第10話 合流、或いはブートキャンプ


 ――アーセナル・コマンド。

 地上に降り注いだガンジリウム製自由落下型運動エネルギー弾兵器を利用した合金製装甲及び同ガンジリウムの流体を循環させる血脈型流体パイプによる《仮想装甲ゴーテル》の発明。

 戦略的機動性と装甲性を両立させた超強襲型兵器、まさしく圧倒的な火薬庫アーセナルにして単身破壊工作を行う特殊部隊コマンド――衛星軌道都市サテライトへマスドライバー支援を行う海上遊弋都市フロートへの強襲を目的に開発された。


 第一世代の特徴は、その強襲性と装甲性。

 大容量ジェネレーターという内核コアを外殻で装甲アーマー化させたとも言うべき代物で、あくまでも主眼は戦略的機動性とそれに見合わぬ装甲であり、敵の防衛ラインを単身突破し敵後部へ浸透。そして、弾をばら撒けるだけばら撒いて拠点を破壊/制圧することが主眼だった。

 必然その速度は、通常兵器への十分な対応が求められるだけであり、今日のような高速機動戦闘を主とした兵器には仕上がっていない。


 第二世代型の特徴は、その機動性と敏捷性。

 さすがの《仮想装甲ゴーテル》と言えども、敵防衛火力による飽和的火力攻撃に対応することはできず、その《仮想装甲ゴーテル》故に機体損傷が少ない状態で鹵獲されるという事態が発生。

 これらを鹵獲した海上遊弋都市フロート・及び豊富なガンジリウム資源を持つ衛星軌道都市サテライトにより独自のアーセナル・コマンドが開発。

 戦場の主体は、防衛ラインを突破してくるアーセナル・コマンドとアーセナル・コマンドの戦いに推移していった。

 特徴としては現在もその象徴となる慣性を無視するような高出力加速バトルブーストの実装。

 これによりアーセナル・コマンドは、既存の兵器に対しての絶対的な優位性を得ることになる。

 ……なお、その第二世代型の雛形にして傑作機の開発にはレッドフード――メイジー・ブランシェットの父ブランシェット博士が関わっている。


 第三世代型はジェネレーターの大型化・高性能化及び量産性の両立。

 あの【星の銀貨シュテルンターラー】戦争の中後期には開発が推し進められており、最大の特徴はそれまで――傑作機狼狩人ウルフハンターを除き――近接ブレードにのみ許されていたプラズマ兵器の運用と機動戦闘を両立させた点。

 なおプラズマ兵器の大気圏下での減衰・拡散してしまう問題に関しては、飛翔体の中核にガンジリウム合金の弾頭を用意し力場を使用することで押しとどめることで解決している。

 力場の制御系を組み込んだ弾体という中核コアをプラズマで装甲アーマー化した武装、と言ってもいいかもしれない。

 しかしこの弾頭ではコストが大きくかかってしまうため、地上ほどの減衰のない真空――宇宙空間においては、プラズマそのものを撃ち出す兵器になっている。


 そして、第四世代型というのは――


(……小アジアアナトリアのことを、思い出す気持ちだな。新型兵器というのは)


 機体にかかる加速度の反動を受けながら、妙な気分を味わう。

 メイジー・ブランシェットが駆る狼狩人ウルフハンター。その起動を目の当たりにしたのもこんな晴天の日だっただろうか。

 自分はそのとき、戦闘機パイロットから流れる形で第一世代型アーセナル・コマンドを駆る駆動者リンカーとして任務に赴いていた。


 対アーセナル・コマンドを想定していない機体での、アーセナル・コマンドとの戦闘。秘密裏の兵器開発工場を襲撃してきた敵に対する市街地防衛戦。

 その中で颯爽と現れ、敵機を撃破していった例の赤いフード付きの機体は目に焼き付いている。

 自分はそこから、また別の戦場へと場を移すことになった。

 おそらく彼女はその日のことなど記憶にないだろうが――……と思っていたが、その後戦場での邂逅を果たした際にその言及をされたのは存外の驚きだった。

 律儀なものだ。

 いくら彼女の故郷と言えども、街を守り切ることもできず、機体を半壊させていたたかが一兵士に。



 あの日から、随分と兵器も進化を重ねた。

 目まぐるしく移り変わっていく景色の中の白い機影――【ホワイトスワン】。

 全体的に細身のシルエット。特にその両足と腰は、本当に直立可能な兵器であるのかさえ怪しくなる。

 反面、それ以外は豊かだ。

 羽が広がるような腰部のスカートと、翼を広げるように左右へ突き出した増設ブースター。

 さらに大出力化されたジェネレーターにより電力の保証がされた背部と右腕部のレールガン。

 左手には増加装甲兼用の菱形のプラズマブレード発信装置。

 高火力・高機動を両立させている機体だった。


 奥歯を噛みしめ――再加速。

 市街地戦闘の影響で大破した機体は、同じく市街地戦闘の功績か、どうやら優先的に別の【コマンド・レイヴン】の配備を叶えられたらしい。

 空を駆ける大鴉レイヴンの鋼の翼は、この手に与えられていた。

 加速度がもたらす肉体に降りかかる疑似的な重力に抗いながら、銃鉄色ガンメタルの機体を制御し、ブレードを抜き放つ。


「どうした、シンデレラ――その機体の特性はそんなものか」

「そんなわけ……ッ!」


 とっさに左腕で応じようとした【ホワイトスワン】を前に、フェイントめいた直角回避機動。

 即座に返す刀で、すれ違いざまにその背部を切り裂く――無論、実際は訓練でありモニターにのみ撃墜が表示される形だが。


「こちらは君の機体を仮想敵機として戦闘に備えるしかない。その自覚はあるか」

「そんな言い方しなくたって……わかってますよ! それぐらい!」

「わかっているか。そうか。だが――」


 再度の戦闘機動。

 レールガンの照準を待ち、引き付けて回避――そして。


「反応が遅い」


 再び、その機体を切り刻む。

 頭上から股下まで。そのレールガンごと。パイロットは即死だろう。


 第四世代型のもう一つの特徴が、《仮想装甲ゴーテル》の有機的運用だ。

 如何な力場と言えども運動エネルギーや同じ力場の干渉による突破など、その装甲を引きはがす方法はある。特に狼狩人ウルフハンターが利用していたプラズマ兵器など、いわばブレードの発射にも等しい機構だ。

 これらを前にしたとき、さしもの《仮想装甲ゴーテル》と言えども万全な防御とはいかない。

 そこで第四世代型は末端部への装甲の削減や待機時の力場の節約などを行い、機体の電力容量を確保。

 その上で飛来する飛翔体に対して後発的に力場を高める――という形での対処を行う、らしい。


「当たり前じゃないですか! 大尉は何年も乗ってて――しかもエースで! それがこんな! 見せ付けるように戦って、嬉しいんですか! 大尉は!」

「嬉しい訳がないだろう! こんなことが!」

「……ッ」

「……本音を言えば、君を戦いに連れて行きたくない。命令がどうあれ、兵には良心的兵役拒否が可能だ。それは作戦の中でも――……俺が使う気はない。だが……」


 彼女は、出された提案を飲んだ。

 家庭を顧みなかった父への恨み言を吐きながら、それでもその父の救出に赴くと決意した。

 なんと尊い決意だろうか。悲しく、尊い決意だろうか。

 絶対に死なせたくない――その想いが今の自分を支配していた。だからこそ、自分にできることは一つしかない。


「戦うというなら、俺は容赦しない。そしてそれは、敵も同じだ」

「……わかってますよ、そんなの」

「ああ、そうだと信じたい。だから――この場で叩き込む。敵の動きを。全て。君はこれに応えなければならない」

「そうやって、認めさせろって言うんですか……力づくで……! こんなやり方で……!」

「それが俺の持つ、最大の力だ。君は嫌だろうが……君がこれから赴くところは、そういう場所なんだ。そんな場所に身体を向かわせても、精神までは向かわせない。そのための訓練だ」


 戦場に心を捉えられてしまった兵士は幾人も見た。

 戦火が故で、或いは戦場における匿名性の暴力の被害で心が壊れてしまった民間人も幾人も見た。

 彼ら彼女らは、普通の人間だった。目の前のシンデレラ・グレイマンと変わらない普通の人間だった。そんな彼らの日常は、精神は、狂った時代のうねりに呑み込まれていったのだ。

 ――……させない。そう思う。

 させない。これ以上はさせない。自分で終わればいい。自分たちで終わればいい。これ以上、この世にそんな悪徳と非道がはびこることがあってはならない。

 人の心が悲しみにとらわれるなど、怒りに飲まれるなど、そんな無常があっていいはずがない。

 だからこそ――備えるしかない。


「来い、シンデレラ・グレイマン。――基礎的な戦闘訓練、促成訓練は行った。シュミレーターの成績も良い。君には素質がある。俺は、評価している」

「そんな……ご機嫌取りみたいに褒められても……」

「単なる事実の評価だ。機嫌を取れるほど、俺は器用ではない」


 器用な男ではない。

 その改善に努めようとはしているが――今は及ばない。まだ届かない。

 故に、


「その上で、力を示してくれ。俺に認めさせてくれ」

「そんなの……言われなくても……してみせますよ……!」

「ああ、できると信じている。――状況開始」


 大鴉レイヴン白鳥スワンを攻め立てる。

 雷めいた軌跡で、疾風めいた速度で、音すらも置き去りに大鴉レイヴンは飛翔する。

 まさしく魔剣か。

 敵の照準を振り切り、敵を断ち切る――そのための戦闘機動。


「めそめそと惨めがってくれたところで、返されるのは銃口だけだ! 敵は待たない! 殺せる相手だけがその決定権を持つ! うずくまる豚になりたいか、立ち上がる狼になりたいか! それは貴官の意思一つだ!」


 しながら、叫ぶ。


「わかっている! 戦いたくなどないということは! こんなことをしたくないということは! 誰かに守ってほしいというのは! だが――」


 再加速。

 切り返したままに、機体はトップスピードで打ちだされる。


「俺が君を死なせない! 君も死なない努力を磨け! 俺の力全てで君を生かす――いいか、死ぬな! こんなところで死なないと歯を食い縛る力が原動力になる! 帰るんだ! 君は! 全てが終わって! 終わったあとも!」


 断つ。

 断ち切る。

 すべて断つ。

 余さず断つ。

 敵の視線も照準も殺意も射線も害意も生命も――――その何一つ、ことごとくを断つ。


「そのための全てを俺は行う! 最低限の心構えだ! 軍人になれとは言わない! 人を殺せとも言わない! だが、自分を生き残らせる努力を欠かすな! 君ならば、その素質があれば――できる! 君は得難い力がある! 自分を守れ! 命を! 心を!」


 直線的な機動の組み合わせで白鳥を翻弄しながら、黒き刃で空を断つ。


「あとは全て俺が引き受ける――――俺はそのためだけに存在する! 生き残る覚悟だけを、示せ! シンデレラ・グレイマン!」


 どうか君のその悲しみも――断てると信じて。

 プラズマ刃という光の翼をはためかせた大鴉レイヴンは、白鳥スワンの機体を攻め立てた。



 戦闘機動訓練が終われば、待っているのは一つ。

 自分たちは兵士だ。ならば必然、一つしかない。


「機体の機動に耐えるのは体力だ! 結局は全て体力だ! 兵隊は体力だ! 走れ! さあ、走れ!」

「そんなっ……大声で言われなくても……っ、わかってますよ……! それにボクは……っ、兵隊なんかじゃ……!」


 金色のポニーテールが、上下する体に応じて揺れる。

 頭の後ろで金髪をまとめた、息も絶え絶えのシンデレラの隣を並走する。

 ジャージに着替えた彼女の横で、こちらはパイロットスーツで。

 撃墜された機体から脱出し、基地まで徒歩で戻るということも想定している。

 ウェイトトレーニングを含むフィジカルトレーニング。それが結局、高機動戦闘を続けていくための体力に――生きるための底力になるのだ。


「そうだったな。訂正する。だが――走る距離は変わらん。もう少し可愛がってやろう。俺は得意だ。しごき倒すのはな。足腰が立たなくなるまで楽しもうか」

「いやらしい言い方……しないでくださいよおっ……大尉の唇で、そんなのぉ……! いやらしいっ……! いやらしいですっ……! いやらしいっ……! ハラスメントです……!」

「失礼した。……だが、まだ余裕はあるか。上等だ。かけ声もつけよう。さあ。楽しもうじゃないか、身体の悲鳴を。たっぷりと可愛がってやる」


 走るのが終われば、待っているのは別のトレーニングだ。

 体のケアが一応できたのを見届けてからの腕立て伏せ。

 理由はある。これは体力錬成ではなく、どちらかというなら、精神鍛錬だ。回数も十回というものに設定した。

 だが――


「五、六、七、八……! 九……九.一……九.二……」

「十回までって……言ったのにぃ……! ズルい……騙した……!」

「十数えるまで、と俺は言った。そして、それはまだだ。九.二……九.三……九.四……」


 小数点以下の数字を刻む。

 二十回やれと言われるのと、十回やれと言われてそこから増えるの。

 前者ができる人間も後者が堪えるのは、それが、精神力への揺さぶりということだ。


「九.七……九.八……九.九……――そして九.九一」


 グシャと、シンデレラが崩れ落ちた。小数点第二位のカウント――それで精神が先に限界が来たらしい。

 目的通りだ。こいつはキく。自分もかつてやられたのだから。


「どうした。次は九.九一回目だ。続けろ。君は果たさねばならない」


 言いながら、腕立ての姿勢のまま彼女を待つ。

 正直なところ、これが一番辛い。腕立てをするよりもつらい。本当につらい。五分もすれば全身から汗が吹き出し始める。

 だが――率先垂範だ。

 上官は、命ずるからには部下と同じことをできなければならない。専門的な分野に関しては構わない。だがそうでないことは彼らより積極的に。或いはそれ以上に。

 そうして彼女を待つこと、どれだけだったろうか。

 地に這いつくばり、頬を無様に土に塗れさせながらも消えぬ反骨の目――闘志。


「よくやった、シンデレラ。頑張ったな」


 手を差し出そうとしたら、ぷいと顔を背けられてしまった。

 しごきすぎて嫌われたのか、汗臭かったのか。両方か。

 ……残念な気持ちになったが、まあいい。自分がすべきなのは職務に影響しない範囲内で彼女に嫌われず、そして、彼女を生かすことだ。


 そんな訓練を見かねたのか。


「先輩……あれはちょっとこう……やりすぎじゃないですかー?」

「オーバーワークにならないようには管理している」

「そうじゃなくて、こう、気持ちとか……色々……」

「その辺りのケアを、同じ部下同士で分かち合って貰えればありがたいと思う。憎まれ役の上官だ。……そうした方が連帯感が生まれる。そういうことも、ある」

「ですけど……」


 同じ女性としてか、ローズレッド少尉には思うところがあるらしい。

 異性である自分では気づけぬ点か。

 本来ならば、同性である彼女に教官を務めてほしいところではあったが――彼女とてまた訓練を積むべき立場、育成されるべき立場なのだ。


「……すまない。貴官たちも、パイロットとして始めたばかりだというのに。この負担は、申し訳ない」

「それは別に……」

「ただ、民間人を引き入れられた。それが上の決定だ。……上申はするが、備えることは続けたい。俺は、俺にできることをする。すまないが、貴官にもそのフォローを頼みたい」


 そうしてシンデレラの部隊所属。

 そして出向し、いずれ補足できた敵への追撃を行うまでの日々を過ごすことになった。

 急ごしらえの錬成。

 最低限の、軍隊的な素養を身に着けさせるのだ。


 だが……


「……その、年頃の少女との接し方に悩んでいる」


 なんていうか、しんどい。

 巻き込まれてしまった少女にここまでやる必要はあるのだろうか。

 結局シンデレラの面倒を見てもらう必要もなくなって、酒の約束も立ち消えた――はずのマーシュに付き合ってもらっている。

 実のところ、彼女は未成年だ。

 法的に許可された飲酒可能年齢ではあるが、体への影響をおもんばかってかあまり飲もうとはしない。

 こちらが一方的に管を巻くようになってしまうのは正直心苦しい。それでもいい、と誘いに応じてくれたが……


「そ。貴方の目の前にいるこれも年頃の少女だけど。……それとも、色男の大尉さんにはそういう年齢には見えない?」

「マーシュ、その、何か棘がある……と思う」

「綺麗な薔薇にはある、とよく言われるわね。どうかしら、貴方にとって私はそう?」


 どことなくとげとげしい彼女が、こちらの顎に人差し指を添わせてくる。

 こそばゆい。

 だがそれも気にならないほど疲労がたまっている。精神的な疲労が。


「……俺に部下を持つのは向いてない気がする」


 ゴンと、額をカウンターに押し付ける。

 最低限の兵隊の土台を作られたフェレナンドやエルゼとは違う。文字通りの一から、最初からの素養づくりに努めなければならない。

 どころか――……如何に自分が彼らという部下に恵まれていたのか分かった。

 自分のような人間は自分一人が手いっぱいで、他人の育成などできやしないのかもしれない。

 いつだか子供が生まれたらよい父親になるだろうと言ってくれたマーシュへ、横目でフォローを求める気持ちだったが、


「そうね。……だから碌に恋人だってできやしないの、貴方は」


 彼女は辛辣だった。いつも通りに。呆れたような半眼で。

 そのまま、持ち手の細いグラスを煽る。一枚の絵画のようだなと思った。



 ◇ ◆ ◇



 そんな日を送って何日が立っただろうか。

 襲撃の際の、その日の経緯をまとめた報告書の作成。

 それをまとめるのに時間がかかったと、すっかり暗くなってしまった基地から退勤しようとしているときだった。


「あ」

「……む」


 髪を運動のためにまとめてその小柄をジャージに詰め込んだ、かわいらしい姿のシンデレラと顔を合わせたのは。


「自主練習か。感心だ」

「……誰かさんが、体力が必要っていうからです」

「そうだな。色々と体感したが、結局は体力勝負だ」


 常に訓練をかかさなければ、そして適切かつ機能的な休息をとっていれば生存率に影響する。

 おそらくあまり他人に物を教えることができないハンス・グリム・グッドフェローというつまらない男の人生教訓だ。


「心がけは嬉しい。ただ、オーバーワークにはならないように」

「そんなの……言われてもわかりませんよ、こっちは……素人なんですから……」

「そう思って、まとめた。課業外で行うとしたらこれが限度だろう。必要な訓練は、必要な時間にやってる」

「なら、先に言ったらどうですか……そういうの……」


 見やすいように図解もしてあるレポートを手渡せば、シンデレラは口を尖らせた。

 ……確かにそこは自分の不徳だったと思う。

 計算では彼女はまだ課業外のトレーニングにいそしめるだけの気力や体力が残らないものだと思っていたが――そこを見誤っていたのだろう。

 ガッツがある。そんな少女なのだ、彼女は。

 そしてそれは、兵隊にとっての最大の賛辞であり最高の素質だ。


「そうだな……それは本当に申し訳ない。ただ、君のそういう姿勢を嬉しく思う」

「なんですか、急に……あんなに罵っておいて……」

「すまなかった。……正直なところ、俺も、民間人の部下を持つ経験が十分とは言えない。どうしたってあんなやり方になってしまう」


 兵隊を作ることは人格を漂白することに等しい――一種の洗脳だ。

 そう言ったのはどこかの社会学者か、反戦活動家か。

 だが、その意見は正しいと思っていた。

 誰のそれまでの人生にも価値を見出さず、等しく無価値だと断じる。究極的な公平さ。人の持つ劣等感や優越感をことごとくに無にして作り出す究極の形而上学的な「ヒト」。

 軍隊は、均等的・平均的であることを求められる。足並みを揃えることが、近代的な兵士としての最も基本的に要求されることなのだ。その後、特技によって分かれるにしても。

 個性や特徴や長所短所ある多くの人間を集めてそれでもその平均的な理想像を作る――そのための作業が、この、軍隊的な振る舞いだった。

 近代的な軍隊は、それを是としている。


「君が優しい子だとはわかっている。出会ったときも、そうだった。君は自分より弱い人のために立ち上がろうとした。……それは尊いことだと思う」

「なんですか、急に……」

……俺はそう思う。思うが同時に、こうも思う」

「……」

「そんな気持ちだけでは、君はいつか潰れてしまう。……慣れろとは言わない。押し殺せとも言わない。ただ、そんな気持ちを大切に箱にしまって……いずれまた開けるための心の備えを作る。そういう訓練だと、思ってほしい。辛いとは思うが……」


 彼女の行く末を知っている人間としては、必要以上に案じてしまっているのだろう。


「それは……いいんですよ。大尉が本気だって……わたしに本気で向き合ってくれてるんだって……わかりますから……」


 言いながら、その唇には不満が浮いている。

 ……無理もないと思う。

 彼女は庇護を求めていた。親から十分に受け取れなかったそれを。おそらく、グリム・グッドフェローにおとぎ話の騎士のようなものを期待していた。

 だが、自分は聖剣を携える騎士にはなれない。あくまでもただの人殺しの兵士にしか過ぎない。

 それでも、そんな自分に対してこうして言葉を選んでくれるなど、


「そうか。……君は、本当に優しいな」

「別に……そういう大尉はズルい大人です。嫌いです、そういう大尉は」


 呟けば、顔を背けられた。……どうやらやはり嫌われてしまったようだ。

 どうにも自分は人に嫌われる才能に溢れているのか。

 周りが優しいために決して輪に溶け込めていないということもないと思うが……マーシュにしろ、今のシンデレラにしろ、目も合わせてくれなくなることがある。

 そのあたりも要改善だろうな――と思いつつ、


(ならばズルい大人として、部下の機嫌を取っておかないとな)


 くしゅっと控えめなくしゃみをした彼女へ、誘いをかけた。


「身体を冷やすのは良くないな。……少し、温かいものでも飲みにいこう」

「……こんな格好でなんて、無理ですよ。汗、掻いちゃってますし……」

「大丈夫だ。俺の執務室だから心配はない。他の人の目もないから、安心してくれて――」

「もっと無理ですっ! 大尉は馬鹿ですっ! 大尉は! 大馬鹿ですよっ、貴方は! 非常識なんですっ、大尉はっ!」


 なんで?



 ◇ ◆ ◇



 そして幾日にもなる戦闘機動訓練。

 白い鳥は、黒い鴉のコックピットについに照準を果たす――撃墜判定。

 モニターの向こうで、声を上げるシンデレラの嬉しそうな顔。


「――ああ、よくやった。シンデレラ」


 頷けば、ノーフェイス2・ノーフェイス3と機体越しに体を寄せ合って喜びを分かち合う彼ら。

 随分と絆も深まったらしい。エルゼやフェレナンドには感謝しかない。

 嫌われ者の上官と、苦労を分かち合う部下――そんな古くから続く伝統の形のおかげだろうか。いや、彼らの努力と優しい心根によるものだろう。

 懸念していた部下同士の衝突も、持ち前の明るさでフェレナンドがどうにかしてくれた。

 ひょっとして彼が例の乙女ゲーの攻略対象なのでは?と思うかみ合わせだ。いい意味でおおらかで明るいフェレナンドは、シンデレラの人間不信気味な刺々しさの前でも有効に働く。

 いっそ二人が恋仲になるのもいいかもしれないな――と思いつつそれとなくエルゼに話を振ってみたら、ものすごい拒絶を受けた。


 ……ひょっとしてエルゼはフェレナンドのことが好きなんだろうか。


 自分は頭がいいのでそう察した。士官には相応の対人関係能力も求められるし、士官学校に入るにはそれなりの頭脳的な素養も必要がある。つまりまあ、一般的には頭がいい部類なのだ。自分は。

 そんな生暖かい目線を向けていたら、ものすごい手の付けられない馬鹿を見るような目で見られた。解せない。

 恥ずかしかったのだろうか。意外にも素直ではないタイプなのだろうか。

 だがまあ、自分にも経験がある。

 あちらの世界は……遠いが、こちらの世界でもまあ初恋というのはあった。知人の母親だったというのがなんとも救えない話だが、いわゆる美魔女のようなものなのでむしろ自分が被害者だろう。

 いや、前世も加味した精神年齢的には何ら問題がないはずなのだが――……前にも言ったかもしれないがこの精神年齢とやら、随分と肉体の影響も受ける。

 そういう意味で、本当の少年のようにあれは文字通りのだった。そう思う。


(まあ、そんな彼女も友人一家ごとまとめて吹き飛んだのが戦争の恐ろしいところだ)


 改めて、自分の命があることに感謝するほかない。

 そして、笑い合う彼らの命があることにも。

 ならばまあ、やることは一つだ。彼らの誰も死なせないための訓練だ。


「さて。ではいよいよ三機でシンデレラの【ホワイトスワン】を仮想敵として戦いたいと思うが――」


 喜び合う彼らへ、そう通信を入れたら。


「……大尉、そのジョークはマジ笑えねえっス」

「……人の心とかないんですか、先輩?」

「……大尉がやれって言うなら、やりますよ。わたしは」


 非難轟々だった。

 ……もう少し待てばよかっただろうか。失敗した。




 そして、自分と彼女は廊下を歩く。基地の廊下を。これからへの死出の旅となる廊下を。

 だとしてやることは変わらない。

 自分は、有用性を発揮する。

 彼女は、生き残る。

 そのための戦いだ。それ以外は、全て、雑音にしか過ぎない。


「大尉……その」

「ああ。約束は果たす。君を守る。必ず」


 黒い軍服を纏ったシンデレラが不安そうに見上げてくるのを頷いて返す。

 こちらの制服は間に合わなかった。

 各地から選抜的に兵を集める【フィッチャーの鳥】はそのあたりの装備関係も充実しているのか、彼女の体格に見合う服もあった。

 ダブルのスーツのように金ボタンが腹のあたりについた黒い上衣。黒のベレー帽。そして白いズボン。

 ズボンを除けば、彼女が今まで纏っていたブレザーとそう変わらない。

 よく似合っていると思う。客観的に可愛らしいと言えるだろう。

 だからこそ男所帯、ましてや風紀に問題がある【フィッチャーの鳥】での懸念事項もある。


「言っておくが、軍人が従わねばならない命令は、職務に関することだけだ。……ハラスメントがあれば言ってくれ。俺の方でも監視はするが……」

「大尉以上のハラスメントなんて、ありませんよ。……守ってくれるって言ったのに、あんな言葉をかけてくるなんて」

「……む」


 口を尖らせたような物言いだが、よく見れば彼女は悪戯げだった。


「大人をからかうものじゃない、シンデレラ」

「大尉に玩ばれたから、おあいこだと思います。……あんなにいやらしいこと言って。それも耳元で。……わたしが一体どんな気持ちになったと思うんですか? ハラスメントですよ?」

「そういう言い方はよせ。兵が見てる」


 ナチュラルボーン女性の大敵セクハラ大尉は割と嫌な称号だ。

 クソボケ大尉とマーシュとの話を聞かれたエルゼに呼ばれたことはあっても、セクハラ大尉と呼ばれたことはない。

 なんて雑談はさておき、自分とシンデレラは――いよいよ足を踏み入れることになる。


「――グリム・グッドフェロー大尉、並びにシンデレラ・グレイマン准尉。入ります」


 のちに【ホワイト・スノウ】戦役と名付けられる戦い。

 その表舞台に。

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