第35話 破壊者VS千両役者、或いは苦悩する灰色の脳

 勝利が求められていたのは、ウルヴス・グレイコート――マクシミリアンとて理解していた。


 連日流れるニュースは、空中浮游都市ステーションマウント・ゴッケールリでの悲劇は、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の非道を謳い、【フィッチャーの鳥】の正当性を説くものだ。

 こちらも非難声明を出したが、果たして、どこまで受け入れられているかは謎だ。

 ただ、間違いなく【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の内部では聖なる怒りによって【フィッチャーの鳥】へと対抗する意識は醸成された。自分たちはここで立ち上がるのだと。

 そして多くの人々は、どちらにも加担することなく、或いは保護高地都市ハイランド連盟そのものへの抵抗運動として戦いに身を投じていた。

 本心からするもの――便乗的にするものなど、様々だ。

 結果的に見れば、それは、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に利するものとなった。


 だが――と、マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートは考える。

 長期的には生息四圏全てに対する不利益だった。これでは【フィッチャーの鳥】の暴虐を防いだあとも、戦乱は終わらない。どころか拡大の危険もあり、或いは第二第三の彼らを生み出す土壌ともなる。

 決定的な人々の分断を防ぐべく生まれた【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の理念は、その多くが損なわれた。


 どんな結果に終わるにせよ、この先の世界において最も利を得るのは――間違いなく傭兵であろう。


 その地獄の絵図を描いたのは、ギャスコニー神父。

 そして哀れにして愚かなる狼気取りの白痴で残虐な羊がその贄として見事に壇上に上がり、得意げなままに祭壇に捧げられた。

 祭壇――血と煙からなる戦場の狂気。

 真っ当な職務遂行の意思を持っていた兵士も、遠からずそれに呑まれる。同じ人間を虐殺するという行為に人は正常ではいられない。

 即ちは――己の特権階級化。

 自分たちは彼らより優れているから、或いは自分たちと彼らは似て非なる存在だから、彼らは劣っていて悪い奴らだから――……そんなエクスキューズにより、殺人を犯してしまったストレスにラベルを貼る。

 それは、正しき行いなのだと。


(……予期はできたことだ。だが……)


 ギャスコニーの登用に当たって、その契約には条項を設けた。

 即ち、有事平時を問わずに民間人への暴力行為の禁止と、かつての大戦を判例とした戦争犯罪の禁止。

 【フィッチャーの鳥】と異なり、だと人々に伝えるためのイメージ戦略の一つ。確かにあの神父は、そこは守った。だが……。

 こちらに合流した海上遊弋都市フロートの義勇兵を抱き込み、例の都市部の少女に武装を横流しし――。

 デモに向かう市民たちへの協力として、モッド・トルーパーを提供した。いざとなれば、自衛すべきだと。


 そのデモの絵図さえも仕組んでいたのはギャスコニーであり、また、あえて【フィッチャーの鳥】に情報を漏洩させたのも彼だ。

 そして功名心から無能の指揮官は、極秘裏に運び込まれていると偽られたモッド・トルーパーを呼び出すために、市街地の歴史的建造物に対して発砲を行った。

 図抜けた白痴と、悪辣なる嗜虐者が組み合わさった結果があの地獄だ。

 マクシミリアンがシンデレラ・グレイマンと交流した高台の公園も、その屋台も、何もかもが燃えていた。あれほどまでに生きていた人々の多くは――その命が奪われた。


 それには――シンデレラ・グレイマンも含まれる。


第八位の潜伏者ダブルオーエイト……以前とは変わったな。或いは、彼も戦争によって変えられてしまったか……それとも、強いたか)


 徹底して女性は殺さない伊達男だった。かつての交戦経験では、そう聞いていた。実際に見もした。

 そして捕虜の取り扱いにも極めて人道的な男で――これは彼だけでなく黒衣の七人ブラックパレード全員に言えることだが――私刑を働こうとする自軍から、たった一人で敵軍の将校を守ろうとしたという逸話もあるほど。

 彼らは戦争においても人の心を失わない、そんな人間たちだった。

 その中心となったマーガレット・ワイズマンの、貴族主義的なノーブリス・オブリージュ――その体現であった。


 だが、それも、損なわれた。

 敵の善意に期待するのは、指揮官としては三流だ。

 それでも自分の妹に似た少女が【フィッチャーの鳥】の暴虐に加担させられることを防ぎたい気持ちであり、また、家族とも再会をさせてやりたかった。

 ……最悪その願いが外れても『第二のレッドフードを作り失態を帳消しにする』という彼らの目論見を挫くという、将としての合理的の履行は行った。

 その上で、彼女が合流できないとしても、どうにかシンデレラ・グレイマンも生存させられればと勘案して――結果がこれだ。


 随分と錆び付いたものだ。

 敵の人間性すらも策に盛り込む狼の鼻と称された自分の鼻は――もうあの戦争の血と硝煙で鈍りきってしまったのだろうか。

 市民に脊椎接続アーセナルリンク手術を起案して徹底的な市街地戦を行おうとした、民族全てを巻き込んで終わらぬ血と死の闘争を行おうとした――そしてそれを時間稼ぎに己たちは身分を偽って中立地帯へと逃げようとしていた衛星軌道都市サテライトの首脳陣を吹き飛ばして戦争を集結させたときに、狼としての己は死んだらしい。

 それでも――そんな自分でも、まだ崇高な理念のために戦わせてくれる少女がいた。

 決定的な分断を避けるのだと、そう呼びかけて自分の力を求めてくれた少女が。


(……我が終生の友、ハンス。何故、君はまだそちらにいるのだ。……そのままでは君はいずれ世界を焼いてしまう。私には、そうとしか思えないのだ)


 無理矢理に攫いに行けば、応じてくれるだろうか。

 分断を良しとしてはならないと――そんな理念を説けば、彼はきっと真摯に受け止めてくれる。おそらく、今まで見た人間全ての中でも――彼のその優しさは、あまりにも得難いものだ。まるでこの世界の人間だとは思えないくらいに。

 その遵法精神と人権意識、平和への理念においてハンス・グリム・グッドフェローは飛び抜けている。

 間違いなくマクシミリアンが出会った中では――他にいないというほどに。彼は正しく、法と平和と人を愛していた。

 理想的な兵士と――そんな噂が敵軍に流れていたのを知っている。

 或いはこちらにも――表立っては語られないが――ハンス・グリム・グッドフェローによって命を見逃されたものもいたし、敵軍だというのに救命をされた者もおり、また、作戦行動において死亡した兵の遺体を届けに来られたこともあるとも聞いていた。


 その一方で語られる、無慈悲なる殺戮者としての死神。

 殺すと決めたら何の容赦もなく、どんな方法を使用してでも殺す。それ故に、彼に対する恨みもまた根深い。

 何故、彼がそうなってしまったのだろうか。

 彼もまた、戦場の狂気に呑まれてしまったのだろうか。

 そう考えた日だって、幾日もある。


 だが――と思う。

 彼はその遵法精神が故に。

 そして、法そのものではなく、法が守ろうとしている理念を通じて――大いなる人道というものを守ろうとしているために。

 例え世界がどれだけの狂気に蝕まれようとも、最後の一人として『この世に秩序は、それが守ろうとしている善は、確かにあるのだ』とその背で示すために――きっと彼は立ち続ける。ただ鋼の理性において。

 ……そんな人間であろうとするがために。

 彼はあらゆる法に従うのであろう。従順であろうと、己に首輪を付けているのだろう。

 だからこそ、恐ろしかった。

 あのマウント・ゴッケールリの死と炎のようにその尖兵としての死神と、彼が使われてしまう日がいずれ来るのではないかということが。


(……いっそ、こんなものすらも捨てて君の手をとって、メイジーと二人で逃げ出させてやれたらと……そうまでも思ってしまうこともある)


 考えながら首を振る。

 自分のために誰かが生き方を変えてしまうことを、彼は望まない。

 そして、マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートもそれを望まない。

 己も彼と異なる形で善はあるのだと証明しようと立ち――そして敵味方に別れたとしても、彼のように最後まで正気の瞳で世を前に立ち続けようと誓ったのだから。

 ここで逃げ出すことなど、許されない。

 こんな自分の力を求めてくれた少女のためにも、友のためにも、逃げ出せないのだ。

 故に、


(お願いだ。君だけは……どうか君だけは。あの惨禍の中でも善なる瞳を失わなかった君だけは、そのままで居てくれ。どうか――……この私が神に祈ってもいい。代わりに死ねと言うなら、死んでもいい。我が父の理想を体現した君だけは……この狂気の世に呑み込まれないでくれ)


 祈るしか、マクシミリアンにはできなかった。

 ドッグタグにかけた十字架を握り締める。

 彼と二人、卒業前の実地軍事演習――指揮項目の最終課程を終えるにあたって贈りあったもの。

 それはそのまま、同期たち皆の絆となった。ドッグタグにつけられる十字架を贈り合うのは、自分たちの同期の代から始まった伝統だった。

 その伝統の担い手たちも、今はもう少ない。殆どが、旅立った。

 だからなおさら、マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートは――莫逆の友への祈りを捧げざるを得なかった。


 そしてマクシミリアンは、研究室も兼ねた格納庫へと廊下を進む。


「代表は?」


 もう一つ、気が重くなる報告をしなければならない――そんな気分を塗り潰そうとしているのかと、自嘲する。

 影の付き人のように従う黒髪黒スーツの青年――ハインツの弟――ローランドは、そつなくマクシミリアンの質問に応えた。


「ルイス・グース社との調整へ。……解析した【ホワイトスワン】のデータを元に、新型機の開発を行えるように改めて最終交渉に向かいました」

「断られはしないだろうが、どれだけ高く売り込まれるだろうか……彼には大変な役目をお願いしてしまったな」

「代表も承知の上でしょう。保護高地都市ハイランド連盟軍の高官である彼でないと、対外的な代表の役目は務まりませんから。精神的にも社会的にも、彼女の代役は」

「……違いない」


 暗殺の防止のため、本当の代表はマクシミリアンを含めて一部の人間しか知らない。

 グレイマン技術大尉もその内の一人だ。無論、真実を知らない――側の。

 高い天井の格納庫。

 懸架をされているのは、機械仕掛けの人骨標本と呼ぶべきか。

 最低限の骨組みのフレームだけを残して解体された一機の【ホワイトスワン】の前で、そして同様の解体されているルイス・グース社製のハートの兵士ハーツソルジャーの前で、ノート型デバイスとホログラムレポートを片手にした眼鏡の男。

 線の細い優男――ともいうべきか。四十代であるというのに雰囲気は三十代、ともすれば二十代にも見える男だ。


「そうか。シンデレラは……」

「申し訳ない……貴方のご息女の死に関しては、私に全ての責任がある」


 頭を下げるマクシミリアンの前で、グレイマン技術大尉は顎に手を当てた。

 頬にまで生えた無精髭。

 幼くも見える気弱そうな顔にはあまり似合わないそれは、彼がどれほど解析に熱中していたかを示す材料だ。


 グレイマン技術大尉は【ホワイトスワン】の解析のみならず、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の保有するほぼ全ての兵器の分析も求めていた。

 部品についてのリバースエンジニアリングは、そう難しいことではない。3Dスキャナーにて解体したパーツを取り込み、そしてデータ上でモデルとして統合し、その後に平面の設計図に戻す。

 点数が多ければそれだけ時間がかかるものだが、これは、そう難しいことではない。スキャンに関しては、一週間ほどで完了する。

 むしろ問題となるのは、制御プログラム系統だ。

 第四世代型のその中核となる《仮想装甲ゴーテル》の有機的な運用を成立させるための制御及び管制系。それの解析が、最も時間を要することだった。


 ただそれでも、グレイマン技術大尉はこのように機体を分解させていた。いや、分解したままにしていた。

 理由は、機械の斉一とした中身を見ていると落ち着くから――そんな男だった。

 一度はデバイスに触れる手を止めてから、僅かに思案した後、グレイマン技術大尉は口を開いた。


「残念、だね。……まあとは言っても【ホワイトスワン】の解析はほぼ完了。もう一機増えたところで、ぼくの研究には大した影響もないからなあ。ないならないで構わないかな」


 その言葉に、マクシミリアンは僅かに狼めいた金の目を見開いた。


「……私は、機体ではなくご息女についての話をしたのだが」

「ええ……まあ、アレもいい加減大きくはなって親離れの歳でしょう? 自分で考えてそうなったなら、まあ、自分の責任だとぼくは思いますね。いい歳になってまで、親が子供の面倒を見るのはほら――過保護とか言われるんだろう?」

「――」


 絶句するマクシミリアンに構わず、グレイマン技術大尉の言葉は続けられる。


「はは、アレが生まれたせいで結婚なんかしなければならなくなったと思うとむしろせいせいするかも……なんて言ったら流石に不味いかあ。まあ、最終的には自分でやったことなんだから大尉が気に病むことはないんじゃないかな」


 ヘラヘラと笑い、またデバイスに触れる優男。

 知らず、マクシミリアンは拳を握り締めていた。


「失礼。……それが、娘が死んだ親の言葉ですかな。そんな態度で、普段から彼女とは?」


 そんな怒気が声にも現れたのだろうか。

 僅かに眉を上げたグレイマン大尉は、少しうんざりしたように、余計に呆れたように言った。


「……? シンデレラが死んだのは、キミがこちらに呼び込もうとしたからだろう? それに関してぼくに咎められても困るよ。そういうのを、八つ当たりと言うんじゃないかい?」

「――」

「全く、せっかく軍のような野蛮なところを離れられたと思ったのに、これではな。おいキミ、彼にやめるように言ってくれないか?」


 そしてグレイマン技術大尉の言葉に合わせて、ひょっこりと現れる松葉杖――踊る三つ編みにした銀髪の青年。

 眼帯の横で細められた血のように赤いニヤついた片眼と、左頬の刀傷。

 アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニー。


「あいあい、いやあ先生……困るよなあ、これだから兵隊ってのは。野蛮で良くないぜ。どんなに取り繕っても、一皮剥けばこれ――……さ」

「まったく……少しはマシだと思ったのに、裏切られた気分だよ。ストレスは研究の妨げになるというのに……」


 既にその狂った嗅覚と人心掌握術で、舌を這わせていたのだ。

 武力による断絶を防ぐための均衡――ある意味ではその要ともなる、グレイマン技術大尉に。

 そして彼への肩へと手を置きながら、その破滅の獣は愉しそうに口角を上げた。


「なあ、もしあんたの娘さんが生きてたら――なんだが。せっかくだし、おれが貰っても構わないかい?」

「シンデレラを? 親のぼくが言うのもアレだけど、随分と物好きだね。こう言ってはなんだけど、口うるさくてヒステリックで物分りが悪くて……全く、誰に似たんだか」

「ははっ、いいじゃないかよ先生。そこが逆に可愛らしいってモンさ。おれは、そういう娘が、好きなのさ――……」


 淫蕩な血色の瞳に、強い雄の匂いが交じる。

 事実なのだろう。おそらくこの男は、そうやって女性を幾人も獣に堕としてきた――――姦淫と堕落を司る破滅の狂気。月の悪魔。

 それを知ってか知らずか。

 或いはそれすらもどうでもいいか、それとも既にギャスコニーに取り込まれたか。

 デバイスを弄る手を止めた優男は肩を竦めた。


「そうかい? まあ、それならいいけど……くれぐれもぼくには噛みつかせないでほしいな。ほら、キミにだから言うけど……本当にうるさくて困るんだ。全く、誰の金で暮らしていけてると思ってるのか。少しはアレの母親を見習えばいいのに」

「ははっ――……ああ、じゃあ、おれが沢山教えてあげようか。男に逆らっちゃあいけないって――……パパには優しく優しくしなよ、って。たっぷりと」

「いくら神父様でもできるかい? 本当に、言いたくはないけど反抗的な娘なんだ……いくつまで反抗期を続ける気なんだか……あんなのじゃ嫁の貰い手もできないよ。女がどういうものであるべきかまるで判ってない。妻の教育が悪かったのか――……ああ、本当に馬鹿な娘だ」


 やれやれと溜め息を漏らすグレイマン技術大尉――最悪の父親。

 子供に虐待的放置ネグレクトを行い、今度はその娘を女として売り飛ばす無自覚であるが故に心底醜悪な人間。吐き気すらも催す最悪の愚鈍。

 或いはそれは、助長されたとでも言うのか――。


「ははっ、先生――安心しなよ。そんなときは、おれが貰ってやるさ。おれ以外のところにはもう行きたくなくなるようにしてあげるから――な?」

「はは、そうなったらすごいな神父様は。ぼくにも教えてほしいくらいだよ、そういう躾け方を」

「ああ――……そうだねえ。先生にも、立ち会って貰うとしようかなあ。ほら、娘さんだって悦ぶだろう? ははっ、を貰えるんだ――――……」


 研究以外のほぼ全てを放り出したような人非人と、意識的に破戒を行う享楽の破綻者。

 果たして、見ているのは同じものか――そんな筈はない。だが、行われるはずだ。ソドムとゴモラの退廃が、この世に。

 意味深に流し目を送るギャスコニーが、マクシミリアンにそう告げている気がした。


 狂わされていく。

 月の魔物に。獣に。その狂気と啓蒙に。

 崇高な理念の枝は、その内から喰い破られていく――堕落的に。


(……手を打たなければ)


 マクシミリアン・ウルヴス・グレイコートは静かに拳を握る。

 理解している。或いはそれも、全て、狂った魔物の手のひらの上かもしれないというのに――――。




 ◇ ◆ ◇



 土埃立ち込める廃ビル群の中、その警報が全周モニター内に木霊した。

 彼我不明で上空から急速に接近する――墜落する六つの飛翔体。

 ミサイルか。

 高高度からの、またしてもあの戦争のような質量エネルギー弾の襲撃か――――と、一瞬意識を持っていかれた。

 それが、悪手だった。

 無論その状態とて、ハンス・グリム・グッドフェローは備えている。己は備えている。

 だが、例え余人を切り落とせる無窮の武といえども――


『まずは――第八位の潜伏者ダブルオーエイト


 気付いたときには、緑の機影はビルの影に消えていた。

 空からの強烈な着弾音と振動が響く。爆発物ではなく、攻撃でもない。

 おそらくは、彼女の舞台を成り立たせるための

 即座にビル影に飛び込もうとバトルブーストを起動させたこちらの機体へ――銃鉄色ガンメタル大鴉レイヴンへ、降り注ぐ銃弾の雨。跳弾の雨。

 ビル内部を複雑に弾丸が、さながら巣から飛び出した雀蜂の如くに――廃ビルの窓を突き破り、同時多発的に全方位から襲いかかった。


『よお、相棒――それじゃあ隠れたとは言えないんじゃねえか?』


 回避を許さない弾幕。

 さながらショットガンのように――或いはそれを上回る密度で襲いかかった

 機体の装甲が削られ、警告のメッセージが浮かび上がる。

 これこそが――第七位の千両役者ダブルオーセブンのその真価。


 全ての武器に通ずる彼女は、必然、その使い手たちをも再現する。

 それは、敵機撃墜数上位陣ダブルオーナンバーズですら例外ではない。彼女はたった一人で、全ての兵力となることができるのだ。

 曰く、それでも再現の限度があるということだが……その限度とは、例えばヘイゼルならばあの天才性と超越的な計算力と練度に裏打ちされた海流操作とも呼べる能力のみ。

 それ以外は――全て彼女にはだ。


 あの破壊能力を除いたところでも、そこに残るのは天才的な伏撃手にして狙撃手。

 果たして、それを不十分と呼ぶ人間がいるだろうか。

 こと一対一において、特に、ヘイゼルのその特殊技能は敵機撃墜の助けにはならないのだから。


『続いて、第六位の擲炎者ダブルオーシックス


 そして、無線音声。

 女の声が――――変わる。


『ああ、ごめんよグリムくん……大丈夫、絶対に奪わないから』


 声は女のものであるのに、あまりにも完全に――その駆動者リンカーを誤認するほどの声色。

 ビル影から飛び出した機影は、緑色の狩人狼ワーウルフのしなやかな姿ではなかった。

 それは、第二世代型:黒騎士霊ダークソウル

 青く塗られた近代的に瀟洒な騎士鎧が身に付けるは――熱力学的兵装。

 両手に握られたグレネードランチャーと火炎放射器。

 そして両肩部の照射レーザーと、背部に備えられた大型の気化爆弾投射砲。


 まさに――第六位の擲炎者ダブルオーシックス


 流体ガンジリウムを循環させている機体に更に熱を与えることで内部のコードや回路を破壊し、装甲と機体を沈黙させる不殺の僧兵。黒の交渉人ブラックビショップ

 さしもの《仮想装甲ゴーテル》の力場といえども、光を湾曲させるだけの出力は持たない。つまり、光学兵器たるレーザーはその天敵だ。

 だが――高速で飛び交う兵器目掛けて、レーザーの点を当てるのは困難極まる。故に、採用は見送られている。しかし、


(アシュレイは使用していた――つまり、マグダレナにも使用できる……!)


 そんな通常が、一体何の指標となるのだろう。

 瞬く間に上昇する機体の内部温度と警告。敵の挙動を読むマグダレナにとって、それは、あまりにも容易い。

 最悪なのは、回避起動を取れば取るほどバトルブーストに関わる通電によって――その抵抗によって機体が熱を持つこと。

 逃げようとすることが、それがそのまま己の首を絞める。

 かといって逃げなければ機体を熱した鉄の棺桶に変えられる――その二者択一。


 ホログラムコンソールに触れ、全体的な《仮想装甲ゴーテル》の出力低下。

 不要な通電を抑えつつ、ビルを掻き分けるように射線を切る。

 だが――


『ごめんね。……それにも、慣れてるんだ』


 痛烈に襲いかかる高温の爆風。

 既に散布されていた多量の燃料と空気が反応した爆轟が、全周モニターを白く塗り潰す。銃鉄色ガンメタル大鴉レイヴンを攻めたてる。

 そして――更に音声。 


『続いて、第五位の殴殺者ダブルオーファイブ


 通信に合わせて、マグダレナは先ほど飛来した大道具に――つまり種々様々なアーセナル・コマンドに乗り換えているのだろう。

 戦場で生身を晒し、機体を変えることが如何に超越的な技巧であるというのか。

 最早言うまでもなく――ビル壁を砕いて、それは現れる。


『我が身は一つの復讐、一つの恩讐――……さあ、受けるがいい侵略者よ』


 第二世代型:黒騎士霊ダークソウルの重装甲改修型――魔械騎士デモンズソウル

 全体的に一回り肉厚になったその機体に、更に限界までの大型ジェネレーターを積載した自由機動する隕石。

 黒塗りの機体には無数に赤きマグマめいたペイントが入り、即ち本当にそれが隕石同然だと外見でもアピールする。

 一個の機体そのものが質量弾。

 非武装の重装甲を高機動で撃ち出すことで――触れる全てを完全に砕き散らす無手なる破壊殲滅兵器を、その男は完成させた。


 重装甲故にあらゆる小手先の攻撃で揺らがず。

 高機動故にあらゆる大口径の攻撃を受けない。


 結果、彼の突撃を止める手立てはなく――――例え己が死そうともそのまま敵を討つという、衛星兵器により家族を全て奪われて慟哭した父である彼自身の復讐を十全に成り立たせるという、そんな精神の元に繰り出される怒りの拳。

 ――第五位の殴殺者ダブルオーファイブ

 阿鼻叫喚炎熱地獄の炎に身を焦がす復讐者。明朗闊達にして、善き父であった男の奈落の炎。


『はっはっはっ、相変わらずの太刀筋ですな! だがそれでは――甘いと言うものですよ、騎士グリム! ミスター・アダマンタイト!』


 迎え撃つ他ない。

 こちらもブレードで応戦するも――ほんの一瞬。全装甲の指向性を一方に寄せて紫炎を押し止める左ガードと共に繰り出された右のストレートパンチ。

 斬撃を取りやめ咄嗟に身を捻れば、機体脇腹の装甲板が弾け飛んだ。

 そのまま、肩からのタックル――咄嗟に力場を全開にして、少しでもベクトルを逸しながら受ける。

 マイナスGによる死は避けられた。

 だが、機体が錐揉みに吹き飛ばされる――そして、


『続いて、第四位の制圧者ダブルオーフォー


 音声と共に襲いかかる数多のミサイルとガトリング連射とレールガンとプラズマライフル――全てが必中機動。常識外れの全弾制御。

 鉄と死の嵐。混沌。疾駆する鋼の狼メタルウルフの牙。


『よぉ、クソボケ。お菓子の家と、弾の雨――どっちが好きだ? たらふく喰いな。サービスするぜ?』


 爆発四散に吹き飛ばされたビルの、更にそれが齎した立ち込める噴煙の中から飛来し――襲いかかる空間制圧射撃。

 飛び散る瓦礫をも跳弾の足場にし、破裂するミサイル片の一片一片までもがこちらを攻め立てる刃となり、更にはそれすらも牽制として襲いかかるプラズマ砲の冴えた一閃。

 咄嗟に十字に交わした刃で、胴目掛けての死穿を防御。

 力場と力場の衝突が衝撃波を生み、舞い散る粉塵が透明の嵐に吹き飛ばされる。

 元である彼を知っていたから、奇跡的にブレードで撃墜できたその致命の一撃――それ以外の、突き立てられた数多の切片に機体の全身は苛まれた。

 更に、


『それから、第三位の支配者ダブルオースリー


 瞬間、不味いと――奥歯を噛み締めた。

 そしてその予感は、すぐさまに的中する。

 己が生身の四肢を持たない代わりに、あらゆる機械を己の手足として操る不惑の女王――黒の貴婦人ブラッククイーン


『ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ハンスお兄様! ごめんなさいっ!』


 これまでに使用された全ての機体が、その火力が襲いかかる。

 拳銃弾、爆炎、ミサイル、そして無人の隕石めいた巨体――何から何にまで殺意が満ち、その全てが一つの手足の如く有機的に連動する。

 塗装が剥げ飛び、装甲が砕け落ちる。

 無人の四機に、有人の一機が攻め立てられる。


 これがリーゼ・バーウッドの能力。

 電力供給を行うジェネレーターを内蔵した球形ドローンを放ち、パイロットのいない機体を――或いはパイロットが死亡した機体をその制御下に置く。

 或いはその電力供給により、持ち前の電子的な才能によってセキュリティを突破したアーセナル・コマンドの力場の暴走によって的確にパイロットのみを殺す。

 そんな想像を絶する機械の支配者。


 それが――――第三位の支配者ダブルオースリー


 単騎にて不死と死者の軍団を操る、真実この世界全てを焼き尽くせる電子の妖精にして、不朽なる永久の女王。

 最早、ただ回避に絞っても生き残れるか否か。

 己からビルを両断して壁を作り、ただ一心に全てを機動に回して死線を振り切るしかない。

 そう考えた爆炎の中から――それは、来た。


『そして、第一位の超越者ダブルオーワン


 まさか、その機体すらも用意したのか。

 或いは形を似せたデッドコピーなのかは知らないが――炎を割いて現れた純白の機影。

 実験機と示すために赤く塗装されたフードめいた頭部防護板と、その内にシャッターバイザーじみた光学センサー防護を持つ頭部。

 言うなれば、狩人の如き赤いフードを被った白き騎士。


 ――狼狩人ウルフハンター


 その右腕に握られたのは、ノコギリの刃を持つような大鉈の――更にその柄を異様に伸ばし、それを上側に折り畳んだもの。

 ガンジリウムを弾体に力場で覆ったプラズマを射出するプラズマライフルにして、ノコギリめいた青きプラズマ刃を展開する近接ブレード。

 更に左腕には、リボルバー式のショットガン。

 散弾とスラッグ弾を使い分け、的確に敵の力場を削る。そしてその行動を鈍らせたところに的確に止めを刺すという、ただそれだけの簡潔にして無比の殺傷。

 攻めかかれば死に、逃げようとて死ぬ。

 必要であれば敵の兵装も拾い集めながら、いつまでも鈍ることのない大鉈で殺戮を続ける最強の単騎戦力。


 黒の調停人キングオブブラックス――第一位の超越者ダブルオーワン


 ただシンプルを突き詰めただけの芸術的な殺人技巧に対処法はなし。

 完成しきった彼女の戦法を前に、一体何ができようか。

 そんな――超越者。天才的な狩人。


『ええと、あー……うん、墜としますね。逃げると痛いかもです。はい』


 機体越しに交わしただけの彼女の言葉を思わせる、マグダレナの声色。

 そして最悪なことに。

 特別な技法を持たないというメイジーと、同じく特別な技法を再現できないマグダレナの再現の相性は極めて良い。

 マグダレナ自身の敵機の挙動再現も相まって、最早それは、メイジー当人と言っても差し障りのない挙動であった。



 ◇ ◆ ◇



 ……そして。


 すっかりと更地同然となったビルの影に隠れた銃鉄色ガンメタル大鴉レイヴン

 装甲が多く銀色に罅割れたものの、こちらは五体満足だ。

 しかし、度重なるバトルブーストにより、ジェネレーターの出力が最早機体の稼働すらも不可能なレベルに低下してしまっていた。

 機体の内部温度の上昇も激しい。

 いわゆる、息切れと呼んで差し支えのない状況――そこにまで追い込まれ、全ての動力を回避機動に費やした機体は膝をついていた。

 回復が間に合うか。

 ホログラムコンソールに触れ、機体のシステムの状態を歯痒い気持ちで見守る。


『どうしたのです、グリム様。私は劣化した再現に過ぎません。それにこうも手も足も出ないとなると、貴方への評価を改めることになってしまいますよ』

「……」

『無論、私の御主人様であるということには何も変わりませんが。……そうですね。そんな貴方なら、戦いから遠ざけてどこか遠くの街で共に暮らすしかなくなります。地下室で、首と足に鎖を付けて――詳しいですので、私』


 おそらく通信越しに妖艶に微笑んだであろう彼女に、拳を強く握る。


「……マグダレナ。それは、君にとっても禁句の筈だ」

『ええ、はい。まあ……御主人様の本気を引き出すためなら、私程度の過去などいくらでも使いますわ。備品と――私が自分から認めた貴方様の備品となれるならば、それは本当に栄誉だと――……』

「マグダレナ」

『おや。……ふふ、そんなに優しいのに何とも損な御方』


 僅かに和らいだ彼女の声。

 だとしても、殺意は一切揺らがないだろう女――彼女とてプロフェッショナルだ。おそらく、誰よりも。

 如何にして、その、仮想メイジーと戦うべきか。

 機体の回復を待ちながら思案する、そんなときだった。 


『……ああ、忘れておりました。では、第二位の飛翔者ダブルオーツー


 ドクンと、心臓が跳ねる。


『――ヘンゼル、いいですか? 何をコソコソと隠れて、』


 最早。

 最早、言葉は不要だ。


「――――」


 即座に己の中の激情が最高潮に達し――同時に完全に凍りつく。

 内なる首輪付きの獣を、怒りの聖者を縛り上げる怒りによる制御装置。首輪。或いはそれを超越したもの。

 ゼロからのトップ――そしてゼロ。或いはマイナス。

 逆転的に完全に沈降した己は、その領域への到達を可能とした。


 即ち、


Vanitas空虚よ――para備えよ bellum戦いに,」


 剣たれと――と。


 ハンス・グリム・グッドフェローは、ハンス・グリム・グッドフェローを抜き放った。



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