第23話 銃なる剣と無毀なる剣、或いは剣の封印
奇跡的な出会いが、三つあった。
――ならば、それはもう、本当に奇跡だろう?
アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーという男を語るとすれば――きっとその三点だ。
他のことなんてどうでもいい。どうだっていい。きっとどうしようもないし、どうする必要もないと彼は言うだろう。
彼が邂逅したその三点。
恐らく、最も大切な出会いはその三点に帰結する。
それとも――。
彼が十という数字をその身に刻まれたそのときには、或いは、大いなる啓示なるものを受け取ったのかもしれない。
十戒の六――――汝、人を殺すべからず。
その番号を冠する男がいた。
その儚く、力なく、柔らかな笑みの男は戦場で人を殺さぬ男だった。
敵軍の男。元軍医。
生き残ってしまった男。幾度部隊が壊滅しても一人生き残り、そしてついに、自分以外の生き残りを――自分を決して一人きりにしない仲間を得た男。
彼は、不殺の精神を胸にそこに立っていた。……偶然だろうか?
十戒の七――――汝、姦淫するべからず。
その番号を冠する女がいた。
役者志望だったという女。元女中。飄々として、移り気で、油断がなく、鷹揚で、皮肉屋――――そしてその下にある瀟洒にして冷徹なる残酷なまでの理知と知性!
意識したつもりはなかったが。戦後彼女をふと誘惑したとき、断られた。
なんたることか。
男に合わせて数多の顔を持っていた女は、男によってそう仕立てられた女は、戦火の中で使用人から娼婦以下に堕落させられた女は――――彼女はもうたった一人の主を定め、その身を委ね、それ以外とは交わらぬと決めたそうだ。
なんたる信仰的な奇跡! かつて娼婦であったマグダレーナよ! マグダラのマリアよ! おお!
そして。
十戒の二――――汝、偶像を作らぬこと。それに敬意を示したり、世話しないこと。
その番号を冠する乙女がいた。
偶像――……あたかも原罪を背負いゴルゴダの丘に向かわれたる主の献身のような、星の乙女! 献身の乙女!
天から落とされる“神”を冠した悪しき偶像を砕き、あたかもこの世に蘇りし救世主の再来たる偶像の如く振る舞いながら、ついにはその偶像たる己を砕き散らした乙女。
ああ、なんたる献身か!
己の身を焼け焦げる流星に変えてまで、彼女は偶像を否定したのだ! なんと素晴らしきかな!
カトリックの十戒ではなく、プロテスタントの十戒を用いながら――しかしその伝道師が神父と呼ばれる宗派。父母とは異なる宗派。
故にこの十戒に矛盾なく、故に彼が神父で矛盾なし。
戒たるを示す数字を背負い、ゴルゴダの丘に進む聖者が架けられたものの数字を背負い、そして連なる二つのゼロの文字を縦に割くという聖者の数字――ああ、ああ、この身に与えられしことのなんと喜ばしきことか!
啓示であるのだ。
それは、啓蒙であるのだ。未だに知満ち足りぬ己に対しての血の啓蒙!
誤解なく言うのであれば……。
少なくとも、アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーという男は、彼は、確かにある種の己の信仰に基づいていた。
誰に言われた訳でもない。
誰のためでもない。
誰のせいでもない。
ただ彼がそうしたいと――思ったから。
如何に破戒の身なれども、彼には、紛れもなく信仰心と呼べるものが存在しているが故に。
その信心は、きっと、真であるのだろう。
……本当に?
星に得た気付きが、正しく、星の下で生まれたとして。
おしなべて信仰とは、そもそも、計り知れぬものに捧げられたものだ。
ならばその真意など……。
我々にも、当人にも、真実、推し量ることができるというのか。
事実だけを述べるとすれば――。
アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニー。
二十四歳。
人道に対する罪による戦時犯罪者。
自軍に対する死傷被害:百十三件。
その二つ名は
使用機体は第二世代型――
銘を【オルゴール】。
撃墜数ランク――
◇ ◆ ◇
超高速で接近する近接戦闘機体に対して、敵機にできることは三つだ。
足場上での、近接攻撃に対するニュートラルポジションからの戦闘機動――その機動は必然的に三つに分けられる。
即ち、右か左か、それとも前かだ。
真上に逃げるのは如何にバトルブーストといえども、重力による失速が考えられるために不適。そして後方へも、近接機動を振り切ろうとするならば多大なマイナスの加速度が発生するため不適。
ならば必然の三択。足を止めての防御を含めても四択か。
ここに、周囲の地形条件が加わることで択が更に絞られていく――――近接白兵戦闘の要訣。
漆黒の機体。
狼の鼻のように前方に鋭い頭部。その下側に位置する光学センサーのシャッターが上がる――狼が牙を剥く。
赤きバイザー光。
腰を沈めた漆黒の逆関節機体――しなやかなシルエットのそれは、横に跳んだ。
応じてこちらも機体を右に流しつつ、一直線にブレードで躍りかかる――――途端、
「ははっ」
オルゴールと呼ぶには多大すぎ不協和音。
稼動した敵機の下半身の鋭い武装。左のそれが甲板に突き立ち、その装甲板を引き裂きながらガンジリウムの銀血を散らして――強制ブレーキ。
移動速度を変え、こちらとの接触予定点を肩透かしにさせた。――修正。
バトルブースト。即座に切り返す。
慣性を無視して、一直線に狙うは敵機の胴体。
だが――その漆黒の右足でプラズマ爆発。爆発的に跳ね上がる右半身とその右足。
そのまま――来た。
風車めいて振り付けられた右足と、その脚部外部の鋭い剣型の装備。プラズマ炎。紫炎を纏うその襲撃は、さながら振りかぶられた大斧だろうか。
咄嗟、左腕のブレードで迎撃する。
鍔迫り合い――力場と力場が作り出す強烈な衝撃と、閃光。ヘルメットの対閃光シャッターが作動。機体越しに――睨み合う。
「心地いいぜ、鋼の男の――その拒絶が」
そして何たることか、敵機はこちらの力場を足場に――ブレード同士の反発を利用し、更にそこにバトルブーストを上乗せ。凄まじい勢いで後方目掛けて飛び退る――頭から。
伸ばしたその両腕。
人型の狼は先ほど捨てたプラズマライフルを拾い上げながら、再度上方へのバトルブースト。跳躍。
空中で姿勢を入れ替え、着地。その衝撃に漆黒の逆関節が僅かに沈む。
その両の手には鋭い剣めいたプラズマライフル。
たった一手で、回避と再武装を行った――図抜けた操縦性。
「言ってなかったが、そこそこに操縦は得意でね。……ああ、あんたの動きは少しカタいな、
まさしく俊敏な獣めいた動き。
無機物であるアーセナル・コマンドを、どこまでも有機的に動かす
軽業師の如く機体を生身同然かそれ以上に操る才能――紛れもなくこれは、
しかし、不可解な点が数点――……
「盾なんて……獣との戦いじゃあ、なんの役にも立たない。そうだろう? それが判ってねえ連中から早死する。結局こんなもの、当たらなければ、どうとでもないのさ」
こちらの意識を読んだのか、笑い飛ばす傲慢な男の声の通信。
あれだけの積載と武装を行っていながら、バトルブーストの速度が当機に匹敵する。何故かと思えば――答えは単純か。
削っているのだ。それ以外を。《
かつて自分がシンデレラたちの元に駆けつけようとした際のことを、奴は日常的に行っている。
つまり――絶対に被弾をしないという自信。
「剣と、銃付きの剣じゃ……どっちが強いかはわかりきってるよなぁ――……なあ、旦那?」
そして両手に遠距離武器の戻った今、どちらが有利不利なのかはわかりきっている――そう言いたげな声。
互いの速度は同一。
対するあちらにはブレードを飛ばすも同然のプラズマライフルと、一体型のプラズマブレード。
こちらには両腕一対のプラズマブレードのみ。
あちらには専用改修機。
こちらには先行量産機。
「……そうだな」
ああ――ならば、答えは決まっているだろう。
いつも通りだ。
いつも通りに行い、普段通りに有用性を証明する。こちらの行うのは――ただそれだけだ。
「悪いが、こっから先は楽しいダンスなんかじゃねえ。パートナーはなしだ。一人きりで踊って貰うぜ、ハンス・グリム・グッドフェロー!」
「そうか。そもそも貴官と踊った覚えはない」
「はっ、言ってくれるじゃねえか! 死神――――!」
◇ ◆ ◇
急加速の圧力に奥歯を噛み締める。
疾走る紫炎が甲板を貫いた。淡々と、しかし激しく降り注ぐ力場に押し込められたプラズマの雨が、船の装甲板を赤熱させて穴を空ける。
手慣れている――そうだ。手慣れている、というのがまず抱いた感想だった。
近接戦闘のみを想定した機体を使用するにあたって、まず避けなけなければならないことの一つが同航戦。
同じ方向――つまり敵機との位置関係が変わらずに行うことになるそれは、射撃武器からの一方的な攻撃を許してしまう。
引き撃ちという――後方に機動してこちらとの位置関係を保つ戦い方がそれだ。
ただし、問題がある。
敵機が機体をこちらに正対させたまま後ろ向きに引くように移動していた場合だ。
こちらの距離を詰めるバトルブーストに対して距離を空ける後方へのバトルブーストで応じると、その身にかかるのはマイナスのG。機体操作に集中し過ぎて、これが原因で脳内の血管が破裂するなどの事象もある。
これを避けるために、熟練者は引くにしても半身になるなどで行う。ただしそうなれば照準できる武装は半分、火力は半減するので――それが狙い目であるのだが。
眼前のワーウルフは、違った。
「はっ、どうした! ハンス・グリム・グッドフェロー! 気にすることはないぜ! この艦の連中は全員死んでる! 存分にやりな!」
跳ねる黒影。降り注ぐ紫炎。
逆関節のその機体が、更にその脚部外甲に備えられたブレード発振器が、それが発する力場の杭と反発が、迅速なる跳躍を可能とさせる。
おそらく跳躍に限ればその初速は当機を超える。
重力への反方向への推進だというのに、地上を滑る当機と初速が変わらない。つまり、距離が埋まらない。
軽快な跳躍と共に、受ければ損傷を免れぬプラズマが撃ち下ろされる。
「どうした! 防戦一方じゃねえか、死神グリム! せっかくこっちは備えてきたんだ! 使わせてくれよ、奥の手って奴を!」
「そうか。俺は常に備えている。奥の手は持たない」
撃たれる弾丸を左右に躱す。息吐く暇もない、というやつだ。
完全に同条件の戦闘で自分を相手に食い下がる敵機――これまで相手にしたそれとは違う。
操縦性だけに絞れば、ともするとあの灰色の機体よりも格が上と見るべきか。
久しくない感覚に、自分が研ぎ澄まされていくのがわかる。
思い出す――一振りの剣になる感覚。
息吐く暇もない、と言ったがそれは誤りだ。
人は息をしなければ死ぬ。そして、死んでない以上は今自分は息をしている。
死んでない。
ならば――あるのだ。その暇が。息を吐けるタイミングが。
(そうだ――……ああ、思い出してきた)
大戦時、こうして、敵のエースパイロットと一騎討ちの機会もあった。
彼らとて二つ名を持ち、そして、軍の許可を得て機体を専用機に改修した人間たち。
そんな相手との、死合。
その感覚が取り戻される。強制的に己の中に眠っていた身体の記憶の扉が開かれて、そして、我が身が剣へと変わる。
そうだ――無意識。それだ。
意識の中にある無意識。無意識の拡張。削ぎ落とし、純化していく意思。ただ斬ること、その意思しか持たない純化。
そうしていた。
思えば、今敵機の攻撃を躱しているのもそれだ。
種々様々な武装の持ち主と、それらの無限にも等しい組み合わせと初めて戦場で相対することも多かった。
ビデオゲームと異なり、現実はやり直しが効かない。仕切り直してもう一度とは、いかない。
そんな中で、自分は出会った彼らを斬り伏せてきたのだ。
それらを可能にするだけの、感覚の無意識化。
敵の兵装を、その特性を把握して無意識の域にまで刷り込めるまで繰り返す――そんなシミュレーターを利用した日々の鍛錬。
――〈グリム様は、私と同じでしょう?〉〈私と同じく、把握したから相手が
リフレインする戦友の声――
生身と機械の身体の両方でそれを可能とした彼女にこそ及ばず、そんな鍛錬も才能もないが……そうだ。思い出した。
自分のその回避は、彼女と同列だったのだ。
「どのみちやり合いたかったのさ。あんたと。……なあ、ハンス・グリム・グッドフェロー! 人殺しが上手な上手な! 理性の超人! 鋼の男!」
「……」
「どうして殺す! 何故殺す! ああ――……ああ、見惚れるくらいに! なあ! あんたは……殺しを楽しんでるわけでもないのに――……」
鋼を穿つ炎の雨を降らせながら、敵機が叫ぶ。
雄々しい男の声に、不意の悲しみが滲む。
「教えてくれ、ハンス・グリム・グッドフェロー……あんたからは臭いがしないんだ。ああ――……だから、いい匂いだ。おれを抱いてくれ。包んでくれ。そうだろう? なんて――」
把握した。
プラズマを撃ち出すその銃の感覚は把握した。
射程は――今は論ずる必要なし。
そのプラズマへの通電の時間。力場にて生み出す時間。冷却に必要な時間。その残弾――――即ち呼吸。
呼吸を読み、あとはそれを断つ。
そうだ。それが自分という剣だ。
大した敵だ――優れた技量だ。だからこそ――思い出した。
この危機に、己という剣の錆が落とされていく。
着地の隙を狩るのは現実的ではない。
敵機は、それにすら備えている。おそらく、そうした相手をこれまでも殺してきた。
ならば落下してくる敵機目掛けて一直線に斬りかかるか。
それも現実的ではない。落下中に敵機はバトルブーストを行い躱し、接近及びブレード起動のために力場が削れてしまったこちらに存分に撃ち込んでくる。
空中の敵に正面から斬りかかる――論外。愚策も愚策。
(或いは、弾切れを待つかだが――――……)
実際、それも何度か行ったことはある。
そう考えた、その時だった。
『大尉――敵襲だ!』
ヘンリーから、敵の別働隊の接近を知らせる通信。
純化していた思考が――急速に途切れる。己という深海魚が、潜水艦が浮上する。
ただ一振りの剣ではいられない、そんな時間。
……どうやら、弾切れ狙いは選べないというわけか。
それでいて、如何にしてこの敵を倒すべきかと――ホログラムコンソールに触れようとした、その時だった。
『違う、大尉――来なくていい! こっちはオレたちで何とかする! アンタはアンタの戦いに集中してくれ! オレたちは、アンタの重荷になるためにいるんじゃないんだ!』
力強いヘンリーの声。
伸ばしかけた手は、離していた。
ふと、笑みが零れていることに気付いた――この自分が、笑みなど。
漆黒の敵機を見る。
弾痕が穿たれた艦橋に飛び乗って、両手の兵装の再装填を試みていた。プラズマ弾とて、宇宙空間でもなければプラズマを包む力場の核――弾体――が必要である。
……絶好の機会は逃してしまったということだが。
「なあ、旦那。行かなくて、いいのかい?」
「来るなと言った。俺は、それを信じる」
「強がりさ。……それに、なあ、いいのかい? 信じて――……戦いはそれだけじゃあ、ないだろう? どう願おうと死ぬ――そういうものさ。あんたが、一番知ってる筈だ」
「彼の声には強がりではない確信があった。俺はその想いに応える」
ヘンリーとて、毎日何もしていない訳ではない。
彼には反骨心がある。観察眼がある。直感的かつ天才的なシンデレラとはまた違った才能がある。
もう少し先かと思っていたが――彼がここでそれを芽吹かせようというのなら。それが彼の本懐というのなら。
その言葉に従い、こちらも果たすべき務めを全うするだけだ。
「は、はは――……なあ、応えるなよ、魔剣。応えようとするな。お前の力はそうじゃねえだろう。お前はもっと、全てを黒く焼き尽くす暴力そのものだ」
「俺は魔剣でなく人なんだが」
「……そのとぼけた態度もやめろって言ってんだよ。わかるか
確かにかつて、その名で呼ばれたこともあった。
決して語らず、わかり合わず、言葉なく吹き荒れる鉄と死の嵐――
しかしそれはかつての話だ。今ではない。
「そうか。まあ、考え方は人それぞれだな」
「――」
「悪いが時間がない。撃墜の暇がないため、速やかに殲滅する」
意識を再度集中させる。
今の自分は、かつての自分ではない。剣ではいられない部下を持つ身だ。
だがその部下が一命を賭してまで己に叫んだというならば――――起動せよ。
己という剣の拘束を、解き放て。
「最高だ。ハンス・グリム・グッドフェロー。……ああ、あんたの言葉を全力で否定する。そうだろう? そんなことを許しちゃあならないんだ。おれのためにも、あんたのためにも――……あとはあのかわいい狼さんのためにも」
敵機が、また何やら言っている。リロードは済ませたらしい。
その両手の両刃剣めいた鋭いプラズマライフルの銃口がこちらを捉え、狼が赤い口を開く。
「ま、なんだっていい。楽しもうぜ、第九位――――!」
「改めて――スペード1、殲滅戦を開始する」
応じて、こちらの
◇ ◆ ◇
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