第45話 世界を焼き尽くす暴力の抑え、或いはフィッチャーの鳥



 アーセナル・コマンド――及び脊椎接続アーセナルリンク


 その最も大きな特性は、紛れもなく戦闘行為の容易さだ。

 ある種のブレインマシンインターフェースめいた直感的な操作。そこに才能の大小はあれ、高度に専門的な訓練を要さずとも平均的な戦力には仕立て上げることができる。

 あの戦争で、正規軍人の大半がその基地ごと吹き飛ばされたが故に求められた技術であるのだ。


 対して、技術の進歩とは裏腹に人間の精神というものはあまり変化しない。

 つまり、ある種の洗脳的な側面も持つ軍事的な教育であったり――或いは洗脳そのものにより、人間を一個の戦闘員に仕立て上げることは可能だと言うことだ。

 故にこの時代、人命はより貴重な資源である。


 だからこそ、海賊行為による死者は少ない。

 その船員もまた資源であるが故に、基本的には殺されはしない――或いは殺された方がマシ、と彼ら彼女らは言うかもしれないが。

 そんな風に、コンテナを大量に積載したタンカーの周囲を漂うアーセナル・コマンド。

 或いはそれはモッド・トルーパーなのか。

 六連装ガトリングガンを突き付けるその黒き火吹き竜フュルドラカが、その装甲が赤熱し――――両断される。


「ノーフェイス1、交戦開始エンゲージ。勧告の暇がないため撃墜した」


 高高度からの直角的な落下推進と、プラズマブレードによる一撃。

 海面の手前で即座に切り替えして、慣性を置き去りにした急速直線運動により波飛沫を散らしながら、銃鉄色ガンメタルのコマンド・レイヴンは戦闘空域を飛翔する。

 そのまま、嘴めいて尖った胸郭上部のその下――コックピットからの通信。


「貴官らは正規の軍事組織ではないため、捕虜としての取り扱いが適用される相手ではない」


 己へと向けられる銃口と、空を裂きながら殺到し、波を吹き飛ばす飛沫に変わる弾丸を引き連れながら呼びかけを続けた。


「その上で改めて言うが、大人しく武装を解除すれば殺害や身体的な加害を行わずに司法組織に引き渡すと誓う。……投降する気はないか?」


 やや高度が上の敵機を眺めつつ、レーダーの反応を見る。

 遮るもののない海上では、よほどの低空でない限りレーダー欺瞞を受けることはない。

 残る敵戦力は三機。

 海賊にしては多い――……と言っていい戦力だろうか。


『死神……ハンス・グリム・グッドフェロー……!』


 返されるのはガトリングガンとグレネードランチャーの集中砲火。

 揺り戻しの飛沫と、波の下での爆発。

 辺りに水霧がシャワーめいて降り注ぐ中、タンカー船から敵を引き剥がすような機動を続ける。

 専用に調整した、水陸両用のアーセナル・コマンドはいないと見ていいだろう。作られはしたが、今ではあまり意味のない存在となり正規軍では採用が見送られている代物だ。

 てっきりサベージでもされているかと思ったが――……杞憂と見ていいだろう。


 後は、残る敵を切り刻むだけ。

 だからこそ、再度の投降勧告を行う――だが、


『あの戦争で多くを殺した男の言葉に従う意味があるか! この殺し屋が!』

『何を今更、投降勧告など――!』


 激昂した彼らは、勧告には応じようとはしなかった。

 タンカーからの引き離し行動は続ける。

 もう少しこちらに集中させれば、上手く近付いたフェレナンドらやカタリナを筆頭とする【一〇〇〇機当サウザンドカスタマー】がタンカーのカバーリングに入れるだろう。

 それを脳内で計算しつつ、改めて告げる。


「否定はしない。……それは確かに俺の行いだ。だが――」


 傍を掠めそうな弾丸へ、バトル・ブースト。言葉を区切り、


? 貴官の兄弟を殺したことと、貴官を殺さねばならないことになんの因果関係がある?」


 あの日、人を殺したとしても――いつだって人を殺し続けなければいけない、などという理由はない。

 己は、機械でなく人間なのだ。

 一度定型に当て嵌められたからと言って、延々とその作業しか行わないとならない決まりなどはないだろう。無論、法における判例の参照などはその限りではないが――……。

 これまでどれだけ殺していようとも、殺さずに済むなら殺さずに済ませる。それらは互いに関係のないことである。

 だが、そうだとして、


『ふざけるなよ……ふざけるなよ死神ぃぃぃ! 誰がお前なぞに降伏などするものか……! ここでお前を殺してやる……! 泣き喚きながら命乞いをするのは、お前の方だ! ブッ殺してやる!』

「そうか。客観的に不可能だと伝えるが……そうしたいというなら俺は特に否定はすまい。個人の自由だ」

『貴様ァ……!』

「ただ俺も大憲章に従い、自己の生存権を主張させて貰おう。……無論、可能な限り貴官らの殺傷を控える努力はする。投降は随時受け付ける。必要ならば伝えろ」

『きっ、貴様――――――――ッ!』


 奥歯を噛み締め、戦闘機動――――直線を書き殴り続けた軌道と、ほとばしる紫炎のブレード。

 銃を刻み、機体を刻む。

 戦闘力を一時的に喪失させようと、敵は今度は、タンカーへの攻撃へと狙いを切り替えた。

 そこへ訪れた味方の増援と敵の銃口が、強烈な火花として洋上で瞬いた。


 ――一閃、二閃。


 結局二機ほど撃墜したところで、残る海賊の一人は降伏を申し出た。

 機体から引きずり降ろされ、そして【一〇〇〇機当サウザンドカスタマー】の少女たちへ耳に堪えないような罵声を浴びせる彼へとフェレナンドが殴りかかろうとする事件はあったものの、それ以外は特筆せずに戦闘は終了した。

 いつも通りだ。

 最近の日々、或いはあの戦争の日々から――変わらないものだった。


 そして戻った艦内で――社屋かつ旗艦であるその船の中で、デブリーフィングを終了させて甲板でのランニングを終えた後にふと思った。


「改めて、女性が多いな……」


 この【一〇〇〇機当サウンドカスタマー】に限った話ではない。

 海上遊弋都市フロートの職場は、或いは街並みは、どこも女性が多い。街を少し出歩けばそれは判る。

 かつての知識で知ってはいる。戦争の直後は、概ねそんな傾向が出るのだ。戦火に絶えなかったアフリカなどでの女性の参画率が高いことなど、その証左だろう。

 兵士や警察官などがどうしても男性的な職場であり、つまり必然、


「ああ、まあ、だって随分と殺されちゃったからねー」

「……」


 【一〇〇〇機当サウンドカスタマー】で共通のタンカースジャケットを羽織ったハーフアップの長髪の少女から笑いかけられた。

 その言葉の、通りだ。

 何が女性が多い――だろうか。

 この都市にそうであることを強要したのは、他ならぬ自分もそうであるというのに。

 黙り込めば、医療用眼帯をつけた少女は「にひっ」と笑いを零して肩を竦めた。


「ごめん、気にした? 少しいい気味かもだし、ちょっと複雑かも。ハンス・グリム・グッドフェローと黒衣の七人ブラックパレードって言ったらもっと血も涙もない悪鬼だと思ってたからさ。……うーん、少し複雑かなー」


 それもまた、戦争の心理なのだろう。

 戦いに関するストレス。同族殺しに関する種が持つストレス。

 ここまでの発展のために――つまり同族を積極的に狩り尽くしてこれまで絶滅しなかったという淘汰のために――今繁栄する人類の持つ、本能的な忌避感。

 ――……。

 そんなエクスキューズが必要とされる、大多数の人間が持つ殺人への拒絶反応とその反動。彼女が言うのは、そんなところのものだろう。


 ……それは、おそらく、ハンス・グリム・グッドフェローには欠けているものだ。


 自分は、――相手の人間性を内心で貶める必要もなく、人間扱いしたまま、それでも殺傷ができる。

 自分は、自分の精神へとなんの言い訳や慰めも必要とせしない。そんな自己欺瞞や自己弁護は必要としない。

 理性たれと――正気たれと。

 そう定めるがままに、己の持つ惰弱性を否定した。否定できずとも、否定はし続ける。否定に努め続ける。


 を犯すのであれば、その実行者は、などあってはならない――――決して。

 辛いのはお前ではない。

 命を奪われる人間こそが、最も苦しく、最も辛く、重い。

 それなのに被害者ぶって我が身を可愛がるなど――


(……)


 故に、正気であれ。正気であり続けろ。

 お前には、その権利がある。そして何より、その義務がある。

 血に酔うな。死に酔うな。

 何かに酔っ払ったままで、に身を投じてもいいなどという――そんな特権も権威もないのだ。

 そんな傲慢など。

 あってはならないのだ。

 これが悪行であり、そして世に法があり、法の下の平等と人権が存在している以上は。人の命が尊いその以上は。


 内心の自由がある。価値観がある。

 余人に己のこの理屈が当て嵌まるものでもないし、べきでもないだろう。他者にそれを強要する権利などは己が持ち合わせる訳がない。

 この論理は、他人に押し付けるものではない。


 だが――だからこそ、お前は、俺は、お前だけは、己に律されるままに

 それが最低限。

 最低限の、立場だ。

 ――――。


「もしもーし?」


 無言でいれば、こちらの顔を覗き込んでくるハーフアップの少女は大げさなくらいに手で払った。


「ごめんごめん、でもさ、まあ、こうして話せたのは悪くなかった……いや悪いこともあるけど……トータルならまあ、プラスでしょ。多分」

「……そう、か」

「そうそう。だってさ、同じ国の中でも話したことないやつとかいるし、気に食わない奴もいるわけでしょ? じゃあ別に、その人のために怒っても仕方なくない? それよりは新しい面白い知り合いが増えたことの方が、ほら、楽しいじゃん?」


 にひっ、と笑う彼女は自分などよりよほど現実的な人間なのだろう。

 彼女はもう、割り切った。地に足をつけた。

 その境遇を受け入れ、腐ることなく、そこに根ざした生き方を手に入れている――なんと立派な人間なのだろうか。

 年若くも、敬意に値すると……そう思っていたときだった。


「怒り過ぎもほどほどに――……ってね?」

「――」

「たまーに、親の仇よりすごい目でアタシたちのことを見るときあるからさー。ほら、怒ってるんでしょ? というか、んー……図星?」


 図星、だった。

 年端も行かぬ少女たちを、殺し殺されの場に駆り出している。それの一因となったのは己であるということにもまた、慚愧と憤怒が絶えない。

 ずっとだ。

 ずっと、己の内にいる獣には餌が与えられ続けている。

 ただ暮らしているだけで。ただ息をしているだけで。この世界にいるだけで――怒りが積み重なる。降り積もる。沈殿していく。堆積していく。己の内に。

 リフレインする――〈キミは実に面白いねぇ、グッドフェロー少尉〉〈キミが怒らなくなるのは、人類が全て滅んだときしかないとも〉〈争いを憎むというのは、人の営みそのものを憎むことじゃあないか〉――女性技術者の言葉。


 首を振った。

 

 怒りも悲しみも、争いも平和も人間の持つ一面だ。その一面だけを指して『滅ぶべし』と決めることのなんと傲慢なことか。

 断じて人道的に、人倫的に否定されねばならない。

 は。

 否定せねばならないのだ――絶対に。この世の誰が肯定したとしても、己は。己だけは。

 この場と違う場所に生まれ育ち、ここに来た己だけは。


 ……たとえ明日、この世界が滅ぼうとも。


(……或いは俺のこれも、傲慢なのだろうか。いや、傲慢だろうな。己を高く見積もりすぎだと――……いつもそう思う)


 やはり、もう少し……この自己評価を下方修正する努力を続けねば。

 そう思えば、人差し指で頬を突かれた。

 眼の前では健康的に、それでもその睫毛の長い美貌から蠱惑的な笑う少女。


「まあ、考えすぎも毒だと思うよ。どうせ考えても人は死ぬんだしさ、楽しく生きた方がよくないかなーって」

「……俺は、そうは思わない」

「そっか。ま……もしどうしようもなく怒りそうになったときは、世の中にはこういう新しい友達もいたんだよなーってちょっと考えてくれたら嬉しいかも」

「……ああ。だが、大丈夫だ。俺には、首輪が付いている」


 確実に、自分は自分を律することができると――そういう仕組みを作ったのだ。

 そう頷けば……。


「……へえ、首輪?」


 ……訂正しよう。

 先程の少女の笑みは蠱惑的でもなんでもなかった。

 睫毛の長い垂れ目がちな瞳だから、笑うと何だかそうなるというだけだった。別にアレは扇情的でも何でもなかった。

 今は――……まさしくと言った妖しい笑みを浮かべた少女が、静かに距離を詰めて来ていた。

 圧を感じる。

 色々と。圧を。


「あ、そういうシュミだった? へー、そっかー、首輪かー? へー?」

「……貴官に言いしれない恐怖を感じる」

「いや、さっきまで別にどうでもいいかなーって思ってたけど……あ、そういうの意外に理解ある人なんだーって……へー?」


 ずい、と近寄って来られた。

 逃げる。

 背中が壁にあたった。逃げられない。

 にひっ、と近寄って来られる。

 背中に壁がある。逃げられない。


 逃げられない。


「ね、ね、なら……ほら、シュミが合うと思わない? いいね、付けるの……いやー、まさかそういうシュミの人だったなんてなー」

「待ってくれ。誤解がある。貴官の期待には応えられない。俺にそんな趣味はない。やめてくれ。どちらかと言えばやられる側ではないんだ。期待には応えられない。それで失望されたこともある。やめてくれ。期待には応えられない」

「え、付けたい? それならそれでもいいかなー……にひっ、お互いに付け合うのも面白いかもねー?」

「待ってくれ。押し付けないでくれ。やめてくれ。待ってくれ。俺には婚約者がいる。やめてくれ。待ってくれ」

「え。……で、その子のこと好きなの?」

「いや……顔を合わせて話したことはないが……」


 正直、好きとかそういう以前ではある。


「え。じゃあいいじゃん? へっへっへー……よいではないかよいではないかー」

「やめてくれ。たすけて。やめてくれ。これはハラスメントだ。やめてくれ。これは深刻なハラスメントだ」

「あっ。かわいい。んーーーーー……駄目かなー。うん、駄目だなあこれ。スイッチ入っちゃうかも――――」


 壁と女性的な身体に挟まれて、おまけに彼女のその白い指が、魚でも捌くかのようにこちらの胸元を縦になぞった。

 止せ、と手で押し返したいが手を突き出したらどこかしらに当たりそうな気がする。そうなるとハラスメントだ。逆のセクシャルハラスメントを受けていてもハラスメントをしていい理由はない。

 助けてくれ、と内心で叫んだ。

 助けてくれヘイゼル。助けてくれロビン。助けてくれアシュレイ。助けてくれヘンリー。助けてくれフェレナンド。


 確かに見目麗しい女性に迫られて邪な気持ちを持たぬほど自分は聖人ではないし頬の辺りがざわつくが、こう、彼女には誤解がある。というか名前も知らない相手なのだ。

 あとこう、今は作戦行動としての出向中だ。部外者だ。

 それなのにこういうのは、とにかく良くない。

 いいことではない。

 ないのだ、とそう思い――――

 見れば、両腕を組んだブルーランプ特務大尉が、眼帯の隣の空色の瞳をもの凄い目にしてこちらを睨みつけて来ていた。


「……何をしている、グッドフェロー。? ええっ?」

「ぎにゃああああああああああ、こっ、こっ、国際問題!? 国際問題じゃないの!? 国際問題だようこれぇ!? ぎゃあああああああ社員が正規軍人に問題起こしてる!? えっこれ処分!? 行政処分!? 処分されるの、あたし!?」

「……何してんスか、大尉」

「マーシュさんに写真送りますねー」

「やめてくれ。やめてくれ。それより助けてくれ」

「ちぇーっ……いいところだったのになあ」


 そして彼女は胸の谷間から出した名刺にキスマークをつけてから、それをこちらのジャケットの胸ポケットに押し込んできた。

 それから耳打ちをされ、挑発的な流し目と共に――ひらひらと手を振って彼女は優雅に去っていった。


 ブルーランプ特務大尉は何か怒っている。

 カタリナ社長兼隊長は叫んでいた。

 フェレナンドは白い目で見ていた。……いやあれだけ女に囲まれてた貴官にそうされる謂れはない。女子校の新任体育教師みたいになっていた貴官にだけは言われたくない。はっ倒すぞ。

 エルゼは半眼でデバイスのカメラを連射していた。やめろ。上官はイジメのサンドバッグではない。


 こんな場でなければ、光栄であり嬉しい誘いだったのかもしれないが――……今は胸ポケットのその名刺が、何かの呪物にしか感じられなかった。

 好意で貰った以上は無碍に扱う訳にもいかないし、かと言って持ち続けていたら何かの弊害もある気がする。

 どうしたらいいんだろう。


 わかんない。

 たすけて。


 あとでフィーカに相談に乗ってもらおうとしたら、なんか凄い勢いで警告メッセージと共に罵倒に近い物言いを受けた。

 解せない。

 こちらは完全に被害者では。

 解せない。


「おい、グッドフェロー! 明日以降の作戦についてだ! 海賊たちがねぐらにしてるかもしれない廃棄都市がいくつかある! 虱潰しに探すぞ!」

「了解した」

「ブリーフィングは後でやる! 必ず参加しろ! 女と遊んでかまけてるんじゃないぞ!」


 機体の外から叫びかけてくるブルーランプ特務大尉に頷き返す。

 女と遊んだ覚えはないのだがな――と思えば、コックピット内の警告=【どういうことか説明してください今後のメンタルケアのため内容の説明を要求】。

 フィーカも怖い。

 何か近頃、周りには怖い人しかいなかった。

 


 ◇ ◆ ◇



 より合理的に洗練された現代のデザインの中で、過去を再現しているというのは、ある種のステイタスであった。

 丸く長い議会用テーブルの置かれたその部屋は、赤い絨毯が敷き詰められており、重厚なる黒木と穏やかな白い壁紙に覆われ、ある種かつての懐古主義的な気風を漂わせている。

 そして、その円卓に座す一人の男。

 老人――ヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将という男を一言で表すとするならば、年老いた銀獅子だった。


 肩の辺りで切り揃えられた白澄んでなお豊かな髪と、盛り上がる額骨の下の眼光の強い青の瞳。

 かつてはさぞ美青年であった風貌は年齢と共による衰えを感じさせることもなく熟成された様を見せ、むしろそれが一つの老いが創りたもうた芸術であるかの如く映画俳優めいた容貌をしている。

 文字通りの――【フィッチャーの鳥】の顔。

 保護高地都市ハイランド連盟軍の軍人にして、【フィッチャーの鳥】という部隊の総司令官であった。


「卿らは、些か苛烈がすぎるのではないか?」


 ハッキングや複製を警戒して紙で作られた報告書を一瞥し、彼は眉間に皺を寄せながら開口一番そう口にした。

 記されているのは【フィッチャーの鳥】直属の十二隻の飛行要塞艦の、その四番艦の艦長を務めるジャマナー・リンクランク特務中佐の所業についてだ。

 あのシンデレラ・グレイマンを伴った戦闘から始まり、その数々の失態と空中浮游都市ステーションマウント・ゴッケールリにおいての虐殺的な戦闘行動。

 その後も続く空中浮游都市ステーション海上遊弋都市フロートでの暴走気味に暴力的な捜査など、列挙すれば暇はない。

 だが、


「むしろこれでも手緩いぐらいですな。あの半魚人とエイリアンどもにも、それに与する頭が空に浮いている連中にも然るべき報いでしょう」


 ホログラムで会議に出席し、片目に大きな海賊傷を負った火傷顔の男、一番艦艦長のコルベス・シュヴァーベン特務大佐はそう胸を張る。

 頭が空に浮いているのはお前もだ――と言いたくなった言葉を、ヴェレル特務大将は飲み込んだ。

 エリート部隊として新設した弊害か、実のところ【フィッチャーの鳥】は若手士官に対して将校が不足している。

 あの戦争の弊害がこれだった。

 戦争においては後方に位置する筈の根拠地へと、一切の容赦もなく降り注ぐ神の杖は少なくない将官と官僚を吹き飛ばした。

 前線指揮官としては有能な兵も育っては来たものの――例えば、こんな話がある。


 ――と。


 ある場所で有能さを発揮したものは、その有能さから出世する。

 そしてまたその有能さを発揮して出世し、また能力を発揮し出世し、また……と繰り返していて、その昇進が打ち止めになったそのときは逆説的に有能さを発揮できない場面を意味し、つまり組織の大半は無能で占められるというものだ。

 まともな作戦立案をでき、そして軍団規模でのまともな指揮を取れる人間がとにかく不足していた。

 こんな苛烈であるシュヴァーベン特務大佐でさえも、まだマシな部類なのだ――少なくとも、実直な軍人として、指揮官としての能力はある。


「卿らのこれでは、余計な争いを呼ぶのではないのかね?」

「ならば、取り除けばいいでしょう。いずれ萌芽する破滅の芽を、今摘んでいるのです。時間をかければ、それだけ芽は育つ。それ以前に、敵の準備が整う前に、徹底して平らにならすのです」

「一理はあるが、一理だな……だが――」


 ふむ、とヴェレル特務大将は口を継ぐんだ。

 この戦役の大目的の一つとして、例のシンデレラ・グレイマンをかのメイジー・“ザ・レッドフード”・ブランシェットの再来としてシンボル化させよう、というものがあった。

 既にそれは彼女の撃墜により損なわれてしまったが……既に結成から二年が経過する【フィッチャーの鳥】は、半ば強硬的に職務を推し進めた結果として民衆の心が離れつつあるという欠点を負っていた。

 故の、レッドフードの再来。

 人は、英雄を求める。シンボルを求める。

 悪逆なるテロリストに誘拐された父を助けるべく立ち上がった彼女――という構図を通して、プロパガンダを図る。或いはそのイメージを持って【フィッチャーの鳥】のイメージをクリーンなものに塗り替える。


 少なくとも観閲式における失態を帳消しにできるだけの――ヴェレル特務大将にとっての――利はあるものではあったのだが。

 それも、現場指揮官であるジャマナーの暴走によって損なわれた。

 ハッキリ言えば、誰も彼も短絡的な視点がすぎる。

 高級官僚たちとのパイプや議員たちとの結び付きのコネクション、或いは士官としては兵站の調整などでそこまで無能ではないという様を見せてはいたが――蓋を開けてみればこれだ。


「まあ、いい。……少なくとも最低限、敗れさえしなければそれでいい」

「それは、無論ですとも。我々【フィッチャーの鳥】とは、即ち勝利者であること。圧倒的な武と恐怖により、この治世の安寧を担うものであるのです」

「そう、だな」


 吐息と共にヴェレル特務大将は、隻眼のシュヴァーベン特務大佐を改めて眺める。

 傲慢であるが自信溢れるその姿勢は、任務に邁進する兵にとってはある種の安堵と自負になるだろう。

 あの衛星軌道都市サテライト灰色狼グレイウルフのような戦術で戦略の不利を解消する、或いは戦術によって戦力の差を塗り替えるといった奇跡的な手腕はないにしろ――大軍を大軍として運用し、順当に勝てるというシュヴァーベンの能力はそれでも得難いものだ。


 戦役の目的の一つとして、優れた将官の育成というものがあった。

 特にアーセナル・コマンドといった戦力の隆盛に伴って、軍は、方針の転換を迫られた。

 その破壊力と機動力と装甲力。

 既存の兵器の常識を塗り替え、かつての世の如く突出した個人による英雄的な伝説を成り立たせる下地。


 或いは、言われてはいるのだ。

 大体的な軍事組織ではなく規模を縮小し、むしろその個人の特異的な資質を伸ばす方向に向かった方が、財政的にもより良いのではないか?――と。

 確かに、頷けるところではある。

 あの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争においてそれは十分に証明された。戦略的には圧倒的な不利、むしろほぼある種のゲリラ的な抵抗行動でしかなかった保護高地都市ハイランド連盟がついには勝利した立役者は、紛れもなくアーセナル・コマンドであると。


 だが、悩みの種は結局はそのアーセナル・コマンドだ。


 その貫通力と破壊力は、防御ではなく攻撃でこそ完全な適性を発揮する。というより、攻撃側が一方的に強すぎる。

 かつて、ある兵士の強襲任務の映像を見たときに驚愕した。

 文字通りの一撃で――ただの一撃で、海上遊弋都市フロートを撃沈していたのだ。

 それも豊富なガンジリウムがあってこそだろうが――……力場により圧縮された空気がプラズマと化すのを見たとき、排斥され生まれた真空への流入がさらにその光球の火力を増させるのを見たとき、彼が地上に作り出した太陽を見たその時には、何かの神聖さすら覚えたのは記憶に新しい。


 同時に思った。

 果たしてこれを敵にやられたときに――防げるのか、と。


 そして、結局のところ防衛という観点においてはアーセナル・コマンドは英雄的な運用ではなく、軍団的な運用が求められるという結論に落ち着いた。

 敵機の突出した浸透攻撃を許さぬためにアーセナル・コマンドそれ自体を用いて壁のような防衛網を作り、そして、部隊の有機的な運用によって敵を包囲し殲滅する縦深防御。

 正直、その防御も図抜けた技量を前にしては難しいところではあるのだが……少なくとも弾切れをさせられはするだろう。

 そうして敵の後方破壊能力を奪えば、まあ、それで良い。

 故に、旧体制のような軍団的な運用のできる将校の育成は、今後の防衛力という面からも必要な課題だった。


「唯一無二の武力は我々で、その武力による安寧を作る……それを忘れさえしなければ、卿らに今求めることはない」


 そう、ヴェレル特務大将は締めくくった。

 旧世紀のパクス・ロマーナやパクス・トクガワーナ、パクス・アメリカーナ――まずはその土台を作れればよいのだ。

 ――そんな悪夢さえ防げるのならば、何でもいい。

 それこそが、秩序であり世の善だ。

 そのためにならば己は如何なる悪すらも呑み込もうと、彼はそう決意していた。


 そして、全ての将官のホログラムが消え去ったその後に現れる――天使の羽の如き純白の髪を持つ少女のホログラム。

 

『やあ、僕だよ。元気?』

「心臓に悪いな。あまり、私を驚かせないでくれ。見ての通り、老骨なのだ」


 言えば、少女は笑った。

 本心からの笑いなのか、そうでないのかはヴェレルにも判らなかった。

 気を許す気もない。ただ、協力関係というだけだ。

 そして白い少女は、本題を切り出した。


『んーーーー……ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は順調みたいだね。というか、まさか、ロビン・ダンスフィードまであっちに加わるとは思わなかったけど』

「……些か、予定が狂ったところではある。或いはあの、彼ら【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】はその理念からしたら喜んでいるところかもしれんな。敵味方が再び手をとるなど、まさにそうだろう」

『嬉しいかい? それとも、残念?』

「いや……敵が強大であるならば、それはいい。いいモデルケースになる。特に黒衣の七人ブラックパレードなど、いくら仮想敵にしていても想定を超えてくるであろうからな」


 些か自作自演的になるが、確かにヴェレル・クノイスト・ゾイストは【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の支援者の一人だ。

 創設者の理念に感動した訳でも、彼らに期待している訳でも、両天秤をかけている訳でもない。

 単に必要だったからだ。

 最早この地球四圏で今は十分な戦力が存在しない。都市国家対都市国家の様相の戦争は、しばらくは起きないだろう。

 となれば、あとは、対テロ戦争。

 その中で理念が比較的マシで、それなりに統制が取れている――だから【フィッチャーの鳥】の試金石としては丁度良かった。


 ある種の、シミュレーションのようなものだ。

 アーセナル・コマンドを伴った新たな時代の戦争は、それに対しての軍事力の充填の方針は――後になればなるほど修正が効きづらくなる。

 故に、一度組織が徹底的に叩き潰されたところからの再建であるこの機会に、比較的にマシである敵を使って、想定だけでは予想しきれない戦場の霧を観測する――そんな目的。

 特にアーセナル・コマンドによって、個人が大いなる力を持ち出したこの転換期において、机上の考察だけでは及ばない部分もある。

 あの【星の銀貨シュテルンターラー】の悲劇のように――。

 致命的に方向性の間違えた軍備が、世界が焼き尽くされるその日に判るというものでは、遅いのだ。

 そのために必要だった。


「だが……卿ら、【狩人連盟ハンターリメインズ】とやらは、それでも勝てるのだろう?」

『ま、そうだね。シミュレーションの限りはそうだって、彼は言ってたよ。多分大丈夫なんじゃないかな……知らないけど』


 肩を竦める少女は、他人事であった。


『ふ、ふ――それにまあ、僕がいるからね。最強たる僕だ。ついでにいうと、別に僕は【狩人連盟ハンターリメインズ】じゃないから……というかあんな紛い物と一緒にされても、失礼しちゃうな』

「それは、すまなかった」

『まあ、いいよ。許してあげるよ。僕は寛大だからね』


 それから数言を交わして、少女のホログラムもまた掻き消えた。

 それを眺めてから――……老獅子めいた男は、緩やかに背後を振り返る。

 音もなく入室した古典的ヴィクトリアンメイド服の白髪の女。血のような赤き瞳は、今は、どこまでも理知的な光を讃えていた。


「ご報告を。……どうやら、衛星軌道都市サテライトの外宇宙船団が地球圏に帰還しようとしているというのは、事実のようですわ」

「そうか。……あの戦争の亡霊まで、加わってくるか。誰も彼も一体、世をなんだと思っているのか――……」

「さて。私のような矮小な女には図りかねますわ」


 よくも言う、と彼も内心で眉を顰めた。

 おそらくはあの白き少女と同じ程度に腹の底が読めない女が――ある種の外宇宙的な神性とすら思えるのが、このメイド服の傭兵マレーン・ブレンネッセルだ。

 優秀な諜報員にして、稀有な戦力だ。

 その実力はそれこそメイジー・ブランシェットに比するであろうに――特にそれを格別に振りかざすこともなく、単なる傭兵として過ごしている。

 なんとも読めないものだが……ああ、と老獅子ヴェレルは口を開いた。


「卿の主人には、無事再会できたかね?」

「ええ。我が主はやはり我が主でした。よしんば私が世を焼こうとしても、それを質してくれる絶対の剣――世を焼き尽くせるだけの純粋なる暴力にして、秩序の首輪を持ったもの。……それはゾイスト様とてご存知では?」


 量るようなマレーンの視線に、彼は首を振り返した。


「詳しくは知らぬな。彼とは一度、治安維持行動で顔を合わせただけだ――……兵としては優秀とは、聞いているが」


 衛星軌道都市サテライトからの帰化学生に対しての、市民による武力を伴ったデモ運動。

 やがて【フィッチャーの鳥】の形成にも繋がるその運動の際に、アーセナル・コマンドにて強襲に備えていたのがハンス・グリム・グッドフェローだ。

 あとは星暦二一〇年、十二月二十四日のあの衛星軌道都市サテライト首脳陣陥落に伴う戦争終結から――翌年の五月一日まで続いた残党による反抗活動と最後の事件。

 その鎮圧で、自己の指揮下にいた。

 その程度の付き合いでしかない。

 ハンス・グリム・グッドフェロー大尉と、ヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将個人の間には、その程度の結び付きしかないのだ。


(グッドフェロー大佐……亡きヨーゼフよ。君の息子は、どんな男なのだろうかな)


 太陽のような男の息子の――あれだけの、都市部を焼き尽くす太陽の如き破壊を解き放った青年。

 ヴェレル・クノイスト・ゾイスト特務大将は一度目を閉じ、そして、改めてマレーンとの会話に戻った。

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