第8話 急襲、或いは純粋なる暴力の化身 その2


 灰色の煉瓦壁を思わせる外観を持つその店は、さながら古の塔めいている。

 鮮やかな朱色の絨毯と、白く清潔な革のソファ。シャンデリア。そして幕のおりたステージ。

 それら店内を彩るために置かれたグランドピアノの前。

 地に届かんとするほどの色素の薄い栗色の髪と、豊満な胸元が露わになった深い黒のドレス。

 睫毛の長い憂い顔の美貌が、天井を透かすように空を見詰めた。


「……この音。そ。行くのね、グリム」


 吐息と共に彼女は、戦闘の混乱に色めき立った同僚たちの中、一人静かにピアノの前に腰をおろした。

 ゾンビ・アポカリプスに備える男――それと同じ手合の、死んだ魚の目のあの男。

 マーシュ・ペルシネットの生活に入り込んだ深海魚。

 光に遠く、闇の中を泳ぎ続ける適応した魚。その機能のみに特化させた身体で、そこでしか生きられない光なき哀れな魚。


「……光よ、あなた。極光。誰も到達できない光……そんな場所に向かおうとする馬鹿な男。答えを祈るんじゃなくて、祈りに応え続けることを決めた頑固な思索家シンカー


 ぽろん、と鍵盤を撫でる。

 目を一度瞑り、溜め息を漏らす美貌の少女はその長く細い指は鍵盤を弾き始めた。

 曲は――思想家シンカー。その愛。それを冠する曲。そう冠された曲。

 深海魚的な愛情。全てが遠く輝かしく、その輝く何もかもを愛しながら、決して陸には上がれない――そこでしか生きていけない生き物。


 郷愁と哀愁を伝える物悲しき旋律――それが想わせるのはむしろ深海ではなく、空だ。

 全てが終わったあとの明けの空。冷ややかで澄みきった、ただ遠いだけの静かな空。戦が終わった終戦のその日の、煙立ち上る終わりの空。

 その始まりを経て、曲調が変わる。

 走り出す中低音の主旋律――優しげな波が繰り返すように跳ねながら。加速的。楽しげ。どこか寂しげ。静かに胸踊らせる慕情。子供めいている。

 合わせて右手で奏でられる中音は、穏やかで、虚ろで、独白的な愛。深海魚の愛。それが続く――深海魚は謳う。己というものを。独白する。


「……馬鹿な男。貴方の思うなんて、きっと来ないわ」


 そして一度、空からの奇跡的な・或いは幻想的な未知なる何かの到来を思わせるような高音を、右手が奏でる階段的に落下してくる旋律を挟み、曲はまた変調した。

 飛び立つ。朝焼けの空を飛ぶ。終わりの空を。全てを見下ろして。全ての景色を流して。飛んでいく。何かを求めて。


 ああ、この世の終わりを待つものよ。

 汝、この世の終わりまで戦い続けるものよ。

 この世の終わりに備え、終わりを終わらせるために己を研ぎ続けるものよ。

 確かな信念それ一つによって作り出された確信犯的な終焉の暴力装置――応報の魔剣。

 それが飛ぶ。

 穏やかな爽快感の中に哀愁を覚えさせる曲に乗せて、飛ぶ。


「大丈夫よ。この街には、グリムがいるわ。……女に恥をかかせる天才だから、真に受けただけ損するだけよ。こんなこと」


 避難を促そうとする同僚にそう微笑みかけて、彼女はまた鍵盤に向かい合った。

 


 ◇ ◆ ◇



 大鴉レイヴンめいた機体が駆け付けたそこは、かつての戦場じごくを思わせる様相だった。

 ビルの合間から立ち上がる煙。

 車道に乗り捨てられた数多の車は、踏みつぶされたのか。これも夕日の中で、より濃い炎を上げていた。

 ビルにもたれかかった頭が平たい鋼の巨人。

 都市部守備隊か。カエルの王子フロッグプリンスと呼ばれた第二世代のアーセナル・コマンドの胴は無数のライフル弾で貫かれ、おそらく守ろうとした背後のビルの市民ごと、息絶えていた。

 それが手にした手の連装ライフルから硝煙は立ち昇っておらず、また、薬莢の一つも路上に見当たらない。

 彼は、一発も撃つこともできず――否、撃つことをせずに一方的に撃ち抜かれたのだ。この都市での発砲が、何を意味するか知っていたから。


(むごいことをする……)


 わなわなと拳に込められていく怒りを嚙み殺す――首輪をつけろ。

 

 


「ここは市街地だ。即座に戦闘行動の停止を要求する。繰り返す。即座に戦闘行動の停止を要求する」


 一度息を吸い込み、オープンチャンネルで呼びかける。

 それを数度続ける。努めて落ち着いて――それで脳もまた、切り替わる。

 やがて、ビルの合間をスライド移動しながら見つけた二機の機影。

 その傍には、撃ち抜かれた胴から真新しい煙を上げるカエルの王子フロッグプリンス――――――噛み殺す――


「……当機はハンス・グリム・グッドフェロー大尉だ。貴官らの所属と姓名階級を要求する」


 ライフルを向けた敵機に、続けて呼びかける。


「軍人にのみ制服の着用と戦闘が許されている。それを犯すのは重大な戦時国際法違反だ。貴官らの所属を要求する。これに応えない場合、当機は貴官らを武装勢力として取り扱い、治安維持行動を開始する。軍人としての扱いは保証できない」


 そして敵の力場に触れれば解除されてしまう訓練仕様の近接ブレードをパージし、さらに続けた。

 市民の避難もすまないこの場では、銃は使えない。撃破された味方から鹵獲して使うこともできない――完全な無手だ。


「……当機にも戦力的な余裕がない。このままでは貴官らに。速やかに所属と階級を伝達せよ」


 勧告を繰り返す内に昂ぶる波は静まった。心は落ち着いている――穏やかに、平坦に。

 精神の湖面はただ鏡面めいた。波風は起きない。どこまでも――静かに。分析する。

 敵機の搭載兵器は右腕の実弾ライフル。少しでも長距離移動にかかるペイロードを減らしたということか。

 ウェポンスキャン。脅威はそれだけだと認識する。

 そして――モニターに表示された《避難中》の文字。近くのビルに、まだ市民がいる。

 灰色のハートの兵士ハーツソルジャーは待たなかった。強烈なマズルフラッシュ。力場に減衰されながらも、対アーセナル・コマンド用の弾丸が正面から衝撃として襲い掛かる。

 降り注ぐ弾丸の雨。装甲に突き刺さり、火花を散らす。


「なんで棒立ちなんだ、あのアーセナル・コマンド……!」

「あ……ひ、避難が完了してないから……!」


 ビルの中からの、或いは路地裏からの声。銃砲の中聞こえるのだろうか。幻聴かもしれない。

 今まで聞いた何かが混ざっているのか。判らない。だが、躱すわけにはいかない。受け逸らすわけにはいかない。全て止めなくてはならない。

 コクピット前で交差させた腕で弾丸を止める。止めながら進む。

 推力をすべて装甲に回し、出力の大半を腕部の力場に込めた――銃口の向きから把握できている。問題はない。自己の性能に陰りはない。


 アーセナル・コマンドの装甲は四種類。

 一つは言うまでもなく、その根幹をなす《仮想装甲ゴーテル》。

 二つ目がその《仮想装甲ゴーテル》の発生をつかさどる流体ガンジリウム。

 流体故に必要な箇所まで流し導けるこの血脈を走る金属は、ユゴニオ弾性限界を突破する運動エネルギー弾に対しての有効な防備となり、また、損傷しても他から集めなおすことができる。

 三つ目はガンジリウムを利用した合金の機体外郭。

 そして、機体内部の骨格的な運動機構や衝撃吸収フレーム。

 これら四つの装甲が、アーセナル・コマンドに存在している。


 故に――問題ない。十全な操縦ができていれば、こうして弾丸にさらされようと、持ちこたえることはできる。


(ああ――……)


 案ずるな――……そんな顔をするな。

 俺はそのために訓練を積んでいる。

 俺はそのためだけに訓練を積んでいる。

 俺を案ずる必要など、ないのだと――奥歯を噛み締めまた一歩、歩を進める。


『ッ、不気味なヤツ――――おい、合わせろ! 火線を集中するぞ!』


 敵一機が挟撃或いは十字砲火のために、上空へと浮遊した。もう一機は地上をスライドする。

 だからこそ――であった。

 奥歯を噛み締め、バトルブースト。急加速。

 モニターの前面いっぱいに、上空に逃げようとしていた敵機が映し出される。


「それは、悪手だったな」


 衝撃。

 慣性力を受け取った質量弾と化した大鴉レイヴンと力場が、灰色のハートの兵士ハーツソルジャーの力場をこじ開け衝突した。

 宙で傾いた敵機のその腰にまとわりつくようなタックル。敵機がくの字に曲がる。上半身が、その機体頭部が地面に向く。

 衝撃にはなったが、このままで壊せるほど鋼の巨体は容易くない。そこへ、敵機の肘が振り下ろされた。フレームが軋んだ。

 受けながら――逆噴射。あたかも地上に引き落とさんと、力場と推進剤を噴射する。


『コイツ……! なめるな――――!』


 敵機はすぐにその反方向――上空への圧力を込めて抵抗した。

 故に――


「出力最大」


 ――


 推力反転/推力最大。

 敵機の初動に完璧に合わせた、推進方向を完全に合わせた、力場のすべてを推進力に回した最大加速――二機分の加速。

 近接戦闘であれだけの高速を発揮する機体の、近接ブレードすらも捨てた完全なる出力。その加速度。

 骨が軋む。こちらが受け取るのは、前からシートに押し付けられるような二機分のプラスG。

 そして敵機は、


「言った筈だ。――と」


 腕の中で崩れ落ちる。脊椎との接続が解除されたか、それとも死んだか。

 人体は体の下方に押し付けられるプラスのGに対しては強い。踏ん張ることもできる。体に力を込めれば、頭部からの血流の落下を防いで失神も免れる。

 故に戦闘機の空戦機動においてのインメルマンターン――縦方向で行うUターン――に見られるように、頭部が旋回ループの内側になるように、つまり遠心力が足の方に働くように行動するようになっている。

 地球という重力の星に生まれた以上、重力に対しては肉体もある程度の備えがある。

 だが、逆の――頭部に向けてベクトルが向くマイナスのGに対しては驚くほど無力だ。


 こちらはその加速故に、シートに押し付けられるような正のGを受けた。

 だが、敵機は――……言うまでもあるまい。

 脚部や胴部の筋肉も使用できない、頸部の筋肉程度しか血流を防げぬマイナスG。

 眼球破裂か脳出血か、或いは内臓が口から飛び出るか。

 詳しくはないが――これをすると死ぬと、経験則から知っていた。


『よっ、よくも――よくもアストンさんを――――!』


 そのパイロットの死に様を、モニター越しに眺めたらしい。

 通信に幾度か吐瀉音声を交えた敵機は、それでも戦意喪失せずに対アーセナル・コマンド用のライフルを構えていた。


「無力な市民を襲撃していて、一方で自分の仲間の死は嘆くのか? ……些か理解不能だ。貴官の中での命の重さはどうなっている?」

『うるさい! この死神め! あの世に送ってやる!』

「貴官には達成不能と通達する。武器を捨てる気は……ないのか。……そうか、なら、致し方ない」


 上空のこちら目掛けて発射されるライフルのマズルフラッシュ。

 殺到する弾丸を前に、腕の内の一機を仮設の装甲として利用する。

 鮮血めいて銀色の流体が飛び散った。


『ああっ、アストンさんを盾に!? お前っ、お前ぇぇぇぇえ――――ッ!』

「貴官が撃たなければその必要もなかった。この場所が、空中浮游都市ステーションと認識せよ。半球ガラスの損傷は、市民全てへの深刻な被害を意味する。……貴官らが殺傷した兵士は、それを心得ていたから撃たなかった」

『黙れッ! 黙れッ! この殺戮者! 血に飢えた狂犬めッ!』

「……だから貴官がその殺戮者となる危険を論じているのだが。会話をする気はないのだろうか?」


 新兵なのだろうか。

 機体の操作も、あまり上手とは言えない。レジスタンスは人手不足なのか。

 ホログラムコンソールを開き、あるコマンドを実行する。

 実力不足――ならば丁度いい。この先の、丸腰でしなければならない他の敵機との戦いで必要となる備えを、今のうちに行うべきだ。


『よくも、よくもぼくに撃たせた……っ! 撃たせたな! アストンさんを! アストンさんの機体を! お前!』

「当方に、貴官の機体の火器管制装置の支配権コントロールはない。行為の責任は全て貴官に帰属すると認識するが、如何か」

『ふざけるな……死ねっ! 死ねよっ! お前なんて――――――!』


 狂乱しながら実体弾を放つ灰色のハートの兵士ハーツソルジャーの尽くを、敵機を盾にし受け止める。

 狂乱状態なのかやはり搭載してないのか。他の武装を使う様子は見られなかった。

 これだけ心を乱す会話をしても使用しないならば、それは真実、持ち合わせていないと考えていい。時間稼ぎの弁舌の甲斐もあったというものだ。

 そうして、どれだけ受け止め続けただろうか。手の内の敵機に、些か原型がなくなってきた頃だった。


(……よし。市民の退避は完了したか)


 敵機の後ろのビル群の列――モニターには退避完了、の文字。

 そしてもう一つ、待ちわびた知らせが出ていた。

 これ以上、敵機を盾に弾丸を受け止め続ける必要はない。いつまで続けられるかわからず、万一もあり得るその行為の継続は市民の命のリスクだ。

 その大元を沈黙させる。


 力場と加速慣性で合わせて撃ち出すように放った手の内の敵機が、ライフルを構える敵――03のマークの灰色の敵機に迫る。

 バトルブースト。

 噴射炎と共にライフルを構えたままの敵機が超高速で地を滑り、遅れて、その空気圧によりビルの窓ガラスが砕け散り雨の如く歩道に降り注いだ。

 こちらの投じた敵機は無人のビルに激突し、銀色の血液めいた流体ガンジリウムを吹き出させた。

 目標を外した形になるが――構わない。

 狙い通りだ。腕部に搭載した兵器の重心の問題で、新兵であれば、無意識に機動を取ると予測していた。


「初歩的な戦闘機動だ。障害がある場所で、銃を壁側にすべきではない」


 非武装故により超高速の大鴉レイヴンは直角に敵機を追随。

 応じようとした相手の銃身を左肘でビルに押し付けながら推進の慣性に巻き込み――灰色のハートの兵士ハーツソルジャーの左肩とその胸に銃鉄色ガンメタルの手を当てて、地上をスライドする。

 彼我の速度。非武装故の出力差。

 敵機がバトルブーストを利用したが故の力場の低減と、それを突いたマニピュレーターによる直接接触。

 これで、動きは封じた。――準備は整った。


「火器管制装置の支配権コントロールはないが、非常時電力供給機能の支配権コントロールは取得した」


 同型機ならば或いは、と思ったが当たりだったらしい。

 盾として使いながら例の機体を解析した敵機の共通セキュリティコード。

 アーセナル・コマンドには多大な電力を要求するその特性上、ある機能がある。腕部兵装使用時のマニピュレーターに存在する電力供給機構を活かした、味方への分電が。

 このセキュリティは武器などのロックに比べてあまり深刻ではない。そもそも敵と機体とのマニピュレーター接触など、アーセナル・コマンドの戦闘にて考慮されていないのだ。

 そして、


『離せっ! 離せよっ! なっ、なっ、何だよっ、何する気なんだよっ! この死神めっ!』

「電力を過剰供給し、力場の暴走で内向きに圧殺する」

『な――――、』


 いるとしたら遺族の元に遺体を引き渡すのは不可能となるが……申し訳ないことにこちらにも加減の余裕はなかった。

 退避済みのビル群の列も、そう長くは続かない。敵の銃を封じ続ける猶予もあまりない。

 これ以上、この空中浮游都市ステーション内で余計な発砲をされる前に片を付ける。

 ホログラムコンソールを開き、緊急時の他機体に対する電力供給コマンドの実行を承認した。


『ひっ――――たっ、たた、たっ……たっ、たたっ……!』

「発言があるなら、しっかりと話せ。俺は汎拡張的人間イグゼンプトではない。――二機目」


 迸る紫電――――《指令コード》:《最大通電オーバーロード》。


「こういう使い方も、できる」


 推力を弱めながら逆三角形型の機体の胸部から手を離せば、その機体は崩れ落ちながら道路を滑っていって停止した。

 その巨体は車道の真ん中で、投げ出された人形の如く動かない。

 パイロットは全方位から迫る力場に圧殺されたか、それとも消し飛んだか。いずれにせよ無力化は叶った。


(申し訳ないが、正式に意思表示をされない限り攻撃は止められない。……貴官からの投降の意思を受諾した故に手を止めた、という形でなければ軍事的なリスクになる)


 投降を告げてきた敵機がその後に発砲したのと、勝手に攻撃の手を止めた自機に対して敵機が攻撃を加えてきた――というのはまるで別の話だ。

 学習AIを通じて共有される自機のモニター映像は、こちらが死んだ後も証拠となる。前者ならば重大な戦時法違反で批判の対象にも使えようが、後者では何もならない。

 命は有益に使うべきだ。たとえここで自分が――死ぬとしても。

 思案の傍ら飛び上がり、そのまま、三機目へと照準する――夕陽に彩られたビルの合間にて佇む機影。


 だがその機体は、その手のライフルを構えることなく棒立ちをしていた。

 何かの機体トラブルか、それとも交戦の意思をなくしたか……なら、都合が良かった。

 一機一機を潰すような近接戦闘を仕掛けていた甲斐がある。敵の意思を挫き、また、降伏の機会と考慮の時間を増やすためだ。剣はないが、常に心がけているそれを実行した。

 戦闘とはいえ、あちらが血に飢えた襲撃者とはいえ、殺さぬに越したことはない。


「戦闘継続の意志がなければ、速やかに投降ないし離脱しろ。当機に貴官の殺害の意思はない。優先するのは市民の命だ。離脱の保証はする」


 市民の安全が最優先だ。

 だが――……対象機は呼びかけにも応じず、かと言って戦闘の兆候も見せずに佇んでいる。

 機体にされた1のマーク――おそらくは指揮官機、実力者であるかと思うが……。

 再度の投降勧告に返されたのは呻き声だった。意味を介せない不気味な奇声。うわごと。少し背筋が冷える気持ちだったが、そういえば――と理解した。


「精神崩壊か……汎拡張的人間イグゼンプトだったのか。それも類稀なる。……申し訳のないことをしたな」


 マイナスGにて血管破裂か内臓破裂をしたかで死亡した人間、そして過剰電力供給された力場にて圧死した人間の精神と接続リンクしてしまったのか。

 どうあれ搭乗者は、戦闘継続できなくなったらしい。

 念の為にその機体頭部を破壊し、無力化を果たした。生存しても捕虜として有効に尋問可能かは疑問が残るが……やはりこちらに余裕があるなら、殺さないに越したことはない。


「三機目。……戦闘管制へ。ノーフェイス1、市街地の敵勢力の完全制圧を確認。次の指示を乞う」

『あ、ああ……――か、完全制圧!? 非武装で、完全制圧!? ノ、ノーフェイス1。戦闘管制、了解……! し、司令部へ伝達する……!』

「……? 戦闘管制へ。ノーフェイス1、次の指示を乞う。繰り返す。次の指示を乞う」


 再度呼びかけると、オペレーターが変わったのか。

 ハキハキとした聞き取りやすい通信が入った。


『ノーフェイス1、こちら戦闘管制! 基地の実験場にて、所属不明機に研究中の最新鋭機が強奪されようとしている! 民間人の少女が巻き込まれた模様!』

「……っ。……ノーフェイス1、了解。民間人の保護を最優先に行動する」

『戦闘管制、了解。ノーフェイス1、武運を祈る! 所属不明の敵機は三機! どうかお気をつけて、鉄の英雄ハンス!』

「ノーフェイス1、了解。……貴官の正確な情報伝達に感謝を。無駄にしないと約束しよう」



 ◇ ◆ ◇



 強烈な加速度が全身に働き、コクピットのシートに身体を押し付けられる。

 込める首にかかる強烈な力。コンソールに伸ばした手にかかる深刻な重圧。装甲値に割り振る電力を全てを対空気圧尖衝角と推力に回した加速。

 都市部で許される限度の最高速度で、一直線に――上空目指して鋼の大鴉レイヴンが飛翔する。その速度が、高度が、瞬く間に上昇していく。

 銃鉄色の機体。

 前方に突き出した嘴めいた胸郭上部は、尖衝角の発生を助けるための構造をしている――設計者の信念:速く飛べ/駆け抜けろ/駆け付けろ。


(ならば、答えてみろ――――その信念おもいに! お前も、戦うために生まれた機械だと言うのなら……! その有用性を示せ――――!)


 過ぎ去る人工雲を突破し、半透明ドームの最高地点まで機体を到達させつつ――反転。

 宙に大きく弧を描く大回りに伴い、機体の上下は回転させてある。つまり頭が地面を睨む形で、弧の円周の内側に入る形で、機体にかかる遠心力――Gは全て足側に向かうことになる。

 空戦力学。

 位置エネルギーを運動エネルギーに変える重力の洗礼。

 バラバラになりそうな機体と己の肉体に首輪をつけ、一直線に――――最高速度で基地目掛けて突撃する。


「……ッ、見えた……!」


 都市部上空の飛行では十分な飛行速度を出せない。

 故に回り道となろうと、より高層へと移動し反転する戦法をとったが――誤りではなかった。


「――シンデレラ!」


 彼女の名前そのままの駆動者リンカーサインを敵味方識別装置に示した白鳥めいて白い機体と、それに目掛けてライフルを構えた灰色のハートの兵士ハーツソルジャー

 まさに切迫――暇など、勧告など不要。この身の武器すら不要。

 運動エネルギー全てを込めた砲弾と化し、その力場ごと――


「――――ノーフェイス1、この戦場に介入する!」


 舞い散るコンクリートと敵機の破片。突き立てた右足は完全に破砕した。モニター全てに警告表示が浮かび上がる。

 だがそれでも最悪の自体は免れた。

 そう胸を撫で下ろし、無理矢理に機体を直立させる。


「その声、大尉!? まさか、グッドフェロー大尉ですか!? ……本当に、助けに来てくれたんですね……! 本当に、わたしのことを……大尉……! 本当に……!」

「何故君がそれに乗っているのか状況が読めないが……君との約束を果たせはしただろうか、シンデレラ。あとは任せてくれ。軍人の職務だ」


 敵機は残り二機。

 それらが、シンデレラが搭乗しているのと同じ純白の白鳥めいた機体を両脇から抱えていた。

 鹵獲されたか。

 手に落ちた、というわけだ。最新鋭機が、敵の手に。


 モニターの向こうにはこちらと異なり、無傷の二機。

 先ほどと同じく未確認のアーセナル・コマンド――上に突き出した肩部と逆三角形の胴体はハート型に見える。

 そのうちの一機に至っては、よりにもよってのように側頭部と後頭部を赤くカラーリングしている。

 赤いフード付きのペイントと灰色の機体――エース:レッドフードとそのライバルエース:灰色狼グレイウルフを知っていれば悪い冗談のような組み合わせだ。

 趣味が悪い相手もいたものだな……とヘルメットのバイザーを上げ、酸素マスクを外し、口元の血を拭いながらわずかに思う。

 そんな相手が、声を上げた。


『首斬り痕のペイントに、そのエンブレムは……まさか……!』


 首切りではなく、首輪だ――という機体胸元の、棘の飛び出た首輪を表す三日月と棘の単色ペイント。

 そして、墓標とそれを斜めに切り裂く刀傷のエンブレム――


『違反者殺しの首斬判事リーパー……! 黒の処刑人ブラックポーン……!』

『死神……死神グリム・グッドフェローですか……! そんな大物がここに……!』


 隊長機に続くように、残り一機も声を上げた。

 無名ではないと自認しているが、それほど有名でもないと理解している。……参加した戦闘のいくつかは、まさしく処刑だった。戦果者として報道するには、軍も、恥部というべきそれを厭っている。

 ならば、


「当機を知っているか……。衛星軌道都市サテライトか、海上遊弋都市フロートか……その残党といったところか」


 先ほどの新兵などではなく、前大戦からの生き残りと考えるのが妥当だろうか。

 不都合であり、好都合だった。

 非武装の機体でベテランを相手にするのは骨が折れる。だが、こちらの醜名を知っているなら、要求に素直に従う可能性も出てくる。

 事実幾人か、戦闘中に投降を受け付けたことがあるのだ。


「先程は暇がなかったが……所属と姓名階級を示せ。軍人と確認できれば、投降または撃墜後、条約に基づいた取り扱いを保障する。速やかに離脱するならこの限りではない」


 改めて呼びかければ、隊長機が応じた。


『その物言い……君も変わらずの男だな』

「当機と面識がある……? そうか。ならば再度勧告する。衛星軌道都市サテライト所属か、海上遊弋都市フロート所属か……貴官の所属と姓名階級を示せ。条約に基づいた取り扱いの実施には必要だ。示されない場合、当機は貴官らをその他の武装勢力として取り扱う」


 敵機は動かない。だが、手練れだ。

 ニュートラル状態からのバトルブーストの危険性を十分に理解している。

 瞬発的に加速するそれはまさしく前後上下左右への予想をさせない。慣れた駆動者リンカーほど、単なる棒立ちではないこれを脅威に感じる。

 だが、背後に庇ったシンデレラは違った。


「なんでそんなまどろっこしいことをしてるんですか、貴方は! こいつらは敵なんですよ!?」

「敵とはいえ人命だ。急迫不正でない限り、尊重しない道理はない」

「だって、こいつらは街をこんなに――――! わたしだって、殺されかけたんですよ……!」

「……そうか。不安にさせたか。約束したのに、俺は間に合わなかったんだな……すまなかった」


 戦闘の不安や昂揚もあるのだろう。激昂する彼女を見ると痛ましい気持ちになる。

 事実、一度の搭乗と脊椎接続アーセナルリンクだけで戦場を去った兵士もいた。先ほどの汎拡張的人間イグゼンプトではないが、人体を機械域まで拡充される奇妙な感覚は、人によっては丸裸で戦場に放り出されたようなおぞけを感じるらしい。

 もし、シンデレラもそうなってしまった場合――……自分の責任だ。彼女の身体を守れても、精神までは守ることができなかったのだ。


「だから、謝ってほしいなんて――……間に合ってますよ! 十分間に合ってます! 安心してくださいよ、そこは! それに、そんな場合じゃないでしょう!? 大尉は軍人なんですよね!? だったら……!」

「戦わずに済ませられるなら、それが一番いい」

「でも……!」


 二機に注意を払いながら、噛みつかんばかりのシンデレラを諫める。


「……シンデレラ、君は、人の死を喜ぶ人間なのか?」

「――っ、そんな……そんなわけないじゃないですか……! わたしが、そんなわけ……! 今だって目の前で……こんな……こんなに息が苦しいのに、そんなことなんて……!」

「ああ、信じている。君がそんな人間ではないとは。……大丈夫だ、理解している」


 そうだ。

 戦争屋でもなければ、人を殺すことを喜びはしない。人の命を奪うことなぞ、忌避されてしかるべきものなのだから。

 彼女は不安定だが、優しい少女だ。初めて出会ったあの時の怒りも、彼女は虐げられた老婆のために発していた。

 それならば判ってくれるはずだと――言葉を続ける。


「彼らが投降や離脱をすれば、彼らの命も……彼らとの戦いで奪われるだろう命も拾うことができる。納得できないのはわかるが、理解してくれ。……頼む、シンデレラ」


 言えば彼女は、唇を噛み締めて俯いた。

 賢しい子だ。他人を思いやれる優しい子だ。そんな子を戦いに巻き込んだ――頭を持ち上げたその怒りに首輪を付けて、無理矢理に押し込める。

 

 


『……聞いていれば、まるでアナタ自身は死なないと言いたげですね。そうとしか聞こえない言葉です』


 凛とした清涼さを感じさせる男の咎め声が、そんな思考に割り込んだ。

 怒りか。彼とて戦友を、僚機を撃破されているのだ。


「そうか。誤解を呼んだなら訂正したい。戦闘におけるリスクから……戦う以上、俺の死など、俺にとっては必然の前提だ。特にこの場で論ずる必要がないため省略した。……貴官の認識の訂正はできただろうか?」

『……そう言う割に、特に死ぬ気がないふうに見受けられますが』

「当然だ。俺の死は、彼女や市民の死を意味する。それを肯んじて行動などすまい。それを防ぐためだけに俺はここにいる。俺はこの場の誰も死なせない」


 言って、シンデレラを庇うように前に立つ。

 彼女が今の時点でどの程度動かせるかは不明だが――それが如何ほどのものだろうと、戦いの数に数える気はない。

 彼女は民間人で、自分は軍人だ。

 その戦場の不文律を破ることは、決して行ってはならないのだ。

 ……人殺しにさせてはならない。自分のような、人殺しに。

 やがて、


『引くぞ。……彼のことは無念だが、首斬判事相手では分が悪い。新型機を牽引しながら勝てる相手ではない』

「訂正すれば、その牽引がなくとも貴官ら全員を撃墜可能だと認識しているが」

『……随分と自信家なんですね、死神は』

「純然たる事実だ。貴官に当機を撃破することは不可能だ。結果、貴官らは撃墜される。……戦闘行動の継続は双方ともに望ましくない結果と考えるが」


 少なくともここは軍の敷地内――市街地でないなら、完全な戦闘機動が可能である。

 そして普段と異なり、最早電力を消費する近接ブレードの起動すらしていない。完全に推力に振り切った状態であれば回避行動に徹している限り撃破は不可能と言っていいだろう。

 あとは立て直した守備隊を待つ。

 そうなれば多勢に無勢、彼らの勝利の可能性は極めて低いものとなる。たった二機では軍には勝てない。純然たる事実だろう。


『試してみますか、死神……!』

『よせ、中尉。見逃してくれると言っているのだ……この男、約束はたがえない。そこは信用しよう』


 言って、新型機【ホワイトスワン】を曳航する彼らの機影は遠ざかっていく。

 追撃を行おうとするシンデレラの白い機体を右腕で諌めた。特に追撃しないとは約束していないが、追うつもりもなかった。

 今一番大切なのは、市民たちの無事なのだ。

 倒せぬことはないが、ここでは十全の戦闘機動は取れない。流れ弾でこの都市は完全に高層圏の空気に晒されることになってしまう。

 だが己のそんな態度は、怯懦或いは怠惰と映ったらしい。


「街をあんなにして……そんな奴らに逃げられるなんて……! 大尉なら、倒せたんじゃないですか!? だって大尉、すごいパイロットなんでしょう!? 調べましたよ! ……なのにそんな臆病者みたいなことなんて、そんなの」

「……いや」

「聞きましたよ、黒の英雄グリム・グッドフェローって! すごかったんだって! 病院船を守ったとか、たった一人で孤立した味方の救助に向かったとか……大尉なら何とかできたでしょう! わたしなんかに構わなければ!」

「俺は英雄じゃない」


 職務を遂行しただけであり、つまり、単なる人殺しだ。


「いいんですよ、そんな言葉は! 大尉が英雄じゃなかったら誰が英雄なんですか! わたしが邪魔だった……そう言いたくないだけなんですよね、大尉は! 優しい人だから! でもっ、そんなの、余計にっ――」


 シンデレラの声に、涙が混じる。

 ……ああ、そうか。彼女が怒っているのはグリム・グッドフェローではなく、理不尽と、それを覆せなかったシンデレラ・グレイマンに対してなのか。

 僅かに思案する。この優しい怒りの少女を、どう慰めたらいいものか。


「……すまない、シンデレラ。当機は現在、全て訓練用の兵装しか搭載していない。換装のいとまがなかったんだ。不甲斐ないが……」

「訓練用……?」

「彼らの手前言わなかったが、当機に殺傷能力のある兵装は一切搭載されていない。客観的には、盾になることしかできないだろうな」


 それでも戦い方はあるが、近接ブレードによる戦いよりも苦しいものになるだろう。

 無論、如何に困難だろうとも負ける気はない。そのために自分は常に研鑽しているのだ。

 この状態でも、問題なく敵機は撃破可能だ。やれと言われれば、あの場で追撃もした。

 だが、言われなかった。――……言われなくて本当に良かったと、心からそう思う。


「それなのに……来てくれたんですね……そんな危ないのに……」


 シンデレラが、噛み締めるように呟いた。


「ああ、約束だったからな」

「約束って……だからってバカですよ、そんなの! どういう気持ちだと思うんですか、こっちがそんな……! それでもし死なれたら、わたしの身にもなってくださいよ! 大尉が死んで……嬉しいわけないんですよ……そんなの……!」

「……そうか」

「そうですよ! わかってくださいよ、大尉が大事なんだって! そんな助け方……大尉を盾になんてしたいって思わないんだって! そうなんですよ、人は! そう思うんです! 危なっかしい人です、大尉は!」

「……」


 アーセナル・コマンドに乗り込んでる君に言われたくないんだが。

 その言葉は呑み込んだ。おそらく、火急の要件があったのだろう。決して向こう見ずなだけの子供ではない。彼女は。

 記憶なら新型機に乗り込んだ彼女は【フィッチャーの鳥】を尻目にあちらへと合流した筈だが……筋書きが変わったか。それともこれが所謂、レジスタンス所属以外のルートなのか。

 まあ、何はともあれ――


「俺は死なない。君を助けると約束したからだ」


 彼女を安心させねば。

 そんな意を込めて呟けば、モニター越しに目を見開いた彼女は――……それから糸が切れたように俯いた。

 戦闘の緊張が途切れたか。アドレナリンが冷めたか、恐怖心を覚えだしたのだろう。


「本当に……大尉……本当に来てくれたんですね……。本当にわたしのこと……ちゃんと約束を……大尉は……大尉は約束を……」

「ああ。君が無事で嬉しい。……これで君との約束は果たせただろうか?」

「……いちいち聞かないでくださいよ、そんなことっ。そんなにボクの口から言わせたいんですか!? いやらしい人です、大尉は!」

「いやらしい……?」


 なんで?





 ◇ ◆ ◇



 それから、市民の避難に向かわせたノーフェイス2・ノーフェイス3と合流を果たした。

 シンデレラ・グレイマンが【フィッチャーの鳥】と事を構えなかった。

 そのことは、自分を安堵させる要素の一つだっただろう。だが――


 【驚愕】新型機、5機中4機強奪!


 その知らせニュースが入ったとき、この全ては敵の陽動でしかなかったことを思い知らされた。

 観閲式の中止――少なくとも新型機の披露に関しての中止。今回の騒動を受けたその決定が最悪を呼んだ。

 敵は輸送機のパイロットにも含まれており、新型機の避難――及びメンテナンスのために同乗したグレイマン技術大尉と共に消えていた。

 ……ある問題を抱えた一機を残して、全てが敵の手に渡ったのだ。


 一機。


 それはつまり、シンデレラの戦場への参戦を意味していた。


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