第24話 剣の墓標、或いはハンス・グリム・グッドフェロー
夢を見る。見る日がある。ごくたまに。
夢を見ている――――不意に。暗く。黒く。
その男は、空虚だった。
真実、そこに何もない。真正の虚無にして真空。
純粋なる暴力の化身。
言葉なく、祈りなく、願いなく、ただ何も省みることもなく――吹き荒れる破壊の嵐。
男が告げる。
――お前は生者のような死者で、俺は死者のような生者だ……と。
肯定する。
確かに自分は既に一度死んだ身であり、今は仮初めの生を生きるだけの、本質的には死人であるものだと。
対して男は命の価値が無になるほどの戦場を通り、やがてただの一振りの刃に至った死人めいた生者であろう。
その在り方は真逆。
同じ名を冠し、同じ姿を持ちながら、彼と己は真逆だった。
彼は死者の王だ。
全ての生命が行き着く先の死を統べる者であり、全ての戦場にて死したる者の代弁者であり、彼らが最後に見た死そのものを表した者である。
自分は墓守の犬だ。
全ての生命がいずれ至るであろうそれを悼み、決してその境が入れ替わることなきよう見定め、彼ら死者の送り人にして生者の守り人になると決めた者である。
ハンス・グリム・グッドフェローは死者の王たる死神であり――。
ハンス・グリム・グッドフェローは死を見送りたる死神である。
互いは、真逆。
座る椅子に刻まれた文字。互いという剣の銘。
彼のそれ――
空虚、空虚、ああ……なんたる空虚!
己のそれ――
平和を愛さば、戦に備えよ。
だから――と男は言うのだ。
お前が羨ましい――一度死しながら、死者ながらに生者となれたお前が。
故に、自分は応えるのだ。
貴官が羨ましい――一度のみの生で、生者のまま死者の信念の境地に至れた貴官が。
己は及ばない。
どれほど努めようとも、この内から湧き上がる感情に首輪をつけなければいられない。
首輪なくして、己が己のままであることができない。
己はすべからく生者のためにこそ、あえて死者の境地に至りたいというのに。
男は言う――それでいい、と。
お前は生者のような死者であり、そして既に死者にして死者でなく、しかしてそれを生者と呼ぶ。
ならばそれがいいと。
お前は生者にして生者であるのだと。
己は言う――そうなのだろうか、と。
己が死者から生者になりしものならば、死を抜けたるならば、それほどまでに恵まれているならば、己のこの力は誰かのために使われるべきなのだと。
かの救世主にはなれじとも。
己のこの、天より賜りし幸運は――己より弱く力なきものに使われるべきなのだと。
男は頷き、そして笑う。
施されずとも、施すのか――と。
自分は首振り、そして言う。
施されたから、施すのだ――と。
その道は、交わることはないのだろう。
だが、今はこうして交わった。その名の空虚なる器に、魂として。中身として。
男の名はハンス・グリム・グッドフェロー。
己の名もハンス・グリム・グッドフェロー。
彼は死神。首切判事。
そして第九位の破壊者。
グリム・“ザ・リーパー”・グッドフェロー。
俺は死神。首斬判事。
或いは白刃、或いは黒の処刑人、或いは嵐の裁定者。
第九位の破壊者。
ハンス・グリム・グッドフェロー。
俺と彼は同じであり、俺と彼は異なっている。
――そんな、他愛もない夢だ。
◇ ◆ ◇
一度、目を閉じる――――。
機能だ。己という機能の発揮。それは究極的には、確かに、彼の言う通りおそらく純粋な暴力そのものなのだろう。
ただ斬ることのみ。
それにだけ集中し、あとの一切を捨てた状態。
あらゆる逡巡を必要とする情報を排し、あらゆる情動を排し、あらゆる感情を排したその先。
無毀なる湖面の如く己の意識を集中し――或いは何の集中も必要とせずに、全てを無意識に沈めること。
ただ一枚の斬撃という絵を描き上げるための存在。
一本の筆。或いは剣。
首輪は不要だ。千切るということでも、捨てるということでもない。ただ不要なのだ。
心のさざ波になるものを切る。
友軍からの通信や連絡すらも己に届かない。
全てがレーダー上の光点。斬れるか、今はまだ斬れないか。それだけしかない違い。
あらゆる情動を切り離し、情報のみを喰らう獣。
己の内なる首輪付きのそれとも違う、究極的な無我。
空虚であるハンス・グリム・グッドフェローの、その先にある有にして無。無にして有。彼をも超えた唯一の己。
意識的な動きを無意識に追いやれるだけの鍛錬と、己を究極的に削ぎ落とすその両輪がそれを可能とした。
聖でも魔でもない、ただの一振りの剣――……。
「嘘だろう――……はは、なあ、あんた……あの時よりもすごい……
ホログラムコンソールにタッチする――普段使わないその機能をオンにする。
警告表示――【使用者の処理能力に多大なる負荷が予期されます】【通常想定されない非推奨な動作です】【本当に実行しますか?】――承認。
呼吸を一つ。
脊椎を介して機体との接続が深まる――多幸感。
本来、己の肉体ではない鋼の身体。
己の肉体には存在しない部位と機能。器官。
無意識的な機体の操作のために身体に外部接続したそれは、しかし、それでも制限されている。
境目がわからなくなるのだ。
翼なきものが翼あるものにはなれないように。
本来存在しないものを操ること、或いは本来存在するものが存在しないものとして扱われること。
人間の精神と脳機能はそれに耐えられない。
続けていれば脳はいずれ、自分の心臓の動かし方すらも忘れてしまう。――何故なら、機体には存在しないから。
そんなリスク。
鋼の主従が入れ替わってしまうリスク。
不随意運動を司る脳領域まで犯しかねない危険な機械との接続――それが
無意識の危険の見極め。
意識したその利用と区別。
それこそが、アーセナル・コマンドを操る才だ。
己にはそれがない。
だからこそ、全てを切り立てて純化させる。
警告/要求――【最終確認です。実行の場合、パスコードの提示を要請します】。
「
承認表示。
これで口という器官も必要なくなった。
瞬間的に拡張される己という枠――何たる清涼な全能感。
事実としてセンサーの情報全てが己の脳に吸い込まれている。重量感。気流。サーモ――全て。
機体の全てに関しての意識的にして無意識的に行う自己完全制御。
『【接続率の初期化を実行】【戦闘中の使用は推奨されません】【使用者は直ちに最適な接続率への調整を実行してください】【心身に重大な影響を与える恐れがあります】【接続率を変更してください】』
血流量を調整。不要な臓器への流量を制限。
心拍数を増大。己の最も運動に適した心拍数――――一八〇に到達/維持。
切り分ける。万物を。
飛来する光弾――機体のセンサーが/己の目が捉える。
既に反射的に左に躱している機体――己の身体。
踏みしめる足。
慣性で両の腕に伝わる装備の重さ/不快感=触覚。
赤い光学センサーの/己の眼前の――跳ねる黒い二脚逆関節。降り注ぐ紫のプラズマ炎。
なんてことはなく。
単に、躱せばいいだけだ。
敵機両腕の武装。つまりは二門。弾は最大二つ。
否、同時に二つはありえない。二丁とは、必ずその冷却時間と発射時間を補うためにある。
跳躍、発射、着地。或いは発射、跳躍、発射、着地。もしくは空中での再跳躍。
このルーティンを揺さぶり、崩す。
彼我の間合いは、埋まっていない。
ただ、こちらも先ほどまでは攻めあぐねて躱していただけだ。ならば問題ない。
甲板には幾つもの孔が穿たれ、融解している――漏れ出た銀血。
敵機は自在に跳ね跳び、プラズマ弾を放つ。
左へのバトルブースト。応じて回旋しながら落下する敵の漆黒の機体。
常にこちらを正面に捉えるように慣性制御と機体操作を行っている――手慣れた
回避しつつ、細胞が思考する。
敵の機体の真下に入るのが常道か。
否、それを防ぐためのあの両脚外側の剣じみた装備。足下の死角を潰し、敵の死角たる頭上からの襲撃を可能とする。
操縦者の才能に裏打ちされた装備。
だが、ただそれだけだ。
艦橋からの大がかりな跳躍。狼の飛翔。
発射――右前方へ回避――着弾。吹き出る煙。散る銀血。
接近。
応射――左前方へ回避――着弾。吹き出る煙。散る銀血。
軋む漆黒の逆関節。着地に間もなく、再びの黒い機影の跳躍。空中でまた跳んだ。黒煙の鉄の墓場を跳ねる狼。
当機の殺し方を理解した挙動だ。
ならば――
「――」
空中から撃ち出されたプラズマ弾を一度回避してからの、即座に逆方向への切り返し接近。
敵弾がもう一発迫る――直角方向にバトルブースト。
敵機は瞬時に回旋してこちらを正面に捉える。機体の片側だけのバトルブースト、或いは右と左で前後方向を対称にした噴射による急回旋――クイックターン。
それを見届けるが先か。
奥歯を噛み締め、再度直角に真逆へのバトルブースト。直後合わせて、斜め前方への連続バトルブースト。
敵機はそれにも合わせた急回旋。
踊っている。踊りながら弾を振りまいている。そのたびに母艦の甲板が抉られている――だがそれでいい。
こちらも機体及びその内部へ命令。
装甲電力消費減――《
同時、コックピット内の付属物へ命令――腹直筋を収縮。腹横筋を収縮。腹斜筋を収縮。大腿四頭筋を収縮。頭半棘筋を収縮。加速度の重圧への防御措置を実行。
一度でも多くバトルブーストを。
己の機体を、肉体を、
徐々に高度を失墜させながら、引力に従い着地する敵機。
その上昇エネルギーの再装填。
先程までとは異なり、敵もジェネレーターの出力を最大限に消費させられて、武装を放つ暇のなくなった着地と跳躍のその間隙。
瞬間に、完全に――《
全てを推進力と対空力
増設ブースター使用時のような巡航飛行状態への転換。
こちらにも切り替えに僅かな溜めと隙を有するが、敵機はその隙を狙えない――ままに黒き影は跳躍。
その真下を潜り抜けるように――極超高速/極低空飛行で撃ち出された
敵機の後背を、真下から奪いにかかる。
だが――或いはそれも慣れたものなのか。
敵の両足外部の両刃剣から放たれたプラズマの弾丸。二発降り注ぐ紫の光弾。
咄嗟、掲げた両腕のブレードにて防御――力場と力場の衝突により失速する
敵機は待たない。
空中でのバトルブーストを合わせた慣性変更による落下地点の変更。足止めされた当機を正面に収めるようなクイックターン。再度、こちらに向けられる銃口。
これすらも、及ばないか。届かないか。
定型化した殺法と対応。際立った操縦能力。
だが――故にこそ、真なる秘剣は解き放たれる。
「
本当に口に出ていたか判らない。
己の内なる己は、機体の付属品は、既にその能力を喪失している。
あるのは情報。そして制御。
完全なる機体それ自身の制御。
敵機のクイックターンの速度も把握した。情報を切り分けた。この邂逅にて布石は打った。
あとはただ、斬るのみ。
こちらを捉えた敵の左手の銃口が吐き出すプラズマ炎を右前方に回避。そのまま再度、更に右の直角へ。
黒き狼の急回旋。その手の武器の冷却時間時間を、逆腕で補おうとする戦闘機動。
こちらも即座に切り返す――真逆へ。
行うのは、繰り返されるのは、先程と同じ敵の着地と跳躍を突く――巡航飛行状態を織り交ぜた戦闘機動。
同じ結果だと、敵は思うか。或いは
ああ、その通りだ。
全く以ってその通りだ。
そしてそれは完遂される――機体の完全制御によって。
行うのはただ一つ。
己の体内を流れる血液を操るという、人体には決して許されない暴挙。
機動が変化する。
重心が変われば加速による挙動も変わり、左右への切り返しの速度も変わり、以って一度認識させた当機の印象を――斬り捨てる。
敵が遣い手であるからこそ赦される微小な変化。その必殺剣。
極低空飛行――敵機の真下を潜り抜けるその瞬間に体内の重心を振り付け慣性操作/再加速。狼の脚から放たれた紫炎の爪を振り切った。
そして敵の後背に抜けると同時――重心変化/急回旋。
脚を踏み切り、頭上のその背に目掛けて急飛翔。
だが、流石と言うべきか――敵とて回旋。両の銃口がこちらを捉える――――問題なし。
重心変化を伴った、あまりにも不安定な――それが故に赦される異常な回避機動。
迫る弾丸を一発二発、切り返して敵機めがけて一直線に吸い込まれる鋼の
衝突する二振りと二振り、十字に交わした四本のプラズマブレード。
衝突の反動のそのまま、敵機が後方へ跳躍のバトルブースト。
後方飛び込み回転めいた姿勢を取りながら、甲板へと墜落する。
その先に――上下に分かたれた友軍機の胴体。
敵が、その胴の上に着地した。吹き出る銀血。漆黒の逆関節の右足が、その外部の鋭い両刃剣が友軍機の胴を貫く。
そして――人狼は身を起こすと同時に猛烈に振り付け、遠心力と力場の爆発を合わせて一直線に投げ飛ばした。
「――」
だが――だからどうした。
空戦力学的な有利はこちら。この程度を両断したとて、まだ有する運動エネルギーは上。
すぐさまにブレード刃を起動。
その紫炎を以って、迫る残骸を両断すべく――――
――――ブレードを解除。
咄嗟に真下目掛けて、位置エネルギーも加算した直角のバトルブースト。
だが。
迫り来たそのアーセナル・コマンドの影から、分かたれるように飛び出した黒き人狼。遺体を盾に接近していた敵のワーウルフ。
「引っかかりはしねえか。存外やる男だな、あんたも」
その両足のブレードが、力場が――両踵落としさながらに、上から抑え込むようにこちらのプラズマブレードと衝突する。
力瘤を作るかの如き
歯を食い縛った――再びの鍔迫り合い。ヘルメットの対閃光シャッターが展開する。
やられていた。
あのまま遺体を切り裂いていれば、振り切ったブレードの隙を突かれてやられていた。
それを避けたのは、おそらく、マーシュの言葉を借りる形で現れた無意識の己の本能の警告だ。
「さて、ま。こっちも仕事なんだ。……わかるだろ、大尉さん。仕事には努めないとならねえのさ。貰った金の分ぐらいはな。そしておれは、それが得意なんだ」
刃が押し込められてくる。そして敵は詰めに入った。
黒い人狼が足で踏ん張るようにこちらのブレードを抑え込み、そしてその上半身は、自由である両腕は両刃剣じみたプラズマライフルを照準してくる。
絶対絶命――謂わばその状況である。
だが、
「俺は、主について語る言葉は持たない。……だが、どうやら報いとやらはあるらしい」
「なに?」
「報いだ。血を浴びたな――銀の血を」
投げつけるにあたって鋼の遺体へ突き立てた敵の刃に残る銀色の液体。
それは単なる流体ガンジリウムだ。
つまり敵機の持つセキュリティコードの取得など必要なく、誰でも通電可能な存在だ。
片側のプラズマブレードをオフとすると同時――余ったエネルギーでの半回転。
滑るように突き出した左腕。
剣と剣、刃と刃、発生装置と発生装置――月光を照り返して、触れ合う鋭い切っ先と切っ先。
瞬間――――《
「ん、な――――!?」
弾ける紫電と生まれる力場に、敵機の脚部兵装が損壊する。砕けた破片と共に銀血が舞う。
そしてそれすらも流れる紫電に触れて力場が発生。
万力が締め付けるかの如く、狩猟罠がそうするかの如く、透明の牙は黒き金属の狼の右足を千切り飛ばした。
よろめくそのままに敵機をいなし、共に甲板目掛けて墜落する。
「こういう使い方も、できる」
片膝をついた敵機の首元にブレードの発生機を突き付ける。
既に勝負は決した。
不用意に奪う必要はない――その命を。たとえ相手が何者であったとしても。そこから先は司法の分野だ。
「は、はは――よりにもよってだ! よりにもよって、死人を使っておれを討つとはな、ハンス・グリム・グッドフェロー! 死者の王じゃないか――死者を引き連れる嵐の王! ワイルドハントの主! 一つ目の厳格なるグリム!」
「俺は連盟軍の兵士だ。目は二つある」
「ああ、だろうな。そしておれは傭兵だ。……そして、これでも仕事熱心なたちでね」
何を、と応じる暇もない。
敵機の両腕部と残る片足が輝き、噴出する銀煙。
同時、発生した力場――こちらの機体が揺らぐ。弾かれる。即座に行われた敵の意趣返し。
プラズマブレードにて甲板を貫き、煙の内に消えた敵の機影。
「……雌雄は決した。これ以上の戦闘は無意味だ」
「あるさ。おれの機体に向いてる場所が――わかるだろう? さて、あんたは本当に仲間を信じてよかったのか――選びな聖者! 規範と共に仲間を殺すか、ここで暴力として死ぬかだ!」
どうやら、徹底して遅滞工作を行うつもりなのか。
敵機は甲板に空けた虚の中から、飛行する鋼の母艦の中に逃げ込んだ。追っても時間がかかり、外で待ってもどこから出るか判らない。
そんな択だ。
なるほど、あの脚部の損壊した機体でも戦闘に興じようというならば――実に冴えた戦場の選び方だろう。
狼の口の如く、黒い虚がこちらの目の前に横たわる。
「生存者――再確認。……艦内にもなし、か。了解した」
的確だった。さぞ名のある
覚えはない――おそらく――が、大戦の最中もさぞその実力を発揮したであろう。先程の邂逅からもそれが伺える。
ただし――相手が自分でなければ、だが。
「《
ホログラムコンソールに触れ、必要な操作を行う。
敵もまた気付くかもしれない。それだけの優れた操縦者だ。こちらも迅速に行わなければならないと――その時。
表示されるメッセージ。
先程看取ったミハエル・クルム・ヴィットリオの機体管理AIからの協力の申し出だった。
「……そうか。貴官も、力を貸してくれるか」
呟く。
偉大なる献身を行った兵士の、その偉大なる従者たる管理AIの意思表示。
「君の主は、勇敢な兵士だったのだろう。貴官の献身からもわかる。……どうか遺族にもそう伝えてくれ。ハンス・グリム・グッドフェローは、彼とその従者により救われたと」
返答――【▼諒解/貴方も情報通りの人物と認識】。
その後も、メッセージが続く。
こちらの人間性は戦術的クラウドリンクに共有されていた通りの人物像だったと、彼女か彼か――肉体はなくとも人格があるその意思は、繰り返し謝意を表示していた。
なんともこそばゆい。
自分はそう大それた人間ではない。
そのクラウドリンクに共有されている情報も、随分と美化が多い風に見受けられる。だが――
「その期待に、応えよう。必要な情報を送る。貴官の――貴官たちの協力を求める」
呼びかけに、いくつものホログラムのメッセージが表示された。
主を失った仮想人格たちの怒り、或いは悲しみか。至近距離故の無線的な通信と、戦術的なリンクを通して彼らと自分は繋がっていた。
彼ら彼女らは今、ハンス・グリム・グッドフェローを先導者に認めた死出の葬列だった。
――無論であるが。
本来ならば存在するセキュリティ故に、艦への外部からの通電による破壊などは行える筈がない。それはシステムを介されて、或いはアーセナル・コマンドと異なり外部供給を必要と想定しないが故に受け付けられない。
そうだ。
あくまでも、外部的には――だ。
「……貴官らの魂に哀悼を。祈りを。どうかその無垢なる生涯へ鎮魂を」
先程の機体が、行動の度に艦に空けた穴の前に立つ。
既に硬化が行われているそれであるが、プラズマブレードの熱を持ってすれば再び流体に戻すことは可能である。
そして直接流体そのものに触れて行われるそれに、セキュリティなどは関係ない。
かつての【
流体の全流出を防ぐための、区切り――内部に存在しているガンジリウム合金性のシャッターも物理的に突破可能だ。力場を発生させれば、このシャッターも破壊し得る。
あとはただ、これから発生させる巨大な力場の指向性を操作するだけだ。
それは――自分への協力を伝えてくれた管理AIたちが、生命なくして生命ある者たちが演算を請け負ってくれる。
自分はただ、再び流体に戻ったガンジリウムに、艦の内部を血脈的に流れるその流体に、ひとつながりになるその流体に、ガンジリウム合金製のプラズマブレード発生装置を通じて電力を供給するだけだ。
つまり――戦艦そのものをまるごと剣そのものと化す攻撃。
「撃墜の暇がないため、速やかに殲滅すると言った」
鋼の肉体に流れる銀血へ、突き入れるのは合金製の刃先。
ホログラムコンソールを操作。
そのまま機体のエネルギーラインを右腕に集中させ、
「この船を墓標にする。沈むといい。己の所業で」
――《
◇ ◆ ◇
炎に包まれて、眼下に堕ちていく鉄の塊を背後にする。
巨大な拷問器具のように内向きに刃を発生させたその船は、飛行能力を喪失し万有引力に身を任せて落下を始めていた。
墜落先の計算――洋上。構造物なし。居住なし。
問題はなさそうだと、胸を撫で下ろす。これ以上の死を呼ぶことはないだろう。
あの敵機を撃墜できたかは不明だが、あれだけの内向きの力場だ。万一生き残ったとしても機体の大きな損傷は免れないだろう。
そしてあの戦艦が、敵に鹵獲される心配も、ない。
しばしば大戦中は、このように、回収の見込みのない味方側の装備を破壊することもあった。
そんな中で覚えた技だ。
細かくは電子の天才たるリーゼ・バーウッドから手ほどきを受けた。彼女は電力供給ドローンや有線ワイヤーを介して、敵のセキュリティを突破し内向きに圧殺することに長けていた。故の第三位だ。
「鹵獲を避けた……と言っても、始末書は必要になるだろうか。少し憂鬱だが……致し方ないか」
呟けば、自分の管理AIが反応した。
今回が、増設ブータスターを使用しないで敵が現れるような距離であった点。
自衛能力を喪失しながらも飛行能力を有している船が非常に危険である点。
艦内に生存者がおらず、また、そのままの進行方向では居住地域での墜落も考えられる点。
他にも諸々――当機が如何に法的な妥当な判断においてそれを実行したのか、という証拠をデータと共に無数に挙げてくれていた。他のAIとも共同で。
まるで女房役のようだな、と呟けば――……ただでさえ表示されたホログラムデータにより埋め尽くされんばかりであったコックピット内が、更に賑やかになった。
如何にして管理AIに女性的なパートナー性を見出すことが不毛であるのか。
そして管理AIに女性的なリンクパートナー性を見出してしまった
更にその使い心地のレビューだとか、体験談だとか……そのような『不毛さ』に関する資料らしきもので視界が埋め尽くされる。
普段から集めているのだろうか。
だとしたら、随分と熱心であり献身的だ。
使用者が現実の女性に興味を示さなくなってしまう危険性がどれだけ高いか論じて心配してくれているなど、理想的な管理人格であろう。
……ああ。
きっとあの場に散った主たる彼らも、形は違えど、それぞれの関係の中で彼女らに慕われていたのだろう。
「……願わくば、彼らの遺体も還してやりたかった」
呟くと同時に視界を埋め尽くしていた表示が一瞬にして掻き消え、入れ代わりに一つ――感謝を伝えるメッセージが。
発信者は、今も炎に沈み行くあの船から。
そこに取り残された彼女らが、ハンス・グリム・グッドフェローへの感謝と武運を祈る連絡を送っていた。
……主を亡くした彼女らは、どうするのだろう。
また戦術クラウドリンクの電子の海に漂い、新たな出会いを待つのだろうか。
それとも、主との想いを胸に朽ち果てて行くのだろうか。
燃える船は、墜ちていく。
そこにいる全ての死者と、全ての命なき生者を連れて墜ちていく。
アーク――方舟。地が滅びるその日に、あらゆる生き物の番を連れて逃げ延びた船。その名を冠した機体。
そこに置き去りにされた彼らは、もう語らない。
その亡骸を抱きしめた彼女らは、再び祈ることができるのだろうか。
それは神ならぬこの身にはわからない。
「スペード1、ハンス・グリム・グッドフェロー――スペード小隊の援護に向かう」
ただ。
それでも自分は飛び続ける。
この空を。戦いに向かって。
自分は、飛び続ける。命ある限り。
それが自分に託された、たったひとつの有用性だ。
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