第19話 戦友、或いは血の酒を

 戦闘の興奮と運動は、思った以上に身体を苛む。

 かつては剣や刀で戦うと騎士や戦士が、その戦いが終わった途端に気絶したとか、或いは握り締めた武器から指が外せなくなったとか――。

 そのような例は古今東西に見られ、あれほど戦場に適用していた――訓練を活かせていた――ように見えたヘンリーやシンデレラであっても、おそらくは変わるまい。

 彼らのメンタルケアのために感情や感想を速やかに吐き出せるデブリーフィングを十分に実施し、入浴ののちに速やかに就寝するように申し伝える――……。


 それだけのことを済ませたかったが……戦闘の報告に向かった先の艦長は、どうもあまりよろしくない人材のようだった。

 保身なのか何なのか、やれ戦場がどうだったとかやれ敵機はどうだったとか判断がどうだったとか……無駄な言い回しと胡乱な表現で、自分自身に責任はなかった――という文言を引き出させようとして、証拠を積み立てたがる手合い。

 ヘイゼルの見立てはやはり正しかったか。

 内心で評価を最低ランクに改め、未だにヘンリーやシンデレラを拘束しようとする彼から、戦闘時のショック症状や上官として軍として如何に部下のメンタルケアに注意を払うのか常道なのかを説き伏せることしばらく。


 ようやくデブリーフィングは実施され、二人を、休ませることができた。

 それからまた再度報告に呼び出され――元々そのつもりで言い含めていた――ようやくこちらも遅めの昼食兼夕食を取られるようになったのは二十三時を回ってからだった。

 そして今、二三四七フタサンヨンナナ――自分とヘイゼルの二人は、母艦の中のバーにいた。


 航空要塞艦アーク・フォートレス――ある種の空中浮游都市ステーションにも等しい母艦。

 それはかつての航空母艦でありながら、軍事基地と言っても過言ではない。

 兵士の家族こそは乗せていないが、ショッピングセンターや映画館や娯楽施設など、あの空からの一撃で吹き飛ばされてしまったかつての大型軍事基地に等しいだけの設備は用意されていた。


 あの大戦で、地上或いは宇宙に出現した移動式武装要塞アーク・フォートレス――衛星軌道都市サテライトの豊富なガンジリウム資源を背景とした巨大な破壊兵器――と同じ名をつけているのは、それへの恐怖か意趣返しか。

 対アーセナル・コマンド一〇〇〇機分相当とも称されるその強大な戦力は――それ自身の分厚い装甲と強烈な力場、そして強力な火砲、果てはアーセナル・コマンドやモッド・トルーパーの搭載すら行っていた。

 自分もかつて複数機を同時に相手取った覚えがあるが、確かに強力な相手だった。

 この母艦とそれが打ち合ったなら最早論ずるまでもない――だろうか。


 話が逸れたが……。

 つまり、それに比したら乏しい火砲を搭載していないこの母艦には、娯楽施設を積めるだけの余裕があるということだ。

 琥珀色の液体が入ったグラスを傾ける。

 自分はストレートで、彼はオンザロック。飲酒の習慣はないが、度重なる――不調状況を想定した――訓練のためか、酒にはそれなりに強くなっていた。

 

「まさか貴官が【フィッチャーの鳥】に所属しているとはな。……そういうものは似合わないかと思ったが」

「ま、戦技教導って名目でな。おかげで部下もなしのワンマンアーミーで気楽なもんさ。やっぱり身軽な方がいいぜ」

「そこにはまあ、同意したい」


 判ってはいたが、自分は部下や後進の育成に向いていないところがある。

 努めて彼らから見て模範的な士官に見えるよう、そう振る舞うようにしているが――……及ばないところは多いだろう。

 事実今回の作戦でも、部下を危険に晒した。

 彼らの今後のために経験を積ませようと連携を主にした戦闘を行ったが――……後に単騎で撃破できたというなら、彼らと連携していてその時点で撃墜もできた筈だ。

 途中撤退などさせずとも、不調のシンデレラとその護衛のヘンリーを残したままでも全機の撃墜は叶った。そうすれば――……彼らを今回のような危機に導かなかっただろう。


 そうなのだ。

 次に備えて、その先に備えて、その後の彼らのために――そう考えて行う行動が余分となりかねない。

 今までと異なり、後進の育成を考えて行わねばならない。

 全てを己が一人で斬り倒すことも、片付けることもない。……そんな悩ましい戦い。


 彼らに自分の言葉は届いているだろうか。

 教え導けているだろうか。

 説明は少なすぎないだろうか。或いは不必要に語りすぎていないだろうか。

 頼れる人間として、その不安を解消してあげられているだろうか。

 彼らも己もこの先いつどうなるか判らないが――……いずれ死すその日まで、せめてその心の苦悩を少しでも消してあげられているだろうか。


 ……考えることは多く、悩むことも多い。

 その状態でもそれを表層に出さずに行動できるだけの備えはしているが、或いは、それが逆に彼らの妨げになっているかもしれない。


(……俺は、指揮官や先達向きではない。きっと)


 そもそも、自分たちは軍人というには若干怪しいところもあった。

 士官学校はともかくとして……。

 特に戦争初期――大半が既に吹き飛ばされたかこれから吹き飛ばされるのを待つかの中で、整備などを除き軍事行動の体も碌に取れない状態での従軍と海上への単騎出撃。

 それから中期に入っても、初めはその流れは続いてしまっていた。

 自分も含め概ねが兵士というよりは殆ど腕に覚えのある一国一城の傭兵のように振る舞っている、そんな動きも多かった。


 あれだけの開戦初期の混乱からまともな軍隊としての行動が成り立ち始めたのは――

 そんな、アーセナル・コマンド同士の戦いが主軸となった中期の半ばから――鉄の鉄槌作戦スレッジハンマーを機に――宇宙での戦いが本格化する後期にかけてか。

 エルゼ・ローズレッドなどと知り合ったのも、その辺だろうか。


 カラン、と氷が音を立てる。

 若干行儀悪くグラスの縁を手で覆うような持ち方をしているヘイゼルが、軽く唇を湿らせてから言った。

 

「いや、まさかあの最新鋭機の駆動者リンカーがあんなちまっこいお嬢ちゃんだとは……お前さん、大丈夫なのか?」

「彼女の腕は確かだ。十分な訓練は積んだ……できるかぎりでは。俺も飲み込むことにした。……それとは別に、接し方を悩んでいるところはある。怒らせてしまうことが多い」

「ん? ああ、お前さんそういうの苦手そうだもんな。よし、お兄さんが相談に乗ってやるぜ?」

「ああ、実は――……」


 と、適度に合間でグラスを傾けながらこれまでの経緯を説明する。

 口腔に広がる強い消毒液めいた独特の香り。スコッチ――……いや旧き言葉に従うならアイラ島製か。あまり酒を飲まないが、この銘柄は好んでいた。

 そして一通りの話を聞いたヘイゼルは、


「この……乙女心強姦魔……異性観念虐殺者……初恋だけを殺す機械……青春のイレギュラー……」

「……なんだと?」

「わかっちゃいたがお前さんはこう、こう……こう……なあ、殴ってもいいか!?」

「当方は迎撃の用意があるが、それでもいいなら」


 理不尽な暴力には応じる覚悟はあるのである。

 確かに己の言動が、年頃の少女の何か人間関係や異性関係に対して悪影響なのでは――――と考えたことも一度はあるが、結論から言えば、それは明らかに自惚れで自意識過剰だろう。

 正直、そんなふうに考えたことそれ自体が恥ずかしくなる話だ。どれだけ自分を高く見積もっているというのか。


「考えてもみろ。俺は貴官とは違う。女性にそれほど恵まれない」

「ああ、お前さんと行ったナンパは酷かったな……というか連れてった俺があとから酷いことになった……おまけにアシュレイの旦那が全部持っていっちまうし……」

「……彼はすごかったな。あれが、母性本能をくすぐるというやつなのだろうか」


 元々色素が薄い灰色の髪が、戦場のストレスによって更に褪せてしまった戦友。

 困ったような何とも言えないような笑みを常に浮かべ続ける物腰の柔らかい元軍医、アシュレイ・アイアンストーブ――第六位の擲炎者ダブルオーシックス

 不殺のその信念で熱力学的兵装の運用をした、かの黒の交渉人ブラックビショップ

 彼はその戦闘でも、日常でも、心優しい男だった。それが他人に伝わるのか、誰かに疎まれているところを見たことがない。少なくとも、深く付き合っている人間からは。

 だが、


「何度か知人に言われた。女に恥をかかせるのが得意な男だとな。……それが理由か、言われてみたらあのような環境以外で女性と親密になったことも碌にないことに気付いた。生死がかかった吊り橋効果や死に近い際の性欲求の増大などがなければ、俺は特に相手に選ぶ価値はない男なんだろう」

「お前さんそれ……相手さんそれ……いや、名誉のために言うのはやめとくぜ……」

「ああ。名誉を損ねるのは、何にしてもよろしくない。……俺のそれも損ねないでほしい。自覚はあるつもりだが、余計に自覚させられると俺も多少は傷付く」

「……判ってねえなコイツ」


 ヘイゼルは額に手を当てて猛烈な溜め息を吐いた。

 何か回答を間違えただろうか。


「……お前さん、マジでそんなザマでレッドフードの嬢ちゃんの前に出るんじゃねーぞ。ホント。あの嬢ちゃんも今どこで何をやってるか知らんがな。……いやホント、フリじゃねえからな?」

「フリとは?」

「マジで、ってことだ。会うな。お前は。本当に。お前さんのためにも、お前さんのほっぺたとか色々のためにも」

「そうか。……だが俺は、ふと、たまに、無性に会いたくなる。貴官たちに」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ、だからお前それホントやめろよ!? 頼むからな!? ホントに! 絶対にやめろよ!? 特にその顔はやめろ! そんな調子の奴が会うのはだけは絶対やめとけ!」


 そうまで強く言われてしまうと、頷かざるを得ない。

 人間関係にあまり秀でていない自分と異なり、ヘイゼルの言葉は信頼に値する。……彼がお調子者なのと、オーバーに語るのを鑑みなければだが。つまりまあ話半分という意味になるのだが……。

 しかし、まあ、メイジーに関しては自分よりも顔を合わせて語る機会が多かった彼の言葉が正しいだろう。

 そこに関しては、機体越しに語ったことしかない自分には何も言えない。信用していいはずだ。


「彼女もそうだが……残りの皆はどうしてる?」

「レッドフードの嬢ちゃんは行方知れず。ま、あれだけ祭り上げられちゃあな。嫌になって隠居してるかもしれねえぜ」

「ロビンは?」

「さあな。どっかの企業か軍のテストパイロットだったかと思ったが……お兄さん、あいつと折り合い悪いって知ってるだろ?」


 そう肩を竦めるヘイゼルだったが、自分としてはそう相性が悪くはない――と思っていた。

 ロビン・ダンスフィード――第四位の制圧者ダブルオーフォー

 一言で言えば、自信家で声が大きく自分勝手で傲慢で毒舌で語勢が強い男だ。

 そう言うと悪いようにしか聞こえないが――おそらく彼は誰よりも繊細であり、細かな男であるはずだ。それは戦闘からも伺える。


 ヘイゼルほどでなくとも、或いは同様以上に武器種別を選ばぬ状態での精密な射撃。そして圧倒的な火力に裏付けされた豪快にして精緻なる大量破壊。

 戦場で常に大音量の音楽を――比喩的でも比喩的でなくとも――鳴らす音楽家であり、芸術家。数学分野の博士号とバンドマンの異色の経歴の持ち主。

 死出の葬送の曲を鳴らし、嵐の夜を待つ敬虔にして強烈な破壊音楽家。二面性を持つ殲滅の化身――黒の始末人ブラックルーク


「アシュレイは? 軍を辞めると聞いたが……」

「ああ、医者に戻ったって聞いてるぜ。……ま、お前さんほどじゃないが死神呼ばわりされて気に病んでるみたいだ」

「……彼は優しい男だったからな」

「世の中、お前さんみたいに図太くないってことさ」

「それも、貴官には負けるがな」


 笑い合いながら、アイラモルトとバーボンのグラスを持った拳を打ち付け合う。


「リーゼは?」

「あー……お兄さん、どうにも避けられてるからなぁ……まともに話をしてられたの、お前さんとアシュレイの旦那……いやあとはレッドフードの嬢ちゃんと我らがお嬢様のマーガレットぐらいじゃないか?」

「そうか? 特に部隊の皆を嫌っていた様子はないが……ロビンは声が大きいからあまり得意ではないとは言っていたか」

「ははっ、ザマァねえなあの弾バカの毒舌傲慢皮肉屋オレサマ野郎! いい気味だぜ!」

「だが彼も、リーゼの前では配慮をしていたと思う。……少なくとも、俺たちの中で悪い関係はなかった」


 改めて思い返しても、喧騒や軽口の叩き合いこそあれ本気の喧嘩や言い争いはなかったと思えた。

 メイジー・“ザ・レッドフード”・ブランシェット――主人公player――をキングに戴いたその集団に、自分は悪い思い出の一つもなかった。

 メイジーのその友人であったマーガレット・ワイズマン――一人、星になった遠く永きに祈る者prayerが導き合わせた数奇なる黒衣の七人ブラックパレード


「……ま、あれだけやればな。俺ら三人以外はそこまで長々と顔も合わせなかったし……お前さんに至ってはレッドフードの嬢ちゃんと特に戦場が噛み合わなかったからなぁ」

「そこは……残念だったと思う。彼女に興味はあった。出会いたいとは思っていたし、生身での顔合わせはしておきたかったんだが……」

「あー……………うん。まぁ、うん……ソウデスネ……」


 ヘイゼルに何とも言えぬ顔をされてしまうのは、自分の未熟が故か。

 いわば主人公であるメイジーに出会えれば、とそんな気持ちが強かった。それを悟らせないようにしていたつもりであったが……漏れ出ていたか。はたまた彼の狙撃手故の観察眼か。

 あの時……確か十五、六歳だった民間人上がりの少女をむっつりと追い回す八つも年上の軍人の男。なるほど事案だ。そんな顔もされよう。


 カラン、と。

 また消毒液じみた匂いを口腔に満たす。


「……最後に皆で戦ったのは、あの鉄の鉄槌作戦スレッジハンマー以来か」

「宇宙組と地上組でキレイに分かれたよなあ……地上組は地上組でバラバラだし」


 メイジー・“ザ・レッドフード”・ブランシェットとリーゼ・バーウッドの女性陣は宇宙そらへ上がり衛星軌道都市サテライトの本国との決戦へ。

 自分、ヘイゼル、ロビン、アシュレイは機体装備や得意分野の関係もあり地上での敵残党の掃討に。

 それ以外にも自分は、民間人や敵パイロットへの戦争犯罪の取締に手を貸したり――あと数度、求められて宇宙そらへ上がったこともあった。

 別段、特筆の必要もないいつも通りの戦いだ。

 その時もこちらも忙しかったために、レッドフードとはやはり機体越しにしか会話はなかった。


「宇宙組は……俺たち以外の撃墜数上位者と協働していた」

「あー、例のミスターGJとミスターGBさんがたか……あいつらも大概ヤバい連中だったな。あらゆる武器装備機体を操る変幻自在のスペシャリストと、完全に無手で機体固定の頑固男。よく噛み合ったねぇ、連中」

「二人とも悪い人間ではないからな。話してみたら、尊敬できる男性と…………女性だった」

「……え? 女性って? マジかよ……どっちが?」

「アーセナル・コマンドを次々に殴り殺す方が女性で嬉しいなら、そう判断しろ。……ミスターではない。彼女は、確かに、女性だった」


 撃墜数――第五位の殴殺者ダブルオーファイブ第七位の千両役者ダブルオーセブン

 重装甲の機体に大出力ジェネレーターを載せ高機動を実現させて、非武装のまま敵機を落とし続ける寡黙な豪腕の超人――格闘どころか喧嘩もしない開拓者。通称をミスターGJ、ユーレ・グライフ。

 おどけ顔で飄々としているお喋りながら、その実は瀟洒にして冷徹で獰猛。人格を切り替えるようにあらゆる武装兵装を取り扱う超人――通称をミスターGBこと、元役者志望の女性マレーン・ブレンネッセル。

 確かに彼ら彼女らがいればあの戦いにも勝つだろう。そんな人間たちだった。


「……」


 もう一度、グラスを傾ける。

 保護高地都市ハイランド連盟の勝利で幕を閉じた終戦の日が三年前――あの戦い自体は開戦から二年続いた。

 遥か遠くに感じる。

 遥か遠く、失ってしまった故郷よりも懐かしく――……。


「会いたかった。……本当に」

「ああ。俺もだぜ、グリム。この世にたった七人の同胞……俺たち以上に、俺たちのことを理解してる奴はいない。血も、肉も、全てを鉄で分かち合った兄弟だ」

「その割に、中々会えないが」


 本当ならば、かつてを偲んで顔を合わせたい。

 自分も彼らも、薄情な存在ではないのだ。


「仕方ねえだろ。お上がそうご要望なんだ。対一〇〇〇〇機テンサウザンド・オーバー――なんて言われちゃあ――……接触禁止令も出るってもんだ。俺たちがまた集まれば、文字通り世界を敵に回して七度は滅ぼせるんだからな」

「俺はそこまで大した兵士ではないと思うが……」

「よく言うぜ。あのな、延々と投降勧告してて第九位なのがおかしいんだよ。お前さんのランクはアテにならねえんだ。……第一お前さんが一番継戦能力と回避能力が高いだろ。文字通り世界を敵に回して焼き尽くせるのは――……弾切れなしでいけるマーガレットとお前さんぐらいだ」

「俺にそんな趣味はない。案ずるな」


 市民や兵士のためにを果たそうとしている己が、その市民や兵士がいる世界を焼いていたら世話はない。


「同窓会、したかったんだが……」

「だよなぁ……リーゼの嬢ちゃん、あんだけちんちくりんだったが今頃は相当の美人ちゃんに育ってるぜ? 癖は相変わらず強いだろうが……相当な美人には間違いないな。ありゃ、そうなるってお兄さんは睨んでたからな」

「……」

「あのときなんて初等部のガキくらいだもんなぁー……あー、見てみたい! 見てみたいねえ! いや、それとももう十年後かぁ? そいつも魅力的な提案だ……いやぁ、お兄さん、若い子の成長が楽しみだねー」


 氷がカランと音を立てた。それぐらい静かだった。何か色々。

 急に俗な話になった。

 ……リーゼに至っては当時、十歳から十一歳である。今でも事案だ。


「……相変わらずの女癖だな、貴官も。コンプライアンス的に非常に問題がある。このように影で女性を品定めというのはあまり上等とは言えまい。是正を奨める」

「お前にだけは言われたかねえよ、お前に! 小さなリーゼ嬢ちゃんも! マーガレットも! レッドフードの嬢ちゃんにも! 誰にでも見境なかった色男のお前さんだけにはな!」

「人聞きの悪いことを言うな。事実無根だ」

「無根じゃねーから言ってるんだっつーの! 事実だよ! じ・じ・つ!」

「そんな事実はない」

「あるに決まってんだよ! あるに! あるから言ったんですよ、このむっつり初恋泥棒! 乙女心強姦罪!」

「ない。七人会議の招集を願いたい。議決が必要だ」

「全会一致で決まることで政府のお偉方をビビらせる気かよ!?」

「決まらない」


 心外な。

 同性である自分から見ても魅力的な男たちの中で、最も年下で頼りがない上に面白みもない自分のような男が取り沙汰される事はない。

 いくらオーバーに話すヘイゼルと言っても、流石にこれは風評被害甚だしい。遺憾である。


「戦地のどさくさで、女に相手にされる。それだけの男だ、俺は。……それだけでしかない」


 ヘイゼルからは無言が返された。グラスを傾ける。消毒液の匂い。

 言っていて、少し悲しくなってきた。

 訓練と鍛錬ばかりで人間的な魅力がない――……と改めて突きつけられると、流石に多少は思うところがある。

 それでいい、或いはそれがいいと言われたこともなくはないが……それっきりだ。相手がただ寛容か数奇だっただけだ。何を起こす気もなかったし、結局何もなかった。


 それから、とりとめもない話をした。

 今までどうしていたとか――これからどうするとか――かつての話をするよりも、多く。

 新たに注がれた琥珀色の液体を前に、回ってきた酔いのままにカウンターへと徐々に預けてしまっていた身体を起こす。

 そろそろ、閉店か。

 十分には遠く物足りないものだったが、それが逆に自分たちには十分である気がした。


「ま、俺たちはいつでも墓の前さ。マーガレット・ワイズマン――理想郷に眠る騎士たる者の王の墓前に。そうだろう?」

「ああ。常に彼女の教えと共に。――。俺たちの、たった一つの不文律だ」

「そして、ってな。やれやれ、俺たちもまだまだ理想郷には遠いねぇ……こんなガラスの聖杯じゃ、主の奇跡の体感もできねえ」


 バーボンを煽ったヘイゼルに合わせて、自分もまたアイラモルトを流し込む。強い消毒液の味。


「ああ。――……だが、酔える。あれほどに染み付いた炎の匂いだった過去に。それだけでも、奇跡的だ」

「はっ、言うじゃねえか。――んじゃ、黒衣の七人ブラックパレードへ」

「ああ。――そして誰よりも彼女と、何よりも全ての兵の献身へ」


 乾杯――とグラスを打ち合わせる。

 キン、と。

 控えめながらも清涼な音が、カウンターに一つ響いた。


「ったく……あれだけあってまだ軍人してるなんてな。忍耐強いのは相変わらずだな、墓守り犬の首輪付きチャーチグリム

「この場合、貴官も同じだろうに。存外に律儀な男、ヘイゼル・ホーリーホック」


 もう一度、最後に互いへ乾杯を――。



 ◇ ◆ ◇



 そもそも気が進まない作戦だったのだと――今はウルヴス・グレイスコートという名の男は回想する。

 衛星軌道都市サテライト海上遊弋都市フロートの義勇兵という名の民兵を組み込まされた作戦。

 何が、義勇なものか。真の意味で義勇というならば、それは、業腹ながらに己が戦ったハンス・グリム・グッドフェローこそがそれに当たるだろう。

 義に重きを置き、勇に従う――……その味方から見れば、アレは、そう見える振る舞いをする。そんな手合いだ。

 業腹だ。彼が、そんな振る舞いをしているということが。


 それへの恨みを持つ民兵を徴用させられた戦闘。

 既におそらく、自分たちのスポンサーは【フィッチャーの鳥】への義憤的なカウンター勢力だという名目すらも忘れている。

 鹵獲した【ホワイトスワン】のリバースエンジニアリングに熱中するスポンサー。所詮は武器商人やそれに類する企業連のような人間たちだ。

 現場のことにもしばしば口を出し、その果てがあのザマだ。


(ハインツのことは……あのような兄を持つ弟にそれを伝えることは……)


 ジャーナムという空中浮游都市ステーションに滞在し、スポンサーや協力者たちとの今後の調整を行っていた。

 特に請われたわけではないが、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】の指導者の負担を減らそうと、そうウルヴスから申し出たのだ。

 特段、厭うことではない。

 パイロットとしての技量を磨くことと同時、戦術家としての己を尖らせていくことにも得も言えぬ快感がある。解放感、だろうか。


 抑圧され続けた以前の戦争とは違い、今の戦いにあたっての自由裁量は、それはそれでこの戦いの苦しさとは別の達成感があった。

 好悪やしがらみある人間関係などの些事や、勇み足での足の引っ張り合いとは無縁。

 縋りつかれてはいないが、任されている。

 そして好きに辣腕を奮っていい。思うままにやっていい。

 ウルヴス・グレイコートとしての経験と才能を好きに活かして、パイロットとしても戦っていい。


 そう思ってしまうと、不思議とそこに愛着を覚えてしまう――――……そんなところはあった。

 戦闘終了後の、空中浮游都市ステーションジャーナムでの報告と会合と作戦立案。

 そんなものを地下で済ませたあと。

 すっかりと満月が登ってしまっている――そう空を見上げた人通りのない路地裏で、だった。

 ねっとりとした、舌で愛撫するかのような声。


「や、こんにちは旦那。……いい月だねえ。血のような赤い月だ。匂い立つようじゃないか、なあ? 酔いそうだねぇ……」

「何の用かな。生憎と、酒を持ってはいないのだが……」

「ああ、いらないよ。安心しなって……月に酔ってるって、おれは、そう言ってるだろう?」


 緩やかな階段のその先で待ち受ける、月の光を存分に受け取る獣めいてしなやかな人影。

 月光の下で妖しく輝く、前髪に向けて徐々に色が薄くなっていく冴えた銀髪。それを後頭部から長く三つ編みにしていった魔性的な青年。

 その左頬骨のあたりに野性味ある三日月傷。

 年は二十代か――……だというのに若々しく、どこか子供らしさすら感じさせる笑み。それもまた、ある種の穢れなき獣の無垢さであろうか。


 細身ながらも随所が粒々とした肉体を神父服と黒のモッズコートに身を包み、青年は月光浴とばかりに両腕を広げた。

 妖しい、のだ。

 ある種の肉食獣が辿り着いてしまうような――何かの抜き身の妖刀じみた魔性の魅力。軽い足運びと挙動には、それが宿っていた。

 その柔らかさはむしろ、男性よりも女性的だ。


「見ての通り神父でねぇ……や、なに、力になれるんじゃないかって思っただけさ」

「懺悔は十分に済ませたよ、私は」

「そうかいそうかい、『わんわんわーん!』って? まぁいいねえ……」


 くつくつと笑って、青年はニィと誘うように目を細めた。

 雰囲気が変わった――無邪気かつ嗜虐的な、嘲笑う獣の笑み。


「……失礼する」

「そう逃げなくても取って喰いやしないよ、。それとも、兎を追いかけたくなったかな?」

「……」


 彼が指で弾いてよこしたトランプほどの小さなカード。

 見れば、


「民間……軍事会社……?」

「そうそう、おれチャンたちは気ままな渡り鳥ミグラントさ。お気に召すまま、どこへでも……ってねぇ。基本的にお偉いサン方の御用聞きなんだけど――……」


 上半身を大仰に曲げて、彼は笑った。

 月を背負いながら、魅了し堕落させるかの如く――嗤った。


「――なあ、どうかね? ?」


 白い歯を剥き出しにしたその肩笑いに、ウルヴス・グレイスコートは思い至った。

 どこかで見覚えがあると――そう思っていたのだ。

 あれは、手配書だ。懸賞金。生死を問わぬ、近現代的な戦闘の中で生まれるにしては珍しい代物。

 かつての【星の銀貨シュテルンターラー】戦争にて、国家から公式にそれだけの扱いをさせてしまうに至った規格域外イレギュラーワンたち。


 アーネスト・ヒルデブランド・ギャスコニー。


 衛星軌道都市サテライトにも保護高地都市ハイランド連盟にも知れ渡ったその名前。

 衛星軌道都市サテライト側の戦力としては唯一、殆どが保護高地都市ハイランド連盟で占められてしまっていた撃墜数ランキングの上位に食い込む男。


 ――そう、第十位。


 かつての衛星軌道都市サテライトの兵士にして、元従軍神父にして、C級戦犯――そして迫る味方を全て文字通りに切り捨てて逃亡した、脱走兵であった。

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