム循環装置兼用のバッテリーだ。

 それ自体が力場の発生を助けるというより、要所で起動して爆発的な急速直線近接機動バトルブーストを助けるのだろう。

 高機動改修機というのも頷ける。

 背部ウェポンマウントのために縮小されつつ、下方に向けて数を増やした背面の可変型スラスター。

 そして腰部後方の増設スラスター兼用の装甲板かつガンジリウム増槽は、さながら二つに分かれるロングコートの裾めいて広がっていた。


 偶蹄目の蹄の前後を逆にしたような、大型の足底部。

 三叉になったそれは表面積の増加により直立時の安定性を図るというだけでなく、脚部のその設地面に磁力を流して張り付くための面積を増加も見込んでいるのだ。


 これは、地上や大気圏での戦闘を主としているというよりも、宙間戦闘――つまり無重力や真空での戦いを想定している機体なのだろう。

 後から来た技術士官に問うて見ても、やはり、そうであると結論付けられた。

 あの【ホワイトスワン】のような《仮想装甲ゴーテル》の有機的な運用はないが、おそらくその機動力で言うならば、かの機体に伍する――或いはそれを大きく凌駕するだけの力は持つだろう。

 その能力だけで論ずるならば第三世代型というよりも、第四世代型に等しい――最新鋭のハイエンド量産機であった。


 コマンド・レイヴンが【フィッチャーの鳥】を中心として多く配備が進められる中、この機体も既に先行量産配備計画が進んでいる。

 正直、この機体の開発ペースは戦時下を思わせる。多くの企業連合もこれに携わっているのだろう。

 少なくとも、一部の専用機を除けば――いや、それらを加えてもなお性能としては今まで見た全ての機体を凌駕する、と言えた。

 これを超えるとなれば、あの【狩人連盟ハンターリメインズ】の専用機ぐらいだろうか。


 機種転換は手間であるし、おそらくしばらくは実戦での使用は難しいにしても……大きな力と言う他ない。

 配備されるならありがたく――それはそれとして、折角エルゼやフェレナンドがコマンド・レイヴンに慣れてきたところにこの乗り替わりは難しいか。

 ほぼ戦闘状態となってしまっているこの状況で、如何にして訓練計画を立案すべきか。

 あり得るとしたら次回から部隊配置される兵から乗せていき、順次、機種転換を図る形になるだろうか――……。


 内心で頷きつつ、それはそれとして首を捻る。


(しかし、なぜ特務大将などという雲の上の存在が俺に……?)


 呼び出された――といえばそれまでだが、あの戦いの後、何故だか自分は【フィッチャーの鳥】のその総司令官と一対一で会話することになってしまった。

 そして、その会話も……単に新たな機体のお披露目で、それ以上のものはない。

 一体全体、何故こうなったのだろうと怪訝な気持ちになる他ない。


「あら、単純ですわ……御主人様。つまり貴方様は、賭けるに値する対象だと――そう思われたのでしょう」


 うわ出た。

 音もなく忍び寄った白髪赤目のヴィクトリアンメイド服のマグダレナが、楚々として背後で笑っていた。

 なるほど、どうやら彼女の雇い主は――状況から察するに、あのゾイスト特務大将らしい。


「賭ける、とは?」

「無手とはいえ、離反した第一位――メイジー・ブランシェットとの相討ちに近い形での敗北。機体データを分析すれば、おそらく十分な機体を備えていれば彼女にも勝利できただろう――と考えられたのでしょう」

「買い被りだ。少女を殺せて誇ることなど何もない。……無手相手に引き分けなど、むしろ笑い者だろう」

「あら? そう思うのは、きっと御主人様だけですわ。だって、最早こちらの有する稼働可能な黒衣の七人ブラックパレードは、もう貴方様ただ一人だけでしょう?」


 微笑む彼女は実に満足そうに――本当に心底満足そうにこちらを見詰めている。

 病み上がりで駆り出されたこちらの身にもなってほしい。

 無論、その状態でも十全な働きはできるように備えていると自認するが――……それにしても、やはり、疲れというのはある。


「……たまに、誰もいないどこかに行きたくなる。アラスカとかどこかで、犬と一緒に暮らすんだ」

「ええ、そうですわね。実によろしいかと思います。お供しますわ……どこがお望みですか? 旅券の用意など、手慣れたものですのでお申し付けくださいませ」

「………………」


 誰もいない、と言ったのに。

 何故ナチュラルに自分を例外に入れるんだろう。ちょっとわかんない。


「慣れたもの……か。貴官は傭兵だったな。ああ、民間軍事会社と呼ぶべきか……」

「ええ、まあ、仕事事態はあの戦いの最中とさして変わらないものですわ。……勿論、この貞操は御主人様に捧げておりますのでご安心を」

「……頼んでいないのだが」


 何をどう思うかは個人の自由だと思うけど、それを口にするのはどうかと思うの。公序良俗とか。なんか。

 正直、四六時中マグダレナと暮らすことになると自分の理性が持つか若干怪しくなる。

 客観的に見て、彼女は魅力的な人間だろう。

 あまりこういう話をしたくはないが……というか、正直彼女と二人きりで極寒の地に取り残されるのは何か別の映画みたいだ。具体的に言えば、南極基地を遊星からきた外宇宙存在に襲撃されるとかそんなたぐいの映画である。


 想像して怖くなった。


 すごい腑抜けにされて、なんかそれから食べられたらどうしよう。物理的に。人間は美味しくないと聞くのに。

 やっぱり一人がいいな。

 一人で犬と一緒にお菓子の家に暮らす。そういうのがいいと思う。なんかもう疲れた。そんな気分にもなる。


「個人か? どこか会社には属しているのか?」

「ええ、【黒の法曹家ブラックローヤー】と言います。……ご存知で?」

「何かで聞いたような気もするが……すまない、覚えていない」


 色々とあったから、覚えていられないことも多い。

 まあ、必要となれば思い出せるだろうと結論付けて、改めてその銃鉄色ガンメタルの機体を眺める。


 あの戦いの処理について――。


 改めて思い返す。

 焼け落ちたあの日の、水底に沈んだあとの、その帰結について。



 ◇ ◆ ◇



 ――同時刻。


 回路の如く明滅する蒼光が走る隔壁に覆われた船内――その、【狩人の悪夢デイドリーム】の中に二人いた。

 一人は、黒い軍服に身を包んだ濃紫色の髪の眼帯少年。

 もう一人は、不可侵を表すような白いスーツを纏ったウェーブ髪の美丈夫。

 ハロルド・フレデリック・ブルーランプ特務大尉と、ラッド・マウス大佐――その部隊の士官と長とが、超未来的な黒き卵の船の中で顔を合わせる。


「君らしくもないな、ブルーランプ特務大尉。黒衣の七人ブラックパレードを倒せずとも、戦場で傷を負う男ではない……と見込んでいたのだがね」

「……申し訳ありません」

「いや、構わんさ。戦って敗れた訳でないなら、黒の狩人ブラックハンターの役割を損ねたことにはならないものだよ」


 軍服の下、脇腹を庇うように何重にも包帯を巻いたハロルドに、ラッド・マウス大佐は鷹揚に笑いかける。

 同時に、ハロルドは思った。

 もし戦って敗れたなら――そうなったなら、どうなるか――。

 ……最早語るまでもないかもしれない。或いはそう口に出して問いかけることそのものが、この蛇の尾を、逆鱗を踏んでしまうかもしれない。


 あの海上遊弋都市フロートでの指揮について、ハロルドは既に司令部から相応の追及をされた。

 そして生き残った【一〇〇〇機当サウザンドカスタマー】の住処の手配であったり、或いは諸々の処理であったり、休む暇もなかった。

 それを考慮したのか。

 二三言を交わして、ラッド・マウス大佐は話を終わらせようとしていた。

 だから――……それでも会話を続けたのは、ハロルドの意思によってであった。


「……フィア・ムラマサを何故あのような部隊に?」

「政治、というものだよ……ブルーランプ特務大尉。我々も、値段に見合った働きを期待されている。投資にはそれだけの成果を伴わねばならない。……その立証が必要だった、ということだ」

「……」

「幸いなのは、結果の全ての責任はあの艦長にあることだ。我々の機能については、まさに示すことができたのだから何も問題はないとも」

「……そう、ですか」


 ハロルドとて、特にフィアへの思い入れがあった訳ではない。それどころか、あれ程の機体を与えられてなおも落伍者となったことに対して考えるところもある。

 だが――……。

 だが、認められず、その心根が評価されず、或いはハロルド自身を含めて誰一人にも理解されずに孤独に死んでいったことに対して……思うところがないと言えば、嘘になる。


 ああも勝利や性能のために身を捧げた上で、有効な使い方をされず、戦争犯罪者や大量破壊兵器の一種として味方の手によって葬られるというのが――……それがフィアが辿るべき結末だったのかと思えば、無性にやりきれなくなる。

 そんな決定を最終的に下したのが、ハロルド自身だということも。

 眼帯の横の瞳を瞑って、彼はそんな感傷を掻き消そうとする――そうしているときだった。


「ところで、グッドフェロー中尉は君たちの指揮官としては如何だったかな?」


 何もかもそれが本題と言いたげに、微笑と共に問いかけるラッド・マウス大佐。

 逡巡し、ハロルドはおもむろに答える。


「グッドフェローは、手際がいいところはあります。前もった備えとして部隊の展開もでき、予期できる事態への対処も、部下への命令もハッキリとしています。少なくともその点では、及第点かと。……戦力としてもシミュレーター想定以上の強さがあると、そう認められます」

「ほう? だがその口ぶりでは、不安なところもあると聞こえるが?」

「……」


 見透かすような大佐の言葉に、ハロルドは重く口を開いた。


「……命じたのは自分です。結果についても、理解した上で行いました。自分自身、同じことを行ったと思います――あの場ではそれが求められていた。ですが……」


 そこに恐怖がなかったと言えば、驚愕がなかったと言えば――ハロルドのそれは全くの嘘となろう。

 少なからず、ハンス・グリム・グッドフェローはあの艦の人間ともかつて行動を共にした筈だ。

 そして、あの【一〇〇〇機当サウザンドカスタマー】の人間とも交流があった筈だ。

 味方に対する攻撃命令という、本来なら指揮官の資質を問われてしまうかもしれない事象だった筈だ。


 だが――彼は、まるで鈍ることなく命令オーダーを実行した。


 確かに警告は行った。必要な措置であるし、都市部のあの被害状況から見ても停止の勧告はむしろ行うだけ有情というものだ。

 だが――……果たして一体、人はあれほどまでに、感情と切り離した合理的な冷徹さを表せるものなのだろうか。

 フィア・ムラマサの撃墜と、アトム・ハート・マザーの撃沈。

 その殺害については、最早、驚愕の言葉だけでは言い表せまい。何の憎悪でも憤怒でもなく、一切の感情を交えず、それでいてあれだけの容赦のない殺しができたのだ。

 故にハロルドは、思ってしまう。

 ハンス・グリム・グッドフェローという男への好悪の感情とは別に――


「必要さえあれば、状況さえ許せば――……いや、或いはそれすらもなく、妥当であるなら世界さえも焼き滅ぼすかもしれません。あの男は」

「ふ、ふ、ふ……ははははは! はははははははは!」


 そして、ハロルドのそんな評価を聞いたラッド・マウス大佐は、腹の底から笑いをこぼしていた。


「それでこそ、君を送った甲斐があったと言うものだ……ハロルド・フレデリック・ブルーランプ特務大尉」

「……は」


 一体何がそんなに楽しいというのか。

 心底嬉しげに笑みを浮かべるラッド・マウス大佐の、その心理は測れない。


「実に結構だ。……ならばこそ、相応しいというものではないか。狩人に求められる資質が判るかね? それは鋼のように無慈悲で、機械の如く従順で、猟犬めいて血に飢え、そして何よりも狩りに優れることだ」

「……」

「君たちの部隊の前線指揮官としては、まさに適切ではないか。万が一の際には、始末をつけることもできる。……ふ、ふ。もってこいというわけだよ」


 そうして微笑を浮かべるラッド・マウス大佐と、更に幾言かの打ち合わせをして艦を後にするハロルド・フレデリック・ブルーランプ特務大尉。

 誰もいなくなった寒々しい船内で、彼は嗤う――。

 艶のあるウェーブかかった髪を左右に分け、端正に整ったその顔立ちに優雅さと自信を隠そうともしない美丈夫は、不気味に微笑む。


「ふ、ふ……あのような欠陥品の駆動者リンカーが駆るとはいえ……私の設計した機体をこうも容易く破壊するとは……それでこそ君というものだ、ハンス・グリム・グッドフェロー……!」


 爛々と、青き瞳を濁らせて。

 その顔には、深い執着が浮かんでいた。

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