第38話 断絶たる剣への道、或いは破壊者にして思索家
そもそも、アーセナル・コマンドを成り立たせる
戦うために生まれたものでは、ない。
――
◇ ◆ ◇
ラッド大佐から差し出された右手を前に感じたのは、困惑だった。
まるで演劇の登場人物のようであるが――……生憎と自分たちの生きているここは演劇ではなく現実なのだと、最早何度になるか判らない意識と共におもむろに切り出した。
「まず二つ、いいだろうか」
そう前置きする。
そして、
「俺は剣ではなく人間だ。つまり、無機物ではなく有機物だ」
一つ目。
自分自身の機能性を指して剣と呼ぶことはあるが、別に本当に剣そのものになりたい訳ではない。
自分はあくまで人間であり、兵士である。
「そして王だが――……ここは民主主義都市国家だ。絶対王政でも、立憲君主制国家でもない。ここに王はいない」
制度でそれがあるというなら従ったであろうが、そうでないなら断らざるを得ない。
「付け加えるなら貴族はいるが……いや、これを貴官に語るのは釈迦に説法か。すまない」
かつての世の、名残のようなものだ。
国家というものが今のような形になるにあたって、その中で文化的な特色が残されようとした。貴族というのはある種のアイデンティティの確立であり、紛れもなくこの国家の――
とはいえ、中世や近世のように何か領地があるわけではない。それほどまでの特権も持たない。
ただ上院議員としての立法に関わる権威と、何よりも名誉であるという意味が強い。そのような考えの人間たちは未だに
(彼ほどにもなると、ますますそんな相手との交流も増えるだろう。……自然とそれに相応しい振る舞いができるように自分をそう向けるというのは、俺にも覚えがある)
ある種の知識人の層にとっては古典的文学を踏襲することは、一目置かれるという意味でも手早くその仲間と見做されるようになる手段としても有効だ。
彼のように他者との交流が多い職務ではそんな振る舞いが常態化し、常にそうするのが癖になる可能性はある。いちいち意識しなくても行えるように――……自分もそんな面はあるのでわかる。
そうだ。理想的な兵士という像に相応しい振る舞いとは、まさにそれだ。
加えるなら自分も芝居がかった言い回しをしたことはあるし、或いはそれを好む人物にも心当たりはある。
実際戦場では、兵士の鼓舞のためにも確かに力は持つのだ。連綿とした歴史の波の中で淘汰されずに今日までそれが残ったということは、何某か人間にとって心地よい何かの要素があるということである。
(……伝わっただろうか。せっかくのところ心苦しいのだが)
……無論、自分とて間抜けではない。彼のそれが比喩だというのは、十分に理解している。
その上で、先ほどのように言うしかない。
それは比喩ではあろうが、ともすれば現行の制度――というよりは軍規への反逆的な文言を意味しかねない危険がある。そんな意図はなくともそう受け取られかねないのだ。
故に直接的な指摘を避け、遠回しに伝えようと勘案した結果だ。
「俺には美辞麗句や、聖剣のような輝きや装飾は不要だ。ただの一兵士でしかない。……強いて言うなら、ただの剣だ。斬れればそれだけでいい」
盛り上がっているところになんだか申し訳ないな……とは思った。それでも、おそらく彼ならば通じるだろうと目線を向けてみる。
多少失礼な言い方になってしまったので、伝わっていないならもう少し言葉を続けるべきだろうかと思ったが――
「ふ、ふ、ふ……相変わらず……君も相変わらずの男じゃあないか、ハンス・グリム・グッドフェロー中尉……! 確かに君に対して、こんな誘い文句は不要だったな。ああ、君のような軍事的な合理性を突き詰めたような理想的兵士には」
「貴官の深い理解に感謝する。そして、訂正するとしたら俺は理想的な兵士でなくただの一兵士であり、大尉だ。……貴官らしくもない間違いだが」
「ははははは、そうだったな! 私らしくもない……そうとも、私らしくもない間違いだ!」
顔を抑えて、彼は高笑いしていた。
……いや、本当に伝わっているのだろうか。ひょっとしたら、嫌味に思われたりはしていないだろうか。
決して彼の心を傷付けたかった訳ではないのだと思っていれば――
「感謝するよ、大尉。確かに今の言葉は危険であったろう。私としたことが、つい足元を掬われるような言葉を言ってしまった。……感謝するよ」
「いや……伝わっていたようで助かった。貴官の高い自負と理念には賛同するし、そのような言葉を使う場面も必要だとは思うが……俺と貴官の間ならば、今までも特段の修飾は不要としていたかと思う」
「ああ――……そうだったよ。そうだったとも。私としたことが、誤ったということだ」
「人には間違いがある。……むしろ貴官のような完璧な男にも誤りがあるのは、却って親しみやすさにもなるかもしれない――……いや、すまない。貶める意図はない」
「いいとも。わかっているさ、君のことは。……そうだろう、抜身の刃――鉄のハンス?」
「過分な評価だ、ラッド・マウス大佐」
少し険悪になってしまうかと懸念したが、どうやらそんな気配はなさそうだ。
彼は鷹揚に肩を竦めて笑っていて、明確な敵愾心の発露はない。
怒っている人間は、何となく害意としてそれが身体に現れる――――怒りの匂いと言うべき無意識の重心の動きであったり、立ち振る舞いであったり。
特に
しかしそれにしても、水を指してしまった上で相手に気を使わせてしまったというのはどうにも罰が悪い。
何か話題の転換を……と思いつつ、辺りを――この近未来的な幻想感かつ殺風景なある種の格納庫を――見回して丁度いいそれが目に入った。
自分たちの立つリング状の漆黒の足場の、その中心に空いた虚のような空間の上に懸架された漆黒のアーセナル・コマンド。
世辞は苦手だ。
だから本心からの言葉となるのだが……
「……――いい機体だな」
「……何?」
「この機体だ。設計者の意図が伝わってくるようだ。……実際に使いこなせるかは判らないが、使いこなせたならば大きな力になる。使い手が相応の修練を積みさえすれば、あらゆる状況に対応できる……使い手の鍛錬を十分に発揮させようとしている機体とは、伝わってくる」
かつての世で知ったステルス機のように余分や無駄のないデザインの、黒を基調とした外見。
威容を放つ優れた機体だ。
おそらくは、各種の駆動系から出力系からして、相当なハイエンドの機体だろう。一騎当千というのも強ち間違いではなさそうだ。
よほど使い手に高い意識を求め、そしてその意識に寄り添おうとしている機体だと言うのは伝わってくる。まるで、設計者当人がその
「確かに……この機体を乗りこなせるものがいるなら、そんな鍛錬を積む
自分は専用機などはもう使う気もなくきっと無縁な代物になるだろうが……この機体が優れた機体だとは解る。
同じく、彼が説明した部隊のコンセプトというのも。
決して夢見がちな幻想ではなく、現実的な合理性と論理性に基づいている。それだけの圧力は、ある。
そう称賛すれば、白スーツのラッド・マウス大佐はその片頬を釣り上げた。
「ふ、ふ……
「いや……他の彼らのことまでは判らないが、俺は偶然、運と巡り合わせで生き残っただけの人間にすぎない。特別な意識も力も持ち合わせてはいないし――」
メイジーを筆頭に、彼らは人を超えた才を持つ。余人では行き着けない絶対的な才能。
対して自分にできているのは、人でなら至れるところに至っているというごく当たり前に突き詰めただけのものにすぎない。故に、特にそこへの過度の自負心や矜持はない。
だからこそ、プライドある人間の言葉としての代弁にはならないだろうが……。
「だがそれでも言わせて貰うなら、喜ぶべきことだろう。言祝ぐべきだ。強い味方が生まれれば、その分、被害は減る」
「……その味方が暴走するとしたら?」
「止めればいいだけだ。数が少なかったならそれも難しいが、多ければ、その分選択肢も増える。暴走への安全装置にもなるだろう」
そうすれば自分たち七人のように、接触禁止令が出されることもなくなる――。
警戒されるというのも、わかる。それだけの戦果を挙げてしまったということも。
それでも――彼らは人間だ。戦場に適応し、その才能を持っただけのただの人間だ。現実的な合理性は理解しているが、理念として、また人道として、差別的な取り扱いはされるべきではないと思う。
無論、その区別の必要性については理解している――だから、いつの日かという夢でしかないことも。
「俺たちは心まで鋼になった訳でも、身体が鉄と硝煙でできている訳でもない。苦しみ、悩む、そんなどこにでもいる人間にすぎない。……誰しもが」
メイジー・ブランシェットも。
マーガレット・ワイズマンも。
リーゼ・バーウッドも。
ロビン・ダンスフィードも。
アシュレイ・アイアンストーブも。
ヘイゼル・ホーリーホックも。
その誰もが、ただ、戦争に応ずるだけの――花開いてしまっただけの才がある人間に過ぎないと知っている。
心優しさを。
強さを。
嘆きを知っている。
彼らが何にも動じない神話的な英雄ではなく、己を奮い立たせた規範的な人間であると――知っている。
「こうした設計者のおかげで、そんな力の持ち主が増えるというのは……特別な力や立場がなくなっていくというのは……俺は、とても嬉しい」
軍人としての合理性な観点や視点を取り除いた目線で語るならば――。
本当にただ、その一面だけを見るというなら――。
ハンス・グリム・グッドフェローは、そんな人の歩みを、そこまで至るに積み重ねた人間の進歩と研鑽を、否定することはできなかった。むしろ肯定的だと言っても良い。
これで彼らが――傷も付く彼らが――過度に神聖視もされないならば、これほどまでに嬉しいこともないのだ。
無論、
「君は性善説がすぎるのではないか、グッドフェロー大尉? そうだろう? ……こんな力が世に多く増えるということは、つまり、それだけ世界が滅ぶ可能性が高くなるということだよ」
「……確かに。武力による均衡は、恐ろしいものだ。その使用者や命令者が暴走してしまったとき、それは、容易く世界を焼く火になる――……」
思い返されるのは、やはり、あの【
力を持った人間たちの、その個人性から生み出された災禍。世界をどこまでも焼く炎。
故に、自分たちには規律があった。
一つは――祈る者にして出題者であるマーガレットから課された、各人の兵士として――人としての使命。祈り。
そしてもう一つが、同士喰いの結束。
誰かが狂ってしまったその日には――必ず残る
核抑止論のようなものなのだろう。
およそ個人で都市部を焼き尽くせる暴力を、そしてそんな暴力を振るう個人さえも幾人も平らげてきた七匹の獣。
その抑制については――……或いは目の前のラッド・マウス大佐が語るような戦力の抑制については、核均衡のような形での制限しか思いつかない。
……実に難しい問題だ。
自分がかつて生きていた世界でも、それに対しての諸問題は一切解決せず、或いはその命題がさらなる問題を引き起こすこともあったのだから。
「それについては……本当に難しい話だ。とても――……生きている間には、その理想的な運用など、或いは正しい形など思い付きさえもしないのではないかと思う」
「……ふ、ふ。それこそ、君らしくもないのでは?」
「俺はただ、規範的な兵士であろうと……規範的な人間であろうとしているにすぎない。元となる規範がなければ、その参照もできない。……この問題については、俺自身が悩み続けるしかない」
どうすればいいのだろう――と、悩む。
きっと自分だけではない悩み。
かつての世から、そしてこちらの世から、解決しない悩み。人が武力を持つが故の問題。
核均衡などという幻想は、誰かがそのベールを剥ぎ取ろうとすれば簡単に崩れてしまう。均衡して成り立っていた筈の圧力それ自体が、瞬く間に世界全てを滅ぼす引き金となる。
おそらく、人類は。人類の進歩は。
きっと、使えるだけの武力に対して中身が追いついていない。
人類という種が成熟するよりも先に、人は世界を焼ける火を手にしてしまったのだ。プロメテウスが火を授けたその日から――大した進歩をするでもなく。そのまま。
だから、反対ではある。
そんな力が世に蔓延ってしまうことに、背筋が凍るような恐ろしさはある。明日にでもこの世界は崩れて、全てが焼き尽くされてしまうのではないか……と。
だが、
「現実的には……まだ、そこで妥協するしかないのだろう。おそらくは。それがどれほど危険な刃の上の平和だとしても……そこに留まるしかない。いや、留まらざるを得なくなってしまった」
「ふ、ふ……含蓄ある言葉じゃあないかね、
「……ああ。悩んでいる、ずっと……。こんな形でいいのか、と。こんなものでいいのか、と。俺はずっと悩み続けているが……」
有史から続いた武力とその理論へ、自分などの一市民が冴えた解決法など思いつく筈がない。
答えは出ない。未だ。
どうしたらいいのかという正解は――神の導きは、あまねくこの世に満ちる人々の元へと降りてはこない。
故に、
「そうせざるを得ないなら、そうするしかない。民意がそう望んでしまう……いや、人類という歴史そのものがそこにしか今は合意を置けないならば、俺はその選択を否定できない。おそらく――……それが理由で滅ぶかもしれないとしても」
「ほう?」
「嫌には決まっている。おぞましいことで恐ろしいことだ。だが……思想ではなく、ただ、そういう風でしか今の世の制度がどうにも成り立たないのなら……構造的にそうとしかなれないなら……最低限、その事実は認めねばならない」
構造的な宿痾と言うべきか。
それが恐ろしい、悪しく、改めるべきだとしても――強くそうするべきと認識をしているとしても、それとこれとは関係なくただ無情なる現実としてそこにはいる。
ただの冷たい事実で、ただの救いがたい真実。
無論、同時にこうとも言える――現実がそうだとしても、その是正を悩み続けるということにもまたそれとこれとは関係がない。
何とかできないという事実と、何とかしようとする努力の間には何の関係もないのだ。
「君は
「……聞いてはいる」
「ならば、その力は君のその命題にも解決策になるのではないか? 人と人が分かり合えると――精神的な接続によりそれが自明となる、というのは」
ラッド・マウス大佐ほどの男が真に受けているのは衝撃ではあるが、そのことに対して、自分が語るべきは一つしかない。
「人と人が分かり合えるのが理想――か」
一度区切り、
「俺は、そうは、思わない」
自分は、心の底からはっきりとそう言った。
言えば目の前の美丈夫は、実に興味深そうに片眉を上げていた。
「ほう? なぜかな?」
「分かり合えたところで――例えばお互いの真意がわかったところで、それが『決定的にお互いを殺そうとしている』という事実だったらどうなる? その行き着く果ては、どちらかの最終的な絶滅しかないという残酷な方程式の開示がされてしまうだけだ」
仮にある隣人とある隣人が互いに対しての理解をしたとして――。
そこでお互いへの決定的な負の感情を持っていると判ってしまったら、それが自明の理で決して覆らないと判ってしまったら、あとはもう殺し合いしか残っていないだろう。
「そうなれば、断絶は決定的になる……事実がそうなのだから。事実が判らなければ、ひょっとして相手はやめたがっているのかもしれないとか、まだ分かり合えるのかもしれないとか……そんな風に手を止めることもできる。完全に分かり合うというのは、そんな幻想を剥奪する行為だ」
そう告げれば、顎に手を当てたラッド・マウスはおもむろに口を開いた。
「そうとも限らないのではないかね? 相手もまた一個の感情を持つ人間だと、その感情を理解すれば想いを改めることもあるのでは?」
「……人は、自分自身のことも分からないというのにか? 俺は聞いたことがある――例えば自殺するというのは、死にたいのではなく、もうそれしか道がないからだと」
上司、同僚、部下――戦地で、或いは戦後に。或いはそれに限らず。
思うところあって調べたときに、学んでいた。
「調べたところによれば……彼らにも願いがある。だが、取れる解決策がいずれも実現不能で、或いは労力が大きく、とても自分がそれまでに耐えられない――……そうなったときにだから死ぬのだと、自殺にはそんな面もあるらしい」
自殺した傷病兵がいた。彼の遺書も見た。
身体が無くなってしまったこと自体への悔い、思うように動かない自分の身体への悔い、戦いでそうなったというのに十分な支援を受けられないことへの怒り、仕事につけないことへの怒り、戦地と違って軽んじられることへの怒り、老いた家族を養えないことへの怒り、介護への疲れ――。
彼は、その軽度のアルツハイマー病を患っていた老いた両親と共に自殺した。痛ましい事件だった。
全てを他者が解決できないにしても……。
傷病兵へと義肢を提供したり、十分な見舞い金や職業斡旋を行ったりすれば解決できたこともあったろう。それで、死という道を選ばずに済んだかもしれない。
死という選択は、全ての自由を奪われた人間の最後の抵抗であり、残された唯一の自由である――――。
そんな言葉もあるのだと聞く。
本当にただ心から死を望んでいるわけでなく、それは、一定数は適切なケアがあれば改善するというデータもあった。
無論、それでも他者にはどうしようもない意志もまたあるが……。
「その人間の心の『死にたい』は嘘ではない。だが、奥底の本当はあった『問題が全て解決するなら生きたい』という想いも嘘ではない。……どちらも真で、どちらも偽だ。そんな風に自分自身のことも分からないのに、一体何を分かり合えると言うんだ?」
だから、ハンス・グリム・グッドフェローはその夢物語に懐疑的であった。
他にも、理由はある。
「もう一つ。……相手が人間と知っていて、それを直視した上で、それでも殺せるという人間もいる。己の中で天秤の秤にかけて――そんな事実も目の当たりにした上で切り離して飲み込める人間が」
まさに己のような人間の場合――……という言葉を飲み込む。
つまり、だ。
分かり合ったところで、決定的に――夢想するほどに――世界は良くはならないのだと、そう思っている。自分は。
いや、ともすれば、
「だから、俺はこう言う。ある意味では――人は分かり合うべきではない」
その必要さえもない――むしろやめた方がいいとまで思っていた。
「平和を望む幻想を、平和を保とうとする幻想を取り除かない方がいい。幻想は、現実をこれだと確定しないからこそ生まれる。大切なのは、幻想のまま現実にするための制度であり、機構を設ける――その方がいい」
世の、他者は平和を望んでいるという幻想。
こちらと同様に、人は人を決して殺したい訳ではないのだという幻想。
もうやめたがっていると、ここでやめようとしているのだという幻想。
おそらく、それは、剥ぎ取るべきではないのだ。
「嘘を嘘にしたまま、現実は現実として動く――――その中に、分かり合えるという幻想が介入する余地などない」
だから。
ハンス・グリム・グッドフェローは、
そう答えれば、ラッド・マウス大佐は心底愉快そうに肩を揺らした。
「ふ、ふ……やはり君は残酷なまでの現実主義者だな。そして、徹底的に自己完結した超個人主義者だ。おそらくこの世界の意識の何もかもが混ざったとしても、君だけは自我を保ち続けられる――そんな不毀の剣」
過分な評価であると、そう思う。
自分はそこまで頑固でもなければ強靭な意志の持ち主ではない。
むしろあの己の怒りに象徴されるように、薄弱たる意志の持ち主だ。だからこそ、全ての場合において己を縛り続けようとしなければならないのだ――そうせねば道を外れるという懸念があるからこそ、だ。
そして付け加えるなら、
「それとは別に……信じたいのかもしれない。分かり合えずとも、『世界がそうなってしまうのは良くない』と……人は思いとどまれるのだと。或いはそれが無理だとしても、どこかに一人でもそう思う人間が出てくることを」
「ほう。……その一人に、背負わせるのかね?」
「いや――……そうしないためにも、自分がいるのだと思いたい。俺は、そんな状況を止めるために磨き続けているのだと」
そう頷き返し、それから改めて首を振った。
「誘いはありがたかったが、俺は兵士だ。個人の独断で配置を決める訳にもいかない。正式な辞令で任ぜされるのを待つだけだ」
彼の理想がその通りに働くならば、己には断る理由はないのだ――そんな意志を込めて敬礼をし、その場をあとにする。
声は、かからなかった。
帰り道、そのやりとりを反芻しながら、今日これから一日のうちにマーシュたちの元に帰れるのだろうか――と考えていた。
◇ ◆ ◇
そして、ハンス・グリム・グッドフェローが去ったその空虚なる空間で。
電脳に住まう竜の如く、その胎内であるかの如く。
幾条もの明滅光が漆黒の床壁を血脈じみて奔る格納庫に、少女のホログラムが浮かび上がった。
ここではない別所からの通信で形成されたホログラム。
満月めいた柔らかな月色の瞳と、穢れなき天使の翼めいた純白の長髪――――新雪の少女。
『あーあ、フラレちゃったね。まあ、当たり前だよね……そりゃあそうさ。だってほら、アレは、聖剣になんてなりはしないだろう? 純粋なただの暴力なんだから。ああ、キミはわかってなかったのかな――……ってそうか、仕方ないよね。だって唯一わかってあげられるのは、片割れたる僕だけなんだから』
少女の言葉にラッド・マウスは答えない。
そんな彼の様子を眺めつつ、少女は口を尖らせるように問いかけた。
『それにしてもさ、手を取らせてどうする気だったの? というか、何が狙い? 聖剣は比喩にしても、何かするつもりだったんだろう?』
「……何も」
『え?』
「何も。確認しただけだとも。私の知るハンス・グリム・グッドフェローならば、あんな甘言には惑わされず、私の手など取ることはない――……そう確認したのだ」
複雑に入り混じった感情の中、それでも彼――ラッド・マウスが浮かべる表情を敢えて分類するとしたら、好戦だろうか。
不倶戴天の敵を認め、しかし、そのことを厭わず――。
むしろ戦いへの歓喜とも呼べるような、押し込めた怒りと喜びがある。そんな表情ではあった。
一方の少女はそれに構わず、
『ええー……それ、必要? ああ、まあ、必要かぁ……仕方ないよね。いちいち言葉を交わさなきゃ彼をわかってあげられないなんて。まあ、大変だね。理解してる僕には逆に判らないことだけど。ほら、魂の片割れだし』
特に勝ち誇る必要もなく、事実であり揺るがせない至上命題のような声色でそう告げる。
眺めるラッド・マウス大佐の目は冷めていた。
いや、ほとんど侮蔑に近かった。
(理解してるだと? ……ふん。その時点で、何も判ってなどいない。あの男の本質を。何故、あの男が純粋たる世界を焼き尽くす暴力なのか――……それを理解をしているなどと嘯くことが、理解していない証左なのだ)
超越者気取りの愚物が、と彼は内心で吐き捨てる。
判った気になった相手など、これまで自分に対しても多くはいてそれを疎ましいと思ったが――他者が他者にそうしているのを見ると、こうも滑稽なのか。
いっそ自分にそんな目を向けてきた連中に対してもそう思ってやるべきだろうか、という戯れのような気持ちを懐きながら、
「……それで、ヘンリー・アイアンリングはどうかね?」
ふと、ラッド・マウスは口にした。
貴重――とは言えないが被験体の一人だ。集めようと思えばいくらでも集められるが、集めて有効に使えるかと言われるとやや疑問が残るものでもある。
そして、彼は自身の選択眼に自負を持っていた。
その、確認作業のような気持ちだった。
『ああ――ええと、なんだっけそれ。新入りだっけ? ええと、そうだね。手術は無事に成功だってさ……残念かい?』
「いや、別に構わんよ。設計した機体が無駄にならなくて済んだと思っただけだ。私も徒労というのは避けたいのだよ」
『どうせ徒労だと思うけどなぁ……だって僕一人がいれば全部どうにかなるんだからさ。そもそもが徒労だよ、そもそもが』
嘯くホログラムの純白の小娘を、ラッド・マウスは内心冷めた目で見る。
至高気取りの小娘。
あらゆることに天才的で彼女もまたアーセナル・コマンドの設計を行えるが――それは無粋で美学のないものだった。無駄も多い。最強気取りが笑わせる。
まあ、何はともあれ、
「あとは調整した学習型AIを脳の装置に収めることで、そのAIにヘンリー・アイアンリングというものを学習させる。そしてヘンリー・アイアンリングにそのAIを学習させ、徐々に相互に溶け合わせる――同一にして鏡写しの二重の人格に」
それがハンターという計画の要だ。
人間のようでいて機械的な、或いは機械的なようでいて人間な――そんな境界線の怪物。境界線にして、それを踏み越えた電脳の獣。
人間そのものを、完全なる意味で機械の部品とする。
その完成形――狩るために狩るという、至極のハンターを作り上げる。
「そしていつの日か人格など全てを削ぎ落としてしまえば、その本体の意識も電子化できよう。喜べ、アイアンリング特務中尉……一度で勝てなければ何度でも挑めばいいのだ。君が彼に勝てるなど、微塵も思ってなどいないが……無限の試行回数があれば、いつか勝てる日が来るかもしれんな」
人間性を捧げよ――――と、その鼠は嘯く。
「そうだろう? あの男を信じず、本質を見ようともせず、私の言葉に促されるまま、彼の発したただの言葉に縋りたがった君には――まさに似合いであり、君の望み通りの結末なのだよ。ふ、ふ……はははははは!」
その高笑いが止められることはなく、それは、そんな黒き竜の卵の内に響き続けた。
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