記録:士官学校におけるとある訓示
紹介に預かったハンス・グリム・グッドフェロー大尉だ。
自分の顔を知っているものも、中にはいるかと思う。
……どうした? いや、特に笑う場面ではなかったんだが……そうか。いや、面白かったならそれでいいんだが……。
せっかくこのような場を用意されたので、少し話したいと思う。
休めの姿勢といえども、辛いだろう。手短に済ませたいが、長くなってしまったなら申し訳ない。本官の不徳だ。そうなったら許してほしい。
諸君らは……休暇も終わり、これから後期の課程に挑むものかと思うが……その中で、一つ、念頭においてほしいことがある。
私が貴官たちに求めることはただ一つ。
どうか、幸せになってほしい……ということだ。
軍人としてではない。一市民として、貴官らの幸福を。
統計的に、個人としての幸福度が高い兵士というのは戦場で上官の指示によく従い、そしてより危険な任務に積極的に従事する傾向があり、戦友の命を救う傾向にある――そんな調査結果がある。
必要ならば、そのようなデータも図示できるが……今日はブリーフィングルームではなく壇上からであるため、言葉だけにさせていただく。
良い兵士というのは、個人の幸福度と不可分だ。
そういう統計が存在することを頭に入れておいてほしい。
もし貴官らが己の理想のために善き兵士であろうとするならば、貴官らは市民としても幸福でなければならない。
貴官らに軍は献身は求める。上官は献身を求める。俺もきっと求めるだろう。
その達成のためには、個人の幸福を追求することも含まれていると考えてほしい。自分の幸せが許せない者がいるならば、それは必要な義務と思ってくれ。
今が幸福な者は、どうかそれを保つことを。
こんな世の中だ。上手くはいかないだろうが……上手くできている者は特に負い目を感じなくてもいい。それは得難い才能だ。
……こう言われて、安堵した者もいそうだな。
休暇は遊びすぎたか? 家族に会えたか? 或いは、墓参りか? やりたいことはできたか? 友人は? 恋人は? 存分に遊べたか? それとも普段から遊び過ぎているか?
まあ……今笑った者。そういう者たちはもう少し真剣に取り組んでもいいと思うぞ。
人生で本気で取り組める機会というのはそう多くない。
どうかここからが正念場だと――少し真剣になってもよいのではないだろうか。
さて、善き兵士として幸福の追求を。
そう言わせていただいた上で、そこにもう一つ俺から付け加えたい。
どうか――死ぬな。
兵士という仕事は死ぬことと同じと言っていいだろう。
命令で、或いは戦闘で。
諸君らの命は容易く奪われる。俺とてこれまで奪ってきた側だ。なおのこと理解している。
その上でどうか、死なないでくれ。個人として、その幸福の追求を否定するような真似をしないでくれ。
それが、何にも勝る俺の幸福なのだ。
戦う理由は人様々だろうが――……俺は、幸福そうな人の顔を見ることが、自分の中で最も幸福なことの一つだった。
だから戦おうと思った。
そして、少なくともこうして壇上に立って諸君らに苦手な演説をできている。
前方へ赴く者、或いは後方で支える者。
もしかしたら軍とは別の道を目指すことになる者もいるかもしれない。
その諸君に、俺は等しく幸福を求めたい。
貴官たちの幸福は、グリム・グッドフェローの力だ。
貴官たちがただ生きること一つ一つが愛おしく、その全てが俺のかけがえのない力になるのだ。
場違いにもこんな場で紹介に預かることになってしまった男だが――……それなりの戦績というのは示せているかと思う。
そんな俺の有用性の発揮には、貴官らの幸福が必要不可欠だと、覚えておいてほしい。
そして、市民の幸福も――……つまり諸君ら一人一人の兵としての、人としての責務の実行が、俺の支えであり、それ以上にこれからの世を守る力になるのだ。
献身を。
そして、それ以上に諸君らの幸福を。
俺が願うことはその二点だ。
この中には俺のいずれ同僚となる者もいるだろうが――……楽しみにしている。
今日出会った者たちの顔を、俺は決して忘れない。
その中で再び出会うときの貴官たちがどんな面構えになっているのか。それを待ち望むのも、俺の幸福だろう。
兵士としての義務を全うせよ。
それ以上に、人としての幸福を全うせよ。
そう、貴官らにはお願いしたい。
……最後に。
生者が死者の橋を架ける――生者だけが死者の行動に意味を作る。道を作る。
俺の戦友の言葉だ。大切な言葉だ。
だが、逆に言えば死者はそれだけの存在でしかない。……再び会うことも、道を作ることもない。
生者は惹かれず、しかし忘れない。
どうか、再び生者として会えるように。
俺や君たちの作る道を欲する者とならないように。
この繋がる空の下で、互いにその義務を全うできるように。
再会を願って、この訓示を締めたいと思う。
貴官らのより一層の努力と献身を、俺は期待する。
長くなってすまなかった。
……さて。
ここまでこう言ったが、実は俺は人の顔を覚えるのが得意でないらしくてな。死んだ味方の顔しか覚えていられないんだ。
どうか出会ったら、改めて自己紹介をしてほしい。
……。
今のは俺なりのジョークだったんだが……そうか。その、そうか……いや、改善しよう。何度か俺のジョークで笑ってくれた者もいたんだが……今のは駄目だったか。
……? いや、何故笑う? 遅れてダメージが入ったのか?
……む、う。まあいい。
どうか幸福を――――諸君らに人として幸があらんことを。
俺が兵士を続けていられるのは、ただその一点でしかない。
また会おう、未来の優秀なる士官たちよ。
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