第16話 戦場の霧、或いは不滅なりし神の槍 その3
戦闘空域を離脱した五機のアーセナル・コマンド。
白き翼を持つ白鳥めいた細身の人型を牽引する一機の
日々の訓練につけても嫌味を言い、種々嫌がらせをしていた筈のクローバー小隊も今や戦場の一員として彼らの撤退の護衛をしていた。
その内の一機――汚れなき純白の【ホワイトスワン】が、
「っ……わたしは、まだやれます……! やれますよ……! こんなところでなんて……! まだやれるって言ってるじゃないですか、わたしは!」
やがて戦場の熱も冷め、今度は別の熱に浮かされたように手足の力を取り戻していた。
「うるさい! しっかりと捕まってろシンデレラ! 大尉から任されてるんだ! オマエが暴れたら、オレまで落ちる!」
「大尉……? っ、そうだ、大尉は……!」
「……ッ、あの人なら問題ない。オレたちがよく知ってる筈だ」
ヘンリー・アイアンリングは、苦渋の顔で噛み殺す。
「う……大尉がボクたちを守ってくれたなら、誰があの人を守るって言うんですか! あんな……あんな場所に人を一人にしちゃいけないんですよ! あんな冷たい死の渦の中に一人っきりなんて……! 一人で誰にも守られないなんて……誰も守ってくれないなんて……それは、それは悲しいことなんですよ!」
「あの人は例外だ! オレたちが足手まといになるんだよ! わかれよ、シンデレラ! 判っているだろう! オレも、おまえも!」
「――――っ」
「……オレが、悔しくないとでも思うってのかよ。こんなことを……!」
強くなりたいと言った。
彼は、いい目だと――いい兵士になれると言ってくれた。
だが、どうだ。
この差は、なんだ。
――――戦力比に相当して一:一億。
あまりにも遠い。地球と月やあの衛星ほど、遠い。
単騎で戦おうというなら、確かに彼の言うとおりの近接戦闘というのは理にかなっている。
ヘンリーとて薫陶を受けた。近接戦闘は敵の連携を壊すと。
ああ、及ばぬ戦力で敵を倒そうとするならばランチェスターの第二法則が適用される銃火器ではなく、一騎打ちの原始的な戦いの第一法則に持ち込むべきなのだろう。
理にかなっている。
しかし、その持ち込み方は――戦場の大きさを狭く制限し、急襲にて近接し、強制的に一騎打ちにするというそんな形が一般だろう。
だが彼は正面から――それも降伏勧告を交えながら――敵機に相対する。
それでは、接近まではランチェスターの第二法則が適用されてしまう。敵との数の差が戦力差になるという絶対の絶望の方程式。
だが――彼は、そんなものを踏破する。
結果が戦力としての一億。近付き戦えば、一億人の人間を殺し続けられる絶対の死神の剣。
それでいて、彼は自分より強い者もいると言うのだから――……。
あまりにも果てがない。
あまりにも遠い。
かつての戦争の生き残りである彼らは、一体どんな領域で戦っているのだろう。
『こ、こっちに――――こっちに死神がっ』
『ひ、あ、なんで……なんでこんな……こいつ、こんな速さに……! おかしいっ、おかしいっ、おかしいっ、っひ、ぃ――――、……』
『来るなっ! 来るなっ! 来るなっ! あああ――っ、』
『当たれっ! 当たれぇぇぇぇえっ! 当たれよっ! なんでっ、なんでこんな不良品の銃をっ、こんなの不良品じゃ――ぁ、』
『何が――――何が見えてるんだっ!? なに、ガ――ぁ』
『嫌だっ! 墜ちたくないッ! 墜ちたくないッ! 誰かっ、誰か――――!』
『ごめんなさいっ、ごめんなさいっ、ママっ、パパっ、ママ――――――っ!』
混乱からオープンチャンネルで発されたのであろう敵方の通信が入ってくる。
胃の中身がこみ上げるほどの悲痛なる慟哭と断末魔。
シンデレラではないが、当てられるほどの人の死。戦場の輝かしさも英雄譚も無価値に変える死の絶叫。数度、ヘンリーはえづいてしまっていた。
聞けば判る。蹂躙だ。
彼自身が運動エネルギー兵器の使用には向かないと称した乱流の中で、その運動エネルギー兵器によって敵を屠っているのだ。
最早、理外の存在。理の内にない存在。
果てなる極光。
無窮なる絶対兵士。
一億人を焼き尽くす死滅の魔剣。
つまり――――
(……なあ、大尉。本当に、オレは、そこにいけるのか?)
ヘルメットの前を開け、口元を拭いながら考える。
あまりにも――強い死人の思念。そしてそれらをも踏破する――強すぎる兵士の信念。
自分が牽引するシンデレラには無線が入らないように、外部からシステム割り込んでいた。彼女にはこの悲鳴は聞こえない。
グリム・グッドフェローからそう申し伝えられていた。兵士なら、民間人を守れと。
だが、このシンデレラの駆る【ホワイトスワン】は訓練であるとはいえ一度は大尉を撃墜したこともあるのだと聞く。
圧倒的。
神話的な英雄。
絶対の処刑剣。
そんなものと戦えるだけの相手が、自分の黒い機体に抱えられている白い機体とその主なのだ。
場違いなのは、自分だけ。
庇われるとしたら、自分の側。
(クソッ……クソッ……チクショウ……!)
心の中で毒づく。
己の不甲斐なさを歯噛みする。
そしてそんなヘンリーの元へ――――現れたのだ。己の指揮官と同じく、前大戦の生き残りが。
頭上からの初手の射撃で、クローバー隊が呑まれた。
遺言も残せずに死んだ。断末魔すらなく死んだ。戦場の無情――人の命が消えていく無慈悲にして醜悪なる透明の怪物の名前。
だが、それを直視している暇などなかった。
敵は二機――そのどちらも【ホワイトスワン】。
一機のカラーリングは空色。もう一機のカラーリングは灰色。以前、自分の乗ったそれを第三世代型で叩きのめしたあのパイロットだった。
遮二無二。
最早、それしかなかった。
機体が――加速する。
◇ ◆ ◇
機体が――加速する。
グリム・グッドフェローの駆る機体が加速する。
――〈グリムくん。君は、僕よりいい医者になれたと思う〉。
すぐに音速を超える。
超音速は静かだ。身体にかかる圧力も、急加速の加速度を伴わなければそれを深くは感じさせない。
計器上で針が一度跳ねる、それだけ。
音という世界の理を超えさせんとする空気の壁が機体を押し留め、そこを超える出力が
――〈君は、多分、その才能の方があった〉〈当たり前にそこにある命を尊ぶ心〉〈そして命を尊びながらも
それだけでは終わらない。終わらせない。
ホログラムコンソールに触れ、操作。
防御用の力場――《
機体の全動力、全力場を速度とその
更にシステムの安全装置に
――〈決して患者を差別しない高い職務意識と規範〉〈君ほど医者に向いている人間はいない〉〈君は人を愛している。それをいつも見失わない〉。
モニターの手前、浮かび上がる赤いホログラムの警報。
機体の速度が極超音速を突破。そのまま巡航を――いや、さらなる加速を。
耳を打つ無感情な女性声のアナウンス――【危険な速度域に到達します】――無視。
食い縛れ。
危険ということは、まだ、生きているということだ。
――〈なんでこうなってしまったんだろうね、戦争というのは〉〈僕も君も、それが死神と呼ばれるなんて〉〈……もう疲れたよ。でも君はそれでもまだ歩めるんだろう〉。
生きている。己は。
生きている。彼らも。
ならば――――死なない。死なせない。死してなるものか。死なせてなるものか。
警告――【パイロットの生命維持に深刻な影響が予期されます】――【直ちに使用を停止してください】――無視。
速度計を確認。マッハ33。単身での重力圏離脱も可能。
あのときの機体ではできなかった星の外への飛行。それを許すだけの力。
――〈僕は軍を辞めるよ。君は……残るんだね〉〈僕以外の全員は、そうか〉〈……うん。君に敬意を。君たちに敬意を。何よりも彼女に敬意を。
だが、彼女の元へは向かわない/向かえない――生者が死者の橋を架ける。
星の聖剣になった彼女の死に、妙な言葉を添えない。
誰のせいにもしない。誰のせいでもない。
――〈どうして君は飛ぶんだい、優しきハンス・グリム・グッドフェロー〉〈絶望の中でも箱の希望を見続ける理性の超人。心優しき鉄の男〉〈
そんなものは、決まっている。
ただ――――俺が決めたからだ。
◇ ◆ ◇
死の天使、と言うものなのだろうか。
力場の発生装置にして左右への加速機動のための、機体肩部で翼じみて広げられた増設装甲兼用ブースター。
そして機体の背部から、唸る狼の鼻っ面のように機体の前方へと飛び出した大型レールガンの、その銃口。
天から彼を――ヘンリーを見下ろす空色と灰色の機体が向けるそれは、まさしく死の大虚である。
敵に強奪された二機の第四世代型アーセナル・コマンド。
ひしゃげた機体の残骸が煙を上げて墜落していく――青深き海へ。
「別働隊の役割は果たせたらしいな。これで出資者の無理難題には答えられただろうか」
右手には携行型レールガン。
左腕外部には、増加装甲兼用のプラズマブレード発生装置。
左右に広がる上半身に比して、重力下での直立さえも疑わせるほどの下半身――腰の複合装甲板スカート。爪先立ちする白鳥のダンサーを思わせる。
あまりにか細い脚部と腰は、それが逆に機体のその非生物さを強調し――その無機質さは、ただヘンリーに死の恐怖をもたらす。
二機。
上空に溶け込むような不可視の死である空色と、無情なる死体が積み重なる戦場の曇天を思わせる灰色。
一騎当千――言うまでもない。
ヘンリー自身が理解していた。機体のブリーフィングで、或いはシンデレラとの演習で。
如何に大型レールガンといえども考えなしに撃ってアーセナル・コマンドを墜とせない。今のソレは、単に、相手の実力によるものだけだ。
「彼に習って一度は通達しようか。……我々の狙いはその機体だ。撤退すれば追いはしないと誓うとも。答えはどうかな?」
だから、絶望だった。
その呼びかけは絶望だった。
その宣告をする者はすなわち絶対強者の証であり、そこに向けるのは絶望一つだった。
だが――
「意地があるんだよ! 男としての意地が! 兵士としての意地が!」
隣のシンデレラが小さく息を飲んだその声を聞くと同時、ヘンリー・アイアンリングの
応じる敵の左ブレード。
モニターいっぱいに、その衝突の閃光が映し出される―― 鍔迫り合い。ヘルメットの対閃光シャッターが起動。
「ふ、若いな。……あの時のパイロットか。機体を変えての再戦という訳だ」
「二度も負けられないんだよ、こっちは!」
「そう……言ったところで!」
衝撃。
力場を増した蹴りが一撃、コックピットに叩き込まれヘンリーの機体は弾き飛ばされた。強烈なマイナスG。
やはり、相手にされない。
障害にさえもなれない。
敵は油断なくヘンリーのコックピットに、たった今力場が減衰されてしまったコックピットにレールガンを向け――
「だからッ! わたしのことを置き去りに、わたしについて話すなんて……!」
発射される白の【ホワイトスワン】のレールガン。
その回避機動を行う敵機。
庇おうとしていた少女に、庇われた形になる――またしても。
「もう……訳がわからないんですよ! 何もかも! 大尉も! 貴方達も! 貴方達はそんなに……そんなに戦争が嬉しいって言うんですか! 人の死が! あんなものが!」
「嬉しい筈がないだろう……だが、人にはやらねばならないことがあるのだよ」
「だから……それがおかしいんですよ! 大義なんてもののために人を殺す! 人の命を奪う! 貴方達みたいに出てくるから……だから!」
弁舌と火砲の両攻撃。
敵機体は間合いを開けるように、距離を取ることを余儀なくされていた。噴射炎と共に遠ざかる敵機。
「ハインツ。……二対二だ。やれるな?」
「ええ、そう御命じならば。不詳このハインツ、役目を果たします」
「相変わらず頼りになる男だな。光栄というものだ……君と共に戦えて」
大きく弧を描くように別れ、左右から迫りくる二機のアーセナル・コマンド。
「やりますよ、ヘンリー中尉! できますよね、貴方なら!」
「特務中尉だ! 間違えるな! ……いいんだな、シンデレラ!」
「いいも何も……戦わなければ生き残れないって、そういうのなら! それしかないんですよ、ここには! なら、わたしは……!」
対する彼らは機動を合わせつつ、銃口をそれぞれ同じ敵に向け合う。
シンデレラの【ホワイトスワン】の背部レールガンが稼働。開戦の火蓋として、迫る二機目掛けて轟音と共に撃ち出された。
ヘンリーが引き受けるのは、灰色の【ホワイトスワン】――言うなれば醜いアヒル【アグリグレイ】か。
二機の内で、より実力に優れる方。倒せるとも及ぶとも思っていない。だが――その動きを牽制しなければ、瞬く間にやられる。
事実、なんの障害にすらなりさえしない。
対空砲火じみたそれなど雲雀の囀りだとばかりに、ものの一つさえも掠らせない。
連装ライフル、そしてグレネードランチャーの擲弾は青空に消えていく。そこで木の葉のように回りながら、灰色の影は迫ってくる。
そこで気付いた。ヘンリーは、己の失策に。
二機の内、実力が劣るのが空色の機体というなら――そちらをシンデレラと二人の火線を集中させるべきだったのでは?
「意地だけでは、及ばんよ」
無情な宣告と共に、回避しつつ放たれる敵の携行型レールガンが黒い
着弾。衝撃に次ぐ衝撃。
拙いヘンリーの弾幕が、それでも弾幕であったものが途切れる。途切れさせられる。
二機を相手に交互に背部レールガンを放つシンデレラが叫んだ。彼女の意識が、ヘンリーに割かれる。
構うな! 俺に構うな!――そう叫びたい気持ちでいっぱいになるが声は出なかった。息を吐かせない戦闘。彼も彼女も、呼吸を忘れていた。
装甲値が低下していく。
外郭を砕かれ、内部流体が流出し、再硬化し、しかし固まりきるのも待たない銃撃。猛攻。
機体内部の流体が運ばれて行くのも追いつかない。
グレネードランチャーを握るコマンド・レイヴンの左腕が破壊された。銀色の流体を飛び散らせ、握る銃ごと落ちていく。
「
そして空中に翼を広げて足を止め、背部大型レールガンを展開する空色の機体。
耐えられない。装甲値は完全に尽きる。今のヘンリーの力場では、アレを防げない。
死が迫る。
死の気配が迫る。
――ゾ、と。
「ちィィィィ――――ッ」
叫んだのは、灰色の機体を駆る男だった。
その機体が上空へと弾き飛ばされる。抜いた左腕のプラズマブレード。その盾型の発振装置はひしゃげていた。
それは幸運な直感か、はたまた神憑り的な経験か。
咄嗟に彼の命を拾わせたそれも、しかしプラズマや高圧の力場でも防ぎることは能わず、力場すら発生させていないただの物理力のみによって機体の脚部装甲すら破壊した影。
空色の機体もまた、言葉すら発せないままにバトルブーストで上空へと退避した。
遅れて、大気を裂く轟音。
彼らを弾き飛ばした――――或いは退けさせた近付く死の気配。
「よく耐えた。奮闘に感謝する。――グリム・グッドフェロー、この戦場に介入する」
流星に等しき極超高速にて文字通りに戦場を切断した
その斬撃たる進行の軌跡に残るは、断熱圧縮された大気が生んだ赤色の衣。
武装や手足を半壊させながらも、その機体は、戦場へと辿り着いた。
「……恐ろしい男だ。戦場での死を形にしたような男……いずれ君は世界を焼くだろう」
「そんな趣味は……ない……!」
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