第56話 全てを黒く焼き尽くす暴力、或いは戦争の時間
それは――最早その領域に到達したそれは、チェスに似ていた。
超高速で海上を駆ける二機はそれぞれの火砲を向け合い、逡巡し、そしてまた飛び去っていく。
無音と無音の殺し合い。
透明と透明の殺し合い。
飛翔音以外の一切はなく、ただ不気味に――傍から見れば模擬演習の如く、赤き機体と青の機体は空域を不気味に飛び回っている。
互いに――単純な話だ。
先に撃った方が負けると、そんな論理で動いていた。
射撃のための、その反動による、僅かな動きの隙――――ハンス・グリム・グッドフェローという不確定要素がなくなったその戦場では、互いに譜面を作る戦場音楽家たちは、残酷な法定式をお互いに把握しあって行動をしていた。
ヘイゼル・ホーリーホックを前に一発を喰らってしまえば、力場の加護はなく一撃で葬られることとなり――。
ロビン・ダンスフィードを前に一発でも当てられてしまえば、力場も無意味になるほどの鋼鉄の嵐を受ける。
そして、互いの放った弾丸を跳ね返して相手に当て直すことも可能な程度の腕前となれば――単純に、先に放ってしまうと一発分損をすることになる。
いや、或いは――……先んじて置きに行く射撃により、敵を葬ることもできるだろう。
だからこそ、互いが後の先を掴み取ろうとしながらも、先の先を掴める立ち位置を巡って争っていた。
しかしそれは膠着を意味するかと言えば――否である。
(この野郎……推進剤を、雷雲の核として使おうとしてやがる)
超大型の増設ブースターを利用する【メタルウルフ】を睨むヘイゼル・ホーリーホックはそう分析し――
(チッ、少しでも自由に動かしたら海中から延々と撃たれるな。厄介な野郎だ)
赤き四脚【アーヴァンク】を追随するロビン・ダンスフィードはそう結論付ける。
お互いに、お互いへの必殺を持つというそんな状況。
必然――時間の経過はロビンの利に。だが、そこに僅かな隙を作ってしまえばヘイゼルの利に。
そんな、互いに緊張感の刃の上で綱渡りをするという――そういう戦いが、あった。
であるからこそ、彼らは全く同時にその均衡が崩れる予感に行き当たった。
轟音――まさしく轟音としか呼べぬ衝突音。
燃え盛る
彼らは一度息を入れ、これがきっと最後の会話だと――航行のままに口を開いた。
「ハッ、やりやがったか。流石はグリムだ、容赦がねえ」
「……ッ」
「恨んじゃいねえよなァ? アレが軍人としては正解だ。あんなモン、あんなことやってりゃ撃墜されるに決まってんだろうが。……なあ、『請け負った仕事だけやる』――……聞こえはいいが、そりゃ兵隊の仕事だろうが。お前は士官だ。テメーで判断しねえで、どうするって話だ」
「はは、企業屋のテスパイ崩れなんぞに軍人の心得なんて説かれるまでもねえ……母艦が撃墜されたから、どうした? 今度は今度で任務通り――お前さんたちのマスドライバーをブチ落とすだけだ。グリムと一緒にな」
敵味方が再び入れ替わる――。
彼らのそこにあるのは、ある種の残酷なまでの非人道性と合理性だった。
人間としての本分のそれ以上に、兵士としての方程式を持っている。目標の達成の為の合理的な道筋を有している。
「は、は、は」
だから、笑う。
故に、笑う。
お互いの信条のどこかにヒビが入ってしまっていても――その性能には全く翳りがないのだと。そこまでは狂っていないのだと。
鉄と血と、死と炎の中から産声を上げた死者は――骨の髄まで殺戮機械である二人は、その義兄弟は。
笑うのだ――――。
敬意を持って。殺意で以って。
笑いながら、互いを敬いながら、嫌いながら、悲しみながら、それでも――殺し合うのだ。
「そうこなくっちゃなあ、
「いちいち声がデケえんだよ、
やがて、ある合理性を以ってロビン・ダンスフィードの機体が――青を基調としながらもその縁を血の赤で彩られた【メタルウルフ】が。
超大型火力増設・機動力増設ブースター【フレームグライド】のその全砲門――計:二一八門のミサイルを解き放つ。
最早、空を埋め尽くす白煙――否、それは局地的な雲の発生であり、視界の大半を埋め尽くすほどの業火の種。
応じる【アーヴァンク】は右手のショットガンを投げ捨て、そして逆手握りに背部の超大型レールガンユニットを展開した。
捌くとか、受け逸らすとか――そんな次元にはない互いの必殺の策略。
だからこそ、二人は、その介入を予期できなかった。
……真実、互いにレーダーが使用できずとも。視界に頼らずとも敵機の来襲を把握できる筈の彼らが、まるで、それを認識できなかった。
降り注ぐなどという野蛮さは必要ない。
ただなぞる――それだけだ。波形を完全に収束させられた光子は、その軌道に一切の光を出さない。
結果としてそれはただ、燃え上がるまで気付けない光速の一撃として襲いかかる。
照射レーザー――その高温をもたらす光の点が、超音速で飛翔するミサイルを的確かつ無慈悲になぞり爆発させる。
ヘイゼルとロビンが予期せぬ点での炸薬の破裂に、空中で立て続いた無数の爆発に、無意識に動きを止めた。
その戦場に――第三者がアーセナル・コマンドにより、乱入したのだった。
『いい加減に――いい加減にしてくださいよ! こんなところで! 誰だか知らないですけど……誰がどうだかは知らないですけど! ここで争っている場合なんですか、貴方たちは! それが正しいことだって言うんですか、貴方は!』
純白の胴部の他を群青色の四肢で固めた、尖鋭的なフォルムを持つアーセナル・コマンド――第二世代型:
その通信の主にロビン・ダンスフィードは怪訝そうに眉を上げ、ヘイゼル・ホーリーホックは愕然と口を開く。
確かに撃墜した。確かに逃げ場なく殺害した。間違いなくコックピットを貫く音も、それに対して何の防衛もできない音も聞き届けた。人体が壊される音も聞いた。血が吹き出る音も確認した。
だというのにその少女は――シンデレラ・グレイマンは、再び戦場に現れたのだ。
アーセナル・コマンドを伴って。
胴部だけを【ホワイトスワン】に入れ替えた、破損をかろうじて取り繕ったような純白の胴部に挿げ替えた、あのアシュレイ・アイアンストーブのような構成の機体で――。
『こんなときに人も助けないで、ただ殺し合いたいんなら……そうだっていうなら! そうしたいなら! そんなもの……撃ち落としてやりますよ、わたしが!』
両肩部のレーザー照射装置が稼働し、両腕部のグレネード投射砲が照準される。
灰被りの姫君は――火を継いだ灰は、再び、戦場へと舞い降りた。
◇ ◆ ◇
結局、何人が死んだのだろうか。
理解は――していた。自分の殺傷能力を。それを何の制限もなく解き放ったその日には、何が起こるかも。
その結果が、これだ。
焼け落ちる都市の中で、砕けた亀裂から海水が流入する都市の上で、
皆――……死んだ。誰も彼も殺した。
その中には、かつて【フィッチャーの鳥】に出向したそのときに見知った顔もいた。それすらも何ら呵責なく――否、呵責があったとしても必要性があったから殺害した。殺害できた。
自分はとうにそんな存在になっているのだと、改めて自覚する。
生命の尊さを知りながら、それを言祝ぎながら、愛しながら――……だとしても必要とあらばそれを奪うことに躊躇いがないというのが、自分という男なのだ。
(……)
僅かに黙し、ホログラムコンソールに振れる。
戦艦を叩き付けたあの衝撃は、敵の力場に減衰されていたとはいえ相応の振動となって発揮された。
地下の避難所も――……ともすればどこか、埋まってしまっているかもしれない。
あの大戦を経て、
「……オネスト少尉たちに、民間人の救助を」
フィーカに命じて、市街地の避難所のMAPを浮かび上がらせる。
アシュレイにメッセージを送信した際に、彼我の間で一時的に通信を確立させたのだろう。それを利用する形で、彼からの『生存の見込みが高い地域』のマップが送られてくる。
そのまま、フェレナンドたちへと送信する。
その最中に浮かんだエラーメッセージ。
……どうやら、出力回路の一部が狂ったらしい。
航行は可能で移動も可能であるが、確かに挙動が悪い。どこか身体の――この場合は機械の身体の方の――動きが上手く追従してこない。
あれほどまでに電力を過剰消費し、熱が満ちた地形の中で戦っていた以上無理はないだろうと結論付ける。
それでも、やることは変わらない。
たとえ出力異常や排熱異常により死するとしても、救助を行うべきだ。自分はそのために備えているのだから。
そう思う――最中のことだった。
『ハンスさん』
レーダー上に示された交点と、的確に使用周波数を合致させた通信。
コックピット越しに呼びかけるその声は、忘れもしないあの少女の――……
「メイジー、生きていたのか……よかった、君が――」
「お話ししましょう、ハンスさん。腹を割って、拳と拳の語り合いです。――つまり戦争です。戦争をしましょう」
「な――――!?」
意味がわからない。
そう戸惑うこちらの前に、焼け焦げるビルの谷の道路の逆端に、僅かに装甲が焼け爛れた無手の白き騎士が――第二世代型:
西洋甲冑を近代的軍事合理性の中で仕立て直した姿。
それでいてハイエンドモデルであるがために、十分な威容を示すべく肘や膝、足先の一部に尖鋭的なフォルムを持つ純白の騎士であった。
それは……いい。
この
そこは別にいい。生きていてくれたこともこの上なく喜ばしく抱き締めたいほどのことであったが――……まあ、それもいい。
言葉が、理解できない。
だが――こちらの混乱に構わず、バトルブースト。
それは最早機械ではなく、何か戦闘アニメの生身の達人の如く地を蹴り、ビルを足場に、音を置き去りに――飛び蹴りを繰り出してきていた。
咄嗟に避ける。
白きアーセナル・コマンドは、道路目掛けて吸い込まれ――巧みなるハンドスプリングと空中半回転と共に、こちらへと向き直った。
「……うん。そうですね。やっぱり――……ああ、やっぱり。……いつから、ですか? 私が理由ですか?」
「何を、言っている……! 敵対行動を、すぐにやめてくれ――民間人の救助への妨害だ! これを続ければ、俺は、」
即座に、
「私を殺さなきゃいけない――ですよね?」
「――っ」
「……うん、そうなりますよね――そう、なっちゃったんですね、ハンスさんは。ああ――……それとも、初めからそうだったのに私は気付かなかったのかな……うん、何やってるんだろう、私」
「メイ、ジー――……?」
ぶつぶつと呟く彼女は、そのアーセナル・コマンドは、改めて拳を握った。
身体を半身に。左拳を長く突き出すように。一方の右拳を軽く開きながら、その首元近くから胸殻上部を隠すように。
完全に――何がどう見ても、生身の兵士がそうやるような構えをとっていた。
理解が追いつかない。
何もかもに理解が追いつかない。
「だからハンスさん、戦争をしましょう。私と――あなたで」
「メイジー……?」
「あなたがあんなふうにどうしようもなく怒っているなら、私はきっと、それを止めなきゃいけないんです」
ただ彼女は――こちらの心中を見透かすように、そんな言葉を投げかけてきた。
「……あーあ、ホントはもっと別のこととかしたかったんだけどな。したいこととか、いっぱいあったんだけどなー」
僅かに喰いが滲むような言葉を漏らしてから、彼女はそれらを打ち消すように――……完全に凛とした声色へと、その口調を変えた。
「【
何かの確信を以って彼女は断言する。
その確信まで――意図までは読めない。だが、理解できることはあった。
「メイジー・ブランシェット。今のはおそらく、宣戦布告になる。……取り消しを。改められない場合、俺は君を撃墜しなくてはならない」
「――……そう、ですよね。そうなりますよね……」
「ああ。……取り消しを。どうか、今の言葉の撤回を。貴官自身の安全を思うなら――」
頼むから、剣を抜かせないでくれ――。
そんなふうに祈る言葉は、しかし、
「あ、いえ。今のはそういう意味じゃないです。……だって、というか、ハンスさんに私が倒せますか?」
「――」
「あ、勿論物理的な意味です。それ以外は……うん、知りたくなかったなあ。そっか……本当に……ああ――うん。駄目かな、これ……ううん……でも、まだここなら……」
呟く彼女を前に愕然とした――しかし確かな事実を噛み締める。
確かに、第一位と第九位。その戦闘力の差は歴然としているだろう。あのアーセナル・コマンドの操作一つとってもわかる。彼女は完全に位階が違う。
だが、そんな事実があるとしても――一体、それとこれとになんの関係がある。
「言葉の撤回を。現時点での敵対行動については、敵味方の誤認という話で落ち着ける。……繰り返すが、どうか先程の宣言の撤回を」
努めて絞り出すように告げる。
「撤回がなされない場合、俺は防衛行動として貴官を撃墜する。またこれは軍紀違反であり、民間人の救助に対する敵性戦闘員からの深刻なる妨害行動への対処……――備えている。俺は、全てに、備えてしまっている」
たとえ勝てるか、勝てないか――そこは何一つ関係がない。
単に自分は、剣を向けられるのだ。向けられる人間なのだ。そして戦うとなったからには、何一つ手を抜かずに勝利を目指す。
敗れるとしても――あまりにもその差が甚大だとしても。
万に一つがあると言うなら、それは、彼女の生命の危機だというのだ。それを意味するのだ。
「……じゃあ、なおさらです。あなたがそうしているんなら、私は、なおさらそうしなきゃだめなんです」
「……つまり、敵対の意思は固いということでいいか」
「ええ、まあ、はい。戦いたいって訳でもないけど……恋する乙女としても絶対に譲れないところがあるんで。あなたを殴り飛ばして、そのコックピットから引きずり降ろします」
握るその拳に、揺らぎはない。
この場にアシュレイが居てくれたなら或いは彼に任せて救助に迎えたかもしれないと考えつつ――首を振る。
心優しい彼も彼女も、戦うことを厭うだろう。そんな役目を押し付けられない。
そしてメイジーが撃墜を図ろうとしているのはこちらだ。ならばどう考えても、自分が戦うことが必然となる。
故に――
「……今は敵同士です、ハンスさん。あとで次に会うときには、少し……もう少し違う形で、落ち着いて会話ができたらいいなって思うんだけどな」
彼女のそんな言葉には、応じずに返すしかない。
義務を果たせ――兵士であるということの義務を。
震えそうになる、諦めそうになる己を否定せよ。その差に折れそうになる己を否定せよ。感情をただ、理性の首輪で締め上げて踏破せよ。
「次に会う、だと? ――それはあり得ない。貴官はここで俺が撃墜する。次など存在しない」
「え、いやだって……それ、機体は……」
「問題ない。俺はいつだって備えている。俺は、全てに、備えている」
たかが不利一つ――だから、どうしたというのか。
そして、
「案ずるならば、無手である貴官の側だ。……いいや、無手でなければ戦えないか」
「――っ、そういうところだけは鋭いんですね……!」
単純な理屈だ。
その機体の背部にはウェポンラックがあった。初めから不要としているならば、そんなものは取り外している。
つまりは改めて彼女は武器を捨てたということだろう――彼女自身の意志で。
トラウマか。
それほどまでの戦いだったと、理解している。……彼女の人となりを知っているからこそ、あれが、どれほど倦んだ行為であったのかも。
「……なおさら、敵対は勧められない。どうか撤回を。これが最終通告となる。……貴官が行おうとしているその敵対行為は、深刻に認められない」
「……」
無言の彼女は、絞り出すように言った。
「……本当に、私のことも斬れちゃうんですか……?」
「撤回されないなら……そうなる」
その回答を待ちながら――……ただ、祈っていた。
これが全て何か間違いで、或いは錯乱であり、もしくは酒を飲んで
どうか撤回してくれ、と。
君を斬りたくなどないのだ、と。
「……」
待った。
だが、悪夢からの目覚めは来なかった。
「うん、そっか。じゃあ、だったら……だからなおさら、戦わないと……」
「……そうか」
「そうです。ハンスさんは――……考えてください。その先に何があるのか。誰がいるのか。どこへ向かうのか……お願いだから、そんな誰もいないどこかに行こうとしないでください……行かないでくださいよ、そんな冷たいところに……お願いですから……」
「……」
「私が傍にいるからじゃ、駄目なんですか? ハンスさんは、本当に――……そんなところまで行きたいんですか?」
「抽象が過ぎる会話だ。伝えたいなら、もう少し判りやすく言ってくれ」
元文学少女であったが故か、彼女の言葉は情緒に富んでいて酷く迂遠だ。
それで伝わる意志はないだろうと考え――
「時間がないと思うんで、判りやすく言います。――これからハンスさんを病院送りにしますよ、私は」
「そうか。不可能だと伝達する」
実にシンプルな回答が返されたことに頷く。
彼女がそう出るというなら、こちらにできることは一つしかない。
奥歯を噛み締め――横方向へのバトル・ブースト。プラズマブレードを抜き放ち、ビルの壁面に突き立てながら飛行する。
(……何故、俺に話しかけた。何故、俺に戦いを挑んだ。君がこちらにさえ来なければ――……来さえしなければ。戦いを挑みさえしなければ、それ以外の全てにおいて君のことを見逃せるというのに――……何故、よりにもよって俺に戦いを挑んだのだ……!)
降り注ぐ瓦礫の雨が、破砕されるビルの破片が路上へと降り注ぐ。
彼女ほどの操作性を持った
白い敵機は動かない。
斬り裂かれるビルを眺めながら、冷静にその間合いを測っているふうにも見える。
(斬りたくなど……! 戦いたくなど……! なんのためにこれでは、なんのために研ぎ澄ますのか判らなくなる――……これでは、俺は、なんのために――……)
歯噛みと、拳に入る力。
フィーカが知らせてくる高ストレス反応。
当然だ――……その幼少期から知っている少女に、何が嬉しくて刃を向けなくてはならないのだ。
こんな場でさえなければ、戦わずに済ませられるであろうというのに――……何故、よりにもよって今現れた。
沈みゆくこの都市から人々の救助を行わねばならない今、現れたのだ。
唸る苦しみを――降り注ぐコンクリートの雨と共に切り替える。
(……いや、それほどまでに俺を撃墜したかったというなら、致し方ない。戦闘――それが君の意思なら、認めよう。その点について俺が語る言葉は持たない。君の自由で、信念なのだろう。――こちらも本分を果たすまでだ)
落下速度よりも早く、下方へのバトルブースト。
これでこちらが彼女にどう打撃を受けようとも、追撃として空からの鉄槌が振り下ろされる。
そうなったなら、有利であるのは世代の差でこちらの力場――彼女の白きアーセナル・コマンドは、こちらを倒せようとも倒せずともそれにて沈黙するだろう。
必然、あちらに許されるのは回避行動だ。
それを以って彼我の距離を開き、そのまま振り切る――それだけが唯一、互いを殺さずに戦闘を収められる策だと勘案し――――抜き放つ紫炎のブレード。
こうすれば彼女も避けかかり、それを以って降り注ぐ瓦礫と粉塵に身を隠せると考えたその時だった。
まるで、避けない。
いや、それどころか――何たることか。
「うん、よし。――貰った」
的確に繰り出したその拳が、集められた力場が、横から薙ぎかかったこちらの刃を弾き逸らす。
いや、それだけならまだ理解できただろう。
一体――一体どうしたら、そのような芸当が可能になるというのか。
彼女のその拳と力場はこちらのプラズマブレードを弾き――――そして赤熱する。その拳が、真っ赤に燃える。
「な、に――」
プラズマブレードの熱が伝わる境界と、機体の拳が完全に融解してしまう境界。
それを見極め、力場を精密に操作し、そして彼女の純白の機体はその拳を真っ赤に染めたのだ。
そしてダッキングのようにこちらのブレードを潜って躱し――――当機の背後で打ち付け合わされた拳と拳。
全周モニターの背後、彼女の機体はその両拳が赤熱する。
それを以って、ガンジリウムの流体の速度を――循環の速度を高める気か。
「その機体から引きずり降ろさないと、話もできないんで――まずは戦闘不能にします。具体的には頭部とか色々壊します」
高めて何をするか?
決まっている――……ガンジリウムの流体操作に伴う重心の変化だ。それを、爆発的な速度で行うために、そのためだけに彼女は機体を燃やした。
咄嗟に、機体の左右でそれぞれ前後逆にバトルブーストを行って機体の回旋を図ろうとするも――彼女の踏み込みは、それよりも早かった。
防御が間に合わない中、繰り出される。
彼女のその拳は、左フックから始まった。それとは、つまり――
「そんなに怒って! そんなに鍛え上げて! ハンスさんはどこに行く気なんですか! 言われるがままに殺して! 殺し続けて! そんなに怒っちゃうくらいに! なのに!」
「ッ、どこにも…行く気などは、ない……! 命、じられた……場所には……向かうが……!」
「だから――そうじゃないんですって! ちゃんと話をしてください! 分かろうと、教えようとしてくださいよ! あなたの目指す先は! その最終形は! どこにあるんですか! 行き着く先は! どうなっちゃうんですか!」
言葉と共に叩き込まれる数多の拳。そして蹴撃。
度重なる衝撃にコックピットが撹拌される。力場の再生が追いつかない、あまりにも乱打。
終わらない――どこまでも終わらない。
冗談のように、降り注ぐ拳が止まらない。それは回転数を上げ、無限に終わらぬ炎の如くコマンド・レイヴンを苛んでいく。
「ヒーローになりたいんだったら! 助けになりたいんなら! 別に兵隊さんじゃなくてもいいじゃないですか! 泣いている人の支えになってあげたいなら! 命を護りたいんなら! そんな仕事じゃなくっても!」
フレームが軋む。機体がエラーメッセージを吐く。
狂ったように打ち込まれる、拳・拳・拳・拳――――真実無手で敵を葬らんとする、紅蓮に燃える煉獄の拳。
一体、何をどうしたらアーセナル・コマンドをこうも動かせるのか。おかしい。異常すぎる。デタラメだ。これはドラゴンボールではない。
しかし――逃れられない。
この状況で後方に退くようなバトルブーストを行えば、ここまで揺れ動かされた三半規管と肉体にマイナスのGが襲いかかる。そして、前方目掛けてのバトルブーストとなる彼女の機体を振り切ることはできない。
つまり、詰みだ。
本当に殴り壊されるその瞬間まで、こちらの機体は嬲り殺されるしかない。
ならば――死ね。ここで死ね。己の脳を、死地に至る境地へと切り替えろ。
前方への推力を――全開。繰り出される彼女の拳目掛けて機体の胴を叩き付け、揺るがせる。
衝突の衝撃で互いの装甲が軋み――――更にバトルブースト。その左腕へと機体の装甲を叩き付け、質量にて関節を破壊し――離脱する。
有利と不利は、機体の差だ。
第二世代型と第三世代型の差については以前のマグダレナのときにも論じたが――……互いが機械であることと、その装甲に差があること。
それがかろうじて命運を分けた。
少なくないほどにこちらの
損耗比は見合っていないと思うかもしれないが……これでいい。彼女から攻撃手段を取り上げれば、こちらはどう砕けても構わない。
「貴官には何か誤解があるようだが……俺は別にヒーローになるつもりなどない。それなら、震える子供に毛布を渡してやればいいだけだ。こうも人を殺す必要などない」
息を吐きつつ、上空から改めて彼女とその機体を見下ろす。
デタラメな力だ。
殴るだけ殴り抜いて、降り注ぐビルの破片の危険域を脱していたのだ、彼女は。的確に落下してくる順番を見極めて、それを行った。
全く以って――真実、無手だとしても油断できない。それほどまでに歴然とした差が、自分とメイジー・ブランシェットにはあるのだ。
「……じゃあなんだって言うんですか、ハンスさんは」
「俺は兵士だ。必要に応じて守り、必要に応じて殺す……それが俺の有用性だ」
「それを突き詰めて……どこに行くんですか?」
「その質問の意図がまるで読めない。俺は、どこに行く気もない」
折れた左腕のフレームを、左肘を、無理矢理に右手で直しにかかるメイジー。
最早、驚くことも無意味か――……そう考えつつ、口を開く。
「俺はここにいる。……全てが狂い、焼け落ち、滅んだとしてもここにいる。それだけだ」
言えば再び両拳を握った彼女は、沈痛に声を出した。
「……世界でたった一人にでも、なる気なんですか?」
「ならない、と考えている。個人はそれほどまでに世界に対しての重さを持たない。世界が滅ぶとき、個人は生き残りはしないだろう――……それは無意味な仮定だ。それでも」
もし明日、世界が滅ぶとしても――
「誰が狂おうとも、怒ろうとも、俺は絶対に迎合しない。俺はただ、俺の理性においてここに立つ」
「……誰がその理性を、保証するんですか」
「だから俺は、法と善を重んじている。人道を重んじている。――俺の正気は、この世界が確かに作り上げた祈りに裏付けられた正気だ」
それを狂気と呼ばれてしまったら、おそらくこの世界には何の正気も存在しないことになるだろう。そう認識する。
いや――例えばそれすらもが狂気としても。
自分がやることは変わらない。何一つ、変わらない。
「俺はただ理性を求める。兵として、猟犬としての本分を全うするそのために。そのためだけに、本分を全うし続ける。そうして、その力を磨き続けるそのために」
ただ、剣たれと――――己にそう命ずる。
それこそが到達点であり通過点だと、そう命じ続ける。
そうだ。
そう己が決めたというなら――……首輪を付けるというならば、もう行うべきは決まっていた。
「メイジー・ブランシェット……再度通告する。すぐさまに矛を収めろ。ここで君が俺に戦闘を挑むということは、未だ残るこの都市の市民への重大な攻撃であり、彼らの命を奪う行為だ。人道上の多大なる懸念だ」
ちゃんと伝えろと言われたからには、改めて詳細に勧告を行う。
「応じられない場合、当機はその戦闘行動に対して応報する――……命は平等だ。本音はどうあれ、建前としては平等だ。そしてその建前は、世に是であってほしいものだ。貴官が何かに怒り悲しむというなら、今まさにここで怒り悲しむ市民を――その苦しみを思ってくれ」
どうか伝わってくれと思いながら、言葉を尽くす。
「貴官のそれと彼らのそれは当価値であり、どちらも失われてはならない大切な生命と精神だ。そしてそれらは不可逆であり、今まさに奪われようとしている。……物事には優先順位がある。どうかかつて君が、心優しき君が――人々のために立ち上がったというなら、その理念を思い出してくれ」
彼女がかつて燃える街並みの中で立ち上がり、そしてその後も人を助けようとしたならば――通じてくれる筈だと。
「頼む。……もうこれ以上この場で、俺は、誰にも死んでほしくないんだ。戦いをやめてくれ、メイジー」
そう願いながら、改めて海水が満ち始めた砕けた路上に佇む純白のアーセナル・コマンドへ、そう呼びかけた。
本当に――死んでほしくないのだ。
メイジーにも、フェレナンドにも、エルゼにも、ハロルドにも、カタリナにも、残る【
もう、この都市を舞台にした戦いは終わった。
だから、頼むと――……そう一心に願い、彼女を見守った。
果たして、
「……判りました。戦いは、良くないですよね。人が死ぬのも……そうですよね」
「メイジー……!」
「でも――それとこれとに、なにか、関係はありますか?」
「――――」
絶句するほか、なかった。
そして彼女は、通信を続ける。
「そうやって理念や何かに譲っていった果てが、明け渡していった果てが、その向こうにあなたがこんな人殺しになってしまったって言うなら――……あんなにもどうしようもない怒りを抱えてしまったって言うなら、そんなもの、私にとっては憎い仇と同じぐらいのものなんですよ。どうしてたった一人の人を、それに奪われなきゃいけないんですか?」
淡々と。
「生命が尊いって言うなら、ハンスさんは、その一つ一つが尊いって言うなら――……どうしてそんな尊いものを、無銘の幽霊みたいなものに変えることを良しとしちゃうんですか? 生命が尊いなら――あなただって、かけがえのないものなんですよ? かけがえのない一つなんですよ?」
どこかを滑っていくように、彼女の言葉は響かない。
「……意味が判らない。生命が尊いと君は理解しているならば、どうして今まさに危機にある人々を見捨てられる?」
「だから……そうやって優先順位ばかりに任せてたら、私の一番大事なものが消えていっちゃうのに……どうして譲ってあげてもいいよって言わなきゃいけないんですか?」
そして何かを待ち望むような彼女から齎されたその沈黙に、返せる言葉は一つしかなかった。
胸の内で、獣が騒ぐ。――ほらな、言ったろ?
甲斐などないのだと、その獣は、嗤っていた。
「……君には失望した。君がどんな理念で動こうと自由であり、俺に語る言葉はないが――……我欲のために容易く他者を踏み躙れるその心に、俺は酷く失望した」
「――っ、容易くなんてないです……! 嫌ですよ! 嫌に決まってますよ! でも、これぐらいしなきゃ――……判らないじゃないですか! それで、手遅れになるじゃないですか! ハンスさんは! なっちゃうじゃないですか!」
「手遅れになるのはこの都市の方だ。……俺は常に何も問題ない。そのような議論の場に挙げられぬために、俺は全てに備えるようにしている」
何一つ、己という理念が伝わっていないことに愕然としつつ――そういえば伝えただろうか、とそんな想いも覚えた。
伝わっていなかったなら、今、改めて伝えればいい。
それだけの話だ。そう思った。
「俺にその心配を向けるのならば――……頼むから、今苦しむ誰かにそれを向けてくれ。彼らの多くは戦火に巻き込まれ、かつてあの都市で暮らしていた君と同様に生活を奪われようとしているのだ……今なら間に合うその生命を、見捨てていい理由は――兵士としてどこにもないだろう……!」
心からの言葉だった。
何故自分が備えているのかという、その一端だった。
マクシミリアンにもそう言ったが――……自分は彼ら市民と違って軍人だ。有事に備えている。救助が不要なように、銃後の民と区別されるように備えている。
自分は幸運にも二度目の生命があった人間だ。
ならば、どう考えても優先度は低い――……しかしそう告げたところで理解はされないだろう。だからこそ明らかに解るように、備えているのだ。助けが不要なように。限られたリソースを自分以外に回して貰えるように。
きっと、彼女とてこちらの研鑽については知っている筈だ。
そして、こう伝えればなおのこと伝わる筈だと――――そう心から願い、
「だから、判りましたじゃあ別の誰かにって……そう簡単に向けられるほど、軽い想いじゃないんですよ! 人の想いはきっと! そうも簡単じゃ! そんな訳が!」
「――」
「なんでそれが――……ああ、違う。ハンスさん、本当に、ただ優しいんだ……誰に対しても! 全ての人に対しても! 全く同じく! どこの誰に対しても!」
それは、届かなかった。
そして――――何一つ、伝わらなかったのだ。何もかもが。
自分は、心底優しい人間などではない。
当然、他者に対しての好き嫌いはある。付き合っていて楽しい相手、そうでない相手もいる。大事にしたい相手もいる。そうでない相手もいる――当たり前に、他の人と同じだけそれはある。
そう、他の人と同じだ。
誰にだってそんなものはある。あるだろう。
それでも――それだからこそ、人の命は当価値なのだ。理念として。本音はどうあれ、建前では人の命は同じだ。同じにしなくてはならないのだ。
自己のそれを大切と思うからこそ、他者のそれを尊重せねばならないのだ――――。
だからこそ、他者のそれを踏み躙っていい理由はない。
己のそれを大切に思えば思うだけ――他者も他者のそれを大切に思っているだろうと想像がつく筈だ。
だからこそ、なおのこと己の感情の重さは他人を踏み躙る理由になどなりはしない。
特に建前として――つまり個人ではなく、社会に参画する人間としては余計に必要だろう。正当なる理屈としてのものが。
自己の持つ感情の重さが重いほど、他者も同様にそれを持つと考え、故にそのどちらもが尊重されるべきであり、翻って自己のそれも尊重の保証を受ける――。
仮にそこを区別するとしたら必要性で――順番だ。
どちらがより危険か。どちらがより深刻か。
それに従い、取り扱う。
他の業種なら違ったかもしれないが、自分たち軍人という極限の命のやり取りをする者にとっては、その合理性と必要性と妥当性こそが唯一の法理だというのに――……。
(……俺は、全てを平等になど見做していない。君のことだって、この戦いの中で案じ続けていたというのに――……それすらも伝わらないか。いや、それとも、それが君の論理なのか)
心が冷えついていくのが判る。
個人の信条、感情、その思想。それは私的な領域に限ればどれも自由であり、等しくその個人にとっては真実だろう。
だから、そこを歪めようとは思わない。
ただ、理によってそこを分けるだけだが――理が通じぬなら、或いは全く交われぬというならあとはもう、これしかない。
……ああ、いや。
だからこそ彼女はああ言ったのだろうか――――戦争だ、と。
ならば。
こちらから言えることは、一つだけだ。
「そうか。……貴官とこれ以上、会話をしても無駄らしいな。――対象:メイジー・ブランシェット。武装解除に応じぬならば、速やかに殲滅する」
「――っ」
こちらも容赦なく――己の論理を押し通すだけだ。
人命の尊さを説いた上で彼女がなおも彼女の理屈を是とするならば、こちらもまた、同様に己の理屈を是とするだけだ。
思考を切り替えろ。
己を一つの剣と化せ――――容赦はするな。容赦できるほど、甘い相手ではない。
全てを使え。
確実に撃墜せよ。あらゆる手段を以って。たとえ彼女が、どんな相手だとしても。
こちらの職務の妨害をするというなら――。
背後にいる人命を踏み躙るというなら、何が相手でもやることは一つだけだ。それが、誰が相手だとしても。
それが親でも、祖でも、仏でも――なんだとしても。
そのことごとくを、斬り倒す。
ただその意気にて、己を研ぎ澄ませ――それ以外に、これほどの相手には勝ち目がないのだ。
負けてはならぬと己に命じるならば。
ただ人道のそのために、己を非人間的な刃に変えろ。――今こそは。ただ今だけは。
「最後に一言告げるが……君と俺は婚約をしていた。君は知らないかもしれないが――……それも今日までだ。今日を以って解消される。これは、一方的な通告においても可能だという取り決めがある」
念のために一言付け加える。
こちらが万が一死亡したその際も、彼女が気に病むことがないように。
思想信条が異なったとしても、道を違えたとしても、その心を踏み躙っていい理由などないのだ。――可能な限り、その心の痛苦を捨てられるように、告げる。
「貴官と俺の間に、何ら関わりはない。――望み通りに俺を止めたいなら、気にせずやることだ。俺は、貴官に対して、もう何も思わない」
そして、プラズマブレードを構える。
彼女は、何も言葉を返さなかった。何も言えないのか、言う気もないのか、言葉を交わすことを諦めたのか――なんだっていい。
こちらは、変わらない。
ただ、己が理性と合理のその内に――――兵士として敵機を撃墜する、それだけだ。
それが己の、唯一無二の有用性だ。
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