第28話 ゼロ、或いは怒りの日は来たれり


「馬鹿なことを……!」


 確かに、非戦闘員への作戦上での正当なる被害を取り締まる条約も法令もない。

 そう、正当なる被害と認められれば――だ。

 事実として、あの戦争において、【星の銀貨シュテルンターラー】の使用を決定した衛星軌道都市サテライト連合の関係者の――首脳陣の大方は終戦間際に何者かに殺害されていたが――軍人や官僚は戦後、戦争犯罪人として法廷にて裁かれたとしても……。

 だが一方で、海上遊弋都市フロートのマスドライバー襲撃を行い市街地で軍事行動をした自分たちが裁かれることはなかった。

 それも、都市を巻き込み少なくない被害を民間人に出していたというのに。

 結局、何が正当か何が正当でないかなどは最終的には戦後のパワーゲームにすぎない。

 そこを究極的に決めるのは自分たち軍人ではなく、政治であり、時代であり、そして文民や市民の総体としての力だ。


 だが――……そうだとしても、


「二人共、俺が許可を出すまでは絶対に撃つな! 俺が司令官に疑義を申し立てる! 大丈夫だ! 君たちの命を損なう判断だけはしない! 俺を信じてしばし待て!」


 部下二人に呼びかけて、司令官への通信を行う。

 全周モニターの向こうでは、石造りの建物の向こうで白き光が赤き灯りと立ち上る黒煙とに塗りつぶされているのが見える。

 歯噛みする――


「釣り出した、とはどういう意味か確認したい。貴官は部隊を展開すれば敵が襲撃を行ってくると――そう考えた上で行ったというのか」

『そうだ! そして見事にその読みはあたったと言うわけだ! これは私の功績だ! 紛れもない私の手柄だ! わかるかね、前線症候群! これこそが戦術――』

「民間人がいる中で! 民間人が集まっていたこんな時機に! 敢えて敵を挑発したというのか! 兵たちを囮の人形のように!」


 そんなもの、最早、軍事でもなければ戦術でもない。

 頭抜けて使えぬ指揮官であったが、そこまでの無知蒙昧とは思ってはいなかった。紙の上でしか犠牲を数えていないのか――ふざけた脳だ。すぐにその首を切り取って家族に送りつけてやりたくなるほどの愚図であり愚鈍なる害悪。

 作戦上、確かに敵の釣り出しを行うことはある。

 だが繰り返すが――……それは必ず兵に対しての通達あってのものだ。断じて、ただ指揮官が己の手柄のためだけに行っていいものではない。

 それはあらゆる理念、そして究極的な軍事行動の法益に反している。


 また、非戦闘地域での強制力の使用によるハラスメント行動は厳然と軍紀にて取り締まられる条項であるのだ。


 ――拳を握りしめ、頭を回す。

 そんなときだった。

 敵機かこちらか、放たれた弾丸が空の半円ドームに着弾した。

 夜空を移す透明のそれに、みるみるうちに蜘蛛の巣めいた亀裂が入っていく。

 そして――


「敵味方に告ぐ! 全機、射撃を止めろ! 対圧ドームに穴が空いた! 密集した市民に退避の暇はない! 通常の避難行動の実行ができない! すぐに戦闘行動を取りやめろ!」


 急激な気圧差による、外への吹き出し。上昇気流。

 このままでは、遠からず対気圧ドームは砕け散る。そして待っているのはその酸素濃度による市民の昏睡及び煙に巻かれた死だ。

 通常、空中浮游都市ステーションであればその緊急事態に対しての避難行動は想定されている。例えば機密シェルターや対気圧服やボンベ――……だがデモの密集した市民たちに、そんな避難行動など不可能であろう。

 完全に最早、暇はない。

 治安出動――その暴動を放置してしまえば発生するであろう略奪や私刑、それによる被害を防ぐという保護法益を持つ行動。

 その保護法益に基づけば、これから行うことは決して違法ではない。法の理念に反していない。


「シンデレラ、ヘンリー……すまない。応急処置用のキットがあるはずだ。二人で穴を塞ぎに行ってくれ……俺が君たちを撃たせない! 必ず!」


 補修用のドローンが街の随所から飛び上がろうとするも、敵味方識別装置など搭載されていないそれは拡散ミサイルに呑まれ、或いは銃撃により墜落していく。

 街を炎が覆っている。その中を、曳光弾が流星めいて飛んでいく。

 一機、建物の上空で敵のモッド・トルーパーが墜落するのを見た。

 その先は、広場だ――――。


『戦闘を行なえ、グリム・グッドフェロー大尉! これは命令だ! 何をしている! すぐにその無駄な殺人性能を発揮しないか!』

「断る。兵には良識的な兵役拒否が認められている。……人道に対する罪は、たとえそれが命令とあっても命令権者のみならず実行者にもその責が及ぶ。そして今回の件に関しては軍紀に抵触しかねない! かつての終戦の裁判や軍事法廷の判例を鑑みれば、兵にはその不当な命令の拒否をしなければならない義務があることになる」


 頭を回す――彼らを保護できるだけの理由を。

 自分が動かなければならない理由とその根拠を。

 己は兵士だ。だからこそ――


「黙認などできない。俺は、部下二人にそんな咎を負わせるつもりなどない」


 己のような殺人者は構わない。

 だが未来ある若者たちを、いずれの戦犯や虐殺幇助犯である――などという評価を下されることだけは避けねばならない。

 

 この艦長の行動は、何ら軍事的な正当性がない独断専行だ。おそらく正常ならば処分の対象になる――こんなものを、ヘンリーにもシンデレラにも付き合わせてはならない。

 時間が惜しい。伝えろ――すぐに。何もかもを。


「中立である地域で敵の企図を知りながら意図的に、民間人を巻き込む軍事行動を行うことがと呼べるとは思えない。これは戦闘後に深刻な処分の対象となる案件だ。繰り返すが、部下をそんなものに付き合わせる気はない」

『黙れ、英雄気取りの一大尉風情が! 彼らはテロリストを匿っていたのだ! それに対する空爆などの軍事行動は慣習的に認められている! これはだ!』


 厳とした艦長の言葉。

 ああ、確かにそれには利がある――――理はある。

 だが、


「確かに敵の軍事力が民間居住区に潜伏している場合、都市部に軍事設備が隣接している場合や、兵器工場など軍事的な戦略拠点などに当たる場合の攻撃は認められる得る――だが、あくまでも事前の退避通告を求められる筈だ」

『そんなことをしていて逃げられたらどうするつもりだ! そんなもの、いちいち裁かれはしないのだよ! これはだと言っているだろう!』


 それもグレーゾーンだ。いいや、黒であるがグレーとされているだけのものにすぎない。

 敗者になれば裁かれ、勝者ならば裁かれないで済む――本当は道義的かつ法的な問題に抵触する筈なのにただパワーゲームからのみ許されるもの。

 だが、


「この空中浮游都市ステーションには病院も多い。それらを巻き込む大規模な攻撃など、理念に反しており違法に問われる可能性が高い……これは病院や中立都市に対する戦争被害を与えている行動も同然だ。故意にそれを行ったとなれば、処分の対象として十分な事案だ」

『このまま戦闘が長引けば、その被害の方が大きいだろう! 故に……許されるのだ! 緊急避難と言ってしまえばいい! テロリストへの支援を行う都市に対する、やむを得ない接敵だ! 繰り返すが、なのだ!』

「通例的に許されているのは、テロリストが明確に中立施設を盾にし、それを巻き込む攻撃が他に避けられようのない事態においてだ。今回の事例には該当しない。都市部そのものに対しては、事前の通告なしでは許容の対象にはなりえない」

『ならばこれが新たな判例で、より正しき法令なのだ! 【フィッチャーの鳥】こそが、新たなる世界の秩序そのものだ!』


 どこまでも、話が噛み合わない。

 仮に本当にテロリストが匿われていた場合でも、よほど好意的に判断されればそう扱われるかもしれない。

 明白に敵が病院などを盾に攻撃を行っていれば、緊急避難と看做されるかもしれない。

 だが、そのために都市部全域を危機に晒すというのは不当と判断される可能性が高い。


 そして、まだテロリストが本当に存在した場合がどんなに良くてもその程度であり――もしこれが、敵の策略であるとしたならば――……。

 だが、最早、これ以上の議論の時間すら惜しい。

 ならば、


ならば何も問題ないのだ、ハンス・グリム・グッドフェロー!』

「……了解した。その定義についても法的な疑義はあるが今は議論の時間もないので割愛しよう』

『ふん、ようやくわかったか! ならば速やかに――』

「割愛であって是認ではない。履き違えるな」

『な、に……?』


 困惑した様子の指揮官へ、告げる。


『法的な疑義の残る行動を何故行える? ……どうあれ救護措置を行ってはならないという定めはない。中立都市の市民の人命保護がより緊急性が高いと判断し、都市防膜の補修を優先させる。当機たちは、治安出動の本義に基づいて行動する」


 

 ――首輪を付けろ。己に。

 軍人たると決めたのだ。故に決して逸脱はしない。

 ただ己の理性と規範に基づけ――本分を果たせ。兵士の本領を。逸脱や濫用らんようすることなく。


『ならん! ここで奴らを取り逃がす方が甚大な被害となる! 私の名誉も損なわれる! 速やかに撃墜に迎え、グリム・グッドフェロー! 兵士である意義を証明しろ!』

「繰り返すが――民間人に対する不当なる虐殺を防ぐことも、兵士たるものの義務であり職務だ! それを名目とした出動もあり合法である! 非武装非戦闘員への虐殺は、軍紀にも違反行為として定められた処罰の対象だ! 爾後じごに法的な正当性の解釈で議論を呼ぶ貴官の行為より、正当性は確実だ! 反論があるなら判例を使え! 貴官は、暴力行使の法的根拠を示さねばならない!」

『法、法、法と……! ええい、この……英雄気取りの若造が! もういい、貴様は臆病者の敵前逃亡者だ! 敗北主義者め! そんなにも私の功績を認めたくないのか!』

「なるほど、燃えているのは貴官の頭か」

『――っ、グレイマン准尉、アイアンリング特務中尉! その男を拘束せよ! 不敬罪と抗命及び不服従だ! でなければ貴様らも全員まとめて処分対象だ!』


 ことの推移を狼狽えて見守っていた二人の背が跳ねた。

 機体にもそれが伝わり――……だからこそ、自分の精神は完全に切り替わった。


「……そうか。俺の部下と上司に、俺を撃たせるか」


 剣であれと――そう定めた己の有用性。

 いつ如何なるときに、何が相手だとしても、どんな事情だとしても、誰がそれを阻むとしても行われる絶対的な意志の執行。

 己は、それとして定められている。

 そういう風になっている。そうと己自身を仕向けている。

 決して折れず、曲がらず、毀れぬ剣――――その実践。


「一つ言っておくが――……。俺は、そんな程度の脅迫には屈しない。俺は曲がらない、折れない、妥協しない。――たとえ彼らを斬り捨ててでもだ」


 自分の脳が冷徹さを帯びていくのを理解した。

 テロリストとの交渉はしない、更なる被害を防ぐために弱みは見せないという理論の絶対的なる実行――それを可能とする無毀なる刃。

 彼らを戦争犯罪人や軍紀違反者にしないためと宣いながらも、彼らを斬り伏せられるという矛盾。ただ剣であるべしと定めた鋼めいた誓い。研ぎ澄ます己という刃。

 今、自分は、一個の暴力そのものに転じつつあった。

 故に、


「だが――……了解した。都市部の防護ガラスの損害を防ぐために、それを呼ぶ全区域の戦闘行動の可及的速やかなる停止のために、敵機の撃墜を行う。虐殺の防止措置として、敵機を殲滅する」


 容易い。

 最早、己の私情などは関係がない。

 この場の敵を全て斬り捨てたならば、それが最も手早く合理的な解決だ。そもそも撃つ者がいなくなれば、この無意味な議論なども必要がなくなる。

 ただ、斬るのだ。

 己を一個の刃と化せ――――。


「……すまない。君たちは先程の指示を行ってくれ。これも軍事法廷に備えた必要な措置だ。俺が、なんとしても君たちに虐殺の汚名は着させない」


 そう告げ、二人に背を向ける。

 作業の掩護や防衛も必要ないだろう。

 これから先、彼らに銃を向ける者などいなくなるのだ――全てを死人に変える、それだけだ。


「大尉……だって、そんな、大尉は! 大尉はどうなるんですか!?」

「……案ずるな。殲滅は――……得意なんだ。昔から」


 笑えば、シンデレラが絶句した。

 モニター越しには涙を浮かべていた。そんなつもりではないと思い――そもそも何故彼女が涙を浮かべたのかも判らない。まあ、大方、ストレス反応だろうか。

 ヘンリーは目を伏せて唇を噛み締めていた。

 良くできた部下だ。ここで議論などされては困る。暇など、存在しないのだから。


「ハンス・グリム・グッドフェロー――コマンド・レイヴン、これよりあらゆる武力行使に対してする」


 触れるホログラムコンソール。

 承認の要求――【使用者の処理能力に多大なる負荷が予期されます】【通常想定されない非推奨な動作です】【本当に実行しますか?】。

 通常は駆動者リンカーが、その接続率を確認するための動作。そして、それぞれの素質に応じたセットアップを行うための初期化コマンド。

 その悪用。

 戦場では決して行われるべきでないそのコマンドを、起動するためのパスコードを言い放つ。


Vanitas空虚よ――para備えよ bellum戦いに,」


 そしてもう、ハンス・グリム・グッドフェローは備品となる。

 戦の。

 全てを黒く焼き尽くし死を告げる大鴉レイヴンの、その備品に。


 両腕から紫炎をほとばしらせて、光輝く確然たる死の翼を以って――銃鉄色ガンメタル大鴉レイヴンは飛翔した。



 これは、英雄の所業ではない。

 ここからするのは、単なるだ。



 ◇ ◆ ◇



 一機――放たれる弾丸を躱し、その胴を貫く。

 刃は解除しない。

 貫いたままにそれを盾に変え、もう一機を縦に両断した。


 敵の火砲は、こちらを捉えられない。

 連装ライフルの弾丸も、バズーカの弾も、煙を上げる拡散ミサイルも全てを置き去りに機動し、首と胴を刎ねる。

 貫かれた敵機が誰もいない路上に落下した。

 蒸気を上げる銀血を撒いて停止する。

 

 また一機、墜とした。

 どこかの歴史的建造物を模した建物が、砕け散った。

 だが、構わない。

 そこにシェルターはない。つまり、どうでもいいものだ。


 恐慌したようにはためくマズルフラッシュ。

 敵機の照準は自分に集まっているようだ。

 その視線と死線を潜り、大鴉レイヴンは飛翔する。そして殺す。

 実力の差は理解した。

 殺さずとも収められようが、特にその必要はない。


 力場の暴走による周囲を巻き込んだ自死を防ぐなら、速やかに殺害するのが最も効率が良い。

 碌な回避をしない敵を両断する。

 頭を庇うような、怯えた動作をしていた。

 その暇で弾丸を放たれたら面倒だったかもしれないが、どちらにしても殺すことは可能だ。問題なく切断する。


 あとはその繰り返しだ。

 草を刈り取るように、その全てを殲滅した。

 生者は殆ど残らなかった。

 デモに集まった彼らは、どうも、味方が撃ち落としただろう弾痕を残す敵機体の下敷きとなり、或いはその高温の流体により生きながら焼かれて死んだらしい。

 或いは、パニックになって将棋倒しで死んだか。

 踏み潰された老人の死体も見えた。押し潰して逃げたらしい。見覚えはある。


 都市部での火災に対応して、路上や建物からのスプリンクラーが作動する。

 ブレードを解除した銃鉄色ガンメタルの機体に、降り注いだ。

 

「……死神」


 誰かが呟いた。

 シンデレラたちは間に合ったのか――生存者は、いるらしい。

 呆気に取られていた味方たちも動き出した。

 損害は、一機か。

 コンソールに触れる。その確認はできた。それだけだ。



 ◇ ◆ ◇



 炎に包まれる市街地を見て、癖のある灰色髪の男――ウルヴス・グレイコートは絶句していた。

 確かにここに【フィッチャーの鳥】が集まっているとは知っていた。スパイを潜り込ませられないかと、勘案もした。

 だが――……これは、なんだ。

 こんな真似を、一体何の道理で――何の正当性があって、行ったというのか。


「なあ、ほら――いいだろう? 旦那。あんたが望んだその通りさ」


 そして街の高台から炎を見下ろして、傾国の毒女の如き笑みを浮かべる神父服の男――アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニー。

 煤けた銀髪を翻して左で松葉杖を突くその男の片足はなく、右腕もなく、右目もない。包帯だらけのその姿。

 機体を完全に損壊させ、おおよそ戦いに出られないというその有り様。

 だが、両腕を失った女神像が却って人々の興味を掻き立てるかの如く――青年は妖しく羽化した。

 怪我も感じさせぬ足取りでグレイコートの傍まで跳躍すると、肩に手をかけて青年は嗤った。


「これで【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は生まれ変わる。その名前のとおりに――を祓うために、心の底から働くさ。そうだろう? もう火がついてしまったんだ」


 まさしくこれこそが狙いであり、そして望みだったのだと囁く神父服の悪魔――。

 望みだったのだろう――お前と、おれの。

 そう囁かれている気がした。ウルヴスの精神という貞淑なる褥に入り込み下着を脱がせて秘所を暴いたかのように、醜悪で蠱惑的な笑みを浮かべた。

 からん、と松葉杖が音を立てる。

 ウルヴスは、青年の胸倉を掴み上げていた。


「貴様……! 増設ブースターを使わせなかったのも、執拗に援軍だけを狩ったのも……! 急に一切の軍事行動をやめて敵の緊張を緩めたのも……! あの船を沈めて反抗活動を勢い付かせたのも……! これが……こんなものが、狙いか……!」


 図抜けた策だ。

 ふざけた策だ。

 この青年は、初めからそのつもりで動いていた――。


「彼らに我々の勢力の本拠地を誤認させる! そして双方に怒りを溜めさせ続けて、ついに爆発させる! それが――それが、この結果など……!」


 モッド・トルーパーという、アーセナル・コマンド一機を解体すれば容易く作れる機体で戦力を嵩増しさせた。

 おまけに、この医療都市――それに重症だった自己の治療をさせながら、その痕跡を抹消させた。

 付け加えれば、サー・ゴサニ製薬が半ば人体実験的に貧民に対して脊椎接続アーセナルリンクの手術を施しているのも、その助けになった。

 これが彼の嘯いたならず者の傭兵の戦い方――……。


「あんたはあんたでかわいいお嬢ちゃんに接触していたみたいだがね? ほら、その助けにもなったろう? ははっ、それに――」


 正規軍的な破壊工作と間諜。

 そして人の死を死とも思わない、実を取るだけの悪辣な作戦だった。

 かかった敵の指揮官は、よほど、間が抜けていたのか。

 それを、このギャスコニーは優れた屍肉漁りの嗅覚で嗅ぎつけたのか。

 経験が少ないその短絡的な指揮官は、恐らく何の疑問の余地すらもなく作戦を実行したのであろう――己の保身のために。この悪魔の導きの通りに。


「嫌だな、旦那ぁ――……おれは燃やせとは、ひとっことも言ってないぜ? こりゃあ、あちらさんがやったことだ。そうだろ? 


 ぬけぬけと宣うその口に、ウルヴス・グレイコートの中でかつてないほどの怒りが噴出する。

 確かに【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】は正規軍ではない。

 だが正規軍内にも勢力を抱えているし、その役割はあくまでも急進に過ぎた【フィッチャーの鳥】へのカウンターだ。

 分断を避ける。

 代表たる少女のそんな心意気に胸を打たれたからこそ、ウルヴス・グレイコートは力を貸しているというのに。

 それが全て――決定的に台無しにされた。

 いや、或いは、


「放してくれよ、なあ――……旦那ぁ。おれは怪我人で、あの船も落とした功労者で、あんたが心の奥底で願っていた通りに組織を生まれ変わらせてやった――よぉ、優しい優しい狼。?」


 男性的なその傲慢たる声に押されてグレイコートは手を離した。

 お前も心の底では判っていたのだろう――それが夢物語でしかなく、そして、どこか冷めた頭で分析している己がいることに。

 そう言われた、気がした。


「は、はは! すげえ臭いだ! 人が焼ける臭い! 炎の臭い! 死の臭い! ああ――……だから消えていく。静かになる」


 青年はその身を抱き締め、儚げに微笑う。


「なあ、あんたはどうだい? ハンス・グリム・グッドフェロー? 脳に瞳を――……授かったかい?」


 天に空いた無慈悲なる光のうろ――月は、そんな彼らを見下ろしていた。

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