第39話 ハンス・グリム・グッドフェローの長い一日、或いはダイハード


 戦いの終わったあの日――自分は明けの空にいた。


 衛星軌道都市サテライト連合のその主導都市群へと攻め込んだ友軍から伝えられたのは、敵首脳陣の内乱による死亡という呆気ない幕切れだった。

 コックピットモニターの向こうには、既に薄れ始めた立ち昇る黒煙と、地平が燃えるように暗夜を持ち上げる太陽の光。

 遠い光。

 終わりを告げる白き炎。

 始まりも炎なら、幕引きも炎だった。


 頭上の深き青い空の向こうでは、今、どんな声が上がっているのだろうか。


 勝鬨かちどきか、嘆きか。

 祈りか、安堵か。

 悲しみか、喜びか。


 判ってはいたが、宇宙そらは遠い。

 味方の声すらも届かないほどに。

 敵の言葉など、伝わらないぐらいに。


 願っても仕方のないことだったが……そも、願うことそれ自体がいつ以来だったろうか。

 流れていく空と地の境界には誰も居らず、何もない。

 敵も味方も。

 既に全てがもう――……死んでいた。

 戦いで。その終わりを聞くこともできずに。


 天に伸ばされるように果てた、突き出された金属の腕。数多の鋼鉄の遺骸。

 祈っていたのか。

 願っていたのか。

 彼らはもう、語りもしなかった。誰も、彼もが。


 機体を奔らせる。

 どこかへと飛びながら。

 果てなきものへと向かいながら。

 いっそこのまま何もかも終わってしまえばいいと――……静かに、そう思った。



 だが、終わらない。


 戦いは、未だ、終わらない。



 ◇ ◆ ◇



 ハンター部隊にいずれ属することになるだろうという少年たちと多少の会話はあったものの、特筆することもなく会合は終わりを告げた。

 ラッド・マウス大佐とその部隊の旗艦――黒い卵を後にし、再び足を踏み入れた中継地点の空中浮游都市ステーションは、まだ、平和そうな場所だった。

 同胞たる空中浮游都市ステーションマウント・ゴッケールリの悲劇に胸を痛めているものの、或いは緊張はあるものの、まだ、自分たちが主戦場になる可能性に意識はないらしい。

 戦後にかつての衛星通信網や地上通信網などに替わった通信インフラの基盤となった浮遊電波塔の、その開発企業オニムラ・インダストリー・グループの整備工場があるというその都市はどこかのどかだ。


 視界の遠く向こうに立ち並んだ工場施設と、反するような牧歌的な畑と農道の光景。

 そういうコンセプトの都市らしい。

 スローライフ。

 空中浮游都市ステーションはしばしばあのマウント・ゴッケールリのように、大きな企業がその設計の方向性の企図を行い、そして管理し、景観を整える。


 一方で現代的な工場での製造業とは、何とも奇妙な組み合わせにも思えた。

 だが、そこで暮らす人々は当然ながら違和感なく暮らしている。笑顔も多い。しみじみと微笑ましい気持ちになる。

 或いは彼らの中にも、そんな場所を出て別の都市で暮らしたいと願う人間たちもいるのだろうか。


 いる……だろうな、とは思う。


 前世では人の流動性が高い都市部の生まれだったから特に気にしたことはなかったが、この星暦せいれきという時代にはどこか閉塞感を伴っていた。

 人類の生息地の限定は、ある種で閉じ込められた檻のように息苦しさを伴うものだったのだ。

 今や資源衛星となったB7Rによって、二つになった衛星のその潮汐力によって地球の環境は激変した。

 一つは潮の流れや満ち引きの変化。

 もう一つは内部対流、つまりマグマの流動の変化。


 宇宙開発には、そんな背景がある。


 保護高地都市ハイランドは当然、海流の影響と噴火の影響を受けない地点に限られている。

 空中浮游都市ステーションは必然、天を半円ドームに覆われた区切りのある空の下に暮らしている。

 海上遊弋都市フロートは海という立ち歩くこともできない環境に浮かんだ自律稼働する人工の島で、衛星軌道都市ステーションに至っては周囲を真空という死と断絶に囲まれている。


 どこも、人は、囲まれている。限られている。

 その鬱屈とした感覚が、おそらくどこか破滅的な凶暴性に繋がる要因もあったのではないかと思う。

 檻の中の豚や、蝗の群生相のようなものだ。


 元々が地上に発生したその時から、世界各地に散らばるようになった人間は――その生物としての成立の過程で、多かれ少なかれ無意識的に広がっていくことへの心地よさも持っている。

 定住し安堵することも人間の性質なら、果てを目指して進んでいくことも人類種の性格だ。

 だから――……多分、だから、漠然と旅行することを考えたときにどこか郷愁的な想いを抱くというのは、それが、ある種で人間の故郷のようなものだからだろう。


 何かに疲れたときにどこか遠くへ行きたくなるのは、逃避という生物的な生存に対する本能が齎す安心と同時に、ある種の故郷帰りのようなものもあるのかもしれない。

 旅は、人類種にとっての遠い故郷でもあるのだ。きっと。

 ふと、どこかに行きたくなることがある。自分も。ここではないどこかに――……連綿とした人類の至上命題。


 それでも――それだから――以前、人々はある程度の観光や交流などをしようとしていて、特に比較的どこからでも接続しやすい空中浮游都市ステーションには、観光地的な側面もあった。

 かつての大戦で中立を保てたのも、そんな理由もあったのかもしれない。

 勿論、あまりにも脆弱だという理由もある。

 それに備えた避難訓練や緊急対応もあるものの、都市の耐圧ドームを砕いてしまえば容易く都市部を壊滅させられるであろうし、また、撃ち落としてしまえば基本的に助かりようがない。

 だからこそ、見逃されたというのもあるのだろう――脅威足りえず、かつ、接収しようと武力侵攻したところでまるごと全滅する可能性が高いのだから。


(……という風な話をしたら、『長い』と言われたな。マーシュに)


 やはりどうにも自分は冗長かつ詳細に喋りすぎるきらいがあるな、と自認する。

 古い考えであることは判っているが、男子たるものあまりクドクドと話さない方が何となくいいように思えて……だからこそ、こんな自分の面は少々恥ずかしさのあるものだ。


 煮え切らない思索家シンカー


 彼女から、度々言われる言葉だ。まさしく自分は何事の大にも小にも考えすぎてしまうところがあり、それ故に無駄に話が長くなる傾向にあるのだろう。

 そういう意味で、軍隊的な端切明瞭な言葉遣いというのは心地のいいものだった。

 話過ぎていないかと余計に悩む心配もなく、必要なことだけを告げられる。そして、口に出さないその分は内心での思索に向けられる。

 何とも自分の人間性とは真逆のようであるが、それが逆説的に心地良いのだ。


(何かお土産を買っていこうか。何がいいだろうか。……何がいいかな)


 気遣いのできる社会人として。

 ちゃんと付き合いのできる人間として。

 やはりこういう出張のときはお土産を用意できる人間になるべきだな、と頷く。


 という訳でまずは折角なので何か美味しいものでも食べよう。


 意外なことに人間の身体でカロリーを使うのは、一位が筋肉ではなく脳と肝臓だ。

 つまり思索家シンカー――ずっと耐えずに脳を働かしている自分は、いっぱいご飯を食べてもいいのだ。幸せ。

 そう、お土産に何がいいか考えるためにもカロリーは必要なのだ。故にこれは無駄遣いではない。マーシュに咎められる所以はない。これは必要な犠牲であり正当なる作戦の代償である。

 とてとてと食事処を探して田舎道を歩く。

 最近ずっと暗いことを考えてばかりなので、少し息抜きをするのもいいかもしれない。

 まあ、急がなくても明日までには戻れるだろう。

 そうなれば彼女との埋め合わせの食事の約束にも遅れない。完璧で綿密なスケジュールである。まさしく兵隊としての本領発揮なのだ。



 ……で。


「いいか、おかしな真似をするんじゃねえぞ! この機体は、おれたちが占拠した!」


 碌な食事処も見付からず、仕方なく機内食を楽しみに乗り込んだ客員輸送機――つまり飛行機の中で、銃を片手にがなりたてる目出し帽の男。

 それも複数。

 どう見てもテロ。

 今どき。西暦でもほぼやってないようなハイジャックを。この時代に。


 なんでこうなるんだろう。

 お腹減った。たすけて。



 ◇ ◆ ◇



 言うまでもなくハイジャックは、テロの中で、最も愚かしい行為だ。

 身代金誘拐それ自体も成功率が低いというのに、それに輪をかけたような難易度を誇る。

 まず、武器の持ち込みが難しい。

 続いて、燃料や滑走場所の関係から航空機の移動の自由度は低い。

 そして、そんなことをして提案などしても――よほど弱腰かつ愚かで軍事的な才能がない政府以外は――交渉が上手くいくこともない。


 結果として、労力をかけたわりには最終的に特殊部隊の突入と鎮圧で幕切れするというのが世の常である。

 その際には、少なくない程度に、民間人の犠牲も伴って。

 ……損害を与えるという意味ならば、ある意味有効かもしれない。ただそれならば、離陸直後の航空機を撃ち抜く方が容易いのでやはり単体ではあまり意味はない。

 最早今日では、本当にそんなことをする奴がいるのか――という領域に達している。

 だが、


「おい、その格好……お前軍人だな? くれぐれもヒーロー気取りの真似をするんじゃねえぞ。そうしたら、どうなるか分かってんだろうな!」


 本当にそれをやってしまったうちの目出し帽のうち一人が、通路側の席に座ったこちらを、拳銃を片手に真横の通路上から怒鳴りつけてくる。

 隣をチラと見る。子供と、母親だ。

 少年は不安そうにこちらを眺めていて――……ああ、と思った。きっと楽しみにしていた彼らの旅行は、こんな形で損なわれてしまったのだ。

 何とも忸怩たる思いが腹の内から溢れてくるようで――すぐさまに、それを切り替える。


「おい、お前聞いてんのか! いいか、お前がおかしな真似をしたら――」

「どうなる、だと?」


 言葉を区切り、言う。


「貴官が死ぬ――……だろうか」

「――――、は?」

「おそらく飛行中に仕掛ける以上は、万一に備えて酸素マスクなどの対高高度装備もあることだろう。いざとなれば撃墜や墜落などが起きても問題ないように……その程度の備えはしている筈だ」


 その膨らんだジャケットの下は耐圧服か。

 マスクも懐に隠しているようで、そのような……つまり抵抗に遭ってやむなく撃墜する際の備えもしているらしい。

 何故こうも簡単に機内にそれを持ち込めたか疑問は残るが……まあ、それはいい。


「発砲した場合、こちらの身体を貫通した弾丸によって機体は損傷し、内外の気圧差によりすぐにその穴から内部のエアーが抜けていくことになるが……俺が大人しく、貴様などにマスクをつけさせると思うか?」


 座席に座ったまま、ゆっくりと、目出し帽から出た相手の目を見詰めた。


「最低でも、貴官は死ぬ。道連れに。……その覚悟があるならばやるがいい」


 テロリストと交渉をする気はないが、この程度の通牒ならば必要経費の内だろうと内心での頷く。

 見るに、相手はたじろいでいるようだった。

 言葉の効果はあったと見るべきか。


「何、言ってやがる……」

「何とは。簡単な方程式についてだったが……いや、失礼した。貴官が死を恐れることを前提に話していた。崇高な理念の下の活動だというなら、そんなことは覚悟の上の筈だったな。申し訳ない」

「てっ、てめ――てめえッ! 立てっ! てめえ!」


 男が目を血走らせて、口角に泡を浮かべて叫んだ。

 その仲間たちも、他の乗客もこちらに注目していた。

 立ち上がりながら、チラと数を数える――最低、テロリストは四人。乗客の表情を見るに、どうやら乗客の中に彼らの仲間はいないらしい。戸惑いと心配、恐怖が浮かんでいる。


「てめえ、いいかっ、よく聞け! オレたちは――」

「質問があるのだが、いいだろうか」


 思考を回すための時間稼ぎになるか。

 元来、喋りながら別のことを考えるのはそれほど得意ではないが――こんな状況だからこそ、頭はよく回った。


「何故、わざわざ俺を起立させた? 相手の抵抗の可能性を考えれば、着席させたままの方が有利だ。貴官にはよほどの自信があるのだろうか。一見、こちらからは到底そうとは見えないのだが……」

「――、――――」

「いや、つまらない質問だったな。会話を続けてくれ。失礼した」


 男が何度も銃を突きつけながら何か怒鳴りつけているが、その手の動きにだけ注目しつつ思案する。


(どうするか。銃を奪って、目に見える範囲の敵全員を撃ち殺すか。……可能だが敵の肉体を抜けたあとの跳弾の危険を考慮すれば、どうにも避けたいところだ)


 敵を二・三人射線を重ねるような形で撃てば、弾丸を体内に抑えられるだろうか。

 或いは防弾装備をつけていてくれた方がやりやすい。至近距離で銃撃を加え続け、防弾しても殺しきれない衝撃力により骨を破砕して戦闘不能にする。

 また、万一貫通したとしても、体の逆側の装備のおかげで弾が外部に出ることは避けられるだろう。

 それとも……。

 まずこの一人の首を折り、その死体を盾として使うべきだろうか。防弾装備をしているなら、これも有効だ。問題があるとしたら、他の人間の射撃の腕が良ければいいが……そうでない場合は流れ弾を生む。

 あまりまともな訓練を受けた兵には見えない。

 所詮は、武器を持って自分が加害者側――支配側に立てたとのぼせ上がっただけの、よくいる暴徒の類いだ。労せず全員を処理できるだろう。そこは脅威ではない。

 ……ただ、子供の近くであまり派手な殺しは避けたかった。少なくとも、死体を見せることは。


 まだ何かを言っている男の目の首の辺りを見ながら、周辺視で腕の動きに注目する。

 いつでも行動は可能だ。そして、きっと仕掛けるのはここが良い。

 この敵は何らかの企図を以って、そしてその利のためにここで行動を起こした――今この瞬間に航空機を制圧したのは、彼らのその後取ろうとしている行動を考えても、そして行為の容易さという観点からも妥当だったからこそ、このタイミングなのだろう。

 つまりは――この段階でこちらが横合いから殴り付けるのは、敵の作戦にとって予想し得ない最大の痛打となる。


(……少々、心苦しいが)


 銃を奪って、そのまま止めを刺すか。

 そう決意した瞬間だった。


「……あーーーーー」


 急遽、前の方の座席から立ち上がった青髪の男。

 その片手には、座席に備えられていたゴシップ雑誌。

 不遜さを表すように刺々しく外に跳ねた青色の髪と、対象的に赤いレザーのジャケット。そして、あまりに大仰な有線ヘッドフォン――高級品。

 前時代的クラシカルなそれを未だに好むのは、よほど些細な音質の違いを気にする人間のみだ――ある種の神経質さ/芸術家気質。

 そして起立した男に合わせて、そのヘッドフォンのジャックが可搬型デバイスから抜けて――突如として強烈な爆音が機内に解き放たれた。


 退廃的でいながら、速度と硬質さを感じさせる破滅的な暴力じみた音楽――――聞き覚えがある、音。

 こちらの行動によって神経質になっていたテロリストの一人が、そんなふうに神経を苛立たせる男へと拳銃を突きつけた。

 それに対して返される――どこまでも居丈高な男の声。


「オレとしちゃあ有り難いが、もう三ミリ下向きの方がいいぜ。それじゃあ当たらねえ。……いや、どのみち無理か。テメェら皆ド下手クソそうだもんな。じゃなきゃ、まともな仕事にでもついてら。ヒマでバカでつぶしが利かねえからこんなマヌケ丸出しのカスみてーなことしかできねえんだろ?」


 その鋭利な眼鏡の銀のフレームを押し上げて、鼻で笑い飛ばす――あからさまな挑発だった。

 答えは、銃声だった。

 咄嗟に隣の席の親子に覆い被さる――だが、


「ぎゃっ!?」


 何たることか。

 悲鳴を上げ、そしてその首から血を流して倒れたのは、こちらの隣に立っていた男だった。

 跳弾。

 放たれた弾丸は奇跡的に機内を駆け回り、壁を貫いて最悪の破壊を齎すことすらなく、その仲間の男への致命的な同士討ちになった。

 いや――……何たることかという言葉は、正しくは、更にその次に起きたことに向けて言うべきだったのだろう。


「どーも。丁度その曲が聞きたかった」


 勢いよく機内に散った雑誌と、そして変更された楽曲。

 こちらに流れてきた雑誌の欠片のページには、頭を撃ち抜かれた男の写真――あの、五番艦アトム・ハート・マザーの艦長。

 衝撃は留まらない。

 何と言えばいいのだろう。

 放たれた弾丸は、その青髪の男が手に持っていた雑誌を穿ち――それも的確に例の艦長の顔を――機内を跳ね返り、テロリストの一人の首を貫き、更には最後にほとんど勢いが失われた状態で、青髪の男の可搬デバイスの次の楽曲送りのアイコンをタップした。

 最早、神がそう仕向けたとしか思えない超精密的な奇跡。

 そして、その御業はそれだけに留まらなかった。


「あと、そうだな。……頭が高いぜ、お前」


 青髪の男が銀のアクセサリーをじゃらつかせながら踏み出した一歩。

 その威圧感と、そして、偶発的な外の気流による機内の揺れ。

 二つが奇跡的に組み合わさり――何たることか。テロリストの一人は己から両膝をついて、あたかも男に対して拳銃を差し出した形になったではないか。

 労せず男はそれを受け取り、そして、


「ハッ、クソなりにはいい子だ。バカ愚民はバカ愚民らしくてそれでいい。……んで、っと」


 テロリストの胸元に備えられた手榴弾も掴み取る。

 そして――またもや何たることだろうか。ピンを抜いて、ごく平然と前方目掛けて下手投げを行った。

 暴挙だ。

 自殺だ。

 通常ならば、もう、ここで、機内の乗客全員の運命は決していただろう――、だ。


 流れる爆音を塗り潰すような爆轟が、一つ。


 そして――頭を抱えた乗客たちの中、まるで揺るがずに王の如く――或いは城壁の如く君臨する仁王立ちの男。

 漂う火薬の匂い。

 頬を打った爆風が生み出した疾風。

 だが――


「ハッ、Jackpot大当たりだ。地獄で景品用意してな。……おい、バカ犬」


 何事もないように彼から後ろ手で放られた拳銃を、こちらも掴み取る。

 煙が晴れた後に、改めて啞然とする。

 穿


 奇跡的――そう、奇跡的だ。


 当人曰く、計算と経験と勘。

 それらが可能とする、とも呼べる御業。

 破裂させたミサイルの破片で敵の弾丸から己を、仲間を、民間人を守る不壊の城塞ヘッジホッグ

 決して退かず、揺るがず、媚びず、譲らず、顧みない無敵の城壁。『ただ前へと進めキープ・フォワード』を信条とした不退転の突撃狙撃兵にして爆破芸術家。戦場音楽家。

 機体でできるならば生身でできぬ理由はなしと、今まさに眼前でその即興演奏を行った傲岸不遜な絶対覇者。

 黒の始末人ブラックルーク――


「ロビン、いや、貴官がどうして……いや……何から聞いていいのか……いや……」


 ――第四位の制圧者ダブルオーフォー、ロビン・ダンスフィード。


 何度見ても信じられない。

 宴会芸の一つだとして、投じた手榴弾のその破片を以って周囲を囲んだ七本のペットボトルを傷付けることなく蓋を空けたあの時と変わらない。

 曰く――持てば内部の火薬の偏りが判る。曰く――装甲の製造の癖も判る。壊れやすさも判る。

 曰く――あとは計算と、勘で十分。

 ヘイゼルと互いに張り合いながらも目の前で行われた神業のその時から、何も変わっていない婆沙羅バサラ者のその姿。


「あ? 休暇中だよ。なんか文句あんのか? クソそのものみたいに疲れるんだよ、テスパイってのは。……テメェこそなんでこんなとこに居やがる。くだらねえ虐殺も止められねえでよ。どのクソ面下げて街歩いてんだ」

「……」

「ったく、辛気臭え顔すんなやバカ犬。テメーよりも死んだ連中の方が何倍もツレェんだぜ?」

「……承知している」

「オーケー、んじゃ行くか。お前もいつも通りだ。残り全部さっさと片付けるぞ? コンサートに間に合わなくなっちまう」


 失踪とマグダレナから告げられた筈の彼は平然と休暇だと言い放ち、そして何事もなかったかのように瀕死のテロリストから爆発物を押収して通路を進む。

 こちらも、拳銃だけでなくナイフを手にして――……また、その背を追う。


 ……その後の顛末を語る必要があるだろうか?


 残るテロリスト十二名は壊滅した。

 機内の乗客に怪我はなく、そして、機体のその内壁が破壊されることもなく事件は制圧された。

 当然――とも言える終わりだった。


「まさか、パイロットがテロリストの側だとはな……」

「あー、聞くぜ。よく聞く。身代金目的とか人質とっての交渉とかじゃねえんだよ。ここの人間そのものが、ミサイルのクソ弾一発一発と変わらねえ資源だ」

「なるほど……脊椎接続アーセナルリンクの手術を行って、駆動者リンカーに仕立て上げるつもりか」

「あと、ついでに保険会社から金もな。いい商売だぜ。乗ってるヤツの中には、身内から消されそうな奴もいるんだろうよ。それらもまとめて請け負って、始末をつけるってな」


 操縦席の二名も超精密爆殺したロビンが、吐き捨てるように眼鏡を押し上げて言った。

 何とも、こちらとしても反吐が出そうな醜悪なビジネスだったが――……それは、今は、いい。

 乗客たちを安心させようと、通信を入れようとしたその時だった。


『こちら受取籠カーゴ。状況はどうだ? 通信に応答がないが……』


 血染めのレーダーに表示された光点。

 すぐさまに機首の向こうに――コックピットの防風ガラスのそのあちら側に浮かんだ巨大な人影。

 雲の中から現れ、並走じみて真横を飛ぶ白いアーセナル・コマンド。

 第一・五世代型の火吹き竜フュルドラカの改修型だろうか。

 二本のアンテナ――角が飛び出し、独特の竜めいた意匠を持つ頭部。鱗じみた爆発反応装甲板がほぼ見られないのは、それが、破棄された機体の回収品だからだろうか。

 鱗のない白き竜とも呼べるそれ。

 人間を浚い、改造を施すその悪竜に――しかしこちらに対抗手段はない。まさしく、生身で挑みかかる竜ほどの彼我の差。


(大人しく従って、その後に敵根拠地の内部から破壊するしかないか……)


 こちらが絶望の中で選択肢を弾き出す、その時だった。


「落とすか、アレ。……クソ目障りな図体しやがって」


 なんて?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る