【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
第57話 極光の刃、或いは破滅的加速度、またの名を魔剣抜刀
第57話 極光の刃、或いは破滅的加速度、またの名を魔剣抜刀
その少女には、珍しく、母親がいなかった。
多くの男性が戦いに駆り出され、そして、女性ばかりが残された
自分たちの住処を主戦場にされるにあたって、彼らは、女や子供などの非戦闘員を後方へと移送した。
後方――というのもおかしな話か。
洋上に点在する
それ故にその都市部の男女の比率は、大きく変わることになっていた。
そんな中で少女の父がそこに居たのは、彼がひとえに戦場に耐えられない程度の持病を患っていたという――そんな不運にして幸運でしかない。
この場合は、幸運だったのであろうか。
海水を分解して酸素を造る供給機の備えられた避難所で、彼らは互いの肩を寄せ合っていた。
「ああ、大丈夫。ママがきっと守ってくれる。……大丈夫だよ。安心しなさい」
そう、彼女を抱きしめる若き父こそがむしろ誰よりも不安を抱えていて――泣きそうにしていて。
だから、少女は父の身体に回す手に少し力を込めた。
それを感じた父親は、また、大丈夫だよと強く抱きしめてきて……どうも彼女の想いというのは、伝わっていなかったらしい。
泣かないで――お父さんと。
心の中で祈る言葉も、届かない。
彼女の父は、他の避難してきた老人や女性たちと顔を見合わせて、心細そうに何かを言っていた。
何か怖いことがあって。
それでここに皆で逃げ込んでいるのだと、その程度は少女にも判った。残念なのは、祖母が昨日から作ってくれていたイチゴのジャムをおやつに食べられなかったことだ。
取りに帰れるのだろうか。
促されるまま、父とここに来たのだ。置いてきた色々なものの中には、お気に入りはいっぱいあったというのに。
「ああ――……どうか、神様。神様、お願いです。私はどうなっても構いません。妻の下に行けるのならば、それで構いません。でも……どうか、この子だけは。この子だけは、どうか……お願いです……」
だけど、泣き出しそうな声で抱き締めてくる父を前に、少女はそれを諦めた。
同じように、心の中でお祈りをした。
おねがいです、かみさま。おとうさんをたすけてあげてください。
がまんします。ジャムもがまんします。
だから、かなしそうなおとうさんをたすけてください。
果たして――酷く強烈な揺れが彼女たちを襲った。
いろんなところで小さな悲鳴が上がる。ひょっとしたら誰かは、大きな声で叫んでいたかもしれない。
だが――何かが焼き切れるそんな音と共に。
「皆さん……救助にきました。船を停泊させています。どうか落ち着いて、避難をお願いします……この街から、早く。救助船にもなる貴方がたの避難所のうち一つを、停泊させています」
夜明け前の海よりも冴え渡る青銀の鋭い巨人が、壊れてしまっていた施設のドアと壁を開いて、そう呼びかけていた。
怖いと――彼女は思った。
その巨人の後ろでは、真っ赤な炎と黒い煙が上がっている。
ひょっとしたら自分たちは、あのお話にある箱舟に乗ってどこかに行こうとしてて――その途中で、間違えたところに着いてしまったのだろうか。
きっとこの巨人も、そんな、悪魔の一人で――……。
そう思った彼女は、すぐ、心の中でごめんなさいと謝った。
父が、驚きながらも――それでも先ほどまでのような苦しそうな顔ではなく、何かを見ようとしていたから。
だから、こんなに怖いけど、本当はお願いを聞いてくれた天使様なのかな――と少女は思うことにした。
「ああ、大丈夫です……大丈夫ですよ。安心して、押し合わずに……さあ、早く……」
手を振ってみたけど、その刃の天使様は気付かなくて。
それでも優しく、一人では動けなくなっている人たちに手を差し伸べようとしていた。
◇ ◆ ◇
バキンと、砕ける音がした。
半壊のビルに埋め込まれた
ああ――……と頭を起こす。
揺れる視界の先で、こちらを見下ろす純白のアーセナル・コマンド。
「ハンスさんは、もう起き上がらないでください。……あなたにとって私は大切じゃないかもしれませんけど――私にとってあなたは……」
泳ぐような頭と視界の中、音すらも遠ざかる。
世界が揺れている。揺らいでいる。歪んでいる。
脳震盪、だろう。
左右から襲いかかる衝撃は、息もつかせないその攻撃は、こちらから完全に平衡感覚と戦闘継続力を剥奪させた。
何度も噎せた。
打撃を受け続けた装甲は、機体は、真実叩きのめされていた。
これが――……第一位と、第九位の差。
あの初期化コマンドを使った、その上で敗北した。
全身が軋む。痛む。
それは
自分が、浅く短い息をしていることに気付いた。
その音のせいで、周りの音がよく聞こえないのだろう。
死ぬのか、と思った。
ああ――……死ぬのか。ここが限度なのか。自分の限界なのか。
(……婚約を解消したのなら、遺産の取り分は、どうなるのだろうか)
ふと――そんな馬鹿馬鹿しい、的外れな思考が到来する。
そういえば前世でも死ぬときは、何か、そのような……差し迫った恐怖や危機とは無縁のことを考えて死んだな、と思った。
ああ――……だから、立ち上がらなくてはならない。
死して蘇りし自分は、自分だけは、本当に死ぬときにどうなるかを知っている。だからここはまだ――目を瞑るときではない。
あの安らぎは、死出の眠りは、冷たく、そして温かい。
故に――否定しろ。
お前に、そんな死は必要ない。
まだ眠るときではない。まだ休まるときではない。まだ、止まっていいとは言っていない。
立て。
立って、戦え。
ただ、悲しみと不安の内にいる人たちを思え――――。
「君が大切じゃないと言った覚えは――……ない」
胡乱とした頭のまま、口だけ動かす。
何でもいい。どんなことでもいい。とにかく行動を通して覚醒を図れ。
世界が揺れている。混ざっている。
頭蓋という殻の中の脳という卵は振り付けられて、皮膚の奥からくる吐き気を伴うような頭痛に撹拌されている。
そんな意識のまま、遠ざかりそうになる自意識を繋ぎ止める為に口を動かした。
「二人目、の……君を……生み出さないと……俺は、そう決めた……。それだけでしかない――……こんなものを磨き続けるのは、ただ、それだけ……だ……」
噎せた。
咳き込んだ。
耳鳴りがする中で言葉を吐き出し、無理矢理に感覚を取り戻すことを試みる。
「この世の、どこかに――どこかに……そんな想いをしてしまう人間が生まれるというなら――……この苦しみと悲しみを知っているというなら、だからこそ、俺は、それを止めなくてはならない」
奥歯を食い縛り、瞳を見開く。
何でもいい。どんなことでもいい。ただ起き上がれ――そう命じて、鋼の五体に指令を下す。
折れるな。
砕けるな。
そうしないと決めたなら、そうならないといけない。
お前の有用性はそれだけだ。その一点のために鍛えたのだと命じ続ける。何のために備えているのだ――決まっているだろう。
「ここで終わらせる……ここで最後にする……。そんな――そこが終わりになる……そんな場所へは、俺は辿り着けないかもしれない……。いや、おそらくこの身では辿り着けないだろう……真実それは無為な努力で、無意味な過程だ……だが、そうだとしても――」
――怒れ。
己の中の怒りの首輪で、己の身を引き起こせ。
「それとこれとは、なんら、関係がない」
言い切ると同時、機体を瓦礫から起こす。
フィーカが何か言っているが、その全てを無視した。
備えている――俺は、全てに、備えている。
「目指す先と、辿り着けぬことと、目指し続けることと――その全てにはなんら関わりがない」
機体の状態を確認。
外部装甲の湾曲を認識。内部フレームの亀裂や断線を認識。左通電回路の破損、
実に深刻な損傷であり、かろうじて稼働しているだけだ。
つまり全く以って戦闘続行は――――可能だ。
「だから、俺は本分を全うする……ただ理性のみを求める。己の感情に従ったからこそ、俺に必要なのは理性だけだ。俺は兵士として、猟犬として、その狩りをただ全うするだけだ」
コマンド・レイヴンの頭部に、改めて光が灯る。
引き起こした
こちらを向いて――拳の構えは解除して。
会話を続けるためにそうしたのか、それともそんな状況からでも応対は可能という絶対的な自信か――……なんであろうと構わない。
まだコックピットから引きずり降れなかったなら、戦えるということだ。
「誰も……いませんよ、そんなところ……誰も……」
「ああ……だが――」
沈痛そうな彼女の言葉に首を振る。
「いるかもしれない。いや――……」
いると、自分は知っているのだ。
この先も戦いは続くと。シンデレラが第二のメイジーにされたように――――第三第四と、それは続いていくと。
だから、終わらせなければならない。
今は駄目でも――そのどこかで。どこかいずれかで。知っているからこそ。終わらせなければならないのだ。
この世でたった一人、自分だけがそれを知っているから。
そして何より――
「そんなことなど、どうでもいい。それよりも――今は、市民の救助が最優先だ」
――それと己の職務はなんら関係がない。
自分がそんな、あるか判らぬいつかを夢想する非現実的な非合理主義者な一面を持つことと――。
今この職務の遂行を求められている軍人であることは、なんら関わりがない。
まさに失われつつある生命を――兵隊という職についた者として、アーセナル・コマンドという実行力を持つ者として、
「未来のために現在を犠牲にするつもりはない。くだらぬ個人的な信条が故で、今そこで苦しむ彼らを――その嘆きを置き去りにはしない。俺は職責に基づき行動する。応報する」
だから、彼女と戦う理由など決まっていた。
阻むからだ。――こちらの職務を。今苦しむその人たちの救出を。
それ以上でもそれ以下でもない。
ハンス・グリム・グッドフェローは夢を見ない。そんな夢想の先のいつかの為だけになぞ行動しない。それは己が立ち続ける理由であったとしても、歩き出す理由にはならない。
「君は言ったな……目指す先が何か、と。それを知ったところでどうなる? 目指す先と、俺が果たすべき職責は、なんら関係がない」
「……」
「俺は、
コックピット内に無数のエラーメッセージが吐き出される中、ホログラムマップを見る。
フェレナンドたちも救助に加わってくれている。
アシュレイは、やはり流石は医師といったところか。優先度が高い――危険性の高いエリアを的確にさらってくれている。
まだ僅かに猶予があるだろう。
或いはここで自分が潰えたとしても、都市の沈没までには救助も間に合うかもしれないと思いつつ――首を振る。それと己がベストを尽くさないことには、関係がない。
おそらくあと一手――少なくとももう一人は、救助に回るべきである。
ならば、
「もう一度告げる……メイジー・ブランシェットよ。もし今の言葉が俺から聞きたかったことなら、これで満足してこの場を去るつもりはないか」
「……判りました。ハンスさんの目指す先も、今戦う理由も。あなたが優しい人で、真面目な人だっていうのは判りました。ううん、そこは判ってたから――ずっと判ってた。だから……」
一度、言葉を区切り、
「でも――……だからこそ、あなたを認められない。あなたはいつか、あなたさえも殺してしまう」
彼女はそう返した。
戸惑うべきだろうか。愕然とすべきだろうか。
それとも、やはりと――頷くべきだろうか。
まあ、何にしても構わない。明らかになっただけだ。
彼女とは分かり合えたとそう思う。そして明らかになっただけだ。彼女と己は決して相容れない――と。
「最後に……改めて言う。ここで俺の邪魔立てをするということは、この火災に苦しみ生命の危機に瀕する人たちを見捨て、その生命を奪うということだ……貴官こそ焼けるあの街を知るならば、どうか、その助けの邪魔をしないでくれ」
僅かな沈黙の後、
「……駄目です。その人たちの苦しさも判ります。でも、それをずっと続けた先のハンスさんは、もう誰も届かないところに行ってしまう。……何よりも、途中で死んでしまうかもしれない。――私は、どんなことよりそれが許せない」
やはり、答えは再確認された。
「そうか。俺は――連盟旗に誓ったものとして、市民とその平穏を守る軍人として、この救助活動を阻む一切を殲滅する。それが、上官から下された指令であり――俺の本分だ」
「そうですか。私は――……そんな優しい人にこれ以上の人殺しを積み重ねさせようとする悲しい人を、止めます」
互いの機体が膝を沈める。
間合いを図ると言おうか――或いは無手と近接ブレードでは、それも道理と言おうか。
「あなたは言葉でどう説得しようとしても、絶対に戦う……限界にぶつかってまで戦う。次にそれをやって生きてられる保証なんてないんですよ……! だから、止める機会は――殺さずに済む戦いになるのは、今この場しかない……!」
そう告げる彼女の言葉を受け止めつつ、先の戦いを振り返る。
機体の完全制御を行う機動を持ってしても、彼女には及ばなかった。その差は単純だ。完全なる制御というのは、つまり、やはり『限界まで引き出す』ことにしかならない。
それはハンス・グリム・グッドフェローの限界であり、コマンド・レイヴンの限界だ。
如何に己を閉じて、思考するよりも先の無我に任せて彼女の先読み的な本能感覚を封じたとしても、操縦技量の差は拭えなかったのだ。
であるが故に――行えるただ一つの手立てを、思う。
(……狂う、かもしれない。機体を己の肉体と見做した上でこれを行うのは、おそらく……先に精神が砕け散ると、そう思える)
だが――それがどうした。
己の有用性を、砕けぬ剣に――毀れぬ剣に例えたならば。
ただ、遂行せよ。
己という意思を――己という剣を、遂行せよ。
「
初期化コマンドの音声承認により、機体との接続が拡幅する。散々に打ち据えられ、叩きのめされた機械の身体が己であると――脳は認識する。
その機体管理メッセージは痛覚であり、不調であり、深刻なエラーだ。
その情報量に酔う。
脳が狂いそうなほどに撹拌される――――だが、
(怒りを想え――今まさに失われいく人々の、ただ悲しみと怒りを想え――)
奥歯を噛み締め、発令する。
「《
呟き一つ。
機体に満ちる紫電が、その内臓が、生身の己に存在しないジェネレーターが最大稼働し――腹の内側を狂わせるような不快感を与えてくる。
だが、
(ま、だ、だ――――――ッ)
《
ジェネレーターの制限を外し、限界を砕き、最大の放電を纏ったままに――稼働する。
これは、単なる攻撃としてではない。
【警告】――《
機体内部にめがけた力場によって、血脈型循環回路内の流体ガンジリウムを加速。
流量を高度に調節。
通常域の重心変化速度を超越――――更に。
【警告】――血脈型循環パイプ、破損。流体ガンジリウムの外部流出を確認。
銀血を体外に射出し――そして機体の纏う力場により、通電により、プラズマ化。
己の肉体をまさしく、完全なるプラズマブレードの一振りに変化させる。
攻撃を為す最大防御。
更に、体外に噴出した銀血と急発生する力場が、あたかも推進剤じみて機体の加速力を想定以上に跳ね上げる。
振り付けるブレード――もう既に、そこに回せる電力はない。
故にそれは、ただの鈍器だろう。剣であるのは我が身であり、我が身こそが唯一の剣であるのだ。
こちらの一撃を捌いた純白の敵機が、その両手を燃え上がらせる。
だが――構わない。明らかに機動力という意味においての上位はこちら。ただその速度を振り切り、斬り刻むそれだけだ。
突き込み、斬りつけ、薙ぎ払う。
純白の機体が、手数で応じる。その両手に力場を集中させ――こちらを迎え撃つ。
涙と共に何か叫んでいるが、その文言の理解は不要だ。今の己に、言葉を解する機能など必要ない。
その時間は、ない。
認識する――急速に推進剤も低下し、急速に流体ガンジリウムも低下している。
【警告】――仮想装甲及び加速機能の喪失まで【十秒】。
噴射。爆発。流量が減る――血肉が削れる。
銀血を撒き、紫電を奔らせ、装甲を砕き、骨子を歪ませ、回路を焼き、制御を狂わせ――――その存在そのものを一つの刃と化せ。
神経が焼き付き、精神が焦げ付く――だから、どうした。それが、どうした。
我が身は刃なれば。
ならばこそ、幾ら砕けようともその本質は損なわれず――ただ己が心こそ、刃なれば。
それだけが不毀なる剣である。
己の意志だけが、不毀なる剣である――あとの一切は、全てが誤差で、ただの些事だ。
こちらの斬撃を紙一重で回避する純白の機体。
故に――銀血を放ち、以って不規則なプラズマの刃としてその肩部を削った。
唸る剣閃。弾く拳閃。
互いの鋼と鋼を叩き付け合い、ただ一つの暴風として吹き荒れる。
短距離――限界加速。刃同然の脚部を叩き付ける。
紙一重で躱されるも、その空力――衝撃波。ただそれだけで敵機を蝕んだ。
はてどない。
ただ一閃、ただ一撃、ただ一歩を積み重ねる。
石を並べて、道を造る。地平線までの、道を造る。
そのような作業。ただ地道にして、簡素で、濃密で、無慈悲で、致死的なその作業。
吹き出る炎の血によって敵機を削り、吹き荒れる衝撃の刃にて敵機を砕く。その純白の装甲を斬り刻み、その衝撃にて
赫灼たる炎の黒鳥。
凄惨なる嵐の魔剣。
鬼火を纏うまま――振り付ける/振り回す/振り抜ける。
それは或いは、無限であっただろう。
夢幻であっただろう。
沈みゆく都市の上で二機、ただひたすらに削り合う。鉄と火の嵐として凌ぎ合い、その火花は極光の如く明滅する。
たった十秒。
永劫に感じるほどの時間のその果てに、ついに終わりは訪れた。
推進剤――ゼロ。
流体ガンジリウム――ゼロ。
歩行以外の、あらゆる機動を失った。己の内から放ち続けたガンジリウムにより、外部装甲の大半は砕け散った。
明らかに、完全なる満身創痍だろう。
機体も――その内部も。
「ッ、だから――そんなのだから、そんなふうに無理をし続けるから……! あなたを止めなきゃって……!」
膝をついたこちらの機体を前に、メイジーは悲鳴に近い声を上げた。
確かに、結果的には十秒間の自爆的な加速の末に敵を仕留められず、推進機能と装甲能力を喪失しただけだ。
単なる自爆に等しい無謀。ただの自壊。
ああ――……だからこそ。
――――だからこそ、その必殺は相成った。
「貴官はもう、手遅れだ。――使わせて貰うぞ、フィア」
ガンジリウムを散布し、己に有利なフィールドを作成するというその殺法。
その、再現をしただけだ。
如何にメイジー・ブランシェットといえども、全方位の逃げ場がない力場の嵐の前では抗うこともできないだろう。
先ほど、あの【ホワイトフット】が散布したものも――プラズマと化した己の纏う炎にて、改めて流体に戻した。
既に、攻撃の準備は完了した。
あとは、ただ執行するだけだ。
弾ける紫電。その空間に目掛けて、右のブレードのその切っ先を突き出し――
「こういう使い方も、」
――〈プレゼント、ありがとうございます〉〈お父さんのしりあいなんですか?〉〈こんなにきれいなお花の本を、ありがとうございます〉。
――〈ひょっとして、おかあさんですか?〉〈おかあさんは遠いところに出かけてしまったって聞いてますけど、もしかしてメイジーのことを覚えていてくれたんですか?〉〈だとしたら、うれしいです〉。
――〈このあいだ、お父さんと回路を組み立てました〉〈むずかしいことばかりでしたけど〉〈できあがったら褒めてくれました。見て欲しいなあ〉。
(……ッ、俺、は)
一瞬の逡巡――いや、自分にそんな感傷は不要だというのに。それを廃して進めるだけ積み重ねて来たというのに。
否、違う。機体の限界だ。その筈だ。
動かそうとしたその右手が動かず、切っ先が前に進まない。トドメを刺せない。無意味に紫電が弾ける。
動け、と――強く命じる。
ここではない。お前はまだ折れてはならぬのだと、強く命じて無理矢理に機体の操作に集中する。
動けぬなら、ジェネレーターを爆発させてでも動け。関節を引き千切ってでも動け。冷却剤とでも何でも、とにかく勢いをつけろと命じて――。
そんな間際に、あるメッセージが届いた。
報告――【救助地域の全捜索】【救出完了】の文字。
「――――……」
ああ、そうか――……と頷いた。
エルゼ、フェレナンド、アシュレイ……そこに自分、つまりもう一人の合流が必要だと計算した。
ああ、確かに――もう一人必要だった。その試算に間違いはなかった。そして、そのもう一人はいたのだ。
ハロルド・フレデリック・ブルーランプが、居てくれた。
彼の機体を市街地そばに運ぶように指示を出したのは、自分だ。どうやらそれを首尾よく回収し、搭乗し、救助に向かってくれたのだろう。
そのメッセージは、彼からのものだった。
……自分は、必要なかったという訳だ。
そのことに、糸が切れるような深い安堵を抱いた。
どうやら自分などいなくても――何も問題はなかったということだ。
(……潮時か。戦闘を続ける意義も、意味もない)
初期化コマンドを用いた
動力を失った機体が、完全に両膝を突く。
少なくとも、もう――……この場において戦闘の継続は必要ない。つまり戦力として、もう自分はいなくても構わない。なら、別に、いいだろう。
元よりこの世界になかったものが、そうであるべき姿に戻るだけだ。
そのまま、己の中に落下していく感覚に身を任せた。
瞼が重い。
薄れゆく意識の中で、彼女が何か言っている気がしたが――それも、もういいだろう。
婚約は解消した。彼女がもう自分に構う必要などどこにも存在しないのだ。それに関しては、安心して幕を引いていい。
「ハンスさん……! 待って……駄目――手を、手を伸ばして……! ハンスさん……!」
砕け、苛まれた純白の機体を映したモニターが遠ざかる。視界が遠ざかる。
その白きアーセナル・コマンドはこちらへと手を伸ばそうとしているが――その手は届かない。
離れていっているからだ。その機体が。
いや――……こちらの機体が、らしい。ついにこの都市は決壊を迎えたのだろう。瀑布の如く襲いかかる波濤が、彼我を急速に引き離していた。
「……ごめんなさい、ごめんなさいハンスさん……! その人たちはきっと助かるって――助かるんだなあ、って、私、そういうの判ってて……私の勘、よく当たるって……! ほら、そう簡単に死なないって……! だから、私、多分それも当たるんだろうな――って、思って……!」
何某か投げかけられる言葉をぼんやりと受け止めながら、ああ――……と自分の中で認識する。
水没か。それは、危険だろう。
それでも
あれほど損傷を与えたために、どうも、あちらも航行が上手く行かないらしい。そういう意味では、あと一歩の戦いだったのだろうか。
「黙ってました……黙ってたんです……! ごめんなさい、ごめんなさい……! そういう戦い方をするあなただって、確かめる必要があったから……ここしか、もう、安全にあなたと戦える場所がなかったから……! 謝ります……! ごめんなさい……ごめんなさい、ハンスさん……!」
エラーメッセージも、うるさい。
ぼんやりと――フレームが剥き出しの機体を海水に包まれて、揺られながら、操縦桿から手を離す。
力場を制御して加速を行うためのそれを、掴み続ける必要はどこにもない。今の役目は終わったのだ。
「嫌われても仕方ないけど……! でも、せめて今は手を伸ばしてよ――――!」
薄れる意識の中で、思う。
(……そうか。熱差異による破壊は、起きないな)
よく考えれば、案ずるほどでもないだろう。……ガンジリウムを使い切っていたのが幸いした形だ。
これほどの水の中に沈められて、本来なら機体の熱暴走で死に至ったかもしれないが……幸運にして全てを消費し尽くしたが故に、その心配もない。
あとは、救助が来るかどうかの問題だ。
なら――……もう細かく喚いても仕方がない。力場も使用できなければ、ここから脱出するすべもない。せいぜい、コックピット内の酸素を保つしかない。
(ああ、なんにしても……)
戦闘は――――終結したのだ。
今は、少し休もう。
このまま救助されず海の藻屑となってしまうことへの恐れもあるが、何にしても、少し疲れた。
これからのことは、起きてからまた考えようと――ただ、深く目を閉じた。
夢は見ない。
休むだけだ。
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