第37話 ハンス・グリム・グッドフェロー専用機、或いは……


 イエスが舟から上がられるとすぐに、穢れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。


 この人は墓場を住まいとしており、最早誰も、鎖を用いてさえ繋ぎ止めておくことはできなかった。


 これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、誰も彼を縛っておくことはできなかった。


 彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ち叩いたりしていた。



 穢れた霊――――名をレギオン。


 彼らは、群体レギオンであるそれ故に。



 ――マルコによる福音書 五章1-5節及び9節。



 ◇ ◆ ◇



 マグダレナの用意していた命令書は二通。

 もう一通目には、覚えのあるものだった。

 あの大戦の最中――幾度と受けた命令。規律違反の部隊へと差し向けられた追手としての己。

 まさしく黒の処刑人ブラックポーン――そんな己を求めていた声だった。


 それまで行っていた、反統一政府運動への対処は切り上げられた。

 勿論、どちらにしても、マグダレナがその手勢を単身で壊滅させてしまっており、そして自分と彼女の戦闘の余波により彼らの根拠地が物理的に壊滅してしまった以上は、しばらく敵も軍事行動も行えないだろう。

 そんな判断もあった。

 秘匿されていた他のアーセナル・コマンドやモッド・トルーパーも纏めて吹き飛ばしてしまったらしい。


 彼らの司令部にもなっていた地下の塹壕的な廃棄された鉄道線にも爆発の影響は及んでいたらしい。

 担当官はボヤいていた。

 申し訳ないことをした、と思う。

 粉塵となったガンジリウムの粒子がどの程度残留しているか不明のため、彼らもすぐには立ち入れないか、或いは防毒装備が必要となるらしい。


 ガンジリウムは特に被曝或いは他の放射性物質によるような症状を引き起こす物質ではない。

 だが、他の重金属の例に漏れず、多量の摂取には中毒性を伴う。生息四圏からは毒性重金属の指定を受けるものだ。

 事実、降り注いだ【星の銀貨シュテルンターラー】によって――そして微生物や魚など生態系を利用した生体濃縮によって――それを体内に摂取した人間に大規模な健康被害が発生したという事例もある。

 そういう意味でも、戦略級の兵器だった。


 そんなものの採掘を行うことになった衛星軌道都市サテライトの人々と、それにより住処を砕かれた保護高地都市ハイランドの人々。


 憎しみは――止まらないのかもしれない。終わらないのかもしれない。

 事実、前世の知識から、この戦役だけでなく戦いが続いていくことを知っていた。地球の生息四圏に巻き起こった戦の炎は、簡単に消えはしないのだ――自分の身の内の首輪付きの怒りの獣のように。


『御主人様、おそらく今の貴方なら理解できるかもしれませんが……アーセナル・コマンドに搭乗するにあたって、謳われる汎拡張的人間イグゼンプトの最大の特徴にして最低限の特徴が何かご存知でしょう?』


 自分を送り出したマグダレナの言葉がリフレインする。


『機体の無意識的な最適化の制御――つまりは、力場の最適化された展開も含まれる。ええ、《仮想装甲ゴーテル》のと言っていいでしょう』


 つまりあの機体は、穢れなき白鳥は、単なる平凡な人間を彼らに近付かせるための――無論それだけでは不十分であり完全なる再現とは呼べないが――技術の面もある。

 マグダレナは、そう言いたげだった。

 そして重要なのは、その次だ。


『細かな話は割愛しますが……貴方様の部下、シンデレラ・グレイマンは生きているかもしれません。……ともすると、


 そんな言葉がのしかかる。

 何故その機体が、汎拡張的人間イグゼンプトの能力の一部再現を担うような機体が、シンデレラの生存を意味するのか。

 例のAIによる人格再現と、その汎拡張的人間イグゼンプトとしての技能にどんな関わりがあるのか。

 その辺りには見当も付かない――いずれ明かされるだろうが――マグダレナは一礼して、質問を続けようとするこちらを尻目にまた別の任務に向かっていった。


 そして自分は、ある空中浮游都市ステーションにいた。

 いや――空中浮游都市ステーションではない。

 正しく言えば、これも飛行軍艦の一種だ。とても軍艦には見えず、光沢のない黒い卵としか思えない船だが……。

 大気圏内だけでなく、大気圏外での活動も可能とする船。

 自分を案内した女軍人は、そう説明していた。


 そしてその黒き山羊の卵の――電子回路でできたの肚の中のような施設を進む。

 周囲の黒壁をチラチラと走る蒼き明滅光のライン。

 電脳の血液ともいうようなその超未来的な施設の先の黒き大扉で、待ち受けていたのは一人の男。

 白いスーツ――その有能さと潔癖さを存分に表すような服を纏ったウェーブ髪の美丈夫。

 互いに敬礼を交わすと、その男は青い瞳を向け、変わらずのどこか芝居がかったような喋りで旧交を口にする。


「やあ、久しぶりじゃないか。ハンス・グリム・グッドフェロー中尉……いや、今は大尉かな。時が経つのは早いものだ。そう思わないかね?」

「ああ……貴官は、大佐になったのか。そうか。……流石と言う他ないな」

「ふ。……こんなものは飾りだとも。そうだろう? 肩にいくつ星を並べたところで、それは実力を表してはくれないのだよ。そう思わないかね、グッドフェロー中尉」


 肩を竦めて、かつて自分の作戦上の上官も勤めたこともある男――ラッド・マウスは、片笑いを浮かべた。


「一つ訂正を。俺は大尉だ。そして……貴官の意見を否定するつもりはないが、俺はそうは思わない」

「ほう?」

「それは、貴官が優れた指揮官という証だ――……前線の兵は常にそんな指揮官を求めている。その献身が報われる先を。正しく命を使って貰える、そんな相手を」

「……その口ぶり、君もそうだと聞こえるがね?」


 彼の言葉に、頷きで応じた。


「間違いはない。……兵士として口にしてはならないかもしれないが、以前、手酷い指揮官にあたった。もし、あの場に貴官が居てくれたらと――……そう思ってならない」


 あの艦長でなく。

 或いはラッド・マウスだったなら、ああも杜撰で民衆からも兵からも悪評で迎えられる作戦は行わなかったであろう。

 その、卒のなさというか。

 丁寧さ――周到さは認めているところだった。彼の元で働く際は、任務に集中できる。それ以外の些事はこちらでやっておくから、君たちは君たちの職務を果たしたまえ――そう告げるような手腕だ。

 まさしく、指揮官としては理想的だろう。

 その個人に対しては残念ながら特段の交流もないため、ありふれた程度の感情しか抱かないが、ただ、仕事面においては信頼に値する男であるとは思っていた。


「ふ、ふ……。英雄からの過分な評価は痛み入るよ……さて、君をここに呼んだのは他でもない――まさしくその【フィッチャーの鳥】の横暴と、そして、深刻な問題についてだ」


 彼もまた、マグダレナ同様に深刻な懸念への対処を行う側の人間だと――そう言った。

 単騎でこの世を滅ぼせると謳われる戦力の――いわば破滅的な天地終焉の魔剣たる七振りの――分裂と集中。

 その対応として、彼もまた、独自の命により動いているのだという。

 それが、と彼は言葉を区切り――そしてこちらに目掛け、静かにして強い意志を込めた瞳で告げた。


「私は、ハンターという部隊を組織したい。精鋭とは名ばかりに形骸化してしまった【フィッチャーの鳥】には、地球圏の防衛を任せるには荷が重い――特に今は、あのレッドフードもあちらに加わったのではないかという話もある」


 レッドフード――メイジー・ブランシェット。

 顔を合わせて名乗ったこともない、自分の名目上の婚約者。既に互いの両親共に亡く、形骸化した家と家の約束。

 年に一度二度、文通でだけ交流していたものでしかない少女――……それでも穏やかで心優しいと、十分に知っている少女。

 ラッド大佐の言葉が、半ば滑り落ちる。

 自分は、メイジーと戦えるのか。戦友とも言えない程度にしか機体越しに会話したことのない――しかし、大切な婚約者と。

 だが、


「そこで、だ。――【狩人連盟ハンターリメインズ】。私が新設するその特殊部隊の、その前線指揮官を君に頼みたいのだよ。ハンス・グリム・グッドフェロー大尉」


 強制的に現実に引き戻すような声色と共に、ラッド・マウス大佐は右手を差し出してくる。


「君に、私の右腕となって欲しい。――私の剣に」


 彼はただ飾り気なく、それでいて芝居的に、そんな提案をしてきた。



 ◇ ◆ ◇



 そして、白いフードを目深に被った影と黒いフードを被った壁めいた巨躯。

 美女と野獣というか、美女とゴーレムというか、美女と鉄人というか……あの大戦で中立を務めたが故に未だに色々な人々が行き交う空中浮游都市ステーションの、石畳の街並みの中でもそれは目立つ。

 だからまあ、必然的に人目の少ない路地裏を歩くしかない。

 歩きながら、ポツリと口を開いた。


「思ったんですけど、グライフさん」

「はっはっはっ、なんですかな。ミス・ブランシェ――」

「ちょっ、ちょっ、ちょっと!? 駄目ですってそれ! それは駄目です! 禁止! 禁止です!」

「あー…………ではミス・ブランカで」

「うわー安直だー」


 最早偽名とは言えないのでは?

 自分はユーレ・グライフとかいう偽名使ってた癖に。

 本名がイリヤー・ペトロヴィチ・ゴーリキーであることを考えるともうあんまりにも違うというのに。少しズルい気がする。


「で、どうして私たちはこんなところにいるのでしょうか」

「ええとそれは――まさかミス・ブランカが正面から『ちょっと休暇取ってきます!』とか言い出すとは思わず――」

「うぐっ」

「いくら名目上は監視基地の勤務と言ってもはっきり言って軟禁なのは誰の目から見ても明らかであるというのに、バカ正直に向かうとは思わず――」

「法治国家だと思ったんですよぉー……」


 法の理念は大事だって兄さんもハンスさんも言ってましたし……なんでそれが守られてないって思うんですか。

 口実だけでも守るべきだと思うんですよね本当。


「で、まあ、二人して追手を蹴散らしつつ偽造身分証でどこへ向かうかな……と思ったらミス・ブランカは彼に会いたいと言い出し――」

「ふぐっ」

「迎えに来ないならこちらから行ってやる、ぶん殴ってやる、でも会ったら美人になったとか言われないかなえへへどうしようそのままお姫様抱っことかされちゃったりしてそのままこれからハネムーンに行こっか子供は何十人欲しい男の子と女の子はどれぐらいがいいか五の倍数で答えてね誕生日過ぎちゃったけどプレゼントは私とか言っちゃったりしてごめんこういう女の子は駄目だったかなでもきっと好きになってもらえるように――」

「………………シテ、コロ……シテ」


 開放感で壊れていたのだ。許して。

 だってさあ……十二年間片想いですよ。十二年間婚約者ですよ。十二年間ってもう人生の半分以上婚約者ですからね。身体の半分は婚約者。もう過半数割れ……じゃなくて過半数超えでつまり殆ど結婚してるって言ってもいい状態ですよ。

 いやあ……会いたいじゃないですか。乙女としては。

 顔も見たいし。腹も殴りたいし。あと顔を見て――あっ、あのときの女の子がこんな美女になるなんて俺はなんて幸運なんだ世界一幸運だ結婚しよう今すぐに!――とか言われたい訳なんですよね、乙女は。

 ……はい。

 駄目だ。好きが抑えられない。しゅき。しゅきしゅき。会いたい。


「で、彼が属していた部隊を我がマッスルフレンズの力で探しまして――」

「ハイ、そーでした。また居なくなってました、ハンスさん。なんでぇ……?」

「ははっ、なんでと言われましても」

「そんなに私のこと嫌いなのかなあ……やっぱり重いのかなあ……人類で一番人殺しした女とか嫌かなあ……うん、私が嫌だからなぁ……嫌です、あうう……抱き締めてそれでも好きだよメイジーって言ってくださいよぉー……」

「おや、悪い方に入りましたね。いわゆるバッド・マッスル」

「マッスルじゃないですぅー……乙女ですー……」


 確かにだいぶ筋肉ついたけど。

 でも前より全体的に身体は引き締まるところは引き締まったし色々とすごく成長したしトータルで見ればマッスルじゃなくて乙女なんですよね。確定的に明らかですよそれは。

 最高に仕上がった乙女の美貌、是非ともお出ししようと思って彼が駐留していたという空中浮游都市ステーションストロンバーグまで来たというのに……。

 いない。

 いなかった。


「ううう……嫌われちゃったのかなぁ……好き好きアピールしすぎたかなぁ……うっとおしい女の子って思われちゃったかなぁ……」

「いえ全く奥ゆかしいかと。正直それで分かれという方が無理なくらいに」

「はあ!? そっ、そんなことはないですよ!? だって私――確かに言いましたし! 『貴方が近くに居れば安心して戦える』とか! 『二人なら世界を敵に回せると思います』とか! 『いっそこのまま逃げちゃいませんか』とか!」

「……………………」

「なんでそんな信じられないバカを見る目をしてるので?」

「おっと失敬! 正直者ですので!」


 マーガレットを思い出す奴だ。

 いい子だったなあ……一番の友達だった……。


「戦いの最中でないですか」

「はい」

「貴方が近くに居れば安心して戦えると言われても戦力評価としか思えませんが」

「ちっ、違いますよ! もっと二人で一緒に居たいよ――って、好き好き好きーって……こう、そういう気持ちを込めてですね……!」

「無理では」

「無理」

「無理です」

「無理」


 そんなことないと思うんだけどな。

 だいぶロマンチックな言葉だと思うんだけどなあ。


「撃墜数ランクの上位で対一〇〇〇〇機テンサウザンド・オーバーと言われているではないですか」

「はい」

「世界を敵に回せると言われてもただの事実なのでは?」

「ちっ、違いますよ! そこはこう……貴方と一緒に要られたらどんなものも怖くないんですよー好きですよーって!」

「無理では」

「無理」

「無理です」

「無理」


 そんなことないと思うんだけどな。

 映画やドラマの中だとだいぶ殺し文句になってると思うんだけどなあ。


「辛い戦いだったじゃないですか。不利な中での」

「はい」

「逃げたいと言われたら、ああそれほどまでに心が限界なのか……と思うだけでは?」

「そっ、それはまあ確かにそうでしたけど! そうでしたけど! そこはこう……手をとって二人でどこか遠くに行って穏やかに幸せに暮らしたいなー結婚しようーって!」

「無理では」

「無理」

「無理です」

「無理」


 そんなことないと思うんだけどな。

 すごい申し訳なさそうにしてたし、多分もう少し押せば連れ出して二人で一緒に暮らせたと思うんだけどな。


「あ、でも、好きとは伝えたんですよ! 好きとは!」

「ほう。どういうふうに?」

「貴方が……いえ、その、貴方の戦い方とか……一番好きですって……えへへ」

「……………………」

「なんでそんな信じられないバカを見る目をしてるので?」

「いえ筋肉が解説を求めていました」


 なんですか解説を求める筋肉って。

 おかしなこと言う人だなあ、この人。……いい人なんだけど。


「だって……こう、ハンスさん、必ず投降を呼びかけるんですよ?」

「有名ですね。死神の呼び声」

「ハンスさんは死神なんかじゃなーいーでーすー。やーさーしーいー人ですー」

「ええはい。知ってます。散々聞かされましたので」

「で、優しい人な訳じゃないですか。投降勧告してるの。自分が狙われながらも。撃たれながらも。危ないのに。そんなの本当に優しいじゃないですか、そんなの」

「ええはい」

「それが好きと言うのは……………………もう、優しい貴方が一番好きと言っているといっても過言ではないのでは?」

「……………………」

「なんでそんな信じられないバカを見る目をしてるので?」

「いえ筋肉が休暇をとっていました」


 なんですか休暇をとる筋肉って。

 本当におかしなこと言う人だなあ、この人。……いい人なんだけど。私がしっかりしないと。


「ところで……その、婚約していると……それを知っているとは告げられたので? そこが一番大事かと思いますが」

「ええと……言おうと思ったんですけど、ほら、そういうのって顔を合わせて言わなきゃ駄目じゃないですか?」

「……というと?」

「機体越しにプロポーズされても指輪出して貰えないんですよ!? えっ、あの、そんなことも判らないんですか!?」

「……………………ええはい、重要ですね」

「そうなんですよ、そうなんですよ! まず私が『婚約してるのは父から聞いています。ずっと会いたかったです。七歳から貴方のことが好きでした』って言うじゃないですか!」

「はい」

「もう結婚では?」

「……はい?」


 いや、もう結婚では? だってこっちが乗り気なんだし。


「だって、まあ、ちょっと父さんに聞いてみたんですよ? あの人だぁれって。そしたらそしたら、昔お互いの子供が生まれたら――って約束してたって言うじゃないですか! それで、ダメ元でやっぱりお願いできないかなーって聞いてみたんですよ! 父さんに!」

「はい」

「応えてくれたんですよ!? それ、私のことが好きですよね、ハンスさんは! あっちも一目惚れだと思うんです!」

「……はい?」

「で、兄さんからも聞いてるんですよ! 女の子からの誘いを、『俺には婚約者がいる。彼女を裏切れない』って断ってるって!」

「はい」

「なんですかそれ! んもー好きになっちゃうじゃないですかもっと! なんですかそれ! 身持ちがかたい! しゅき! ハンスさんしゅき! というかそれ、ハンスさんは私と結婚したいってことじゃないですか! だって完全に私一筋なんですよ!?」

「まあ、確かに……」

「もう結婚では?」

「………………………………」


 その時点だと確実に両思いだと思うし、仮に両思いじゃなくても結婚してから惚れさせられると思うんですよね。

 きっと。

 たぶん。

 そうだといいけど。

 いや判らないかぁ……急に自身なくなってきたな……でも、浮気をしない人だし……手紙のやり取りは楽しくやってたし、かなり居心地がいい関係には間違いなくなってたんですよね。……たぶん。

 アナトリアでそうと知らずに話したときも……なんか、こう、いい感じだったし……。

 じゃああとは、二人で手をとってゆっくり愛を育んでいきましょう――――なんて思ってしまうのは夢見がちなんですかね、これは。

 ……いやまあ。夢見がちになっても別にいいと思うんですよ。こんな現実なんだから少しくらい夢を見ても。いいじゃないですか。死後地獄行きなら現世で夢見ても。

 多分片想いだろうなーとは思ってるけど……。残念ながら。まだ意識はしてくれてないんだろうなーって。子供のままなんだろうなーって。

 でも……


「だからこそ会いたかったんですよ……ハンスさんに……」

「うわあ急に湿っぽい空気を出しましたね。はっはっはっ! なるほど、ギャップで彼を落としにかかる作戦だと!」

「作戦なんかじゃないですよ……会いたいんです……ずっと……あの日から……あんなに無理して戦って守ってくれた日からも……」

「うむ、ミス・ブランカ。その感じで行けば多分勝てますとも! 間違いなく抱き締めてくれる筈です!」

「そうかなぁ……助けが遅いって実は内心で怒ってないかなぁ……なんかずーっと怒ってる感じがするよぉ……」


 はあ、と肩を落とす。

 なんかそれもあって、そういうのもあって、どの面下げて会えばいいんだろう――みたいな気持ちも出てしまった。

 会いたいんだけど。

 機体越しにはやめて一度生身で挨拶しよう、とか一度ちゃんと話しましょうとか言い出せなかったのは……そういう理由なんかもあったりするのだ。

 向こうから、言ってくれないかなとか……少しは気にしてくれていたら言ってくれたりしないかなとか……自分らしくはないんだけど、なんか……。


「そ。……任務中? ええ、貴方のところの部下の彼女に聞いたわ。また忙しいのね。人気者で羨ましいわ。この間から、わざわざ電話の機会を設けてくれてありがとうというべきかしら?」


 ハンスさん禁断症状か。

 すれ違う街ゆく人の――同性から見ても魅了される美人だ――電話の通話相手の声さえ彼のものに聞こえる。


「…………どういう風の吹き回し? ええ、その、私は構わないけど。いえ、確かに……今まではそうね。わかったわ」


 何かいいことあったのだろうか。

 そんな美人なのにすごい勢いで力強くガッツポーズしていた。なんか闘志とかも感じる気がする。恋する乙女の無敵さってやつだろうか、あのオーラ。


「会いたいなぁ……どこにいるんですか、ねえ……」


 どんよりと肩を落とす。

 ゴーリキーさんは慰めるように背中を優しく叩いてくれた。



 ◇ ◆ ◇



 ラッド・マウス大佐のその右手は、特に応じる間も拒否する間もなく彼から打ち切られた。

 そのまま会話もなく超近未来的な廊下を進み、通されたその部屋に――格納庫にあったのは、漆黒のアーセナル・コマンドだった。

 リング状に周囲を囲んだ漆黒の足場の、その中心に空いた虚のような空間の上に懸架された人型の兵器。


 外見はさながらステルス機のように、余分や無駄のない機体だった。

 それでいて、どこか威容を放つような意匠も施されている。

 いわばあの第二世代型【黒騎士霊ダークソウル】の発展型。兵器的な実利――機能美と同時に、設計者の美意識が感じられるデザイン。

 空力学的なデザインの施された流線型に丸みを帯びた頭部――騎士兜には光学センサーとしてか、∨字を描くような横一文字スリット。

 そして特徴は、その後頭部のあたりから流れる闇めいた髪の如きワイヤーが幾筋も無数に流されていること。


 おそらくは、それは加速機を兼ねた稼働装甲だ。

 流体ガンジリウムを循環させるそのワイヤー状の装甲は、使い手の意思に応じて自在に稼働し、力場を自在に発現させる。

 細かな姿勢の制御から、咄嗟の戦闘機動。或いは全てを推力に振り切った加速や、反射的な防御を可能とする。


 彼の組織するハンターという部隊の、そのコンセプトの説明は受けた。


 そのそれぞれの専用機の基本的な素体となるベースの機体が、この機体なのだろう。

 流れ荒れ狂う闇の炎めいた長髪的なワイヤーは、おそらく、ハンス・グリム・グッドフェローの専用機であるカスタムの意味であろうが。

 各人の戦闘スタイルと、デザイン段階から機体を高度に融和させた専用機――それがハンターという部隊の根幹をなすコンセプトらしい。


「これで君は聖剣となる――民の希望の象徴に。光輝くこうであるべき秩序の輝き、その象徴に」


 専用機とは、つまり、旗印なのか。

 機体を背にしたラッド・マウス大佐が、実にその誇らしさを隠さずにこちらを見る。

 そして改めて、差し出される白いスーツのその右手。


「私と来たまえ、ハンス・グリム・グッドフェロー。君を、王たるものに相応しい聖剣として完成させようじゃないか」


 お前は祈りに応える剣となるのだと――彼の青い瞳は、そう告げているようだった。

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