幕間【二】 莫逆の友、或いは嵐の魔剣


 雨の匂いがする。

 曇天。遠からず、降り始めるだろうか

 独特の埃っぽさのような――……それにツンと鼻を付く硝煙の匂いが交じる。アスファルトの上で、未だ、冷めやらない。

 掻き消すように煙草に火を付ける――〈煙で吐き出さなきゃ、お前さん、まいっちまうぜ?〉――かつて片笑いを向けてきた黒髪の男=兄貴分気取りの伊達男。戦友。

 二三度吸い、それを差し出した。

 仰向けに横たわった兵士。

 彼の手を取って握らせたが、吸おうとはしなかった。


「ねえ、少尉……おれ、夢があったんですよ……少尉は、なにか、ありますか……?」


 その指に挟まれて、煙草がジジ……と音を立てる。

 気付いていないのか。

 彼はぼんやりと、こちらを見ていた。

 ああ――……と、もう一本、煙草に火を付ける。

 吸い込み、ぽつりと吐き出す。


「……宇宙飛行士になりたかったよ、俺は」

「宇宙飛行士……? 何百年……ははっ、それ、何百年……前の仕事ですか、少尉……外宇宙船団の、クルーってことかな……?」

「……」


 口の端に乾いた血泡をつけた彼は、年若い。

 高等教育を終えたあとすぐに任官したのだろう。髪が短く借り揃えられた顔には、未だ、あどけなさが残る。


「おれ、少尉と戦えて……しあわせ、でした…………アナトリアの不屈って……ああ、そんな夢物語がある訳ないって思ったのに……本当に、本当に……英雄はいたんだって……」

「あまり喋るな。リハビリが長くなるぞ」

「もうすこし、喋らせてください……だって、少尉とこんなに話せるなんて……そんなこと、ないんだ……皆、向こうについたら……羨ましがる……だろうなぁ……」

「……」


 目を細める彼の指の外で、長くなったひと繋がりの灰が折れた。


「ならば、もう一つ手土産を持っていくといい」

「少尉……?」


 懐からカッターを取り出し、握る。

 伸ばしたままの側頭部の黒髪を掴み、それを乱雑に切り落とした。


「男のこんなものを貰っても、嬉しくないだろうが……俺のこの場所は貴官に捧げた。この先、二度と伸ばすこともない……君と共に、その記憶と共に、俺は歩み続ける」


 彼の手に握り込ませて肩に手を当てれば、少年――そう呼んでもいい青年になりたての兵士は、顔をくしゃくしゃに歪める。


「ああ、ああ――……少尉……! 少尉……! おれなんかに、おれなんかに少尉が……! 少尉が……、あの鉄のハンスが……!」


 喘鳴混じりの、血痰混じりの嗚咽が溢される。

 彼はその涙を拭うこともできずに、ただ、言葉を繰り返していた。

 その頬を伝うものを、指で拭ってやる。


「泣くな。男子だろう? きっとそんな怪我も治る。そうしたら今日のことなど笑い話に――」


 こちらの言葉の続きを聞けるだけ、彼の目には光は宿っていなかった。

 言葉を打ち切り、その肩から手を離し――……瞼を下ろしてやって、煙草を吸う。

 チョコレートフレーバーという名目のそれは、もう、繰り返し吸い続けたせいで味もわからなくなっていた。


「英雄ハンス……」

「アナトリアの不屈……」

「あれが、兵士を見送る光……」


 包帯を巻いた周囲の兵士たちから、そんな声が聞こえた。


「何が、英雄のものか……知りながらこの戦いをみすみす巻き起こして――……俺の何が、英雄のものか……!」


 聞こえないように呟いて、放った煙草を踏み消す。

 ああ、まだ吸い途中だというのに――……。

 何をやってるんだと、もう一本に火を付けた。腹の底から、重い煙を吐く。


(それでも――――俺は悔やまない。立ち止まらない。すべきことを、するだけだ……あの旗に誓ったことを、己に誓ったことを……)


 見続けろと、己に命ずる。

 たとえこの世界がいつ滅ぶとしても――この匣の中に蠢く者たちには、奥底で震える盲目なる一人を除いて全てに希望の名がついていないとしても。

 見続けろ。

 たとえ世界が滅ぶとしても――……お前はそれを、目を背けずに見続けろと。


 或いはそれは、戦いも終わった廃墟で。

 打ち捨てられた鋼の巨人の、そのコックピットで。

 セミロングの髪の上には、竜の角と名付けられたヘッドギア――衛星軌道都市サテライト特有の索敵情報補助装置。


「誰、ですか……? あの……ここは暗いんです……寒くて……怖くて……誰か、呼んできて……くれませんか……? 一人は、こわくて……」

「そうか。……すまない。人に言わせると、俺は、抜けているらしくてな。道に迷ってしまったらしい。俺も一人は怖くて、貴官と一緒に居てもいいだろうか?」

「ふふ、なんですか、それ……」


 歪んだ狭いコックピットの、そのシートの隣の壁に寄りかかる。

 そのまま二三言会話をすれば、少女は――手紙の写真で知ったメイジーとそう歳も変わらない少女は――控えめに、言ってきた。


「あの……ごめんなさい、ひとつ……お願いしても……いいですか……?」

「なんだろう。俺にできることなら、応えるが」

「えっとその、あなた、多分、敵の人かなあって……そうだと思うんだけど……でも……」


 耳を寄せ、その唇が発する言葉を逃さずに聞き取る。

 頷き返し、


「ふふっ、やったぁ……ねえ、わたし、抱きしめて貰っちゃった……男の人に……ああ――……ふふっ、こんな感じなんだぁ……ふふっ、ねえ、ああ――……」


 腕の中で彼女は事切れた。

 俺は、それを埋葬する。


『少尉! どうか――どうかご武運を! 貴方と出会えたことが、我が生涯最高の名誉でした!』

「貴官に会えて……俺も、幸福だった」

『――――……はは、鉄のハンスにそう言って貰えるとは。これで、ワルキューレたちへの土産話もできましたな。それではまた、ヴァルハラで! 偉大なる戦士の守護者よ!』


 或いは見送った。

 モニター越しに、敬礼で返した。


「戦える者は私に続け! アナトリアの不屈を一人で死なせるな! この人は、ここで死んではならない人だと! 皆の思いは同じ筈だ!」


 敗戦もした。殿を努めた。

 敵の増援を前に、手が及ばず味方も散っていった。

 守るべきは、自分の方であるというのに。


「ああっ、来た! 来てくれた! 鉄のハンスだ! あの英雄が来てくれたぞ、皆! 俺たちに救いはあったんだ! ああっ、兵士全てを照らす光――」


 友軍の救出もした。

 まだ生きている人がいた。嬉しかった。


「……失礼。意外でした。てっきり、貴方は、もっとどうしようもなく兵士なのかと――……ちょっと、なんですかその怪我は! 誰か! この人も出血! はやくなさい!」


 病院船も守った。

 女医から怒られた。怖かった。



 ミッキー・ロケットマン。

 アルグリーズ・デムア。

 ミヒャエル・ハーケン。

 ルシアン・ボルドー。

 ボブ・マーティン・ジュニア。

 タチアナ・ペーペロキナ。


 声や顔、名前など――。

 どうにも物覚えが悪くなったと思うが……彼らが死したるその時には、何一つ不足なく生前の彼らを思い出すことができた。

 単に適応しただけだ。適応したのだろう。

 生きているなら、特に自分が構う必要もない。そのまま動いて、新たな思い出を誰かと紡いで行けるのだから。

 そこに自分は必要ではない――……そういうものをトリアージと言うのだと、衣を正す女医から聞いた。

 優しい人間は、その優しさから、自分のようなものにも声をかける。

 だが概ね自分みたいな男は特に好んで関わり合いになるほどの男でもなく――戦前に何度も言われた――、自分も、別段その輪の中に入りたい訳ではない。

 居心地はいい。暖かい。

 そう知ってはいる。彼らが好きだ。

 ただ……求められれば向かう、自分にとってはそれだけだ。


 ジニー・ノイエンタール。

 サー・マーク・ベケット。

 ガイ・イーウ。

 サミュエル・ウェルバー・ジョンソン。

 ランファン・ヒュー。

 エルンスト・ホルダー。


 しかし、俺は、死者を背負わない。

 常に生者のために動く。死者のためには動かない。

 死者に縛り付けられはしない。きっと彼らも、甲斐がない男と思うだろう。……もし死んだあとも、何か思えるというのなら。

 だから――せめて、そのとき生者であった彼らのその名を。その最期を。

 自分が彼らに報いれることはそれだけだから。

 決して顔も見えない人類などというものではなく、その一人一人を愛したという証として。


 トルケル・シグルズソン。

 モハメド・サルエル・ジャックマン。

 シャーリー・ベルベット。


 中尉になった。

 それでも戦いは終わらない。

 やがて不足した正規兵に変わり、ならず者や、民間人上がりの促成兵士が増えていく。

 規律が、乱れていく。戦争犯罪をいくつも目にして、そのたびに手の内で重い鋼鉄が嘶いた。

 戦いは終わらない。煙草が増えた。粗悪品の煙が染み付いていく。


 アントニオ・カヴァルカンティ。

 アナスタシア・イリイーニシュナ・アスカロノヴァ。

 トール・キルヒナー。

 キール・フロスキン。


 コックピットの中。

 全周モニターになったそれは、寒々しい荒野を映していた。

 自分一人になった、あまりにも広い戦場で。

 明けの空を見上げながら――……想う。


(……君は、どうしているだろう。マクシミリアン)


 詰め込みすぎた脳髄では、もう、碌に声も思い出せなくなってしまったが――。

 顔を合わせればきっとまた昔のように思い出せる筈の、そんな友に思いを馳せる。

 衛星軌道都市サテライトからの交換留学生。

 共に士官候補生として、四年間苦楽を共にしたその男を。



 ◇ ◆ ◇



 灰色の髪と、狼のような琥珀色の――黄金色の瞳。

 自分と同じ十八歳だと言うのに、彼は、そうとは思わせない男だった。


「君が、ハンス・グリム・グッドフェローか?」

「ああ。よろしく頼む。……そういう君は」

「失礼した。私は、マクシミリアン・W・グレイコートだ。よろしく頼む」


 グレイコート博士。

 あのブランシェット博士と共に、脊椎接続アーセナルリンクの基礎たる理論を作り上げた天才工学者。

 彼――マクシミリアンは、そんな……この先、神の杖を搭載した衛生兵器【星の銀貨シュテルンターラー】を作り上げることとなる博士のだった。

 衛星軌道都市サテライトからの交換留学生。

 それを士官候補生として教育させるというのは、ある種の政治的な判断が絡み――もしくは誰かが交流を通じて戦争回避を願っていたのか、それとも、保護高地都市ハイランドの士官教育を通じて威容を示そうとしていたのか。

 ……それともまだこの頃は、保護高地都市ハイランド連盟も、本格的に戦争になるとは思っていなかったのだろうか。

 自分たちにとって――衛星軌道都市サテライトは、敵にならないほどに遠く離れていると。


 ともあれ彼は、そんなところから一人で来た苦労人というのは確実だった。

 大人びた――早く大人にならざるを得なかった、そんな狼めいた金の瞳。


「そうか。俺にできることがあったら言ってほしい。なんでもする」

「……いや、一つなんだがな」

「? 何かあるのか?」

「なんでもないとも。まあ、君は――……今のところは合格ということだ。二目と見れない顔ではないし、何よりも穏やかで礼儀を弁えている」

「……?」


 彼はたまによくわからないことを言った。

 問いかけると、概ね、なんでもないと返された――……個人の事情なのだろう。深く追求することは避けておいた。そういう年頃は、まぁ、遅れても発症するとも聞く。


 それからまあ――四年間。


 色々とあった気がするし、何もなかった気もする。

 彼とは、普通に同期生として励んでいた。

 自分も彼も、二十二歳になった。

 そんな日に――こちらの下宿先で。

 ソファに座って、グラスを見詰める彼は言った。眼の前には、既に空になった料理の皿。


「ハンス……君は、この世界が愚かしいと――そう思うことはないか? 何故我々のようになれないのだろう。何故我々は、争わねばならないのだろう……何故、不条理や不平等がこうもあるのだろう」

「マクシミリアン……?」

「私は、少し――……疲れてしまってね。すまない、ハンス。我が友よ」


 本国の方で、何かあったのか。

 確かに近頃――両都市連盟の緊張は高まっていた。

 次々と都市を増やす衛星軌道都市サテライトへの輸出量制限令。

 地上の言い分はこう――――そこまで人を増やせるのなら、我々からの援助を削ってもいいのではないか。こちらは大地が限られ、出生数制限まで必要としている。

 宇宙の言い分はこう――――いずれお前たちも住むことになる場所の開拓を我々は代行している。この死の真空で物資が不足するという意味を、よく考えろ。

 地上は、大規模な寒波による作物の不足が。

 宇宙はまた、それが呼ぶ嵐によっての物資打ち上げ回数の不足が。


 そんな問題が生まれていた。

 あまりに離れすぎて――もうお互いが、同じ人間だと思えなくなってしまっているのかもしれない。

 膝の上に肘を置いて背を丸めたマクシミリアンが、ポツリと声を漏らした。


「……君は、世を、醜いとは思わないのか?」


 何かを詰め込んだようなその言葉に――こちらが返せるのは、一つだ。


「確かに……目を覆うようなことはある。俺も、理解している。多いと――そう思う」


 気候変動に伴って、無理やりに纏めた人類には軋轢がある。

 同じ保護高地都市ハイランドの中での貧富の差や、かつての出身地域による差別や因縁。或いはそれは、宇宙でも同じだ。箱舟に詰め込まれた移民たちは、余計に逃げ場がない場所で顔を合わせることを求められている。

 空でも、海でも変わらない。

 その摩擦による熱が、力なき市民や弱った人間へと炎として向かうと――そんな事件もある。見聞きはした。

 だが、


「それでも、はある。だから、俺は、それだけでいい」


 それはかつての世と同じだ。

 自分は神ではなく、世の全てを見た訳でもない。その言い分全てを聞いた訳ではない。

 どんなに救いようがないことがあるとしたって……それでも人は生きている。その中には、穏やかで暖かい暮らしもある。

 ときにはそれが逆に憎悪を煽ってしまうこともあるかもしれないが……自分にとっては無関係だ。彼らが不幸になったからと、別にこちらの生活水準が上がる訳でもない。

 故意に嘲笑われでもしない限り、自分でない誰かが幸せそうにしていたら――……どうかその幸福と笑顔が続きますようにと、そう思うだけだ。


 衛星軌道都市サテライトからの観光者の女生徒が暴行を受けて殺されるという痛ましくおぞましい事件があった。

 彼らの中で、その宇宙の箱舟の中で、保護高地都市ハイランドへの反抗運動や関連する企業への打ち壊しが行われた。運動の熱は、確かに激化していた。

 だが――同じ衛星軌道都市サテライトの内から、それを我が身を盾にして立ち向かった老婦人たちを見た。

 何の武装すらなく、彼女たちは手を握り合って輪を作り、施設の周りに立って――自分たちの夫や息子や孫や友人へ、馬鹿なことはやめろと言葉で説いた。

 ――美しいと思った。


 空中浮游都市ステーションが、その動力不調から洋上に墜落する事故があった。

 その救助のために、海上遊弋都市フロート保護高地都市ハイランドから救助隊が出され、夜を徹して人員を保護するのを見た。

 助かって震える人々は、それでも毛布を譲り合って粛々と救助を待っていた。

 ――美しいと思った。


 或いは四圏の中でのスポーツ交流戦での選手同士の気高く公正な友情。

 衛星軌道都市サテライトの輸送シャトルの不具合へ、それでも席を譲り合った人々。

 何気ない文化の交流。何気ない人々の交流。

 嫌なものも多く見た。だけれども、ここには確かに美しいものがあった。

 だから――それを、嫌える筈がなかった。


「……余人の言葉なら鼻で笑うところだろうが……あの努力を前にさせられたら、何も言えないな」

「俺には才能がない。できることを、ただ積み重ねているだけだ」

「それもある種の才能だよ。……謙遜は嫌味になるぞ、我が友ハンス。君の数少ない欠点の一つだ」


 肩を竦めた彼が笑いを零し、それから、寂しげな笑みを零す。


「聖者だな、君は。まるでおとぎ話に出てくる聖者のような男だ。……私は心配だ。心配なんだ、君が。我が友ハンスよ。君のような男は、いずれ――いずれこの世界と決定的な何かを迎えてしまうのではないかと……心配なんだ」

「俺はそう大した男ではない。どこにでもいる士官候補生だ」

「ああ――……そうだな。そう願いたい。……もし、君がそうならざるを得ない世界なら、私はいっそ、どんな汚名を被ろうとも――……いや、なんでもない」

「……?」


 何かを呟いた彼が、一息にグラスを煽る。

 そして琥珀色の液体を満たし、こちらにグラスを差し出して来た。

 こちらの杯を満たすのはオレンジジュースでどうにも締まらないが……彼はそれにすら笑って、それから噛み締めるように言う。


「だが……ああ、君でよかったと――そう思う。本当に。妹には、伝えておくよ」

「妹さんに、俺を……?」

「ん……?」

「その、いや……自惚れなら悪いのだが……あまりその、婦女子に俺のことを話されても……その、いや、俺の懸念はあまりにも傲慢というか……その、君に対しても失礼だと思うのだが……いや、その、だがその、俺には婚約者が……」


 会話をしたこともなく。

 士官候補生となってからは忙しく、手紙の返事も簡素になってしまっている名目だけの婚約者だが……。


「…………………………友にあまりこうは言いたくないが、君は実に馬鹿だな」


 なんで?



 ◇ ◆ ◇



 既に人の退避は完了した都市で。

 灰雲に空が覆われて――戦場の静寂に包まれた石の墓場となった街で、煌々と燃える。

 地に有りて、月を思わせる冴えた月光。

 蒼いそのブレード炎が、装甲を赤く――言葉もなく両断する。


『何なんだ、お前は、お前は……!』


 向けられたライフルの銃口を躱す。

 超急速直線回避機動――バトルブースト。

 それを可能とする第二世代型アーセナル・コマンド――その銘を黒騎士霊ダークソウル

 近代的瀟洒さを持つ無駄のない騎士鎧の、しかし鋭角的に威容を放つ兵器の、その銃鉄色ガンメタルの機体の両腕外部に備えられた二振りのプラズマブレード発振装置。

 蒼い炎が、鬼火めいてビルの影で噴出する。


「お前たちは言う――瞳で。言葉で。『何故死ななければならない』と」


 通信を一つ。言葉を一つ。

 だが己のその機能は、不要だ。捨て去る予定のものだ。


「俺は応える――『意味などはない』。俺がそのだ」


 そして奥歯を噛み締め、バトルブースト。

 放たれる火砲を直角に回避し、その背後に回り込み、一つ、二つ、三つ――蒼き奔流が次々に敵を裂く。

 蠢く影は、最早なし。

 見守っている味方は、ただの一つも手出しができず、


嵐のストーム――裁定者ルーラー


 誰かがそう呟いた。

 ある種の――……形は違えども、己の完成形の一つ。それは、酷く、近かった。


 怒りなく。

 憎しみなく。

 悲しみなく。


 言葉なく。

 叫びなく。

 気負いなく。


 感情を持たない――捨てたのではなく、己の理性の呼び水となった原初の感情を一つだけ。

 理性すらも不要。何故なら、意志さえも不要なのだ。

 無慈悲に振るわれるという慈悲の極地――嵐の魔剣という、その在り方。

 完成を迎えようとは、していたのだ。

 ……この後、マーガレット・ワイズマンという遣い手に引き抜かれるその時まで。

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