第54話 黒の処刑人、或いは無銘なる死、またの名を聖者の行進


 命令オーダーは下された。

 ならば、己がすべきことは一つしかない。

 都市部へと目をやる――――散発的に続けられる燃え盛る都市からの対空攻撃と、そして、黒煙の中で浮かぶ戦艦と黒獣からのそれへの応射。

 その度にビルが砕け散り、そして或いは、浮き島たる都市の基盤は加速度的に崩れていく。


 最早、遠からずこの海上遊弋都市フロートは滅ぶだろう。

 生き残りが、あそこにもうどれだけいるかも判らない。


 それはいい――きっともう、己の手ではそれは掬えない。それは、己の有用性ではなく機能でもない。

 単純だ。

 自分に求められているのは、殺すこと――ただそれだけだ。


「ロビン、ヘイゼル……一度だけ告げる。全ての戦闘行動を停止しろ。或いは、俺と協力してあの船を落とすか――だ」


 思ったよりも、冷えた声が出た。

 頭は冷静らしい。……婚約者であるあの少女を、十数年前から知っているメイジーを殺されてなお――冷静でいられるなどと、己は何と救えぬ男だろうか。

 だが、それはいい。

 彼女の笑顔を――その前途が永遠に失われたことを思えば胸の内で獣が暴れだしそうになるが、それはいい。

 特段、今は強く押し込める必要すらない。完全に、己には己という首輪が付けられていた。


『あん?』

『なっ、グリム――お前ッ』


 ヘイゼルには受け入れがたいだろうな、と思った。

 音を置き去りに目まぐるしく位置を変えながらも、銃撃を交わし合う赤と青の二機のアーセナル・コマンド。

 動揺を受けてもなお手が鈍らぬというのは流石と言うべきで、火花の如く応射し合う二人に合わせてこちらも端的に告げた。


「アレは明確に人道上に問題のある行為だ。それを防ぐ必要があると、そう命令された。……ロビン、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】としての利もあると考えるが」

『ハッ、やっぱテメーはそうだよな。オレと決裂したって――相容れないって、思ってもいいってのによォ。……いいぜ、あの狼にとってもあんなものは頭痛の種だろう。乗ってやるよ、グリム。黒の処刑人ブラックポーン


 ロビンがどのような理で動いているかは判らない。

 だが、余計に争わないで済むならそれでいい。一番合理的だ。


「ヘイゼル。……貴官はどうする? あれは、貴官の船だ」

『俺、は――……』

「……すまない。意地の悪い質問だったな。協力の必要はない。いや――」


 どちらを選んでも、ヘイゼルはその心に傷を負うだろう。

 彼は、優しき男だ。

 煙と共に憤懣を吐き出せと教えてくれた彼は――つまりはことに違いはあるまい。

 そんな彼に、同じ船に乗り合わせた同僚たちとこちらの指令のどちらを優先させるのか問うのはあまりに残酷すぎるもので――……だからきっと、正しい通告はこれだ。


「邪魔立てするなら、貴官から無力化する。それだけの話だ」

『――――ッ』


 これで何を選ぼうとも、彼は、その良心に従えるだろう。

 そして、


『……悪いが、俺としてもアレのおもりを頼まれちまってね。何であれ、請け負った仕事は投げ出さない……それが俺の流儀だ』

「……そうだな。そう言うと、思っていた。……ありがとう、答えてくれて。すまない、ヘイゼル」

『――っ』


 どこか、安堵する気持ちだった。

 ヘイゼル・ホーリーホックはそういう男だ。頼れる兄貴分で、軽薄で、洒脱で、いつも軽いようでいて――誰よりも優しく真剣で責任感ある男だ。

 だからどんな形であれ、その仕事を投げ出さないと思っていた。そう信じていた。


 これで安心して――戦える。


 敵対宣言をここでされた。今、敵対したのだ。ならば少なくとも、あの黒いアーセナル・コマンドと戦う最中に背後から攻撃されるという可能性は除外できた。

 彼が優しく、真剣で、責任感があるからこそ。

 これから殺す相手へは嘘を吐けない。旗印を鮮明にするしかない。

 ……我ながら、あの日からの無二の戦友に対してあまりにも酷い扱いだ。これで地獄に堕ちろと言われたら、ああ、そうだろうと思う。

 だが――今は感傷などは不要だ。

 ただ、命令を遂行せよ。そして、今なおあの都市で生き残り――戦火に包まれて失われゆく命だけを想え。

 彼らの絶望を想え。彼らの苦痛を想え。彼らの悲哀と、切望と、生命を想え。


 あとの一切は、些事だ。

 


『ハッ、だから言ったろ? なあ、クソタコ。止めるとか止めないとかじゃなくて――――って。なあ、聞いたぜ? 逃げるガキを撃ったらしいじゃねえか』

『……ッ、だからどうした……! いくらテメエでも、そこを軽々しく口にするんだって言うなら――』

? ――――んだよ』

『――!?』

『……もう、ガキどもに英雄ってマントを着せて犠牲にするのはコリゴリでな。判るか? ……大層な理屈も、主義主張も知ったことじゃねえ。あの日の繰り返しなんざゴメンだ――それでもまだやりてえってんなら、それなら、オレがまとめて何もかもを吹き飛ばしてやる。


 戦闘空域を激しく飛び回りながら、交わされるミサイルの散弾とショットガンの散弾。

 ヘイゼルの赤き四脚の騎士【アーヴァンク】はその超大型レールガンを背部へと格納し、二丁のショットガンを。

 ロビンの青き重騎士【メタルウルフ】は背部に大型の強襲用火力増強ブースターを背負い、数多の誘導弾とプラズマ弾を。

 互いに撃ち合う。交わし合う。防ぎ合う。

 幾重の火砲と死線が不協和音を奏で合う、戦場の即興演奏――請負人ナイト始末人ルークの一騎打ち。


『……嫌になるぜ。テスパイやってるとよ。あれだけ殺し殺されて、それでもどいつもこいつも利益だなんだで、まだ世界を焼く準備を整えてやがる。……延々とどこまでも、いつまでも繰り返す気でいやがる。ハッ、オレは、うんざりなんだよ。テメエらの何もかもが』


 その呼吸を読みながら、こちらを狙おうとする散弾に注視する。

 いくらヘイゼルとて、或いはロビンとて、彼らがどこまでも精密に組み立てるが故にその一枚絵には必ず綻びが生まれる。

 足元の海を統べるヘイゼルと、頭上の空を司るロビン。

 強いて言うなら――戦闘の継続と時間経過は、ロビンに利するであろうか。


『あの狼野郎が、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】がそれに歯止めをかけてやるって言うなら――ああ、従ってやるさ。望むところだ。心から協力してやる。ただし、それでもどうにもならねえってんなら――』


 言葉を区切り、


『オレたちも、お前らも、――


 彼はおそらく、歯を剥き出しにして笑った。

 それが黒の始末人ブラックルークの――その矜持だとして。


『……は、はは。そうかい。そうかいそうかい……お前さんの戦う理由がそうだってのは、よく判ったぜ。イカれたんだな、お前さんは。黒衣の七人ブラックパレードとして……ブッ壊れたのか、不壊の城塞ヘッジホッグ。お前さんは、あの日に』

『ハッ、お互い様だろ、不動の騎兵ホースネイル。……敵の足を止める筈が、その釘でテメエの足を止めちまった。だからお前は今日も進むしかなくなった。動き続けるしかねえんだ。――やるかやらないか、それが問題だ……ってな』

『……ああ。そうだ。俺は、二度と請け負った仕事を投げ出さねえ――だ』


 それが黒の請負人ブラックナイトのその信条――。

 互いの道は、ここに決裂した。

 そのことに胸の痛みは在りさえすれ、しかし、自分という刃の歯止めにはならない。

 感傷で、感情で手を止めるというのであれば初めから人など殺していないのだ。それが、己が己に求めたただ一つの機能であるが故に――


「――――ノーフェイス1、これより殲滅戦を開始する」


 彼らの隙をついて、都市部への加速を開始する。


『ッ、てめえ、待て、グリム――――!』

『ハッ、流石だなバカ犬!』


 背後で怒声が上がるが、それを振り切る――後ろ髪を惹かれる気持ちなど必要ない。死地にて振り返ったオルフェウスは、手に入れる筈のものを失った。

 ならば――……。

 それに己は、オルフェウスではない。竪琴で地獄の番人を寝かしつけることもなく、その三ツ首の番犬の喉笛を食い千切り制圧するアクタイオンの猟犬だ。


 ならばどこまでも首輪の付いた猟犬らしく――枯野に放たれた炎の如く、振りかぶられる鉄槌の如く、吹き荒れ過ぎ去る嵐の如く、国を蝕む疫病の如く、ただその身に赦された権能の如く振る舞うべし。

 獣の獰猛と機械の冷徹。

 その機能の有用性と合理性のみが、己の本分を遂げさせるのだ――――



 ◇ ◆ ◇



 ――OHI-X004【ホワイトフット】。


 保護高地都市ハイランド連盟軍の正式採用機体は、コンペティションの末にいずれもユナイテッド・ハイランド・ナショナル-インダストリー社が設計・開発を行い生産しているが、例外もある。

 当該機体は、特殊部隊【狩人連盟ハンターリメインズ】が独自の契約を結んだオニムラ重工業グループが開発したアーセナル・コマンド。

 機械化特有の鋭角的な特徴を持つ狼のような、或いは燃え上がる黒炎の体毛を持つ猟犬のようなシルエットを有する。


 最大の特徴は、アーク・フォートレスさながらの巨体。

 名を表すように各脚部の半ばからが純白の、その漆黒の機体の外装に備え付けられたのは、まさしく剣山めいた無数の鋭い装甲板。

 無論、そのそれぞれに流体ガンジリウムを循環させている。

 増大させたその表面積は強力な力場の発生装置となり、そしてその装甲板の形状の通りに《仮想装甲ゴーテル》を展開させるだけで、さながらアーセナル・コマンド用の実体剣の如く刃の範囲上を力場によって断絶させる。


 これらの装甲板に設けられたスリットは、内部のガンジリウムを噴射する銃口でもある。

 圧縮した状態で撃ち出せば、それは機体そのものを無数のプラズマブレードやプラズマカノンと化すに等しい所業であり――。

 或いは散布して通電させれば、それはかつての大戦にて一部のアーセナル・コマンドとその駆動者リンカーが実行したとされる巨大な力場による海上遊弋都市フロート破壊を彷彿とさせる大量破壊を引き起こす。


 強大な決して揺るがぬ装甲と共に、無比にして絶大なる破壊力を有するアーセナル・コマンドである。


 機体の設計コンセプトは、大規模破壊――つまり対戦艦、対アーク・フォートレス、対地形、対都市。

 その力が故に回避や機動を必要とせず、重厚な装甲は力場を失ってなおも容易くは砕けぬ堅牢性を誇る。

 四足歩行は、ひとえにその機体重量を支えるための設計。

 現状、これだけの装甲性と破壊性を持つ機体を通常のアーセナル・コマンドの大きさに収める技術はなく、それ故に肥大化した機体と言えよう。


 ……余談であるが、何故、アーセナル・コマンドが基本的に二足歩行の人型の形状を取るかについて諸説はあるが。

 一つには、脊椎接続アーセナルリンクを通じて接続する人間の脳が、人型以外の状態に耐えきれないから、というものがある。

 故に人体から大きく外れた形状の機体を操ることは叶わず、それは決して量産されることはない。


 もしそのような機体を操ることが叶うとすれば、それは極限まで人としての意識が薄いか――それとも筆舌に尽くしがたい執念を持つか。

 その、いずれかであろう。


 憧憬か、追憶か。


 我ら人類は……その知によって人となり、知が故に人を凌ぎ、知のままに人を外れるであろうか。

 極限まで膨れ上がってしまった頭蓋の内側のそれは、最早、一種の悪夢的な狂気に違いない。

 人は、かくも知こそを恐れるべきなのかもしれない。


 それは、叡智が齎す絶大なる死。聖なる不吉なるもの。


 OHI-X004【ホワイトフット】という――対一〇〇〇〇〇機に相当するアーセナル・コマンドである。



 ◇ ◆ ◇



 装甲に割り振る電力を全て推進力と尖衝角に移し、白い波の航跡を残しながらも――海上遊弋都市フロート目掛けて、洋上を一直線に飛行する銃鉄色ガンメタル大鴉レイヴン

 陽光は中天を過ぎたほど。

 雲も少なく、遮るものなき海上ではその日光の恩恵を快晴のままに貪るべきかもしれないが――違う。


 全周モニターの視界の先、はてどない炎の中に沈み行く白亜の都市――海上遊弋都市フロート『ピフ・パフ・ポルトリー』。

 あの戦いから三年ほどで人々が立て直したその都市は、数時間前まで真新しい建築物が立ち並んでいた純白のその都市は、最早、黒煙の間から僅かに構造物を覗かせるだけの煉獄にしか過ぎない。

 或いは、阿鼻叫喚地獄か。

 鬱蒼と、ただもくもくと巨大恐竜の如く膨れ上がる黒き煙に包まれてしまっては、海上遊弋都市フロートの象徴たる世界樹めいたタワーも覗けやしない。


(熱にどれほど強いか、だ)


 火災の熱によって鉄筋コンクリートが融解するという事案も聞いている。

 あれ程の巨大な構造物が、達磨落としのように崩れたその日には――……まさしくこの都市の終焉となろう。

 もう、消火は立ち行かないかもしれない。

 だが――速やかに。手遅れとなるその前に。

 この場にて戦闘を続ける全てを無力化し、この事態の被害を、疫病めいて広がる死というものを押し止める。自分に与えられた使命は、有用性はただそれのみだ。

 

「この場の全機に告げる。貴官らの行いは、この都市の――『ピフ・パフ・ポルトリー』に暮らす全ての住民たちの平穏を脅かす行為であり、あまりにも重大なる戦争犯罪だ」


 都市への接近――。

 地獄の窯にする蓋の如く、紅蓮と黒雲に覆われた都市の上空に滞空し砲撃を続ける航空要塞艦アーク・フォートレスへ。

 炯々と燃ゆる火炎のその内にあって、更にドス黒く燃え上がる焔の如き四足獣のアーセナル・コマンドへ。

 そして応射を受けながらも彼らへと砲撃を加え続ける、この都市の住人にしてあの日の地獄の囚人へ。

 その全てに――オープンチャンネルで呼びかける。


「直ちに武力行使を停止せよ。行われるそのいずれもを、市民に向けての深刻なる虐殺行為及びその加担と見做し――俺は全てに応報する。……予断を許さない。警告はこの一度だけだ。繰り返すが、使


 告げるが、止む気配はない。


「アトム・ハート・マザーに告ぐ。正当なる敵識別PID手順を踏まぬ上で、かつこの規模の民間居住区にて大規模破壊を行うことは爾後に問題に問われる可能性が高い。……だが、応射や自艦防衛の観点からは、一定度は頷ける状況ではある。当機が離脱を援護し、後の事態対処に移る。この区画から撤退を行う意思はあるか」


 やはり、返答は返らない。

 そうしている内にも街は燃え、砲火は収まらぬ。

 その大規模砲撃は、街並みを打ち砕いていた。


 ……――ならば致し方ない。

 だけだ。

 均す――斧で断つ巨木の断面の如く、或いは槌で打つ路面の如く。

 均すだけだ。何もかもを。


 奥歯を噛み締め、バトルブーストを一つ。

 上空のアトム・ハート・マザーへと銃口を向ける半壊の機体を、真横から切り裂き――足を止めることなくそのまま上昇。

 放たれる幾重もの弾幕。掠めた機銃の羽音。

 躱し、その船体をなぞり上がるように航空要塞艦アーク・フォートレスの真横まで飛行し――爆発的な空戦機動。

 立て続けたバトルブーストは雷轟と化し、抜き放つプラズマブレードは雷閃へ成る。

 市街地に向けられた力学的エネルギー砲弾の発射筒――砲塔を刻み、次いで、艦橋が視認できるほどに上昇する。


『ハンス・グリム・グッドフェロぉぉぉ――――――っ!』

「案ずるな。聞こえている。……要件は?」

『きっ、貴様……何をやっているのか判っているのか……! これは応戦なのだぞ! テロリストへの応戦だ! 必要な武力の行使だ! それを横から――この英雄気取りの愚物めがッ!』


 名前は何だったか、艦長の男の怒号に合わせて複数の砲座がこちらを捉えた。

 街に向けられる砲数を減らせたならば上等だ。だが、変に激昂されて戦いを長引かせられても困る。

 友軍撃墜の趣味はなく、言葉で退かせられるならそれが最も望ましいが――……それを加味した上で、伝えるべきことはある。


 彼がもし、真実それを必要十分な武力の行使と判断しているならば、ここで糺さなければなるまい。

 たとえこの先――どんな結果になるにしても、だ。

 互いが生きているその内に、是正しなければならないことがある。


「必要な武力の行使というなら……再度確認するが、貴艦からの敵識別PIDの十分な確認は? 大規模攻撃の前には義務付けられている行為の実施は? 如何なる識別を行った? その上で、当該兵器の使用が妥当と判断したのか?」


 次いで、告げる。


「確認だが、何故、コマンド・レイヴンによる迎撃を行わなかった? 現在の敵兵力を鑑み――第二世代型との戦力差について十分に知っていれば、あの機体のような過剰火力など用いる必要はないだろう。貴官は、我が国の軍艦がこのような区画で大規模破壊を引き起こすことに――一体如何なる軍事的合理性を持っている?」


 返答は、金切り声に近い怒声だった。


『やかましいわ! どうせここは、あの戦争に加担した奴ばらだ! 戦場でべらべらと……何が十分な火力かを判断するのは、貴様ではなく私だ! 貴様などでは断じてない!』

「……そうか。念のため聞くが、機体の戦力差についての知識は? 当然認識のほどだと思うが――」

『黙れッ! そんな数字を知ったからどうなる! 私の知ったことではない! 屁理屈を捏ねくり回しおって……! 貴様は誰に向かって口を聞いている! たかが大尉風情が……! 思えば初めからそうだった! 英雄気取りでいい気になって、我々の職務の遂行を妨げるな!』

「そうか。貴官は無知故に民衆を虐殺することを職務と言いたいのか」


 炎と黒煙が彩る市街地上空に浮かぶ、黒鉄の重厚な船体から放たれる近距離対空機関砲を――船底へ潜り込むように回避する。

 そのまま、一機。

 携行式滑空砲を上空へ向け、無誘導弾を放つ民間軍事会社のアーセナル・コマンドを空中で両断。

 直後、頭上から降りかかる連射された弾丸。船底に備えられた複数の対空機銃の掃射を、地を滑るように躱し――一転、機体を跳ね上げる。再びその艦橋の前に身を晒す。


『何が民衆だ! こんな奴らが幾ら死のうと、我々には痛苦もないのだ……英雄気取りが……!』

「……佐官教育を受けたことはないが、感心する他ないな。少年兵と同じ視点の判断を養っているとは……実に研究熱心だ」


 言いつつ、敵艦を見た。

 その黒い甲板から展開する無数のコマンド・レイヴン――三個小隊、十二機ほどか。そのどれもが背部ミサイルポッドなどの誘導弾を携え、今更、空域に展開しようとしていた。


「貴艦による強襲機動兵器の発進は、撤退のためか。それとも、あの兵器を引き上げてそちらで対処を行うのか」


 だが、返答は無数の誘導弾だった。

 発艦した機体達は街に向かうことなく、こちらへの攻撃を開始していた――――その間も艦砲射撃も続く。

 明確に、こちらを排除対象にしている。


「俺は、統一軍事章典第139条違反の観点から、現状でのあらゆる武力行使を虐殺への加担と見做すと警告した。……その上で、貴官らの回答がこれか」

『黙れ、逆賊め……! そうか、貴様はあの死んだ小娘の上官だったな……【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】にかぶれたと言うことだ! 任務の妨害、友軍への武力恫喝……ここで葬るには十分すぎる名目だ!』

「……御高説痛み入る。感謝しよう。バナナと銃の違いが判らずとも佐官になれるなど、【フィッチャーの鳥】はこの地上で最も先進的な軍隊だろう。愛護団体から表彰もされる」

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ、貴様ッ』

「……類人猿との会話の機会があれば、彼らに就職斡旋が叶うだろうな。結構な話だ」


 通信の向こうでまた何かを叫んでいるが、最早構わない。聞く必要もないだろう。彼我の立場は明確にされた。

 こちらに向けられる敵アーセナル・コマンドと、船体――アーク・フォートレスから放たれる無数の対空誘導弾。

 それを見つつ、思った。

 ……明らかに、やはりあの黒きアーセナル・コマンドの火力は過剰だ。

 今のように取りうる――破壊力が他の手段もまるで取らず、この艦長はその怠慢故に市民の人命を軽んじた。


(敵に狙われる恐怖、というのは判る。交戦規定も確かに自衛に関しての武力行使を認めている。市街地に紛れられて厄介だと思うのも、仕方ないことだろうな。だが――)


 

 こちら目掛けてアーセナル・コマンドを解き放った以上は、何らかの理由で使えなかったということはない。

 他に行使可能な武器を有する中で最大規模の破壊兵器を用いるのは自艦の防衛という視点を超えており――更にそこに、市街地を真っ平らにしてしまえば楽だという意志が込められているなら、それは正当なる自己防衛の範疇を超えている。


(必要な警告は済ませた。以後、当機の行動に法的な瑕疵はない)


 迷うことは――――何一つない。

 降り注ぐミサイルの雨を引き連れつつ、上空から確認した黒き炎じみた四足歩行のアーセナル・コマンドを目指す。

 曲芸めいた飛行を行うこちらの機体に振り落とされて、幾ばくかのミサイルが崩れかけのビルに直撃した。

 モニターに、眼前に映し出される朱色の炎の内にあってなおも色濃き地獄めいた漆黒の炎の獣――識別名【ホワイトフット】。

 おそらく、この機体が一番梃子摺る。時間がかかる。


 ならば、後回しだ。

 落とせるものから着実に落とす――そう計算しながら、更に増速して小型のアーク・フォートレスともいうべきその機体の真横をすり抜けた。

 こちらの動きにつられてその背に降り注ぐ、母艦からの数多の誘導弾。

 次々に爆発が広がり、それでも揺るがぬ程度には堅牢な力場と装甲を持っているらしいと認識し、爆煙に紛れて離脱する――そのまま、


『何故、今になって――! お前がッ! お前が止めてさえくれていたならッ! 英雄気取りで涼しい顔をして! お前が! お前がもっと早く来たならば、おれたちだって――』


 ガラスというガラスが砕け散った廃墟同然のビルの手前にて、向けられる四つの銃口と、四つの敵意。

 なるほど彼らは、戦場の狂気に呑まれたのだろう。

 いや、呑まれてなければ――そうしなければあの虐殺との帳尻が己の中で合わなかったのか。

 何故、あの艦長を誰も止めなかったというのか。後ろから撃たなかったというのか。

 決まっている――そうしたところで、彼らの胸中にはある問いかけが下されるのだ。――と。


「……遅くなって、すまない」


 だから、己に言えることはこれしかない。

 今になって艦を撃墜して止めるならば、己は自己の責任において、あの日にあの艦長を船ごと止めていればよかったのだと――確かにそう思う。

 その点においては、自分は確かに及ばなかったのだ。士官としての責を果たすことが不十分だった。

 だが、


「それでも今日まで他者を傷付け、或いは殺したのは他ならぬ貴官自身だろう。俺にそう言われたところで、困る」

『……ッ。お前は、お前は英雄だろう!? その英雄が処分されて、そんな英雄が無力で、ああする以外に――一度赦されたからそれを続ける以外に、何ができるんだッ!』

「ああ、そうだな。確かにそのとおりだ。……貴官の苦しみの一端には、俺の責任もある」

『――――っ』


 四機が入り乱れての空戦。

 放たれる連装ライフルの弾丸は、四方八方から瞬くマズルフラッシュは、さながら映画の試写会の壇上の如くこちらの機体を彩ってくる。

 流れ弾でビルのフロアが崩れる。煙と炎の街の中で粉塵が舞う。

 彼らの悲哀。彼らの憤怒。それは、よく判る。

 だとしても、


「だが――一度悪事を働いたからと、何故次も働く必要がある? 。最も苦しかったのは、貴官でなく被害者と心得ろ」


 言い捨て、包囲網の中で突出し過ぎた一機を両断する。

 こちらが本当に友軍を斬ると思ってなかったのか――周囲のコマンド・レイヴンの機動に、明らかな動揺と驚愕が浮かんだ。

 そこを見逃す理由などない。

 一直線へと敵機を目指す軌道をその寸前にて変更し、力場を蹴りつけ、アトム・ハート・マザーから降り注ぐ小型の誘導弾への盾に使う。

 揺らいだ機体。《仮想装甲ゴーテル》を失ったか。その肩に肘を当ててバトルブースト――マイナスGによる殺傷。そのまま、それの友軍機へと弾き飛ばす。

 向けられた敵機は慌てた様子でチグハグな回避を行った。

 無論、見逃しはしない。そのまま一閃――接近のままに逆袈裟に斬り上げ、真横へのバトルブースト。

 友軍ごと誘導弾の餌食にしようというあの艦長の判断に愕然としたコマンド・レイヴンを、さらに一機撃墜する。

 そのまま、直下へ――


「……貴官らも。武力行使を止めぬなら、例外ではない」


 船に目掛けてグレネードランチャーを向ける機体――あの、十日とはいえ慣れ親しんだ【一〇〇〇機当サウザンドカスタマー】のエンブレムを付けた――を斬断。

 更に地を蹴り、こちらへと銃口を向けた頭上の一機へ斬り上げる。

 下から上へとコマンド・レイヴンを真っ二つに、目指すは――アトム・ハート・マザー。その艦橋。

 まだ動く砲塔から間近に放たれた八十八センチ砲の爆発的な衝撃が一時的な真空すらも作るが――敢えてその真空に飛び込むかの如く推進剤を吹かし、結果、その砲撃の爆炎に紛れる形で大きく距離を移した。

 そのまま船体側壁をなぞり――再び甲板が広がる船体上部、その上空へ。艦橋を視界に収める。


「再三に渡り、やはり、貴官らに武力行使を止める気配はないな。……残念だが、警告は一度と言った。撃墜する」

『わ、判った――やめるっ! 止めるっ! 攻撃を、止める……! 撃つのをやめる!』

「――」


 意外であるが――……まあ、それならいい。

 なんにせよ、人命だ。好悪や侮蔑はあれ、むしろここでようやく命乞いをしたそれへと激しい嫌悪はあれど、それは命を奪うだけの理由にはならない。

 少なくともこれで、市街地の被害は減る。

 戦闘を停止すると言うなら、自分は別の目標に――


『あぎゃっ!?』


 機体を翻そうとしたその時、そんな、情けない悲鳴が聞こえた。

 通信の背後では銃声が響いている。悲鳴が上がってはいるし、罵声も聞こえる。……反乱だろうか。

 なんというか、やはりというか、どうも艦内の掌握さえままならなくなったらしい。

 再び、アトム・ハート・マザーの砲塔がこちらを向いた。

 どうやら――戦闘続行か。残念だが、仕方あるまい。


『助けっ、たすっ、たすけてっ……たすけてくれっ……降伏、こうふくするっ……こうふくするぅ……!』

「そうか。……だが、貴官のみを救助する方法は見付からない。自力で脱出は? 協力する部下は? 説得は?」

『そんなものがあれば、貴様なぞに呼びかけるかあっ!』

「そうか。ならば当機にできることはない」

『なんでっ、なんっ、なんでだっ! 降伏すると――やめると、言っているのに……!』


 必死にマイクへ縋り付くような喘鳴混じりの情けない声とは裏腹に、甲板付近のミサイルラックが複数同時に開閉――一度真上へと上昇してから降り注ぐ形の誘導弾が、滝めいた白煙を上げながら上空へと放たれた。

 奥歯を噛み締め――空戦機動。

 ビルを背にした曲線飛行。曲芸飛行。船体それ自体を傘代わりに使って攻撃の方向を絞りつつ、加速継続――そのまま再びそれらを例の黒いアーセナル・コマンドに押し付けるも、その間も航空要塞艦アーク・フォートレスの弾幕は収まろうとはしない。


 対空機銃はいいが、厄介なのは大口径の力学的エネルギー砲弾とプラズマ砲弾だ。避けても市街地への被害は大きく、無論受け止めるなどは以ってのほか――。

 それを例のアーセナル・コマンドに上手くぶつけられたら、と考案する反面、まだそちらへは交戦の意思の確認をしてはいない事実を認識する。

 その状態で撃墜するのは不適当であろうか。人道に反すると言えよう。

 しかし――……何にしても、いずれにせよこの大口径の破壊能力を持つ船を放置はできまい。

 となれば、


「撃墜する。好きな神に祈るがいい」

『何故、なぜだっ……! 貴様っ、投降すると、そう言っているのに……! 早く、早く助けないかっ…! 私をたすけろっ、何とかして、止めろ! 止めることはできるだろうっ……!』

「やむを得ない。残念で遺憾だが、状況判断だ。勧告は一度だと――――警告はした」


 ビルを壁代わりに掃射を躱す。弾ける火の粉と煙に紛れる形でビルの谷を巡航飛行し――急制動。

 反転、或いは切り返し。立ち昇る煙を掻き分け、一直線にそのまま突破。

 モニターに映し出され、眼前に広がる飛行甲板。

 そこに備えられた機銃の掃射を大回りを描くように躱しつつ、目指すは指揮系統の心臓部――艦橋。


『たすっ、たすけっ、助けろっ、助けろ、ハン――』

「気安く名を呼ぶな。艦内の掌握を怠った貴官のの末だ。……部下を軽視した報いと言える」

『ぁ、ひ――』


 奥歯を噛み締め、高速近接機動。

 推進炎を連続させながらその対空砲火をくぐり抜け、艦橋目掛けて接近――――のまま、振り抜くは横一閃。

 塔めいて立つそのブリッジを、ブレードで薙ぎ払った。


 これで指揮能力、或いは統合能力は一時的に喪失したであろう。

 一時的に放置するか、それとも撃墜するかと思いつつ――このままここで墜落させても、その質量故に都市部に被害が及ぶと計算する。

 つまり、海上に釣り出した後に破壊するか。

 或いはその飛行能力を徐々に喪失させ、都市部へと軟着陸させるべきだと考えながら――その甲板へと斬撃を開始。船体上部を飛び過ぎながらも、振るうブレードにて二度と着艦が叶わぬように徹底的に痕を刻む。


(指揮所は壊滅。……思い直してくれればいいが)


 その表層を滑りながら飛び去り、目指すは漆黒の獣が如きアーセナル・コマンド。

 そちらへと銃口を向けた第二世代型の機体を、後背部より一刀両断する。既に警告はしている。そして猶予もない。一刻も早く戦闘を終了させ、市民の救助に向かいたい。

 トリアージだと――女医官に言われた。

 命に優先順位をつけろ。私情を交えず、理性を以って、ただ時間あたりの効率を胸に命に札をつけていけ――。


「心あるなら銃を置け。……辛く苦しく、もう撃つことしかできないと言うなら、俺は、それも是とする。ただ殺すだけだ」


 結局、これまで斬り刻んだその内に――あの眼帯の少女がいたのかは、判らない。

 劇的な終わりなんてない。

 現実はフィクションのように、戦いの内で胸を割って話し合うこともできなければ、刃を交えて想いを質し合うこともできない。

 死ぬのだ。

 何を話していようが。何を思っていようが。


 死ぬ――命はどうしようもなく失われる。

 二十年以上、三十年近く、それを己は目の当たりにしてきた。し続けてきた。

 だからこそ、斬るだけだ。


「貴官はどうする。一度だけ、警告する。――武装を解除する意思はあるか? 貴官の母艦は喪失し、指揮官は失われた。……これ以上の戦闘は無為だ。停戦の意思は?」


 全てを斬り殺し、改めて向かい合った黒き炎の狼――巨大な四足獣めいた剣山じみて鋭い四足のアーセナル・コマンド。

 業炎に包まれるビルの間。

 砕け、溶け、割れたアスファルトに佇む獣――三つの細長い眼を、光学センサーを持つ火炎の獄獣。


『喧嘩は――……だ、め――……』

「――」

『あなたは、怖い人――……? 優しい人――……?』


 幼い子供のようなその声に、にわかに面食らった。


「……そうか。君は、優しい子だったんだな」

『フィアー……フィ、ア――……』

「俺は優しくなどない。優しい人間はこうも容易く人を殺しはしないだろう。――回答を。戦闘続行の、その意思はあるか?」


 言いつつ、敵機の様子を見る。

 あれ程のミサイルを浴びせられてなお傷もついていないとは、よほどの《仮想装甲ゴーテル》の厚みだろう。おそらく、ブレードすらも歯が立つまい。その純然たる装甲も堅牢そうだ。

 駆動者リンカーの年齢は、考慮に入るまい。

 鑑みた通り、これが一番厄介な戦力だと考えて――その回答を待ち、


『フィアは、役立たずじゃ――……ないから――……』

「そうか。……残念だ」


 敵気から降り注ぐプラズマの炎。僅かに四足のその関節に力が籠もり、身を起こした機体を前に嘆息する。

 彼か、彼女か――。

 都市を直接焼き払った戦力との戦いには、どれほどの時間がかかるだろうか。

 何にしても、


「――ノーフェイス1、敵機を速やかに殲滅する。交戦開始エンゲージ


 望み通り――――ただ、斬るだけだ。

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