第9話 徴用、或いは良心的軍人

 事件の事情聴取が終わり解放されたのは未明も過ぎてからのことだった。

 その翌日も、聴取。

 唯一の敵機との交戦者であり、生き残りである自分に対しての扱いは推して知るべきだろう。

 観閲式前の都市を襲撃され、あまつさえの新型機を不明武装勢力に目の前でまんまと奪取された。……追撃も交戦もすることもなく。

 正直な話、何らかの懲戒処分も覚悟していた。

 だが、そう問いかけてみると監察官は首を振った――〈非武装で敵機を撃破し、街を救った英雄に処分なんてありえませんよ〉〈むしろ勲章が出るのではないかという話です〉。


 馬鹿げているとも思い、そんなものかとも思った。

 勲章が与えられるとしたら、第二世代型で真っ先に現場に駆けつけ抵抗した彼らだろう。

 あの一方的な惨状。調査の結果、彼らは一発足りともその武器を放つことなく撃破されていたらしい。

 撃てなかったのだ。まだ避難の間に合わぬ市街で。

 それなのに彼らは出撃し、散っていった。

 職務に殉じた。市民の命に、弱者の命に殉じた。

 真に尊ばれるべきは、その精神だ。彼らこそが英雄だった。


 生き残り、敵機を撃破しなければその行動に価値はないというのだろうか。

 偶然にも素質があり、偶然にも努力できる時間があり、偶然にもその努力に応えるだけの身体を手に入れた。

 自分はただそれだけだ。

 運良く生き残った、ただそれだけだ。

 ……彼らのその尊く清らかな心意気や、気高い思いこそが、真に得難いものなのだ。


 どうか――と、祈る。

 自分も彼らのようにあれるだろうか。我が身を盾にし、死するその最期の瞬間まで市民を案じた彼らのように。

 この世で最も気高い精神のように。

 何か起きると知っているから運良く備えられているだけの、しかしそれでも今回のように間に合わなかった自分が――……なれるだろうか。そうも気高く。


 どうか、と祈ってやまない。

 全ての鍛錬はそのためにある。逃げ出したくなるその中でも、逃げ出さない自分でいられるためにある。

 全ての服従はそのためにある。ありとあらゆる秩序に従うことは、逃げ出してしまうかもしれない己を律するためにある。

 全ての即応はそのためにある。一つの声も聞き漏らさず、彼らのようにその味方として手を伸ばせるためにある。


 どうか――……。


 生者が死者の渡る橋を作る。

 死者には何もできず、ただ、生者がその在り方に名前をつけるしかない。

 死者はもう笑わない。

 笑えない。


 どうか――……

 力無き人を守るための、その義務を。






 死なせたく、なかった。



 ◇ ◆ ◇



 午前の分の聴取が終わり、自分の足は格納庫へと赴いていた。

 かまぼこ型ドーム屋根の下、剥き出しのコンクリート床。

 視線の先で架台にかけられた銃鉄色ガンメタルの人型機械――嘴めいて胸郭上部が突き出した【コマンド・レイヴン】。

 その右膝から下は砕け散って失われており、弾丸を受け止め続けた両腕は機体想定を外れた速度も合わせて、骨材までをも剥き出しにしていた。

 満身創痍。

 そうとしか呼べぬ有様だった。


「すまない。その、新型機だというのに……」

「全く、ホントだぜ大尉サンよ。いいかい? アーセナル・コマンドは兵器だが、つまりはある程度精密機器でもあるんだぜ? それをこんな使い方されちまったら……」

「……」

「衝撃でフレームがおしゃかになってるかもしれねえ。どっかの血脈型流体回路が壊れてるかもしれねえ……こんなもん、足くっつけてハイどうぞなんていかんだろ。こりゃ、オーバーホールだ。メーカーに突っ返すべきかもしれん」

「……すまない。本当に」


 整備兵たちに指示を出していた整備班長が、ベルトに手拭いを指しながらそうぼやいた。

 言うとおり、自分の責任だ。

 訓練とはいえ、格納型エネルギーブレードの一つでも搭載しておけばよかった。万が一の誤作動の危険も加味して全ての殺傷性を遠ざけたが、完全にその怠慢だった。

 全てに備えると言いながら、その実、自分には足りていなかったのだ。

 特に今回は、前回の【星の銀貨シュテルンターラー】戦争とは違う。名もなき兵故に画面に映らず、その戦闘の詳細も不明だった以前とは違う。

 ……明確に自分の失態だった。


「……ただ、聞いてるよ。民間人の盾になったんだって、大尉サン? それでこうなられちゃ……まあ、叱るわけにもいかんだろうが。むしろこいつのことを褒めてやりたいぐらいだ。大尉サンと、そいつらの命を守ったんだからな」

「ああ。……いい機体だ。貴官たちが仕上げてくれたこの機体は、いい機体だった。俺は搭乗者であれたことを嬉しく思う。……義務を果たせた」

「……そんな顔されちまったら怒るに怒れねえだろが。ったく、女の前でやるんじゃねえぞ大尉サン。普段が普段なだけにあんたのそれは毒だぜ。強い男の寂しい顔は、駄目だ」

「……? 了解した」


 気のいい人たちだった。

 仕事を増やしたと怒られても仕方ないというのに――……こんな自分にさえ、優しい人たちだ。

 その彼らの顔を一つ一つ眺めて、改めて小さく頷いた。

 すべきことをしなければ。

 自分にできることは、それしかないのだ。


 そう思い、礼を言い、戦闘中の挙動や覚えている範囲での機体の癖などのフィードバックを済ませてからだったろうか。

 踵を返し、整備庫をあとにしようとした――そんな自分に、缶コーヒーが放られていた。


「これは、整備班一同からだよ。……あんたは市民を守った。おれたちの家族を守った。おれたちが整備してる機体で人を守り抜いたんだ。――感謝してるぜ、錬鉄の英雄ハンス・グリム・グッドフェロー。あんたは人々の希望そのものだ」

「――こちらこそ。最大の感謝と敬意を。小官が責務を果たせたのは貴官らの弛まぬ努力と献身があってこそ。改めて感謝を」


 額にひさしを作るような挙手の敬礼を。

 可能な限り機敏な動作で、正確な動作で、彼ら一同に対して直立不動で行う。

 手を止め、敬礼で応じてくれるもの。

 笑顔でそれに応じてくれたものもいた。


「大尉サン、あんたの言葉には嘘がねえ。だから、皆判るし、そう言われれば悪い気はしねえんだ。……あんたは誰よりも最高の兵士だよ」


 ……改めて。

 誰一人その笑顔が欠けることなく、胸を撫で下ろした。




 そして、


「グリム大尉……オレやっぱ……大尉! オレ本当、グリム大尉の部下でよかったっス! もう、ほんと、あんなの英雄っスよ〜〜〜! 伝説の男は本当に英雄だったんだって……大尉ぃぃ〜〜〜〜! 本当……大尉と一緒に戦えてよかったっス! 部下でよかった!」

「これで最後とも聞こえる口ぶりだが……俺はまだ、貴官の上司だ。それにここからが正念場かもしれない。……ついて来られるか?」

「当たり前っスよ! 地獄の底までお供するっス!」

「その必要はない。地獄に行くのは俺だけでいい」

「なんでそんな薄情なことを言うんスかぁ〜〜〜〜〜〜! 大尉ぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜! もっとオレと仲良くしましょうよぉぉ〜〜〜〜〜〜!」


 部隊に顔を出せば、フェレナンドは変わらず賑やかだった。

 赤に近いオレンジ髪を振り乱してまとわりついてくるその肩を抑える。自分は犬派ではなく猫派であるし、抱きつかれるなら異性の方が嬉しい。

 ……その顔を見る。

 どうやら、戦闘後のストレス反応はなさそうで安心する。彼はそういう場面に強いのかもしれない。

 どちらかといえば、浮かない顔をしているのは――


「感謝を、ローズレッド少尉。貴官の冷静の誘導に救われたと感謝のメッセージが届いている。初めて指揮権を渡されたのに、よく責務を果たした。誇りに思う」

「……そういう先輩は、なんていうか……本当相変わらずですよね……どう見ても死ぬ戦場からも平然と戻ってきて……なんか自信なくしますよ」

「そのために備えている。それだけだ。貴官が良き結果を齎したこととは関係がない。あくまでも貴官の行いは貴官の行いとして、称賛されるべきだ」


 むしろ、敵を倒すことが上等なのではない。

 兵士として求められるのは、その能力だろう。だが、真に上等であるのは人の命を守るものだ。

 敵に向けて弾が出る道具で敵に弾を撃ち込んだからといって、それはただ当然の機能を果たしただけであり、なんら称賛の対象にはならない。


 ……事実、彼女の行動はこの場の誰よりも輝かしいものだ。

 どうにかそれを理解してほしいし、また、そんな顔をしてほしくない。……それは人として、上司として、グリム・グッドフェローの願いである。

 こんな場合、どう元気付けたものだろうかと――僅かに思案を挟んだときだった。


「……、苦しくなったりしないんですか」

「何の話だ?」

「いえ、別にいいんですけど……わかってますから。そういう人だって」

「……?」


 またエルゼは口を閉ざしてしまった。

 ……戦闘後のストレス行動か。戦場には慣れているが、これまでのそれはオペレーターとして。パイロットではない。

 彼女の様子はしばらく見守るべきだろう。

 酷いようでは、最悪、オペレーターへの転身も考えなくてはならない。

 そのことの上奏も加味して、部下たちの様子と今回の経緯の説明のために部隊長室を訪れた――そんなときだった。

 部隊長から、ある場所へ赴くように言われたのは。


「グッドフェロー大尉、入ります」

「大尉!」


 殺風景な灰色の部屋に足を踏み入れると同時、シンデレラが金髪の髪を揺らしてパイプ椅子から勢いよく立ち上がった。

 同室には――金髪の青年。片側だけ伸ばしたもみあげで二つの三つ編みを作っていた。どことなく反骨そうな、粗暴そうな、そんな容貌の黄緑色の瞳だった。

 【フィッチャーの鳥】の所属。階級は中尉。名前はヘンリー・アイアンリング。

 どこか見覚えがある気がしたが……バツの悪そうに自己紹介を済ませた彼がシンデレラの尋問を行っていたらしい。


「大尉は、来てほしいときに来てくれるんですね……必ず」


 こちらを見てそう呟いたシンデレラから聞くに、あまり粗暴な対応はされなかったらしい。

 彼は頬に湿布を張っていた。……昨日の戦闘で何かあったのだろうか。

 それから明かされたのは、彼が昨日の強奪された一機……それに乗っていたということだ。

 そして、


「だから、なんで操作がきかなくなるようなことをしたって言ってるんだ! 特定者以外使えないとか……あれは軍の装備だ! それにどうして知ったんだよ、オマエが! そんな方法を!」

「言いたくはないけど、ボクはあれを作ってる人間の娘なんですよ。知りたくなくても、知る方法なんていくらでもあるでしょう!? 搭乗者固定コマンドロックなんて! じゃあ、乗り捨てて逃げて――貴方のようにまんまと持ち逃げされればよかったんですか?」

「テメエ……民間人のガキが、ふざけた口を!」


 反射的――だった。


「民間人に怒鳴りつけることが兵士のすることか! 貴様は士官をなんと心得る! 士官学校の勉強は、その肩の星は飾りか! そんなに可愛がってほしいか!」


 言ってから、しまったと気付いた。

 その怒声のトーンにアイアンリング中尉は士官学校を思い出してか硬直するように背筋を伸ばし、シンデレラは信じられないものを見たような目で顔を強張らせてこちらを見ていた。

 戦後いっとき、支援分隊長として出向して新兵の教育にあたったことがある。そのときに身に着けたものが、悪い形で出てしまった。

 そして――三年ぶりとなる戦闘の影響。忌まわしい殺人を平然と行使するテロリスト――撃ち抜かれた民間人の死体。


「……すまない。声を荒げた。二人ともすまない。昨日の戦闘の影響が、残っているのかもしれない。……大声を出してすまない」


 最悪になった空気のせいか、彼女への事情聴取は本日は終了ということになった。

 搭乗者固定コマンドロック――戦争初期に、アーセナル・コマンドが鹵獲されて使用されるという事例が続いた。開発は保護高地都市ハイランドが先ながら、結局、どちらの勢力も人型兵器で戦うことになったのだ。

 リバースエンジニアリング。

 鹵獲されて解析されてしまったアーセナル・コマンドは、やがて、ガンジリウムが豊富な――資源衛星B7Rを有する衛星軌道都市サテライトでこそ数多のバリエーションを見せた。


 それを防止するような装置、と言えばいいか。

 戦場でアーセナル・コマンドが有する武器が奪われ使用されることに対しての引き金トリガーロックがかけられているのと同様――否、それ以上に強固で深刻なセキュリティ。

 最初に接続した駆動者リンカーのパターンを登録し、それ以外には使えなくさせる機能。

 無論のことながら解除は可能だが……それがそうやすやすと、とはいかない。

 例の【ホワイトスワン】が羽ばたくためには、シンデレラの存在が必要不可欠なのだ。不味いことに。


「大尉、その……いいですか……?」


 取調室を出たそのときに、まさにその当事者たるシンデレラが控えめに問いかけてきた。


「ああ、時間を作ろう。君のことが、ずっと気がかりだった」


 そう促して、彼女を休憩所へと導く。

 共に歩いていればその表情はほぐれ、どうやら、多少は安心してくれたらしかった。



 ◇ ◆ ◇



 休憩所と言っても、自動販売機とゴミ箱――……そしてカバーがほつれた平置き型の簡易で安っぽい長ソファーがおかれているだけの場所だ。

 その中心には煙缶……要するにタバコの捨て場だ。軍隊はどうしても喫煙者が多くなる。

 自分もそうだが、年若い少女の前で吸うわけにもいかない。

 ソファーに腰かけた彼女へミルクティーを差し出し、自動販売機から出たてのコーヒーの紙コップに口をつけたところだった。


「コーヒー、お好きなんですか?」

「豆を選んで、自分でドリップしたものが一番だが。……これでも、気付け程度にはなる。戦闘には影響がないとはいえ、眠気はある」

「眠気? まさか……」


 言ってから、しまった――と思った。

 やはり自分のコミュニケーション能力には多少の難がある。それとも睡眠時間の問題か。シミュレーション上の戦闘機動には一分の問題もなかったが、会話上での思考力が低下しているのか。

 シンデレラには、昨日の件のそのままに家に帰ることを促していた。

 この手の事情聴取は翌日に行われるのだと言い含めて――民間人が戦闘に巻き込まれたのだ。その影響は間違いなくある。少しでも早く落ち着く場所へ、家へと返してやりたかった。

 担当官には無理を押し通し、早急に彼女を送り届けた。

 だが……


「いなかったんですよ! 父も母も! 娘がこんなことになって――その原因はあの機械じゃないですか! それなのに、その機械の面倒を見るとか……どっちがあの人たちの娘なのか、もうわからないじゃないですか! そんなの!」

「シンデレラ……」

「誰もいない家で待たされて、どうしろっていうんですか! そんなの! こっちは子供なんですよ!? あの人たちの子供なんです! それなのに……それなのに前も! 今回も! 家にいたって、また狙われるんじゃないかって気が気じゃないんですよ! なのにあの人たちは!」


 激高した彼女の目尻をよく見れば、赤かった。

 てっきりあの憲兵から怒鳴られたか、或いは戦闘の恐怖がぶり返したものかと思っていたが――……違ったのだ。


「すまなかった。配慮が足りなかった。……戦闘のショックがあると、そう思って……すまない……そんなつもりでは……」

「だから、大尉がそんな顔しないでくださいよ……悪いのはうちの両親なんです。なんなんですか、親って……子供を自分のおもちゃみたいに……おもちゃの方が構われるだけマシですよ。あんな機械の方が……」


 なんと返したものか。

 親から見放され、あんなことがあったというのに顧みられることもなく、あまつさえその親は機械にかかりきり――。

 その心痛、察して余りある。

 彼女はまだ、成人もしていない少女だ。保護されるべき人間だ。なのに都市部の襲撃に見舞われ、あまつさえ敵機から銃口と殺意を向けられた。

 ケアが必要だ。

 それだというのに――こんな非道が、


(落ち着け……落ち着け、グリム・グッドフェロー……お前は兵士だ。お前は兵士だ。俺は、お前に、首輪を付けている……お前には、首輪が付いている……落ち着け)


 穴だらけの胴体から真新しい硝煙を上げるカエルの王子フロッグプリンス――――拳の力を緩める。

 焦土と化した大地――〈おお、神様……わたしたちは何か誤ったのでしょうか〉――嘆く人――――肩の力を抜く。

 どこか荒んだ瞳の少女――レッドフード――〈生き残ったんですね、我々が。殺すだけ殺して〉――――息を一つ。


 片膝を突き、横長のソファに腰掛けたシンデレラに目線を合わせる。

 俯きがちだったシンデレラは何だと顔を上げてから、その美しい琥珀色の瞳を見開いて、それから勢いよく顔をそらした。

 ……目を見て話をしたかったのだが。困る。

 

「シンデレラ。もし君が嫌ではなければ、だが……しばらく俺と共に行動しないか?」

「……大尉?」

「俺も機体を損壊させてしまって、やることがなくなった。おそらくは事情聴取やあっても広報の仕事だろう。君もしばらくは基地に喚ばれることになると思うから……もし嫌でなければ、だが」


 努めて頬を緩める努力をする。

 普段は激昂や侮蔑などの感情が降伏を呼びかける先の敵兵に出ないように、顔面表情筋を極力と保つようにしているが……今は違う。必要とされるものは違う。

 微笑みかけることは、上手くできただろうか。

 彼女の反応を見て窺うこともできない。シンデレラはまた俯いてしまっていた。


「だから……ズルいんですよ、大尉は。そういうことを、女から言わせようとする。それって、余計に支配的ですよ……卑怯です。ズルいです、大尉は。そんなことを……そんな顔で言ってくるなんて」

「……そうか」

「一緒に行動するぞ、って言ってくださいよ。どうせ断れないんですから…………断らないですよ、大尉に言われたら。……その、えっと、命の恩人……なんですから」


 どうやらひとまず、彼女の心をこれ以上傷付けることはなかったらしい。一安心だ。

 とはいえこれで終わりというのも味気ない。事務的であることは彼女に嫌がられてしまうし、また、それが相応しい場面でもないだろう。

 自分の知人で、最も女性的なのはマーシュ・ペルシネットだ。ならば、その彼女との会話を活かし、


「了解した。しばらくは俺が君をエスコートしよう。王子のようにとはいかないが、御者程度にはなれるはずだ。姫のように丁重に扱うと約束しよう」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!? だからっ、そういうところがっ! そういうところがいやらしいんですっ! 大尉は! そういうところがっ! 全部っ!」


 なんで?



 ◇ ◆ ◇



 もう十月にも入るという時期では、日が落ちてしまえば変わらない。

 実際のところ全天候対応の空調を有するドームの内にある空中浮游都市ステーションに季節感などというものは存在しないのだが……。

 日中の太陽光発電で浮游のために電力を補っているこの都市は、おまけに高層故に外気温が極端に冷えるこの都市は、やはり夜間は地上同様に肌寒い。


 店名――ゴーテル。

 仮想装甲と同じ名を持つ石造りの塔のような如き外見のその高級クラブは、あんなことがあっても営業を続けたのか。

 カーキ色の軍用ジャケットのポケットに手を入れて待つ。

 そうすると裏口から、まるで姫のように足元まで続く豊かな栗色の髪と、その豊満な胸を見せつけるような肩紐ドレスを纏ったマーシュ・ペルシネットが来た。

 開口一番、


「……あら、無事だったのね。中々顔を出さないから死んだかと思ってたわ」

「俺は死なない。そのように備えている」

「世界の終わりまで? 怒りの日が来たれり――かしら? ……少しは心配させる、とか可愛らしさはないの? 付き合いがいがない男ね、本当」


 相変わらず彼女は辛辣だった。でもそれがどこか気持ちがいい気がする。

 そんな日常も随分と遠くなった気がすると思いながら、単刀直入に切り出した。


「マーシュ。……子供に、興味はないか?」

「…………………………………………は?」

「補足する。……実は今回の事件で、被害者がいる。まだ子供なんだが……あれだけのことがあったというのに、両親はそのケア一つなくずっと家を開けている」

「そ。……それで?」

「もし君がよければ、力を貸してほしい。俺がいない間でいい……少し話し相手になってあげてくれたら、と思って。PTSDの防止方法については知っているだろうか? あれは早い段階で――」


 胸の内を打ち明けて感情を整理することだ。溜め込んだ傷は腐る。だからカウンセリングやメンタルケアは早ければ早いほうがいい。

 そう続けようとしたのだが、腕を組んだ彼女は半眼をより呆れたように細めて呟いた。


「……グリム。子供とはいえ女でしょう、それ。だから私に頼んだ。違う?」

「よくわかったな。流石だ。それもあって……それだけではないが、君にしか頼めないと思った」

「……私に、女に恥をかかせるのが趣味の男と何回言わせれば気が済むのかしら」

「俺にそんな趣味はない。いや、その……趣味自体が……あまりない」

「……あるわよ、貴方。真面目な話、料理をしているときは少し楽しそうよ。いい父親になれると思うわ。妻から後片付けについて小言を言われる休日の父親にね」

「そうか。……次に機会があったら、インタビューにはそう答えよう」


 そう頷くと、彼女はもう一度盛大な溜め息で返してきた。


「まあいいわ、善人のグリム。善き隣人のグリム。貴方、困っている人を助けることには真剣だものね。そういう男。苦しんでる相手を放っておけない。そんな男……私のときもそうだった」


 どこかうんざりだ――と言いたげに肩を竦めた彼女が唐突に細い手を伸ばし、何故だかこちらの軍用ジャケットの襟を正す。


「いい人間で、いい市民よ。いい上官でもあるでしょう。……他人が求める『こうであってほしい何か』に応える男。まるで形而上学的な存在を目指しているとでも思えるくらいの頑固な思索家シンカー

「そう大したものではない。……すまない、褒められていると思うが、君は何か……怒っているのか?」

「さあ。……その経験は、貴方がそうだったからかしらと思っただけ。は、そんなに強く祈ったの? 未来の自分が応えるくらいに……鉄の男、グリム・グッドフェローさん?」

「俺は……」


 発しようとした言葉を、唇を、彼女の細長い人差し指が抑えていた。

 それから彼女はその指を、彼女自身の唇に当ててからその赤い舌をなぞらせると、これで終わりだ――と言いたげに微笑んだ。


「申し出、受けてあげてもいいわ。こんな状況だから、助け合いだもの。……その代わり今夜は付き合って。飲酒の習慣はない、とは言わせないわ」

「それは構わないが……」


 自分と酒を飲んでも楽しいのだろうか。

 習慣はないが、量は飲める。つまり余り顔色も変わらず、態度も普段と変わらない。

 そういうことを求められる酒の席で自分ほどつまらぬ男はいないと、自認している。残念ながら。

 とはいえ、彼女からそう誘われるのは何とも幸福な話だろう。確かに言ってしまえば今日は、年に何度かある無性に酒が飲みたくなる日とも――言える。

 早足で店内に戻り、急いだ動作で薄手のドレスの上に古い男物のトレンチコートを纏う彼女を見守る、その時だった。


「……すまない、マーシュ。この話はなしだ。不味いことになった」

「グリム、目が怖いわ」

「家まで送っていく。しばらくはこの店も閉じた方がいい。何かあったらグリム・グッドフェローの名を出してくれ。それだけの戦果は稼いだ筈だ。文句など言わせない」


 デバイスに告げられた知らせを見て、クソッタレと吐き捨てたくなった。

 輸送機の通信途絶――撃墜とは見られず自ら航路を別にとったと思われ――その積載物は【ホワイトスワン】三機と

 観閲式が続行されるにしろ、中止されるにしろ、最新鋭機はこの都市から安全な場所へ避難される。

 その隙を狙った――それこそが敵の本命だったのだ。



 ◇ ◆ ◇



 慌ただしい一日の翌日も、また慌ただしかった。

 前代未聞の正面から入港したアーセナル・コマンドの都市襲撃に加え、今度は最新鋭機が敵の手に落ちるという失態だ。

 これで幕僚の首が幾つ飛ぶか知れたものではないし、司令部も頭を抱えているだろう。

 だが、それよりも深刻な問題がある。

 執務室で待つ部隊長は、自分に最悪の知らせを告げてきた。


「彼女は、その、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】との戦いに……参加することになった」

「第四世代型は、そうとまで違いますか。……どの程度かは不明ながら、自分ならば確実に斬れると自負していますが」

「それは……そうなんだが……その……」


 何らかの政治的な動きがあったか。

 お偉方の考えそうなことだ。

 最新鋭機の強奪事件という失態を、その新鋭機の開発に関わった夫妻の民間人の娘が救い出す――かのレッドフードの再来のように。劇的な戦果で。父を救う。父とその設計機体を。

 お好みの戦場ドラマ。かつての神話の再現。ニューヒロインの到来。

 安い三文小説の筋書きの方がまだマシだ。反吐が出る。

 苛立ちをなんとか拳に押し込めている、その時だった。


「ええと彼女は君と一緒になら、と言って聞かなくて……その、それで一度こちらに属してからの……君と共に出向という形で……その、グッドフェロー大尉……悪いんだが……」

「……正式な辞令はいつ出ますか」

「追って、出ると思う……君が民間人の徴用を嫌うとは判っていたんだが……【フィッチャーの鳥】からああも求められると……」

「……いえ。自分はあくまでも軍人です。


 そうだ。

 職責を果たせ。自分にあるのは、それだけだ。

 如何に内心を抱えようとも、それは、社会的な契約として己に求められているものには関係ない。連盟旗に誓った軍人としての己には関係ない。

 決して折れず、曲がらず、毀れぬ剣――己が至るべき到達点で通過点。ただ一つの有用性。


「如何なる状況においても、自分は十全に性能を発揮可能です。――


 首輪は付いている。

 だから俺に、指令を出せ――――鉄と血の指令を。雷火と硝煙の指令を。血から叫ばれた言葉を。

 望み通りに、応えようとも。

 俺は、ハンス・グリム・グッドフェローだ。


 俺は兵士だ。指示を寄越せ。

 ――俺がこの首輪を、食い千切ってしまうその前に。

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