【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
第53話 四分三十三秒、或いは理性なる刃、またの名を聖者の行進
第53話 四分三十三秒、或いは理性なる刃、またの名を聖者の行進
海上での戦闘において、取るべき位置は二つある。
一つ目――海面から離れた上空。
二つ目――海面の直上。
アーセナル・コマンド同士の戦闘において、大別して取られるのはこの二つだ。
一つ目の利点については言うまでもない。まず、水陸両用でないアーセナル・コマンドの多くにとって水中というのは基本的に致命な領域である。しかるに、水中に没しかねないそこに位置取ることそれ自体が大きなリスクとなる。
そして、海の波は陸地の人間が想像するよりも激しく豊かに移り変わる。決して平坦ではなく、そこには起伏がある。
同時、海面近くでは僅かな風の乱れが存在するため――飛沫だとか、風の違いだとか、そのようなほとんど無視してもいい事項が《
そして、二つ目――海面近く。
想定されうるリスクを犯してまでこちらに位置取る理由もまた存在する。
一つ目は、敵の誘導火器を振り切りやすいことだ。
基本的に誘導ミサイルというものは、速度が早い。一定の速度以上のものにとって海面は優しい流体などではなく、強固な壁として振る舞うのは最早常識であろう。
故に、誘導弾を一度躱してしまえば海面に叩きつけて破壊することも叶う。或いは一度の回避でなくとも、僅かに上昇し下降すれば基本的に釣られたミサイルは海の藻屑となっていく。
もう一つは、敵機の攻撃の方向を限定できること。
機体の装甲に特殊な加工を施された水陸両用のアーセナル・コマンドを除き、海中からの攻撃は潜水艦以外には不可能だ。故に軌道が限定され、それは、高速戦闘の中の僅かにして重要な判断の分かれ目に関わることになる。
そして今――フェレナンド・オネストとエルゼ・ローズレッド、及び【
対する敵機――三機の
「弾がマジやべーっスわ、これ……アーセナル・コマンドの相手はアーセナル・コマンドでしか務まらねえ、ってのが判るっつーか……」
「ベラベラ、喋ってるヒマじゃ……ないですよ後輩……」
「あー……まあ、もちっと頑張るっつー感じっスかね……了解っス」
活発化した海賊と、それに協力した【
初めは強烈な差ではなかった筈だが、徐々にそれぞれの増援が加わってきてしまった。そしていつしか友軍との戦場は分断され、更に戦闘は長引いた。
既に誘導弾を撃ち切ってしまった彼らの武装は、右腕の連装ライフルと左腕外側の格納式プラズマブレードのみ。
背面に装着されていたミサイルポッドは既にパージされている。
あとは両肩部のチャフとフレアが幾ばくか。敵誘導弾への備えは難しく――だからこそ互いのそれで補い合えるように密集していると言っても過言ではない。
「グリム大尉が残弾を気にしてるの、なんつーか、判った気ぃするっスわ……」
アーセナル・コマンドの熟練者とそうでない者の違いは、ひとえにそこだろう。
まず初心者では、その超高速故にアーセナル・コマンド同士の戦闘を満足にも行えない。音を超える空間機動を交えた戦いに適応できず、そも撃破すらままならない。
次いで、撃破が可能となったあとは『如何にして負担が少なく勝つか』という領域に推移していくのだ。
熟練者ほど必要な場面以外でバトルブーストを用いることもなく、結果的に戦いが緩やかに見えることになる。複数機の連携の面から考えても、それは妥当な部分だ。
無論、その先には――鍛え上げた肉体とその戦闘勘によって、バトルブーストの消耗を一切の苦にしないさらなる上があるのだが、その点についてはいい。
なんにしても、多くの兵にとって複合装甲を有するアーセナル・コマンドとの戦いはそれ一つで大いなる労力と消耗になる――ということだ。
然るに、連戦などは考えがたい。
故にそれを以って、敵のアーセナル・コマンドを防ぐにはアーセナル・コマンドを必要とするという今日のドクトリンが出来上がった訳だ。
一撃必殺など、神域に近い達人の技。
だが、そうだとしても――機動と装甲のどちらもに電力を必要とするアーセナル・コマンドという兵器は、その均衡が崩れる際は、雪崩の如く劇的に終わりが訪れる。
「あー……ローズレッド先輩、アレ、やりましょう」
「いいですけど……一歩間違えたら、海面にぶつかってお終いですよ?」
「ま、そんときゃそんときっスよ。んじゃ、よろしくです」
言うが早いか、大きな推進炎が瞬き――敵機目掛けての直線的な斜め降下を開始するフェレナンドのコマンド・レイヴン。
突出する敵機の接近に、言うまでもなく
逆三角形の胴の、その背部のミサイルベイから吐き出される無数の誘導弾。コマンド・レイヴンの一度目のバトルブースト。同時に宙に吐き出される最後のチャフとフレア。
白煙を上げて迫る蛇を振り切り、再度重力加速度と機体の推進の加速度に身を任せたフェレナンドの
迸るマズルフラッシュ。
エルゼたちは、残る敵機への牽制を行った。接近しつつも同様に牽制のライフル弾を放つフェレナンド機は反動によりブレーキをかけられながら、しかし、それでも重力加速度の補助が機体を矢の如く打ち出している。
吹き上がる飛沫。赤き敵機が、迫るフェレナンド機を超高速で左に躱す。コマンド・レイヴンの右腕のライフルの、その銃口の、稼働域が故の死角。
彼我の射線の調節により、一方的な攻撃を可能とする位置取りを奪い合うことを間合いの取り合いと称するが――これは、まさしくそれだ。
「こ・な・ク・ソぉ――――――っ!」
だが――いや、だからこそ、故に。
フェレナンドのコマンド・レイヴンは、敵機の射線を切るように直下方向へのバトルブーストを行った。
回るガトリング砲。吹き出るマズルフラッシュ。
飛来する敵弾を後方に過ぎ去らせながら――海面スレスレでライフルを投げ捨て、チャフとフレアのウェポンベイをパージ=ペイロードの解消を行うフェレナンド機。
それらの重量故に、多く推力に回さねばならなかった電力をその装甲に――否、加速へと転用し――海面衝突間際で機体を回旋させた彼は、更に立て続けに横方向へのバトルブーストを行った。
置き去りにされる音の壁が、海を裂き飛沫を飛ばす。
同時――抜き放った左腕の格納ブレードが紫炎を迸らせ、一直線に赤い敵機へと喰らいかかる。
「こ、こ、で……死ねるかぁぁ――――ッ!」
必殺の決意を以って突撃するフェレナンドに返されたのは、しかし、無情にも直角に退避する敵機のバトルブーストだった。
これまでの戦闘から、新兵として侮ったか。
否、それは正しい分析に他ならなかった。武装が電力消費の比較的少ない格納式のプラズマブレードのみとて、フェレナンド・オネストには三度目のバトルブーストを行う実力がない。
目標を失い、慣性のままに海面近くを滑り行くコマンド・レイヴン。
そこへ目掛け、
「っ、今――!」
だが同様にバトルブーストの勢いを失い、そして電力の余裕を失ったその機体目掛けて――エルゼの合図で放たれた無数のライフル弾が突き刺さった。
アーセナル・コマンドの戦闘の均衡が崩れるのは一瞬だ。
まさしく今、火花を散らさせながら、全身を打ち据えられる
数多喰らいかかる運動エネルギー弾を前に《
力場のみならず推進剤を利用するが故にバトルブーストは可能であるが――打ち据えられる我が身を厭い回避した赤き敵機のそこ目掛け、
「こ、の……瞬間で、仕留められねえとは……言わせやしねえ――――ッ!」
体勢を立て直し、再び斬りかかるフェレナンドのコマンド・レイヴン。
残る二機が、まさに撃破されかねないその友軍のカバーに入るが――……しかし、均衡は失われた。
己が撃墜の恐怖を振り払うようにバトルブーストを乱発するその
海面という敵機からの攻撃方向を限定できるという戦場が、今度は裏目に出ていた。攻撃方向を限定できるということは、同時に、回避可能な方向が限定されることを意味している。
結果、
「残念ですけど――お終い、です」
打ち据えられる。打ち叩かれ続ける。
頭上で無数に瞬くマズルフラッシュは、そのまま、彼の生存域を摩耗させる死出の衝撃を積み重ねていく。
その庇護を行おうとしている赤き機体たちも、最早、当惑と混乱の中にあった。頭上から降り注ぐ鋼弾の主たちを抑えるべきか、それとも平面方向で一撃必殺のブレードを翳す敵機を止めるべきか、そも、己がそんな一撃必殺を受けぬように振る舞うべきか。
連携を破壊する近接ブレードの妙。
そして、やがて完全にその均衡は崩れ――急速直線近接機動にて海面を駆けたフェレナンドのコマンド・レイヴンは、敵機を一機――上下に両断した。
そして、そんな均衡の天秤を傾かせ給う裁きの女神の剣は――――その真打ちとして、戦場へ襲いかかった。
「貴官らの奮戦に感謝を。――援護する」
端的な言葉と共に行われる衝撃波を伴った超音速巡航姿勢からの、さらなる加速。
推進剤と力場の圧力が
その残骸を足蹴に海中に沈め、もう一発。
稲妻めいたバトルブーストの三連発。鋭く空間を回り込む
「……よく耐えてくれた。貴官らが踏み止まってくれたおかげで、都市部の敵の排除は予想より早く実現した。……どうか、深い感謝を」
周囲の索敵をもう一度行いつつ、改めて部下二人とコンバット・クラウド・リンクを利用したホログラムモニター越しの通信を行う。
どちらも疲労が深く顔に浮かび――しかしそこには、確かに達成感が浮かんでいた。
「遅いじゃないっスか、大尉――――っ!」
「ほんっと、昔から……いいとこだけ、とっていく……人ですよね……! このすっとこどっこい男……タイミング、だけは……いい男……」
「罵倒の余裕はまだあるか。何よりだ。……すまない、本当に待たせた。よく耐えてくれた」
最後に指示を出してから、一時間強だ。
その間彼らはひたすら敵の迎撃をしていてくれたことになる。彼我の機体の性能差を鑑みてもなお――そして敵に第三世代型が出現したことを加えれば一層――劇的な戦果だと言える。
通常、その性能が上昇した対強襲猟兵戦においては、五機のアーセナル・コマンドを撃墜すれば大戦時で一人前、それが連戦ならばエースパイロットと呼んでいいとされる。
その点からするなら、彼らは紛れもなくその一員であった。正式に
「撃墜された
回収完了のホログラムをなぞりながら、その身体検査を要請する。比較的救助が早かったために問題はなさそうであるが、万一ということもあり得る。
「貴官らは、一度【
「うっす! いつでも出撃可能なように、この不肖フェレナンド・オネスト少尉、備えておくっス!」
「……あー、一応聞いてあげますけど、その、先輩は?」
「引き続き、【
正直なところ――……勝ち筋は見えない。
だが、戦わぬ訳にもいかぬだろう。彼らがマスドライバーを有して何をするかは不明だが、宙には【フィッチャーの鳥】の衛星軌道方面隊と、そして何より
首脳陣の入れ替えにより、
そうなる前に、少なくともマスドライバーは破壊する。たとえロビンと刺し違える形になろうとも、その戦闘目標だけは壊してしまえば、彼らの企図を挫くことができよう。
(……マーシュへのメッセージは用意してある。俺に何かあった際の遺産についてはメイジーと、戦没者基金と、傷病者基金、戦災孤児基金に振り込まれる手筈になっている。つまり、何も問題はない)
あの戦争の最初期――或いは中期、そして終期。
いずれも死を感じさせる戦いだったが、今では、すっかりと遠ざかっていた。出撃前に常に遺書となるメッセージは用意しているが、ここまで強く意識させられたのはあの大戦以来だ。
確実に、無事では済むまい。
だが――兵士というのは、そういうものだ。死はただ実力によるものだけではなく、巡り合わせによるものとしか言えない。
今度は、自分の番が来た。きっとそれだけの話だろう。
(二十七……いや、二十八年か。それでも前世よりは随分と長く生きられた。何とも幸福だな、自分は。……メイジーの無事な顔も見られたし、部下たちも頼りになるほど育った。ここで俺の番となることに、何ら異存はない)
何故だが笑みが浮かんでしまい――……頷き、
その――瞬間だった。
『よお、相棒。聞こえるか? 一ヶ月ぶりかね? 早い再会になって、お兄さんも何よりだ』
「ヘイゼル? こちらの敵掃討については、概ね完了したところだが……何故貴官が――」
『ったく、とぼけるなよ。お前さんの上役からの要請でね。マスドライバーがあるんだろ? そいつを叩き壊せってのが一つと――』
姿の見えぬヘイゼルからの、長距離通信。
それに割り込む形で、今度は眼帯のハロルドがホログラムモニターに浮かび上がった。
『グッドフェロー。僕から説明する。何故、この都市が……いや、
「……俺が残したあの生き残りから情報が?」
『ああ。……それにしても、オマエ、よくあの【
「必要な承認手順と要件を満たした上で申請を行った。……コンバット・クラウド・リンクから承認されなければ別の手段を用いたが、その監察から法的な承認を得られたので実行した。優先順位と、状況判断だ」
『そ、そうか……』
彼は非常に何か言いたげな声を浮かべたが、口を結んだ。
なんだろうか。
……いや、褒められた手法ではないと自分も思っているが。はっきり言って近代的な人道の見地からは甚だ疑問が残る。いくらその実行には何重もの承認手順があるにしても、だ。
まあいい。今は特に議論の時間ではない。
事実ハロルドは、ただ端的に続けた。
『奴らの母艦は、
その言葉に頷いた。
確かあれは、
深海の水圧に耐える装甲と、力場を限定的に利用した極めて静音の航行。その複合装甲は魚雷さえも防ぎきり、潜水艦によっても海上部隊によっても撃破できない合金製の軍事大鯨。
その身に蓄えた無数のミサイル――気化ガンジリウム散布型プラズマ焼夷弾頭と、そして地球上の八割を占める海洋を利用したアーセナル・コマンドの戦略的運搬と、半永久的な航行能力。
通常のアーセナル・コマンドでは不可侵たる海中から襲いかかる脅威。
そして潜水艦同士の戦いになっても勝利しうるだけの火力と装甲と、水陸両用のアーセナル・コマンドを利用した直掩。おそらく戦時中、最も
確かに無理もないと頷いた。
故に、
『都市部を灰にする前に、水底に沈めてやれ。――以上だ』
ハロルド・フレデリック・ブルーランプ特務大尉は、決断的にそう言い放つ。
自分もただ首肯する。
前大戦の亡霊には退場を願うという――同じ前大戦の死者である自分たちの役目に、違いなかった。
◇ ◆ ◇
長き流線型を作るその潜水艦は、閉じた花弁に――蕾に似ていた。
流体ガンジリウムを利用した兵器が海中での運用が難しい理由は、ひとえに温度管理によるものであろう。
金属を流体に保つために熱することは、特に海中にとっては非常に困難なこととなる。触れる海水に温度は抜けてしまい、ともすればその装甲は動脈硬化らしきものを起こす。
或いはその温度差によって装甲間などに破損が起きるか。
それとも、流体ガンジリウムを保つための高温に中の人間が耐えきれないか。
その、いずれかである。
かつての
単純に、大型化――である。
熱する装甲が発する高温と、乗組員を分ける。ただそれだけの単純にして有力な解決。
その蕾の如き潜水艦の外部装甲には、まさしく海上にて花弁の如く花開くその外部装甲には――無数のミサイルポッドと流体ガンジリウムを利用した複合装甲を。
そして、その花弁の芯に当たる筒状の部分に乗員を収容し、『海中にて常に熱さなければならない部分』と『地上でのみ熱すればいい部分』を分離させる。
結果として、あたかも通常の潜水艦を丸ごと花弁で覆い尽くしたような――蕾のようなその巨体が出来上がる。
その外部装甲と内なる本体の間に設けられたパイプにより、水陸両用のアーセナル・コマンドや魚雷を展開し――。
そして海上にては花開き、かつての
まさしく、人食い花か。
それが海上に花開くことは、ただ、燃える世界と死を意味した。
力場を利用した、ハイパーキャビテーション魚雷のような高速航行。
更には同じく力場の限定的な利用による対ソナー哨戒に対するステルス性。
海上からの攻撃を減衰させる海水すらもその装甲代わりに利用する脅威的な防御力と、敵潜水艦を焼き払う魚雷と水陸両用のアーセナル・コマンド。
おそらく、今や八割を海に覆われたこの青き星において、最も猛威を振るい――最も驚異的であった
その威容は、戦後においても変わらない。
彼ら【
事実として、ただその一点において彼らは――紛れもなく【フィッチャーの鳥】にとっても、
そして、
『悪いな。……
それは、ただの一撃で――滅んだ。
◇ ◆ ◇
――時刻、一四:三〇。
ヘイゼル・ホーリーホックの天才的な狙撃能力と、索敵及び潜伏能力。
そしてまさしく超常的とも言うべきその破壊力を前に、敵の潜水空母は沈黙した。ただの一撃すら放つこともできず、なんの抵抗もすることもできず、航行能力を喪失して深い水底まで落ちていった。
彼の言葉に従うなら、水陸両用のアーセナル・コマンドの展開ハッチすらも破壊され、まさしく敵は脱出不能となったらしい。
(……相変わらずのデタラメだな。正直、自信をなくす)
彼でなくては対処ができないものが多すぎた。
それは戦争後期に
彼は後期にはほとんど、その対処に追われていた。
マーガレットの犠牲の際は、
宙に上がったメイジーやマグダレナ、リーゼたちが完全にその運用衛星を破壊するまでの間、防ぎ続けたのがヘイゼルだった。
故の、第八位だ。
それでも、第八位なのだ。
ただ敵機と戦っていればよかっただけの自分とは違う――表のスコアとして換算されない破壊工作を行っていたマグダレナもそうだ。
第九位と、第八位と第七位。
その差は、あまりにも遠すぎる――自分のような非才では、彼我の差を埋められない。
(……それでも、やることに変わりはないが)
今はハロルドが仲介した指令の中、ヘイゼルの赤き四脚機と共に海上を飛行していた。
言うまでもなく、彼ら【
ヘイゼル・ホーリーホックがいれば、マスドライバーへの対応は可能だ。敵にロビンがいる以上、相手方もそれは織り込み済みだろう。
よしんば到達までにマスドライバーが完全に展開され何かが発射されてしまったとしても、ヘイゼルがこちらにいる限りその撃墜は可能だ。
だから――……敵からの激しい牽制が予想された。自分はその、直掩という訳だ。
久しくなかった彼とだけの共同作戦で、それでも自分たちは無言で飛行していた。
どれだけそうしていただろうか。
やがて彼は、おもむろに通信を入れた。
『相棒。シンデレラ嬢ちゃんの件なんだが……』
「……いい。戦時中だから、そんなこともある。……謝るなら俺ではなく、彼女とその親族だろう。俺から、貴官に言えることは何もない」
『……だよな。楽になろうなんて、虫が良すぎる話だったぜ』
「いや、すまない……謝るなら、俺の方だ。俺が短気を起こさなければ――……シンデレラもあのような行動に出なかったと、そう思っている」
ヘイゼルはあくまでも命令に従っただけだ。
そしておそらく軍事的な観点からは――なんら咎められる余地のないことだろう。
……人道という意味ならば、まず咎められるのは彼ではなく自分だ。
己を理性で操縦していると嘯きながら、あの場で短絡的な暴力行動に走った。そのことは、誰がなんと言おうとも自分の非だ。
あのような狂った場に残されてしまうシンデレラの恐怖は、如何ばかりだっただろうか――……。
そう思えば、慚愧に堪えない。
彼女の庇護者になると誓った男は全くの役立たずの無能で、それが短気を起こしたが故に彼女は身の安全からああしてマクシミリアンたちへの合流を余儀なくされた。
咎は、己にある。
責は、己にある。
ヘイゼルにその手を汚させたというのも、ただ、己が薄汚い殺人者でありながら救えない激情家である――その一点だけだ。
そして、直後――それを強く認識させられる事態が起こった。
縁を赤く彩った、青き重装甲の騎士――ロビンの【メタルウルフ】を洋上にて迎撃するそのときに。
その事態は、起こったのだ。
――――四分三十三秒。
空白を意味するその楽曲の冠名と同じく、自分の感情は燃え上がり、そして、空白に至った。
全てが。
都市が。
焼き尽くされる――そんな事態に。
◇ ◆ ◇
初めに感じたのは、違和感だった。
『よぉ、相変わらずだな。隠れんぼの鬼から逃げるのはもう辞めか、なあ……芸術家気取りの殺人ヴァイオリニスト?』
「……お前さんには言われたくないぜ、弾バカ。いちいち古典の引用なんてしやがってよ。格好と似合ってないんだよ、爆発野郎」
ロビンとヘイゼルが、苛烈ながらも――互いにどうしようもない親しみを込めて、笑みを浮かべて、罵倒を交わし合う。
彼らはいつもそうだ。
今こうして向かい合っているそのときにあるのは恨みや憎しみではない――――純粋なる敵意であり、そして互いの技量に対する惜しみない敬意だった。
仲間同士の殺し合いなど、本心では望んでいない。
だが――残る
そしてその道の果てに戦いしかないならば、それを漆黒の意思で飲み込むだろう。
自分も身体を引き裂かれるほどの心の痛苦を感じつつも、ことここに至っては彼と戦うしかないと割り切っていた。
だから、違和感というのは――全く別の話だ。
臨死を前にした走馬灯の如き、ふと感じた異常。
それは一点、あの
彼らを迎撃していた、民間軍事会社。
(……待て。何故、彼女らに対して……敵味方識別が作動しなかった?)
協力関係にあった【
だが――それ以外の民間軍事会社に対しては、一切は知らせていない。
だというのに、自分が斬り捨てたのは完全に敵機だけだった。
どちらもかつての大戦の際に破棄された機体を用いていて――おまけに敵対者である【
自分は一度とて、民間軍事会社の側に属する者たちに刃を向けることはなかった。
最短にして最速で、敵を撃破した――ということは、つまり。
(流していたのか? 誰かが? 敵味方識別符号を? 誰が――なんのために?)
そんな、疑念。
ロビンとヘイゼルが互いのその精密なる攻撃により硬直し、自分はロビンの隙をつこうとして機動する中での――そんな疑念。
そしてそれは、すぐに答えとして返された。
街に展開していて、撤収を行っていなかった民間軍事会社のアーセナル・コマンドたちから放たれた無数の誘導弾。
それが、白い都市の中から白煙と共に吹き上がったそれらが、『アトム・ハート・マザー』へと襲いかかる。
何発もの弾着。
激しい火砲。地上から光の如く襲いかかる対空砲火。
まさしく今、ヘイゼルの母艦は――
そして、話がそれだけに留まるならば――――或いはそれはまだ、穏当にであっただろう。
(あれ、は――……)
攻撃を受ける黒鉄の城の如き
それは、四肢を丸めた四足の獣にも見えた。
アーセナル・コマンドというよりは、ほとんどアーク・フォートレスに近い巨体。
燃え盛る炎の如く毛を逆立てた黒獣――無数の鋭角の装甲を持った、大いなる黒き炎の狼。
艦から投じられたその機械の獣は四肢を解き放ち、刃めいた装甲板から膨大な銀煙を噴射する。
覚えがある。
その破壊には、覚えがある。
その殺戮には――――あまりにも、覚えがある。
そして、紫電が弾け、
「…………――メイジー――……?」
都市は――。
婚約者の少女が、避難シェルターに退避すると告げていたその都市は。
銀色の煙がビルの間という間を、道路という道路を、地という地を這い回ったその都市は。
一切の情け容赦なく、爆炎に包まれた。
かつて己が――彼らにそうしたように。
◇ ◆ ◇
狂ったように泣き叫んだかもしれないし、或いは全くの無言だったかもしれない。
だが自分が認識する限り、自分の口をついて出たのはオープンチャンネルへの呼びかけだった。
「止せ、攻撃を仕掛けるのをやめろ……! やめろ……! 今すぐに、停止しろ……!」
あれ程の爆発を受けてもなお、ビルというビルが砕かれてなお、都市が黒煙と赫火に包まれてなお、それでも《
それは『アトム・ハート・マザー』に襲いかかり、或いは黒き剣山めいた四足獣へと襲いかかり、そして応射が繰り広げられる。
最悪だ。
最悪の事態だった。
あれでは救助など行える筈がない――いや、紛れもなく戦闘状態なのだ。
ともすれば市民がまだ生き残っているかもしれない市街へ、かろうじて自力での浮上能力が残っているその都市へ、戦艦から砲撃が襲いかかる。
狂えたなら、まだ良かったのかもしれない。
メイジーを失った激情と悲哀に呑まれて斬りかかれたなら、まだ良かったのかもしれない。
だが、理性たれと定めた己は感情に身を任せることを許されなかった――いや、許さなかった。
そんなことよりも、目の前で起こる破壊を止めよと自らに言い聞かせていた。
オープンチャンネルで敵味方に呼び付ける。
そんな、最中だった。
『あー……あー……』
激しい発射音が混ざった少女の声。
あの――医療用眼帯を付けた少女のものだ。
【
生き残ってくれていたのかという感情の安堵と、そして、まだ現地戦力があるならばこの争いを止められるという理性の安堵。
だが――その安堵は、即座に否定された。
『ごめんね、大尉。なんかこんな感じになっちゃった。んー、本当に申し訳ないんだけど……ごめん。でも、なんていうかさー』
「何故、このような……! 【
『あー……うん、前に話したのを覚えてる?』
少女は、困ったような笑いと共に続けた。
都市は燃えている。
攻撃の応酬は、続けられている。
『前にさ、こうして話せたのは悪くなかったって言ったの覚えてる? 恨んでないよーとかそんな感じの話をしたの。大戦で随分と殺されたよねーとか、そんなの』
覚えている。
彼女はそれでも、言ってくれた――新しい知り合いが増えたことの方がいいことだ、と。
怒りそうになったときは、自分のような知り合いがいるということを思い出してくれ――と。
『ああうん、そう。ごめんね。あれ、嘘だったかも。……いや、嘘じゃなかったんだよね、あのときは。えーっと、何だっけ? 【
「ならば、何故……」
『……あー、うん』
心底困ったような乾いた笑いから、その言葉は零された。
『知りたくなかったんだ。ホント』
一切の喜びというものを渇いた砂漠に投げ出したような、そんな声色。
『皆、いい人過ぎてさ……いい人だったからさ。なんていうかね、だから、駄目だった』
「……」
『自分でもね、意外だったんだけど――ホントのとこさ、言ったとおり、血も涙もない悪鬼だと思ってたんだよね。多分、どっかで恨んでたのかも。アタシたちが今こんなに苦労させられてるのは戦争のせいで、戦った奴らのせいで、負けた奴らのせいで、アタシたちを負けさせた奴らのせいだ――って』
それは――こちらの怒りを見抜いた彼女の中の怒りか。
ああ、きっと……。
彼女がハンス・グリム・グッドフェローのそれを知り得たのは――同じなのだ。
自分が怒りに対してのみは反応できるように。
彼女もまた怒りがあったから――そんなどうしようもない共感があったから、だから、彼女はこちらという鏡の中にそれを見た。
『だからアタシたちは悪くないし、どうしようもないし、じゃあ、なおさら今を気にしたってしょうがないんだって』
それが、彼女が世の非合理を割り切れた――その哲学の根本。
『そうやって今までやり過ごせた筈なんだけど……なんていうかね、そこを崩されたら全部、そういうのが駄目になっちゃってさ。アタシの今までの支えがなくなっちゃって――でもね、それでもいいじゃん?――って思っちゃった。思えちゃったんだよね。……いい人たちだったから』
本当に二心なく――……きっとあの時点では。
こちらがその怒りを見抜くことができない程度に、彼女は確かに割り切って――――そして、友誼を感じてくれていたのだろう。
故に、
『だから、許せなかった』
その身のうちの怒りは燃え広がったのだと、彼女は告白する。
『怒ってた自分はさ、やっぱりそれも自分で、そんな怒りが薄れてなくなっちゃうことが何よりも怖いんだ――って言って判るかな? どうだろうね、大尉は怒っちゃうことにも怒ってる人だからさ』
どこか親しげに――或いは心底悲しげに。
どうしようもない沼の中に身を沈めながら、それでも笑えるのだと――或いはもう笑うことしかできないのだと。
そんな口調で、彼女は語りかける。
或いは真実、未だ、自分たちへの友誼を感じてくれているのだろうか。
ことさらにハンス・グリム・グッドフェローへは共感を持ち――だからこそ、その憤怒に薪を焚べられてしまっているのだろうか。
『んー……それが、アタシの理由。……自分勝手でしょ? でも、今までずーっと自分の中にあった物語とは、別れることはできないんだよねー。だってそうしたら、それを理由に諦めたり受け入れたりした何もかもが、本当は諦めずにいればよかったんじゃないか――ってなるでしょ?』
自己の否定だと、彼女は言う。
こうであって欲しいと願いながら――でも現実はそうは甘くないと諦めたものが。
本当はずっと欲しくて、今でも後悔してて、それでも何とか割り切っていた全てのものが。
ずっと待ち望んでいて――それでも受け入れて諦めた救いというものが。
あの日、諦めて納得したというのに――何故今更になって自分のところに来たんだという怒り。
それは、奪われてしまった手足に感じる幻肢痛のような痛みと怒り。
本当ならそこにある筈だった幸福を、或いは諦めなくてよかった矜持を、己で放り出してしまった人としての尊厳を、それでも――そうする必要などなかったのではと、後から判ってしまう怒り。
医療用眼帯の下――拷問でそれを失ってしまったと作戦の折に語っていた彼女が呟く、どうしようもない救いへの怒り。
『他の人はマチマチかなー。別のとこの知り合いがアイツらに拷問されたとかー……あとは折角なら親であって自分が負けたわけじゃないんだって戦ってみたかったり、皆と一緒にいられるなら何でもよかったり……せめて一発でも殴り返したいとか、そういう人もいたかな。一番多いのは、アイツラが他の都市でやったことを聞いたから……だろうけど。うん、それが一番かな』
「……ッ」
『だって、それ、怖いでしょ? うっかり撃たれたら――皆まとめて、沈んじゃうんだよ?』
おそらく――彼女は、少数派なのだろう。
つまりこの結果は、あの日のマウント・ゴッケールリでの虐殺を見逃したものと――その虐殺を、殺人というストレスを自己正当化させるために余計に先鋭化させたあの艦が齎した戦災。
あの日の、ツケだ。
軍部が取らなかった責任の結果が、法を恣意的に曲げた結果が――ここで今、炎となって現れたのだ。
「貴官も、それが理由ではないのか……?」
『……んー、まあ。でも、多分そういう目にあったら、今度はもう諦めることも受け入れることも耐えることもできないから。できなくされちゃったから……かな。うん。そういう感じ。ごめんね、大尉。……結構本気で、気に入っちゃったんだ。もう自分の支えが――駄目になっちゃうくらい』
それきり、通信が切られた。
死んだのか、打ち切ったのか――……どちらかは知れない。
だが、都市部から艦への攻撃とそれへの応射は続けられている。鳴り止まない。
「ヘイゼル! あちらの武器を壊せないか!」
『ッ、やりゃあできるが――……クソッタレ、弾バカが邪魔すぎる! 向こうに一発でも逸らさせたら、それこそ本当に嵐が降るぞ!』
ならば――と、重火器を放つ青き機体に呼びかけた。
「ロビン、貴官の内であれは許容範囲であるのか! あの行為を、是とするのか――――!」
『ハッ、言っただろ。コラテラル・ダメージだ。……オレはもう、選んだんだよ。バカ犬』
断絶を告げる声――――。
銃声は止まない。
獣性は消えない。
都市は焼かれ、それは収まらない。
戦いは止まらない。憎しみは終わらない。
恐怖は消えず、応報は終わらず、銃火は産声を上げ、死が都市を覆い尽くす。
「ああ――……」
一度、目を閉じた。
これほど声を震わせるのは、いつ以来だろう。こんなに吐息が震えるのはいつ以来だろう。
内なる獣の笑いが、身体を襲う震えとなって現れていた。
その銘は憤怒であり、恐怖――……寛容さを齎す万物への諦観を焼き尽くし、己の意識を現世へと顕現させるもの。
自己完結した終末の炉の鋼鉄の扉を開き、それを、己という剣を打ち直す以外に使わせるもの。
嘆いていた。
或いは、笑いにも似ていた。
それとも、やはり、まだ、正気だったのかもしれない。
「……そんなに焼き尽くされたいか、貴様たちは。そう望むか……それが、祈りか……」
戦いを終わらせるために死力を尽くした英雄たる少女を焼き払い――。
憎悪に身を焼かれるままに、己たちが住まう場所さえ焼き尽くしながら銃を向け――。
短絡的な思考と保身のままに彼らの憎悪を煽る振る舞いを止めず、己が血を流した訳でもないのに流血の末の勝利を嵩に来て、唯々諾々と暴れ――。
そんな予期できる愚行の果てのこの事態をのうのうと見過ごし、法を私利と私欲によって歪め、挙げ句にこんな殺戮を行う兵器すら開発する。
――ああ、何たる醜悪。何たる無様。
全てが絡み合い、何もかもが織り成し、そのどれもが救えない。
万物一切、何一つ救えない。
ああ――……そうか。そうしたいか。
貴様らは、貴様ら自身で破滅の引き金を引いたのだ。
これが総意か。
これが、こんな炎が、こんな焼き尽くされる世界が、お前たちの総意であるというのか。
「ああ――……そうも死にたいというなら……死に絶えたいと言うならば……いいだろう。望み通りに――そうしてやる」
笑える。
笑えてくる。
そうも滅びたいと言うならば、初めから、そう言えばよかったのだ。
理屈を捏ねるな。正当化をするな。死にたいなら、望み通りに俺が全てを殺してやる。
俺が最も得意とするところだ。何もかもを灼き尽くし、何もかもを灰にして、全てを真っ黒な残骸に変える。
壊すでも、殺すでもなく、ただ真っ平らに均す――。
ああ――……それこそが、己の得手とするところであるのだから。
ならば、
「……――望み通り、俺は貴様らの祈りに応報する」
機体の状態を確認――流体量は全開時のおよそ七割。
問題ない。それがたった一割であろうとも、何も、問題はない。
己という剣の切れ味を左右はしない。
己のこの身は、殲滅の剣は、ただ何もかもを焼き尽くす九の数字を冠する
その機能は、一切損なわれることはない。
そのために備えてきたのだ。
そのためだけにあるのだ。
己という剣を鍛え上げたというのは、ただそのためだけに――――
日常――〈あ、軍人さん。おひとつどうだい?〉〈ワシらはねえ、ここで生きてかなきゃならんのだよ〉〈ああ、これは息子夫婦の写真でね〉。
悔い――〈地上を這う醜い豚め! 貴様らに、扉の向こうが死である世界が判るのか!〉〈……ただ、当たり前に生きていたかっただけなんだ〉〈まさか、こんなに殺すことになるなんて……〉。
献身――〈ええ、中尉、防衛に感謝を。彼は今朝生まれた新生児です〉〈戦いの火の中でも子供は生まれる。生命の営みに関係はないのです〉〈戦争と、我々の職務も同じく〉。
強さ――〈歌をどうですか、兵隊さん? ふふ、目が見えなくなってもまだ私には声があるんです。素敵でしょう?〉〈えっと……はい、いいんです、歌えたら〉〈おばあちゃんになっても、私、きっと歌いますから〉。
決意――〈中尉殿、あんたら
祈り――〈ありがとう……! ありがとう、息子を助けてくれて……!〉〈ああ――いいんだ、それだけで救いなんだ〉〈生きてさえくれていれば、それで……!〉。
――――いいや、否だ。
何が、人々の祈りだ。
祈りと言うならば、何が祈りと言うならば。
この先の世も戦いが続くというなら――戦いながらも、まだ、世界を続けようとしているということだ。
(義務を果たせ――兵士であるということの義務を。……他ならぬ俺が、俺に首輪を付けただろう。俺の首輪はマーガレットではない。他ならぬ俺自身だ)
限界まで達した怒りが、その首輪が、はてどない殺意が己が思考を凍らせると同時に――それは鉄として鋼として、自分という怒りの獣を締め上げる。
即座に、切り替わる。
限界に至った絶対零度の凍えつく憤怒と応報の意思は、すぐさまに冷徹な思考回路へと接続する。
そうだ。初めから知っていた筈だ。戦いは続くと。終わらぬと。この先も続くと。そんなこと、全てが元より自明の理であっただろう。
だからこそ、だ。
だからこそ己は、己という剣を鍛え上げている――その果てを、その通過点を、その到達点を目指している。
(本当に滅びたいと言うならば、この世はここまで続いてはいない。この先も、続こうとはしない――――)
奥歯を強く噛み締める。
(切り替えろ、ハンス・グリム・グッドフェロー……お前は兵士だ。俺は兵士だ。それ以外、求められていない)
貴様のそれは八つ当たりだ。
お前のそれは八つ当たりだ。
義憤でも何でもない私憤。
たかがこの程度の破壊を以って、世界全てを切り取った気になどになるのではない――――思い上がるな。
こんなもの、全ての人間が望んだ答えではないだろう。
お前は――
見縊るな。
たかが俺の怒り程度が、俺を動かそうなどと片腹痛い。
俺は、誰でもなく俺自身によって、俺に首輪を付けている。
(俺は、何があろうとも俺の正気を手放さない――何があろうとも……! 何を壊すことになろうとも、だ……!)
明日、世界が滅ぼうとも――明日、世界を滅ぼすことになろうとも。
俺はただ、俺の理性によってのみ操縦される。
義憤も、私怨も、憎悪も、憤怒も――――その何もかもが、俺であって俺に
我はただ、その理性により、秩序と善の果てたる彼岸に立つ――――。
呼吸を一つ。
無意識に続けていた回避行動を打ち切り、改めて戦場を睨み付ける。
(とは言っても、どうすべきか。対応は三つ。ロビンを斬るか、周囲を切り崩すか、それともあの船を落とすか――だが果たして、それが法的に妥当か)
あのような武装と黒いアーセナル・コマンドによる破壊が果たして状況的に適法であり妥当なのか。
明らかな過剰であり、そして、大量破壊兵器なのだ。それを開発したことと、運用したこと、更に例の前例があるアトム・ハート・マザーの艦長の元に配備されたことは、人道的な観点から激しく糾弾されて然るべきだ。
だが、今ではない。
あの艦長の肩を持つつもりはないが、今回においてはあくまでも応射だ。
先に敵から攻撃を仕掛けられたが故に、彼らは攻撃を行っている――それ自体は正常な軍事行動であり、正当なる防衛行動だろう。
それを引き起こした今回の
今この場の感情としては、どれも理解できる。
しかし自分は兵士だ。
貧困に喘ぐ子供に同情をしたとしても、その子供が小銃を構えて市民に銃を向けるならば最悪は射殺すらも是とする――それを職務と職責として、暴力行動を国家に容認された存在だ。
共感や同情などは、今は、必要ない――求められていない。
(如何なる理由があったとしても、市街地で発砲を開始したのは彼女らの方だ。そちらへの協力はない。……――速やかに、鎮圧すべきだろう)
そう、勘案する。
ロビンのことはヘイゼルが抑えている。
このまま放置をしたとしても、おそらくは彼女ら反逆行為を行う者たちは遠からずあの黒きアーセナル・コマンドによって葬られるだろう。
一見すれば、そこに己の介在の余地はない。
だが――あの火力は、あまりにも過剰がすぎる。
正当なる応射の域を超えて、完全に虐殺に片脚以上を嵌め込んでしまっている。その点からしても、比較的穏当に殲滅が可能な自分が戦うべきだろうと――人道を鑑みて、そう、答えが浮かんだ。
(では、どのように対処を取るか。作戦空域からあれを遠ざけ、こちらが行動するしかないだろう。……これ以上、あの船と交戦させてはならない。どちらのためにも)
僅かに黙し、過去の判例を思い返す。
(過剰火力の運用……
手順は三つ。
①現状の行為が
②その上で、大型艦の目的が自艦の防衛というなら、こちらが撤退を掩護する旨を伝達。これが合理的であり、合法的な対処である旨を伝える。
③当機にて事態対処を実施。あの船は、この場から遠ざける。
(……果たして、従うか。そして、間に合うか)
僅かなる懸念は、そこだ。
歯噛みする。
あの艦長が、それで大人しく撤退をしてくれればいい――そうすれば、これ以上の犠牲が出ずに済む。
だがもし、頑として譲らなかったその時には……どうすべきか。
そう、眉間に皺を寄せたところだった。
『グッド、フェロー……! 聞こ、える……か……!』
「ブルーランプ特務大尉? 生きていたのか? 貴官の状況は――」
自分の上官からの通信が入った。
荒い息。
あの爆発に巻き込まれなかったなら、幸いと呼んで然るべきだろう。
しかしそのことを寿ぐよりも先に、その命令は下された。
『あの艦を、墜とせ……!』
「ブルーランプ特務大尉? あれは友軍の――」
『判っている! それでもだ……! あの艦を……街を焼くあの艦を……オマエの力によって焼き尽くせ……! あんなもの、最早、ただの破壊兵器だ……! いや――ここで戦闘を続ける何もかもを、オマエの力で打ち砕け……オマエの、その暴力で……!』
僅かに思案する。
頭の中を多くの情報と判断が駆け巡り、そんな中でも己の口は自然と動いた。
「命令の確認を。貴官の要求は、この都市の民間人の保護の為に、大量破壊兵器及びそれの攻撃を誘発する全存在を破壊すること――その認識で構わないか」
『そう、だ……』
「それが友軍であろうとも民間人への大量虐殺は重大なる軍規への違反であり、交戦規定の違反であり、戦争犯罪であり、当該艦はそれに抵触した為に、我々は人道的な介入を行う――ということで相違ないか」
『そう、だ……!』
「当該艦の無力化を阻む者、及び戦闘を続ける者はこの大量虐殺への加担を――」
混乱とは裏腹に、口は言葉を吐き出す。
そこに返されたのは、酷く端的な物言いだった。
『いい! 判っている! 責任は、全て、僕が取る……! こんなことになる前に、もっと早く止めるべきだった……それを怠った、そのツケなんだ……これは……!』
「……」
『あれを通してしまったら、戦後秩序など立ち行かない……! 虐殺すら許される特権階級と決定付けられてしまえば、最早、【フィッチャーの鳥】どころか連盟はその存在さえも危ぶまれる……もう手遅れかもしれないが――誰かが、その歯止めをかけなければならない……!』
「……貴官はあくまでもただ大局的な見地と、人道的な行動と仰せか」
思案する。
酷く、センシティブな問題だ。
ハロルド・フレデリック・ブルーランプ特務大尉は、その任務故に民間軍事会社と――
その同情。或いは感情。
彼女らに絆されてしまった彼が、そんな住民や市民たちのために友軍に対して報復行動を行ったと――そう受け取られかねない。事実、自分とて僅かにそう思ってはいる。
だが一方でまた、彼の物言いにも正当性はあるのだとも考える。
この殲滅を通してしまっていては、やがて行き着く先は完全なる破綻だ。関係悪化の末に憎悪による殲滅戦が起きた【
しかし、武力により友軍への内部粛清を行う軍隊にもまた問題があり――――胸中で様々な軍事合理的、理性的な判断材料が浮かんでは消える。
だが、果たして、
『オマエは、あの、【
「――」
『ならば、領分を果たせ……! 猟犬としての領分を! たとえ相手がその主人たろうとも、獲物を狩る猟犬としての領分を果たしたという神話のその通りに! 連盟旗とその理念に反した大量破壊兵器を、撃墜しろ――――!』
強いその言葉に、口を噤んだ。
他の指揮系統を通じて判断を仰ぐ余地はないだろう。まさに今目の前で、街は焼かれている。焼かれ続けている。
あとは己に言えることは、一つだけだ。
「最後に確認を。……まずは行動の停止勧告を実行する。現状の行為の不法性を訴えた上で、交戦の停止と離脱の勧告、こちらでの撤退援護を通告する。貴官のその人道的な理念に基づくなら、これで武装勢力及び友軍が戦闘を解除すれば追撃の必要はない。――この認識で相違はないか」
『ああ……それで止まるなら、それで構わない……。本当にそれで止まるんなら、な』
だが止まる訳がないと――……彼のその乾いた口調は、そうとでも言いたげだった。
『止まらないときは……ああ、この愚行をやめないと言うなら……その時は……』
「……」
『焼き尽くせ、ハンス・グリム・グッドフェロー……オマエがあの最も黒き暴力と言うならば、
……確かに。
人道的な見地からするならば、そして人道に基づく交戦法規に基づくならば、彼の言葉は一定の妥当性があるものだ。
特に合理的かつ理性的に反対の理由はないと――頷いた。
事実自分はあの大戦の中、人道法に背いた友軍の出頭及び処刑の仕事も行ったのだ。そういう意味では、これにはなんら変わりない。
であるならば、同じことだ。
彼らは人道法に違反した友軍も、敵軍も、そのどちらをも自分に処刑させた。
その指揮官は罰せられず、実行犯たる己も罰せられず、今日まで軍それ自体においてもその行いを咎める声は上がっていない。
……それが答えと言うならば、
「委細承知した。……これより、必要に応じて当該空域の全存在を殲滅する」
己はそれを行うだけだと、そう切り替えた。
内なる獣の制御はできている。婚約者たるメイジーを、街に住まう交流ある人々を、友軍をしていた彼女らを焼き尽くされたその恨みとは完全に無縁だと自認する。
ただ理性のみを以って――焼き尽くす。
自分にあるのは、それだけだ。
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