第17話 戦場の霧、或いは不滅なりし神の槍 その4

「……どうかな。改めて目にすればなおも判るとも。その在り方が行き着く果ては、死と破壊しかないと思うがね」


 忌々しげに灰色の機体を駆る男が告げる。

 甚だしい誤解だと思いつつ、否定できない面もある。事実今とて己は、全ての敵機を蹴散らしてきたのだ。

 こちらの内情を知り得ぬ敵にとっては、ただ、虐殺者にしか思えないだろう。残念ではあるが。

 ……まあ、他人の考え方だ。多くは言うまい。是正すべき事象でも、是正すべき時期でもない。ここは戦場なのだから。


 空色と灰色の二機は姿勢を取り直し、上空で肩を並べるように機体を寄せた。

 数の上ではこちらが勝るが、武装の面では不利はこちらだ。

 そう思案していれば――空色の機体のパイロットから、改めて通信が入った。


「アナタがここにいるということは……彼らは……!」

「投降勧告を行ったが、誰一人応えなかった。残念だが撃墜した……探せば生存者はいるかもしれないが、この高さではおそらく絶望的だ」

「よくも、ぬけぬけと言えますね……アナタが殺したのではないですか……! 中にはまだ年若い――そんな少女もいたというのに……!」


 言われると心苦しいものだ。これだから、戦争というものは好きになれない。

 だが、


「そうだ。それに間違いはないが……それは、そちらの作戦だったのでは?」

「なん……ですって?」

「未熟な民間人上がりの兵を、碌に訓練もせずに戦場に駆り出した。そして当機の足止めを図った。非才とはいえ、素人相手には過ぎた暴力の当機にぶつけた。そちらの作戦の通りではないのか?」

「……ッ」

「俺を咎めるというなら、貴官の価値観についても確認したい。碌な訓練も積ませていない民間人を戦いに駆り出してその死を嘆くならば……貴官は上官としてその命の限りで守るべきだったのではないか? ……まあ、価値観は人それぞれだから無理に答えなくともいいが」

「アレは……アレは……っ! だとしても、アナタは――――ッ」


 激昂のままに携行型レールガンが照準され、放たれる。

 精彩を欠いたそれは、回避には容易いが――……万が一にでも当たれば危険だろう。その程度にこちらも損壊している。


「若人を悩ませるのはやめていただきたいな、老兵。……ハインツ、この男の言葉を聞くな。呑まれるぞ」

「俺は老兵ではないのだが……」

「古強者、という意味だよ。【星の銀貨シュテルンターラー】戦争の数奇なる生き残りよ。……生きて、残ってしまった者よ」


 以前から感じたが、この灰色の機体――……何故だかこちらを知っているらしい。

 灰のカラーリングといえばあのレッドフードのライバルであった灰色狼グレイウルフが有名であるが、その彼も宇宙での最終決戦で撃墜されていると聞く。

 ならば、そのフォロワーか。戦友が色を合わせたか。

 故人を想った同型の装備というのはそう珍しいことではないと理解している。何処かの戦場で相対していたのかもしれない。

 

「とは言っても、その古強者もただでは済まなかったようだな。……君の言う素人上がりは随分と奮戦したと見える。その苛立ちをハインツへ吐いているのかね? その程度の人間性はまだ残されていると、そう考えていいのかな?」

「二つ否定する。俺に、関係ない他者へ憤懣をぶつける趣味はない。そして、これは自損だ。彼らから受けた傷は一つもない」


 元来ならば、アーセナル・コマンドのあのような速度は機体の推力に回すエネルギーを全て切った上で対衝撃波防御の尖衝角に回すことが前提だ。

 そして本来、増設ブースターを用意して行うものであるが――……今回その用意はなかった。

 武装への通電を避け、機体の手足の操縦系への通電を省き、《仮想装甲ゴーテル》も全て――システム上で常に発動する最低値さえも――無くし、冷却装置もオフ。その上で尖衝角ラムバウもギリギリのところまで削った。

 そうまでして、ようやく成り立った加速だ。


 事実、機体の状態は酷い。

 尖衝角なしの空気との抵抗により四肢末端が破損。流体である金属――つまり高温――が循環する機体は、高速移動に伴う断熱圧縮の空力熱も相俟って熱した鉄板の如く赤熱し、内にいる己も高温に晒されている。

 すぐにでも飛び出してしまいたいくらいだが……サウナで脱水症状の最中にウェイトトレーニングする訓練もしている。有用性の発揮には、さほどの問題はないはずだ。


「……何だと?」

「……部下の力量を正確に把握していないのだろうか? だとしたら、貴官には指揮官として問題があるふうに見受けられるが……いや、すまない。俺の言葉は冗長がすぎる」


 言い過ぎたな、と思う間もない。


「アナタは――――――ッ!」


 空の彼方から弾丸が迫りくる。断続的に。無数に。

 若い方のパイロットを怒らせてしまったようだ。やはり、最低限の伝達以外は避けた方が無難か。気分を害させるのは、あまり本意ではないのだ。

 左右への機動にて回避しつつ、ホログラムコンソールを叩き機体の状態を再度確認する。

 やはり――と言うべきか。不具合が出ている。

 かつての戦友に熱力学的兵器を用いて極力敵を殺すことなく無力化する者がいたが、アレは理にかなっていたのだろう。


 ――〈元々、高温の液体が流れているからね。機体の外側が無事でも配線や回路が無事とはいかないんだ〉〈ああ……僕は、なるべくなら殺したくないから〉。


 黒の交渉人ブラックビショップ

 不殺の僧兵――第六位の擲炎者ダブルオーシックス

 彼の言葉が言うように、回路か配線が狂ったらしい。赤いホログラムの警告が無数に表示されている。


 警告は――【だから何度も言ったのですエラー表示を再度実行】。

 【いい加減にしてください再警告を実施します】。

 【貴方が生きていることも不思議です駆動者の生命への深刻な負担を確認】。

 【正直今も危ないと言っていいでしょうこれ以上の戦闘行動は推奨せず】。

 【そんなに死にたがって怒らせたいのですか重大な肉体面への影響を予期します】。

 【何度心配させれば気が済むのですか繰り返し警告を表示】。

 【御主人様は学習しないのですか駆動者の再認識を強く推奨】。

 つまり【非常に私は怒っていますエラーいっぱい出しますとも。何度でも繰り返し言わせていただきますが】――という感じだ。要約すれば。


 火器管制及び機体管理AI。

 脊椎接続アーセナルリンクという個々人の素養や無意識の癖が現れる機体の操作に伴い、AIは学習式のものが採用されている。

 軍事リンク上でクラウド的な保存がされている付き合いの長い彼女は、こちらの挙動のせいか、どうにも口うるさくなってしまっていた。

 一度、パイロットへの精神ケアのための仮想人格及び人物的ホログラムを導入したこともあったが、先程のように繰り返し小言を言われたのでやめていた。


「大尉……それ、あの……大丈夫……なんですか……?」

「機体の制御系のエラー、武装の破損……俺自身にも……多少生命活動への問題はありそうだが……彼らの撃墜への支障はない。備えている」

「でも、そんなの……! 無茶ですよ、大尉! そういう無茶をされたって……こっちは嬉しくないって何度も……!」


 確かに、力場を使用する暇もなく敵機へ叩きつけたせいで腕部のブレードはその先端が完全に破損。

 どころか、ほとんどがひび割れて補修のための再硬化した液体ガンジリウム――銀色の亀裂に満ちている。

 だが、


「案ずるな、シンデレラ。俺は備えている。そして――俺は死なない。貴官を守ると約束した。何度もだ」

「――――」

「スペード2、スペード3。貴官らの奮戦に感謝を。おかげで、俺は間に合った。……当初の通り、母艦に向かい装備を換装しろ。今度はシンデレラがエスコートだ。王子様に恥をかかせるな」


 己の責務を果たさぬ言い訳にはならない。

 ――ただ、それだけだ。


「そう容易く離脱できると思うかね、死神」


 僚機のリロードをカバーしていた灰色の機体が右腕の携行型レールガンを向け直し、静かな声色を据えて言う。


「……そうはさせない、と貴官が言うように聞こえるが」

「ふっ……君は彼女らのような汎拡張的人間イグゼンプトではあるまい。それならば、違うものも見えるだろうに」

「その通りだが、それは部下を守ることに関係あるのか?」

「相変わらずの……とぼけた男だ! とぼけた様子で、人をそうも殺せるとは!」


 掃射。

 彼の僚機もそれに加わり、携行型レールガン二門――背部大型レールガン四門の計六門の超高速力学的エネルギー弾が大気を裂いて降り注ぐ。

 機体――旋回。加速。

 やはり、と言うべきか。その狙いは正確だ。

 狼が羊を追い立てるかの如く、連携してこちらの行き先を阻んでくる。


 ときに火線を合わせ、ときに片方が動かすための牽制射――もう片方が着実に削りに来る決定射と、そのパイロットの連携の練度を感じさせるものだった。

 弾丸が機体側面を掠める。真空の爪痕。僅かに引き寄せられてよろける大鴉レイヴンへ――斉射、斉射、斉射。空の先で連なる発砲炎。

 回避機動を取るも、どうにも精彩を欠く。

 接近に移れない。

 二段階での切り返しの、慣性制御が従前に働かない。機体が、引きずられる。


 なるほど確かに、警告表示はこのためにあるのか。

 今の己はさながら、欠けた剣か。折れた剣か。十全な殺傷能力を有しない歪んだ刃か。


(――いや)


 だからどうした――

 あとは些事。

 全て些事。

 ただ己の執行の意思こそが刃となり、敵を刻むのだと認識せよ。


 グリム・グッドフェロー――ハンス・グリム・グッドフェローよ。

 お前を剣足らしめるのは唯一つ己の意思。意思なくして力なく、力なくして意思はなし。

 己は刃。己は兵士。それ以上でもそれ以下でもない。

 鋼鉄の意思こそが、己の道を切り拓く――――


(そうだろう、グレーテル。俺はそのために。これも、ただ、それだけだ)


 この程度、苦難の内に入らない。

 苦しい戦いはあった。絶望したくなる戦いもあった。

 だがそのたびに己の心に鎚を振り下ろし、鏡面めいた湖面の如く――ただ歴然たる執行者として磨いてきた。

 それと今、何の違いがある。

 そうだ。

 そうだとも。


 己は備えている――――全てに。何もかもに。備えている。

 有効な接近戦闘機動が取れぬというなら、躱し続けて弾切れを待つ。敵を斬る。その意思を斬る。

 然してその後、首を刎ねる。或いは意思を断つ。交戦継続の意思を。

 己には可能だ。自信でも自負でもなく、それはただの一つの事実。一つの摂理。

 そうだ。方程式になるのだ。戦場の方程式に――絶対の方程式に。己を、それに、純化させよ。


 幸いにして、敵の狙いは自分。

 最も撃墜が容易く、最も浮いた駒と思われているのだ。ならばその道理、ただ幸いと利用する。

 上昇していく機体の熱にこちらが倒れるが先か、敵の弾が尽きるのが先か。

 己は止まらぬ――どんな時でも十全な性能を発揮するように研鑽を積んだと、そう呼かけ、


「――守りますよ! 貴方が守ってくれたんです……貴方が守ろうとしてくれたんです、私の心を! なら、それを、貴方を守るのに使ってもいいはずじゃないですか!」

「ふざけるなよシンデレラ……オレもいるんだ! 大尉はオレの部下だ! オレは……――オレも、オレの部下を死なせねえ! オレも兵士なんだよ、これでもな!」


 部下二人の射撃が敵の斉射へと割り込んだ。

 予想外の事態。

 彼らの援護を無駄にせぬか、それとも彼らへの援護を行うべきか。

 僅かな逡巡――その瞬間に、表示されたあるホログラム。


「……シンデレラ、ヘンリー……もう、その必要はなくなった」

「た、大尉!? ねえ、大尉!? 嘘ですよね、まさかっ、まさか――――」

「おい、ふざけるな! オレはまだ一度もアンタに勝っちゃいないんだぞ!? オレを置いていくなよ、大尉!」


 二人の悲痛な叫び声に、改めて言葉を漏らす。

 既に機体はエラーに従い、低下した出力、それを補うことをやめさせた。

 最早、自分にそんなものは……必要ないのだ。


「いや……そういう意味ではない……」


 心を訪れる不意の郷愁――――戦場には不要と思いつつも、それに奇妙な心地よさを覚える。


「何故、あの程度の艦長をあれだけの母艦の指揮官に据えて出したかと思ったが……そうか、貴官がここにいたのか……それならば納得できる」


 かつて、父と行った軍楽隊の演奏会を思い出した――。

 ああ、輝ける兵士なるもの。その絆。献身。彼らの連帯――使命感と遠き郷愁サウダージ。入り混じった全ての記憶。

 あの日自分たちは、兄弟だった。

 鉄と硝煙の血潮を分け合い、鋼と死の胎盤から産声を上げた兄弟だった。


「――――ッ、ハインツ、避けろっ!」


 灰色が、叫ぶ。

 応じた空色がバトルブーストを起動させるその間髪の間で、空色の機体の右腕部は吹き飛ばされた。

 ああ、この安心――……この信頼、覚えがある。


「……二人とも、安心しろ。騎兵隊の到着だ」


 ジョークか、エスプリか。

 戦場で己がそんなものを口にできてしまうほどの、強き余裕。強き支え。

 それをもたらすは、いつも変わらぬ。


「俺がこの世で最も信頼する狙撃手――《不動の騎兵ホースネイル》――ヘイゼル・ホーリーホック」


 あの鉄の鉄槌作戦スレッジハンマー以前からも顔を合わせ、そして共にマーガレットの麾下となったあの男。

 女癖が悪く、常に皮肉的ながら享楽的。

 ウェーブある黒髪を後ろで束ねた水色の瞳の男。

 顎髭の上の白い歯を挑発的に上げて笑う喫煙者。自分に煙草と酒を教えたあの男。

 女誑し、男誑しの寛容的な嗄れたハスキーボイス――ヘイゼル・ホーリーホック。


「いよう、死神ィ。お前さんも壮健そうじゃないか。満身創痍、でも生きてるってな。……鉄の鉄槌作戦スレッジハンマー以来か? 久しいな、たった七人っきりの生き残りせんゆう。そうだろ、ミスターシックスマン?」

「そういう貴官も相変わらずだな、ヘイゼル」

「そこは色気が増したって言ってくれよ。お兄さん、これでもスキンケアは欠かしてないんだぜ?」


 その笑い顔すら、思い浮かぶ。

 相変わらずだ。

 相変わらず、この世の誰よりも頼りになるうちの一人だ、


黒衣の七人ブラックパレード……! そのうちの二人を相手とは、流石に分が悪いか……!」


 灰色の男が上げた焦り声に、応じたのは銃声だ。

 その逃げ道を塞ぐ即応射。

 馬を止め、そして貫く――騎兵殺しの釘ホースネイル


「おいおい、待ちなよ旦那。大切な戦友を傷付けられたのを黙って見逃すほど優しくないんだぜ、お兄さんは」

「……その大切な親友とやらの救助に向かったらどうかね。彼を案ずるなら、あの機体から早々に降ろすべきでは?」

「いやあ、別に必要ないだろう? アイツにはいい部下がいるみたいだ。……意識を逸らしてそいつらをお前さんに狩られちまう、なんてことも防がなきゃなるまい。んだよ、俺もな」


 おそらくは、母艦の最終防衛についていた筈だ。

 その彼の機体が――視線の遠く、推進炎と共に戦場に現れる。狙撃手であるというのに。

 黒騎士霊ダークソウルと呼ばれた第二世代型アーセナル・コマンド。

 騎士甲冑を現代的合理性の下でデザインし直したかのようなその意匠の――しかし彼の機体はまた特別製。

 赤の機体。

 そして特徴的な、斜め四方に伸びた安定性を誇る四脚。


「ネイルホース1、ヘイゼル・ホーリーホック――【アーヴァンク】。墜とすぜ、狙い通りにな」


 撃墜数ランク――第八位の潜伏手ダブルオーエイト

 かつて地上から、降り注ぐ神の杖を全弾撃ち落とした天才的狙撃手にして天才的隠密家。

 特に海上遊弋都市フロートとの戦いにおいて、海上、海中での行動を得意とした潜水的狙撃機兵。

 黒衣の七人ブラックパレード――その黒の請負人ブラックナイト


「相手になるぜ、人喰いの灰色ォ!」

「ご遠慮願おうか、神殺しの串刺し公」

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