第25話 意地と意思、或いは上官の責務

 身にかかる戦闘機動の加重を噛み締めて、ヘンリー・アイアンリングは舌打ちをした。

 掠めた敵の弾丸。《仮想装甲ゴーテル》が随分と減っている。

 戦いは、もう、どれだけの時間が経過したか。

 そもそも、アーセナル・コマンドとは強力な装甲を持つ兵種である。畢竟、その戦いは削り合いになる。ブレードを用いずに一撃で彼らを滅ぼせるのは一部の猛者たちだけだ。

 故に、多勢に無勢というのは本当に致命的な状況だった。

 おそらく真実、アーセナル・コマンドについてはランチェスターの第二法則を超え、戦闘力は数の三乗に比するのではないか。そうとまで思える。

 こちらから相手を一撃で倒すことはできず、そして、こちらの力場を少しずつ削る敵の攻撃が無数に積み重なって降りかかる――通常ならば一対三機でも最早、絶望的な差だ。四機ともなれば致命である。


 しかし、対第二世代アーセナル・コマンド――戦力想定、一:三十六。

 単身で六機までになら比すると銘打たれたコマンド・レイヴンが、ヘンリー・アイアンリングを連盟旗を敷かれた棺には導かなかった。

 強力なジェネレーターに基づく《仮想装甲ゴーテル》と推力の両立。削られてしまった力場の回復も早く、また、力場に寄らない装甲自体も厚く流体装甲兼力場発生装置の流体ガンジリウムの流量も豊富だ。


 だからこそ、持ちこたえられていた。

 連装ライフルとグレネードランチャーを手に、単騎で空で舞う大鴉レイヴンに対して攻めたてる敵機は十二機。

 一人で四個小隊を相手にする計算になっている――自分の指揮官が、如何に隔絶した才の持ち主であったか理解する。

 入れ代わり立ち代わり現れる敵機にロックすらもままならない。

 誰をどれだけ撃ったのか、最早曖昧だった。


(やっぱり、本当に――――プロパガンダなんだよ。レッドフードとか、そんなのは)


 大戦の最中で、自分が一般の大学の途中から戦時促成の例外で士官学校へと転学したことを思い出す。

 あれは、十九歳の時だ。

 結局その促成の途中にて大戦が集結したために、士官学校はまた四年制に戻り――ヘンリーもそのままその過程を終えたのだが。

 その時、英雄なんてものは嘘っぱちだと思っていた。誇張があると――――。


 だとしても彼らはある程度優れた乗り手ではあろうから、まぁ、最低限の情報くらいは集めた。本当に最低限……いや、少しは多かったかもしれない。でもそれだけだ。

 だからその内の一人に――あの空中浮游都市ステーションでいきなり銃を突きつけられてから、そして怒鳴られてから、はっきりいえば持っていたのは悪印象だろう。

 そうだ。悪印象だったはずだ。

 不屈の兵士、兵士の理想、兵の中の兵――ハンス・グリム・グッドフェローなんてものは。


 出会ってしまえば前線症候群めいて銃を抜く頭のネジが外れた変人で、もう一度会ってみたら士官らしくはあるが変人で、ちゃんと話してみても善人だが変人。

 そうだ。変人だ。

 自分はアレが変人だと知っている。

 その程度だ。そしてそれは昔の印象からきっと変わってない。紙がボロボロになるまでその活躍記事を読んでたあの日から――自分の中で、ハンス・グリム・グッドフェローへの印象は変わってないのだ。


「へ、へ……笑うぜオレが。オレが、あの人に、足手まといにはならないから来るな――なんて」


 弾丸が撃ち込まれる。

 ミサイルが撃ち込まれる。

 お前なんかに、そんな、憧れの男の真似ができる訳がないと言われている気がした。


「笑うよな……笑っちまうよな……」


 呟きながら、改めて敵機を見た。

 笑われている。絶対に嘲笑われている。英雄気取りの馬鹿を嬲り殺して、血祭りにしてやろうと笑われている。

 でも、自分は――あの日の憧れの男を前に、その支えになると口を出したのだ。力になると。心配するなと。

 そうだ。一度、約束してしまったのだ。

 だったら、それがどんなに無様だとしても――


「だから、お前らには……笑わせねえ――――――ッ!」


 バトルブーストで敵の弾を躱す。

 ただの一度でも凄まじい圧力が加わり、エースパイロット全般のようにこれを連続して何度も行えるなど、一体どれほどの鍛錬を行えばその域に至れるのか判らない。

 その鍛錬は果てしない。

 きっと、ヘンリー・アイアンリングがすぐにその領域に辿り着くなんてできない。


 だからこそ――と歯を食い縛る。

 だからこそ――とヘンリーは顔を上げた。

 だからこそ――それだけの血の滲む訓練を積んだ男のために、そんな英雄の努力のために、その思いのために自分は立ち上がりたいのだ。


 及ばない。今はまだ。


 そう思いながら――ヘンリー・アイアンリングの駆る大鴉レイヴンは、上空目指して速度を上げた。

 目指すは一点。

 これまでの戦いからも判っていたが、敵のその機体は統一性がない。

 これは装備もそうであり、使用している機種そのものもそうだ。

 ならば――確実に一つ、違うことがある。


 その重量。


 そしてつまりは、その最高速度も違うということだ。

 軍隊ではあまりあり得ない、統一性がない装備とそのパイロットたち。

 だからこそ――軍人として、ヘンリー・アイアンリングにできることがあった。


(大尉じゃねえが……作れるんだよ、オレにも! 一対一が!)


 第三世代型コマンド・レイヴンの機動性を活かした上昇。

 敵機はそれを追従しようと加速し――統一されないその規格の歪みが浮き彫りになる。

 細長くなる敵機の列。

 味方が置き去りに、バラバラになってしまうというその縦列。

 そしてまともな正規軍人ではないというその点が齎す――勝機。


「うおおおおお――――――――ッ!」


 叫んだ。

 放った。

 機体の前後を変え、進行方向を変え、天を背にして迎え撃つようにしながらの落下機動――――加速。

 位置エネルギーを受け取り、天から地に目掛けて振り下ろされるコマンド・レイヴンという名の剣。


 何の美しさも技術性もない。


 だが敵機は、敵機の放つ弾は重力の影響を受けて多少なりとも弱まり――――。

 そしてヘンリーの機体が両手から放つ運動エネルギー弾は、位置エネルギーを受け取って力を増す。

 そこに、こちらを追い立てに上昇する敵機の勢い――正面衝突の力が加われば、


「オレだって……オレだって、男なんだよ! 兵隊なんだ!」


 爆炎。

 連装ライフルの弾丸に《仮想装甲ゴーテル》を削られた敵の機体で、グレネードランチャーのその擲弾が勝利の雄叫びを上げた。


「ハハ……クソ、二度目は許しちゃくれないか?」


 そして敵機たちは、ヘンリーを脅威と認識したのか。

 速度を改め、固まり、再び金属の巨人の群れを形作る。

 それを見て――同じ戦法を実施できるのか、それともまた別に揺さぶりをかけなくてはならないのか、そんな思案は浮かぶものの――


「構わない! 来いよ! オレは、ヘンリー・アイアンリング特務中尉だ! あの人の……オレはあの人の上官で、兵士だ!」


 ヘンリー・アイアンリングは己を奮い立たせた。

 やるべきことが一つなら、自分にすべきことは一つだろう。

 そして自分が師事する男は――おそらくこの世で最もそれを得意とし、そして、実践している男なのだ。

 ならば己は、弟子として、そして上官としてなさねばならない。

 ヘンリーは吠えた。

 無謀であったかもしれないが吠え――――そして、


「いいね、若人。……お兄さん、そういう熱血は大歓迎さ」


 声と共に飛来する超高速の弾丸――赤い四脚の機影。

 彼の奮戦は敵機を躊躇させ、故に、その援軍は成り立った。


「ヘイゼル特務大尉!」

「はっはっは、スーパースターだからって声援を送りすぎだぜ、少年?」


 笑い声と共に、一機また一機と撃墜されていく。

 超大型レールガンを使用しているとしても、敵機体に展開された《仮想装甲ゴーテル》が存在せぬかの如く繰り出される狙撃はまさしく神の御業だ。


「アンタがここにいるってことは……シンデレラは?」

「戦力の効果的な集中、だとよ。お前さんの次がお嬢ちゃんだ。ま、機体性能の差だろうよ。……建前上はな。胸クソ悪い」

「そんな――じゃあアイツは……!」


 ヘイゼルのその侮蔑が込められた言葉に従えば、シンデレラ側にはまるで救援が出されていないことになる。

 見捨てたのか。作戦なのか。

 だがそれはシンデレラ・グレイマンが誰の助けも得られていないということであり、


(誰かがたった一人戦場に残されることをああ言ってたアイツを――一人にしていいわけないだろう!)


 武装トリガーの備えられた操縦桿を握る手に力が籠もる。

 未だに好きになれないクソガキではあるが――これは、兵として、男としての義憤だ。


「すぐに倒して、アイツの救援に向かう!」

「いいね、若人。思えばマーガレット以来だな、そういうタイプとつるむのは。――だが」


 通信ホログラムの向こうで、伊達男が片目を瞑る。


「安心しな、我らが剣のご帰還だ。こういうとこ、抜け目ないよなぁ……相棒!」


 赤い四脚の【アーヴァンク】の視線の先――推進炎。

 シンデレラがいるであろう戦場目掛けて、猛烈な速度で飛翔する銃鉄色ガンメタル大鴉レイヴン――ハンス・グリム・グッドフェロー。


『スペード1、接敵を開始――――暇がない。投降勧告は一度きりだ。その後、全機殲滅する』



 ◇ ◆ ◇



 その空飛ぶ鋼鉄の城――キングストン級四番艦『アトム・ハート・マザー』の艦長は叫んでいた。

 友軍たる六番艦の『エイシズ・ハイアー』の乗組員が全員死亡し、莫大な建造費がかかったその船がやむなく破壊されたとの報告を受けたからではない。

 単身その救援要請に従って援軍に向かい、そしてそんな船の戦力全てを殺傷するような敵を前に無傷で――あまつさえ五分足らずで帰還したその兵士が、単身で、戦場を切り乱していたからだ。


 敵を撹乱ならぬ――


 一度の投降勧告の後に、文字通りに刃を突き立てて掻き混ぜるかの如く――第二世代型アーセナル・コマンドで構成された敵集団を次々に斬り伏せていた。

 その動きに翳りはない。

 むしろ、却って速度と精度が上昇していると――そんな風にまで思えた。激戦を遂げた筈なのに。


「ええい! 戦力の集中だと言っているだろう! 戦力を集中させろ! アイアンリング特務中尉の方にだ! 戦力の集中! 貴様とて言い出したそのとおりだ!」

『そうか。アイアンリング特務中尉の援護にはヘイゼルが向かっている。過分だろう。……船には十分な防御はあるようだな。結構だ』


 その言葉が、嘲りに聞こえた。

 本部付きと残る二個小隊からなる本隊は、念の為に旗艦の傍に待機させている。

 兵がいくらか落ちようとも、守るべきは船だ。

 兵が死のうとも他の兵全員は死なないが、船が沈んでしまえば彼らは帰る場所がなくなる。また、そのアーセナル・コマンドに比した際の戦力から考えても妥当だ。

 妥当な判断だ。間違いなく妥当な判断だ――だというのに、それを怯懦か何かの如くに軽んじられている風に思えてならなかった。たかが一大尉に。


 そして、腹立たしいことはもう一つあって――……それがより重要であった。


「過分か過分でないか決めるのは貴様ではなく私だ! 最新鋭機のグレイマン准尉より、第三世代型のアイアンリング特務中尉の方がより援護を必要としているだろう! そちらに向かえ!」

『必要とはしていない。そう見える。要請もない。――故に少数への援護及び救援を行うという貴官の命令の目的及び意図に基づき、グレイマン准尉を優先する』


 その言葉と共に、敵機が斬り刻まれていく。

 紫炎を迸らせたブレードで、瞬く間に撃墜されていく。

 それでは――――それでは一体何故、我が身まで、この艦まで危険に晒した意味があるというのか!

 艦長たる男は、思わず声を荒らげていた。


「それが……それが策だとわからんのか、貴様!」


 愚策とも言われる戦力の分散を何故行ったか。

 何故シンデレラ・グレイマンの【ホワイトスワン】を浮き駒にするようにしたか。

 それは全て彼の策略だった。冴えた策だと、彼自身も認識する策。


 敵勢力の目的は第四世代型のアーセナル・コマンド【ホワイトスワン】の鹵獲。

 そしておそらく、既に拉致したグレイマン技術大尉への人質としてその娘を使おうというのだ。

 軍が彼女を第二のレッドフードとして使おうとしているのは理解している。だが、そんなものはお伽噺だ。

 大切なのは、現実的な策略だ。

 故に彼女をトロイの木馬にしようと――その機体に位置情報を発信する装置を仕込み、あえて敵の手に落とそうとしていたのだ。


 汚名とて被るだろう。

 或いは先ほどまさに、たかが一大尉から軽んじられたように泥をかぶることもあるだろう。

 だとしても、それでも構わない。

 何故ならば、これで敵の本拠地を抑えてしまえば勝利だ。それこそが至上で、実に冴えた作戦であるというのに――この戦狂いの無礼者はそれを台無しにしようとしているのだ。

 だが、


『そうか。高度な軍事的判断だったのか……失礼した』

「理解したなら――」


 流石の戦狂いとて、或いは戦狂いだからこそ察したのだろう。

 そう簡単にたかが一大尉風情に何事でもないかのようにすぐに見抜かれるというのはそれが虚勢だとしても業腹であったが、そこはいい。

 のためへの確信なのだと告げようとして――


『だが、?』


 向けられたのは、抜き身めいた言葉であった。

 そして、敵機が撃墜されていた。


「な――」


 意味が判らない。完全に意味が判らない。

 作戦の背景を理解していないならば、そんな追求が出てくるのも判る。

 だが、それを多少なりとも理解しながらその言葉を吐けるというのが理解を超えていた。それもたかが大尉が、中佐に目掛けて。

 あまりの衝撃に怒りの言葉すら忘れた。

 そこへ、淡々と畳みかけられた。


『グレイマン准尉からは友軍向けの救援信号が発せられていた。それが貴官の作戦というなら、当事者である兵には説明をしたのか?』

「せ、説明など――説明をしていたら成り立たない策もあるだろう! 漏れたなら意味を為さない策だ!」

『……』


 不気味な沈黙。


『確かに作戦によってはそんな側面もある。軽率だった。……すまない』

「そうだ。そして貴様は察したのならば、それでなおのこと問題あるまい! 戦力は、あえて片側だけに集中させているのだ! わかったなら貴様は――」

『それで、とに何の関係がある?』

「――――」


 再び唐突に抜き放たれた、真理の刃めいた言葉の切っ先。

 虚飾を断ち、欺瞞を否定する。

 この男の前ではあらゆる慣例や建前、力関係や遠慮さえも無意味というのか。

 ただ本質だけを示せと――……そう突きつけられる無一物の貧者の見識。


『戦時中だ。どのような作戦も、それが勝利のためならば実行され得るだろう。勝利して得られる成果が、その犠牲よりも少なければそれは正義だ。認めよう』


 努めて淡々と。

 ただの事実の羅列のように情動を感じさせることなく呟かれるグリム・グッドフェローの言葉。

 その様は思慮深き賢者か、白痴の愚者か。

 真理を知った他人事の法学者のように現実感なく、しかし、どこまでもその経験がもたらさせた必然の定理の如く重い響き。

 そして、戦闘の傍らで続けられる。


『ただし、当事者の兵にまで行えずとも、少なくとも最低限その作戦の概要は部隊や編隊の長には伝えるべきだ。作戦と知らず友軍の救出に向かった兵士たちを巻き込むことになる』

「そんなもの……! だから、動くなと何度も言っているのだ! 何度も遠回しに! 貴様は従わなかったが! 結局貴様も意図を捉えたならば問題あるまい!」

『……俺が把握できた、ということは敵もとは思わないのか?』

「っ……だとしても、敵とて【ホワイトスワン】を必要としていることに変わりないだろう!」

『……ならば、そのパイロットは?』


 部下を思い遣ったポーズなのか、こちらをただ咎めたいだけなのか。

 そんな民間人上がりなど知ったことかと言いそうになったのをこらえて、声を出した。


「グレイマン技術大尉への人質として使うだろう! 殺されはすまい! そして例の、機体に対するロックもある!」

『……貴官は敵のところでグレイマン技術大尉がまだ生きていると、そんな情報まで把握していたのか。なるほど。。それを明かさなかったのも……高度な軍事的な目的か』


 本当にただ感心した――としか聞こえない通信相手の声色に、だからこそ艦長の拳はわなわなと震えた。

 素直に感心を伝えている風にしか聞こえないから、余計にわざとらしすぎる挑発に聞こえる。

 敵の元でその少女の親が生きているとも断言できぬのに人質なぞされるのか?――お前のそれは希望的な観測に満ちた杜撰な作戦だ。

 そう言いたいのだろうか。前線症候群の英雄サマは。


『それならば判るが、だが、仮にそうであっても彼女を活かす理由はそれほど多くはあるまい。殺す理由もある――というより、貴官に一つ問いたい』

「なんだというのだ……! いい加減にしろ、グリム・グッドフェ――」

『確認だが、貴官は敵の良識に期待しているのだろうか。自軍の兵士の命を敵に預けて……――それとも、それもまた何か判断に足る情報をお持ちか?』


 お前は前線も知らないただのお花畑な馬鹿だと、そう言われた気がした。


『先ほど、勝利とは犠牲より成果が多ければいいと――そう言ったことに、一つ付け加えさせていただく』

「いい加減にしろ、たかが一大尉風情が――」

『より大きな話をするというならば、こんな作戦の実行はにおいて兵士の士気に関わる。一度是認されれば、あらゆる場合において兵士たちは心配を抱えることになる』


 こちらの言葉を完全に無視して。或いは知ったると言いたいのか。

 平淡に、しかし鋼鉄の静かなる重みで諭すような――兵から英雄と称さるる男の言葉。


『常に心のどこかに、前線で危機に当たる兵は、これが何かの作戦であり自分もまた見捨てられるのではと――そんな心配が浮かぶ。結果として、これが最終的にに繋がりかねない』

「……っ」

『法と同じだ。例外処理や柔軟な対応は必要だろう。……しかし、それが認められたときのについても考えるべきだ。規範とはそのためにある。規範だから大切なのではなく、のだ』


 既に天地万物に決まりきった絶対の定理があり、彼の口はただその代弁と解説を行っているにすぎない――と。

 彼はただ、真理という法を司る弁護人にすぎない――そう錯覚させるほどどこまでも冷静ながらに厳然とした言葉。


『士官として命を預かる以上、我々は彼らの命を最大限に活かす必要がある。能力を発揮させる義務がある。――死なせる場合こそだ。最大限の必要性と最大限の効率性で使……そのための不断の努力を、何に対しても、いついかなるときも行い続ける義務がある』

「そんな理想論など……実現できれば世話がないわ!」

『そうだ。実現不可能だ。であるからこそ、人は実現しようと挑み続ける。果てがないことと、終わりがないことと、実現できないこと――……その全てが、己がそれを行おうとすることとは関係がない。


 何かの警句の如き、静かに――されど強い意志を込めた英雄とされる男の宣誓。

 馬鹿げている。

 狂っている。

 そして何より、侮辱している。


 言われている気がした。

 お前はその程度のことも理解できぬほどしか、戦場に出ていないのか――――と。

 見抜かれていた気がした。

 富を知らぬ、豊かを知らぬ清貧なる無欲者の大悟。恐れに曇らぬ実行者の讒言。生者の穢れも死者の呻きも纏わりつかせぬ剣の呼び声。


「この狂人が……! 戦狂いの狂人が……! 戦争のことしか頭にない、生粋の戦争屋が……!」

『そうか。考え方は人それぞれだ。否定はすまい』

「……っ、天に向かって崩され続ける石を積み立てるようなものだろう! そんな理想論を誰が叶えられると言うのかね! 無意味なのだよ、そんなものは! やる方が潰れてしまう!」

『確かに。そのために潰れろ、とは俺には言えない。行う側の負担も考えられるべきだろう。人は形而上学的な存在にはなれない。だとしても……』


 言葉を区切り、そして、


――ただ、至極、当たり前のことだ』


 その程度のことも理解できぬのか、蒙昧め――と。

 そう咎められている気がした。

 否、事実として咎められていたのだろう。或いは諭されていたのだろう。

 生者のみならず、或いは死者こそがそれを最も強く抱いている――ようなその経験則。あたかも見て知ってきた――己自身がその死者か、或いはその依代か、それとも墓守かとでも言うような言葉。

 あたかも、ではない。

 事実として見て知ってきたのであろう。戦場で数多の死を。生の終わりを。だからこそこの静かなる男の言葉には、強い説得力と共感性があった。

 それが余計に艦長を苛立たせた。


 碌に前線に立つこともなく、ただ、そのコネと保身だけで成り上がった無能者。

 そう辱められている気がした。己の所業を。

 いや、正しくはこの兵士たらんとしている男を目の前にしたら自然と己を恥じてしまう気持ちになるというのが――余計に、だからこその怒りを生む。

 尊大な羞恥心が金切り声を上げ、臆病な自尊心が罵声を叫ぶ。年齢も階級も下の大尉からされるその忠言に、艦長である男の内心で怒りは頂点を迎えた。

 そこへ、


『……貴官も士官であれば、その義務を果たしたらどうだ?』


 まるでこの戦場の、いや、あらゆる戦場の兵士の代弁者のような男。

 そしてそれは事実として代弁者なのだろう。だから、兵から慕われる。事実この船のオペレーターや操舵員、整備員の中にも彼の静かなる支持者は多い。エリートたる【フィッチャーの鳥】の中にすら! 艦長である自分を差し置いて……たかが前線狂いの、人殺しが上手なだけの男に!


 その苛立ちが拳に現れて艦長席を殴りつけた。

 だがそれすらも――それすらも、彼の支持と己の不支持を強める結果にしかならないだろう。

 まるで女性経験豊富な男を前にした童貞のような羞恥心。

 今のこのやり取りを通じて、彼への支持者は増え、或いはその心酔者も増えるのだろう――この自分を出汁にしたように!

 だからこそ、余計にただ腹が立つ。

 艦長であるその男の胸には、凄まじい嫉妬と憤怒の念が湧いてきていた。



 ◇ ◆ ◇



 どうも少しばかり言葉が過ぎたか、と自分自身を振り返る。

 分析する。

 ……あれではおそらく、艦長のその面目も潰れただろう。そう思うと僅かに申し訳ないことを気がする。

 だが、こちらも命懸けだ。

 自分一人ならば別に構わない。だがそれがシンデレラや、ヘンリーや、他の兵に――ひいては市民まで及ぶ可能性もあるともなれば、ここで釘を刺して置かねばならなかった。


 そうだ。

 自分は常に――そうと決めた日から常に、最終的には何もかもが、生きる人間のためなればこそ動いている。

 そう胸を張って言える。

 断じてただ死者だけが理由で動いたことも、この先動くことも間違いなくあり得ない――と。

 死者から何か受け取ることや受け継ぐことはあっても、己のあらゆる行いは全て、ただ生きようとしているものにこそ向いているのだ――と。

 死者はただ生者の作る道を歩むものにしか過ぎず、故に、生者は死人に縛られることや彼らのためだけに動くことはないのだ――と。


(……だから、死なれると困る。もう俺からは、何もしてやれなくなる)


 墓守犬などと呼ばれるが、自分はそう大層なものではない。

 墓の前にいたとしても、向いているのはきっと生者の方だ。多分、ハンス・グリム・グッドフェローはそういう男だ。

 既に死者となった者からすれば、自分ほど甲斐のない者はいないだろう。そう思える。

 まさに死に逝くその者に誓うことがあっても、それは彼らが死者だからではない。ただ、今、死にゆかんとする生者だからだ。

 きっと本当にもう死んでしまったものに対して――……振り返り、新たに何かを誓うことはないのだろう。

 誓うのはただ、その時に確かに生者であった彼らに対してのみだ。


 なんと残酷で、酷薄な男だと思う。

 死にゆく生者を悼むこそさえあれ、死者を想う生者のために死者を悼むことさえあれ、或いは死する前の生者の献身を悼むこそさえあれ――きっと、自分は、死者そのものに対しては冷淡なのだ。

 だから人の死を悲しみこそすれ、死したる相手からの恨みや憎しみなどに怯えたことは一度もない。本当にただの一度も夢にさえも見ない。

 故に必要ならば、どんな殺し方もできるのだ、己は。きっと。


(……判っている。俺はもう、そんな男だ。そもそも夢自体あまり見ないが……己の手の内で死んだ兵が出る夢も見なければ、手酷く殺した相手のそれに魘されたこともない)


 人の命の重さを説いて置きながら、我ながら何とも救えない人間だ。道徳的に見るなら、無価値に等しい人間だろう。

 命の重さを知りながら必要ならばそれを容易く奪い、そして喪失してしまったそれに対して振り返ることもないなど、血も涙もない悪鬼同然。

 優しい人間だ、というのは自分にまるで相応しくない評価だった。


「大尉……」

「よく耐えたな。貴官の奮戦のおかげだ。俺が間に合ったのは」

「ええと、あの、でも大尉……いいんですか、今の? スッとしましたよ。大尉が言ってくれてよかったですよ。ざまあみろって。許せないって。でも――」

「案ずることはない。もし今のが原因で彼が意図的にこちらの作戦行動へ何か不具合を生じさせるというのであれば、然るべき手順で然るべき部署に報告するだけだ。民主主義的な国家の軍隊とは、そういうものだ」

「……」

「とはいえ俺の小隊となるため巻き込んでしまうのは……正直、申し訳ないと思う。すまない、シンデレラ」


 だから彼女に謝りながらも、思う。そんな酷い男に突き合わせてしまって、申し訳ないと。

 するとすぐに咎めるような口調の通信が入った。


「大尉、嫌いです。そうやって一人になりたがるところが。嫌いですよ、大尉。……ありがとうございます。でも、そういうの、嫌いです」

「……」


 嫌われるのも、仕方ないだろう。

 彼女は聡い少女なので、見抜かれてしまっているのかもしれない。

 そう思うと心苦しくもなるが――……妥当な評価だとも思う。


「大尉?」

「……判った。嫌われて……しまっているのはよく判った。そうだな……この状況を鑑みればなおさら無理もない。今までは君の生存率も考えてだったが――……致し方ない。応じよう。君の部署転換を――」


 今はヘイゼルもいるのだ。

 天賦の才を持つ彼の方が己よりも明らかに上位。

 ならばこそ、本当に彼女の上官を続ける理由もないと――


「違いますよ! どうしてそうなるんですか!? 言いたいのはっ、言いたいのは今はその――ええと、違うじゃないですか! 一人にならないでって! 一人にしたくないんだって! そっちが大事なんです! 言わせないでくださいよ、こんなことを何度もっ、もうっ!」

「……そうか」

「そうですっ! なんでこんな――こんな恥ずかしいことを言わされなきゃいけないんですか! 大尉のそういうところがよくないんです! 恥ずかしがらせて喜んでるんですよ、大尉はっ! 女の子を!」

「…………そうか」


 また責められた。

 ……まあ、責められても仕方ない男なのは間違いないだろう。そう思って口を噤むことにした。

 彼女はまだ通信で何かを言っていたが、正直なところ、ある種の自己嫌悪で聞き届けている余裕はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る