第47話 煉獄への下り階段、或いはその一歩目、またの名を聖者の行進

 十一月三十日。

 ――時刻、一〇:〇三。


 寂れた土産物屋のような店内は仮の姿。

 カウンターに立つ、その割腹の良い丸サングラスの男の口癖は、


「ふっふっふ、わしはちょっと凄い人間だぞ?」


 というものだった。

 潮風と陽光に枯れ木の如き日焼けをしながらも、テカテカとワックスを塗ったように輝く若々しい肌。

 常に鷹揚な笑みを絶やさず、そして嫌味もない。

 おおらかな教師のようでいて、とても世俗的な神父のようでもある。

 彼の名は調達屋スクラウンジャー――スコット・ロジャースという毒にも薬にもならない名前をもじって、そう名乗っていた。

 役職も、無論、調達屋スクラウンジャー

 大戦で廃棄されたアーセナル・コマンドのサベージから、軍の補給部隊の小遣い稼ぎから、或いはメーカーの処分品から、色々なツテを頼って欲しい物をたかりせびってくるスクラウンジャー

 その笑顔が歪むところは、誰も、見たことがない。

 スマイルの押し売り。そして、ビジネスの押し売り。それを利用した買い付け。

 傭兵稼業を行いたいのであれば、まず間違いなく彼を敵に回すことは――その笑顔を途切れさせることはご法度だと、そう扱われる凄腕の闇商人である。


 そんな彼は、今日も新しい顧客を前に笑顔を――


「げぇぇぇーーーーッ!? めっ、メイジー・ブランシェット!?」

「……? あ、どうも。初めまして」

「わっ、忘れとるのかコイツ――――!?」

「えっと、ごめんなさい。……本当にごめんなさい。あはは、ちょっとあの戦いのときのことはあんまり思い出せなくて……面目ない」


 保てなかった。かわいそうに。

 笑顔の男だ、とグライフから聞いていたけど随分と面白い表情の変化をさせる人らしい。そっちの方が変な笑顔よりいいと思うけど。

 それはさておき、はて……と首を捻ってみる。

 オープンチャンネルで呼びかけても相手の表情なんか見えないし、そもそも気にしたこともない。無線の声だけで覚えておけ――なんてのは無茶だと思うんだけど、


「みっ、民間人の避難船を連れとるときに出会ったろうが――――!?」

「あ。……確かに居ましたね。ありましたね」

「そっ……そんな、道端で挨拶したみたいに……攻撃しないばかりか護衛までしくさってくれたというのに……」


 あったなあ、海上遊弋都市フロートの民間人避難船。

 元が船乗りが多いからか、特に女性とか子供とかを戦いに出したがらなかったんですよね、海上遊弋都市フロート

 逆に人一人が生きてるだけでコストがかかる衛星軌道都市サテライトとかその辺シビアでしたけど。まあ、元々都市外の真空での作業を人型機械使ってやってたからあんまり男女の性差とか考えてなかったみたいですが。

 それが結果的に戦後の男女の比率に関わるなんて何とも皮肉的ですよね。保護高地都市ハイランド同盟は戦争中期あたりで切り替えたから、まあそこそこですけど。


「なっ、なんて騎士道精神に溢れた女だと思ったのに……! 他にそんなことをしたのはハンス・グリム・グッドフェローぐらいだったというのに……! 感動していたというのに……!」


 ……ほえ?


「……………」

「どっ、どうしたレッドフード?」

「はっはっはっ、彼女はちょっと今自分の世界に潜ってしまっているようなのでお話でしたらこちらが!」


 ……うぇ? ハンスさんも同じことを? 私と?

 同じことしてたの? 私と? ハンスさんが? うぇぇぇ……ハンスさんと? 私が?

 ………………………………運命では?

 同じことしてたんですか? 打ち合わせなしで? えっ? いやこの人そういう役多かったのかな? まあいい人そうだし……というかそれはまあどうでもいいが。そこは、うん。


 私と。

 ハンスさんが。

 打ち合わせなしで似たようなことやった。


 ……事実上の共同作業では? ケーキ入刀より先に共同作業をやっていたのでは? つまりそれはケーキ入刀では? もう結婚したも同然と言って過言ではないのでは?

 いや、だって、それもう運命ではありませんですかねこれは?

 はあああああああ!? 優しすぎますが???? 優しすぎると思うんですよね???? 何その騎士道精神。マーガレットかな??? 騎士の生まれでもないのに????

 優しい!!! しゅき!! ハンスさんしゅき!!! 結婚しよ!!!! あっ婚約者だったえへへ。結婚確定だねにへへ。逃さないんですよね。逃げるなハンス。夫になれ。

 そりゃあまあ私は余裕があるからそうしますよね。だって別に殺したい訳じゃないんですし。嫌な奴じゃないですか、戦う力を持ってない人を殺すなんて。


 えー、でもうわー……本当かー……やっぱり優しいなあハンスさん……。

 えー、というか一家全員吹き飛ばされたり故郷が完全になくなったり戦うたびに味方全員吹き飛ばされたり民間人の救助中に味方ごと狙われたり戦争で色々とあったっていうのに優しすぎません???? 聖人かな????

 はーーーーーーー好き。好き。ほんと好き。いっぱいいっぱいしゅき。だいしゅき。抱い――……いや恥ずかしいなそれは。うん。恥ずかしいですかね。ちょっと自分から言うのは、ハイ。はしたないとか思われるかも。

 いやでもこっちはハンスさんの前ではいつでもはしたない女の子になれちゃいますからね。どうぞお求めくださいご案内しますよふへへへへ。逃げるなグッドフェロー。娶れ。お前には妻がいるだろう。一緒に新たな故郷に帰るんだな。幸せになろうね。私は隣にいるだけで幸せですが。結婚しろ。


 会いたいなあ……。

 あーもう会いたい……なにそれ……ズルいよ……(好きに)なっちゃうじゃん、そんなの。ズルいよ……。

 うーん……ああでもそんな優しい人だとちょっと人殺しを積み重ね過ぎた私とかちょっとというかかなりNGだったりしちゃうかなー……お世辞にも評判よくないからなぁー、私の戦い方……。


「ぬぅ……しかし、あのハンス・グリム・グッドフェローとレッドフードが揃ってこの街に来るなんて……やっぱり戦争でも始めようってのかい。まったく」


 えっ。


「今ハンスさんの話をしました?」

「え、あ、いや……知らないでここに……?」

「ハンスさんの話をしましたよね。私の婚約者のハンスさんの。ハンスさんの。ラブラブマイダーリンの。しましたね。ははは、しましたよね?」

「ひっ」

「いやーそうなんですよー。ハンスさん私の婚約者なんですよー。つまり未来の夫――いやもう現在から夫なんですよ。というか過去から? ええはい、そうなんですよねー。で、うちの夫が? なにか?」

「ひいっ」


 何逃げようとしてるんですかね。逃さないぞ☆


「ハンスさんがどうしたんですか?」


 だいぶ聞き捨てならないというか、運命では?

 お金を稼いでから会おうかなーって思ってたら稼ごうとしてた先で遭遇するとかもう運命なのでは?

 つまりあれですよね、結婚しようってことですよね。そう受け取るけど問題は……いやあるんだろうけど……まあないって考えた方が精神衛生上いいので、そうしましょうか。ええ。はい。


「ハ……ハンス・グリム・グッドフェローがこの街におるだろう。一〇〇〇機当サウンドカスタマーの小娘どもと一緒に……」

「なるほど、だいたい判りました」


 やはりそういうことか。

 いつ出発する? 私も同行します。今でしょ!


「グライフさん。すぐ傭兵になりましょう」

「いえ当方はもう傭兵ですが。……ええと、念の為に理由をお伺いいたしますが?」


 察しが悪いな、この人も。

 いやまあ確認会話って大事っていうから仕方ないといえば仕方ないですね。

 さて。


「ハンスさんは今傭兵を必要としている訳じゃないですか」

「はい」

「結婚では?」

「……………………はい?」


 おっと結論を急ぎすぎた。


「ハンスさんは今傭兵を必要としている訳じゃないですか」

「はい」

「で、ハンスさんは傭兵を雇っている訳じゃないですか」

「はい」

「ということは近くに女の子が多く、つまりハンスさんに惚れる女の子が出てくる訳じゃないですか」

「……………………はい?」


 目をパチクリさせたユーレ・グライフこと本名イリヤー・ペトロヴィチ・ゴーリキーは、ややつぶらな緑色の瞳でこちらを眺めてからおずおずと口を開いた。


「あの、それはその……婚約者の色目が入ってませんおりませんか?」

「はぁ……」


 わかってないですね、この人。


「ハンスさんは優しいし、黙ってれば格好いいし、喋るとかわいいし、戦うと男らしいんですよしゅき!!!!! ……ええとすみません。あの人、多分、初恋特攻なんですよね」

「……とは?」

「いえ、まあ、私がなんですけど……。多分あの人、初恋か……まともな恋愛をしてなかった相手に……つまりそれも初恋ですね。そういうのに滅法強いんですよ、きっと」

「……というと?」

「優しくて面倒見が良くて博愛主義者で嘘を付かないから。ぶっちゃけどこかで王子様信じてるタイプには刺さる」

「ほう」


 ズルいですよね。

 こっちは父さんと一緒に機械イジリするか、それとも神話伝承を読み漁るかしてたぐらいの年齢だから信じちゃうじゃないですか。王子様みたいな英雄とか。

 ズルいんだよなあ……もう。ズルですよズル。戦時国際法違反ですよ。恋は戦争なんだから。非人道乙女心蹂躙兵器ですよ。あーあ。ズルい。初恋泥棒。ズルい。


「……で、多分こう……そういうのにコロッとやられちゃう人が出ると思うんですよね。ハンスさんの理解度が高い私とは違って、ハンスさんのことよくわかってない人には」

「理解度はともかく……はい、まあ、そういうことにしておきますね」

「で、そういう被害者を減らす義務があるんですよ。だってハンスさんは私の婚約者ですから、その手の初恋は報われない訳じゃないですか。なのでまあ、被害者をできる限り速やかに減らさないとなー……って」

「なるほど。……で、本音は?」

「えっヤダヤダヤダヤダ! ハンスさんの婚約者は私なんですよ売約済みなんですよ!? これで手遅れになって再会したらもういい感じの女とかできてたらどうするんですか!? えっヤダ顔合わせ早々に婚約破棄とか言われたくないんですが!? しかも文句言えないんですよ婚約破棄に! こっちは! 念書まで書かれてるから!」

「はあ……」


 なんかこう、メイジー・ブランシェットが結婚可能な年齢になるまで婚約の事実は伝えず、かつ、一方的な通達で婚約破棄可能――とか。

 婚約を前提にした資産の供与他を行わない――とか。

 そういうの、念書がある。だというのに破ってしまわれてる。うっかり。口を滑らせてしまったんですよねパパ上が。いや父さんが。

 だから、まあ、出るとこに出られたら負ける。

 捨てられる。

 十二年越しの片思いが異物混入させたお弁当のごとくゴミ箱に放り込まれる。


「いや、いいんですよ。顔を合わせれば婚約破棄とかそんなこと言う前に既成事実作ってやりますからね! …………いやそこで拒絶されたらどうしよ……死にたくなるなぁ……はは……」

「おっとバッドマッスルが始まりましたね」

「マッスルじゃないです乙女ですー……うう……アーセナル・コマンドを一方的に殺す奴は女に見えないとか言われたらどうしよ……うううう……ああああ……」


 こっちも必死だったからとはいえやりすぎた感はある。

 いや結婚するまで――結婚して子供作るまで――結婚して子供作って孫とか曾孫とかに囲まれて幸せな老後を過ごしながらずっとイチャイチャするまで――死にたくなかったから、こう、だいぶ必死だった。

 恋は戦争だから戦争如きが恋に勝てると思うなよ! 恋する乙女は無敵なんですから! ……と思いっきり無敵さを発揮したのはいいけど、今思うと血も涙もない女とか思われてたらどうしよう。

 うわ……嫌だなあ。でも逆の立場だったら――……いや逆の立場でハンスさんが一億と二千人殺してようと大丈夫ですね。気にしない。一緒に罪を償いますからね。ええまあ。

 ぶっちゃけハンスさんと世界を天秤にかけたら当然ハンスさん……いやでもあの人、世界が大事そうだからな……うううう……夫が大事にしてるものを大事にしない嫁はどうなんだろう。離婚事由では?

 あ、なんか結婚生活を考えてたら元気になりますね。やっぱり。

 軟禁されてるときとか暇で暇であと不安で一日に一万回新婚の想像してましたからね。もうルーティーンですよ。精神安定剤ですね、ははは。逆に不安定? それはそう。


「まあいいや。何にしても傭兵になっちゃえば、そのツテで会えると思うんですよ! グライフさんの力で! 会えばなんとかなる! 恋する乙女は無敵なんで!」

「え、ええまあ……そうですね、レディ」

「というわけで! 機体とか売ってください! この小切手に好きなだけ書いていいんで!」


 引き出せれば、だが。

 まあこういう交渉は強気で行けって弾バカのロビンさんが言ってましたし、とりあえず機体を手に入れちゃえばこっちのもんですから。

 踏み倒すって意味ではなく、傭兵してればすぐに稼げるだろうから詐欺には当たらないんじゃないですかね。相手を不安にさせない優しいツケ、みたいなもんです。多分。

 だというのに、


「ううむ……いや、それがなあ……」


 彼は渋った。

 そして、理由を聞けば、


「……売り切れ? あるんですか、そんなこと」

「いや……まあ、昨今は情勢がな……どこもかしこもキナ臭いし……だから……なあ。ほら、自衛のためにも……」


 歯切れが悪い。

 なるほど。そういう感じか。


「よし、ゲームしますか! しましょう!」


 彼の返答を待たずに腰から、マーガレットの形見の銀のリボルバーを引き抜いた。

 ぎょっとされたが、それはいい。一発を残して回転弾倉から弾丸を全て取り除き、判らなくなる程度に回転させる。

 ルーレットゲームだ。

 穴に球を落とすのを当てるのではなく、当たると穴を作る弾が出るタイプの。


「当たらなかったらその分質問させてください。で、当たったら……まあ賞金首がまだ有効ならお金になるんじゃないですかね。わからないですけど」

「……は?」

「いやー、巷で汎拡張的人間イグゼンプトって言われても別に読心できる訳でもないんですよね。独身ではありますけど。ははは」

「は? いや、……は?」

「なのでまあ、喋って貰うならこれぐらいのリスクはいるかなーって。生憎と今特に持ち合わせがないんで、命懸けるぐらいしかできないんですよね、私」

「……………は?」


 とりあえずこちらのこめかみに銃口を突き付けて、引き金を引く。


「一、二、三、四……はい、次の確率は半々です。これで賭けになるかな?」

「…………………………は?」

「別にここだけが武器の販売してる訳じゃあないですよね? ネットワークみたいなの、ありますよね? 色々とキナ臭くなるって言ってもー……多分元々テロ屋向けに仕事してる人と、傭兵向けに仕事してる人って別だと思うんですよ」


 先程の会話だけで十分判る。

 あまりにも、不自然な話なのだ。それは。


「あ、大元の供給はだいたい一緒かな? でもほら、お金の払いって意味だと傭兵の方がいいわけじゃないですか、多分。比較的綺麗なお金って訳で。それなのに傭兵に売れないぐらいに在庫がなくなるってどういうことかなーって……」


 自分の勘は、自慢じゃないがよく当たる。

 実際、これで衛星軌道都市サテライトとの戦いも――敵味方に別れていると判らなかった兄のあの戦術も喰い破ってきた。

 その勘が告げている。ここで全てを賭けオールインても話を聞いておいた方がいい、と。


 僅かな口ぶりから、おそらく、その商品は傭兵以外にも売られたのだと判る。

 不思議なのは、だ。

 民間軍事会社の武器の調達方法は、メーカーの正規のものでなければグレーだ。というよりブラックだ。そしてメーカーからの調達についても、今の事情を考えれば多分政府からある程度の制約を受けている。

 ただ、だとしても――ハンスさんがまさにその民間軍事会社と共同しているように、政府もお目溢しをしている。

 確か前に、正規軍人の死者は報告しなければならないが、民間軍事会社の方の損害は軍の出した犠牲として計上しなくていいから、そういう意味でも都合が良くて利用される――と聞いた覚えがある。


 つまり、グレー或いはブラックだとしても民間軍事会社と取引をしている分はリスクが少ない。

 もし仮にテロ組織の方が大金を積んでいたとしても、そこと取引をしてしまうと――特に【フィッチャーの鳥】なんてものがいるからには――割に合わない。

 おそらく、そういうのを相手にする商売人は商売人で別にいる筈なのだ。

 なのに、ここで、売り切れになる。

 そのことには――……何か裏がある。


「つまり、吐いてください。賭け金は私の命で。――乗ります? 乗りません? あ、乗らなくてもやりますけど」


 黒衣の七人なかま譲りの論理的思考と、黒衣の七人なかま譲りの威圧術と、乙女のクソ度胸で笑いかけてみたら――彼は丸サングラスがずり落ちんばかりに頬を引き攣らせて、こちらを見ていた。


「誰に売ったんですか? あと、どうして売ったんですか? 私が聞きたいのはその二つです。よろしくお願いしますね」


 だから、こちらは満面の笑みで返す。それだけだ。



 ◇ ◆ ◇



 同日。

 時刻――一〇:三八。


 四番艦『アトム・ハート・マザー』の、その甲板。

 空中浮游都市ステーションへの入港とは異なり、海上遊弋都市フロートへの入港となれば、高高度を飛ぶ必要はない。

 つまり、生身でも、外の空気に触れられるということだ。

 潮風と空風が入り混じった快晴の元の空気。それでも海を行く船より遥かに高速である航空要塞艦アーク・フォートレスのその外気に好んで身を晒す者は、いない。

 だが実際に、人影は一つ。

 見通し距離の確保のために鋼の城めいた船体の中でも、ひときわ高く聳え立つ艦橋。


 整備や清掃のためにのみ開かれる厳重なその扉の向こうに、ヘイゼル・ホーリーホックの探し人はいた。


「……ったく、ここにいたのか。あんまりお兄さんを歩き回らせないでくれませんかねえ……若くないんだぜ、そろそろ。肌は若いけど」

「……」

「はあ。……ったく、やりにくくてしょうがねえな。ヘンリー坊やもいなくなっちまうし……弾バカはあっちについたって言うし。お兄さんも厄年って奴かね、こりゃ」


 フィア・ムラマサ。

 男か女かも知れない、少年のようでも少女のようでもある中性的な美貌。

 肩の辺りで切り揃えられ、ふわりと花開いた黒髪。

 長い前髪の奥に隠れたピンクダイヤモンドのような、それでいて茫洋とした瞳。

 何を考えているのか、読めない。ふわふわと空気のように漂い、そして、あまり自己主張をしない人物だった。

 一言で言うなら、軍人の対極――そんな存在だ。


(……こんな状態の奴をアーセナル・コマンドに乗せること自体に反対だぜ。専用機だかなんだか知らねえが)


 眼の前のフィアも頭痛の種だが、それ以上なのはメイジー・ブランシェットとロビン・ダンスフィードの離反だ。

 マーガレット・ワイズマン亡き後の上位陣三人の中のその二人。はっきり言えば政府は、その二人を手放した時点で後悔すべきだ。

 継続戦闘能力の最上位はハンス・グリム・グッドフェローであるが、言うまでもなく瞬間最大火力はロビンである。つまり、継続戦闘に持ち込ませずに屠られることだってあり得る。

 そしてメイジー・ブランシェットは……何というか、そういうのの埒外にいる。


 継続戦闘能力はグリムに劣る。

 それはひとえに、その武器がプラズマライフルという弾数の制限があるものだったからだ。もし本命のブレードと牽制銃撃という形に切り替えれば、彼女はそこらの武装を拾い上げて延々と攻撃してくる。

 そして、とにかく回避性能に優れている。

 迂闊に攻めかかれば銃撃の牽制からの必殺の一撃に繋げ、それ以外の尽くをバトル・ブーストの緊急回避なしで平然と逃れ、その上で更にここぞというときにはバトル・ブーストも使う。


 速さこそはそこまででもない。

 だが、のだ。メイジーは。とにかく機体の操作のその所作が。動き出しが。動作の繋ぎが。とにかく無駄がなく、圧倒的に早い。


 無論、その二人ともの殺し方は考えている――いつだってそうだ。

 黒の請負人ブラックナイトと銘打たれたその時から、機体の有無を問わず狙撃を実行してきた。望み通りに請け負って、相手の脳漿をぶち撒けてきた。

 アーセナル・コマンドで近付けるだけ近付いてから、ただゆっくりと延々と匍匐前進をして敵陣地まで寄ったこともある。もう二度と御免だと思った。泥と汗と糞尿に塗れるのは。


 もしも誰かが狂い果てたそのときには、残る黒衣の七人ブラックパレードがそれを討つ――――鉄と鋼の盟約。


 おそらくその役目を果たすことになるのは、誰もがハンス・グリム・グッドフェローと思っているだろう。

 その忍耐力。その理性。

 おそらく、この世が滅ぶ最後の瞬間ですらも正気にてその傍らに立つと――忍耐強い首輪付きの墓守犬チャーチグリムだと。

 故に彼は、黒の処刑人ブラックポーンと呼ばれる。

 キング担い手プレイヤー以外の全てに伍するが故の処刑人ポーン


(……ま、一応は戦友として放ってはおけねえからな。お前一人にやらせようとは思わんが)


 ガリガリと、頭を掻く。

 或いは彼らが正しく、【フィッチャーの鳥】に与する自分たちの方こそが狂った側だと――そう思った日もある。

 だが、それでもだ。

 ――あの日のマーガレット・ワイズマンの生き様から齎された課題。己たちが兵士として、或いは兵士でなくとも人間として応えねばならない命題。

 各人が各人、それへの答えアンサーを探している。

 或いは既にもう答えアンサーを見つけたのか。

 それが交わらない道を意味するというなら是非もない。その時は、たとえ仲間だろうとも屍に変える――そんな覚悟は、皆が有していた。


「パレードに……行進の列に……」

「あん?」

「どこかに行けたら――……いい」


 思索に耽りそうにそうになったヘイゼルの隣で、ポツリと開かれた唇。

 それがフィアのものとは思わず、少し、面食らった。


「……行きたい場所があるのか、お前さん」

「おまえ……じゃなくて、フィア」


 極めてぶつ切りに近いような言葉。

 声も、やはり、男女のどちらかは知れない。強いて言うなら若干女性的かもしれないが――声変わりしてなお高い少年のもの、と言われてしまえばそれも頷ける。

 自分に判別がつかないことがあるのも珍しいと思いつつ、待つことどれぐらいだったろうか。


「星に――……星に、なりたい」


 遠く憧憬を映してか、或いは哀愁を滲ませてか。

 そう呟いたフィアの言葉に、ヘイゼルの口からは自然と声が漏れ出ていた。


「……なるもんじゃねえさ、星ってのは」


 しゅぼ、と煙草に火をつける。

 あの日を思い出さないことは、一度もない。マスドライバーを前に――――本当に不動の、動かない騎兵となってしまった己のことを。

 機体が壊れてようが、できた筈だ。

 右腕と、動力さえあれば。十分だった筈だ。それだけの鍛錬は、積んできた筈だった。

 だというのに一瞬――本当に一瞬、迷ってしまった。


 ――――と。


 その躊躇いが、心の釘が、赤き馬の蹄鉄から零れた釘になった。

 致命だった。

 マーガレット・ワイズマンのあの機体の速度を知っていた筈なのに。彼女の思い切りの良さを、知っていた筈なのに。

 それが、明暗を分けたのだ。

 年若い少女を死なせ――自分が生き残ることになった、生者と死者の明暗を。


「……」


 腹の底から、煙を吐き出す。

 どれだけを積み重ねても。いくら撃ち落としても。

 あの日、墜とし損ねた空の的を――自分が撃つべきだったあの的を、常に探している。そんな気がする。

 もう一度、煙を吸い込んで――……


「……けむ、たい」

「そうかい。そいつは悪かった。……ったく、そんなに見んなよ。あーあーわかった、わかったって。クソッタレ……せめてもう一口ぐらい……」

「身体に、わるい」

「じゃなきゃ心に悪いんだよ。……あーあーわかったっつーの! クソッ! わかりましたよ! ったく!」


 ジッと見詰めてくる彼または彼女を前に、煙草を揉み消して携帯灰皿に仕舞う。

 あの一件からドブ川を煮詰めたような雰囲気の漂う艦内の喫煙所を使うことはどうにも憚られていて、これが久方ぶりだというのに……どうもそんな一服さえも許されはしないらしい。


(ったく、なんでこんなののおもりをさせられてんだ。俺は)


 ガリガリと頭を掻きながら、ヘイゼル・ホーリーホックは作戦室へと歩き出す。

 漂う風船のようなフィア・ムラマサも、風に流されるようにその後ろをゆっくりと追う。

 だが、一度足を止め――……


「……あなたは、どこに、落ちたい?」


 彼か、彼女かは――空を見上げて、そう言った。

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