第7話 急襲、或いは純粋なる暴力の化身 その1
胸郭上部が嘴めいて突き出された黒の機体が夕陽に彩られ、飛行機雲を纏いながら三機編隊で飛行する。
二日目の午後の訓練も終わり、基地への帰投の途――一旦時間を開け、宙間を想定した夜間機動訓練に移行する予定の帰路だった。
特に無線の通信を禁じてはいない。
訓練の疲労感と運動の爽快感が合わさった中での雑談は、部下のコミュニケーションや精神衛生上の利と判断していた。それに自分もまた、楽しんでいるところもある。
『うわ……ほんっとありえないですよね、男って……皆こんなにバカなんですか……? 正直会話をするのも嫌になってくるんですけど……というか、それ、どうせあなただけなんじゃないです?』
『いやいやいやいや、皆そうですって! そうっすよね、グリム大尉!』
『俺を巻き込まれてもな。……服務態度に問題あり、か』
ホログラムコンソールに振れる仕草をしてみる。
『えっ、ちょ、ちょっ大尉!? 今ここで上官ヅラするの反則じゃないっスか!? いやいやいやいや二重の意味で反則じゃないっスか!? ねえ!?』
『反則っていうか自滅じゃないですかー? 口は災いの元ですよねー、ホント。そういうとこ迂闊だから失敗するんですよ、いつも通りに……』
『いや、別にオレいつも失敗してる訳じゃなくないっすか!? ねえ、大尉!? ですよね!? ね? ね?』
『俺を巻き込まれてもな……』
『ええ〜〜〜〜〜っ!? 上官としてフォローしてくれないんスかぁ〜〜〜〜〜〜〜!?』
フェレナンドの悲鳴が響き渡る。彼はいつも賑やかだ。
それを見て、またエルゼが呆れ気味に呟く。彼女は変わらずシニカルだ。
どちらもタイプが違う人間ながら、二人とも同僚として良い関係を築けてそうで安堵する。
仲がいい――だけで上手くいくほど戦場や軍隊は容易くないが、それでも、少しでも彼らが幸福そうに過ごしてくれているならそれに勝る喜びはなかった。
『オレのことをバカだバカだって言いますけどね、グリム大尉だってやらかしてるんスからね!? 前にお酒に酔っ払ってシミュレーターを使ったって、整備班長がボヤいてましたよ!』
『えっ、うわ……何やってるんですか先輩……うわ……エルゼちゃんポイントダウン…………ん? いや、というか、お酒飲むんです? かわいいかわいいエルゼちゃんがあれだけ誘っても来なかったのに? え、なに、差別? 身長差別?』
『あー、ローズレッド先輩連れてくと年齢確認されそうだからじゃないっスか?』
『よーし、よく言いましたね後輩。戦場に出る前に死ぬ覚悟ができてるなんて殊勝な心がけですね後輩。勉強熱心ですね後輩。戦場では前から弾が飛んでくるわけじゃないってそんなに体感したいんですね後輩』
『え!? 若く見えるって褒めてるのになんでキレられてるのオレ!?』
『嘘つけ絶対バカにしただろ後輩』
流石に銃口管理――レーザールールを守らなくなる仕草をするのは、楽しんでいるとはいえやり過ぎだ。そこは任務や規律の領域。いくら楽しくとも、踏み越えていいところではない。
――が、空気を壊すのも本意ではない。
機体のマニピュレーターで諌め、話題を変えるように答える。
『俺に飲酒の習慣はない。ただ――』
判断を鈍らせる行為の常習には興味がない。
ただ、
『……備えているだけだ。あらゆる状況に』
そう言うと、無線越しに困惑が伝わってきた。
『……グリム大尉、オレよくわからないんスけど、それって酒飲むこととなんか関係あります?』
『また何かのジョークですか、先輩? アレは笑えなかったけど、これはちょっと難しい系でわからないなーって言いますかー……』
……今度はジョークのつもりはないのだが。
そんなにわかりにくいのだろうか。ジョークと真剣な言葉の違いが。
些か首を捻りたい気持ちになったが、正確な言葉を付け加えることにした。
『……アルコールだけではない。睡眠薬や自白剤、医官の許可の元で向精神系の薬物を使用して
答えてみれば、しばらく沈黙が満ちた。
無線は有効状態だ。故障ではない。
あれだけ賑やかだったというのに……どれだけ待っただろうか。もしや機体状態の表示画面にも故障が発生しているのかと、ホログラムコンソールを触ろうとしたときだった。
『……うわ。鉄のハンス。死神グリム。うわ。うわあ……流石は先輩。首斬判事。切れ味の変わらない唯一つの人斬り包丁』
『えっ、うわ、マジっすか……ぱねえ……。あの、グリム大尉……
『他はどうかは知らない。……安心しろ。俺の個人的な訓練であり、貴官に強要は決してしない』
『……ほんっと生粋の戦争屋ですよね、先輩』
『俺は戦争屋じゃない』
かつての戦争で――幾度と立ち合ったことがある。
戦場の狂気に呑まれたのではなく、戦場の狂気を呑み込んだ存在。戦争を非日常として受け止めるのではなく、ただ日常とする人の形をとった怪物たち。
確かに日常化というその一点だけで見るならば、グリム・グッドフェローと彼らは同じだろう。だが、違うのだ。その間には大きな相違がある。
『やー、いえそれ戦争屋ですって……戦争屋じゃないと考えないですよそんなの……昔から無表情で判りにくかったけど、実は目茶苦茶戦争を愉しんでたりするんですか? だったらちょっとドン引きと言いますかー……エルゼちゃんポイントダウンですよ?』
『……愉しむつもりなどない』
『えっ、や、だったらなんでです……? 普通そんな備え方なんてしませんよ? そんなの、まるで戦争のためだけに生きているようなものじゃないですか』
そう言われると――答えに窮する。ある意味でその言葉は、自分を表しているのだ。
戦争のためだけに生きている――……ある種の正解とも、呼べてしまうだろう。自分の持つ信条は。
だが、助けは意外なところから現れた。
『ふっふっふ、甘いっスね……ローズレッド先輩は。オレはちゃーんとそこらへん判ってますよ? いやー、グリム大尉との付き合い短いオレの方が判ってるんスよねー! オレの方がー!』
『……へえ。なんですか、
『適当じゃないんスよね、これが。だってオレ、大尉に聞いちゃいましたし? っスよね、大尉!』
助けだ。
助けだったのだろう。
助けようとした、その気持ちは嬉しいが……
『……貴官に話した覚えはないが』
『ええっ!? いや忘れたんスか!? オレ、それでこの小隊に配属になったって聞いて目茶苦茶嬉しかったのに!? 薄情すぎません!?』
『……貴官の配属前に、俺が貴官と会話を? ……了解した。記憶の混濁を確認。
『いやいやいやいやいやいや、アレだけ電撃的な出会いをしましたよね!? アレ、オレが軍人を続けて行く上での指標になったんスよ!? オレ、本気で先輩に憧れてるんスよ!? この人の為なら死んでもいいって思ったんスよ!?』
『……そこは俺が貴官の盾になるべきだと思うが』
後輩を盾にして生還する先達の、部下を盾にして帰還する上官の、それに一体何の価値があるだろうか。
『……やー、そこまで言うって普通に気になるんですけどねー。先輩はこのザマとして……
『ふっふっふ、よくぞ聞いてくれましたっスね! 如何にしてオレがそこから促成士官学校ドンケツからのトップに食い込んだか! そして同期から中隊一幸運な男と呼ばれることになったか! その、実に感動を止められない物語の始まりになったあの伝説の訓示を――――』
フェレナンドが胸を張って演説を始めようとした、その時だった。
唐突な警報を知らせる表示がモニターに映し出され、茜色の空の下、向かう先の半透明ドームに覆われた空中に浮かぶ島めいた都市――
高層圏の大気圧と冷気を防ぐ半透過遮光防弾ガラスの表面に投射される無数の『EMERGENCY』の警告――これは。
『と、都市部の避難訓練かなんスかね……大尉……?』
『いや……』
観閲式に備えた演習の一環と考えるには、自分は戦場というものに慣れすぎた。
仮に――レジスタンス、或いはテロ組織がいた場合。或いはあの戦争の残党や勝者への反抗勢力がいた場合。
狙うとしたら、どこか。
言うまでもなくここだろう。観閲式という、その国の軍事力を示したセレモニー。武官がその戦闘力のパフォーマンスを内外に示し、文民で選ばれた最高指揮官に観閲を受けるというそれはまさしく狙い目だ。
(観閲式はまだ先の筈だが……そうか、予行演習を狙って……!)
最高指揮官や来賓に応じて警備も警戒も増える観閲式本番ではなく、それに備えて前入り或いはそれに備えた予行のために集まった様々な部隊を攻撃するなら――この時機でも十分であろう。
『市街地にて火災が発生! 未確認アーセナル・コマンドが市街地に出現! 行動可能な部隊は全て至急現場に向かえ!』
緊急回線から流れ出す切迫した声。
それ自体が、告げている。
『これは演習ではない! 繰り返す、これは演習ではない!』
これが如何なる非常事態であるか――何よりも雄弁に物語っていた。
『先輩、テロって……それもいきなり……!』
『落ち着け、ローズレッド少尉。俺達は兵士の本分を示すだけだ』
ホログラムコンソールを叩き、すぐさまに機体の状態を確認する。
オールグリーン――戦闘機動訓練後の機体の状態に問題はない。機体の不具合は確認できない。
内心で舌打ちを噛み殺す。
つまり、己たちが今もっとも戦闘可能に近い部隊であった。
問題は、
『どうするんスか、大尉! 俺達、訓練用の兵装しか持ってないんですよ!?』
その全てが、一切敵への有効打にならない兵装しか搭載していない――ということだ。
◇ ◆ ◇
三機の機影が、赤いサーチライトが踊る市街上空を飛行する。
兵士兜の如き丸く尖った頭部。上へと盛り上がった両肩部。腰から上のシルエットが逆三角形型を為すその灰色の機体は、
あの戦争から三年、ルイス・グース社が秘密裏に開発し横流しを行った第三世代型の――コマンド・レイヴンとの次世代兵器開発コンペティションに破れた因縁の機体だ。
「ここまでは上手く行きましたね、グレイコート大尉」
その内の一機が指揮官機へと呼びかける。
清涼さを感じさせる落ち着いた声色。声からも美男子であるとわかるほどのその機体の主は周囲の索敵を行いながら、改めて言葉を出した。
目線の先の指揮官機の頭部――その側頭部と後頭部は、赤く彩られている。
指揮官を示すためであり決して他意があった塗装ではないが、
「まるでそれ、彼女みたいですね」
「……ふっ。思い出させてくれるなよ、ハインツ。若気の至り、苦い失敗というものをな」
「整備班にそう伝えておいたほうがよろしいでしょうか?」
「いや……あの娘には申し訳ないが、これも、旗印として良いだろう。出会う機会には直接謝罪の食事に誘うとしよう」
色気を孕んだ中低音の男の声が、柔らかく変わる。
振り返れば遠い因縁がある相手だった。レッドフード――アーセナル・コマンドが初めて戦場に登場し、そして大きく戦場に貢献した【
今頃どこで何をしているのか――……郷愁にも似た慚愧が到来するのを、彼は小さく笑って打ち消した。
「……大尉、アーシングたちの別働隊は大丈夫でしょうか」
「教育役として君も心配か……しかし、兵士の常だ。こんな組織で人手不足を嘆けることの方がむしろ幸せかもしれんな」
「出資者の方々のお気持ちもわかりますが……性急すぎました。彼も腕はいいのですが……せめてもう少し時間が欲しかった」
「無事に帰還することを願おう。あちらには、敵アーセナル・コマンドもそうは向かうまい」
三機編隊の別働隊――計六機が、観閲式の事前乗入れに偽装して入港を果たした戦力だ。
その六機に今後の展望の全てが託された。
ここで敗れれば、【
そんなプレッシャーの中、
「――ウルヴス・グレイコート、出る」
それすらもむしろ愉しむように呟いた男は、都市の守備隊として現れた第二世代型のアーセナル・コマンドへと戦闘機動を開始する。
的確な推進噴射と、機体の慣性を利用した最適の機動。
さながら、疾走。
その姿は、かつての大戦でのレッドフードの宿敵――
◇ ◆ ◇
急速に
『どうするもこうするもないですよ!? 無茶も無茶ですからね!? 敵も傷付けられない装備で戦場に出るのはドラマのヒーローだけです! 名前は犬死に! 棺にそう書かれて親元に帰ることになるんですよ、そんな人は!』
『でも、ローズレッド先輩……オレたちは兵士なんですよ!? 人を守らないでどうするって言うんスか! アナタもオレも、そのために志願したんじゃないんスか!』
『だから武装がなきゃどうにもならないんですって! 今出てっても盾にしかなれないって何度も――』
『オレは、兵士は盾になるべきなんだって! そう何度も――』
二人の平行線の会話を聞きながら、ホログラムコンソールを叩く。
返信を一度に表示。
無数のウィンドウが眼前に表示されるのを一枚絵のように眺め、必要な文言だけを洗い出し……吐息を漏らした。
『……どうやらその基地が襲撃中だ。ローズレッド少尉の言うような再武装は不可能だろう』
『先輩! 先輩からも何とか言ってくださいよ! この命知らずの新兵に!』
『大尉! 大尉ならオレの言ってることをわかってくれますよね! 大尉!』
双方からの無線の呼びかけに嘆息する。
エルゼは戦場経験者だが、後方支援だ。自分が前線に赴くことへの緊張感は、流石の彼女でも重いのか。
一方のフェレナンドは、まさに新兵そのものといった様子だ。エルゼの言うように、そうして心意気の高いものは第一の犠牲になりやすい。
浮足立つ二人は、だが無理もあるまい。自分も、仕掛けられるとすれば観閲式の最中だと思っていた分、驚きが強いのだから。
だが、
『――あの時言った筈だ、オネスト少尉』
努めて冷静さを保ちながら、無線越しに呼びかける。
『見誤るな、オネスト少尉。貴官のその心がけは立派だ。だからこそ――死ぬな。兵士は死ぬために生きているわけではない。ここで誰も救えずに犬死にする貴官と、いずれ多くを救う未来の貴官を秤にかけろ。あらゆる場面においてその義務を果たせ――そう努めろ』
『大尉……』
『ローズレッド少尉、貴官なら非常時の避難経路も頭に入っているだろう。弾丸の盾は無謀だが、瓦礫の盾やはしご変わりにはなれる。市民の避難の援護を念頭において指揮をとれ』
『了解です! えと、あれ、自分……? 自分が指揮ですか? えっと、あの、先輩は……?』
全周モニターに都市の入港ゲートが映し出された。
襲撃者はここから、正面から堂々と入港した上で行動に及んだらしい。蜘蛛の巣に鉄板を貼り付けたような隔壁が、内部から閉ざされている。
緊急ロックか。門を閉じるとは敵にも手練がいる。
アーセナル・コマンドの力場に触れぬ限りは使用可能な訓練用の近接ブレードを、隔壁へと突き立てた。
赤く赤熱する隔壁を眺めながら考える。
『先輩は、どうするつもりなんですか……!?』
再度の問いかけを行うローズレッド少尉へ、改めて通信を返す。
どうするかなど、決まっている。
『言っただろう。あらゆる状況に備えている――と』
『まさか先輩……』
『オネスト少尉、貴官の申し出は立派だ。俺も、あのとき訓示をしたものとして誇りに思う。士官候補生は、立派な士官になった。誇っていい。嬉しく思う』
『えっと、大尉……大尉はまさか……』
『――無論だ。俺の役割はその一点、ただそれしかない』
武器がない。
訓練中だ。
新兵を連れている。
敵の勢力が不明だ。
――だからどうした。
そんなことは問題ではない。
あらゆる不利も、あらゆる不遇も、あらゆる不運も――――その全てが問題ではない。
己は兵士だ。
ただ、やるか、やらないかだ。
そのために積み上げてきた。そのためだけに積み重ねてきた。
真の天才には及ばぬ非才の身を鍛錬で補った。何もかもをそこに注いだ。それだけを考え、磨いた。
あらゆる障害、困難、生存率――そんな言葉を乗り越える。ただ一点の目的のためだけに。自分にとって大切なのは、最早、ただ己の執行するという意思の一つだ。
あとは全て、この剣でねじ伏せる。己という剣で。
「――グリム・グッドフェロー、コマンド・レイヴン……交戦を開始する」
生者が死者の橋を架ける。生者だけが死者の行動に意味を作る。
義務を果たせ。兵士であるということの義務を。
それ以外、お前には、俺には、求められていない。
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