第12話 感情、或いは理性。またの名を……攻略対象はあっちなんだが?


 雨が降っていた。

 森の中だ。アーセナル・コマンドの背丈も覆われてしまう森の中で。

 それは、人類史上最大にして最低の生存者数を記録した大規模な戦場――鉄の鉄槌作戦スレッジハンマーの前であったか後であったか。

 かの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争の最中のことだった。


『なあ、グリム……おれは、お前とよくやってただろう? 飲みにも連れて行ったし、一緒に女遊びもした……色んな戦いだって、背中を預けあって切り抜けたじゃないか……!』

『ああ、覚えている。貴官は得難い戦友だった』

『へ、へへへ……なら分かるだろ? おれはおまえのことを、遠ざけようともしてなかった……面倒だってみてたくらいなんだよ。だ、だったら――』


 向かい合う二機の機体。第二世代型。

 黒騎士霊ダークソウル――そう呼ばれる西洋甲冑を近代軍事兵器的に意匠を直したかの如き機能的な姿のアーセナル・コマンド。

 二丁回転連装砲ガトリングガン――矢の刺さったハートのエンブレムを記した迷彩色の機体/追われる者と。

 二丁近接光刃兵器エネルギーブレード――首には棘の生えた三日月のペイント、肩には刻まれた墓標のエンブレムの銃鉄色ガンメタルの騎士/追う者。

 迷彩色の騎士は銃を構え、銃鉄色ガンメタルの騎士は何の構えも取らない。そんな、雨の中の黒き森の邂逅。


?』


 その通信から続いて、平坦な宣告が入る。


『司令部及び憲兵からの通達だ。貴官の行った罪状は五つ――資金の不正な横領着服並びに装備の横流し、脅迫及び婦女暴行並びに強姦殺人が十数件。いずれの被害の証拠も確認した』

『な、な……っ! う、嘘だっ! デタラメだっ!』

『ある少女は言っていた。自分の目の前で母が暴行された。それから自分だったと。……彼女は俺に仇をとってくれと縋り付いてきていた。あれが嘘とは思えない』

『お、おまえっ! 戦友と! そこらの奴らのどっちを信じるんだよっ! それが敵の作戦なんだよ! 敵のッ!』

『憲兵の調査報告書も偽造して、か? ……事実なら我が軍の防諜に深刻な懸念が発生するな。後ほど、念の為に報告も入れておこう』


 黒の騎士は揺るがず。

 改めて無線にて通告をする。


『そう主張するなら、やはり武装を解除して投降しろ。法廷で争うといい』

『――んな』

『どうした?』

『ふざけんなって言ってるんだよ! 投降!? 裁判!? 戻った時点で処刑が確定するだろうがッ! できるか、そんなものがッ! そんなことを聞きたいがためにてめえなぞと仲良くしてやっていたわけじゃあねえんだぞ!』

『なるほど、先程のは虚偽の申告だったと。……安心した。我が軍の防諜の脆弱性についての懸念は必要ないらしい』


 そして、もう一度武装解除勧告がなされる。

 迷彩色の機体は、応じなかった。

 相手へ銃口を突きつけながら――咎めるようにそれを何度も動かし、声を張り上げて叫ぶ。


『おまえだって……おまえが食った飯だって……おれがそうして稼いだ金なんだよ! 横流し!? 横領!? それなら、おまえが食ったあれはなんだったんだよッ! おまえも恩恵に預かってるんだよ、それの! その罪の!』


 堕落者はお前もだと――そう言いたげな言葉に、返される言葉は単純で動じぬものだった。


『そうか。そう申し出て、俺の手当から利用分を返納するしかないな。……金額を教えてほしい』

『そ、そうじゃ……そうじゃねえだろうが――――――ッ! おまえも、おれも、同じ穴の狢じゃねえかよッ! おれがああして稼いだ金で飲み食いしたってのはそういうことだろう!?』

『……だから、その額を返納すると言っているのだが。貴官の着服の事実を知らない善意の第三者であれば、それだけを行えば法的にも十分な筈だ』


 そうして、また再度の投降勧告。

 必要な法的措置にしては回数が多いものであるが――……駆動者リンカーの動きを反映させたように項垂れた迷彩塗装の機体は応じない。

 そして、激昂が噴出した。


『この……この狂人がッ! 頼まれれば全人類でも殺す、イカれた暴力男が! 血も涙もねえ処刑ギロチンがッ!』

『俺は理性に主眼を置いている。狂人、というのには相応しくないだろうと自認する。……それに俺は再三投降を勧めている。処刑人ではない』

『だから、戻ったら殺されるって言ってるだろうが――――――ッ! てめえは! 何も感じねえのかよっ! てめえはッ!』


 最早、言葉の弾丸をその手の六連銃身に込めて発射しようというのか。

 突きつけられる怒声と向けられた銃口に返される言葉は、やはり、


『……それと、?』

『な、な――――』

『貴官が人の苦しみを説くならば、悲しみを説くならば……何故貴官は被害者を生み出した? あのような被害者を……一体、彼女たちの苦しみと貴官の苦しみに何の違いがある? その理論は如何なる天秤で釣り合っている?』

『ぐ、ぅ、ぐ、ぐ……』

『答えろ。貴官の苦しみと、彼女たちの苦しみに何の差がある? それにどんな整合性をつけているんだ? 何の一貫性がある? ……言えないなら、別に答えずとも構わないが。俺も、貴官にやることは変わらない』

『ぐ、く……おれとっ! 他のやつは別だろうがッ! おれ自身にとっても、おまえにとってもッ! 別だろうがッ!』


 憤懣か、悔恨か。

 懇願か、罵声か。

 機体に本人の動きを反映させたように迷彩色の機体は大袈裟な動作で主張をした。

 黒き騎士――黒の処刑人ブラックポーン――狩人狩りの狩人ハンター、屍肉喰らいの大鴉レイヴンは前腕外部に装着された剣すら構えることなく、


『別だとして――……そうだな。やはり、だろう? 貴官の罪を裁くことと、貴官のその主観的心情には何ら関係がない』


 そう断じる。

 その有様は、鋼であった。

 鋼鉄の自制心と規律心。法学書を乳母に、合理性を母乳に育ったような人間性の黒き騎士霊。

 第三者がいれば、そう評するだろうか。

 揺れぬ天秤の審判の乙女アストライアの剣――――と。


『呪ってやるぞ、ハンス・グリム・グッドフェロー……! おまえを呪ってやる……! 呪ってやるぞ……!』

『好きにしたらいい。……一つ付け加えるなら、そのようなもので俺は特に鈍らない』

『な、に……?』

『人の死や呪いに鈍る者が、死神などと呼ばれると思うのか。そうだとしたら貴官は随分と幸福だと思う。……このような形でそんな幸福な貴官の命を損ねるのは心苦しいが』

『あ、あ――――』


 絶叫と悲鳴と罵声と怒声――それらが綯い交ぜになった金切り声と共に吐き出される鋼の弾丸。

 硝煙を上げ、殺意が疾駆する。

 戦車の装甲すらも紙切れの如く引き裂くそのガトリングガンは、あまりにも殺意というには純度が高すぎた。

 だが、


『投降の意思が確認できないため、武力の行使に移行する。したければ、生存権の主張をするといい。究極的に国家権力と対立した場合の生存権の行使は、法的な正当性はなくとも人道的に認められ得るものと認識している』

『殺すッ! ブチ殺してやるぞ、グリム・グッドフェローッ! それであの小娘にッ、英雄サマにッ! レッドフードの前に小便かけて投げ込んでやる――――ッ!』

『そうか。彼女は特に関係がないと思うが……まあ、好きにするといい。――を開始する』


 ニュートラルポジションからのバトルブーストという最も予測困難な戦闘軌道を前に、それは土煙にしかならない。

 そして、清廉な湖面に降り注ぐ夜の月の光ムーンライトの如き――冴えた蒼き刃が二振り、顕現する。

 応報の魔剣。

 或いは皆殺しの魔剣。

 それとも――月光の聖剣と呼ぶべきか。


 その黒き鋼なる聖剣使いは、地を奔る。

 風めいて。木々を揺らして。

 放たれる弾丸を振り切って、死線を躱して。

 まさしく、さながら死神の鎌の如く――弧を描く。

 そして、音速突破の大気の悲鳴。魔剣の嘶き。その歓喜。

 一閃、二閃――――赤熱化し焼き切られた機体に刻まれたのは、せめてもの手向けの十字架か。


『作戦行動を終了する。……容疑者の自白を確認。暇がないため、撃墜した。機体の残骸の回収に来てくれ』


 処刑人は傷一つなく佇む。

 味方の部隊が訪れるまで、銀色の流体を地面に広げてその高温で煙を上げる残骸を前に――揺らぐことなく立ち尽くしていた。



 簡易的な設営天幕の中で、ヘルメットも外さない駆動者リンカーを待っていたのは一人の男だった。

 艶のあるウェーブのかかった癖毛を左右に分けて額を露わにした美丈夫。

 いささか線が細く見えがちながらも軍人らしく体躯は整い、そしてその青く穏やかな瞳はどこか妖しい。

 その佇まいは、気品を感じさせた。

 そつがなく、抜け目がなく、しかしそれを他人に悟らせない物腰の柔らかさを持つ有能な男――その有能さをひけらかそうとも、しかし隠そうともしない男だ。


『相変わらずの手際だな、黒の処刑人ブラックポーン。……協力を頼んだこちらまで寒気がするほどだよ』

『貴官が何か背信行為を行っていないなら、俺を恐れる必要はないと思うが』

『……はは。これは手痛い。戦争犯罪者とはいえ、元同僚を討ったあとの貴官に話しかけたのは誤りだったかな?』

『いや、特には。俺はあらゆる状況で十分なパフォーマンスを発揮できるように努めている。応対に関してもそうだ』


 断ずるような端的で遊びのない声と、甘く蕩かす囁きのような柔らかな声。

 正反対だった。

 事実その素質も在り方も、正反対なのだろう。


『ところでグッドフェロー中尉、このあとの予定は?』

『以前街で偶然知り合った連盟高官から、娘のピアノの演奏会に来ないかと誘われた。……こんな時勢だが、人々の心に潤いを――――という彼らの祈りは敬意に値する。仲間と向かうつもりだ』

『それだけかね?』

『良ければ食事も、と言われたが……俺のような殺人者が同席するものでもないだろう。娘が喜ぶなど、建前だろうな。飯が不味くなる筈だ。俺のような面白みのない男などとは』

『そうかね? エースパイロットとも呼べる戦績の君なら、向こうも話ぐらい聞きたいのでは?』

『そういう役割は、俺の有用性とは関係ない。……人殺しをことさらに食事の席で披露する趣味もない。聴かせるべきでもない』


 兵士たる駆動者リンカーがそう答えれば、指揮官にして依頼人たる男は肩を竦めた。


『高官に気に入られているならば、そこに少しは取り合ってもみていいのではないかね? 嘘をつかぬが故に人から悪い評価も良い評価も受けやすい君のその能力は、私のような人間にとっていささか羨ましいものだが……』

『彼らが善良なだけだ。俺はただ道案内をして、そのついでに雑談をしたにすぎない。……軍人への敬意を持った文民だ。彼らが善良で尊敬できる人間というだけのことだ』

『……。……君を見ていると、人に取り入ろうとしている私が惨めになってくる。そんな気さえしてくるな』

『貴官の努力と、俺の偶然に関係はない。……俺は、貴官のように部下を十全に働かせられる素質の持ち主の方が羨ましい。これまでの任務で、全てが疑うことはない完璧な調査だった。俺は貴官を高く評価している』


 意外そうに目を見開いた貴族崩れの男――憲兵は、それから小さく笑い出した。


『まさか、鉄のハンスからそんな言葉をいただけるなど存外の幸せだな。最高の軍用犬――そうとまで評される君にそこまで言われて、幸福に感じない兵士はいないだろう』

『……』

『私のように戦時中で憲兵などを努める者に向けられるのは、厄介者を見るような目だよ。それが普通だろう? 特に機体も駆りはしないというのに居丈高に振る舞う邪魔者――……そんな目には慣れているんだがね』

『……適性の問題だ。それに貴官の体質では、現状の脊椎接続アーセナルリンクとの適合性が悪いと聞いている』

『これはこれは……君のような男が、私にそこまで興味を抱いてくれたのかね? ハンス・グリム・グッドフェロー中尉』


 小さく頷き、ヘルメットも取らない青年は静かに言った。


『完璧な仕事をする完璧な男のことが、少し気になっただけだ。ラッド・マウス少佐』

『ふ。……君にそうとまで言われては、手が抜けないではないか』

『その割にどこか貴官に怒りが見える気がするが……いや、すまない。俺が過敏だ。戦闘後のストレス反応かもしれない。気分を害さないでくれ、少佐』

『いいとも。君のようなエースを咎められる筈もない。……そうだろう、中尉』

『そう言ってくれたことに感謝する。貴官は、やはり尊敬に値する人物だ。ラッド・マウス少佐』


 踵を返し、駆動者リンカーは機体に向けて天幕を後にする。

 そして残されたその中では、震える拳を抑える憲兵の男が――劣等感と優越感、愛憎が複雑に混じり合ったかのような目線をいつまでもその背に向けていた。


 かの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争。

 その操縦能力を買われた違反者殺し――戦時国際法を逸脱し逃走した兵士に対する逮捕行動。

 ハンス・グリム・グッドフェローが呼ばれる二つ名の内の一つともなった特別任務。

 その、ある日のことだった。



 ◇ ◆ ◇



 ふむ、とカレンダーを見る。

 丸が書かれた日付。特にマーシュから何か予定を入れられている訳ではない(そもそもそう多いとも言えない)殺風景な自分の部屋の、殺風景なカレンダー。

 あの戦いの集結から三年。

 思えば今年もそんな時期が来たのか――と思いつつ、閃くものがあった。


「……そうか。もしや」


 あの、ヘンリー・アイアンリング特務中尉。

 まだ例の強奪犯――間違いなく【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】だろう――の行き先が捕捉されないが故の訓練の日々。

 そこを共に送りながら気付いたのだ。

 もしや彼は――シンデレラの攻略対象なのでは、と。


 その②――硬派なヤンキー系格下ライバル軍人。


 条件を振り返って見れば、合致したことも多い。エリート軍人、ライバル、シンデレラへの因縁……。

 思うに、やはり彼なのでは。

 最適なのでは。

 つまり彼と結ばれればシンデレラは――自分の見知ったような悲劇に見舞われなくても済む、ということなのでは。


(人の恋路は馬も蹴らない……犬に喰われる、だったか? 俺の有用性はそこにはないし個人のプライベートに踏み込むのは躊躇われる――だが、部下同士の協調という建前と本音がある。ならば、その親睦を深めてもいいはずだ)


 正直なとこら、いくら悲劇的な結末を回避するためだとしても他人の恋を利用するのは憚られる。

 そんなふうに個人の尊厳を踏みにじってまで行われる大義に義はまるで無し。そうとまで思っている。

 ただ……部下同士が職務を円滑にするという範囲内でのコミュニケーションを磨き、そして結果恋仲になるならばその限りではないのではないだろうか。


 ……ああ。問題ない。


 別に尊厳を踏みにじるつもりではなく、あくまでも仕事に必要な信頼関係の醸成。

 その結果、距離が近付いた男女二人に恋が芽生えてしまうなら――それはもう恋の神に文句を言えという話だ。

 自分はあくまでも場を整えるだけ。それだけなのだ。


(……恋か。他人のものとはいえ、やはり心が踊るな。久しくしていない。なんだか楽しくなってきた)


 命懸けの戦場――言うなれば生命の危機を伴う深刻なストレス下なので、自分のような面白みのない男もそれなりには経験を積めたが……。

 近頃は遠ざかっている。

 仕事が忙しいというのもあるし、どうにも自分には不向きな分野であるというのもあるのだ。


 ――そんな中での恋! それが他人のものだとしても!


 乙女座としては奇妙な――否! 真っ当なロマンティックな運命を感じざるを得ないと言わせて頂こう。

 ……乙女座だったか。

 獅子座だったかもしれないし、天秤座だったかもしれない。多分だいたいこの辺だった。

 正直、こちらで生まれてから誕生日にこだわりがない上に戦争が忙しすぎたせいですっかりと忘れてしまっていたが……まあ、それは些事だろう。


 マーシュにかつて聞かれたのでそう伝えたら、おもむろに抱きしめられそうになったので丁重に断った。

 年頃の婦女子がみだりに異性に触れるものではないと思う。

 彼女は魅力的故に、きっと人を勘違いさせてしまうだろう。短い付き合いながらも気を付けてほしいが……それはともかくとして、


(恋。その素敵な好奇心が俺を行動させる――ということだ。抱きしめたいな、レイヴン)


 善は急げ、と言うやつだった。

 いつも通りのカーキ色のジャケットを纏って、彼らが待つブリーフィングルームへと急行することにした。







 こんにちは、グリム・グッドフェローです。

 突然ですが自分は今、空中浮游都市ステーションにいます。

 帰れません。

 橋を作る仕事は……してないけど、多分三途の川に橋を架ける仕事はしてます。

 あと、


「……センスがないんですよ、貴方は。だからあんな機動に頼る。いい的ですよ、あんなのは。なんでわからないんですか! あのままじゃ死ぬって!」

「うるせえ、わかってるんだよ! そんなことは! オレが一番……誰よりもだ! お前の身長が低いのとおんなじくらいに!」

「――っ、また女性の容姿を――!」

「女性ってガラかよ、ガキが!」

「子供とか大人とか、そんな話をしてるんじゃないですよ! こっちは! その性根、癖っ毛と一緒に修正してやる!」

「天パで何が悪いんだ! 天パで! 天パは強さの証だ!」


 部下と上司が(あちらの申し出で指揮権はこっちにあるが)険悪です。

 助けてください。



 ◇ ◆ ◇



 これはライバル関係と言うのだろうか。

 何か違う気がする。

 二人の仲は非常に険悪だった。

 思えばあの取り調べ室から始まり――聞いてみれば襲撃の日のこともそうで、前回の模擬戦もそう。おまけにシミュレーター訓練までそう。

 こんな中では、恋とかそういう以前の話だろう。

 普通に怖い。


 まあ、人間関係の如何に関わらず自分は兵士として求められる性能を発揮できるように努めているので、特にそこはいいのだが……。

 それにしても折角ともに戦う仲間なのだから、親睦を深めてほしいというのが本音だ。

 いがみ合ったまま死ぬよりも、肩を預けて生き延びる方がいいだろう。


 今も長椅子の端と端に座って、腕を組んで顔を背け合う彼らは……傍から見ていれば動作が一緒で、なんとかこう……読ませてもらった少女漫画のようでお似合いだと思うのだが……。

 これを言ったら茶化したと思われそうなので口をつぐむ。

 そして、素晴らしい提案をすることにした。


「そうだ。貴官らもプリンでも食べにいかないか?」


 本当は時間給をとったうえで自分一人の予定だったのだが――どうせだったら、彼らも一緒に行けば親睦を深められるのではないだろうか。

 それに知っているだろうか。プリンはおいしいのだ。

 そう、提案してみたのだが、


「男が食べると思ってるのかよ、そんなもの!」

「大尉にとってわたしは子供なんですか? 父さんになってほしいとか、思ったことありませんよ! 大尉にそんなこと! ……甘いもので釣ろうなんて、子供扱いしないでくださいよ。そんなの」

「えっ」


 えっ。


「プリンは、美味しいのに……か……?」

「えっ」

「えっ」


 えっ。


「……」

「……」

「……」


 ……。


 そうか。

 ……それなら、仕方ない。仕方ないのだ。仕方ない。

 どちらにしても自分はこの日に限っては必ず食べると決めていたし、ついてこないというなら……申し訳ないがそれぞれに合わせた反復演練のプログラムを渡して、職場を後にすることにしよう。


 ……そうか。

 個人の趣味や嗜好に強くは言えない。無理矢理に飲み会に誘う上司ほど嫌われる存在もないだろう。

 故に、仕方なかった。

 ともあれ、気にするものでもあるまい。それならそれというだけの話だ。

 どんな状況でも自分は十全に行動可能だ。パイロットスーツはもう着替えてある。

 カーキ色の軍用ジャンパーを羽織り、あとは店に向かうだけだった。


 彼らは……なんと珍しいことか。

 ブリーフィングルームの長椅子の端と端に座っていたはずなのに、顔を突き合わせて座っているではないか。

 ……いや、そうか。そういうことか。

 二人っきりになりたかったのに上官が邪魔だった。そういう事例か。任務に差しさわりがなければ――職務に専念する義務がある――それもまた彼らの自由だろう。


(……そういえば、聞いたことあるんですけど)

(なんだよ。随分と近いんだよ、オマエ)

(好きで近付いてるんじゃないですよ、ボクだって。貴方になんか。……でもあの大尉の顔を見て思い出したんですよ。大尉、好きなんだって)

(……プリンを? いい大人が? あんな男が? 鳥の串刺しや蛇の生焼きじゃなくて?)

(だって……それなら説明つくじゃないですか、あの顔! あんな捨てられた柴犬みたいな顔……見たことないでしょう、貴方もわたしも!)

(う、む……それは……そう言われたら、そうなんだが……)


 二人が、ブリーフィングルームを後にしようとしたこちらを同時に眺める。

 眺め、言った。


「あの、せっかくなんだし……必要ですよね、交流も」

「大尉。……その、思えば仕事以外で会話もしてないしな」


 なんて優しい、できた部下たちなんだろう。


「そうか! すぐに支度しよう! いい店を知っているんだ!」


 なんでも好きなものを頼んでもいいようにお金をおろしてこなければ。

 戦時下でクレジットカードは頼りにならなかった。

 現金か現物を持ち歩く習慣がついているので、その補給をしてこなければ。


「……なあ、甘いものは?」

「そんなに……」

「……しかも昼飯まだだぞ。本気で行くのかよ」

「あの人が本気で喋ってないの、見たことあるんですか? ……こっちが聞きたいですよ、そんなの」



 ◇ ◆ ◇



 その喫茶店は、ゴーテルという塔の如き高級クラブからそう遠くない場所にある。

 昼は喫茶店。

 夜はダイニングバー。

 そんな感じで、温かい料理とコーヒーに定評がある店だ。


 店内は十分な広さで、カウンターのほかには夜間の営業にも耐えうるだけの仕切りのついたテーブル席もある。

 その窓を横にした一つに腰かけた。

 自分と向かい合う感じで、頬杖をついて窓の外を眺めるヘンリー。

 シンデレラは何故か自分の隣だったが……理解できる気がする。


 こちらはいわゆる上座。店内の一番奥で入り口から遠く、壁を背にした席だ。

 戦場に行ってから自分はそうなったのだが、どうにも背後に誰かが座れたり通れたりするようなスペースというのははっきり言って背中が不安で座りたくない。

 そして、店内を自由に見舞わせる席が望ましい。

 空いていなかったらその足で帰るほど、自分はこれを無意識にも徹底している。

 シンデレラも戦闘を経験してそうなってしまったのだろう。


(本音を言えば窓際というのも、襲撃の不安がある……逆に言えばここを撃ち抜いて脱出も可能だが)


 そのあたりの警戒は、自分は常に絶やしていない。

 だから何かあっても――例えば爆弾を満載にした車両やアサルトライフルで武装した敵兵が突入してくるなど――全く以って恐れることはないのだ、とシンデレラに説いてみるも、


「……大尉、プリンを前に言っても説得力がないです」

「怖エよ、アンタ。なんだよその笑い方……怖ェよ」


 いかん。つい頬が緩んでしまっていたらしい。まだ修業が足りないな。

 二人は、こう、なんとも言えない顔をしていた。

 ご飯を食べるところでするような顔ではないので気を付けてほしい。口に含んだコーヒーをそのままカップに垂れ流すような顔はダメだと思う、人として。

 ……ともあれ、全員の前に料理がいきわたるのを待って――


「あ〜〜〜〜〜〜〜〜! 大尉じゃないっスか〜〜〜!」

「おやおや? 先輩なんです?」


 来客を知らせるドアの鐘が鳴る音。

 いただきますの前に、赤っぽいオレンジ髪のフェレナンドと小柄なエルゼが入店してきていた。

 どうやら。

 シンデレラとヘンリーにまで時間給を使わせないために昼休みに合わせて入店したのだが、彼らもまた、基地の食堂ではなく本日は喫茶店の食堂を利用しようとしたということだろう。

 ……先週の内に喫食申請にバツはつけて提出したのだろうか。

 糧食関係――つまり部隊のためにご飯を作ってくれる人――が困るので、そこらへんはちゃんとしておいてほしい。用意した心を込めたごはんが無駄になってしまう。兵士としてのマナーだ。


「グリム大尉ー! グリム大尉ー! 聞いてほしいんスよ! もー、大尉が出てってからの話なんスけど! オレ、めっちゃ褒められてー! 空戦の連携がしっかりしてるーって!」


 相変わらず彼は賑やかだ。

 あの戦争ののち、かつて士官学校で訓示をした身としては彼のそんな笑顔を嬉しく思う。


「……なんなんだ、このうるさい男は。これでパイロットかよ」

「いい人ですよ。うるさいですけど。誰かさんより。いい人です」


 向かいの席に座っている形だというのに、シンデレラもヘンリーも顔を突き合わせている。

 顔が近い。あと少しよせたらキスをしてしまいそうで少しこちらも傍目にドキドキだ。

 彼らはこう、多少年齢の差はあれ互いに金髪の美男美女だ。

 絵になる気がする。

 反目していた二人がやがて共同生活や目的を共にすることを通じて心の距離を近づける――……なんとも少女漫画のようでかわいいな。なんか胸がきゅんとする気がする。


「あ? んだよお前……聞こえてるっつーの。態度わりぃな」

「……フェレナンド?」

「誰スかコイツ。……あ、いや、こないだの態度わりぃヤツっスわ。ロッカー蹴った態度わりぃヤツ。で、誰スかこいつ。大尉の何なんスか?」


 答えようとする前に、腕を組んだヘンリーが居丈高に胸を張った。


「グリム・グッドフェロー大尉殿の現・上司だよ。げ・ん・じ・ょ・う・し。……指揮権はそっちに渡したがな」

「へえ? 悪辣非道の【フィッチャーの鳥】が随分と素直なんスね。いいと思うっスよ、そういうの。身の程わきまえてる感じで」

「そうだな。飯屋でガタガタ騒ぐこともない、弁えた軍人なんだよ……こっちは」


 沈黙。

 見つめ合った二人はおもむろに立ち上がり、


「……あ?」

「……お?」


 顔が近い。

 ドキドキしない。お互いにすごい近い。金髪と赤髪が擦れ合いそうなぐらいに近い、

 さっきのシンデレラとヘンリーよりも近いではないか、これは。

 だが、ドキドキはしない。何故だろうか。ハラハラする。


「あのさあ……オレは大尉の指導を受けてるんスよね。大尉の教導を受けてるんスよ。。指揮権を手放した誰かさんはどうか知らねーっスけど」

「そうか、奇遇だな。オレも大尉の薫陶を受けている。……

「あ?」

「お?」


 もっと近づいた。


「はわわ」


 何故だろうか。部下と上司が険悪だよお……。

 何故だかわからんが、二人してまるでヤンキーのように額をぶつけ合ってる。

 シンデレラの袖を引いて、呼びかける。こんな目の前で起きているのに彼女はこの険悪さに気付いていないのだろうか。


「やらせておけばいいんですよ、あんなの。男って本当に馬鹿ですよね。……誰が大尉の一番か、なんてわかりきってるじゃないですか。バカらしい」


 彼女はそうつまらなそうに言って、パフェを一口スプーンで掬った。

 それから、僅かにその琥珀色の目を見開いた。

 喜んでくれているらしい。連れてきてよかった。

 連れてきて――


「あ?」

「お?」

「なんですか、凄んでみせても何も変わらないですよ。わかりきってるじゃないですか、誰が一番強いのかなんて」


 こわい。

 連れてこなければよかったかもしれない。


「エルゼ。救援を求めたい。エルゼ」

「はーーーーい、先輩は黙ってましょうねー! 今話すとややこしいですからねー! 黙ってましょうねー! いい子ですからねー! マジで!」


 駄目だ。頼りにならない。

 どうしてしまったんだ、エルゼ。お前はもっとできる子だったじゃないか。

 戦闘の後遺症なのだろうか。グリム心配。


 腕を組んだ三人が、立ち上がって睨み合う。


「言っておきますけど、ボクが一番強いですからね。この中で。大尉はボクのことを大事に思ってるんですよ、間違いなく。何度も助けてくれてますからね。どうしてそんなこともわからないんですか?」

「いくらシンデレラちゃんでもさあ、言っていいことと悪いことがあるっスからね? オレが大尉と一番付き合い長いんスよ。年季が違うっての」

「……まぁ、オレは大尉の上司だがな。お前らと違って。命令権がある。お前らと違ってな」


 ……。


「は?」

「あ?」

「お?」


 みんなけんあく。

 部下との楽しいプリン交流会だったのにどうして……。


「エルゼ。助けてくれまいか。エルゼ」

「はーいエルゼちゃんにすがるのやめましょうねー! 交流会ならぬ交戦会に巻き込むのやめましょうねー! マジでやめて! 狙いこっちになりますから! やめて! エルゼちゃんこの人狙いじゃないの!」

「……恋バナか。いいだろう、出向中だが上司として応じよう。……エルゼは誰が好きなんだ?」

「うーんこのバカ黙らせて誰か」

「バカとはなんだ」


 酷いぞ。

 どうやら部隊を離れてしまってから、自分が上司として頼りになる男だということを忘れてしまったらしい。

 猫ちゃ――猫は二週間で飼い主の顔を忘れるという。

 そんな悪辣にして深刻なまったく根も葉もないほかの動物愛好家の敗北主義者が仕掛けた非常に遺憾きわまる風評被害はさておき――。

 エルゼはまあ、どちらかというとキツネタイプだろう。そんな性格に見える。

 ならばここで上司として彼らを見事に統帥し、その統率力を再び示すまでのことだ。

 おもむろに――名残惜しいが――プリンの前から離れ、


「邪魔です、大尉」

「下がってて欲しいっスね、大尉。こういうのは白黒ハッキリつけねえと」

「大尉。アンタはオレの部下だろうが。いい子で大人しくしてろ」


 輪に入れてもらえなかった。


「はわわ」


 部下たち……いや上司も混じっているが……が怖い。

 どうしてしまったというのだろうか、先ほどまでは純粋な親睦会だったはずだ。

 そこに火薬庫はない。爆発物もない。

 熱エネルギー兵器を使用されたせいで内部の配線を溶かしたり、冷却装置が故障したりして、血脈型流体回路が損なわれてその金属の流体故に熱暴走をするアーセナル・コマンドのような危険性はないはずだったというのに――


「……あら、グリム。珍しいわね、こんな日中に。お楽しみ?」


 奇遇ね、と背後から声がかかる。

 こちらは同僚なし。

 それでも何か確かなものを目当てにこの店に来たとでも言いたげな深窓の姫君めいたアンニュイな美貌のマーシュが現れ、


「……やばっ。逃げていいです?」


 なんで?

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