【180万PV感謝】機械仕掛けの乙女戦線 〜乙女ロボゲーのやたら強いモブパイロットなんだが、人の心がないラスボス呼ばわりされることになった〜
第51話 ある日の残り香、或いは夢の轍、またの名を聖者の行進
第51話 ある日の残り香、或いは夢の轍、またの名を聖者の行進
本当に、くだらないことだったのだけれど――とカタリナ・バウアーは回想する。
本当に、なんてことのない思い出だ。
名前はなんといったか。
カイ兄とか、そんな風に呼んでいたと思う。
男なのに女性みたいな顔の人で、少し銀色に近いような薄い栗毛をしていて、日焼けを嫌がっていつも長袖のカーディガンを着ていた少年。
ナイショだよ、と。
旧式の、ガソリン式のオンボロなスクーターに乗せて貰って、街の中を一周した。
風が気持ちよかった。
青い空と、遠くに見える入道雲がとても綺麗だった。
危ないことをと母に怒られるまで、会うたびにしばらく彼にせがみ続けた。
今思えばアレは、きっと誰かとのデートのために手に入れたもので。
それをなんの気無しに、近所の子供のために使ってくれただけなんだろうけど。
でも、それは特別な時間で、自分にとっては宝物だった。
彼は戦役で亡くなってしまったけど――自分にも、色々とあったけど。
多分、そういうことの積み重ねが。
そういう思い出の積み重ねが。
だって、世の中を嘆いてもしょうがないじゃない?――なんて。
ほんのちょっぴり悟ったようで。
ほんのちょっぴり背伸びしているような。
そんな自分の人生哲学の、その、大本になってくれた気がする。
そう、カタリナ・バウアーは回想する。
◇ ◆ ◇
海中潜航をどこまで続けられるか、という問題はある。
しかし利することがあるとしたら、海水というのは無論ながら電波に対しての相性が悪い。特に航空機やアーセナル・コマンドに採用されている電波の周波数帯では、距離による減衰が甚だしいのだ。
つまり、視認が難しい範囲まで潜航してしまえば、ソナーなどを有していないアーセナル・コマンドに対しては離脱上での大いなる有利となる。
無論――……水陸両用を企図して設計されていないアーセナル・コマンドにとっては、ただ、パイロットの命を蝕むものでしかない行為だ――ということに目を瞑ればであるが。
「……ッ、問題……ない……! いつも通りだ……!」
フィーカから強烈に行われたパイロットの生命維持に対しての警告を、赤く明滅するホログラムメッセージを手で掻き消す。
海中航行で距離を空けた後には、水中を脱して上空への垂直上昇飛行に切り替えた。
敢えて、空を進む。
ロビンの攻撃の弱点というか、難点がもう一つ。
それは言うまでもなく雷雲を作ってしまうことであり、これが視認上でもレーダー上でも大いなる障害物となる。それは、十分な隠れ蓑として機能する。
つまり、彼の攻撃からあれほど粘れた時点でこちらは戦略目標を達成していたのだ。危うい賭け――ではあったが。
「間に……あったのか……?」
全周モニターの向こう――拡大された画像。鮮やかな青い海の上にて、蓮の葉の如き、複数の白色の浮島が寄り集まった
今のところ、都市部から黒煙などは浮かんでいない。
ブルーランプ特務大尉のあの口ぶりでは、敵テロリストは遠からずに行動を起こすだろう。
おそらくは、例のアトム・ハート・マザーに対する攻撃。
自分たちは死兵になる覚悟で行い、そして、応射させることであのマウント・ゴッケールリのような悲劇を引き起こすつもりなのだろう。
自己の命をも度外視にした、勝利のための捨て身。
それを可能とするだけの決意。
ああ、それは敵ながらなんと――
(覚悟があるとは、判る。……だが、肯んじられない)
――はらわたが煮えくり返る。
拳を握る手に力が入った。
戦端を開いた
それでも――……人は終わらせたのだ。
始めるのは容易く、終わらせるのは難いというその戦争を――――それでも人々は終わらせたのだ。
誰か一人がそれを決定させた訳でも、何かの黒幕や組織の陰謀がそれを決めた訳でもない。天才的な一握りの人間によって全てが決した訳ではない。
そこに関わり、戦火に怯え、家族を亡くし、或いは自らも苛まれた人々が――その祈りが戦いを終わらせたのだ。
そして、それほどのことがありながら……。
どれほど問題はあろうとも、未だにそこに救えない欠落はあろうとも、人々はかつての平穏を戻すべく日常へ向かおうとしている。
戦火の痛みに目を瞑り、或いは受け入れ、或いは忘却に努め、己の目の前にあるものを懸命にこなすことで次の世代に紡いでいこうとしている。繋げようとしている。
(それを――たかが軍人が……!)
あくまでも暴力装置が。文民の統制を受ける武力でしかない自分たちという兵というものが。根本的には殺傷しかできない者たちが。
国家の法の元に制限され、その意思と決定によってのみ行使が許されるものが。
人民の総意を踏みにじり、ただ己の意思によって不意にしようとは――一体、どんな了見だというのだ。
(……落ち着け。考えすぎるのは、悪い癖だ)
頭を振って怒りを追い出しながら、ヘルメットを一度外し、座席に備えられた給水パックを口に含んだ。
冷却系統を制限したせいで、脱水症状が凄まじい。
無論ながらその状態でも戦闘が可能なように備えてはいるが――補給できるうちに補給を行う、ということに間違いはなかった。
時刻――一三:一六。
ただでさえ、通常の飛行では三十分近くかかってしまっていた例の秘匿マスドライバーから、おまけに推進剤による噴射を行えない海中での移動を要したのだ。
機体のエアインテークなどに海水が流入しないように展開し続ける《
当然ながら、海中にいるその間では電波を介した通信も行えていない。
仲間は、彼らは――どうなっているのか。
そう思う、そのそばからだった。
「……ッ」
全周コックピットモニターの遠く――市街地で巻き起こる爆発。
駐留している
まだあの四番艦『アトム・ハート・マザー』は到着していないようだが……それでも、敵が軍事侵攻を開始したことには間違いあるまい。
必然、その自衛に関しては本来とはあべこべに民間軍事会社によるものとなってしまっているのだが――当然ながら彼女たちは、雇われなければ軍事行動を行えない。
その、初手で指揮系統を混乱させるという攻撃。
まさしく、強襲用の兵器として生み出されたアーセナル・コマンドの面目躍如と言ったところか。流石は前大戦の残党だ。その使い方は、十分知るところらしい。
再び軍用のクラウドリンクに戻った機体へと情報が押し寄せる中、それらの処理をフィーカに任せて市街地を見やった。
動く影と――街頭のスピーカーから、或いはビルの大型街頭モニターから流される宣誓音声。
そのビルのモニター映像を拡大した。
『我々は、かつての戦いにより失われた大義の幻肢痛である! 立ち上がるための足を奪われ、戦うための腕を奪われ、真実を語る口を! 現実を見詰める瞳を奪われた! 我々は、敗北の汚名と共に全てを奪われたのだ!』
コックピットと直結してか、軍服らしき青年が拳を握る姿が写り込んだ。
『だが、我らの戦いは終わってなどいない! 戦後などと――卑劣なる策略により後方の首脳陣を一方的に殺害し! その混乱の内に我らの牙を奪い、自衛する権利も剥奪する! あまつさえ争いの歴史さえも塗り替えようとした、愚劣なる恥ずべき
強い言葉と共に行われる身振り手振り。
『見るがいい! これがその報いだ! 運良く勝利に至っただけの、おぞましき簒奪者の迎える姿だ! 兵として、武人として、通すべき筋もない者たちが迎える末路なのだ!』
その言葉と共に切り替わる映像。ビルに備えられたモニターに映し出されているのは、黒煙を上げる
その、カメラの位置を割り出す。
現在地から、上空から読み取れる施設の形状と、ビルの街頭モニター上の映像からの類推。
『我々こそは、真なる
一度、息を吸い――……機体の推進力を全開に。
両手に握る操縦桿。
砲弾めいて、
『卑劣なる勝利を手にした
「警告する。貴官らが犯しているのは、重大な戦時法違反だ。制服の着用は軍人にのみ認められる」
オープンチャンネルでの警告。
そのまま、続けた。
「当然、国家間の条約も有効ではないが……人道に従い、一度だけ投降勧告を行う。速やかに武装を解除せよ」
街路樹が植わった道路に、大型の運搬トレーラーの真横に展開した敵の機影。
モッド・トルーパーが十体近くと、あとは第二世代型のアーセナル・コマンド――
さながら熊の革の如く、機体の上半身に増設装甲を纏ったその機体は、作戦においてその増加装甲を入れ替えることで多様な任務に対応している。
大戦中からも好まれた装備だったな、と内心で頷いた。
『黙れ! 我々は貴様ら
「そうか。妄想は個人の自由だ。咎めまい。……それより、投降を――」
『愚弄するな! 大義も大志も持たぬ、言われるがままに引き金を引くだけの
おそらくは指揮官機らしき
他のモッド・トルーパーも、基地に向けて広くなっていく道路に片膝を付きながらライフルを構える。
密集陣形――こと近代戦においては無用の長物であるが、力場を発生させるアーセナル・コマンドにおいては必ずしも無意味とは言えない。
特にその装甲が全て力場を持つわけではないモッド・トルーパーについては、互いの力場を補おうとする意味においては有用である。なるほど、大戦の残党というのも頷ける。
「承知した。必要ならいつでも受諾するので宣言を。……投降後は規定通りに貴官らは本国へと移送され、改めて、刑事裁判を受けられる。権利においては他の犯罪と平等な取り扱いを受けられるだろう。案ずるな」
『ッ、我々は正規軍だと――そうして心を乱そうとするなら、それは無意味だ!
「犬ではなく人なのだが……その違いも判らないのだろうか。……いや、すまない。無配慮か。ストレスによる認識障害は、こちらにも決して無縁とは言えない」
『貴様ッ――――!』
言えば、閃くマズルフラッシュ。
返されたのは銃撃であったが――今までの戦いに比べれば、多少は気が楽だ。流れ弾によって、都市の半円ドームが壊れることもない。
回避しつつホログラム・コンソールに触れ、軍用のクラウドリンクを介してアトム・ハート・マザーの現在位置をフィーカに表示させる。
……何かのトラブルで遅れているのか。
間に合いそうだなと安堵しつつ、奥歯を噛み締め――改めてバトルブースト。路上に密集する敵の集団の頭上を通り越し、――――間髪入れずにもう一発。
斜めに急降下。抜き放つプラズマブレード。
振り返ろうとするモッド・トルーパーも及ばない。
一閃、二閃――――まずはモッド・トルーパーの集団を撃滅し、返す刀で地面と並行に横移動。即座に切り返して急接近しつつ、何某か叫んで弾丸を放とうとした
「こ、こいつ――」
「スピーチより、腕を磨くべきだったな。……自由か。言うまい」
如何に第二世代型とはいえ、プラズマブレードを防ぎ切ることは適わない。
コックピットを貫き――そのまま、バトル・ブースト。
市街地への流れ弾は、その敵機の残骸により防ぎ切る。ブレード解除と同時に真横へと
さらなる急接近により、正面から横一文字に
それを、街中で繰り返すこと幾度か。
戦闘中に気付いたが、どこかの民間軍事会社も市街地の防衛に出ているらしい。
その散発的な銃声を捉えつつ、ビル影に潜む敵機を一機ずつ仕留めていく。
かつてのあの機体奪取騒動のときのストロンバーグの戦闘でも感じたが、コマンド・レイヴンは装甲も優秀だ。流れ弾を防ぐために回避を極力避けて受けかかっているのだが、あまり装甲値に影響が出ない。
無論、機体全面に発生させたプラズマブレードにて受け止めることも行っているが――改めて、優秀な機体だ。
そして、まだ退避が完了していないビルの近くにいる敵機と、時間稼ぎのための通信を行う。
「……疑問があるが、良いだろうか? 貴官らのその行為が正当だというならば――それなら本国を説得すればいいのではないか?」
『あのような政府は――!』
「いや、民衆をだ。貴官らが真に勇敢な功労者であり、国民の総意の代弁者だと言うなら、国民もその説得に意義を感じて共感するのでは?」
確か、以前の争乱の際も彼らの主張を耳にする機会はあったが――だからこそ、なお疑問だった。
あれはまだ、
それは半ば宗教の教義のようだな、と思った。
「あまり褒められたことではないが、例えば意図的にデモを起こさせるという方法もある。言葉が妥当ならば、世論を動かすこともできるだろう」
言いつつ、機体のバイザーを赤く灯してスキャニングを行う。
まだ退避は完了していない。
不本意ながら、会話を続ける他ないだろう。
「如何に傀儡政権とはいえど、無視できぬ程に国民の声があれば変わるのではないだろうか?」
『決まっているだろう! そうしたところで、不甲斐ない傀儡の政府は貴様ら
「……その、不当なる弾圧を防ぐための武力ならば貴官らが今まさに手にしているのでは? 戦場ストレスか? 忘れているなら念のためにそう伝えるが……」
同時に、何故今頃になって彼ら残党が動き出したのだ――と考える。
確かに、今、あの【
しかしながら、この手の
何か、彼らのイデオロギーや政治戦略上の重大な転換点でもあったのだろうか。……例えば、当時の亡命政権のような何かが現れたなど。
(亡命政権――か。そういえば、降伏の前後において、かつての
或いはそれは、
『黙れ! 牙を抜かれたかつての同胞たちを目覚めさせるために我らはいる! 多くの力なき民は、貴様ら卑劣で怠惰なる
もう少し情報を引き出せれば、と思いつつも――何度聞いてもどうにも皆あまり代わり映えのない言葉しか返さない。
そういう洗脳教育と言おうか。
いや、或いは前大戦の残党などを続けるにあたっては……そのストレス下ではそのようにしか精神を保つことができないのだろうな、と頷いた。
つまり、自己洗脳だ。
おそらくは【フィッチャーの鳥】でもどこでも、加害者も被害者も行うストレスに対する防衛反応の一種だ。
彼らがそのようなケアを十分に受けられなかったことを、何とも気の毒に思う。可能ならば、撃墜の後に医療刑務所で治療を受けられればとも思うが……残念ながら、投降を受け入れる暇がない。
必要なのは、速やかなる鎮圧だ。
故に、
「……多くの民がそう望むなら、そうしているのなら、それが市民の総意ではないのか? 民主主義というのは通常そういう制度なのだが……」
退避完了の文字を認識し、両手で操縦桿を握る。
「いや……中等部相当の社会知識よりも、ゲリラ教育の方を徹底されたようだな。学より暴力を至上とするとは、何とも時勢に合致しているだろう。心底感心する他ない」
「き、貴様……!」
「教育制度は国により異なるものだ。あのような侵略をするなら、教育理念も相応だろう……俺に貴官らの学力を評する立場はないな。失礼した」
「きっ、貴様――――――ッ!」
そして――敵が大声で何事かを口にするその最中に、ビルの影へと機体を踊らせた。
激昂に遅れて、向けられる連装ライフル。放たれる弾丸を、左右に躱す。
敵機もこちらを振り切ろうとバトル・ブーストを行うが、左右をビルに囲まれていては十分な行動は行えない。
おそらく、本来かつては戦闘にも慣れたものだったのだろう。
だが、第三世代型アーセナル・コマンドという性能の差と、実戦の経験の差。表立って戦闘を行うことができないテロリストでは、やはり、どうしても僅かな嗅覚に差が現れる。弾薬や推進剤も乏しかっただろう。
既に撤退の完了したビルを蹴り付け、力場を全開――――敵機の意表を突く直線運動にバトル・ブーストを上乗せし、その胴を横に薙ぎ払った。
(……前に歩兵に言われたな。『貴様ら
或いはそうであるならば、それは、戦後政策に大きな問題があることを意味する。
かつて知り合った女性技術者に――少しでも十全な性能を発揮できるように相談に乗ってもらっていた――戦後は議員になった彼女に、それとなく伝えてみるべきだろうか。
確かにこの
そういう面では、彼らもある種の被害者なのかもしれない。そもそも戦闘の終結と共に投降していないため完全には当て嵌まりはしないだろうが……一考の材料とはすべきか。
落ち着いたら彼女へと連絡を取るべきだな――と考えつつも、街中を移動する。
それから更に五件ほど引き伸ばしのために問答を行い、或いは会話の余地もなく、投降勧告に応じない全機を沈黙させた。
まだ敵機は残るが、あのアトム・ハート・マザーの到着前に全ては終わらせられるだろうと――そう勘案した、そんなときだった。
流れ弾で、崩れたビル壁。
それ自体はもう地下シェルターへと内部の市民の退避が完了した、そんな建物。だが、その破片の落下の先には――二つの人影が。
咄嗟に機体を傘に、破片を受け止める。
「な……」
そうして――自分は、絶句した。
機体の移動が巻き起こした突風により、その人影の内の一人がかぶった白いフードが捲れ上がる。
筋骨隆々とした褐色肌のタキシードの美丈夫と、その隣に立つ華奢な女性の影。
風に靡く肩のあたりで切り揃えられた茶色の髪と、揺れる頭の横の三つ編み。
こちらを――こちらの
写真で見たその時よりも、成長していた。
縮毛したのか、彼女が気にしていた癖毛ではなくなっていたし、腰まで伸ばされていた髪も切られていた。
だが――ああ、何ということだろうか。
覚えている。
一日とて、忘れたことはない。
その少女の名は――
「……メイ、ジー――……、」
「うそ……」
メイジー・ブランシェット。
あの大戦の英雄にして偶像。自分と異なり、敵の
脱走したと告げられた筈の彼女が、手紙でしか碌に言葉を交わしていない――それでも人柄を知ったはずの――婚約者の少女が、そこにいた。
時間が止まった、気がした。
◇ ◆ ◇
――時刻、一三:一九。
兵員輸送トラックの荷台に担架で横たえられたハロルドは、呆然と天井に手を伸ばした。
脇腹を弾丸は貫通。
幸いなことに小腸他の内臓に損傷はなく、既に注入された止血ポリマーによって出血は止まっている。痛みは、モルヒネによって消されていた。
この状況でも機体に乗れば、十全なる操縦は可能だ。問題があるとしたら、自分一人でそこまで向かうことができないということか。
「グダグダ、うるさいんだ……」
処置が済んだというのに暑苦しい泣き顔を向けて担架に縋りついてくるカタリナの顔を、ムギュッと押し退けて身を起こす。
「ゔぇぇぇぇ……でもハルぐんがぁぁぁ……」
「うるさい。民間人がグダグダと騒ぐな。さっきまでの指揮していたオマエはどこにいった。……第一、ハルくん、じゃあないだろう。繰り返すが僕の方が歳上なんだ、カタリナ」
「ゔぇぇぇぇぇぇ……ゔぇぇぇぇぇぇ……」
医療用マスクに透けるぐらいに鼻水と涙を滾らせて、気の狂った牝山羊の如き声を上げて泣く彼女に、どうにもハロルドはうんざりする気持ちだった。
調子が狂う。
これほどまでに暑苦しく心配されたことなどこれまでの人生でないだけに、なおさらだ。故により一層忸怩たる思いが湧いてくる。
たかがあの程度の武装した連中に手傷を負わされるなど――……。
ギリ、と奥歯を噛み締めた。だがそんなハロルドに気付かず、というか気付いていようが気にせず、また纏わりつこうとしてくるカタリナに余計にうんざりする。
はあ、と吐息を漏らしたその時だった。
「………………」
周囲の武装した少女たちから向けられる、意味深な視線。
ぎょっとする。
前大戦での傷病者を雇用する受け皿――という意味合いもあった彼女たち【
そういうのを付けた少女たちが顔を見合わせ、
「え? ラブ? これラブ?」
「ラブでは?」
「吊り橋効果来ちゃいましたかこれはー」
「ついに万年処女の社長も膜が破けるかー」
「おめでとう社長」
「おめでとう隊長」
「これで猥談に耳を塞がなくて済むし、恋バナに乗れるね社長」
「良かったね隊長。身体撃ち抜かれる前に別の出血できそうで良かったね」
「あっちのサイズはどうなんだろ。でもあんまり痛くなくていいかもしれないね社長」
拍手を贈りながら、口々にそう言った。
「げ、下品な女どもめ……」
身を引けば、隣では顔を真っ赤に両手を振り回すカタリナ。
やはりなんというか、どこか緊張感に欠ける連中だ――とハロルドは思った。先ほどまでアサルトライフルによって容赦なく敵兵を殺害し、或いはグレネードによって吹き飛ばしていたというのにこれだ。
女は強い、というのか。
それとも彼女たちにとっては、もう、戦闘すらも非日常ではなく日常の一環だとでも言うのか。
人間を撃ち殺した、引き金を引いたその指で菓子を摘みながら部隊の撤収準備を整えていた。独特の気質――なのだろうか。
だが、
「あー……社長を、よろしくね?」
アサルトライフルを片手に、笑いかけてくる医療用眼帯の少女。
あのとき、ハンス・グリム・グッドフェローに迫っていた女だが、彼女はまだ比較的こういう場でも一定の緊張感は維持するタイプなのだろうか。
何かに耳を澄ませるように、或いは遠く思い起こすように――。
戦場特有の寂寥とした空気を漂わせる背中をハロルドに向け、彼女はただじっと、街の方を見やっていた。
◇ ◆ ◇
なんと声をかけたものか。
自分らしくもない逡巡で、感傷だった。
それを呼び覚ましたのは、軍用のクラウドリンク――フェレナンドたちからの敵機撃墜報告だった。
かけたい声は、いくらでもある。
だが、そんな暇はないのだとレーダー上に反映させた音響計測から残る敵機の反応を確認しつつ――
「あー……あの、ハンスさん……浮気とか、しました?」
「…………………………何?」
「あっいえ、間違えましたというか……いや、これは違うんですよ、ええと、違うんですよ違うんですよ!? いや、あくまでもこう、単なる世間話というかー……こう、単なる雑談的な? 雑談の一環として――――いやこう、一般論的に浮気とか良くないですよねーははははーどう思いますーみたいな? こう、他意とか全くなく! そういう奴ですよ! そういう奴!」
「メイジー……?」
随分と多弁だ。こんな愉快な人間だったろうか。
身振り手振りで盛大に明るさを表す彼女と、あの大戦でコックピット越しに会話をした彼女の像が一致しない。
いや、元来はそんな性格だったのだろうか。それほどまでに立ち直ったなら、それは喜ぶべきことなのかもしれないが――……いや、やはり、喜ぶべきなのだろう。
そうだ。
多分、この気持ちを――嬉しいと、呼ぶのだろう。
「何故貴官がここにいるかは判らないが……ああ――……よかった。本当に、よかった」
「ハンスさん?」
「ずっと、君のことを探していた。……無事だったろうか? 怪我はないか? 食事は取れているだろうか? 不安は? 何か困ったことは――……いや、そんな場合ではないか」
自分は任務中の身だ。
それが、私情にかまけてどうするのだ――と戒める。
すぐに気持ちを切り替えた。己が行うべきはこの襲撃への応対であり、速やかなる解決だ。
故に、
「この場を離れよう。ここは危険だ。詳細は明かせないが――」
「あ、例の【
「ああ、そうだが……いや、何故貴官が、それを?」
僅かに、心中にて首を
だが、それはすぐに彼女自身の言葉で否定された。
「あ。……ちょっと聞きました。情報収集とか、得意なので」
「そうか。……その辺りも改めて伺いたいところだが、確認だが――貴官は【
「え? いや、なんですかそれ。初耳かなーって……え、何かのクラブですか? 既婚者応援クラブ? 婦人会?」
全周モニター越しに、しばし小首を傾げた彼女と見つめ合う。
嘘をついているのか、いないのか――……。
おそらく彼女に限ってはそんな嘘を吐く必要性もないだろうという理性と、そんな誤魔化しはしないでほしいという感情が入り混じり――最終的に、別になんだとしても彼女も今はアーセナル・コマンドを持たない故になんであっても変わらないのでは、と判断を下した。
残念ながら、あまり、怒り以外の感情を見抜くのは得意ではない。
それが数年がかりで写真を送られてきていた婚約者であっても同じで――……何とも己に反吐が出そうだ。
だが、自己嫌悪の時間はない。
「……了解した。とにかく、この区画は危険だ。今すぐに俺と離脱を――」
手のひらに乗せて移動するか、危険性は如何ほどか。
それらを勘案する己より、街角からこちらを見上げる彼女の方が早かった。
「あ、大丈夫ですよハンスさん! 避難シェルター見つけたので! そこで終わるまで待ってます!」
「了解だ。……不安ではないか? 大丈夫か? それに、ここは
「あ、ボディーガードを雇っていますので。まあ、はい。頼りになる人なんで!」
こちらに、と彼女が手を向けた先の褐色肌の美丈夫。
ああ、なるほどと頷いた。
おそらく自分の知る限り、無手にて最強の男だ。非武装のまま、生身で、武装した敵の分隊を壊滅させていた。拳で人が飛ぶのだなと、思ったものだ。
ならばと、吐息を漏らす。
この状況においてそれだけでは、完全なる安全には足りぬかもしれないが……おそらく彼女は、心配せずに本分を果たせと言いたいのだろう。
操縦桿を握り直し――……だが、改めて、
「……重ね重ね、君との再会を嬉しく思う。本当に――……ただ君が無事でいてくれて、本当に良かった。……それだけで俺には、万の言葉に勝る幸福だ」
「――――」
あれほどまでに戦いに身を投じた、年若い少女であるというのに献身をし続けた、そんな彼女が報われることなく終わる――などという最悪が避けられたことに安堵する。
ただ形だけではあるが婚約者――という欲目もなく。本当に心から、一個人として平等な目線で、彼女のその献身は報われるべきだと強く願う。
叶うならばこのような戦いから遠ざかり、どうか個人としての幸福を追求して欲しいと思う。
自分たち軍人とは違う民間人で、彼女はもう十分に戦ったのだ。この
きっと、その人生にそんな報酬はあっていい筈なのだ。
願わくば、この自分も含めた血生臭い――戦争に関わるあらゆるから遠ざかって、どうか戦火に歪められてしまったその人生の、続きを行ってほしい。
……自惚れが過ぎようか。
自分が、こんな自分が、こんな自分でも、どうか彼女のその幸福に――その平穏な日常に。それを保ち続ける為に。
彼女の日々に戦いの火を寄せ付けぬよう、遠くから、陰ながらに平和というものを守る助けになれればと願ってやまない。
もう二度と、自分たちのような殺人者の世界にも……それに関わる人間にも、遭うことなく一生を終えてくれればこの上ない幸いなのだ。
「ハンスさん。……あの、伝えたいことがあるんですけど、後で、いいですか? とても……とっても大事な話です」
「構わないが、その、戦場でそういう言い方は――」
不吉だ――と言おうとしたが、
「あはは、大丈夫ですよ。私はそう簡単に死にませんから。ハンスさんも知ってますよね? 大丈夫――私の勘は、当たるんです」
彼女はなにがしかの確信を持ったように両拳を握って強く頷いた。
……ああ、やはり、先程のは自惚れだったのだろう。
メイジー・ブランシェットは強い。きっと、戦いを通して強くなった。或いは元より強い少女だったのか。自分のそれは杞憂であり、或いはともすれば侮辱だろう。
彼女は、こんな自分などの大それた妄想のような――誰かに平和を守ってもらうなどという支えは必要としていない。彼女は立派な大人で、人格を持った一個人だ。
自分のあんな考えなど、本当に見当違いの心配で自惚れに違いあるまい。彼女にハンス・グリム・グッドフェローの独りよがりの守護意識など必要ない。自分などは必要としていない。
本当に――……ああ、安堵した。
法的な力もあるため、何かのためにと――備えの意味も込めて維持していた婚約は、最早本当にただ形骸なのだ。続ける必要性はない。
彼女のその輝かしい先行きのために、自分なぞという血塗られた殺人者との関わりは不要だ。むしろ、害悪ともなる。後ほど婚約の解消を申し出るべきだろう。
「了解した。……君の顔を見れて、本当に嬉しかった」
まだ会話の機会はあるだろうが、きっと、こうして会うこともなくなる。必要もなくなる。
僅かに寂しい気もするが、それ以上に安堵が勝った。
晴れ晴れと――鬱屈としたことが多かった近頃の日々の中で、彼女が向けてくれたその強い笑顔は最高の知らせだった。
彼女にはきっと、輝かしい未来があるのだ。本当に――それが判っただけでよかった。あまりにも、嬉しかった。
これで、安心して戦える。
これまでも――この先も。己が定めたその通りに、戦いを続けられるのだ。本当に、彼女はあの地獄からの帰還を果たした。
ならば二度と彼女が戦いに関わることがなきことを祈り、その門出を見送るべきだろう。
手を振る彼女へと頷き返し、機体を都市の上空に向ける。
己は――彼女が無事に遠ざかれる戦場に残って、戦い続けるだけだ。有用性を証明し続けるだけだ。
「それでは、避難を。貴官の幸福が俺の何よりの幸福なのだと、どうか覚えていてほしい。……無事に。どうかただ、無事に。親愛なるメイジー・ブランシェットよ」
もう一度モニター越しに彼女を見詰めて――操縦桿を倒し、推力を全開にする。
あとは――斬るだけだ。全てを。己をただ、一振りの剣として行使し続けよ。
そう命じた。
このあまりにも過分な幸福に浸ることなく――今まさに戦火にある、不安にある市民を想え。彼らの悲しみと苦しみを想え。
――怒れ。
焼き尽くすでもなく、燃やし尽くすでもない。
己を純粋なる無色透明の怒りにて、己を一振りの刃として鍛え上げろ。
自分に求められるのは、自分があるべきなのは、そんな到達点にして通過点――ただそれのみだ。
(……俺のような男に、存外の幸福だった。この先の一生にてもう関わることはないとしても――……今、君のその、輝かしい先行きを感じさせる笑顔を見れたことは)
後顧の憂いというか。
人生での、一つの感傷は解消した。解消できる。
己を弱くしてしまいかねない感傷というものを、どこまでそう備えていても機能不全に繋がりかねない――悪く言ってしまえば不純物である感傷というものを、一つ、解きほぐせた。心配事はなくなった。
あとはただ、剣であるそれだけだ。
果ての空に、感傷は必要ない。
既に己は原初の感情から、一つの道を選んだ。機能を定義した。ただその感情のために理性を、理論を構築した。
あとのあらゆるものは、己の求めた機能にとっては不必要に等しいものだ。
鈍ることがあってはならない。歪むことがあってはならない。それに繋がる万物は、いずれ、己から削ぎ落とすべきなのだから。
己に求められる有用性は、己の求める有用性は――ただの一点のみだ。
研ぎ澄ませと――そう命じる。
始まりの感情のために。他ならぬ己のその人間性のために。ただ一つの願いのために。
鍛え上げろ。己という刃を。無毀なる剣を。
「戦闘区域の全存在に再度通告する。武力衝突を避け、投降を。市民の安全と平和を壊す行為を直ちに停止せよ。命は尊い。貴官らも含めて、そうだ。……どうか、呼びかけに応じ、速やかなる武装の解除を」
オープンチャンネルで通達し、上空から白き浮き島の都市を見た。
その方々で黒煙が上がる――拳を握り、己の内で膨れ上がろうとするドス黒い怒りを黙らせて、ただそれを己目掛けて向ける。
操縦桿を倒す――振り下ろせ。己という、一つの剣を。
それが、己だ。
ハンス・グリム・グッドフェローという存在だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます