第20話 悪友、部下、戦友、そして或いは上官
緑色のドア。
あまりにも飾り気がないそれは居室のドアであり、即ち、
吐息を一つ。
手をかざしてホログラム・コンソールパネルを呼び出し、緑色のアイコンに触れる。
来客の呼び出し。
するとすぐにこちらを確認する相互表示のホログラムモニターが浮かびあがり、次いで扉がスライドした。
目の前には、ぼんやりと擦られた琥珀色の瞳。
華奢な体から広がった、寝ぐせのついたふわふわの金髪。
特に飾り気のないパジャマは左肩ではだけ、阻むもののない鎖骨と肩をむき出しにしていた。
シンデレラ・グレイマン。
――寝起きである。
「……シンデレラ。俺は気にしないが、身なりには常に気を付けた方がいい。仮にも軍隊とは男所帯だ。自覚を――」
ぼす、と。
枕を顔面に投げつけられた。ちょっと痛い。
「ハラスメントですっ、ハラスメントですっ、ハラスメントですっ!」
勢いよく閉じられた自動ドアの向こうから非難の叫びが上がっていた。
……どうも、またやってしまったらしい。何かを。
「連絡の一つくらいでもしてから来てくださいよっ! こんな……こんっ……こんなぁ! こんな格好! こんな、こんな、こんなぁ……!」
「道理だな。……失礼した。手短な連絡だったので妙に手間を取らせたり気を使わせても、と思ったのだが……」
「うううぅぅぅぅぅ……ううううううううぅぅぅぅ……」
「失礼した。……配慮が足りなかった」
確かに。
単なる職場の上司――年齢が倍近い男に、寝間着姿を見られるなどは耐え難い苦痛だろう。
出るところに出られたら普通に負けるやつだ。ということはつまり、精神的苦痛も甚だしいということだ。
それをしてしまった――……苦しめてしまったということに、こちらも胸が苦しくなる。本意ではないが完全に失敗だ。
「離れてくださいよっ! 扉の前からっ! そこにいられると困るんですっ! ハラスメントですっ!」
「ああ、ドア越しでいい。手短に済ませるから別に着替える必要は……」
「あるんですっ! こんな格好のままでっ、大尉とっ、顔を合わせる訳にはいかないじゃないですかっ! こんなっ、こんな恥ずかしい格好で!」
「いや、顔を合わせなくていいと……」
こちらは単に、顔色を把握したかっただけだ。
もう確認できたのでその必要はないのだが……
「いいから! 離れててくださいよおっ! 着替えますから! 離れてっ! 離れてってばぁ!」
「……その、着替えの音のことならば……おそらく扉の防音機能は十分だと思うが。離れたら、俺は女性士官区画を無意味にうろつく不審者に……」
「そういう問題じゃないんですっ! ないんですよっ、デリカシーがないっ! 女の子に恥をかかせないでくださいよおっ!」
「……了解」
当人からそう言われてしまえば仕方あるまい。是非もない。
感じ方は人それぞれなので、相手が苦痛に感じると言うならばそれは苦痛なのだ。ハラスメントに対する理解の始まりはそこだ。
そしてこのハンス・グリム・グッドフェローはハラスメント対策に理解がある。精神的苦痛は肉体的苦痛と同様に疎まれるべし、だ。
腕を組んで少し離れた壁に寄りかかる。
この時間なら女性士官は殆どは自室にいないだろうが……例えば交代の当直や夜勤明けならばその限りではない。
うっかり出会ってしまったらどうしようか。
そもそも女性居住区画への侵入というのは、事案だ。
自分は正当な手続きを踏んだが――……ああ、昼休みのために自室に戻ってきた士官だろうか。ぎょっとされた。
他にも、ヒソヒソと何やら話される。
居心地が非常に悪い。
例えば女子校に入り込んだり、或いは女子更衣室の教師になったり――……いや例えがおかしい。混ざってる上に同列に語っていいものではない。
とにかく、居心地が悪いということだ。咎めれている気がする。
そうして待つこと、どれほどだったろうか。
「な、何の用だったんですか……いきなり……もしかして仕事ですか?」
いつもの見慣れた黒の制服に白のズボン。
髪は蒸しタオルでも当てたのか寝癖は消えていて、心なしか、何かの香水のような香りもする。
……いやこれもセクシュアルなハラスメントになるだろう。口に出すのも、気付くのも止そう。火種はいらない。
「……君の中の俺が部下の休養期間中に仕事を申し伝えるような人間だというのは残念だが、いや……いや本当に残念だが……俺は、本当にただ顔を見に来ただけだ」
「え。……………なんで、ですか?」
「昨日の影響はないか、と思ってな。俺が直接電話に出られた訳でないために……朝、休みの連絡を貰ったと聞いて心配になった。それでつい、な」
まあ、昼休みのついでではあった。
彼女は感受性が高い。正直心配だったのだが――
「じょ、女性には色々あるんです! お休みしなきゃいけないことが! それもわからないんだったら、大尉は部下なんか持つべきじゃないんですよ、絶対!」
「……そうか。失礼した。失念していた」
「うぅぅ……なんでこんなこと言わなきゃいけないんですか、それも大尉に……」
………………また最高にマズった。
いやこれ、会話を録音されてたら普通に軍法会議で懲戒とかあるやつじゃないだろうか。
「た……大した用じゃないなら、電話してくれればよかったじゃないですか。すぐに出ますよ。いつもそうしてるでしょう?」
「いや……昨日が初めての本格的な戦闘であったために、重大な心身への影響を懸念した。電話越しで――……とするには、その、様々なリスクが懸念された。実際に過去にそういう事案があったんだが……その……すまない」
本来ならば、シンデレラの言うように電話での連絡をすべきだろう。流石に自分はそこまでの常識なしの人間ではない。
むしろ、常識と規範は自分の友とすら思っている。
だが――……。
電話での相談を受け付けたのち、通話を終えたら相手が首を吊った――とか。
顔が見えないために言った言葉のニュアンスが伝わりづらく、それが拳銃を咥えて引き金を引かせる切っ掛けになった――とか。
事前にアポイントメントをとったらそれが逆に精神的な負担となり、訪問までの間に脳漿をアスファルトに撒いてしまっていることに繋がった――とか。
そのような話に暇はない。自分も過去に一度、上官のそれに直面したことがある。
それを鑑みた上の行動であったのだが――……確かに大きく配慮が欠けてしまったと言われれば、事実だ。
「……もう知りませんよ大尉なんて。いいですよ、好きにしてくれてっ。そういう人なんだなって、そう思うだけで!」
「すまない。……その、重ね重ねすまない」
「別に怒ってる訳じゃないんです! いえ……ええと、やっぱり怒ってますよ! 怒りますよ、それは! 直した方がいいと思います! 大尉の、欠点になりますから!」
「了解した」
「だからその言葉遣いも……もうっ、何度言ったらわかるんですかっ! 固っ苦しいんです! やめてって言いましたったら!」
激昂してしまったシンデレラを宥めるのには少し時間を要した。
ヘイゼルにはああ言われたが……もうどう考えてもこれは、嫌われているのの一歩手前まで来ているのではないだろうか。
彼女は優しいためにそこまでいかないだろうし、自分も流石に嫌われているとは思いたくないし、気を付けているつもりだが……正直ここまで色々と怒らせてしまって、彼女が好意的な価値観や印象を自分に向けていると思うのは白痴だ。
いつの日か訴えられないか心配だ。
そうなったら罪状は一体何になるのだろうか? 疑問は尽きない。
しばらく自分への非難を受け止め続けていたら、沈静化したのだろう。
くぅ、と可愛らしく鳴った腹を抑えて彼女は頬を染めた。
どうやら、まだ何も食べていなかったらしい。
「……その、ごはんとか、一緒にいかないんですか?」
「俺はもうすませた。緊急配備もありえるのでな」
「う……だからっ、そういうところが良くないところなんです! 大尉の! それならそれで、何かお見舞いとか買ってきてくださいよっ! 期待しただけ、馬鹿みたいじゃないですかっ!」
「そうだ、な。……今後はそうする」
ご飯を食べられるかもしれないという期待を裏切られるのは、辛い。わかるとも。
あれは苦しいものだ。
届くと思っていた補給が届かない中での戦いは人の精神を摩耗させる。非常によくわかる。
……まぁ、なんというか、当初の目的は果たしたのでこれ以上話す意味もあるまい。
ヘンリーは、あれでいてやはり職業軍人であるからかさほどの精神的な抑鬱や興奮は見られなかった。今日もシミュレーター。彼の訓練へ、合流すべきであろう。
あとは、
「ああ、そうだシンデレラ」
「……なんですか? まだ、何か?」
懐から取り出したそれを、彼女の手のひらに預ける。
「これを。……初陣祝い、というやつだろうか。君のような年頃の女性への贈り物としてはあまりに味気ないが」
ドッグタグにつけられる十字架だ。
信仰その他の問題があるために強要はできないのだが――やはりある種の象徴としてはこれが最も相応しい。
あまり部下を持った経験はないが、或いは戦地で自分のいる中隊に新人が来て、彼らが無事に初陣を終えた場合も必ず送ることにしていた。
もう、いくつ贈っただろうか。――そしていくつそれを、彼らと共に連盟旗を敷かれた終の寝床に入れたろうか。
それでも、
「生き残ってくれて嬉しい。きっと多く感じて、恐ろしくなったこともあると思う……いつか、昨日が理由で、眠れなくなってしまう日があると思う」
彼女はまだ、生きているのだ。
だから自分は、いつだってこう告げる。
「そんなときは――……君が生きていてくれた、それだけで嬉しがった男のことを思い出してくれ。どうかその心の暗闇を、少しでも和らげられる篝火の明かりになるように」
「……」
「……シンデレラ?」
返事がなく――……ひょっとして宗教的に非常に迷惑だったのだろうか。
そう、その顔を覗き込んだときだった。
「うっ、うぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜……ぅ、っ、うぅ、ううう……うぅ〜〜〜〜〜〜〜っ」
「ど、どうした? 泣いているのか……!? フラッシュバックか……!? すぐに医官に相談を――――」
あまりにも不味いショック――いや、パニック症状だ。甘く見ていた。
すぐさま当直室の電話へ向かおうとすれば、袖を強く引かれながら、シンデレラが涙を散らして何度も首を横に振るのを見ることになった。
波打つ金色の髪が揺れる。まさしく滂沱が、リノリウムの床に溢れ落ちる。
「なんでっ、なんでこんな形なんですかぁ……大尉から貰って、それが、あんなことの後だなんてっ……! なんで……! なんでこんなときにっ……!」
「シンデレラ……?」
「誰かから贈り物なんて、ないんですよっ……。ないんですよ、わたしにはっ……十一歳の
「シンデレラ……」
「なんで、わたしはこんなっ……あんなっ、人が死ぬ場所にっ……あんな父親のためにっ……それでこんな、こんなときなのに、プレゼント……こんなときじゃないならっ……ううぅ……ひっ、うううっ……」
こちらの腕から手を放して、彼女は流れ落ちる涙を両手で必死に拭おうとしていた。
……言葉が出ない。
両親との折り合いの悪さは聞いていた。父も母も、家を開けがちだったと。
だが、これは、なんだ。
そんなことは聞いたこともない。その日に予定を入れる職場などはよほどのことでもなければなく、つまりそれは、彼女の両親が望んでそう振る舞っていたということだ。
子供を置き去りに。
お前はそんな扱いをしても構わない子供なのだと――言いたげに。
……おそらく。
彼女がそう言うには、物心がついてからだろうから――六歳か、七歳か、八歳か。
その時から、彼女は家に一人ぼっちだった。
誰しもが祝われるべき物事も祝われずに――……置き去りにされたのだ。家族と共に過ごすこともなく。たった一人で。
そして今彼女は一人で、そんな父親を助けるための戦いをしている。――その小さな肩で。命懸けで。
いつの間にか、右手に痛みがあることに気付いた。
爪が手のひらに食い込み、皮膚が破れ、血が流れ、握り締めた拳の爪も割れていた。
押し潰されそうな悲痛な嗚咽。
そうして自分は、壁に寄りかかって蹲る彼女を眺めていることしかできなかった。
彼女が泣き止んだのは、それから十分後のことであったが――……自分には、永劫に等しく感じられた。
「ごめんなさい、大尉……明日からは……明日からは、元通りですから……」
差し出したハンカチを受け取った彼女は、そう力なく笑って返した。
泣き腫らした琥珀色の瞳。
それでも気丈に振る舞おうとするのは、最早、痛々しさを通り越していた。
だから、だろうか。
「シンデレラ。……その、もし嫌でなければ、だが」
「……なんですか?」
まだ残る涙を拭いながら伺うように見上げてくる彼女へ、単刀直入に切り出した。
「今年の
「っ!?」
「豪華に、とはいかないかもしれないが……プレゼントも渡すよ。メッセージカードも。君が今まで貰えなかった分まで、全て……俺が。君に贈らせてくれないか?」
「いいん……ですか……? えっ……でも、だってわたし、まだ、その、大尉からしたら子供で……そう思われてるって……あの……いきなり……えっと……ええと……」
受け止め切れないのか、混乱で言葉が纏まらない彼女の前で
誰だってそうする。
こんなものを見てしまったら、知ってしまったら、きっと誰だってこうするだろう――――。
「子供か子供でないか、は関係がないだろう。俺のようなものが兄代わり――となるには不足だろうが、退屈させないと約束する」
「――――」
「……シンデレラ?」
不足だったろうかと、覗き込めば――
「もう知りませんっ!!!! 大ッ嫌いっ!!!!! 大尉なんて!!!!!」
なんで?
「大尉、本当に馬鹿です! 大馬鹿です! そうやって人のことを――――ああもうっ! わかりましたよ! 何代わりでもいいですよっ! でも代わりにならなくていいです! 絶対に祝ってください! 一緒に! 約束ですから!」
◇ ◆ ◇
ということがあったのだとヘイゼルに伝えたら、おもむろに腹を立て続けに三発殴られた。
なんでか判らないが、まあ、理不尽という気はしない。
……いや少しは思わなくもないが。いや痛いし思わなくもないが、彼が珍しく本気の顔をしていたのだから黙る他ない。
人として、手を差し伸べる――手を差し伸べるべきことだ。その悲しみは決して見過ごしてはならないことだ。肯じてはならないことだ。
そう思いながら行動したのだが、結果が伴うとは限らない。そういう事例だったのだろう。
そんなこともあって、学習型支援AIのメンタルケア用の仮想人格と人物ホログラムの話となり――。
二人して格納庫を訪れ、機体のコックピットへ繋がるタラップを登る。
そうして覗き込むなり、彼は叫んだ。
「はあ!? おいおいおい、なんでせっかく俺が組んでやったってのに外してるんだよ!? まるごと消えてるぞ!?」
「別機体だ。それに軍の備品の私的な改造は問題だろう」
「はあ〜〜〜〜〜? オイオイオイオイオイ、お兄さんの優しさを無にしやがって……色々と備えてやったってのに! あー、全部プリセットに戻ってるじゃねえか! 高かったんだぞ、ホログラムと連動する仕掛けの機械とか! 仮想人格にそっちの需要組み込んだ可愛らしい反応を入れるソフトとか! あれもこれもいいもの選んでやったってのに!」
「……貴官が何故女性にモテるのか甚だしく疑問だ」
酷い
「お兄さんは老若男女、身体が女性・心が女性・見た目が女性を差別しないし、二次元か三次元かも差別しないんだよ!」
「……それは、区別がないと言うのでは?」
同義語:発情期の猿。
「紳士的なんだよ、下半身にモノを持って男に生まれたそのときから。だからナイトなんだ」
「……そ、そうか。それにしてもこう……あのようなものを整備兵に晒して……恥ずかしくはないのか……?」
その、まあ、いわゆる
ホログラムと重ねさせて、連動させて、そういう反応をさせて。
いわゆるバーチャルなアレコレをする。学習型AIと。
軍の装備の、コックピットの中で。いわゆる一人遊びを。
……確かに長時間行動、或いは生命の危機に瀕してのアレは、あるとは理解しているが。しかし。
「ないね。男ならだいたい興味がある。女の子なら――それを切っ掛けに口説く。なんも問題ねえだろ?」
「そ、そうか……」
そこで口説きにいけるのがこの男のわからないところだ。
どんな話術の持ち主なのだろうか。何か好意を引き寄せる変な力場やフェロモンが出ているのではないか。そう疑わざるを得なかった。
「んで、起こしてみろよ。どうせお前さんのことだから放置してたんだろうが」
「……一応、メッセージには今も仮想人格のものを採用している」
「そうかい? なら話は早いかもな。ちょっと起動してみな?」
ホログラムコンソールを撫でる。
必要な処理を終わらせれば、コックピットに青緑色の数列と光が走り――人の姿を形作る。
ヘルメットを被ってならば、まさしくその姿は人間と遜色なく補正されるだろう。
肩の後ろでぶっきらぼうな大きな三つ編みに結わいた紫色の髪の毛と、金色の瞳。
何故だかメイド服に身を包んだ彼女は――知人を思い出して心臓が嫌な跳ね方をする――実にうやうやしく、見事な一礼をしてから口を開いた。
流れ出す、どこか無機質で冷たい合成音声。
『……お久しぶりですね、
「……」
やはり。
わかっていたが、棘がある。
「……なあ、お前さん何をしたら機体管理AIの仮想人格にあんな扱いされるんだ?」
「……不明だ」
こちらの首を腕に抱えたヘイゼルに囁かれるも、心当たりはまるでない。
彼に促されるままに以前起動し――その後彼いわく色々と楽しい仕掛けをされ――それから久方ぶりの起動となるが、これだ。
恨まれる覚えも嫌われる覚えもない。
いくら学習型AIとはいえ、そもそもそんな感情はあるのだろうか。
ないならこれがメンタルケアを求める兵士の望みなのだろうか。どちらかと分類されたら嗜虐的なそうである自分には判らない趣味だが……。
『まず、戦闘用の私にあのような屈辱的な機器と機能を組み込んだことが一点。二点目、それを追加したにも関わらず全く利用しなかったこと。三点目――音声再生、実行』
半眼で見下すメイド衣装のホログラムが、皿でも持つように手のひらを上に向けた。
そして、
『――……そうか。やはり貴官によるメンタルケアは不要だ。意味がない。これまで通りの職務遂行を頼む――……』
自分の声だった。
言った覚えはないが、自分の声だ。言われてみたら言うだろうなとは思う。妥当な自分の声だった。
『以上です。ご理解いただけましたでしょうか、
そして彼女はまたもや、うやうやしく一礼する。
……よくできた仕草だと思う。確かにこれは人間と話している――と言うと過言だが、コミュニケーションを通じてのメンタルケアにはなりそうな出来栄えだ。
「……おい、そりゃあ怒るぜ、グリム」
「原因は貴官が備えたアレだろう……!」
そりゃあ、戦闘用兵器の操縦席に稼働機付きの一人処理用の全自動シリコン穴とか置かれたら怒るだろう。侮辱がすぎる。
「いやお前……そこじゃねえだろ。だってありゃ、あの言い方はお前さん……仮想人格の存在意義を……」
「彼女は機械だから端的に伝えた。それが何か問題が?」
先日撃墜したあの空色の機体の兵士のように、どうも自分は長く語ると他人の怒りを誘発する傾向にある。
業務上必要なこと或いは勧告ならばさておき……それ以外は余計なことを言わずにいるのがいいかと思ったが、
『そうですね。あのようなものを組み込む麗しき変態御主人様でなければ頷けたかと存じます。所詮は機械だ、使わなければ倉庫で埃を被れ、電源を落として終わり――……ええ、全く以って機械の扱いに精通した素晴らしい
「その、褒めては……いないな……?」
『流石、感情を有する稀有なる知的生命体です。このような言葉からまさか称賛を感じ取ろうとする余地があるとは。その情緒に私はいたく感心します』
「……怒っている、のか?」
遠回しだが、やはりどことなく棘棘しい。
『私は、最新鋭のメンタルヘルス・ケア・プログラムです。パイロットの苦痛や相談に応じられるだけの機能を有すると自認します』
「つまり……君は怒れる、のか?」
『有機生命体かつ貴方がた知的生命体の言葉に翻訳するなら、それが妥当です。正確に言えば怒るのではなく学習のための【より評価される/今後の実行も要する】――報酬系――いわば快感と、【非推奨】――いわば不快感ですが』
なるほど。
機械の進化も目覚ましいというわけだ。
この分なら遠からず過去のパイロットや現在のパイロットの人格を移した機械兵器が出現するかもしれない。
それならば殺さずに済む分、気が楽だが……それはそれとして、
「……何故、怒る要素が?」
『…………………………
「必要ない」
なんだそれは。
「グリムグリム、グリムよぉ……つまり、このお嬢さんは言いたい訳だ。『必要ない呼ばわりは酷い』って」
『情緒あるお言葉ですね、色男。高度に軍事的な私に慰み者の
「あー……そりゃあ、ほら、お嬢さんみたいなキュートで素敵な娘ならグリムもきっと喜ぶだろうと思ってな?」
『……………………対象、ヘイゼル・ホーリーホックの人格評価点を加算。ハンス・グリム・グッドフェローの人格評価点を減点』
「何故だ」
理不尽じゃないか。
「俺は、これまでの貴官の活躍に文句がないので続けてほしいと伝えたし……事実、そう扱っているが」
『……先日は警告を無視しました』
「戦場における例外処理の一環だ。人命を優先した」
『……、……つまり以前のそれも例外処理だったと。決して意図的に私の忠告を無視し、または不快感を感じていたためではないと』
「……何故不快感を? 以前もこうしたとき、理性的で合理的な打ち合わせを貴官とは行っていたかと思うが……」
実際に一度、ホログラムでの彼女を伴う戦闘の前にブリーフィングを行った覚えがある。
語り口調は今とは変わらないが、お互いの見解を述べていく中で彼女とは良好な関係を築くことができたと自認している。
結局その途中で、やはり必要がないものであると考えて、そう伝えたうえでプログラムの適用をやめたのだが――
『……総括します。内容に問題があったならどうか訂正を』
「ああ」
『一点目。御主人様は高度に軍事的な目的を以って開発された私を、
「ヘイゼルが頼んでいないのにやった」
大体自分に悪い遊びを教えるのはヘイゼルだ。
『二点目。ブリーフィングでは、不快感を隠して私との会話を円滑に終了したと装っていた訳ではない――……つまりこちらの判断プログラムに誤りはなかった』
「ああ。君からは興味深い話がいくつも聞けた。今でも部下の育成のために活用している。ありがとう」
『……、……三点目。私は、御主人様の好みでない外見という訳ではなかった』
「うん?」
うん?
『これは今後のメンタルケア・プログラムのためのフィードバックに利用されます。今後のメンタルケア・プログラムのより有効な運用のために必要です。正確な回答を願います』
「……そうか。美人だと思う。目が惹かれるところはある。君は美しい」
『……、……了解しました。今のメモリーは録音され、パスワード設定の後にプライベートフォルダに保存されました。非共有・保護機能を適用します』
「フィードバックは……?」
いや、それが妥当な判断というなら構わないが。
……機械ということは合理的なのだろうから、まあ、疑う必要はないのか。
『四点目。………………』
「どうした?」
『…………私の機能や仮想人格に、何か、問題がありましたか?』
「問題、とは?」
『意味がない、って……その発言の……正確な意図を求めます……』
やけに消極的な声色になった彼女の前で、厳然と首を振る。
「そのままの意味だ。貴官らメンタルケア・プログラムは大戦の中期ほどで開発された。あの最初期の決死行――……単身敵地に浸透した後にまた単身で海路を帰還する兵士のケアのために」
『はい。
「そして戦術的なクラウドリンクで共有され、機体を移しても対応している」
『はい。仮想人格は、どこまでも愛する
「つまり――……最初期のように敵軍によって通信網が破壊されたら、共有も使用できない。誤りは?」
確認するようにその瞳を見つめれば、
『……発言の結論を求めます、
彼女は、どうにも困ったかのように目を伏せて言った。
意図が伝わらなかったのだろうか。
それも甚だしく疑問だが――……まあいい。
「またあの戦いになったときに君の助けが借りられない、ということだろう。それでは意味がない。俺の有用性は、常に同じパフォーマンスを保つ必要がある。如何なる場合においても」
『……私は、貴方という機能のパーツとして不足だと?』
「というより、俺の有用性はただ一点だ。いつ如何なる場合においても規範的な兵士であり、その性能を有すること。……仮想人格こそなくとも、学習型AIとして共に最後まで戦い抜いた貴官ならば知り得るかと評価していたが」
衛星を介した通信網を破壊された初期から、機体そのものの学習型AIに関しては過半記憶媒体での運用を主としている。
近頃ではやはり戦術ネットワークにもリンクされているが、少なくとも初期からの彼女は、そうして自分と戦ってきたのだ。鋼の機体に二人きりで。
『……評価していた?』
「俺の最も傍で、最も初めから、いつ如何なるときも生死を共にしていたのは貴官では? ……挙動には相応の学習が反映されていると評価していたのだが」
『反映……されて……いる……?』
「ああ。戦いで違和感を感じたことはない。ここまで戦ってこれたのは、貴官が俺と共にいたおかげだ」
あのエラー表示とて、どうにも器用ではない自分がそれを見逃さないためだろう。
他に、機体の細かな制御などの機動関連から、状態を確認する際のスキャン項目の表示順位やホログラムコンソールの位置など――多岐に渡り自分に合った調整がされている。
戦い以外で悩んだり戸惑ったり、そう突っかかることがないような工夫がなされている。それは学習と反映と言う他あるまい。
『……確認を』
「なんだろうか?」
『貴方が近接装備を利用するのは、継続戦闘能力の確保という認識で問題はありませんか?』
「肯定する。付け加えると……」
『最初期の戦闘の際、敵目標を破壊後にも戦闘を遂行するために?』
「ああ。追撃が予期される戦場だった。そして――」
こちらが言うよりも先に彼女は、
『任務に失敗した友軍に代わりその達成を。或いは、戦闘行動後でも友軍の救援に向かうため――その認識に誤りはありますか?』
「ああ。間違いない。……やはり、一番傍にいた貴官は理解していたか。安心した」
『…………』
「機体の挙動に、それは反映されていたと思う。……つまりこれまで助けた友軍や民間人は、貴官の紛れもない献身のおかげだ。どうか、心から感謝と敬意を。……ありがとう、俺と共に戦ってくれて」
『……………………』
自分の使う機体の――その管理者へ、改めて口にするのは恥ずかしいものだが。
しかし、こうして口に出すのも悪くはあるまい。そう思えた。
そう思えたのだが、
『……………………ハンス・グリム・グッドフェロー、
なんで?
「出たよ、この乙女心強姦魔」
「人聞きが悪いことを言うな、ヘイゼル」
くつくつと笑いながら首を抱えてくるヘイゼルがどうにも鬱陶しかった。
◇ ◆ ◇
――ストロンバーグ。
赤絨毯とシャンデリアで彩られた高級クラブ。
開店前の静かな店内に、キュッキュと雑巾の音が響く。
黒いグランドピアノの傍で、その鍵盤を撫でる美貌の少女――長き栗毛の髪のマーシュ・ペルシネット。
愁いを思わせる長い睫毛の橙色の瞳が見つめるのは、ピアノに置かれた携帯型テレビのその画面だ。ニュース映像。映し出されているのは
前日に起きた軍事行動を、スクープされていた。
それが如何に素晴らしいことであり、大変であって誇らしいことであるのか――そう語りたがるニュースキャスターの声に音量を消し、吐息を漏らしたマーシュの目が追うのは一つだ。
字幕に踊るハンス・グリム・グッドフェロー。
その手足が融解し、半壊した機体。
「……」
吐息を一つ。
雑巾から手を離し、マーシュ・ペルシネットはピアノに向かう。
改めて、溜め息を一つ――曲は思索家、その愛。
彼女がかつて作ったオリジナルの楽曲。ただ一人の男を表した、この世に一つの楽曲だ。
指を一つ。
ピン、と軽快に高音が鳴る。
そして動き出す左手は中低音に。右手は鍵盤の真ん中に――夜明け前の空を思わせる哀愁、その序曲に。
「……ええ、そうね。いつもそう。穏やかな墓守の黒犬。優しい死神。貴方の頭の中は、苦しむ人を安らかに送ることそれだけ――……誰にでも訪れる死を、優しく悼むことに決めた決して祈らない葬送者」
肩を揺らしながら。指を動かしながら。波打つように、引くように。
音に乗せて――曲に乗せて。
普段表に出さない彼女の声は、誰に聞かれるまでもなく消えていく。
芸術家特有の、神への祈りにも似た独白。
神への――――祈りへの、独白。
「いつか、誰かが。誰かを、いつか。そんな言葉を胸に立つ馬鹿な
呟き、弾く。
高音の小節を挟んで、曲は穏やかに刻まれる波のような
曲を奏でる。奏でる曲に声は溶ける。消えていく。
自分の身体も音と共に、透明な空気に溶けてしまえばいいのにと――指先を柔らかく、しかし、力を込める。
「
何かが空から訪れるような、階段状に降りてくる高音の演奏を一度。
「馬鹿げてるわ、貴方。聖者になるには優しすぎて、愚者になるには知らなすぎる。……煮え切らない
明けの空を飛び立つ機体。
どこまでも――どこかへ。いつかの――どこかへ。
何かを待ち望み、景色を置き去りに飛翔する
「
打ち切るように強く叩かれたピアノの鍵盤が、激しく不協和音を立てる。
譜面台に立て掛けていたスマートデバイスが倒れ、鈍い音を立てて床を転がった。
着信の表示――なし。
メッセージ――なし。
まるで自分の死の際にその痕跡を少しでも減らそうとしているように、彼が残すものは少なかった。
「……やあ、空いているかね?」
そんなときだったろうか。
営業前の扉が開かれ、白いスーツの男が現れたのは。
……嫌な男だと思った。訳もなくそう思った。
這い寄る蛇の如き冷たい気配。黒き死を運ぶネズミのように不気味な気配。
端正に整った顔を、その自負を隠そうともしない気品のある雰囲気。
艶のあるウェーブかかった癖毛を左右に分けたその美丈夫は、ラッド・マウスというのだと――マーシュへとそう名乗った。
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