第11話 顔合わせ、或いは攻略対象
着隊の報告は簡素だった。
命令書に基づき、出向。自分は新兵の教導から――シンデレラはその教導される新兵から。
正式に【フィッチャーの鳥】の所属になるのではなく、あくまでも軍籍は
無論、【フィッチャーの鳥】とて
しかしながら、異なる点がある。
それが、彼らが連盟憲兵と公安警察としての能力――及びそれらを母体とした特務部隊だということ。
つまり、捜査権と逮捕権の存在だ。軍内部のみならず、市民に対しての逮捕権も有する。
具体的に言うなら自分たちには、憲兵として必要な法的知識の不足――及び資質の指摘がされている。
あくまでも軍事的な能力としての一点でのみの出向。
逮捕権は有さず、それに必要な素質の保持や教育の実施はされていなくても構わない……という訳だ。
……もっともな話だ。
あのレッドフード――メイジーに見られる「徴用」も「著しく優れた技能を有するが故に限定的な期間で任官された」という形式をとっている。
他の民間人出身者の場合は通常、エルゼのように、一度はどんなに促成とはいえ兵学校に送られる。そのまま部隊で戦力運用されるという例は、ほぼ存在しないのだ。
一体、逮捕や法学についての「著しく優れた技能」とはなんだというのか。
そういう指摘も躱すためだろう。自分たちの部隊の所属に先立たせてから出向という形をとったのは。
(とはいえ、それすらも建前でしかないがな)
単なる生贄。スケープ・ゴート。
メンツを潰された【フィッチャーの鳥】がレッドフードの再来という劇的な再生神話を以て、自分たちの失態から目を逸らさせようとしているにすぎない。
……それが伺えるというのも、
「よぉ、アイアンリング……乗り捨てのアイアンリング中尉。良かったな、お前の部下はあの可愛らしいお嬢様と英雄サマだぜ。顎でこき使ってやれるなんて羨ましいねえ」
「間男アイアンリングは流石だねえ。もう女をひっかけてやがる。この間、亭主に女房から蹴り出されたってのによ」
自分とシンデレラが属する小隊の長の評価を聞けば、わかる。
アイアンリング――ヘンリー・アイアンリングと言ったか。金髪の、あの日、シンデレラの事情聴取を行っていた青年だ。
軍隊では銃が女に例えられる。同様に、アーセナル・コマンドを女として例えるスラングがある。
間男アイアンリング――あたかも亭主が現れたときの間男が無様に逃げ出すように、機体から逃げ出したことを指してそう言われているということには察しがついた。
……どちらかと言うと間男はあの所属不明機たちでは?
そう思わなくもない。
この場合のアイアンリング中尉は、花嫁を強奪された花婿というのが相応しいと思われる。なんだか余計にいたたまれないが。
「おい、何してるんだ! 行くぞ!」
後ろを歩く自分とシンデレラへ居丈高に大声を上げて先導するアイアンリング中尉のその背は、どこか、頼りないものに見えた。
だからだろうか。
ブリーフィングルームに顔を出し、お互いの簡易的な挨拶となったときに、
「……貴方が指揮官、ですか? 貴方が? グッドフェロー大尉の上官? 中尉なのに?」
シンデレラは、彼への露骨な不信感を露わにしていた。
この間の取り調べの一件だけでは説明がつかないほどの敵意。自分が隣にいなければ、シンデレラはもっと声を荒げている。
そう感じられるほどの刺々しさが言葉の端々から現れている。
そしてそんなに敵意を受け止めるということは、アイアンリング中尉もまた同等の返応を示すということにほかならない。
「中尉じゃなくて、特務中尉だ。いいかよ、平軍人。俺たちの方が階級的には優位になる。そして階級的が並べば、【フィッチャーの鳥】の方が優先的な指揮権を持つんだよ。……ま、民間人上がりのガキには階級なんざわからないだろうが」
「訂正を」
「何?」
「彼女は階級についても理解している。その言葉は正確ではない……つまり風評であり、レッテルだ。上官の行うべき行動ではない。訂正を求める」
「……そういうアンタは、オレの部下だろうが」
「上申、というものがある。貴官も士官である以上は存じているかと考えるが。これも部下としての努めの一つでしかない」
部下は作戦の内容や上官の命令に対して、必要であれば意見や見解を述べることもできるのだ。
じっと眺めると、彼はバツが悪そうに目線を逸らした。
睨みつけた覚えはないが、彼はどこか不思議と自分と視線を交わすことを嫌がっている節があるふうに見受けられる。
特段、威圧の意図を込めたつもりはないために誤解を解いて置きたいところだが……まあいい。それは。今は優先順位が低い。
「貴官が俺の上官となるのは承知した。その上で問いかけたいが……自分と彼女を有するこの部隊、如何なる役割を見込まれている?」
「……何も」
「何も、とは?」
見詰め続けると、彼は側頭部の金髪の三つ編みを揺らしながら苦々しげに首を振った。
「……何も。お飾りなんだよ、オレたちは。そこの女をアイドルとして盛り上げるためのバックダンサーだ」
「というと?」
「いちいち、言わせるなよ。どんな形にしてもこの部隊で例の新型の撃墜か奪還しちまえば……あとはそいつがやったってことにすればいい。……そのためにオレみたいなのを小隊長にして、ついでのダメ押しのお守りとしての英雄サマだ。そういう筋書きなんだよ、これは」
隣で、髪が逆立つようにシンデレラが怒気を発しているのが判った。
面白くはないだろう。
家庭内不和のある――というかネグレクトという虐待の一つだ――父親が、それでも敵勢力に誘拐されたというのは多感な彼女にとっては多大な影響である。
なのにそれに加えて、軍部からの、あたかも美談にするかの如き――有り体に言えば物語的な消費物として――その家庭環境の利用。
それでも複雑な想いを飲み込んで、おまけに戦場に立つ恐怖を飲み込んで、ここに来た彼女に突きつけられるそれはあまりにも侮辱に等しかった。
(……)
自分とて、己を律していなければ上層部に殴りかかっていたかもしれない。
ふざけている、と思う。
ならば当事者である彼女の怒りなど、推して知るべし……だ。
とはいっても、自分は兵士だ。そして今は彼女にとって――おそらく概ね物分りの悪い兄あたりだろうか――保護者なのだから、それなりの対応というものはある。
「なるほど、理解した。本音はそれとして、建前は?」
「……第八小隊。第一陣にはならねえ。何かあったときの備えだ」
「そうか。そのときになれば、俺にも貴官にも出番はあるということだな」
「何だと?」
「備えよう、ということだ。シュミレーターの使用に制限は?」
困惑したような彼は、そのまま飲み込んだ。
ロッカールームやデスク、それらを探すということでブリーフィングルームを後にする。
一見すれば掃除が行き届いていて綺麗な施設だ。
だがそこかしこに物見遊山のように立つ兵の視線は醜悪だった。規律や風紀が機能しているのか怪しい。
最悪、状況によっては自衛権に基づいた発砲の機会も訪れるかもしれないと――頭の中で所持弾数をカウントする。
そんなとき、だった。
「いいんですか、大尉……こんなの……」
目に怒りを滲ませながらも、その琥珀色の瞳でこちらを慮ってくるシンデレラ。
あの軍隊的な初歩の精神が役立ったのか。
いや、彼女は元より優しい少女だ。その優しさが義憤という怒りに繋がりがちだった少女だ。
彼女は、見世物や客寄せのように扱われる自分の立場よりもただのおもりでしかないこちらを案じていた。なんと心優しい性根だろうか。
「大人の世界は建前の世界だ、シンデレラ」
「そんな言い方……! 大人の世界ってなんですか、偉そうに! いつだってそうやって子供を締め出そうとする……仕事だとか、そんなふうに大義名分とかなんとか……それで人を傷付けて悪びれもしない……そういうの、嫌いです。嫌いなんです、わたしは……!」
「わかっている。君の気持ちは十分。……ただ、逆を言えば建前にしてしまった以上は本音に関わらず通さねばならない、ということもある」
「……? 大尉……何をする気なんですか……?」
不意に首を傾げたシンデレラに、小さく頷いて返す。
「任務だ。いつだってそれしかない」
「それは……いや、だから、言ってくださいよ。もっとわかりやすく。悪い癖ですよ、それ。そういうことする大尉、よくないと思います。直した方がいいです」
「ええと……ああ、ここでも訓練の続きをしようと思っている。丁度いい時間だ。くだらぬ茶番になるかと思ったが、多少は実りがある」
正直、あまり良い噂を聞かない【フィッチャーの鳥】の仕事に巻き込まれなかっただけだいぶ嬉しい。
もう幾度か職務上で味方殺しの経験もある自分はともかく、シンデレラに汚れ仕事をさせなくていいなら願ったりだ。
「その他は――……そうだな。俺はどうも、ズルい大人のようだからな。……ナイショだ」
「もうっ! なんですかそれ! こういうときは子供扱いなんて! ズルい人ですよ、本当に! 嫌いです、そういう大尉! すぐそうやって! わたしを子供扱いしないでください!」
ぷい、と視線を反らしてしまうその仕草は体躯と相俟って小動物的だ。
微笑ましい、と言ったら怒られるだろうか。
それでも怒りを別の形で発散させることで――……多少のガス抜きと、不満の解消はできたらしい。
他に頼る人間がいないからか、こんな自分でも――いわば敵地のこの場所で――怒りながらもついてきてくれはするらしい。
……もっとも、その最中も「子供じゃないのに」と口を尖らせてまだ呟いているのを見るに、ご立腹は完全に解かれていないようだが。機嫌を損なわせてはしまったようだ。
◇ ◆ ◇
起動させたシュミレーターに
一つが、感覚の矯正だ。
ボディ・コントロールという話を聞いたことがあるだろうか。
平衡感覚や触覚などにより、自分の身体のどの部位がどの位置にありどのような状態であるかを把握し――そしてそれをイメージのままに操る能力のことだ。
一般的に言われる運動神経がいい・悪い――そんな神経はないのだが――というのもこのボディ・コントロールが含まれる。
制御性、ということだ。
一般にこの運動神経を養うには十歳前後までのゴールデンエイジと言われる年齢でのスポーツ経験が重要であり、その後これを矯正するには多大な労力が必要とされる。
部活動でやっているスポーツは上手にできるが、球技全般は苦手。
或いはやったこともないスポーツでも初めからそれなりの形にできるというのは、このボディ・コントロールと密接にかかわっている。
アーセナル・コマンドに関しても同じだ。いや、より深刻と言っていい。
この人型機動兵器の操縦に関しては、二足歩行に加えて四肢及び姿勢の制御・武装の取り扱い・加減速・力場の制御・索敵など、その運用に必要な処理は多い。
もし仮に従来的な機械操作を行わなければならない場合、それには高度な操縦補助AIや姿勢制御プログラムを必要とし、その習熟だけで膨大な年数を必要としただろう。
しかしながら
その状態でパイロットはコックピット内で索敵や照準、移動などを行えばいいという――己の脳と神経を使った分業を果たすことに成功した。
この無意識的な処理。
つまりボディ・コントロールに相当するのが、モビル・コントロールと呼ばれる――いわゆる操縦神経であった。
人体を模した機構をしているとは言っても、所詮は機械だ。
それまで生まれ育った自分の身体ではなく、内核を外殻で覆った金属の巨体。
すでにゴールデンエイジを過ぎてしまった人間にとってそれを十全と操縦させるためにはやはり修練を要求し、例えば素振りであったり反復して行うウェイトトレーニングの神経系への刺激であったり、この機械の操縦に関しても同じく反復演練を必要とした。
それが、シュミレーターだ。
一定の年齢に達した人間が、今現在軍人になれる人間が行える機械の身体と生身の肉体のすり合わせであった。
つまり必然的に――。
幼少期からの接続を果たし、
戦場では、背が低い奴ほど警戒しろ――などと言われる程度に。
「……これ、今思うとあんまり役に立ちませんよね。筐体が傾いても、本当にすごい重力がかかるわけでもないし……それにわたしが使う機体とまるで違うんだから……」
「そうだな。反応や索敵の練習程度に思っていてくれ。或いはすでに覚えた戦闘機動の反復の、だ」
「それは……わかりましたけど……」
つまり、その点で言えばシンデレラ・グレイマンにとってこれはあまりにも退屈な代物に過ぎないのだ。
それをなだめながらも演練をする。
あくまでもシミュレーターの機能の一つであって、全てではない。
他には、
『過去のエースパイロットの挙動を再現したAIとの模擬戦闘』
『過去の戦場を再現した場での要求された作戦目標の達成』
『普段扱わない兵装の特性の確認や仮想的なウェイトバランスの確認及び身体矯正』
などの機能がある。
とはいっても、あくまでもシミュレーション上のものなので限度がある。
以前自分が行ったような無手での殺傷方法などはおそらく処理を受け付けられない……はずだ。加速度に関しては危険信号が出るのでひょっとしたら有効かもしれないが。
(まあ、ゲーム的に楽しませてこれで優れた素質を持つものをパイロットとして雇用しようという動きもあるようだがな)
確か何件か。
そういうEスポーツ選手由来の
自分は特に出会った覚えは……なかったはずだが、判らない。戦場以外のことは、あまり深く覚えていなかった。
そうしてシンデレラと訓練をしていて、一度休憩のために卵型の筐体から外に出たときだった。
「……何してんだよ、オマエらは。だから、やっても無駄だって言ってるだろう? オレたちは所詮お飾りなんだよ。出番なんてものはねえ。……オマエらが勝手すると迷惑なんだよ、こっちは」
「なるほど。……具体的には?」
「それは……」
問いかけると、アイアンリング中尉は言いよどんだ。
彼ほどの率直な物言いをする男の、不服そうな顔。何かに板挟みになったような、若干の苦悩が窺える顔。
「いや、失礼した。今の質問は忘れてくれ。出過ぎたことを言った。……俺も部下として貴官と争うことは本位ではない。具体的な要望があれば、極力従おう」
「なんだってんだ……こないだはああだったってのに……調子が狂う……」
「貴官も兵士で、俺も兵士だ。ならばすべきことは一つで、それは共通している。俺は兵士たろうと心がけている。それだけの話だ」
一つおいて、改めて問い直す。
「それは貴官とて、同じではないのか? アイアンリング特務中尉」
「……オマエ、どういう意味だ?」
「それほど難しく言ったつもりはないが……貴官もまた、兵士たろうとしている。そうではないのか?」
まっすぐ彼の瞳を眺めれば――それまでの苦渋のような顔とは裏腹に、その黄緑色の瞳が激昂に見開かれていた。
「何がわかるんだよ、オマエに……オレの何が……!」
「……正解らしいな。賭けだったが」
「なに?」
「何も判らないので、それとなく言わせて貰った。そんなふうな言葉を。良い兵士に見えただろうか? そういうドラマの真似をしてみた……だが正解だったようだな。おかげで何かある、というのは分かった」
彼女にズルい大人――と言われたので、そう振る舞ってみた。
マーシュの部屋で見た映画が参考になった。
時々ラブシーンも入る――たまに過激だ――ものだが、彼女は女性にしては珍しく恋愛映画ではなくミステリーやサスペンス、或いはミリタリーやアクションなどの映画をよく見る。
こちらも過去のせいか、あまりミリタリーものに関して観る気が起きなくなる……とそれとなく伝えてみたところもう上映はしなくなってしまったが。
悪いことをしたと思う。彼女がそれを好んでいたなら、否定してしまった形になるだろう。あまり個人の趣味の否定はしたくない。
「テメェ……騙したのか……!」
「その意図はなかったが、結果的にその形になったな。謝罪がいるだろうか? だとしたらすまない」
「謝られたところで――それで何かが変わるのかよ!」
「……変えたい、ということか?」
「なに?」
「変えたい。そう言っているふうに思える。ならば俺にそう命じるといい。俺は部下だ。部下として、職務に関する貴官の望みには答えよう」
言えば彼は、余計に戸惑った気がした。
「なんなんだ、オマエは……」
「ハンス・グリム・グッドフェロー大尉。見ての通り軍人だ。それも、職務に忠実な」
「見ればわかるんだよ! そういう話じゃねえ! オマエ、オレのことをおちょくってるのか!?」
「……それこそ心外だが」
他人を小馬鹿にする趣味はない。それこそ非生産的な行為だろう。
「貴官は何か俺に、下に見られるようなことをしたのか? 上官として何か理不尽を言ったわけでもなければ、規律違反を犯した訳でもない。命令に不服従な訳でもなければ、上官として誤った指揮をとったわけでもない」
「だから、オマエのそんな態度が……!」
「俺は貴官を馬鹿になどしていない。むしろ、敬意に値すると思っているほどだ」
「……何?」
「シミュレーター利用のログを見た。あの日より貴官の名前は多く、それも課業外に集中していた。課業中は体力練成か、それとも周りの目を気にしてか……しかし貴官には向上心がある。客観的にそう理解はできる」
睡眠時間を削ってまで、追い込まれたかのようにシミュレーターを利用しているとのログがあった。
睡眠は学習の質にかかわるためにあまり勧められたことではないのだが……しかしそれを見れば、どんな凡庸な人間とて彼の決意を知るだろう。
「貴官はあの失敗を受け、それを是正しようとしている。拾った命を正しく使おうとしている。……それに、一体俺がなんの軽蔑をする必要がある? 敬意に値する。俺は、そう思っている」
元がどんな人間であれ、どう失態をしていたとしても。
それを取り戻そうとして真摯に努力するという意思は等しく尊い。自分は、そう思っている。
それはグリム・グッドフェローにとって――……。
職務や義務感からだけでなく、心から、守りたいと思える人間の資質である。
「俺の目に誤りがあるなら、そう言ってくれ。部下として今後是正に努めよう」
彼の指揮を目の当たりにしたわけではないのでそこは未知数だが……。
少なくとも、いい関係は築けると思っていた。彼は真摯でひたむきで努力家だ。その一点だけで、きっと分かり合える部分も出てくる。
この【フィッチャーの鳥】なぞという規律があるかないか判らない部隊に来ることへの不安はあった。
だが、悪くない。
少なくともこのヘンリー・アイアンリングという男は上官として悪い相手ではないと判断できる。
もしも足りないところがあるのであれば、こちらで補うだけだ。
それが部下として上官にできる職務の遂行――献身の一つであろう。
「それでは俺は、シュミレーターに戻る」
「だからそれは――」
「理解している。貴官がこう言いに来たことも、貴官が置かれている立場も。別に仕事や訓練があったならともかく……何故人目を避けるかのように課業外に行わなければならないのかも。その上で言わせて貰う。――それとこれとは話が別だ」
「……!」
「それが俺の兵士としての職務になんの関係がある? 俺と貴官の職責になんの関係がある? ……自分たちがすることは、職務の遂行。そのための努力だ」
おそらくは……これまでの状況から推察するに……。
この、指揮も意欲も低そうな、理想的な形而上学的な軍隊としてははっきり言って底辺に近いエリート意識とムラ意識がにこごったような【フィッチャーの鳥】の中で、あのような機体強奪被害の失態を犯した彼の社会的な地位は相当に低くなっているのだろう。
それと同様に、彼の小隊である自分たちも。
……やっても無駄だからやめさせろと言われたか、それとも自分たちが使うからどかしてこいと言われたか。
先ほどのヘンリーの言葉と態度は、そんなものの使い走りにされることの不満と憤懣もにじみ出ていた。今となってはそう思う。
軍隊は、人だ。人と人とのつながりだ。社会だ。
いい意味でも悪い意味でも、そこでは異端の排除がされる。されなければならない。そのことの是非について論ずるつもりはない。
命がかかっている以上、それはなおさら当たり前のことなのだ。
ただし――一つ言わせてもらうことがあるとすれば、
「言い方が悪いが、どうせ死ぬ。人は、死ぬ」
「それが……どうしたんだよ……」
「くだらぬ言葉に惑わされるほど、俺も暇ではないということだ。俺も、彼女も。……如何に兵士とはいえ、その死の責任は誰もとってくれない。取らされるだけだ。愚物に
「……」
「それが兵士としての職責や職務に関わるなら、俺は従う。そんな指揮の下に死すのも、職責に含まれているものだから飲み込もう。そういう契約だ。――だがそうでないなら、その義理はない」
一拍置いて、続けた。
「……結果として現れるだろう。戦いになれば。俺か、彼らか。その時生き残る――重要なのはそこだ。そして、俺は彼女を死なせるつもりなどない」
「……」
「職務に関わる命令ならば服従する。そうでないなら……それと彼女の生存とどちらが優位か、そして俺の兵士としての有用性とどちらが優位かという話だ。邪魔をするなら、最悪斬り捨てればいい。俺はそれを得手としている」
言えば、彼の頬が引き攣った気がした。
「……最後のものはジョークだったのだが」
「オマエが言うと笑えねえんだよ、死神グリム……!」
「ならばその悪名の甲斐もあったものだな。邪魔をしたい何者かは、俺でなく貴官に圧力をかけるぐらいなのだから……その怯懦、その邪魔は彼らの職務や深刻な生命の危機に関するものではあるまい。もしそうであれば兵士失格だ」
例えば自分やシンデレラがシュミレーターを使うことが彼らの操縦の腕を左右させ、その生命に深刻な影響を及ぼすというなら考慮すべきだろう。
我が身可愛さ、或いは自らの能力の研鑽というのは大切だが――……そのためにこちらが別の命を押しのけるというのは道理に合わない。
無論だが、そうでもしてまで生き残りたいという誰しもが持つ意思は否定できない。相手のそれは勿論、自分の持つそれも余人には否定できないだろう。
だが、自分に関して言うなら――そうであるなら兵士に志すなという話である。
任務のため、市民のため、仲間のために死ぬことを求められることもある仕事だ。共同体的な面も強い。
それはこの仕事を志した契約の時点でこちらも認知するところだ。
そんな場面にあって――自分勝手では筋が通らない。それは怠慢、或いは職務に対する契約不履行に近い。
しかし、今回彼が自分たちを止めに来たことが職務や生命に関わったものでないなら考慮の必要はない。
くだらぬやっかみでの足の引っ張りというのは私情だ。
ならばこちらが生き残る努力をしたいという私情――そして必要な研鑽を積むべしという兵としての公。
果たして優位であるのはどちらか、という話になる。
「アンタ……何が、言いたいんだ……」
「聞く価値もない言葉を聞く、そんなほど俺は生易しくない。死は生易しくない。死地で己を活かすのは鍛錬だ。妥当性も合理性もない言葉にそこを譲ってやるほど善人ではない、ということだ。……貴官とて、銃口を向けられたときにそう思ったんじゃないか?」
問いかければ、彼は何かを思い出したように喉を鳴らした。
「怖く……ないのかよ……」
「後ろから撃たれることがか? それとも、撃たれそうなときに庇って貰えないことがか?」
「……」
「俺の態度が原因で職務の遂行に問題が生じるならば、職責として是正はしよう。その必要は理解している。だが、そうでないことに関しては――こう言おう」
一度区切り、彼の目を見てハッキリ言った。
「俺は、あらゆる状況に備えている。そのための訓練を積んでいて、そして、今行っているのもその一環だ」
もしも私刑をされるのであれば、こちらは、大憲章に基づいた個人の権利を行使するだけでいいし……。
それ以外は――そんな不確定要素に頼らねば戦果を生み出せないという状況を呼ばぬためにこそ研鑽を積んでいるのだ。
それを発揮する、それだけでいい。
「では、訓練があるので失礼する」
ワンマン・アーミー。
いつであったか、誰かからそう呼ばれた覚えがある。
自分などが恐れ多いとも思うし、社会性も十分にあると認識している。ただ、それでも――。
博愛的な利他性を信条に自己完結した超個人主義者。
自分がやるべきだと思ったことを胸にどこまでも荒野を進める怒りの聖者。
かつての戦友にそう言われた言葉は、自分の中でも、腑に落ちるところであった。
「……なあ」
失礼する、と言って卵型の筐体に入ろうとした自分の背にまた声がかかった。
「どうした、アイアンリング特務中尉」
「コクピットの
「……」
「アンタのあの殺し方は両方とも……相手の力場を見極めてやったと……十回やって十回あれを実現する技なんだと……そんな風にしか……」
自信なさげに語尾が弱くなっていく彼を前に、どうやら彼の自己肯定感はなかなかに損なわれている――と分析する。
よほど例の強奪が堪えたのか。
それとも、職場での排斥による自尊心の低下か。
いずれにせよ彼は、自分の直観すらも信じられない状況にあると――そういうことだろう。
正直、問題だ。自己を否定することは成長には必要だが、しかし、過度のそれはいわゆるスランプというものの引き金になりかねない。
それが続けば、彼はより追い詰められていくだろう。失敗と、焦りと、自分自身に。
言えるとしたら、
「つまり貴官も、見えたのだな。俺が仕掛けた、仕掛けどころというのが」
少なくとも彼の直観は正しい――ということだ。
マイナスGによる殺害は、あれで、繊細なバランスが必要とされる。
例えば敵機の速度を十、こちらを十二とした場合――敵機がすでに十に達している状態で十二をぶつけたとしても、それは差し引き二の分の圧力にしかならない。
かといって敵機が加速する前にぶつけたら、敵機は加速を取りやめてしまうため――やはり本来なら敵機が味わう圧力だった十との差し引きで、二ほどの想定外の圧力になるだけだ。
敵機が加速を決意し、指令――。
そしてそれが実際に発動するまでの間に機体を直撃させ、修正操作が間に合わぬ間に加速してしまう。
そんなタイミングでのみ成立する。
あれは、その手の技であった。言ってしまえばまあ単純だが、行うのはそれなりに難しい。いわゆるエースパイロットへの実行は困難と呼んでいいだろう。
「……いい目を持っているな、貴官は。いいパイロットには不可欠だ」
「オレが……?」
「……? 何かおかしいことを言ったか? 貴官には素質がある――それだけの話だが。流石はこんな部隊に士官学校を出てすぐに配属されるだけはある」
「……!」
正直この部隊、だいぶ内心での評価は低いが。
それでも、【フィッチャーの鳥】というのはエリートには間違いあるまい。
パイロットとしての技能のほかに憲兵としての技能も求められるのだ。……正直どこまで彼らが法学に通じているのかは全くのところ読めない上に信頼感はゼロに近いが。
だが目の前のヘンリー・アイアンリングという男に関して言うなら……。
そのあたりも抜かりなく、実直に、本気で行っているのだろうと――自分はそう評していた。
「心無い声もあると思うが、貴官とて判っている筈だ。そんなもの、戦果でいくらでも取り返せると。……だから、余計に不満か。今の立場が」
「……あんた、
「いや。それなりに軍隊に長くいるだけだ。あの戦争の前からだから……」
「六年だ。……アンタは、六年目だ。士官課程から数えれば十年選手だ。そうだろ?」
「そうだったか。……どうにも自分のことには疎い。感謝する。アイアンリング特務中尉」
この間も購入した食品を冷蔵庫と間違えて冷凍庫に入れてしまうような人間なのだ。
困ったことに。自分は。
まあ、それは兵士としての自分ではない。求められていることではない。
自分にも――そして彼にも求められているものは、そして求めているものは別にあるだろう。
「評価を覆す……そのためにも必要なのは鍛錬で、素養だ。現状を変えたいなら、なおさら努力しかない。……だから人目を気にしながらも、貴官は鍛錬をしているのだろう?」
「……!」
「いつか報われる。俺もそう、信じよう。部下として貴官のその努力を尊重する」
この出会いは悪いものではない。
そう告げるつもりであったが――……彼からの反応は、いささか、予想に反した。
「なあ、アンタ、本当に、あの、グリム・グッドフェロー大尉なんだろ? 凄腕って聞いてる……それにあの戦いを見れば判る。今話して、なおさら判った……」
「それがどうかしたか」
「いや――……」
そして控えめにその口から出された提案に、
「俺は構わないが、貴官は……いいのか?」
問い返してしまう程度には、まだ、自分は彼という男を見誤っていたらしい。
◇ ◆ ◇
公開しての、模擬戦。
アイアンリング中尉が提案してきたのはそんなものだ。
アイアンリング中尉と、シンデレラ。
そして、シンデレラと自分。
自分とアイアンリング中尉。
それがそれぞれ模擬戦を行う。しかも公開で。
その結果は――最早、特段論ずるまでもないだろう。……ある意味では、彼の目論見通りに。
「大尉……頼みがあるんだ。……これからどう叩きのめしてくれても構わない。靴を舐めろと言われたら舐める。犬の真似をしろと言われたらする……どんなことだってする……オレのことを、鍛えて欲しい……アンタに学ばさせてくれ」
「断る理由はない。……いいのか?」
コックピットの中で、天を仰ぐように背もたれにもたれかかったアイアンリング中尉は、その腕で額を隠しながらそう提案してきた。
汗がひどいとタオルを差し出そうとしたが、彼は受け取ろうともせずに何かを仰ぎ見るかの如く額を天井へと向けている。
……酷いありさまだった。
存分に切り刻んだ。
ただの一発も被弾することなく、機体を交換したうえで彼を叩きのめした。圧倒的に――本当に殺すつもりで行った。制限はしていたが、危ない技もあった。
シンデレラも同様だ。
これまでの憤懣もあったのだろう。彼を酷く叩きのめした。
彼女とて、まるでアイアンリング中尉を敵にすらしなかったのだ。仮にもあれだけの訓練を果たしていた彼を。
だが、それでも彼は言うのだ。
「……いいんだ。強くなれるんなら、オレはなんだってしてやる」
腕に隠されてしまってその瞳はうかがえないが――どこか晴れ晴れとした様子ながらも、心底の悔恨を漏らす。
「ガキより先に放り出されて、そのガキに守って貰ってた時点で恥も何もないんだよ……オレは」
なるほどな、とそこで合点がいった。
反骨心はありそうな男だったし、職場でのあんな扱いは一般には心に堪えるだろうが……。
それにしても何故ああまでも自分の目が信じられなくなってしまっていたのか――自己肯定感がなくなってしまっていたのか――は、そこに帰結したらしい。
つまりは。
民間人の少女に助けられたことが、彼なりに軍人であろうとしたそれまでを崩してしまったのだろう。ヘンリー・アイアンリングという男を。
「これからも、鍛えてくれ。大尉。戦いの上で、指揮権はアンタに渡す。あれだけやられれば、もう誰だって文句は言わないだろう。オレなんかじゃなくてアンタが指揮権を持つべきだって……」
新型機を駆るシンデレラへの一方的な敗北により、既存機では新型機への対抗が難しいと示し――。
そして自分とシンデレラの戦いで、うぬぼれではないが仮にも撃墜数九位の男ですら新型機にはてこずると示し――。
そして、自分に打ちのめされることで――どちらがより実力が上かを示す。
周囲に向けて。
彼が泥をかぶることと引き換えに。
それが、ヘンリー・アイアンリングという男が行った提案だった。
「代わりに……アンタの背中を追う。……頼む。オレを強くしてくれ。誰よりも強く」
「……いや、レッドフード――彼女がいる以上、その期待に答えるのは難しいと思うが……」
「そこは嘘でも二つ返事で受けないのか!? 気の利かない男なんだな、随分と!」
「正確な情報伝達を心がけている。兵士としてな」
「このナチュラルボーンソルジャーが! それ以外アンタにはないのか!?」
「あるが、兵士として仕事をしているうちは俺は兵士だ。職務に専念する義務がある。プライベートと仕事は分ける主義なんだ」
公私の別をつけることが、善き社会人であり仕事人、そして軍人だろう。
そのうえで、
「ただ、俺にできることはしよう。貴官の期待に応えると、約束する。……強くなれる。貴官は」
疲労感に包まれて動けない彼へと右手を差し出し、コックピットから引き上げる。
今更ここにきて、この男に対する悪印象などは己の中には存在しない。
自らを定め、律しようとするもの――それに敬意を払わないほど、自分という人間は非情な生き物ではないのだ。
「ああ、頼むよ、ハンス・グリム・グッドフェロー大尉。……士官学校に入る前からアンタを知ってたんだ。雑誌の記事だって何度も読み返した。レッドフードと同じ、あの【
「ああ。こちらも貴官が礼儀を弁えている男でよかった。嬉しく思う。後ろから斬らなくて済む」
「――――――な、」
「……いや、ジョークだが。俺に背中から撃つ趣味はない」
ちょっと距離を縮めようかと思ったんだが、
「わかりにくいんだよ、アンタ! 笑えねえことをっ!」
駄目だったらしい。すさまじく否定されてしまった。残念だ。
そしてそんな彼に肩を貸して、機体の下までともにタラップを降りる。
酸素吸入ボンベを渡せば、数度呼吸して――もう助けはいらないとばかりに歩き出した。
……意地があるのだろう。
そういう男なのだろう、ヘンリーという男は。
自分も負けてはいられないな、と歩き出そうとしたときだった。
「……随分と楽しそうですね、大尉。ボクのことを放り出して。こっちは勝ったのに。……勝ったのに。ボクが」
「どうした?」
「別に……大尉が悪い大人なんだって思っただけです。大尉、本当に酷い人です。悪い大人です」
「……規範的な人間だと思うが」
「そういうとぼけてるところも悪い大人です。……人の気も知らないで。最低ですよ、そういう大尉」
「……」
「酷い人ですよ、大尉は。ボクにあんなに構っておいて……今度は急に放り出して。そういうの、本当の本当に最低です。……子供扱いするなら、判ってくださいよ。されても、我慢しますから」
……ああ。
親からあまり十分に構われなかった彼女のトラウマを踏んでしまったらしい。
「……ああ、そうか、すまない。すまないシンデレラ……貴官を蔑ろにしたつもりはなかったが……二度とやらない」
「……本当ですね? わたし、大尉のことを信じていいんですよね?」
「ああ。……もし今まで俺が君との約束を破っていたというなら――俺のことはもう、信じてくれなくてもいい」
「……だから、言い方がズルい。ズルいんです。そういうの。嫌いです。嫌い」
また、顔を背けられてしまった。
……が、多分、深刻には嫌われてはいないだろう。そう信じよう。そう信じたいともう。多分大丈夫だ。自分は嫌われていない。おそらく。
「おい、二人とも何してるんだ! いくぞ! 考えるんだよ、次の訓練の内容を!」
先に歩き出していたヘンリーからの大声が届く。
これが――自分と彼女と彼の【フィッチャーの鳥】で過ごす一日目のことだった。
……いずれあんな結末を迎えるにしても。
悪いものではなかったのだと、思いたかった。
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