幕間【一】 始まりの日々、或いは彼の鋼鉄の理性
この世に二度目の生を受け、まず思ったのは――自分はなんと恵まれているのだろう、ということだ。
本来ならばたった一度しかない筈の生を。
そこを懸命に生きるか自堕落に生きるか、どう生きるにせよ、何にしても取り戻せない時間というものを。
どれほど生きたいと望んでも無情に奪われ、或いはどこまでも辛く苦しく生きたくなくとも続けさせられてしまう、何とも不公平であり分け与えられない命そのものを。
自分は幸運にももう一度与えられ、或いは生まれ直すことができた。
――……本当になんて恵まれているのだろうと、心の底からそう思った。
次に見たのは、自分を懸命に生かそうとする人たちだった。
臍の緒で繋がって、母体を削りながら己を世に送り出そうとしたこの世界の母。
そんな母に懸命に声をかけながら、生まれた赤子を――これ以上ないほどの弱者を――慈しみ、護り助けようとする医師と看護師たち。
尊い職務だった。
尊い献身だった。
ああ――……と思った。
本当にただそれは、美しかった。
彼らの職務意識も。
生命の営みというものも。
祝福されてこの世に迎え入れられるという、きっと多くの平均的であり累計的な、平凡で、普通で――故に誰しもが当たり前に得られる訳ではないあまりに得難い幸福というものも。
自分にとって――その全てが、美しかった。
生まれ変わることで何が最も良かったかと問われたら、きっとこう返すだろう。
本来ならば誰もが忘れてしまうこの世に生まれたその瞬間を、その刹那の祝福を、多くの人の献身と愛を記憶できたことだ――と。
自分は、それを、見ることができた。
異なる場所で死したるのちに生まれ直せただけで幸福であるというのに。
そんな二度目の幸福まで、こんな自分に贈られるとは。
なんたる過分の幸せなのだろうか。なんと己は恵まれているのだろうか。
……ああ。だからきっと、理由は、それだけでよかった。
なんとも多く。
なんとも美しく。
それだけの無償の愛と歓びを、自分は受け取った。
彼ら彼女らから施された。
そんな得難い愛と献身を、この身に施された。
……ああ。
何故だとか、どうしてだとか言われるかもしれない。不思議がられるか気味悪がられるか、或いは、図抜けて幸福すぎる脳の持ち主か人間味のない男だと思われるかもしれない。
幸福すぎる脳と――……ああ、認めよう。己は幸福なのだ。幸福にされたのだ。
その幸福は、無償なる隣人の献身が己に施してくれたもの。打算などなく、ただ一つの生を言祝いでくれたもの。
故に、理由なんて、本当にただそれだけでいい。
特別な理由などない。或いはこの始まりは特別すぎたか。
身を焦がす激情も、悲痛なる運命も、どこまでも切なる祈りも――そのいずれも己が立つ理由になどなり得ない。
大掛かりな背景は必要ない。
立つには自分の意思一つ。その意思を生む理由は一つ。
ただ本当にそれだけの、ささやかにして大いなる幸福。
施されたから、施すのだと――。
この世に生まれ落ちたその瞬間に、ハンス・グリム・グッドフェローの生き方を、己は、そう定めたのだろう。
そして、
「貴様は何のためにここに来た! この蛆虫野郎!」
「戦いを終わらせるためであります、サー!」
「戦いィ? どこに戦いがある! お前の英雄のパパと看護師のママのプロレスか! それとも頭の中か! ビキニの女とタコのエイリアンが水鉄砲で撃ち合っているのか! このヤク中が!」
「サー! ノー・サー!」
両手を剥き出しの地面に付き、手のひらを苛む石ころを感じつつ、耳元で怒鳴りつける短髪の教官の声を聞きながら。
額から汗を流して、彼らの声に精一杯の大声で返す。
予備役士官訓練過程。
高度に専門的な大学校の教育と共に、構内に併設された軍事機関により士官候補生教育を受けるというその教育過程。
「よーし声だけは出るヤク中だ! お前はヤク中の中でも上等なヤク中だ! 褒めてやる! 腕立て追加だ!」
「サー! イエス・サー!」
「どうした声が小さいぞ! 嬉しくて言葉も出ないか! 歌を歌って腕立てしろ! ミッピーマウスマーチだ! さあ歌え! お前はヤク中のオルガンだ! 叫べ!」
「サー! イエス・サー!」
ハンス・グリム・グッドフェローは、
おそらく、これが最も多くの命を救う――。
そう結論付けてのものだった。
辛く苦しい道になるとは判っていた。それでも自分は、備えていたかった。
自分に与えてくれた――彼らのために。
◇ ◆ ◇
生まれ落ちてからしばらくしてからだったか。
どうも自分が生まれたその世界に待ち受けているのは戦乱であり、そしてその先も続いていくのだ――とかつて生きていた世からの知識で識ることができたのは。
そして自分の仮初めの肉体が、そんな戦いに関わりながらも決して中心に行くことがなかったものであると気付いたのは。
ただの名無しの、しかしそれでも見過ごせない程度の戦果を上げたピース。
それを引き抜いてしまうことで起こる波紋は予想がつかないものだった。故に、ハンス・グリム・グッドフェローは筋書きの通りに軍人になるしかないのか――多くの命を奪った個人に。
元の身体の主はともかく、自分は、特に語るべき才能を持たなかった。
どこにでもいる普通の、義務教育と高等教育を受けて――黄金の安寧のような平和な世界を知り、その世界の法と歴史を知り、戦火の悲惨さと平和の尊さを知っただけの男。
故に、できることを全て積み上げるしかなかった。
幸いにして一つだけの特別はある――
スキャモンの発育曲線に従った意図的な神経系の作成。
例えるなら、人間にサラブレッドの調教を施すようなものだ。幼少期から、来たるべき頂点の戦いに備えて己自身を砥ぎ上げる。
脳神経系の発育が頂点に達する時期とその曲線。
筋肉の発育が最も理想的に行える時期とその成長曲線。
通常であれば熱心な親の教育と、何よりもその子の意欲が噛み合うことで得られる理想的な『スポーツが得意である』という形。
それを自分は、故意に作り上げた。
神経系の発達が急速に進む五歳から八歳、そしてそれらがほぼ完成に向けていく八歳から十二歳、完全に概ねが定まる十二歳から十五歳。
その期間に、己に馴染ませた。
若干矛盾もあるし、ある種、不思議ではあった。
記憶がある――ということは脳神経ニューロンとそのシナプスがある程度の整理をされているということだ。人格の習熟などその最たるものだろう。
身体の動かし方を学ばせる己の意思は、しかしかつての身体の動かし方に基づいている。
果たして本当にこれで正しいのか――無理があるのではないか。
そう思う日もあったが、続けた。そして結果が出たことを見るに、どうも、自分の精神とは反するようにハンス・グリム・グッドフェローの肉体の神経系は未成熟だったのだろう。
この頃、肉体に惹かれるように精神が初恋を経験したりしていたので、まあ、生まれ変わりに伴いその辺りの処理は上手くできているのだろう。
そう考え、磨いた。
幼少期に必要なだけの睡眠時間を確保しつつ、求められる水準に達するだけの運動を行い、そして人格に由来するものの高度な捉え方で勉学も習熟させる。
特に最後のものには大きく助けられた。
子供時代に必要なことを大人の効率性に行える――ということは、それだけで、ズルに近い。
スポーツで誰かを追い越しながら、勉学でも他に遅れを取らない。人間関係に心を乱されることもなく、あまり思い煩うこともない。
おそらくは……。
理想的な形で、自分自身を成型することができた――その筈だった。
きっと、本来のハンス・グリム・グッドフェローは行わない努力。
彼と同じ道に辿り着けるとは思えない、平和な時代に育った普通の自分をその領域に届かせるための錬鉄たる鍛錬。
道なき荒野を、己の道を作りながら歩き続けるような十数年感。
……弊害があるとしたら、自分という人格を容れてしまったことで本来のハンス・グリム・グッドフェローという人間が持っていた人格由来の才能を使えなくなったこと。
だからなおさら、積み重ね続けるしかなかった。
戦争が始まってしまえば、本当に生き残ることができるのか――そして彼のような領域に辿り着けるのか、保証はなかったのだから。
この世界の妹たちにも聞かれた。
何故そうも優れているのに、妥協しないのか。
身を削り続けるような鍛錬を積み続けるのか。
足を止めて胡座をかいても許されるのに、一心に自分を磨こうとし続けるのかと――そう問われた。
兄として先に生まれたからには君たちを守り抜きたいと思ったからだと答えて――果たして伝わっていたのか。
しかし、それも結局は果たされなかった。
二人の妹たちは、いずれも、開戦に先立っての衛星軌道からの空襲によって父母諸共――肉体の欠片すら残すこともなく吹き飛んでしまったのだから。
そして、そんな成長曲線がついには習熟を迎えるぐらいの時期だったか。おそらく十五歳前後。
軍人としても高名な父に連れられて行った、ある高官が開催したパーティー。
その中で、少女と出会った――正しく言うなら会話すらなかったのだが。
「申し訳ない。彼女はどうも、グラスが空らしい」
給仕を努めている女性にそう呼びかけ、それから自分の纏うタキシードの胸に刺した薔薇と、前世から知り得た折り紙の知識――これはウケがいいのだ――で折った跳ねるカエルとか、立体的なウサギとか、ハートとか、カナリヤとか、そのようなものを紙ナプキンで折って渡す。
親に連れられて来ていたのか。実につまらなそうに、居心地が悪そうに、壁の花になっている少女。八歳ほどか。
このような場が苦手であるのか――……いや、よほど社交的でなければ面白い筈がない。彼女は退屈を持て余していた。
ふわふわの茶色の癖っ毛を腰まで伸ばして、綺麗な空色の瞳で会場を見回してはつまらなそうに床を捉えるドレスの少女。
それが下の妹を思わせて、少しでもその無聊の慰めになればいいと思えたのだ。
あまり馴染みのない文化であろう折り紙が、形になっていくのを驚きの目で見詰める給仕の女性に「あちらの素敵なレディに言伝を」と頼めば、彼女も同じく少女の退屈さを厭ったのだろう。快く伝言と贈り物を引き受けてくれた。
自分のそれを受け取った少女が――退屈さを一変させて満足げに顔を輝かせるのを見届けてから、振ってくる手に恭しく一礼をする。
そして自分は人に囲まれる父の元に向かった。
大人の知識があると言っても、この世界の詳細を把握できている訳ではない。そして、その人間関係にいきなり飛び込める訳でもない。
人脈を作る。
軍人になるべく鍛えつつも、己は己として、何か筋書きを変えられないか――そう勘案しての行動だ。
自分もいずれ、立派な父のように
ある程度の社会性を持っているからか、どうすれば喜ばれるかは、想像がつくものだった。苦手なりにも、相応にはできていたかと思う。
……正直に言うなら、一つだけ、悔やんでいることがあった。この世に生まれて。
この世界の父と母から、本来の育児の楽しみを奪ってしまったこと。
本当に生まれ育つ筈だったハンス・グリム・グッドフェローという少年の場所に自分が座ることになり、そして、その中で得られる筈だった彼らの家族としての幸福を損ねてしまったこと。
それだけは、常日頃から己の中に罪悪感として降りかかっていた。――本当に申し訳ないことをしていると。
そして、帰りの車の中で、
(……そうか。彼女が)
父から、自分が無聊を慰めていた少女の名前を聞いたときに――その親と彼女自身の感謝を、父の口を通して伝えられたそのときに。
思わず口から零した提案を、父はどう受け止めたのだろうか。
少女の名前は――メイジー・ブランシェット。
いずれこの、長く続いていく戦乱とそれを舞台とした壮大なサーガの最初の主人公となる少女――のちのレッドフードであった。
もしも彼女を支えることができたのなら。
或いは、アーセナル・コマンドの根幹的を支える
そんな打算があった。
少女の純情を弄んでしまう、薄汚い――罪深い打算が。
父と彼女の父が昔交わしたという、互いに子供が生まれてそれが異性なら――という何気ない約束。
自分はそれに、相乗りすることにした。
どうも向こうの方が今その提案は有効か改めて問いかけて来たのだと、父は困ったように笑っていたが……。
自分はそれを快諾した。
二つほど良識的な条件を付け加えたが――……父からは二度見どころか三度見された気がする。
高位の軍人なのに運転手を使わずに運転したがる車好きの父が何度も余所見をするのは正直なところ肝が冷えるところではあったが、まあ、衝撃だったのだろう。
……普段何を考えてるかも碌に判らない息子からの突然のロリコン亭主関白宣言、いや本当に心中を図られてもおかしくなかったのでは?
ただ、何とかして自分を戦いの渦の中心に導きたかった。
自分がかつて生きた世界とは異なっても、人々が生きる世界。つまりはただあるだけで美しい世界。
問題はあって、悲しみはあって、歪みはあって――でもそこに人は生きている世界。条件は変われど、前世とそうは変わらぬ――人々が懸命に生きようとする美しい世界。
守りたいのだ。守りたかったのだ。
彼らの命を――その営みを。
罪悪感でも、責任感でも、義務感でもない。
ただ美しかった。
自分はきっと、人というものを愛していた。一度きりの命を生きようとする人々のその営みを。
だから――それだけで良かったのだ。己を剣として砥ぐ理由など。ただそれだけで。
(この身体でも暗殺はできる。いずれ戦争を起こす人間たちを消すこともできる。そのための鍛錬も積んだ。知識も得た。不可能ということはない)
色々と――考えた。
或いは政治家になるとか。或いは何か文化的な象徴的な存在となるか、それを育てる人間になって融和を図るとか。
どちらもおそらく自分に不向きであるが――……そう求められるならば、必要なだけの鍛錬は積んで精一杯に務める気だった。
だけどきっと、それでは間に合わないのだ。
他にも――あまり褒められたものではない方法も考えた。その一つが、暗殺だ。
前世の知識で知り得た問題の中心となる人物に接触し、そして病巣を切除するように彼らを殺害する。
おそらく、不可能ではない。
ただ問題があるとしたら、戦争というのが突き動かす市民の総意や摩擦によるものなら、その人物たちを消したところで形を変えてまた行われかねないという点。
そして、
(問題があるとしたら――それが果たして、妥当かということだ。いずれ罪を犯すだろう……だが現在まだ罪を犯していない人間を殺す――そんな行為に、きっと、正当性はない)
未来の罪でお前を裁くなど――そんな非情かつ横暴が、断じて許されていいものではないということだ。
(超長期的な利益のために人を犠牲にする――か。そんなものは超長期的な利益とは呼べない。当たり前のように必要性の名の下に犠牲を強いていれば、それは、いずれ歯止めがなくなり決定的に世界を滅ぼす毒になる)
行為には慣れが付き纏い、それはやがて習慣となる。
法の理念が重く、高度に専門性を求めるのはきっとそれが理由だ。
初めは大いなる犠牲であった人身御供も、一度行われて繰り返されるうちに誰しもが一度目ほどの拒絶感を持つことなく行うこととなり……。
ついには前にもあったからと、或いはもうここまで来たからやめられないからと、これは慣習だからと、簡単に振り下ろされるだろう身を切る処刑の刃と化す。
そしてそれは悪意ある誰かに恣意的に利用されてしまえば、人類そのものに牙を向く正義感になる。
実際は不可能だとしても――理念としてはそれを許してはならないのだ。それこそが人が作りたもう秩序と、それを超越した大きく普遍的な善。
己はそれの担い手になる。その寄る辺に立つ。
そう決めた――その旗の。大いなる旗の元の、その旗手となると。
決して独善となることなく、常に真摯に向かい合うと。
(俺は思考を止めない。俺は考え続けることをやめない。俺は俺を砥ぎ続けることをやめない。たとえ明日世界が滅ぶとしても、俺は林檎の木を植え続ける)
たとえこの世が滅ぶとしても――。
己は法と善の傍らに立ち、彼岸のその日まで目を背けずに大木のように立ち続けると。
そう、誓ったのだ。
俺が、そうすべきだと、思ったから――――。
◇ ◆ ◇
自分とメイジー・ブランシェットの関係は、紛れもなく良識的だったと自認している。
彼女との婚約に際して、自分が申し出た条件は二つ。
一つは、彼女が婚姻可能な年齢となるまではこの婚約の事実を決して明かさないということ――。
己という鎖で、少女の生を縛り付けてしまうことは憚られた。ただ普通に生き、普通に暮らし、普通に誰しもに認められうるべき平凡で幸福な人生を送ってほしい。
だから、重荷にならないように婚約を秘すように頼んだ。
……改めて判別可能になったそのときに、彼女が拒否できるように。
もう一つが、その状態でも彼女の人となりを知りたい――ということだ。
もしも仮に本当に婚姻が成立してしまうとして、そこで、一切の幸福感を感じられない結婚となってしまうのはやはり憚られる。
だから、かつてブランシェット博士に世話になった人間――という体で彼女の誕生日やクリスマスに、祝いのメッセージとプレゼントを贈れるように頼んだ。
そこから、年に数度ではあるが彼女と文章を交わす仲になった。
どんなものを好むのか。
何を歓び、何が嬉しかったのか。
何に悩んでいるのか。何を悲しんでいるのか。
決して多いとは言えない機会だが、自分は、彼女と顔を合わせずに交流をした。
彼女はアウトドアよりもインドアを好むということ。
機械いじりが好きだということ。
本を読むのも好きだということ。
癖っ毛を気にしているということ。
ずっと前に初恋をしたということ。
ペットを飼いたいけど父の邪魔になってしまわないか心配で、学習型のAIを作ったということ。
本当はもう少し父に構ってほしいけど、二人で機械や研究の話をするのも楽しいからそれでも十分だということ。
会いたい人がいるということ。
多少は身嗜みに気を遣うようになって、その相談に乗って欲しいということ。
こちらが何を好むのかということ。
いつもプレゼントを心待ちにしているということ。
一度会ってお礼を言いたいということ。
最近は料理も始めるようになったということ。
父には古くからの友人が三人いるということ。
生息四圏のうちに不穏な空気があって、とても心配だということ。
戦争が始まってしまったら嫌だということ。
何か贈り物を返せないか、お礼をしたいということ。
いくつかは言葉を濁すしかなく、或いは応えられないことも多かったが――メイジー・ブランシェットという人間が、どこにでもいる少女だということは己の中に刻みつけられた。
それでよかった。
主人公などと――……たかがそんな理由だけで、一個人である彼女の尊い人生が損なわれていい筈がない。
そして、初めから決めてはいたが――。
やはり、ハンス・グリム・グッドフェローの選ぶ道は、決まっていた。
他にも色々と試そうとしたが、やはり、戦いは回避できそうになかったのだ。
父からの厳命により軍人以外を目指せるように大学教育を受ける傍らでの、士官候補生としての訓練。
己はそこに身を投じた。
彼女へとはプレゼントと簡易なメッセージを添えるしかなくなってしまったが――……所詮は顔も見えない一人の匿名の支援者だ。
実に自分も楽しい……輝かしい時間であったが、その夢が醒める日が来たのだ。
いや……そのために備えていたのだ。自分は。
ハンス・グリム・グッドフェローは夢を見ない――――一つを除いて、あらゆる夢を。
祈りは必要ない。あるとすれば、ただ一つ。
どうか自分に鋼の理性を――片方だけでいい。常に世を見詰め続けられる、氷の如き知性の瞳を。
◇ ◆ ◇
父や母や妹たちを逃がそうとした。
それがあまりに愚かしく個人的な――卑劣な行為と知ってはいたが。
それでもどうか彼らには、生きてほしかった。
士官として任官してから、社会人になった祝いだと――父母への旅行をプレゼントした。
軍事基地の側にいなければ、神の杖に吹き飛ばされることはないのだと。
……無駄だった。
打ち下ろされるその質量エネルギー弾と乱気流により、父母たちの乗った航空機は撃墜されていた。
◇ ◆ ◇
自己の企図した通り――つまり反射神経と、空間識覚と、対G能力の会得――パイロットを目指していた自分は、運良く爆撃を免れて手術を受けた。
ブランシェット博士が共同で基礎を作った
そして、人型の鋼の兵器――振り下ろされた神の杖を鋳溶かして作られた強襲猟兵アーセナル・コマンドの
既にいくつもの戦いに身を投じた。
燃えゆく
単身で超高速に敵の都市へと接近し、施設を破壊。
そのまま、己一人と機体と共に果てない海を戻り帰る任務。
それにいくつか従事した。
やがて、そんな作戦も敵の反抗によって成功率が急激に低下する。
鹵獲または、
元より天に蓋をされるような閉塞感に包まれていた大地は、ついに完全に息を止められつつあるか――。
そう、諦めにも似た空気が漂い始めていた。
そんな中、対アーセナル・コマンドを謳った第二世代型のアーセナル・コマンドの開発が進められ――。
自分は縁からか、それとも功績からか。
その開発を行うブランシェット博士やその地下兵器工場の護衛として、
ヘイゼル・ホーリーホックやロビン・ダンスフィードらと、自己の襲撃作戦の完了後に友軍の救援に向かうことも多かったためか――それなりに自分も、兵士の中では名が売れるようになっていた。
とは言っても、開発に忙しくブランシェット博士にも会うことはできず、無論ながらメイジーにも出会う機会はない。
そんな、ある日のことだ。
戦争中だというのに――いや、戦争中だからだろうか。
駐留地付近の子供たちと、芝生の上でサッカーに興じる友軍の兵士。
そして街路樹の横で。
それを僅かに離れた位置から眺める、赤い外套の――目深に赤いフードを被った少女に出会ったのは。
気になって、問いかけてみた。
らしくない行為だったと思うが――いつからか、自分は意図してそう振る舞うようにしていた。
滅びつつある大地で、それでも反抗の魁となっている自分たち
だから、多少なりとも――そんなふうに。
彼らが明日死するとしても、自分たちの命は決して無駄ではなかったのだと、この世界はきっと終わらないのだと安堵して逝けるような――……そんな兵士として振る舞おうと決めていた。
こちらの問いかけに、髪さえも出さず、その顔もほとんど伺いさせない少女は困ったように笑った。
「……私はちょっと、その、他の人と違うって言いますか……あはは、えっと、ははは……ちょっとそういう輪には入りにくいかなーって」
「そうか。……ああ、そうか。君はそれでも、好きなのか。人が」
「えっ」
「俺もだ。……人が好きだ。ああして笑い合っている人の顔が、きっと、俺は好きなんだ」
彼女は、何かを――誰かを探している。そんなふうにも思えたが。
それでもただ、じっと人々を見守ろうとし続けるのは――そこに悲愴感や焦燥感だけでなく、どこか温かいような気持ちが込められているのは。
多分、この少女が――人の営みを愛しているからだと思った。
言えば、
「……優しい人なんですね、軍人さん。少し……知り合い? 知り合い……ううんまあ、知り合いの人に似てるかなあって」
「俺は優しくなどない」
彼女の言葉を否定する。
「優しい人間なら、きっと、人を殺す仕事になど就かない。……いや俺以外の兵士への侮辱に当たるか。訂正する。優しい人間も、優しいからこそこんな仕事には就くだろう。ただ、その中でも俺は優しくなどない」
「いや、絶対に優しい人ですよ。私、そういうのわかるんですから」
「そうか。……事実がどうあれ、君がそう思いたいなら自由だ」
「へへへ、自由って言われたならそうしますね。言われなくてもすると思いますけど」
赤いフード越しにその頭を掻くような動作。
意外に身振り手振りで感情を表現するタイプの少女らしい。
だとしても今の行動は――……つまり何か宗教上の理由から肌を隠している人間にしては、何とも不慣れというかチグハグな動作に思えたのだが……。
「あはは、いやちょっと……日焼けは避けたいなーって思いましてー……へへへ……」
「……その、差し障りがなければ、だが。何かそういう病気を……?」
「あ、いや、そうじゃなくて……その、気に入って貰えるかなーとか……どういう娘が好みなんだろうなー……とかなんか、こう、悩んじゃったりしてまして……えへへ……肌が白い方が綺麗に見えるかなあって……それだけなんですけど」
なるほど、乙女心というやつか。
誰かは知らないが、そんなものを向けられる男は幸福だろう。
羨ましいことだ。
そうしてお互いに名乗ることもなく、芝生の上を転がるボールを追いかける兵士と子供たちを眺めながら雑談することしばらく……。
随分と話易い少女だったから、柄にもなく自分は問いかけてしまった。
この世に生まれてから――……自分が背負い続ける命題を。
「……一つ、君に聞いてもいいだろうか」
「なんです? あっ、それ、私が聞いても大丈夫なことですか!? ええと、その、私こんなのでもたまに、オペレーターとか手伝わせて貰ってて――ええとその、軍事的な機密みたいなのがあるって知ってて……」
「いや……単なる雑談のようなものだ」
両手を慌ただしく振った少女へ、首を振って返す。
僅かに思案し――……自分は口を開いた。
「もし君が世界の未来を知ってしまって、ただしそれが他の人間には理解できないものだとする。その先には悲劇が待ち受けている……君ならどうする?」
「ええと、その……何か神話みたいですね、それ」
「……ああ。確かに、そんな神話もあったか。ああ、そうだな……君がカッサンドラになったとする。予言の力があり、崩壊を予期している……ただし誰にも信じられない。それからどうする?」
メイジーとのやり取りから、多少は神話に明るくなっていた。
それ故の知識で、酷く迂遠な例を出す。
自分は――真実、トロイア戦争のカッサンドラのようなものだ。
アポロンから愛と祝福を受け、未来を見通す力を授けられた彼女は――しかしその力が故にアポロンの寵愛の終わりを知ってしまい、彼を拒絶する。
そして、呪いをかけられた。未来を見通すことはできても――その予言を誰にも信じて貰えないという呪いを。
自分も、可能な範囲での戦争回避を考え、或いは実行しようとしたが。
無為に終わった。
そしてヘクトールなきトロイア軍が、オデュッセウスの木馬を場内に受け入れてしまうことを止められなかったカッサンドラの如く……。
戦争も止められず、自分は従軍するしかなかった。
ずっと考えていた。
自分はそれでも――主要な人物たちを殺してでも、戦争の回避をはかるべきだったのだろうか。
三圏の民衆の不満の高まりと摩擦は、既に、個人の力だけでは揺るがすことのできない時代のうねりになっていた。
預言者を偽って宗教的指導者になろうと、或いは交換留学生として士官教育を受ける彼らと交流しようと、父の人脈を何か利用としようと――戦争は止められない。
武力の行使しか、自分にできることはない。なかった。
そしてそんな己の選択を、考え続けていた。
おそらくはこの世界に唯一人である――未来を識る者として。
(俺以外なら……上手くできたのだろうか。こんな俺などでなければ……)
何故こうも、非才なのだろうか。
すべきこともできず、何も為せない――――ただの一般的な価値観だけを持って生まれた男。
そのことを悔やんでいた。心苦しかった。
死したる人の、これから喪われていく命の、その責任の一端は自分にあるのだ。
史上最も多くの人命を奪うことになる――そんな戦争の。
そう、思索していたときに。
同じく腕を組んでいた彼女は、ふと、赤いフードに包まれた顔を勢いよく上げた。
「あ、いいこと思いつきました! ええと……多分これが答えに一番近いんじゃないかなって!」
「む?」
何にせよ知見が得られるならそれに越したことはない――と木陰に影を落とされた少女を見れば、彼女は胸を張って答えた。
「誰よりも強くなればいいんですよ! ヘクトールよりも、パリスよりも、オデュッセウスよりも、アキレウスよりも、アガメムノーンよりも!」
「――」
「ほら、そうすれば予言を信じて貰えなくてもいいじゃないですか! 全部自分で倒しちゃえばいいんです!」
どうだ、という明るい声。
控えめに顔を隠してしまっているが、きっと本当はそんなふうに他人から好感を抱かれやすい性格をしているのだろう。
きっと彼女は、今までも――或いはこれからも多くの人の輪にいるだろうな、とそんな気持ちにさせてくれる少女。
そのあまりにも乙女には相応しくない力技の答えを前に――。
「確かにな。……カッサンドラがジークフリートやベーオウルフなら、そもそもあの話は成立しない。トロイの木馬をオデュッセウスごと殴り壊し、アキレウスを締め上げてから踵を砕けばいいだけだ」
「物騒なこと言ってません軍人さん!?」
「神話とは大抵、そういうものだ。残念ながら」
「残念なのは軍人さんなのでは!?」
「……甚だ遺憾だ。俺のジョークは言った後、数瞬置いたあとに炸裂すると人気だった。俺は残念ではない」
そうしてまたいくらか雑談をして、少女と別れる。
お互いに名乗る機会はなかった。少女は誰かに呼ばれて、頭を下げて足早に立ち去り――自分は自分で、行うことができたのだから。
とは言っても、今までと変わらない。
一つでも多くの命を拾うために、盾となるために己を磨き続ける。
不器用な自分にできることは、それしかなかった。
……とは言っても、結局は。
誰よりも強くなることなど、できはしなかったのだが。
それどころか――――
◇ ◆ ◇
石造りの街並みが燃える。
自分のような面白みもない男を受け入れてくれた市民の、そして僅かな邂逅で自分を勇気付けてくれた少女の暮らす――街が燃える。
備えていた。
自分は一人、備えていた。
だがそれでも、軍命に強行して流体のガンジリウムを熱し続けることはできず――資源も貴重だ――ただ、第一世代型の起動のための外部電力を用意しておくことしかできなかった。
その根幹を為す《
そして一切の援護も、友軍もなし。
敵はアンテナが角の如く飛び出した竜めいて特徴的な頭部と、爆発反応装甲を兼ねた無数の鱗じみた装甲板で覆われた機体――第一・五世代型アーセナル・コマンド:
こちらは、やはり
両刃剣めいた大掛かりな携行式プラズマブレード発生兵装:
背部に予備を一振り。その手に展開したそれを一振り。
頭部で嘴のように兜のひさしが前に伸びた騎士の如き――第一世代型アーセナル・コマンド:
それに乗り込み、燃える街の中で通信器へと叫びかける。
「戦える者は援護を! そうでない者は逃げろ! 民を連れて、家族を連れて、仲間を連れて、弱き者を連れて――手を握り、離さず逃げろ! ここは全て、俺が食い止める!」
炎の街並みから、眼前に現れた二足歩行の竜が如き機体――
その両手から放たれた悪魔的ライフルの弾丸を、身体の前に斜めに構えたブレード発振装置で受け反らす。
機体の力場に頼れない以上、装甲下にガンジリウムすら流れてない以上、己の盾はこの二振りの剣以外の何もない。
ここで、死するか――そんな恐れを噛み殺し、オープンチャンネルで声を発する。
「君たちはかけがえのない戦力であり、何よりもかけがえのない命だ! 明日への命だ! どうか、ただ、逃げ延びてくれ!」
それを何度繰り返すことになろうか。
己は備えていた――だからこうする義務がある。こうするだけの立場と、権利がある。
だが……死んでいい人間などこの世にいるはずがない。
ただの一人も。
無情に命を奪われていい筈などがないのだ――――誰であろうとも!
「いいか、俺は明日世界が滅ぶとしても林檎の木を植える! 明日のその場に俺がいないとしても! ここで果てるとしても! 生きようとする貴官たち一人一人の命が、その力がさらなる誰かの明日に繋がる! 明日に向けての林檎の木になる! 俺は今日それを植えるためにここにいる!」
降り注ぐ弾丸と跳ね跳ぶ火花に、構えるブレードが軋んだ。
奥歯を噛み締める。バトルブーストのない機体に、彼我の距離を爆発的に埋める手段など存在しない――だとしても。
たった一人でも戦えるように。
己一人でも戦えるように。
誰に信じて貰えずとも、誰に受け入れられずとも――この身一つで、決して激流に呑まれることなど無いように。
それだけの想いで手にした二振りのブレードを、半永久的にたった一人でも戦い続けられる得物を、己は武器としている。
「俺が君たちの明日になる! 明日に架ける橋となる! 君たちはその先へ! その遠く先の命のために! 一人でも多く生き延びてくれ! 戦わなくていい! 立ち向かわなくていい! 君たちがただ生きていてくれることが、俺の祈りであり遠い希望だ!」
石造りの街並みの横、敵の弾が尽きた。
その攻撃の切れ目――そこへ目掛けて、機体を踊らせる。
両の手に握り直した両刃剣――地に突き立てると共に力場を発生。その反発力によって地を蹴り、回り、疾風の如き嵐の斬撃を敵に叩き込む。
一機、二機――狂った遠心力に苛まれながらも、
そのまま、駆けた。
背中から構え直したもう一振りで、街を焼く炎を吐く竜へと身を踊らせる。
石畳の中、燃える街の中、赤く染まる晴天の下――両手の剣を振り続けた。
敵の兵装は鹵獲できない。使用できない。
セキュリティによりトリガーロックのかかったそれは、この身へのなんの助けにもならない。
『ぐ、軍人さん――無茶です、ねえ、あの、本当に、無茶です……! こんなの――こんなのいくら命令だって言っても――!』
まだ逃げていなかったのか。
オペレーターの少女が、そう呼びかけてくる。
大した職務精神だが――――最早この戦い、敗戦は見えている。この場に留まってこちらを支援するという役割は、行うべきではない。
「……顔の見えない君にも伝える。どうか、君も逃げてくれ。俺がここを食い止める。俺はハンス・グリム・グッドフェロー……命令ではない。旗に誓った。俺たちの旗に誓った。俺は――俺がそうすべきだと、あの連盟旗に誓った男だ」
『――っ、』
通信の向こうで息を呑む気配が伝わってくる。
そして、それきり通信は入らなくなった。オペレーターの少女も逃げ出してくれたらしい。
ああ――……どうか、と思う。
この世の不浄なる者よ。悪にして苛烈、善にして無情、慈悲深くして大いなる無慈悲である者よ――――死よ。
俺がおそらく、最もこの世で貴官の御許まで迫った。一度は貴官の腕に抱かれ、眠りについた。
だから――自分だけでいい筈だ。これ以上はいい筈だ。
どうかこの命と引き換えに、貴官のその指先を伸ばすことを止め給うことを。
貴官の抱擁を、苦しくも穏やかなるその愛を受けるのは――己で終わりでいい筈だ。
そう願い――すぐに打ち消す。
願えども、死は、やはり、恐ろしい。
だが、怯えるよりも先に――――行うことがあるはずだ。
「……かの誇り高きイェーアトの王、ベーオウルフよ。民を真に愛し、気高く、慈悲深き、竜に挑みし至高の王よ」
弾丸を受け止め続けた剣は、既に先程打ち込んだその時に根本から砕け散っていた。
敵は――未だ多い。
おそらく自分は死ぬ。ここで死ぬ。剣すらも失った身でできることなどない。
だが――……何もないとしても、やらねばならない。
「明日の民のために鉄の盾を携え、孤独に竜との戦いに赴いた貴官の加護を。どうか、僅か一片でも――俺でなく、民を憐れむならば。貴官が民の命を真に愛した英雄であるならば、どうかここに、民のその一日の生のために……俺に力を」
だからそれに怯えずに――どうか、立ち向かう勇気をと祈りを込める。
かの不屈なる英雄の如く。
剣を失いながらも悪鬼を討ち、竜を屠り、民と国の安寧のために竜の炎へと立ち向かった気高き英雄の如く。
どうか自分にも、その果てなき偉大なる行いの、ほんの足の爪先程でも為せるように。
砕けた剣を二振り構えて、残る十八機の
「来い。俺はハンス・グリム・グッドフェロー――――この
降り注ぐ炎と弾丸。
僅かばかりの銀血をその身に巡らせ、ただ機体を疾駆させた。
発砲音。無数のマズルフラッシュ。
持ち上げる敵の機体の残骸で射線を防ぐ。その身の鱗めいた爆発反応装甲が、死したる後も鎧となった。
その銀血がこちらの機体にも降り注ぐ。
背中以外の身体を高温の流体ガンジリウムが覆い――だが、それが丁度いい。
通電により発生させた力場。
それにより敵の弾を一瞬受けそらし、或いは存在しない超高速近接ブーストの如く己の機体を打ち出し、敵機へと接近する。
一度だけ使える敵竜の血――不死身の鎧。
その力を加速に用いて、ライフルを構えた敵機に組み付いた。
その首を締め上げる。両腕で敵機の、竜の兜のその下を握り潰す。
センサーを奪われて混乱する敵機へと膝蹴りを打ち込み、そのまま建物目掛けて叩き付けた。怯えたように錯乱のままに放たれる敵機の右のライフル。
こちらの左腕で抱え込むように、それを敵の友軍目掛けて無理やりに向けて撃ち込ませる――――。
こんなことならば機体により習熟し、理解を深め、無手でも戦えるようにしておけば良かった――そう歯噛みする。
一機を倒すとしても、時間がかかりすぎる。
そして、流体ガンジリウムが流れぬ装甲では弾を受け止めることすらできない。街を襲う流れ弾を防ぐことができない。
なんたる鍛錬の不足か。
己は――……弱い。あまりにも弱い。不十分がすぎる。
だが、
「通さない……ここから先には、一つとて……誰一人とて……通さない……」
折れた剣を敵の胸に突き立て、機体の身を起こす。
悔やむな――――悔やむならば戦え。
恨むな――――恨むならば戦え。
嘆くな――――嘆くならば戦え。
己の身を、ただ、一振りの刃と化せ。敵を討つのは機体でも、武装でも、技術でもなく――――ただ己のその意思一つなのだと。
「俺が……そうすべきだと……誓ったからだ……!」
己を刃と化せ。
決して折れず、曲がらず、毀れぬ剣の――その刃と化せ。
砥げ。
砥ぐのだ。
お前の有用性は、ただ、それだけだ。
「俺は、ハンス……グリム……グッド、フェロー……! 連盟の旗の下の……軍人だ……!」
そして――撃ち込まれる竜の炎と礫に、敵の数を半分に減らすその時には機体の大半が砕け、建物の瓦礫の中で俯せに倒れていた。
膝から下が砕け散った機体。
最早右腕しか残らず、コックピットのモニターもひび割れ、剥がれた前部装甲から外を睨むだけの己。
それでも、這った。砕けた足で、地を踏みしめようとした。
腕一本でも、胴だけでも、敵機を倒す――その質量を武器に変えて、敵を殺す。
或いは撃てずとも。
民の、その暮らしたる家の、彼らの思い出の――……せめてもの盾になれればいいと。
断面から散る火花に構わず、機体を起こした――そこで。
目の当たりにした。してしまった。
白い機影を。
放たれるプラズマ弾を。
それが、敵機を飲み込むのを。
自分の駆るアーセナル・コマンドより上等そうな細身の鎧。
そして、実験機と示すために赤く塗装されたフードめいて頭部を覆う防護板と、その内にシャッターバイザーじみた光学センサー防護を持つ頭部。
言うなれば、狩人の如き赤いフードを被った白き騎士。
第二世代型アーセナル・コマンド――
自分は、喰い止めることができなかったのだ。
あれほど手紙で言葉を交わしたどこにでもいる少女を――――戦場で、殺人者としてしまうことを。
『あの、軍人さん――――! 聞こえますか、軍人さん! 私は――』
その通信音声すらも、遠ざかる。
思えば胴体前部装甲が破壊された際に、脇腹などに破片が刺さっていたのだ。
出血多量か。
これで死ぬのか。
自分のように為すべきことも為せなかった男には、そんなものも似合いかと思い――――そしてまた、死神に拒絶された。
自分が目覚めたのは、三日後の野戦病院で。
既にレッドフード――メイジー・ブランシェットは、戦いに旅立ってしまっていた。
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