第6話 乙女ゲーなんだが。……架空SF戦記乙女ゲー? 正気か?


 夜も開けやらぬ洗面所で鏡に向かう。


 全体的に短く揃えた黒髪と、特に刈り込んだ側頭部。

 感情を感じさせないアイスブルーの瞳。

 ハンス・グリム・グッドフェロー――自分だ。


 こんな顔をしていたのかと、改めて思った。

 既に二十数年に渡り己のものであった顔だが……奇妙な新鮮さを感じるのは、先日のシンデレラ・グレイマンとの邂逅で、遠く隔たりすら感じるほどの戦場以前のことを追憶したからだろうか。


「……鉄のハンス。死神グリム。首斬判事リーパー。黒の処刑人ポーン


 己を呼び表す二つ名を呟きながら、先日のようなを伴わぬ範囲での過去を回想する。


 元は第一作目の、『アーセナル・コマンド 〜愛・戦士〜』で作中の誰かの会話に出たあたりだっただろうか。

 次いでそのハイスピードロボットアクションバージョン『アーセナル・コマンド 〜胸の鼓動は愛〜』にて、先行予約特典の撃墜数ランキングに記載されていて、話題になった。

 【星の銀貨】にしろ、【シンデレラ・グレイマン】にしろ、【メイジー・“ザ・レッドフード”・ブランシェット】にしろ、作品の重要な登場人物や名称にはグリム童話の名が冠されている。

 その中での、【鉄のハンス】【】を冠する撃墜王。


 ファンの中で話題になったのだと、自分にそれを薦めたもう名前も思い出せない同級生だった少女が言っていた。

 二作目での攻略対象になるんではないかと噂され、様々なキャラクター性が想像され、結局公式からの回答はなかったその他大勢モブ

 その後映像化にあたって、画面に一瞬映り込んだ鮮やかに敵機を次々と撃破する量産機の使い手がグリム・グッドフェローではないかと話題になった。それぐらいだそうだ。

 【星の銀貨】戦争で何をしていたのか、その後の【ホワイト・スノウ】戦役で何をしていたのかは、語られない。

 精々が、連盟軍に所属していると……それだけだった。


(……まあ、俺なんだが)


 改めて振り返ってみたが、これはもう自分にとっては御伽噺アニメではなく現実リアルだ。幻想アニメではない、本当のことだ。

 何がどうだからと言って、その中でできることをするしかないだろう。それだけだった。

 他に思い出せることは――


(確か、シンデレラが特定の誰かと関係性を深めない限り彼女は……最終的に心身が疲弊して廃人同然で戦いを終える、だったか。俺が見たあの子の最後は、それだった)


 戦場に出ている自分にとってはさほど不思議ではない精神的な理由での病気除隊だが、冷静に考えれば、それが女性向けゲームの主人公が迎える末路としては如何なものか。

 制作陣の正気を疑わざるを得ない。

 というかそもそも、大規模な架空SF戦記と何故女性向けゲームを組み合わせたのか。理解に苦しむ。

 おまけにその後、アクションゲームを出すとは……世界の歪みか?


 ……まあ、なんにせよそれはいい。問題があるとしたら、かつての自分はその原作を体験したことはなく、伝え聞いたものでしかないということだ。

 だから、誰か攻略対象とシンデレラが結ばれることを手助けする……というのは上手くいかない。そもそも他人の色恋にそんな思惑で介入するのも不純な気がする。

 だが、少女一人の生命及び幸福がかかっていると知りながらそれを見過ごすのもまた、同様に悪しきことなのではないだろうか?

 そもそも、本当に筋書き通りに進むのだろうか。彼女に会わず、或いは介入させず自分たち軍人の手で決着をつけるべきではないか。


(……なんにしても。ひとまず、覚えている範囲を纏めるか)


 その①――暗黒イケメン。

 最終的には色々なことの元凶。自信家だが女性には紳士的で、そつがなくどこか達観した物言いをする。

 彼のルートに突入したシンデレラは、彼の共犯者として地球圏に対する偶像的な支配者となる。

 本格的に介入を果たしてくるのは遅くなるようで、現時点でこの騒動に関われる位置にあるのか不明だ。

 ――保留。


 その②――硬派なヤンキー系格下ライバル軍人。

 シンデレラと何かの拍子に衝突することになり因縁が生まれ、そこから彼女に執着し始める。態度は粗暴で、美形には入るが好みは別れる。

 しかしそれはエリート部隊の中での新兵である自分に対する自信のなさの裏返しで、彼のルートに入ったシンデレラはお互いの弱さを認め合い戦場で切磋琢磨する奇妙な関係となる。

 最後は――……覚えてない。まあ幸せにはなるのだろう。

 この男はおそらく【フィッチャーの鳥】の所属であると思うが、【ハシバミの枝ヘーゼルアスト】に属する可能性も捨てきれない。

 シンデレラはルート次第でそのどちらにも加入するらしい。それ以外に、保護高地都市ハイランド連盟軍にも。

 ――保留。


 その③――かつての主人公のライバルだった亡国の王子様系妙な距離感の保護者的な年上男。

 シンデレラに対して、かつてのライバルだったメイジーのことを重ね、そしてそれ以上に彼女の中に何かの革新を見出してしまうような年上の男。

 保護者のように振る舞う男と、それを心地よく思いながらも同時に反発心と甘えがあり、やがてそんな関係にとどまりたくなくなっていく――だったか。

 メイジーのライバルと言われて、ざっと思い浮かばない。

 彼女と戦っていた戦場が違う上に、象徴的なエースパイロットだ。撃墜した中にもそれなりの生存者がいた気がする。

 ――保留。


 他に、


 ――『女に軟派で色々とだらしないが腕は確かで誰よりも真剣で心優しい面倒見のいい軍人』。

 ――『明るいお調子者でおっちょこちょいだがおせっかいで正義感に溢れた軍人』。

 ――『人当たりが柔らかく基本的に万能であるが才能ある兄を失い心に影を持つ物静かで誠実な男』。

 ――『前大戦のトラウマで疲れ切ってしまいながらそれでも誰かのために働ける幸の薄い笑顔の年上の男』。

 ――『態度も口も身体も大きく主人公と衝突するが戦友の死を引きずり未だ悪夢を見る才能溢れる俺様系』。


 だったか。


(これぐらいか? ……他にも居たかもしれないが)


 思い出せないことも多い上に、例の如く名前は覚えていない。というか、当ててみてとか――答え合わせをしようとか言われた気がする。

 その辺りは、若干曖昧だ。

 まあ、仕方ないかと頷く。忘却は人間の脳機能の一つだ。客観的にも戦場という高ストレスに晒されたなら、多かれ少なかれ影響は出るだろう。


(……覚えているのか覚えていないのか、これではな)


 参考になるようなならないような。

 そもそも参考にする気はあるのかないのか。というより、すべきなのかすべきでないのか。

 そも、出会うべきか出会わぬべきか。彼女が本当に巻き込まれるのか、否か。

 しばらく眉間に皺を寄せ――


(……ひとまず、走りに行くか。高度に柔軟かつ臨機応変な対応に最も役立つのは、自身の揺るがぬ実力だ)


 訓練は裏切らない。

 自分の数少ない経験で語られるのはそれだけだった。

 どんな形になるにしても、自分が一定の練度さえ持ち合わせていれば、シンデレラを助けることも或いは彼女の存在なくして戦いを終わらせることもできる。

 鍛えるに越したことはない。磨くのだ。自分の力を。

 いわゆる『そんなことより訓練だ!』というやつだ。モブとはいえ、軍人なのだから。



 ◇ ◆ ◇



 ……で。


「あ」

「……む」


 軍の駐留所――要するに基地の内の、その廊下で。

 青と黒を基調としたブレザーを身に纏った、鮮やかな長い金髪の毛先を三つ編みにした少女。

 午前の訓練の後、午後の訓練内容を思案しながら。

 軍事施設特有の飾り気なく無機質な廊下の、その曲がり角で遭遇してしまった。


 ……正直なところ、この先の指針を考えていない以上、ここで会うのは若干予想外にすぎた。

 二度と顔を合わせるべきではない――とまでは思わなくなったが、対応を考える必要がある。そうは思っていた。

 この基地の中には、観閲式に備えてあの【フィッチャーの鳥】たちも入ってきている。まさかそんな場所にシンデレラ・グレイマンが来るとは思わなかったが――……予想は外れたらしい。

 或いは、こんな形で彼女は攻略対象に出会うのか。


「……迷惑でしたか、その顔」


 こちらの僅かな気配を感じ取ったのだろうか。

 彼女は躊躇いがちにそう口を開いた。

 悪印象を与えてしまったか。自分に向けられるそれ自体は構うことではないが、相手の表情を曇らせるのは本意ではない。すぐに首を振った。


「いや、俺は正直な男だと自認している。迷惑なら迷惑と口にするから、安心してくれ」

「なんですか、それ」

「俺の顔色は伺う必要がない、と言った」

「……別に伺ってなんていませんよ。自意識過剰ですよ、そんなの」

「そうか。失礼した。……自意識過剰か。そうか」


 この間の部下二人のあの一件からどうにも気にしてしまう。

 その辺り、もう少し揺れない人間になれたらいいと思うが――……そう思うということは、つまり逆の人間だと言うことだ。

 こう見えて自分は、わりにナイーブでセンチメンタリストなのだ。ピアノを引きながら口を開いたマーシュに指摘されるまではそうは思っていなかったが。


 聞いてみれば彼女は、父親に届け物があったのだという。だがその当の父親は実験を長引かせ、待ちぼうけを食らわされているらしい。

 観閲式にて披露される手筈になっている新型の、その開発担当が彼女の父親だ。

 第四世代型――第三世代型【コマンド・レイヴン】の更に先の機体。

 機体の軽量化と血脈型流体循環機構の更新。《仮想装甲ゴーテル》そのもので飛来物すべてを受け止めるのではなく、その力場への干渉を感知してより有機的な防御機能を発動するらしい。

 実際に部隊に配備されるのは何年後だろうか。

 とはいえ、機体自体は完成して既に複数機の試作生産が行われているらしい。口を尖らせたシンデレラが、そう伝えてきた。


「第一、だらしないんです。家にも帰らないし、たまに連絡を寄越したと思ったら自分の用事ばかりで……あんなのに、親みたいな顔をする。最低の人間ですよ。父親としての義務も果たさずに。付き合わされるわたしは、たまったものじゃないです」

「そうか、大変だろうな。愚痴くらいなら、俺でも付き合えるが」


 そう言うと、彼女は銀色がかった前髪の間からその琥珀色の瞳を見開いて、酷く奇矯なものを見るような目を向けてきた。

 また何か、おかしなことを言ってしまったのだろうか。


「どうせ大尉のことだから本気なんでしょうけど……言わないんですか? 普通そういうとき、自分の親のことをそんな風に……だとか、もう少しお互い歩み寄って話し合ってみればとか……言いませんか?」

「家族との付き合い方は、人それぞれだろう。そこに俺が簡単に踏み入るのは図々しいことだ。他者の個人性を認めるなら、そこも尊重すべきだろう」

「……!」


 言えばまたシンデレラは目を見開き、それから伺うように問いかけてきた。


「……大尉って、人の心を読めたりするんですか?」

「? 脊椎接続アーセナルリンクに伴う汎拡張的人間イグゼンプトのことか? アレは戦場の御伽噺だと……いや、そうとも言い切れないか」


 汎拡張的人間イグゼンプト――脊椎接続アーセナルリンクが齎す弊害か、それとも福音か。

 本来、人体には存在しない機構への接続や思考拡張を伴う脊椎接続アーセナルリンクへの適応ともいうべきか、駆動者リンカーの中には奇妙な感覚を持つものがいるという。

 曰く、『接続というあらゆる事象に対しての適応』。

 道具の使用というある種の手との接続的な事象に始まり、肉体同士の接触や接続、果ては他者との社会的――或いは精神的な接続にも、多大な素養と適応を見せるのだという。


 殆どが眉唾の、ゴシップ的な説だ。

 酷いものでは、だから肉体の性的な接触について駆動者リンカーは凄まじい才能と素質があるのだと語る三流紙もあるほどだ。

 あの宇宙空間からの空爆の影響に伴う人材不足で、軍人にも女性が増えたこと――駆動者リンカーの中にも女性が見られることから、そんな品のない俗説が浮かんだのだろう。

 とはいえ、それは本筋ではない。

 語られるのはどちらかと言えば――半ばオカルトめいた精神的な接続の部分だ。

 だが、


「俺自身、そう呼ばれたことは何度かある。ただ……そんな技能はない。人にできることをただ磨いただけだ。本当にそうだというのは、あの、メイジーくらいだろう」

「会ったことがあるような言い方ですね、それ」

「あるからな。……戦場で幾度か。機体越しにだが」


 戦友というほどの濃い関係ではないが。


「えっ!? あのレッドフードが参戦した戦いに、大尉もいたんですか? あんな戦場で何度も? ……それで無事ってことは、やっぱり大尉も汎拡張的人間イグゼンプトなんじゃ……」

「俺にそんな力はない。……言い難いが、つい先日も部下からコミュニケーションエラーについて指摘された。俺のジョークは笑えないらしい」


 言ったら、シンデレラも何故だか笑った。

 そのことを指摘すれば、また、言葉がいくつもになって返ってくるが――その顔を見るに、悪い気はしていないらしい。

 それならば一安心だ。

 そうして昼休みの終わり近くまで会話を続け、そろそろ打ち切るかというところだった。


「あの……大尉。一応聞くんですけど……その、個人性の尊重はボクも大事だと思ってて……」

「いい心がけだと思う。なにか?」

「こんな風に時間が余ったときとか……やることがない、ってことがあるんです。そういうの、なんか嫌だなと思って。時間を使わされてるって、そんな気がするじゃないですか。なんか」

「そうなんだな。判る気もするが……」


 要するにあまり関係がよくない父親にいいように使われるのが気に障る、ということだろうか。

 自分はわりに気にしなくなった方だが、それでも無駄に冗長な訓示に対して思うことはある。シンデレラの言い分も、もっともだろう。

 そうして彼女の自説のようなものをしばらく聞いたのち、伏し目がちに、だがゆっくりとこちらを見上げて彼女は言った。


「だからそういうとき……あの、また会いに来ても、いいですか?」

「……気持ちはわかるが、軍の施設の中だからな。あまり出歩かない方がいいと思うが。危険がある」


 そう言った――途端だった。

 琥珀色の瞳が僅かに見開かれ、彼女は語気を強くした。


「危険って……そんな場所に呼び出してるのは、父の方ですよ! 困りますよ、わたしにそんなことを言われても。危険だって言うなら、入り口にそう貼り紙でもしておいてください。それぐらいするべきなんじゃないですか?」

「……確かに、そうだな。君に言うのもおかしな話だ。失礼した。……ただ危険だというのは本当だ。軍事基地は、優先的な攻撃目標になりうる」


 この先の騒動がなくとも、それは変わらない。

 基地を目標とした絨毯爆撃。そんな戦いにも遭遇した。或いはその護衛についたこともある。

 或いは基地に出入りする人間を脅迫し、軍事機密の流出や自爆テロを狙ったということもあった。

 三年の月日は、戦前戦後と抑圧された人々の不満を高めつつあるのだ。【フィッチャーの鳥】の存在もそれに拍車をかける。

 民間人と軍人。その区分は為すべきだった。


(……それを彼女に言っても、だな。シンデレラの言うようにそれはグレイマン技術大尉に伝えるべきだ。部署が違うので書面か……或いは部隊長に頼むか。さて……)


 その辺りの根回しは得意ではないな、と思っていたその時だった。


「守ってくださいよ、そのときは。……約束したじゃないですか、この間」


 不貞腐れたような、逆に伺うような、そんな目線。

 彼女は――……何某かの信頼めいたものを自分に向けつつあるのか。父親の代わりに、歳の離れた兄のようなものを感じているのか。

 理由をつけて断ることは容易かった。

 だが、


「そうだな……確かに約束は大事か。承知した。善処する。……君に危険があったら、可及的な範囲で速やかに救助に向かおう」


 痛みを見過ごすというのも、人道的にそぐわない。

 ましてやこのような少女が心を開こうとしているなら、それに応じるのが人としての筋であろう。

 そこを損ねてしまったら、何のために人を守る軍人に志願したのかも判らなくなる。


「……だからその、固っ苦しい言い方やめてくださいよ、もう……。それも約束だと思います。やめてって。言ったのに。……違いなんてないじゃないですか、それとこれに」

「了解した。無意識だったんだ。失礼した」

「だからそういう言い方が――……ああもう、嫌いですよ! 何度もこんなことを言わせるなんて! そういう大尉は! 事務的で!」


 また嫌われた。

 ……これは、ひょっとして、エルゼの言っていたことは本当なのだろうか? 本当にパイロット以外からは嫌われていたのだろうか?

 走り去っていく彼女の背を眺めながら、なんとも暗澹とした気持ちになる。

 それでも自分は行動できるように訓練しているからいいのだが……悲しい気持ちにはなる。

 なった。


「大尉〜、痴話喧嘩っすかー? あーあー、マーシュさんに言いつけちゃおーっと。大尉の弱み握っちゃいましたっスよ〜?」

「……マーシュと何の関係が? ただ……上官を脅そうとした、ということは理解できた。貴官の服務態度に若干の問題を確認した。相応の戦闘機動の追加を予期せよ」

「ぎゃ〜〜〜〜〜〜ッ!? 二重の意味でぎゃ〜〜〜〜〜〜ッ!?」

「……二重の意味とは? オネスト少尉、説明を求める」

「サー! ノー・サー! 二重の意味でサー、ノー・サー! であります!」


 赤に近いオレンジ髪のフェレナンドが騒ぎ立てる。

 これが観閲式二日前の午前。

 午後の訓練が、始まる前のことだった。

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