第22話 銃剣、或いは狂へし月
既に日は落ち、宙に浮かぶ鉄の城塞――空飛ぶ戦艦の周囲は薄暗がりに包まれた。
眼下に地上を覆う灰の雲と、闇を裂き飛翔する推進炎。
ライフルとグレネードランチャー、そして両背部にミサイルポッドを備えた
月光を背負って、金属の人型が滞空する。
「……救援に、向かわないのか?」
ヘンリーが疑問の声を漏らした。
展開したのは、自分たちを含めた第二中隊の全小隊と本部小隊を合わせた四個小隊――計:十二機+一機。
だが、いずれの
疑問に思えば――すぐに答えは来た。
戦闘管制からの作戦伝達。終わるなり、ヘンリーが叫んだ。
「どういうことだよ! 友軍が、助けを求めてるんじゃないのか!」
「……前回のことを警戒して、か。確かに友釣り作戦というのはあるな」
「大尉! なんでそんなに落ち着いてるんだ! おまけにオレたちは――単身索敵なんだぞ! そんなの、敵が来たら死ねって言われてるようなものじゃないか!」
ヘンリーの無線に、打撃音が交じる。
コックピットのモニターかシートを殴ったのか。不具合が出てはならないので、そういう行動は控えるように後々伝えるべきか。
だが――……その怒りは尤もだった。
救援信号が発せられてはいるものの、こちらからの呼びかけに応答なし。友軍に関しては交信のその暇がないか、既に全滅したものと想定する。
前回の敵の急襲を鑑み、別働隊を考慮。本艦の護衛を最優先とする。
また、敵の増設ブースターによる侵攻に備えた防衛のために第八小隊――スペード小隊は、散開して母艦のレーダー外で索敵に赴くべし。
それが、艦長からくだされた指令。
なるほど大した艦長だな、と内心の評価を更に下げる。
マーガレット・ワイズマンあたりならばそんなふざけた指揮官に従う必要はないと言うだろうし、ロビン・ダンスフィードならばいっそ纏めて吹き飛ばしてやれと毒吐いたかもしれない。
たが、自分は彼らではない。
そして、規範的な兵士たれと自己に定義している。――ならば、することは一つだ。
「スペード1から戦闘管制。上申だ」
『なんだね?』
優秀なオペレーターがいたのか。意外なくらいに、直接艦長には繋がった。
このような際、直接艦長に確認をするのは如何なものかと思える。本来ならば指揮系統に従って――つまり自分は中隊長に上奏し、中隊長から大隊長へ上奏、そこから……という形を取るのが正規だ。
だが、既に戦場。
暇がないかと――……意識を切り替え、単刀直入に問いかけることにした。
「一点、確認をお願いしたい。各個撃破を受けた場合どうするつもりなのだろうか?」
『何……?』
「敵の勢力が不明の状態で、十分な数の本隊――援軍も用意できていないというのに、戦力を分散させる必要がどこにあるのか、その意図を確認したい」
端的に問いただす。
「た、大尉……!?」
ヘンリーか、シンデレラか。或いはその両方か。
彼らが声を上げたのを手で制し、回答を待つ。
『……与えられた命令に従わない、ということかね? それは重大な軍事義務違反となるかと思うが』
「繰り返すが、意図の確認を求めている。上官として、部下の命をいたずらに危険に晒す真似は控えたい。……作戦の意図及び方向性を確認し、内容によってはより良い提案をできるように貴官に進言するのも、士官として部下たるものの責務かと思うが」
翻意はないのだ、と言い含める。
言ってしまえば――……自分の中に母艦に座す指揮官に不信感と侮蔑にも近い感情はある。だが、それを混じえる気はない。
職責というのはそういうもので、そして、自分はそのような切り離しを得手としていた。
「我々には十分な数の本隊がいない。仮に斥候を放ったところで、その報告に有機的に応じられる機動戦力がなければ、これも敵の撃滅に繋がらないかと考える」
縦深防御という概念は確かにある。
しかしそれは、縦深に展開させた警戒網に敵が触れるなり互いの火線を集中させ、或いは戦力をそこに向かわせるからこそ成り立つものだ。
何の援護もなくして点在させてしまえば、文字通り一方的な各個撃破の殺戮となる――ランチェスターの第二法則。
『本隊が三個小隊残っているだろう……それを、十分と呼ぶのではないのかね?』
「ああ、貴官のこの行動は、前回の敵の行動を鑑みたものであるかと推測するが――……三個小隊で十分ではないのは、前回も指揮をとった貴官もよく知るところでは?」
回答がないので、肯定と判断して言葉を続けた。
「この状況での母艦から離れた範囲での分散と斥候は……言葉を選ばないなら、炭鉱のカナリアにでもするおつもりだろうか? その意図がなくとも、そうなりかねない。そしてこの状況で戦力を目減りさせれば、炭鉱ごと滅んでしまう」
『貴様……ぶ、侮辱する気かね……! これは高度に軍事的な判断であり――』
「故に、説明を求めている。……少なくとも当機に判断できる現状では、母艦と火力集中が可能な範囲に分散させるべきであると提言するが……如何だろうか」
何故このような手法をとっているのか、疑問が出てくる。
だが――……一方でまた考えるところではあった。
唯一の第四世代型を有するシンデレラ・グレイマン、そして自分は他と比した際に個体として強力だろう。
故に斥候的な役割を期待したとしても、それはある種の合理性があるのだ。確かに、シンデレラはともかくとして自分という駒の使い方としては正しい。
しかしそれだけで是とするにはあまりにも疑義が残る。
まるで、とにかく船に迫る敵を食い止めたい――……という消極的かつ散発的な防御姿勢だ。
もしその配置で自分やシンデレラが撃墜されたらどうする気なのか。そして補充兵として来た味方たちへの、救援や接触を行わないというのは如何な理由か。
いわばシンデレラは、戦略目標だ。
彼女を第二のレッドフードとすることで、観閲式を中止に追い込まれ新型を奪われたという負債を帳消しにする――それが大目標。
そのために必要なのが戦力であり、そこを為すのが自分や補充兵たちである。
それをみすみす捨てる、或いは手にしないとは――……なんら合理性がない。もし保身や栄達狙いの指揮官であれば、或いはそれだからこそその手の戦力の確保を狙うだろう。
つまり、本当に何の理性的な妥当性もない。
……いや、一つだけシンデレラを敢えて浮き駒にすることの合理性はあるが。
「無線にて提示できぬ、高度に軍事的な判断に基づいたというなら、提言を取り下げ従おう。……そうでないなら、当官からはこの上申をさせていただきたいのだが、回答は如何か?」
そう思い、もう一度伝える。
あまり褒められた手法ではないが――そして実現されれば自分は市民的な良識と兵士的な合理性及びその法益から頑として拒絶するだろうが――彼の益と軍の益を互いに満たす策はある。
或いはそれを狙っているのかと、暗に考慮を示して伝達する。そんなときだった。
『……英雄サマは、自分が指揮官にでもなったつもりかね?』
呆れたような、苛立ちを込めたような艦長からの返答。
「俺は部下の責務として提言した、と伝えたが……その、無線の感度が悪かっただろうか? もう一度、交信のテストをしてもいいか?」
『――――っ』
無線のその背後で誰かの吹き出すような声と、艦長が息を飲んだ音が伝わってくる。
侮辱のつもりはなかったが、どうも、結果的にそうなってしまったようだ。
『……もういい、よくわかった。英雄サマはよほど前線狂いではない艦長が気に食わんようだとな! 本官とて、その戦狂いに突き合わされるのは不愉快だ!』
「そうか。自分も戦狂いは不愉快だと思う。気が合うのでは?」
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ! 好きにしたまえ! スペード小隊は母艦との火力集中範囲での散開! ただし、英雄サマには救援信号の元へ進んで貰うぞ! 単身での救出経験もあるのだろう!?』
「……スペード1、了解した。友軍の救出に向かう」
まあ、構わないか。
ここで取り下げられるということは、事実、彼には特段の戦術的思想がなく無意味に分散させようとしたのだろう。
そんな策が否定されただけマシだ。他は全て些事だろう。
「ホースネイル1、スペード2とスペード3の援護を頼む。スペード2、スペード3。敵機と遭遇した際は速やかな伝達と遅滞行動を行え。くれぐれも深追いをするな」
ヘイゼルらに通信を入れ、ホログラムマップに進行方向を入力する。
すぐに全周モニターにそれは反映された。宙に浮かぶ矢印。機動戦闘で見失わないようにするためのそれは、あたかもビデオゲームのようだ。
警告表示――【
激しい不快感を込めつつも、とても落ち着いた事務的な内容の機械音声。
どうやら学習型AIの彼女――
「なあ、大尉……大丈夫なのか?」
「艦長の言うとおりだ。幸いに俺には経験がある。……つまり、問題ないということだ」
この手のやっかみにも、無茶振りにも慣れている。
そんな状況でも自分は性能を示す――そう磨いてきた。それだけだ。それでこそ、或いは共に戦う兵士たちに示せるものや勝ち取れる信頼、勇気付けられる背中があるように。
そうだ。いつも通り、変わらない。
決して逆らわず、ただ実力で黙らせるまでだ。
「あの……わたしも、大尉と……」
「シンデレラ。自分たちは軍人だ。君も今、少なくとも軍事行動をしている。命令に従う義務がある」
「……」
「何かあったら交信をしてくれ。……無論、すぐに救援に向かう。それに、ヘイゼルがいる。不安がることはない」
作戦外でもヘイゼルには存分に伝えている。
過保護じゃないか、とは笑わなかった。彼も自分もロビンも、リーゼやメイジーなどの民間人出身者の戦いについてどこか思うことはあるのだろう。
二つ返事で了承してくれた。
民間人を守るのは、軍人としての義務だ――その兵士の不文律。我々
「……大尉は、一人で、怖くないんですか」
「慣れている。それに、備えている。……問題はない。君のその気遣いに感謝する。――ちゃんと箱にしまっていてくれたんだな」
緊張を解そうと、或いは不安を忘れさせようとしたつもりだったがシンデレラは余計に黙り込んでしまった。
モニター越しの潤んだ瞳――……なんだ?
しかし彼女はもう一度唇を噛み締め、頷いてくれた。
「……わかりましたよ。やります、言われた通りに。大尉に、迷惑なんてかけませんから」
◇ ◆ ◇
前方へ突き出した尖った胸郭上部の装甲。
両腕部の外側には二等辺三角形型のプラズマブレード発生装置。
腕を垂らして飛翔するその姿は、真実、
機体の首元には、棘のついた下向きの三日月のペイント。
機体の肩部には、斜めに刻まれた墓標のエンブレム。
救援信号の発生から五分。
可及的速やかに推進させた機体を待ち受けていたのは、煙を上げて航行する鋼の幽霊船だった。
入り組んだ九龍城砦のように主砲や艦橋が飛び出した飛行航空母戦艦――六番艦エイシズ・ハイアー。
煌々と燃える炎は篝火めいて、そして立ち昇る黒煙は不気味な瘴気じみて艦艇上部を彩っていた。
既に戦闘は集結したのか――……発砲音一つ、無線音一つも聞こえてこない。
巡回するように艦橋の真横を飛び抜ける。砕け散って僅かに残る強化ガラスの向こうには火災――生存者なし。
撃ち込まれた重大な高温により即死したか。天井や床であった筈の金属は融解しており、まだ赤熱が収まっていない。
甲板を撫でるように、飛ぶ。
そこで気付いた。甲板に入る刃物跡のような無数の切れ込み――ブレード痕か、或いは。
数度呼びかけても、誰も応えない。
そこで、ふと、違和感を覚えた。
多いのだ。炎を纏って甲板に倒れたアーセナル・コマンドの残骸の数が。多すぎると言っていい。
こちらも甲板に着地する。
野焼きのように黒煙立ち昇る中、ざっと見回して――二十機以上。銀の血を撒き散らして、果てている。
確実に一個中隊以上に相当する。
おそらくは探せばもっと……援軍であった筈の全機が、この母艦に積載されていた全機に近い数が、この甲板にて死しているだろう。
……母艦上空で戦闘を行い、偶然甲板に落下しただけではこうはならない。これは明確に母艦上で戦闘が行われたということだ。
かつて
それにまんまと接近して――その上で戦闘を行う技術と胆力。自負と嘲笑。尊厳を踏みにじる嗜虐心と万能感。
頭部を稼働させ、周囲をスキャン。
そんなときに、一際に強い上空の突風――――黒煙が晴れると同時に、それは居た。
「ああ、いい夜だねぇ……酔いそうだ。だが、もう、或いはこれこそが正気なのか――……ははっ、ああ……堪らない……」
一瞬だけ煙から射した月光を背にした金属の人型。
第二世代型――名を
熟練兵好みの機体だ。
狼の鼻のように前方に鋭い頭部。
頭部の下方寄りに位置した赤い光が漏れるシャッター付きの光学センサーは、さながら、その閉じられた牙だろうか。
「ああ――……いい夜だ。思い出す……どこもかしこも死体だらけだ――……」
そのセンサーが感度を上げるためか、シャッターを開く――狼が牙を剥く。
武装は左右腕部で同一の、両刃剣めいて鋭く長いプラズマライフル。脚部外装にも似た形のものが。
まさしく狼じみた逆関節である機体の色は
しかしその胴には、中心を走る金色のラインが縦横に――あたかも十字架めいて存在していた。
「なあ、そうだろう? 死神――……ハンス・グリム・グッドフェロー?」
敵味方識別装置――【
「おや――……ああ、今日は、あの蒼い月光の剣じゃあないのかい? 導く光……あれなら、さぞ遠くまでいけるだろうに……」
「武器を捨てて、所属を明かせ」
「所属なんて……ああ、それは、首輪だろう? 獣を人足らしめるものだ……獣、獣、獣……ははっ、どこも皆が獣ばかりだねぇ。或いは、その大いなる理性こそを獣と呼ぶかもしれないが――……」
勿体ぶるように敵機が両腕を広げる。
銃口はこちらに照準されない。斬るのは不当だ。
「長引かせたいのかい? それとも、幕引きは早い方がいい? 旦那じゃない……そっちのあんたさ。辛いだろう? それは苦しくて、悲しいねぇ……ああ、斯くの如くあれかし」
その狼の鼻の視線の先――上下に分かたれた胴を起こそうとするアーセナル・コマンド。
半壊の
思考すらも介さずに、バトルブースト。敵機を掠めるように牽制しながら、その倒れた機体へと接近した。
その肩に手をやる――マニピュレーターを通して伝わってくる機体情報。
液体ガンジリウム全損。
機体内のパイプ爆発とコックピット損傷により、
「ああ――……ああ、その機体……! ああ――……ハンス・グリム・グッドフェロー……兵士の英雄……!」
吐血と喘鳴混じりの、年若いパイロットからの通信。
「おねがいです、おねがいです、鉄の英雄っ……あいつ、皆を笑いながら切り刻んで……! おねがいです、英雄ハンス……! おねがいです……!」
「……ああ。承知した。大丈夫だ。喋らなくていい」
彼のバイタルサインが低下していく。
同時に、頭の片隅で分析する――切り刻んだ。敵はプラズマブレードを所持している。おそらく腕部の武装はライフル兼用。
コックピット内の彼が行ったのか、それとも補助をするその従者である学習型管理AIがそうしたのか。
機体の被撃破の瞬間のデータが伝わってくる――二人分の命の重み。
「貴官は何も案ずることはない。……よく耐えた。任せてくれ。その情報を無駄にはしない」
バイタルサインの低下に歯止めがかからない。
伝わってくるその表示は、主を奪われつつある管理AIの声にならない悲痛な叫びと献身の果てだった。
「俺は、君に出会えたことを誇りに思う。大丈夫だ。……頑張ったな。本当に、よく、頑張った」
「ああ――……あなたはやっぱり、本で読んだみたいな……こんなっ、こんなおれに……あなたがっ……あなたが――」
「敬意を。名を教えてくれ」
だが――返される返答はなかった。
代わりに送られたメッセージ――つまりは電子的なドッグタグ。その生命なき電脳の従者から。
ミハエル・クルム・ヴィットリオ――二十三歳男性。
「残念だなあ、嵐の魔剣――……あのときのあんたは、一番近かった。判るだろう? 会いたいんだ。会いたいんだよ、おれは。汝、試すべからず――そうさ、試しはしない。おわしますと疑った日は、一度もないさ。……でも会えない」
「……」
「こんなに苦しくても、会えないんだ。――なあ、でも、あんたは違う。試してもいいはずだ。そうだろう? だってあんたは、人だ。人なら、試したっていいはずだ」
「そうか、武器を捨てて所属を明かせ」
努めて平坦に呼びかける。
義務を果たせ――兵士であるということの義務を。
「……なあ、死神。それは、なぁ――違うだろう?」
「貴官の言動には著しい不安定さを感じる。機体を降りて速やかな治療を。武器を捨て、投降を勧める」
「は、は、は――――旦那、旦那、旦那! あんたはズルい人だよ。ずっとずっとズルい人だ――……。おれのことを見向きもしない――……ああ、でも、そんなあんただからたまらない! そうだろう!」
敵機がこちらに銃口を向ける素振りはない。
ならば、まだ、言葉による警告が妥当だ。そうすべきだ。
「おれのことが憎くないのかい? なあ――……ああ、それだ。はは、本当に噎せ返るほど……臭いがしない。ああ、優しいんだな……旦那は。そんなに死人が好きなのかい? ああ、おれは、旦那もそれも大好きだよ」
「そうか。直ちに投降を勧める。……貴官のそれ以上の戦闘は、心身に重大な影響を与えかねない」
「なあ、憎んでいいんだ。恨んでいいんだよ。あんたは、ただの人さ。……『よくも俺の仲間を殺した!』と――そう怒っていいんだ。あんたは、人だ。主は天上におわしめす方一人のみだ……あんたは人なんだ」
「……武装解除をして、投降を勧める。氏名階級を明かせ。それがなされない場合、当機は貴官に軍人としての取り扱いを――」
ガシン、と。
敵機が動いた。足を動かした。
その逆関節の片足は、別の、半壊したアーセナル・コマンドの上に乗せられていた。
「なぁ――……彼らのためにも、そうすべきじゃ、ないのかい?」
「――」
「だってほら、自分が殺されたことにひとっつも怒ってもらえないなんて……仲間甲斐がないって、思わないかい? なあ?」
嘲笑うように敵機はその手の武装をひらつかせて、鉄の上半身を踏み躙っていた――何度も。
生者が死者の橋を架ける――生者だけが死者の行動に意味を作る。
義務を果たせ――兵士であるということの義務を。
「……もう誰一人もいない。俺がそう言ったところで、誰にも聞こえない。死者は応えない」
「――あぁ、そうだ。おれが全滅させたよ。そうだそうだよ。忘れてたね。……でも、なあ、旦那――……あんたに瞳はないのかい? 脳に空いた瞳さ。怒りと狂気の瞳だ。ああ、或いはそれこそが理性か――」
「……」
「噎せ返る匂いを……感じないか? あんたの内から。こんなふうに」
敵機が足を動かす。何度も。何度も。
銀色の液体ガンジリウムが機体の断面から吹き出し、高温のそれは甲板で煙を上げる。
義務を果たせ。兵士であるということの義務を。義務を果たせ。
それ以外、お前には、俺には、求められていない。
「……足を退けろ」
「なんでだい? ほら、これは、だって――抵抗でもなんでもないだろう? ははっ、おれは、ただ歩いているだけだよ」
「……武装を捨てて、機体を降りろ。これ以上は、当機の要請に応じるつもりがないと判断する」
最終警告を通達し、プラズマブレード発生装置に電力を供給する。
二人の生者しかいない煙を上げる幽霊船の甲板で、紫炎が闇を割くように唸りを上げた。
だが、返されたのは意外な回答だった。
ガシャン、と放られたブレード兼用のプラズマライフル。
敵機はその両手の武装を解除していた。
「……わかった、降参だ。降参するよ。出来心だったんだ……悪かった、もうしないよ――――あぁ、懺悔する。月さ。あの空の瞳が、おれにこうさせたんだ」
「……」
「は、はは――優しいねえ。優しいんだ。ズルい男だ……あんたは、絶対に、人の話を聞こうとする。必要があって、余裕がある限りは絶対にそうする――……そうだろう? ハンス・グリム・グッドフェロー?」
嘲笑うかのように機体の両腕をひらつかせて、敵機は通信を続けた。
「ほら、手に縄をかけてくれ。……恋人のように優しく、親子のように激しく。あんたはおれを縄にかけ、処刑台に導くのさ」
「投降の意思があるなら、機体を降りろ。アーセナル・コマンドも武装に含まれる」
「……実は降りられないんだ。中から、開かないんだよ。なあ――……頼むよ、下ろしてくれ。本当におれには戦う気がないんだ、心優しい施しの英雄よ」
そう口にしながら、敵機は破損したアーセナル・コマンドの上半身を踏み躙り続けた。何度も。何度でも。
現象としては、それは、塗装が幾分か剥がれるだけだ。
兵器を損傷させることもない。おそらくは、不法行為とも呼べない。
ここで敵機を撃墜することにはなんら法的な正当性はないのだ。既に武装を解除し、抵抗の意思を示していない。そして、故障で機体からの離脱が叶わない――救助を要請している。
ああ、なんら、彼を切り捨てていい道理はない。
死者は、死者だ。生者に道を作られるのを待つだけのものだ。それだけのものだ。
死者のために生者を害するなどということはあってはならない。死者はただ死者であり、それ以上でもそれ以下でもない。死者は何も望まない。もう望めない。
生者こその尊厳のために死者の尊厳を尊重することはあっても、ただこの場に己と彼しかおらぬなら、それも妥当ではない。
死者のために生者を殺していたら、理の帳尻が合わない。
そうだ――。
規範たれと己を律するならば、この場でこの要請を断る理由などどこにもない。
なんら妥当性のない私情で己は動かない――言い聞かせる金言。首輪=それ以外、お前には、俺には、求められていない。
ならば、
「了解した。……貴官の救助要請に応えよう」
「へえ……!」
心底嬉しそうな、敵機の
或いは、これが目的だったのか――……何にせよ変わらない。自分がやることは変わらない。
そう、いつもと同じだ。
つまり――備えている。備えていると、言うことだ。
何も、変わらない。
「脱出できないならば、仕方がない。――
「――」
「その状態でも、内部の気圧の調整はされる筈だ。貴官の命に別状はない。主電源を落として、予備電源も切断ののちに当機の牽引を待て。救助を行う」
「あ――――――――……そう来たかぁ……」
呟いた敵機が、目に見えるように肩を落とした。
「できる筈だ。抵抗の意思がないというのなら」
「あー……ほら、操作が効かなくて……」
「そうか、了解した。今のところ、貴官に可能な操作は機体を動かすことだけだな?」
機体の足が動くことは、確認済みだ。
特定部位のみ動かないというのは、よほどの故障がない限りは起こり得ない。
機体内部の稼働装置が反応しなくても、《
「それは確認している。そう判断する。……腕部も稼働するな? その《
内部的なものはどうかは知らないが、外部的には、敵機は何の問題もない状態だ。
「外部から、自力でコックピットハッチを開け。緊急時の避難で可能な筈だ」
「ええと、それも壊れているとしたら……」
「そうか。そうなれば、当機にも貴官の救援は不可能だ。武装による融解は搭乗者の生命の危機に繋がるため、俺は行わない。貴官の正体が不明であり、民間人の可能性もあるため、俺には実施できない」
「――――」
ブレードによりコックピットの外殻のみを切り裂くのはリスクが高い。
無論、十全に行えるものであるし、友軍にその応急対応を行ったことはいくらでもあるが――彼らは兵士であり、そして、リスクについても認知している。だからだ。
氏名が不明であり、所属が不明である相手には不可能である。
「母艦に牽引する関係上、安全性のために貴官の機体の四肢を破壊する。……それか貴官の所属姓名を明かし、軍人であることの証左を」
そのまま続ける。
「いずれかの行動を。俺は、貴官の言葉を信じると決めた」
努めて、敵機に静かに呼びかける。
「――選べ。あとの選択は貴官のものだ。俺はそれに応報する」
そう告げれば、はたして――。
通信に響く拍手の音。
敵機の主は、そのコックピット内で手を叩いているらしい。
「やっぱり旦那は鉄の男だねえ――……あらゆる理不尽に反抗を、あらゆる悲痛に安らぎを、罪業には裁きを、悪には怒りを……ああ、全く、謳われる剣じゃないか……」
「速やかなる行動を求める。要請に対する遅滞行動は、正式に抵抗の意思と認められ得るものだ」
「まったく、届かない――……ああ、それとも届いてると信じ込むことが、信仰と呼ばれるのか……かい? ははっ、わかってるよ――……」
心底、恋が破れた乙女のような声。
「あぁ、あんたの瞳を見れなかった。頭蓋に穴が空くほどの怒りだ? 瞳さ。ただそれを抑え得るものは、もう、理性などでなく――」
「速やかな行動を。それ以上は、作戦に基づく引き伸ばし行動だと認識する」
ブレードを構える。
敵の目的は牽引せんとする当機を撃墜するか、それともこの時間稼ぎか。
いずれにせよ、これ以上続けるならば撃墜も妥当である。
「ああ……素っ気なくなっちまった。こうなったら駄目だね。出直そうか」
「出直す、とは?」
「そのすっとぼけた態度、おれみたいな手合いへの応報のつもりかい? 絶対に悪なるものを許さず、笑わせず、愉しませず、しかし貶めない――ああ、応報の魔剣よ! 何たる月光の聖剣よ! はは……あんた――やっぱり、怒ってるんだろう?」
「……会話の意図が読めない」
「ああ、なんてことだっ、どっちかわからないねえ……心を閉じるのが上手すぎる。
逆関節の
「……あぁ、ま、予定が変わったけど仕方ねえな。しかたねえか。元々そういうあんたともやり合いたかったのさ。そうだろ? かの
「確認するが、先程から示していた投降の意思は?」
「あると思うかい?」
「……そうか。了解した。残念だ」
敵機の手には、未だ、武装はない。
だが――何らかの確信がある。その状態でも当機と戦えるだけの確信が。
「残念がるなよ……墜とされるのが、おれだとは限らないだろう?」
「貴官の望みが叶えばいいが……申し訳ないが、不可能であると通達する」
何にせよ変わらない。
そうだ、こちらのやることは変わらない――常に。
ただ義務を果たすだけだ。兵士であるということの義務を。
「ははっ、月は見てないが……だがまぁ――――踊ろうぜ、死神グリム! 二人っきりだ! おれと、あんたと! 夢中にさせてやる!」
甲板の上、既に月光は黒煙に遮られた。
両腕を広げた漆黒の
こちらの両腕部には迸る紫炎。
「――――スペード1。規定に基づき、交戦を開始する」
奥歯を噛み締め、
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