第21話 崩壊の序曲、或いは

 何故お前は“そう”し続けると決めたのか、と問われる。

 俺は言う。

 決まっている。答えは、たった一つしかない。



 幼少の折、父親に連れられて軍楽隊の音楽を聴きに行った。

 演奏はもう覚えていないが、一つ覚えているものがある。

 涙を流し、ステージの片隅に座った黒衣の婦人。

 子か、夫か、父か――……それを失くしながら、今も生きる戦友たちの演奏を見届けにきた女性を。

 父は、言った。


 ――〈ああ、ハンス。幼きヘンゼル。私もいつか、彼らの音楽に導かれて街を出る黒い鼠の一頭になるかもしれない〉〈死と恐怖は私達が一緒に連れて行く〉〈夏の黒い祭りの、死出の葬送のその列に〉。


 悲しそうな笑顔のまま、彼は続けた。

 恐怖と、別離と、寂寞と――……それでも使命感と愛情が上回った寂しげな笑みだった。


 ――〈賢いハンス。私の天使。お前と、こうしてまたここに来ることはできないかもしれない。でも、父さんのことをわかってくれるかい?〉。


 ああ。理解している。

 幸いこの身には、同年代よりも高い理解力が備わっている。

 ああ――恐れを噛み殺す勇者よ。仮初めの父よ。

 それが貴方の誇りというなら、それが貴方の望みというなら。

 誰かのための献身は、輝かしく、尊いものだ。おそらくこの地上にある何よりも輝ける命の光だ。

 俺は一個人として、その在り方に敬意を表そう。

 後のことは心配しなくていいと頷けば、彼は誇らしそうに、俺を抱きしめた。


 どうか、貴官のその献身に祝福と栄光を。

 恐れを押し殺し、涙を飲み込み、別離を覚悟してもなお行われるその気高き献身に敬意を。

 仮初めの父よ。仮初めにして、あまりに尊き肉親よ。

 そして、一度きりの紛れもない命を生きるものたちよ。

 俺は、君たちが喜ぶ姿が何よりも嬉しい。君たちが悲しければ悲しい。報われてほしいと、そう思う。

 報われていいはずなのだと、そう思う。

 それが許されないというのであれば、俺が誓おう。

 それは――許されるのだと。許されていいはずなのだと。報われるべきなのだと。そうでない道理など、あってはならないのだと。

 俺が、そのための剣となろう。



 ――〈ああ、英雄……アナトリアの不屈……鉄の英雄……ああ、あなたが……! あなたが、来て……くれたんですね……ああ、あなたが……きたなら――――〉。


 案ずるなと、その機体に手を添わせる。

 モニター越しに、その顔が和らいだ気がした。

 事切れる瞬間に、彼は、僅かばかりの安堵を胸に逝けただろうか。


 ――〈おれは、役に……たてましたか……?〉。


 無論だ。輝かしい兵士よ。生きとし生けようとし、そして、死出の葬列に加わったものよ。

 懸命に生きたるものよ。お前が今味わうその末期の苦しみを和らげられるというならば、今ここに俺は誓おう。

 俺は君たちの、あるべき姿であり続けよう。

 その輝かしい献身が、決して忘れられはしないように。

 君たちが生者の元に帰る、そのための石の橋となろう。遠き昨日死者から明日生者へ架ける橋となろう。

 そうだ。

 すぐに死者になる、他ならぬ生者である今の君に誓おう。



 ――〈死にたく、ないよぉ……死にたくない、死にたくないよぉ……〉。


 ああ、奮戦した名もなき兵士よ。名があり、そして名もなき詩に間もなく名を連ねる敵軍の兵士よ。

 立場は違えども変わらない。

 どうか、その死に安らぎを。魂に安寧を。

 君のその献身は、報われていいものだ。――たったこれだけしか返せないのが、心苦しい。


 ――〈誰ぇ……? ああ、あたたかい……〉。


 抱きしめてとそう言うならば、俺は君を抱きしめよう。

 心からその髪を撫で、接吻をしよう。

 服が血に汚れようとも、俺の在り方は汚れない。君の気高さも汚れない。

 君のそのあまりにも勇敢な心に――どうか俺に応じられるだけの全てを。



 

 俺は全てを施そう。生きて死に行く君たちに。それしか贈れないというのであれば。それしか報えないというのであれば。

 歌えと言われるならば、喉が裂けるまで死出の歌を。

 渇いたと言われたならば、胸を裂きこの血潮を。

 施そう。俺の血肉の全てを。

 施そう。そう在れるように、俺は強く。


 案ずることは何一つない。

 俺は死神。黒衣をまとい、骨だけで漂う篝火の不死者。

 施そう。

 命あるすべての献身へ――どうか。凍えしときはこの衣服を剥ぎ、飢えしときはこの肉を喰らい、渇きしときはこの血で癒やし、歩みしときはこの骨で橋を作ればいい。

 俺はその施しに応じられるだけ、全てを磨いておくだけだ。

 俺は、そうし続けるだけだ。何も案ずることはない。


 だからこそ、だろうか。

 それはあまりにも、鮮明に記憶されている。


「首輪がないと仰られましたね? ……ええ、ならばわたくしが、貴方の首輪となって差し上げますわ」


 思い出す。あの日のことを。

 前髪に一房だけの金髪が混じった、銀色の長髪の少女が。

 その背に太陽を背負って――――死でしか応えぬ嵐の魔剣と成り果てた男に手を伸ばし、その使い手になろうとしたことを。

 貴たるものの責務を、身を以って示した星よりも輝ける聡明なる知の少女のことを。



 ……だから、決まってこう返すのだ。


 何故お前は“そう”し続けると決めたのか、と問われる。

 俺は言う。

 誰のためでもない。誰かのせいでもない。

 死者のためでも、生者のためでもない。

 英雄ではない、ただの人間であったとしても。


 ただ、俺が、と決めたからだ――――と。



 ◇ ◆ ◇



 一応、念の為に。

 連絡の上で、もう一度本当に問題ないのかその顔を伺いに行く。

 そうして出勤前に、シンデレラの部屋へ伺ったときだった。


「大尉……あの……」


 いつもどおりの黒の軍服に身を包み、後ろ手を扉側に隠すように。扉の前で。

 頭一つ以上離れた下の方から、ふわふわの金髪の中からこちらを伺う琥珀色の視線。

 何度か躊躇いがちに言葉を選びながら、ついに彼女は言った。


「手を……繋いでも……いいですか……?」


 勇気を振り絞った――というような、そんな顔。

 とあれば、返す言葉は一つしかないだろう。


「ああ。君がそうしたいと言うなら、そうしてくれ」

「なんですか、それ、もぉ…………じゃあいいです。まるでわたしがどうしてもそうして欲しがってるから、嫌々だけどそうしてあげる――みたいに。断るなら、ちゃんと断ってくださいよ……侮辱ですよ、それ」

「そうか。……嫌々では、ないんだが」


 そんなに好悪の判別がつきづらい顔をしているだろうか。


「――――――、ぇ」


 琥珀色の瞳を大きく見開いて、シンデレラが停止した。


「何か?」

「えっと、あ、えと、その………………う、嬉しいっ、んですか……? その、た、大尉も……」

「ああ、悲しむ理由は特にない」

「そんな言い方っ!」

「……訂正する。嬉しく思う」

「――!」


 人が楽しそうにしていると、嬉しい。決まっている。

 あれだけのものを背負わされてしまったシンデレラの心の癒やしに、こんなものがなるというならそれほどに喜ばしいことはない。

 てっきりもっと何か深刻な――長時間のカウンセリングが必要になるかと思えたが、それも不要だというなら実に心から喜ぶほかはなかった。

 彼女はまだ、戦場に心が囚われてしまった兵士のようにはなっていないのだから。……帰ることができる。


 躊躇いがちに伸ばされてから、ちょこん、とこちらの指先をシンデレラの手が包む。

 小さな手だ。まだ幼い少女の手。……血に塗らせることなく、それがよかったと心から思う。


「あ、で、でも……向こうに着くまでですからねっ! それ以上は、なんか、こう、見せ付けるって感じで……嫌なんです、そういうの、バカみたいで」

「恥ずかしさもある、か?」

「んなっ――別にっ、別にわたしは恥ずかしがるほど子供じゃありません! わたしはっ! 大尉がどう思ってるかは知らないけど、子供じゃないんです!」

「……ふ。そうしてムキになっていると、子供に見えてしまうぞ。お嬢様?」


 そうジョークを言ってみれば、


「ハラスメントですっ! ハラスメントっ! たっ、た、大尉は、もっと、自覚してくださいっ! 自分の言動を! ズルい顔!」


 勢いのままに、手を振りほどかれてしまった。

 腕を組んで顔を背けて、彼女は明らかに怒っていた。

 これでは嫌われているのか、好かれているのか判らない。

 ……不安を紛らわせるためにこう提案するからには、おそらく、そう悪くは思われてはいないということだろうが。

 と思っていると、また、手のひらに感触があった。

 そっぽを向いて――でも、こちらをチラチラと眺める琥珀色の瞳。


 安心する。

 支えには、なれているらしい。



 ◇ ◆ ◇



 そうして、いつものブリーフィングルームの一つで。

 随分と、この待機室も広くなった。

 母艦にある内の四つの小隊が――つまり一つの中隊が全員死亡し、更にもう一つの中隊――第二中隊からも小隊が一つ壊滅した。

 今残っているのは、本部小隊を含めて四個小隊。


 第二中隊の残数は、基本三機編成で成り立っている各アーセナル・コマンド小隊――第五小隊ダイヤ第六小隊ハート、自分たち第八小隊ことスペード隊。

 そしてこれら二個中隊に、本部付きの一個小隊を合わせたものがこの母艦にあるアーセナル・コマンド大隊――強襲猟兵大隊だ。


 ……編成について細かく説明をするならば。

 一個小隊が概ねアーセナル・コマンド三〜六機の編成で、中隊規模となると四個小隊――計十二機から二十四機。

 大隊は、概ね二個から四個ほどの中隊に本部小隊を合わせたものから――最小で二十七機・最大で百二機――形成される。

 そして、これらの大隊を二個から四個ほど集めたものが強襲猟兵団であり、この団が二個から四個集まって強襲猟兵師団になり、師団が二個から四個集まって強襲猟兵軍団となり、また軍団が複数集まって……というような構造をしている。

 対一〇〇〇〇機テンサウザンド・オーバーというと――最大編成時のこの強襲猟兵軍団よりも、と考えられていると見ていい。


 ……勿論、であるが。

 この組織編成は戦時での増強編成がありえること、そもそもアーセナル・コマンドそのものが『単身で敵都市に強襲をかけて施設を破壊・または敵軍事力に打撃する』という戦力であるために、常に定数や最大数があるとは限らない。

 正直に言えば、平時編成ということを鑑みてもこの母艦に一個大隊があるというだけで十分な戦力ではあったのだ。

 【フィッチャーの鳥】が、エリート集団であったことを加味すれば、なおさらだ。


 今頃、別の航空要塞艦アーク・フォートレス――同じ強襲猟兵団を構成する六番艦に人員の補充を呼びかけているのだろうか。

 それが叶うまでは、酷く寂しい風景になっていた。

 所属する駆動者リンカーが半分も死ねば、そうもなろう。……戦争の嫌なところだ。


「なんだよ、オマエやけに嬉しそうじゃねえかよ……」

「ふふ……ヘンリー中尉にはまあ、この領域の話は判らないでしょうね」

「だから特務中尉だ! 特・務・中・尉! ドヤ顔がうるせえんだよ、このちびっ子……!」

「ちびっ子? でも、ヘンリー中尉に言われたくないですね。街で声をかけに行ってフラれたそうじゃないですか。それも百連敗……嫌ですよね、そういう軽薄なの。軽蔑しますよ、ハッキリ言って。少し見直してたのに」

「だから特務中尉だ! って……んなっ、おい、なっ、なんでオマエがそのことを!?」

「言ってましたよ、ヘイゼル特務大尉が」

「は、ちょ、ちょっと待て!? ヘイゼルさん!? な、なんでアンタ――というかアンタが度胸をつけろって!」


 それでもどうにか、生き残りの中ではいい関係が築けているらしい。

 ……というかまたやったのか、ヘイゼル。呆れた男だ。

 それでいてシンデレラの信頼はちゃっかり得ているのがすごい男だ。こちらがこれほどまでに苦労しているというのに。

 ……もしかしてコイツ、実は、例の攻略対象とやらか?


 いや別になんでもいいのだが。いや良くない。女癖の悪さが良くない。年頃の少女に対してそういうのは良くない。

 悪い奴ではない。良いやつだ。最高の戦友だ。

 だが……その女癖の悪さで少女の純情を踏みにじるのではないか? それは酷いのでは?

 正直、こちらのことをどうこう言うよりナンパで軽薄で一週間ごとに一緒にいる女が変わる奴の方が、女性関係は問題なのでは?

 いや、いい男だとは理解してるが……。

 妙にシンデレラの歳の離れた兄のような気持ちから微妙な拒否感が湧いてしまうが――その当の男はこちらの首をかき抱き、耳元で笑いかけた。


「よぉ、相棒……どう見る? 連中、次は何をしてくると思う?」

「……あれは義勇兵の集まりだろう。全体の戦力で及んでいないならば、突出した戦力を各個撃破にかかる筈だ」

「地道だねえ。そうしてチマチマと殴り続けていつかあるはずのどこかに向かうったら、マスドライバーを壊してた頃の俺たちみたいじゃねえか」

「その意趣返しも、あるのかもしれんな。……リバースエンジニアリングはどの程度時間がかかる?」


 敵が何を目論んでいるかは判らないが――新型のアーセナル・コマンドを自前で用意していた。

 おそらくそれが戦力であり、見返りだ。

 第四世代型のアーセナル・コマンド【ホワイトスワン】を解析し、それに比する新たなアーセナル・コマンドを作りあげるか。

 もしくはブラック・マーケットでそのデータを売り捌いてもいい。未だに軍というものが配備されており、少なくない民間軍事会社――傭兵が存在している。

 戦いは尽きない。いい値段にも、なるだろう。


「さてな。製作者であるグレイマン博士次第だろうなぁ……あんまり時間をかけても命が危ないし、あんまり早くやっても存在意義がなくなる。そこらへんの見極めが――」


 と、二人で話しているその時だった。


「……そんなの、どうせ何も考えませんよ。今頃、大喜びで解析してるに決まってます。……向こうの機体についても」

「シンデレラ……」

「そういう男なんですよ、父は。……このままじゃ、辿り着いても死んでるかもしれませんね。それか、帰りたがらなくて顔も出さないか。わかりきってるんですよ、そんなの」


 唇を噛み締めるように呟くシンデレラの、その細い肩は震えていた。

 思うところもあるのだろう。いや、多い筈だ。

 少し話を聞いただけの第三者たる自分すらも怒りを覚えたのだ。当人であるシンデレラには、怒りと、それだけでは片付けられない想いが渦巻いている筈だ。

 だから、


「大丈夫だ、シンデレラ。俺が君と父親を再会させると約束する」

「別に……いいですよ、そんなの。それより、大尉が一緒にいてくれた方が……」

「確かに君も思うところはあるだろうが、死んでいるより生きている方がマシ――とは一概には言い切れないか。家族関係ではな。……まあ何にせよ、君が己を奮い立たせたその努力を、俺は無為では終わらせたくない」

「でも……」


 それでも、こんな世界に身を投じたという少女の願いが踏み躙られていいはずがない。

 ――己の有用性であり、至上命題であり、首輪であり、祈りに応えるものだ。

 そうだ。

 そう唱えるに足る理由がある。踏み躙られてはならないのだ。人の、その想いは。そう決めたのだ。助けると。


「シンデレラ、その時は俺も一緒に会いに行ってもいいか?」

「大尉?」

「娘を悪い道軍隊に引き込んだ悪い男なのだから、父として語りたい拳もあるだろう。娘を奪われた男親は凶暴と聞くし――」


 努めて彼女のその肩の荷を軽くしたいと、語りかける。


「もしそうでなくて、君が父親を殴りたくなったなら俺に言うといい。きっと百倍は痛い拳になるだろう。……そして、そのまま攫って逃げる。ならば娘は俺が貰っていくぞ――爪の先から唇まで俺のものだ、と君の肩を抱きながらな。これなら、多少はいい薬にもなるかもしれない」

「――――」

「懲らしめる方法はある、ということだ。たとえいくら出鱈目でも試してみる価値はあるだろう? 実はそういうのは、俺も苦手ではない。……シンデレラ?」


 ……が、効果があったのかは疑問だ。ちゃんと聞いてくれているかも判らない。

 彼女は何かを言いたげに口をぱくぱくさせるだけだった。

 流石に言葉に出してもらわないと、こちらも理解できない。誤解があっては不味いので、必ず聞き届けるようには努力しているのだ。


「……な、なあ、あの、ヘイゼルさん。あれ……」

「な? 奴もナンパ百連敗だったが、ああいう生き方もあるのさ。英雄サマになりたいだろ? 度胸ってのは大事だぜぇ? 次もやるよな?」

「茶化すな。……ヘイゼルも、若人に悪い遊びを吹き込むな」


 後ろでヒソヒソと語り合う男二人に釘を刺す。

 そういうことは不謹慎であると思う。

 シンデレラは本気で悲しんでいるのだし、それを勇気づけようとしたのだから。


 そして、今後の指針について。

 その辺りを示すのは、流石と言うべきか――やはりヘイゼルだった。

 自分と行動を共にしていたときから変わらない。

 そのコミュニケーションに裏打ちされた情報収集能力は、第三位ほどではないが――自分たちの指針となっていた。


「ま、単純な話さ。奴らはシンデレラの嬢ちゃんごとか……機体だけでも連れて帰るつもりだったんだろう? 行きはよいよい、帰りはこわいってな――俺らが一番知ってる筈だ」

「ああ」

「ってなれば、いくら別働隊に増設ブースターを使わせてても、実はそう遠くない位置に奴らの母艦がいたことになる。極めつけはあのミサイルだ。ガワが判れば、射程距離が判る。あとは製造番号でメーカーがどの方面に出荷したものかもな」


 単純だ、とヘイゼルが目を細めた。

 だが、


「製造番号……? それは、あってもミサイルの内部に格納されてるのでは……?」

「ああ。ぶっ壊すついでに、破片になってるのを全部見といたぜ。お兄さん、目は悪くないんでな」

「……」


 やはり、特異すぎる。

 流石は黒衣の七人ブラックパレードだ。自分以外の皆、才能が図抜け過ぎてる。


「ま、信用はされなかったが考慮はされたらしい。海に墜ちた――お前さんが墜とした【ホワイトスワン】と一緒に一部がサベージされた、と。んで、横流しにしても大本がどこ方面に売られたのかまでは検討がついて――」


 彼が手を翳すと共に、ホログラムの世界地図が浮かび上がった。

 そこに表示された無数の矢印。

 ブラックマーケットで販売し運輸するにしても、よほどの数が限られた品でなければあまりに大きく移動することはないと考えて――


「敵の根拠地にもあたりがついた、ということか」

「そういうこと。……ま、母艦ったってあの戦いで破棄された衛星軌道都市サテライトのアーク・フォートレスを流用した船だろうよ。あとはその目撃情報を聞き回る。そうじゃないなら、この辺をねぐらにしてるどっかの都市が直で支援者ってことだ」


 トントン、と円で浮かび上がった範囲をヘイゼルが叩く。

 オセアニア地域。

 そこを漂う空中浮游都市ステーションか、海上遊弋都市フロートか。

 いずれかに敵の支援者がいる――或いは、そのもの全てが敵である可能性もあり得なくはないか。


「こっから先は、現在地とここを繋ぐ場所で敵の船の目撃情報がないかの聞き取りって感じだな。まぁ、どっかで釣り出せはするだろうよ」


 十月も、半ばも過ぎ――十一月も見えてくる。

 既に事件の発生から二十日以上も経過している。正直な話、彼らとしても正念場だろう。

 人の記憶はあまり長くは続かない。失態を神話で塗り潰すためにも、劇的な成果を求めるとしたら今が重要か。


「……あの艦長が、最低限を果たすだけの置物に徹していてくれればいいが」

「お前さん、思ってたけどこう……結構辛辣だよな」

「兵の生存率に直結する。単純な方程式だ――たった一人の人間の保身や昇進という私情と、多くの兵の兵たるべしという公務への献身。どちらがより天秤の重きになるか」


 その領分を誤った上官など、最早、それは信ずるに値しない。

 職務としては従うし、職責から逃れはしないが――……それ以上の忠誠を捧げる理由などないだろう。

 己は、あくまでも兵士であって機械ではないのだ。


「俺は公私の別をつけることにしている。侮蔑の感情は評価に交えない。……無論、他人にそうであることも求めない。人それぞれだと。……それとは別に俺の中での評価は下げる。最終的な優先順位のためのな」

「怖いことだね。存外に嗜虐的だぜ、お前さん。……女とベッドでもその調子か? 頼むから俺を後から斬ってはくれるなよ、相棒?」

「あくまでも、最終的な優先順位だ。最終的な……。例えば婚姻などの契約関係があればそこに含まれる関係性の定義を優先するが、そうでなければ個人の好悪で職務を妨げず差別しない。どうしても救援を両立できない場合の判断だけだ」


 後から斬りかかりはしないし、命令を無視することもない。職責を投げ出しもしなければ、職務に差し障ることはしない。

 己の好悪とそこは、関係ない。

 ただ、己の中の好悪とは別に――――例えば必要な責務を果たし献身的である誰かと、そうでない誰か。

 その二人がいる場合に。どちらかしか救えないなら。

 全く距離が等しく、条件が等しく、関係が等しく、救援の要請も同じ時間だったとして――その時は前者を選ぶ。

 そうでなくては、その彼の人生に対しての筋が通らない。

 ……言ってしまえば、その程度でしかないが。最終的な優先順位というのは。


 あとは、まあ、危険性の判断のためだ。

 自分やヘイゼルならば問題ないだろうが……ヘンリーやシンデレラの生存や他には、艦長の判断も影響するだろう。

 そう思い、内心で評価をつけることにしている。個人的な好悪とは別の、合理的な判断材料としてだ。

 ともあれ、


「大方の方針は決まったか。こちらもどこかに帰港するか、或いは空中での受け渡しのように兵の補充を図り、それから撃滅する――そんな形となるだろうな」


 しばらくは、敵からの奇襲や戦闘行動に備えた配備をしつつ、訓練に充てる時間もあるということだ。

 残る二つ――本部小隊は手放さないだろう――の小隊との、交代での待機行動。

 それを行う中で、どれだけの時間を作れるだろうか。

 効率的に彼らを鍛えなくてはならない。

 ――



 ◇ ◆ ◇



 格納庫に並べられたアーセナル・コマンド。

 かつての大戦で破棄された移動式武装要塞アーク・フォートレスを流用し、やはりかつての大戦で用いられていた運搬用の母艦と合わせたという傭兵たちの旗艦――【黒の法律家】。

 そこから運び込まれたそれを前に、そして義勇兵と、彼らを前に行われたブリーフィングを受けたギャスコニー神父は、実に嬉しそうな少女めいた笑みを浮かべていた。


「ははっ、すごいねえ……やっぱりあんたとは、仲良くできる……おれが考えた通りさ」

「……そうかね」

「あとの二人もいずれ合流するさ。そうすれば、もっと、やりやすいだろうよ」


 会社名でもある【黒の法律家ブラックローヤー】。

 その戦力でもあるアーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニーは、ウルヴスの紹介の元、正式に雇用を受けることとなった。

 対【フィッチャーの鳥】として腕利きは一人でも欲しい。上層部や支援者たちもそう判断したのだろう。

 民間軍事会社――とどのつまりは傭兵だ。

 特に彼らはその中でも図抜けていた。大戦時のドサクサで流出したアーセナル・コマンドやモッド・トルーパー。

 それを背景とした小規模な紛争がある中でも、一二を争うほどの実力派の傭兵だった。

 他には【一〇〇〇機当サウザンドカスタマー】あたりか。結局はこれらの民間軍事会社とて、大戦のドサクサで手に入れた機体を運用しているのだが……。


 誰も、誰一人も上層部や支援者は気付かなかった。

 この男の危険性に――。

 いや、兵の中でもそれを理解しているのはウルヴス・グレイコートと、ハインツの弟であるローランド・オーマインぐらいか。

 それほどまでに甘く、柔らかく、この男は人の懐に潜り込む。

 神父服に身を包んだ悪魔か、淫魔か――ウルヴス・グレイコートは警戒を絶やしていなかった。或いはそれも、奴の魅了に含まれてしまっているのだろうか。


「作戦に従って貰えるなら、こちらから言うことはない。だが何故、増設ブースターを使わない? 君に考えがあるというのは――」


 ギャスコニーからされた不可解な提案。

 それを問いただそうとすれば、ウルヴス・グレイコートはその唇に人差し指を押し当てられていた。


「駄目だぜ、旦那。狼の旦那……もっと甘く、蕩かすように、だ。そうだろう? むつみごとのように――おれたちは一つになるんだぜ? そういうのは、もっと、色っぽく言うもんさ」


 蕩かす声色で、妖しく流し目を送るギャスコニー。

 その手を払い、ウルヴスは語気を強めた。


「ふざけている訳では――」

「聞きな、旦那。聞け。


 何を、と言う間もない。

 気付けばウルヴスは出撃前のアーセナル・コマンドと挟まれるように、腕を突いたギャスコニーに壁の如く遮られていた。

 顔の真横に置かれたギャスコニーの腕。

 美貌の神父が、銀髪の髪を寄せてくる――打って変わったどこまでも男根主義マチズモにあふれる気配。


「あんたのそれは、お綺麗な娘さんと同じさ。整っている。貞淑だ――……あんたはそんな動きを前提にしてる。違うかい? こんなやくざ者とならず者のこ汚い戦いはやってないのさ。あんたは、激しいのには、不慣れなんだ」


 そして、彼の顔は――今度は悪戯な少年のように移り変わる。

 あたかも作った泥の玉がいい出来だったのだと無邪気に喜ぶような少年の顔。


「安心しなよ。おれたちは慣れたもんさ。それが、おれたちの、力なんだ。そうさ、力さ。汚い汚い――きれいな戦いだ。なあ、お気に召すままってな?」

「……確かに、非正規的な非対称戦は、君たちに一日の長があるだろう。それにしても、せめて説明を――」


 黙らせるように。

 或いは刃物で魚を捌くように。

 それとも、娼婦が愛撫をするように。

 ぞっ、と――ギャスコニーの人差し指がウルヴスの胸から腹を一直線に撫でた。


「旦那。焦らさないでおくれよ。……おれが聞きたいのは、そんな声じゃあないのさ」

「……」

「安心しろよ。令嬢を娼婦に堕とすのは得意なんだ。すぐに、おれじゃなきゃ満足できなくさせてやるよ」


 また、獰猛な男根主義マチズモの顔。

 その赤い瞳が――不意に蕩けた。妖婦の相貌。絡め取られていく。混乱や当惑を巻き取っていく女郎蜘蛛。

 狂気と正気の狭間で、そのどちらをも官能に塗れさせる黒山羊。赤い舌で妖しく唇を濡らして、男は、ウルヴスの耳元で囁いた。


「なあ――……ああ、見えるぜ。あんたの脳の瞳だ。血の色の瞳だ。おれと見つめ合ってる――よく見える」

「……」

「はは、気付かないふりをしても駄目さ。そうさ、そうさ、啓蒙だ……あんたはもう脳に瞳がある。ただ目を伏せようとしているだけだ……そうだろう?」


 意味深な。

 聖句のような、警句のような。

 喘ぐ官能の声のような、女の喉から漏れ出るうわ言のような。

 ――真に受けるな。考えるな。これは、毒だ。理解を試みるな。警戒を絶やすな。或いはその警戒することすらも――なんたる狂気の月光!


「ハシバミの枝……聖母マリアの枝……ははっ、地を這う邪なる者を祓う聖なる枝。……名は、或いは上位者から授けられし刻印だ。果たしてやるよ。お気に召すまま、見えない赤子を産むが如く――な?」

「君は……一体何をするつもりだ……!」

――任せときな、軍人。これが傭兵のやり方って奴だ。見せてやると、おれはそう言った。


 その左頬の三日月傷をウルヴスに押し当てて――……それから男は、また、力ない笑みを浮かべた。


「な、ごめんよ。おれとあんたは上手くやれる。そのためにも、ほら……必要なのさ」


 両手を合わせて、実に申し訳がなさそうに。

 今度は毒のない優男のように謝罪をしてから、ギャスコニーはアーセナル・コマンドのタラップを上がっていく。

 一歩登るごとに揺れる濃い銀色の三つ編み。

 前髪に連れて薄くなっていくその髪の下、今は前を向く赤き瞳は何を思っているのか。

 駆動者リンカー用のスーツも着ない。

 神父服の真上に黒いモッズコートを纏ったままの、しなやかな獣の足運び。


銃なる剣バヨネットのギャスコニー――【オルゴール】、出撃する」


 何にせよ。

 その吐息の先には、ただ、流血しか残されてはいまい。



 ◇ ◆ ◇



 ここで死したる者と生きたる全ての人々の前に厳かに神に誓おう。

 我が生涯を清く過ごし、我が任務を忠実に尽くさんことを。

 我はすべての恐ろしき死、害なる苦しみを断ち、己のためにそれを用いることなく、恐れからそれを手放さぬことを。


 我が力の限り我が任務の標準を高くせんことに努むるべきだと。

 我が任務にあたりて、決して私心を交えることなく公明に振る舞い、我が手にしたる武力の全て、我に与えられたる力の全てを己の私欲のためには使わぬと。

 心より市民と兵士を助け、我が手に託されたる人々への報いのために身を捧げん――そう誓おう。


 求められたその悲痛なる声に、必ず応じると。

 そのために己という剣を、全て磨き続けると。

 そのために必要なあらゆる努力を欠かさないと。


 俺は、そう誓おう。

 求めてくれ――俺は、それに応える。

 そうするに足る力を磨き続ける。決して折れず、決して曲がらず、決して毀れぬ剣であり続けよう。

 そのために、あらゆる努力をしよう。



 ◇ ◆ ◇



 パイロットスーツを纏い、待機中のところだった。

 友軍――六番艦との合流。

 その予定地点に向かい進む航空要塞艦アーク・フォートレス『アトム・ハート・マザー』に届いた救援要請。

 それはまさしく。

 これから合流を試みていた、その六番艦『エイシズ・ハイアー』からのものだった。


「スペード1――――ハンス・グリム・グッドフェロー、コマンド・レイヴン。武装の使用制限ロックを、開封する」

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